南京「大虐殺」の虚構【嘘の見抜き方】

この稿は、所謂「南京大虐殺」が事実ではないと考える旨を説明する目的で書いている。
反対に「事実だ」と信じる人がいるなら、そういう論を組み上げればいいと思う。

「あった」派に是非、求めたいのは、「何月何日に」(When)「南京の何処で」(Where)「誰が(どの部隊が)」(Who)「どれだけ(何人)」(How many)殺害したかを、大まかでもいいから、統計的に整理・確定して欲しいということ。言った後でコロコロ変わるような話は、意味がない。

それが確定すれば、その他の事実と符合する証言や証拠が増えるだろうし、「あった」派が拒む理由はないはずだ(嘘でないならね)。
これをやるべきなのは、立場と資金力等からいって、中国共産党政府及び「南京大虐殺記念館」だろうな。
ただそういった情報整理は結構大変な作業だし、かけた時間と苦労の割に「あった」派が望まない結果を残す可能性もある(だからこそ結果に意味があるんだが)。
私の予想では、実際にそうなるだろうな。「あった」派を落胆させるような内容か、「あった」派にとっては一見「やっぱりあった!」と思わせる内容でも、矛盾だらけだったり、部外者が見ると疑問符がいっぱい浮かぶような内容になると予想する。
まあ、そんな矛盾を検出するのも、また馬鹿にならない作業なんだが。

資料を掻き集め、他者の主張も併せて1つ1つ読んで整理し、まとめる。私がもしそういうドキュメント執筆のプロなら、そうした苦労もするだろうけど、生憎そうでもないので、私はもう少し身近な材料で事実に近付きたい。

卑近な例えで恐縮だが、浮気の嘘は、何故バレるのだろう?
それは端的に集約すると、「欺いているから」。
嘘をつく側は、「事実を証明する」体で実際には「事実を歪曲」して見せねばならない。鋭くしつこく追求してくる相手に対し、一緒に「事実を追求する」体を崩さず、そう装いながら、頭をフル回転させて、上手く辻褄を合わせなければならない。事実と虚構をパッチワークのように綺麗に縫い合わせて、縫い目さえ見せてはいけない。
ポイントは2つ。
1つは(実際には浮気をしていた)その時間に何をしていたか、のアリバイ。これは、本当の事実(浮気)を隠す為、これに代わる作り物の「事実」を提示しなければならない。
もう1つはそのアリバイの合理性と整合性を説明できなくてはいけない。何故そう行動したのか、何故他の選択をしなかったのか、その行動を見た第3者が証言できるか。
ホンのこれくらいだが、大抵の嘘吐きは、これに失敗する。
その場だけのハッタリ程度には誤魔化せたとしても、何しろ嘘を見抜くのに時間制限などない。翌日でも来年でも、新事実が追求者側の耳に入って、「どういう事?」と説明を求められれば嘘吐きはもう一度、1点の間違いもなく説明して見せなければ信用されない。殆どの嘘吐きはここで参ったをするか、プレッシャーに負けて自らヘマをする。
嘘吐きはもう一度、あの時の嘘と真実の地図を頭に浮かべて、新しい事実をどこに嵌め込むか、試されるがもうあの地図がどんなだったか、隠した縫い目は何処だったか、正確に思い出せなかったりする。だからヘマをしてバレる。

そういうことを念頭に置くと、私が「南京大虐殺」は嘘だ、と考える理屈が、理解して貰えると思う。

「南京大虐殺」は大嘘であり、嘘を付く側には理由と目的がある。
連合国軍、特にアメリカはB-29と焼夷弾で日本の都市を空襲して、一晩に数万人から10万人余の民間人を殺害した。原爆投下によっても、広島と長崎で各10万人余を殺した。これへの非難を恐れて、日本を殊更に「悪者」に仕立てようとした、と昔から言われる。嘘の動機としては信憑性がある。
中国も、数が遠く及ばないものの、「通州事件」等で日本人街を襲って、それでも200人ほどの民間人をかなり残虐に殺している。中国の場合は、その自らの罪を隠す為と言うより、「被害者側に立った方が、日本からカネを強請るネタになる」と計算しているフシがありそう。

兎に角、嘘をつく者はミスを犯す。嘘の背後に隠した、本当の目的を守ろうとする余りに、如何してもミスを犯す。
例えば、彼らは旧日本軍が民間人を「残虐に」「ウン十万人も殺害した」、と主張するが、現実的にこの2つは両立し得ない。かなり特殊な状況が伴わない限り、あり得ない。「日本人と日本軍は残虐だ」という印象操作の為に、こう言う嘘を広めたい勢力があったのだろうが、フィクションだ。作り話だ。

いやそうではない、現実に「虐殺」があったんだ、と主張するためには、少なくともそれが「実現可能」である事を示して欲しい。一体どんな計画なら、「ウン十万人」を殺害できたのか?
3万人でも10万人でも、20万人でも30万人でも50万人でも、どれも成り行きで無計画に何とかなる数字でもないし、仮に何とかなるなら、それを実行できる計画を立案するなど容易いはず。一般に、まだやる前の計画を立てるよりも、事後にそれをトレースした計画を立てる方が簡単だ。にも拘わらず、この件はかなり無理筋なのだ。検証に耐える計画となると難しい。
日本軍であれ、別のもっと強力な軍隊であれ、また相手が幾ら非武装の民間人だとしても、通常兵器で「ウン十万人も」の大量を殺害する為には、「効率」を無視できないハズだ。例えば1人の兵士が1人目の民間人を殺害してから2人目の民間人殺害に着手するまでに要する時間。この間隔をできる限り小さく、限りなく0に近付けねばならない。同時に、民間人1人当たりの殺害に掛かる時間および弾薬他武器の消費も、共に低く抑えなければならない。
そうやってスピードを上げて、兵士の疲労と武器・弾薬が限界に達してしまう前に、目標の「ウン十万人殺害」というゴールにサッサと飛び込まなければ、この計画は破綻するからである。
時に、「残虐な」殺害方法が「効率」にどう影響するか、考えた事はあるだろうか?
そう、相反するのだ。
より「残虐な」殺害方法をとると、より時間が掛かってしまう。即ち全体として「効率」が著しく落ちる。「効率」が低いままで安定してしまうと、やはりこの計画は破綻してしまう。だから嘘なのだ。

「残虐な結果」を導くとしても、時間の掛からない手段、というものは恐らく存在するだろう。だからどうせ嘘をつくなら、そういうポイントを追求すればよかったのかも知れない。なのに、「南京大虐殺」で語られている所の「日本軍の残虐さ」はそうではない。
彼らはありもしない「日本軍の残虐さ」を作り出して、リアルっぽく演出する為に、彼ら中国人が実際に行った「通州事件」での日本人民間人を殺害・陵辱した様をそのまま、「日本軍の行った残虐エピソード」としてすり替えたのだ。
ちなみに通州事件の被害者数は百人単位であり、証言や写真等、当時の新聞報道も残っていて、現実に存在した事件だ。陵辱し殺害した女性の局部に棒などを突き立てて残す、と言ったひどく野蛮で悪趣味な行動は、21世紀の現代に至るまで中国人の悪党が変わらずやらかす悪癖だ。日本人がそんな事をするのは聞いた事もないが、何故か「南京-」に関わる「証言」等ではしばしば、「日本軍が」それをした事になっている。

他にも「こんな殺され方を見た」「こんな拷問をされた」というのがどれも「中国式」だったりする。中国人の「目撃者」を仕立て、嘘の証言をさせて集めたから、当時の中国人のイマジネーションの限界の域を出ないのだ。

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