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三鷹跨線橋に捧ぐ

「わたし、何で冬子っていうか知ってる?」
「冬に生まれたから」
「あたり」

そう言うと冬子はつまらなそうな顔をした。
僕は気まずくなり、何か話すことを探した。

「ここ、太宰治がよく来たんだって」
「読んだことあるの?」
「ない」

「あずさ」が警笛を鳴らして通過し、子どもたちが歓声を上げた。

「もう塾来ないの?」

冬子がボソッと言った。
僕たちはいつのまにか跨線橋の端にいた。

「高校受かったから」
「わたしはまだ行かないと」
「またここ渡るの?」
「うん。遠回りだけどね」
「じゃ、また学校でね」

そして手を振り、右と左の階段をそれぞれ降りた。
だけど僕たちは学年も違うし、学校で喋ったことなんて一度もなかった。

跨線橋が無くなると知り、僕は車で1時間半かけて三鷹に来た。
別れを惜しむ人たちが橋に詰めかけていた。

人だかりのなかに冬子がいた。
旦那さんと二人の子どもが一緒だった。
僕は気づかないふりをしようとしたが、不意に彼女と目があった。

「あ…冬子…さん?」
「わ、懐かしい!」

僕たちがありがちな大人の挨拶を交わしていると、「あずさ」が警笛を鳴らして通過し、子どもたちが歓声を上げた。

「近所だし、また会えますね」
「そうですね」

僕たちは手を振ると、右と左、それぞれ階段を降りて行った。

なぜ僕は嘘をついたのだろう。
振り返ると、夕日に染まった跨線橋に街灯が灯り始めていた。

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