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映画「ウエストサイドストーリー」2022年「多様性」の世界で。

三連休最後の日、ちょっとくらい外に出ないとしんどいなーと思って地元でささっと見てきました。


ウエストサイドストーリー、スピルバーグプロデュース。字幕版。

もともとはブロードウェイミュージカル。1957年初演。もう65年も前なんですね…もはや「古典」と言ってもいいでしょう。1961年にはすでに映画になっています。
作曲はレナード・バーンスタイン。劇作はアーサー・ローレンツ。
ジェローム・ロビンスの振付の強いインパクト。あの有名なプロローグ、ベルナルドの片足を高く上げたポーズ!

私(51歳)が記憶しているのは、劇団四季版と宝塚版、そしてそのために見た映画版です。20年くらい前に見てるからそれでもだいぶ前ですね。

本来はこれ、人種差別・貧困層差別・偏見・暴力など社会問題への強い提起のある作品ですが、いかんせんアメリカという国ならではの部分(特に人種差別)も多くて当時は本当にはピンとこなかった部分があるんですよね。特に舞台版だと時間的に背景の説明が割愛されているので。
同時代的に目の前で移民問題に向き合ってきたアメリカの人々とは全然その理解力が違うと思う(現代は日本人にも移民問題って次第に迫ってきてますが、まだまだリアルな感触にはなっていないように思います)。
宝塚版はそのへんすぱっと割り切っていて「ロミオとジュリエット」を下敷きにしたラブロマンスに徹していたのがよかった。むしろ目の前のスターへの強い親和性を通してそのスターが争い、死ぬことを悲しむ中から「差別」「争い」への抗議的な気持ちを掻き立てる構造だったと思います。

音楽と振付が偉大な力を持った作品です。
「マンボ」に湧き、「アメリカ」に血を巡らせ、「サムホエア」に聞き惚れ見とれ、「トゥナイト」に痺れる。名曲しかないものなあ。
ミュージカルの成り立ちと旧作の映画版についてはこちらの記事が参考になると思います。ベルナルドのジョージ・チャキリスが素敵なんですよ。

で、スピルバーグ版。この2022年(製作開始は2018年、アメリカでの公開は2021年)にどうリメイクしてくるのかしらん?と思いつつ、基本的にはミュージカルとして楽しむつもりで見てきましたが、思った以上に元のミュージカルでははっきりとは描かれてない社会的背景を脚本で肉付けしてありました。

時代がはっきり決められていて(リンカーンセンター建築のために周辺スラムが潰されている場面から始まる。1955–1969年の建築)、移民迫害だけではなく、弱者・貧困層全体への迫害、その歪みに生まれた子どもたちの悲劇となっていたと思います。
そうか、ジェッツも白人だからって優位なんじゃなくて同じくらい彼らは富裕層からは蔑まれてるんだって今回初めて気が付いた。最下層での足の引っ張り合いだったのか、って。
これまでの作品に比べると、シャークスもジェッツも青年よりも少年に近いイメージで描かれてました。特にリフ。白人の筋肉差別野郎(…な、こわもてのリフが多い)じゃなくてむしろ繊細な、不幸な少年の側面が強い役作りでした。憎めなかったなあ…。

社会をこんな風にした大人が、いい社会を作ってこられなかった国が誰より悪いよな、と言うのが見終わった一番の感想。

ミュージカルナンバーそのものはそのまんま使われてるので懐かしくありつつ、当時、舞台を見ていて思わなかったことを色々考えました。エンタメよりも、社会派の側面がぐっと強まったように思います。

女性への視点も強めてありました。
ひとつには、トニーを庇護するドラッグストアのオーナー・ドクがいなくて、代わりにドクの妻でプエルトリカンのヴァレンティナという女性が増えていた。「Somewhere」も彼女が歌う。おそらく彼女が生きてきてずっと願ってきたこと、そしてかなわなかったこと。なんとかつて舞台版の、そして旧作映画のアニタを演じたリタ・モレノです。素敵な老婦人でした。実際にプエルトリコ出身なんですね。
彼女が周囲の不良たちからも一目置かれている…実際、当時はドクが「男性」だからこその設定だったと思うんですが、今回、女性になってもそこは不自然さはありませんでした。みんなのグランドマザー的な。

さらに「アニタ」がぐんと存在感を増していた。
「アメリカ」はミュージカルよりも歌詞がかなりキツい内容になっていた(夢見るアメリカンドリームではなく夢見てもどうしようもない現実)けれど、それでもやっぱり「アメリカ!」と讃えていたアニタが、最後の最後にジェッツの面々に襲われたあと「私はアメリカ人なんかじゃない、プエルトリカンだ」と吐き捨てる(おそらく彼女はこのあとプエルトリコへ帰るだろうと感じさせる)のがとても哀しかった。
このドラッグストアの場面、ジェッツの女性達も最初追い出そうとしていたアニタを守ろうとし、ヴァレンティナがジェッツの面々に「子供の頃から知ってる子達がレイピストになるなんて」とはっきり非難する場面になっていたのが、2022年の今、リメイクされることへの意識を強く感じた場面でした。

ミュージカルナンバーの構成で変なとこに入ってるな、と思ったのは「クール」ですかね。舞台では前半、旧作の映画では決闘後に使われているんですが、今回、トニーが銃を手に入れたリフを止めるための決闘直前の場面に使われていてその使われ方が「んん??」って感じでした。
このときのトニーがめたくそ役に立たない。お前、何しに来た。

ここだけじゃなく、全体にトニーがぼーっとしてて(そもそも決闘を止めるために奔走して、せめて素手で戦わせることにする場面がカットされてた…)、なんでマリアは惚れるんだかわからん。
それが恋か。
まあ、どのバージョンでもたいてい、トニーのいいとこってよくわかんないんですけどね。
一方、どのバージョンでも魅力的なベルナルドとアニタ、この2022年版でもピカイチにかっこよかったです。マンボ、アメリカ、最高でした。

時代が移ろっても。
争いはなくなりはしないし、以前は当たり前とされてきた偏見や差別も今は「おかしなこと」として顕現して、より一層、様々な問題が「多様化」して存在している。人種によって迫害されたベルナルドの死も、孤児で貧困の中で戦ったリフの死も、犯罪歴を捨てて人種の壁を越えて生き直そうとしたトニーの死も、愛する人を喪ったマリアとアニタの嘆きも、暴走して人を殺してしまったチノの苦しみも。
すべて変わらずそこにある。
音楽やダンスの力が古びていない喜び以上に、そのことを以前よりも強く悲しく思う幕切れでした。

とまれ、名曲、名ダンス揃いです。かなりほろ苦いけど、オススメ!
吹替版のベルナルドが諏訪部順一さんと知ったので、吹替版でも見に行こうと思います。

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