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フェミニズムという名の加虐性主張

最初に主張しておくべき事は、女性蔑視をしている訳では無いということだ。
同時に言うのであれば、私は性差別主義者では無い。無論、性犯罪を助長している訳でも無い。

この記事を「女性蔑視」で片付ける事無く本記事を読んで欲しい。


1.前提:「フェミニズム」の歴史

前提として、彼女らの中には派閥があり「フェミニズム」という物にも種類があり、歴史というものがある。
フェミニズムには種類が存在し
リベラル・フェミニズム
マルクス主義フェミニズム
ラディカル・フェミニズム
の3種類である。

生まれた順序に説明しよう。
リベラル・フェミニズムは最も最初に生まれた主張であり、男女平等は法的手段と社会改革を元として実現可能である。というもので、所謂敵の存在しない主張だ。
女性に参政権がなく投票権もない。その上働くことすら許されなかった真の不平等を嘆いた女性達が列を成し、女性参政権運動を行った事で生まれた元祖フェミニズムである。

マルクス主義フェミニズムは、リベラル・フェミニズムの「敵のない主張」が問題として派生した、資本主義を敵とする主張である。
マルクス主義の者たちが派生した、というよりは、女性の現状の問題は政府が問題であると考えた女性達が、己の主義を元にマルクス主義を修正したフェミニズムということである。
最も影響力の強かった運動は家事労働に対する賃金の発生であり、所謂「家庭内での家事に賃金をつけろ」という主張であった。
この主張は結局認められることはなく最終的には失敗に終わったが、家事の重要性と価値を世界にしらしめる大きな運動となった。

ラディカル・フェミニズムは、そのマルクス主義フェミニズムから分離した主張であり、女性蔑視の最たる敵は男であると考える主義である。
近年散見されるものは、これに近いかもしれない。
結婚制度や家庭に置ける女性は被害者であり、男性が女性を抑圧していると考える主義である。
当時で言うところの亭主関白が世界一般であった時代に産まれた主義である。
このラディカル・フェミニズムの上記2つと決定的に違う点は、ポルノ撲滅運動を起こしたことだろう。
リベラル・フェミニズムや、マルクス主義フェミニズムは「性の解放」や、性的主張を全面に押し出して女性の自由を叫んだのに対し、ラディカル・フェミニズムは強い反発を持っている。
彼女らが主張するラディカル・フェミニズムにおける、最も大きな運動「ポルノ撲滅運動」の元となっている主張は、ポルノ作品は男性のDVハラスメントや性犯罪を助長する存在であり、何より作品に出演した女優たちが撮影と称して暴力を受けていたという事もあって、撲滅運動を開始した。

以上のように、フェミニズムには生まれた順序と、その決定的な主義の違いが存在する。
これらの歴史あるフェミニズムは尊重されるべきであり、現状の女性の立場を作り上げた尊ばれるべき運動たちだ。
しかし私は、現状のフェミニズムに対して懐疑的な目を持っている。
歴史から見て分かる通りフェミニズムの主張は段階を重ねて、敵を身近な存在にしてきているからだ。

2.現状のフェミニズム

ここで1度、現状のフェミニズムを見てみよう。
Twitter(現 X)にて良く見られるフェミニズムがこの日本における最大派閥であるとし、今回の私の主張に置けるフェミニズムを指す。
ここでの目的は、Twitterの投稿だけでなく、フェミニズムを自称する者たちのインターネット投稿も元として現状のフェミニズムを分析していく事だ。

彼女らの近年の主張として、最も大きく声が上がっているのは「共同親権の可決に対する反対」だろう。
この点にピックアップをして、Twitterにおけるいいね数が1万を超えた主張を見ていこう。

緊急避妊薬や選択的夫婦別姓からは逃げ回っておいて、女性や子供たちに害をなす共同親権を無理やり成立させようとする自民党は、はっきりと「女性差別をしたい政党」であることは明らか。

Twitterより、@AtaruSasakiさんの投稿

以下の投稿は、離婚の原因であるのは男性であり、男性に問題があるという考えが前提にある事が伺える。
これらの投稿に共通して言えることだが、前提として、まず「女性は被害者である」というものが多い。

