ストッキング騒動にて。『Tabio靴下屋』
本投稿をご覧になった方はいらっしゃるだろうか。
この投稿は、「破れないストッキングを作れるなら作っている」という、広報のツイートから広まった1幕だ。
今回は、この件について流れを説明して私なりに語りたいと思う。
1.事の発端と、その流れ
そもそもの話である。この話は、とあるツイートによって始まった「ストッキング論争」についての話だ。
本投稿は、XユーザーBeBeBe氏によって投稿された発端の投稿である。
内容は単純
「ストッキングは、衣服業界が金を使わせるためにワザと破れやすくしている」
という物だった。
これに対し、あらゆる人が賛同を寄せて「防弾素材を使ったストッキングがあるからコレは事実だ!」という人が出てしまう。
注釈を入れると、実際にカナダのある企業によって制作されたそのストッキングだが普通に破れる。耐久性は確かに高くトップクラスではあるが、ストッキングとしては大差なく、使いまわせるという売り文句で35.00$と高価なのに3~4回履いたら破れたという報告まで出る始末。商品としてのレビューは低めである。
さて、今回の「Tabio靴下屋」の謝罪投稿はここから繋がる。
その投稿とは
『破れないストッキングは作れない。作れるものなら作っている』
という反論だった。
なぜ作れないのか…という点に着いて軽く説明すると、以下の通りとなる。
という、あまりにもエグすぎる欠点が故に「現代技術では『破れない』ストッキングは作製が不可能」という結論だった。
つまり、薄くて動きやすい→破れないけど肉体にダメージのギリギリの境界線で現在は技術進歩を行っており、コストの関係で安い奴は破けやすいという話なのだ。
その間には
これ以上頑丈にしたら破れにくくなる代わりに値段が跳ね上がるのライン
これ以上頑丈にしたら破れないけど肉体が裂けるのライン
の2つが存在している。
現に防弾チョッキと同一素材の破れにくいストッキングは、1つ5400円近い値段なのだ。富豪でもない限り、これを買う人間は少ないだろう。
技術進歩によって安く作成は可能になるだろうが、現時点では不可能。現時点での値段で強度も維持しろとは無茶苦茶なというものである。
『Tabio靴下屋』の投稿には、ストッキングではなくタイツを使う。もしくはつま先がないタイプを利用すれば裂けにくくなるという注釈まで添えられていた。
そして、この反論に対して批判が殺到することになる。
「私たちはそんな事言っていない!」
「破れにくいを求めているのに、言ってもない事で攻撃してきた!」
という反論だ。
この騒動は留まることを知らず、半永久的な広がりを続けて大炎上。
遂には、何故か男女対立に着火して現在Twitterにて大論争を呼んだのだ。
『Tabio 靴下屋』はこの件を受けて謝罪を投稿。ツイートを削除するに至った…というのが事の流れである。
2.意味がわからん
クレーマーの見本市かな?
もはやここまで美しいクレーマーとしての流れを見た事がない。
「👩ストッキングが破れるのは、破れないストッキングを作れるのに作らない服屋の金稼ぎ」
「🏢無理ですけど。陰謀論レベルの話ですね」
「👩破れにくいストッキングの話をしてるの!!!女性蔑視!!!!」
どういう事????という感想しか持てないのだが、コレは私の感性がおかしいのだろうか。
話の流れを理解していない阿呆が入ってきて事態をややこしくしているが、元はと言えば発端の話が無茶苦茶な理論から始まっているのである。
もし、上記の情報が事実として広まってしまえば、業界は大ダメージを受けることになる。
それは、味の素は身体に悪いという情報と同じ事だ。
確かに、味の素は身体に悪い。だが、用法用量を守らない馬鹿みたいな量を入れた場合に限りであり、それは塩でも同じことである。
それが曲解され、有名人が信じ込み、メディアという媒体を通じて「味の素は身体に悪い」という言葉だけが大きく広がってしまったのだ。
これによって味の素は大きな打撃を受け、企業は全力で払拭しようとしているにも関わらず、未だにそのイメージは拭えない。
少し大袈裟かもしれないが、コレが事実として起きた事なのだ。
それと同じで、こんな話が広まれば業界はタダでは済まない。
この話は少し前から小さな範囲で話題となっており、『Tabio靴屋』の問い合わせフォームや電話にも同じようなクレームが届いていたそうだ。
なぜ作れるのに作らないんだ!という内容に対し、何度も作れないと言っているのに信じて貰えない。
それに対する答えとして、ねとらぼに2023年に記事を掲載していた…というのが今回の『Tabio靴屋』の対応の真相となる。
そこに、流れを理解していない阿呆が参戦して余計に話をややこしく掻き回したのが地獄の始まりだった。
2.さては話を理解してないな?
