見出し画像

死は哀しいけれど、大事な何かを教えてくれる ~最愛の妻へ

前回、残酷にみえる昔話は残酷かなのかということについて、私なりの考えを書きましたが、では子どもに「死」ということを教えるのはどうでしょうか。もちろん悲惨な死の様相をみせるのは適切ではありませんが、死が教えてくれることも多々あり、それを子どもの目から隠してしまうのも大事な学びのチャンスを奪います。

哀しいけど温かい死を暗示する絵本がいくつかありますが、今回はジョン・バーニンガムの『おじいちゃん』をとりあげたいと思います。

私は一年前に妻をガンで亡くしました。ほぼ同じ時期に私もガンの手術を受け、ストーマ(人工肛門)を付けることになったのですが、一昨日、それを取る手術をしました。昨日まではぼんやりしていた頭もはっきりしてきたので、今日はnoteを書きたいと思います。ただ病院の中なので通信環境も悪く、思いどおりのことができませんので、半年前に私が私のフェイスブックに書いたことを引用するにとどめさせてください。

ジョン・バーニンガムの『おじいちゃん』

この文章は「7日間ブックカバーチャレンジ」という試みをした時の私の文章です。『おじいちゃん』は、妻の死の事もあってしみじみしました。

***********(思い出)
妻が死んで、もうすぐ1年になる

ふたりで結婚を決めた日の夕方、
彼女はひとり喫茶店のカウンターに座って、コーヒーを飲んだそうだ

福岡に新居を構え、私は毎日、マンション伊東から出勤する
妻は夕方になると駅近くのスーパー、ナフコまで歩いてきて
私を待った

長女が生まれる時は妻は実家に帰り、そこで出産した
赤ちゃんのためにいいからと
両親は毎日、妻に柿をお腹いっぱい食べさせた

長男が生まれる時は、重いお腹を抱えて名古屋へ転居した
私の両親がいそいそと手伝いに来た

「私たちは『三人のおろかもの』だね」と、よくふたりで話した

旅の男をもてなすために地下にビールをとりに来た娘が
天井のハリに置いてある木づちを見て、
旅の男と結婚したら子どもができ
その子が地下に降りたら木づちが落ちてきて子どもが死んでしまう
そういって娘は泣く
そんな娘を見て旅の男は、世の中にこんなおろかものを三人見つけたら
戻ってきて娘と結婚しよう、といって家を出る
そんなお話

私たちの子どもは、将来だいじょうぶかと
不安にかられた日々

リビングには大きなテーブルが置かれていて、家族はそこで食事する
子どもたちは大きくなり、
それぞれに時間があって一緒に食べることも少なくなった

「ねえ、このテーブル大きすぎるよ。小さいコタツに買いかえようよ」
妻はよく不満をもらした
テーブルは買いかえられることなく、今もまだそこにある

妻が残してくれたもので一番大きいものは、
イケアで買った大きな本棚にぎっしりの絵本たち
絵本は全部ははいりきれずに
二階のロフトにも押しこんである

福岡にいた1989年、ジョン・バーニンガムが講演のためにやってきた
若年の私が彼をもてなす大役をおおせつかり、天神の街を案内した
「私は、あなたの『おじいちゃん』という絵本が好きです」
そう彼にいうと、彼は黙ってうなずいてくれた

「あなた、バーニンガムの絵本は『おじいちゃん』しか知らないのに、よくいうわ」
そういって妻は笑った
私も少し照れて笑った

**********(ご紹介)

『おじいちゃん』は、1984年にエミール/クルト・マッシュラー賞を受賞した作品です。同賞は、文と絵が一体になったいい絵本にのみ与えられる賞。今回、本棚から『おじいちゃん』を引っ張り出してきて仔細に見るまでそのことは知りませんでしたが、この本を初めて読んだ時、絵と文が絶妙なハーモニーを奏でていて惹きつけられました。

でも絵本のページの右側の絵は着色されていて、左側の絵はモノクロになっているのはなぜなのか、が分からない。
若かった私は、疑問に思いながらもそのままにしていました。
今ならよくわかります。

右側の着色された絵は、愛する孫娘と遊んだり、質問されたり、孫娘に対していじけたりといった現実に起こっていること。
そして左側のモノクロの絵は、そのときに浮かんだおじいちゃんの心象風景。

物語が終わりに近づいた時、おじいちゃんは真顔になって孫娘に伝えます。
「おじいちゃんは きょうはそとであそべない」
右側の絵は、おじいちゃんがいつも座っているイスに座ったままのおじいちゃん。
左側には、テーブルに乗った氷のうや薬。

次のページでおじいちゃんは、外に行けない代わりに孫娘を膝に抱っこして、テレビを観ます。
「あしたは いっしょにあふりかへいって,おじいちゃんは せんちょうになってくれる?」
と孫娘。

次のページでは、いつもおじいちゃんが座っていたイスだけが描かれ、おじいちゃんはいません。
左側には孫娘が手のひらにアゴを乗せて、そのイスを見つめています。

ここで終わってしまえば、しんと心が沈んだままになってしまいますが、次のページで少し救われます。

夕日の中、一目散に乳母車を押して駆けていく孫娘。
乳母車の中は誰なのでしょう。
誰かはわかりませんが、新しく命を引き継ぐ者、希望の灯火であることは間違いないでしょう。

人はいつか必ず死ぬ。しかしそれは終わりではない。命は引き継がれていくのだということを思い出させてくれます。

ジョン・バーニンガム作/たにかわしゅんたろう訳
『おじいちゃん』
ほるぷ出版

**********(引用終わり)

最後に

死に接することは本当に辛いことです。でも、いつかは生とし生けるものすべて、終わりの時を向かえます。そこから学ぶものはたくさんあるし、バーニンガムの『おじいちゃん』のような絵本は幼児にはすぐには理解できないかもしれませんが、何かを残すのではないでしょうか。そしてある日、その意味に気づくかもしれません。

私の子どもたちは、母の死を目の当たりにして何かを考えたのでしょう。少ししっかりしたような気がします。

私は

入院中のベッドの中でユーミンの歌のリフレインを止められないまま、胸をつぶしています。

もしよろしければサポートをお願いします。書籍購入や活動に使います。得た資金の活動レポートもしていきたいと思います。、