そもそも、共同親権の可決の速さに関してだが、私的に考察を立てるとすれば、日本人女性による子息の連れ去り事件が世界的に大きな問題になっているからだと私は考える。

https://president.jp/articles/-/38644
以上の記事を触りだけ読めばわかるとは思うが、日本人女性による子供の連れ去りは大きな国際的な問題になっており、ワシントンDCではデモが行われた程だ。
日本は国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約の加盟国であり、この条約に加盟していながら日本人女性の連れ去りを黙認していた現状が異常だといえる。
外交的側面ではこの事象は悪でしかなく、早急な解決策の第1歩として共同親権の導入をしたのだろうと私は考えた。

養育費一つとってもこの有様なのに共同親権など無理すぎる。そこまでゴリ押しして法案を通したいのであれば政府の立替や強制徴収も視野に入れてからの話だ。先立つ物も無くDVやモラから子供を連れて逃げている人がいる事を理解しろ。DV味の家父長制は要らない💢 #共同親権を廃案に
#離婚禁止制度

Twitterより、@nightfall_69さんの投稿

やはり確実に言えることは、根底にある主張として、加害者が男性であるという前提だ。
そもそも実子の連れ去り自体が法律違反だという考えが出てくるよりも先に、「相手は絶対的な加害者であり被害者の仕方の無い行動である」という偏った側面の捉え方がされている。
女性は絶対的な被害者であり、男性は絶対的な加害者であるという考え方。これは、現代で進化したラディカル・フェミニズムとも言える。
しかし事実として男性のDV被害者は存在しており、厄介な事に男性が被害者の場合、行政が動かないことがあるのだ
アメリカでもこのような事象はわかりやすく存在しており、女性がDVを受けた場合の避難先(シェルター)は2000件以上存在しているのに対して、男性の避難は拒否されており、男性専用の避難先は1箇所しか存在していない
このような現状は世界各国でも起こっており、逃げ場のない男性が潜在的にDVを受けている男性はまだいる可能性がかなり高い。

事実として、これは性差別であり「男性蔑視」でもある。
しかし、彼女らはそもそも「女性の権利拡大」の為に動いている為、この問題における彼女らの出番はほとんどない。
しかし「女性のDV加害者が出ている」という点から、女性の権利は既に男性と同等レベルになっていると推測される。
社会的立ち位置として、過去のように政治に関われないことや迫害されているというのは本当に事実なのだろうか?
現状のフェミニズムにおける、「女性蔑視」という言葉について私は疑問を抱かざるを得ない。

3.加虐性の増大と、認知の歪み

先も主張した通り、フェミニズムは歴史において、その敵の対象を身近な者へと置き換え続けてきた。
最初はただの主張だったフェミニズム。それが、政治を敵として拡大し、男性を敵として広まった。
これは、「主義の拡大によるデメリット」だと私は思っている。

説明しよう。そもそも、元を辿るとフェミニズムは「男性と同じような権利を欲する主張」であり、女性の政治的関与や女性の活躍の場を広げる為のものであった。
それが、政治を怨敵とすることで明確な目標が生まれたのだ。
その名も、打倒、資本主義である。資本主義の社会的こそが敵であり、賃金を稼ぐ方が偉いと言うのであれば、我々の仕事にも賃金をつけろ。それが出来ないのであれば…という主張だ。
明確な敵が産まれたことで、自身の虐げられている現状を誰かのせいにすることができる。これは主義主張において、絶大な効果をもつのだ。
かの有名なアドルフ・ヒトラーもこれを悪用し、「ユダヤ人と共産主義者」という仮想の敵をでっち上げて共通意識を持たせ、自身の表を集める事で国のトップへと成り上がった。
明確な敵は、主義主張に置いて必要である。しかし、マルクス主義フェミニズムは結果を残す事はできなかった。
極端な結論かもしれないが、社会という川に一石を投じる事が出来たとしても、それは小さな石で川の流れは変わらなかったのである。
結果、生まれたのがラディカル・フェミニズムだ。枠組みの中で自らの立ち位置を求めたのが従来のフェミニズムなら、枠組みを認めず、女性の立ち位置を認めなければ破壊すると言わんべきのその主張は、過激ではあったが社会に大きな波紋をつくった
すぐ隣にいる人物が敵であり、女性の虐げられた現状は男性の意識の低さに他ならない。
それは、プロパガンダとして絶大な効果を持つ
なぜなら、当時は女性といえば男性の下位互換のように思われていた風潮があったからだ。
事実とプロパガンダの合致は世界中の女性を立ち上がらせ、結果として女性の地位向上に大きく関与し、社会の川の流れを変えることに成功したのである
そして、現代日本でもその余波は教育現場に残っている。「女の子には優しくしないとね」と、男児や女児も関係なく、子供の頃なら幾度となく聞いた言葉だろう。