今回の事件がこれ程大事になったのは、「話を理解してない阿呆が首を突っ込んできた」のが原因である。
発端のツイートが女性だったのが不味かった。
これに対し、「女さん、アホ過ぎる」という反応がくっ付いて炎上したのが宜しくない。
頭が余り宜しくない方が、無茶苦茶な理論で他人を攻撃して炎上するのは良くある事なのだ。
その中でも、女性は特に炎上しやすい。
女性にネットが向いていないとかの話ではなく、根拠もなく他人を攻撃する人間の中で、女性だと比較的炎上しやすいという話だ。
コレは、フェミニズム団体の過去の行動が全ての土壌を作ってしまったからである。
所謂お気持ち炎上。アニメ嫌いの集団が自身の気持ちを通す為に、「女性蔑視」という言葉をくっつけて初めてしまったが故に、Twitterの大多数を占めるアニメ好きの反感を買ったのが始まりだ。
それに対し、自分の話ですらないのに
女性が攻撃されている=自分への攻撃だ!
と勘違いして無差別に攻撃を仕掛ける層がいるのだからタチが悪い。
さて、話を戻そう。
大元を辿れば「破れないストッキングを作れるのに作らない」という異常性のある意見を語った女性に対する炎上の話だった。
しかし、そこに首を突っ込んで来たのが「自称フェミニズムを抱える阿呆」である。
「女さん」という言葉が自分に言われているように感じ、話の流れすら理解せずに攻撃を仕掛けてしまったのだ。
結果として、その阿呆が口走ったのが
「私は破れないストッキングの話なんかしていない。破けにくいストッキングの話だ」
である。
つまり、根本にある「破れないストッキングを作れるのに作らない企業」の話を理解していないので、反論した『Tabio靴屋』は彼女らにとって「いたいけな女性を虐めるミソジニー企業」なのだ。
とりあえず「女を攻撃している男を攻撃したい」という感情で突撃をかましてきているというのが実情だろう。
これで一企業が謝罪まで追い込まれるのだから恐ろしい物である。
「(大元)破れないストッキングを作らないのは、企業の金稼ぎだ!」
「(企業)違いますけど」
「(話を理解してない人)私は破れないストッキングの話はしていない!」
「(周囲)誰だお前。お前はしてないけど、大元がしてるじゃん」
「(話を理解しようとしない人)女性蔑視企業!ミソジニスト!」
「(周囲)何の話?」
この流れ、幾度となく見てきたが、相も変わらず第三者が調べもせずに特攻をかましてくるのが本当にタチが悪い。
挙句の果てに、「女性差別」という話題に話を繋げて自分を被害者に仕立てあげようとするのだから余計に面倒くさい。
モンスタークレーマーは自分が加害者の自覚がないのだろう。
3.どこに性差別があんだよ。
この話の流れの何処に性差別があるのか、という話がしたい。
この投稿に反論しているのは、女性全体ではなく、「BeBeBe氏」という一個人に対する反論を行っている。
それは、「業界に打撃を与えかねないデマを広げた」というインターネットでは極大の御法度を犯したからだ。
インターネットには様々な人間が介入しており、その中には業界人も当たり前だが存在している。
自分の飯の種に対して攻撃を仕掛けられ、それが大炎上に繋がれば大変なことになってしまう。
レッテルイメージとは、仕掛けられた時点で二度と拭えない最悪なものなのだ。
それに対する反論を
「私は女なのに、自称女よりも女に詳しい男が説教してくる」
と、性別の話に繋げて被害者面をする。
誰も女性に詳しいなどとは言ってない。彼はストッキングに詳しいと言ったのだ。
文章が読めていないのだろうか。もはやコレ自体が1種の差別だ。
事実、彼女らの無茶苦茶な行動は女性達の社会的品位を下げることに繋がっている。
それはインターネットの女性に対する評価が物語っているだろう。
あらゆる事件の際、女性が犯人でも男性が犯人でも、等しく無視をされるのが10年前では当たり前のようにあった。
1部人間だけが、「男はこれだから」「女はこれだから」と論争を繰り返していたが、それが1万RTなど行くことなんかはなかったのだ。
しかし今ではどうだろうか?
インターネットで男女論争は留まることを知らず、「フェミサイド」と呼ばれる事件が多発する韓国と全く同じ末路を辿ろうとしている。
「フェミサイド」を肯定するつもりは無い。しかし、男女対立が凄まじい事になり、立場の弱い男性を誰も助けなくなった結果として起きている悲劇だと知っている身からすれば、なぜ被害者面をして攻撃してくるのかという感想を抱いてしまう。
4.最後に
日本国内で男女差別など存在しない…と言えば言い過ぎである。
しかし、正確に言えば微細なものは存在しているが現時点では問題にすらならないというのが正解だ。
女性の雇用確保などによる優遇や、男性トイレと女性トイレの優遇加減の違いなども考慮すれば、近年は優遇され過ぎている節もある。
だか、それでいいのだ。
しかしそれ以上を求めてはならない。
これ以上我々が口出しをすればバランスが崩れてしまう。
10年の間にジェンガの如く、手を加えるほどアンバランスになる社会になってしまったのだ。
我々が理想とする社会は、みんな違ってどうでもいい、こそが正解なのかもしれない。