見出し画像

【先手の指導】


 高学年担任が多かったのだけれど、3年間続けて低学年を担任したことがあった。
続けて担任してみて、先手指導の大切さを改めて実感している。
「どうして○○するのですか!」
「○○したらだめでしょう!」という叱責は、後出しじゃんけんと似ている。

 活動前に何の指導もせず、教師にとって不適切と見て取れたことについて注意や叱責をする。
それは子どもからすれば、自分で考えたことをダメだしされたこととなり、「叱られるか否か」が判断基準になりかねない。

 例えば、生活科の水遊びの指導。
事前に何の指導もしなければ、他人に水をかける子、上から水や泥を落とす子、乱暴に水や泥をかき回す子、他人がつくっているものを壊す子……なんかが出る可能性がある。 
そんなことをしてはいけないし、普通しないでしょうというのは大人の常識。

 でも、低学年の中にはしてはいけないことが具体的にイメージできない子、わかっていてもそこに気が向かない子、できない子が必ずいる。
よって、楽しく遊んでいる最中に水をかけたり泥を投げちゃったりする。
そうなると、教師は
「人に水をかけたらだめ!」
「○○ちゃんに泥がかかって泣いているよ!謝りなさい」
と注意したり、それが原因で起きたけんかを指導したりしなくてはならなくなる。
そうすると、楽しいはずの活動も、何となく嫌な気持ちで終えることになってしまう。

 それを防ぐには先手の指導。
まずは趣意説明から。
「今日は楽しみにしていた水遊びです。みんな、どんなふうに遊びたい?」と訊き、「楽しく存分に遊びたい」という前提を確認する。
低学年の初期段階では、
「自分だけが楽しければいいかな?それともみんなで楽しむことが大事かな?」
という問いかけも必要。
その後、そのためにどんなことに気をつけたらいいか考えさせる。
教師がどれほど広い範囲で「トラブル」を予見できているかで、「しちゃダメなこと」「気をつけたいこと」の具体例が決まる。
これはかなり重要な視点だと思っている。

 さらに、細かな具合例を
「お友達が困ること、嫌なことをしないで遊べるようにしたら、きっと楽しく遊べるね」
と括る。
そうしておくと、子どもたちは教師にいちいち言われなくとも、心に留めながら活動することができる。
教師も活動の途中で余計な指導をしなくて済み、子どもたちは活動に没頭できる。

 また、「うっかり」そうしてしまった子にも
「今日はどんなことに気をつけて遊ぶんだったけ?」
と問いかけたり
「うっかりしちゃったのかな」
と受け止めたりしながら関わることができる。
なにより、活動の後に
「今日はみんなが気をつけて遊べたので、楽しかったね」
などと価値づけることもできる。
「自分たちでできた」ということへの承認と、「こうすれば楽しく活動できる」という活動モデルを強化することにもつながる。

 低学年のうちに丁寧に指導を重ねていけば、やがて、いちいち指導しなくともどのように振舞うべきか、何をするのはよくないのかということがわかってくる。
その積み重ねがあるかないかは、高学年での育ちの質に大きくかかわっているように感じている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?