私は、これがフェミニズムの最終着地点だと思っていた。女性が尊重され、女性が社会的立ち位置を得たのだ。
教育現場や社会でも、「女性だから」という理由で虐げられるのは徐々に少なくなり始めている。
確かに下駄をはかせ、女性が虐げられる事もあるだろう。それに対するカウンターとして、我々が動かなければならない。

しかし、ラディカル・フェミニズムは現代において、その鳴りを潜めてなどいなかった
日本におけるフェミニズムはSNSを中心として広がり、その主張が歪んだのだ。
「私が不愉快に思ったから」というのが「女性蔑視である」という主張に置き換わり、それが彼女らの行動原理となっている。

敵をなさない主張は敵を作り、政治から男性へ。
歴史を経て、立場を経た彼女らの現状の敵は「自らの気分を害する存在」に変わったのだ。
いわゆる、インターネットで言われる「チーズ牛丼食ってそうな奴」。
つまるところ、チー牛である。
彼らが主に好むのは2次元や2.5次元に存在する女性であり、趣味嗜好としてのレベルから本物の恋愛へとなるまで遷移は様々だ。
アニメやゲームといった趣味は一般的となり、それまで彼らを指す言葉であった「オタク」という言葉は1つの褒め言葉へと昇華されてしまった。
故に、新たに生まれたネットミーム「チー牛」という存在が、彼女らにとっての明確な敵となったのだろう。

彼女らの明確な敵。それは、容姿が悪い癖に女性に興奮している気持ちの悪い奴だ。

インターネット上で定義されるチー牛

そもそもこの画像自体、描いた作者の自画像であるため余り悪い事は言えないが、彼女らの指すチー牛の根底にあるのはコレである。
酷い容姿の人間が女性に興奮している、と言うよりは「容姿が醜い男が何かに興奮しているのが気持ち悪い」という事なのだろう。
明らかにその主張はルッキズムに囚われた加虐的な主張であり、「女性の権利拡大」とはかけ離れている。

記憶に新しいのは、「ソフィーのアトリエフィギュア」論争だ。

性被害を涙目で嫌がっているような様子がこうやってエンタメあつかいされているのを見ると、本当にクソだなって思う さすが性犯罪が軽んじられる国日本 後ろの鏡もキモい

@potatolacertusさんの投稿

この投稿はソフィーのアトリエというゲーム作品のシーン再現フィギュアの告知に引用で付けられた投稿である。
一方の投稿を纏めれば、
・このような存在自体が性犯罪を肯定している
・性的加害をエンタメ化することはおかしい
ということになる。

しかし、このようなものを見ても人間は
「よし!ソフィーのアトリエでやってたし覗きにいこう!」
とは思わないのである。
普通の人間であれば、これを見たところで性犯罪がという発想にすら至らないが、先の主張通り彼女らはそれに対してそのようなコメントをつけている。
しかし、このフィギュアに対して「キモイ」という発想はおかしいだろう。
このフィギュアは美少女として作られており、世間一般では可愛いの部類に属するのだ。
では、何に「キモイ」というのか。それは「このフィギュアを見て興奮している容姿の悪い人間」である。
つまり
容姿の悪い人間の趣味を片っ端から潰せば容姿の悪い人間は居なくなる」=「性犯罪は成立しなくなる
という考え方なのでは無いだろうか。
しかし、「東京卍リベンジャーズ」という漫画が流行った際も暴力的事件の件数は上がらなかったように、2次元的作品に対して分別の着いた社会的において、世間を左右するような力などないというのが事実として上げられる。
このフェミニズムは明らかに加虐性があり、ルッキズムに囚われたこの主張は、ラディカル・フェミニズムには該当しない。
歴史的に見ても存在しなかった「特定人物に対する嫌悪感を行動理念とするフェミニズム」。これは加虐性を持った差別的主張であり、明らかな1部人間に対する迫害である。
私は、この加虐性のある彼女らの主張の総称を
サディスティック・フェミニズム
(加虐的なフェミニズム)
と呼称し、歴史的フェミニズムとは明らかに違うその主張を、フェミニズムよりもミサンドリーに近いものだと結論付けた。
(ミサンドリー:男性嫌悪)

