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【生まれたときと、死んだときくらいなものだと思っている】


「ハロウィン楽しみ!!」
と子どもたちが言うから、
「先生は1ミリも楽しみじゃないけど」
と言うと、驚かれた。
どうやら今日はおうちで仮装したりおやつ交換をしたりするらしい。
ハロウィンは、もうすっかり日本の家庭行事になったのだなあとしみじみ思った。
昨日あるニュースで、ハロウィンは仮装して自分が主役になるイベント、それが既存の日本行事とは決定的な違いというようなことを言っていたのをきいた。
なるほどと思った。
「世界はあんた中心に回っていないよ」ということを散々言われ続けた世代から見ると、今の世の中は誰もが主役になれる時代に見える。
これは私なんかが発見したことではないけれど、かつて一家に一つだったテレビ、車、電話……が一人に一つと個別化が進んだことにより、「国民総主役化(これは私の造語)」が進んでいると思う。
でも、世の中はやっぱり自分中心には回っていないし、人生で主役になれることなんか、生まれたときと死ぬときくらい。
まあ、お誕生日とか結婚式とかのときにもなれるかもしれないけど、人生のほとんどは脇役だ。
成長とともに「自分は世の中の中心ではない」ことを知ることが、人と協同するとか多様性を理解するとかってことにつながるのではないかと私は考えている。
もちろんハロウィンを楽しむことや人を非難する気も批判する気も、もちろん軽蔑する気も1ミリもない。
ハロウィンに浸ることが自己中心的な人格をつくるとも、毛頭思っていない。
生活に楽しみがあることはいいことだし、楽しめるのであればそれは幸せなことだ。
ただ、より「私が主役」的欲求が、昔よりずっとずっと叶えられやすい世の中になったのだなあと実感しただけ。
そして叶えられた「主役」は、仮想現実の世界でのことなんだよなあと思っただけ。


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