4.サディスティック・フェミニズム

女性の地位向上や、女性の権利拡大とは一切関係のない1部趣味嗜好や、作品に対する犯罪への関連性示唆は決して許されるべき事ではなく、不当な主張である。
単純なクレームでは威力業務妨害等に該当する可能性もあり、リスクを負ってまで「キモイ男」にたいする攻撃はしたくない。

しかし、女性蔑視であるという主張を使えば話は変わってくる。それは瞬く間に政治的主張へと変わり、これを迫害するものは差別主義者になるのだ。
この、圧倒的正義の立ち位置に立つことが加虐性という側面を麻痺させ、自らの気に入らない物を排除する大義名分を無意識に乱用する。

もはや正義中毒というべき正義感による麻痺が、彼女らの加虐性を加速させている。
彼女らは自らが嫌悪感を示すものが悪で、それの排除に対して正義を執行していると考えている。それが、アニメや漫画やゲームに対する規制による性犯罪の撲滅なのだろう。
しかし、事実として過去より2次元作品の犯罪への関与性は9割以上が存在していない。
海外諸外国にくらべて変態的作品が圧倒的に多い日本だが、性犯罪は諸外国に比べて圧倒的に低い
これは2次元的作品が性犯罪の増大に一切関与していないということを示すデータであり、2次元的作品の規制をこれ以上加速させる理由がないという事を示すものだ。

しかし、彼女らにとっての論点は性犯罪の撲滅であり、「2次元の規制」ではない。
故に、このデータを示しても
論点ずらしであり、性犯罪を肯定している
という結論に至るのだ。
そもそも、彼女らの思想の根底から歪んでいることに我々は目を向けなくてはならない。
彼女らの弾き出した結論に対して私たちがどれだけ語りかけたとしても、彼女らの根底にあるのは常に
容姿の悪い男は性犯罪をする
容姿の悪い男が好むのは2次元だ
というものだ。故に、反論してくる者は悪であると断ずる為その思想が過激化していく

反論を「暴言」と捉え、提示された物を「喚き」と捉える。結果として、「弱者男性による嫉妬」という結論に至り、彼女らは主張を大きくする。
それこそが「弱者男性は加虐性がある」というものだ。
性犯罪を起こすのは、童貞を拗らせているから。
女性を差別するのは、年収が低い腹いせだ。
家庭内暴力をふるうのは、いつだって男だ。
何故なら「弱者男性は加虐性があるから」。
自らの攻撃的な主張に対する反論をそのエビデンスとして彼女らの主張は増大を続ける。
この主張に主婦層の賛同者が多いのも大きく頷ける。
同居というパーソナルスペース侵害によって発生するストレスの原因を完全に夫の性にした上で、それを「差別」という大義名分の元相手に攻撃をする事が出来るからだ。
つまるところ、自らの加虐性のある発言が攻撃的反論を呼んでいるにも関わらず、何故こんな言葉を使われているか分からないのだろう。
正義中毒で悪辣性が麻痺している故に、自らの加虐性に気づかないのかもしれない。

私は彼女達の主張全てが間違っているとは言わない。
事実としてトー横と呼ばれる場所に来てしまった世捨て人達を保護していたり、女性の被害者を救っていたりするからだ。

しかし、主義については疑問を抱かざるを得ない。攻撃性と加虐性。その2つを兼ね備えた今の主張は、フェミニズムとも言えない主張であるのでは無いか。
私は今のフェミニズムについて、今1度リベラル・フェミニズムのような過去の形に立返るべきであると主張する

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