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久慈、三鉄、小袖海岸。2013年秋、旅の思い出~東日本大震災から11年

忘れっこない日。


今年の3/11は、14:46に黙祷する余裕もないほど忙しい日でした。
でも、忘れてたわけじゃない。
忘れたことはないんだよな。常に心の底にある。東日本に住んでる人ってきっとみんなそうじゃないかな。意識はしていなくても、お腹のどこかにあの日のことは「ある」。
常に踏まえて、生きている。

2年前のnote.でも書いたとおり、かつて青森に暮らしたこともあり、東北に知人もいるし、東北が好きだ。

東北恋し


だから、朝目覚めたときにまず何より「ああ、3/11だ…」と思い、布団の中でいろいろ振り返っていたのだが、その中でふと2013年に行った久慈のことを思い出したので写真を引っ張り出してきた。昔の写真はなかなか取り出せないものが多いけれど、これは大事な思い出なので、早々にクラウドにアップしておいた。 

2013年秋、中村屋の平泉での公演に合わせて当時大好きだった「あまちゃん」の聖地・久慈を体験し、そして、津波で大きな被害を受けた三陸鉄道に乗りに行く、という旅をした。
今のようにスマホがまだ普及していない時期で、移動経路を調べるのも一苦労。充電が切れそうなガラケーを頼りにかなり行き当たりばったりな旅をした。当時、久慈ではコンビニはほぼなく、ATMも簡単にはなく、もちろん電源カフェなどなく、現金をしっかりおろして、単三電池を山ほど持って移動しなきゃいけなかった。
種市高校から種市駅への道のりが果てしなかったこと、迷いかけながら歩いていると前からやってくる自転車の中高生から軒並み挨拶されて感動したこと。三鉄ののどかさ。海の美しさ。と同時にまだ全線開通しておらず、無残に途切れた線路や青いビニールシートのや山、瓦礫の重々しさ。久慈で食べたまめぶ汁の甘さ。10年近く経つが思い出せる、特別な思い出。


震災から2年後に「あまちゃん」が放送されたことは、私の心の中で大きな楔になっている。

どこかまだ「東北」がセンシティブに扱われていたころだったけれど、あのドラマの中で生きていたアキやユイ達の活き活きした姿が描かれたことは大きかった。そう、私の知る東北の人たちは「かわいそう」なんかじゃないし、寡黙だけどいざ話せば面白い人が多かったし、何よりぶっきらぼうなのに優しかった。
辛い悲しい震災ばかりが東北なのではない。よいこと、楽しいこともたくさん与えてくれたあのドラマが、あの時期に作られた重要さが今になるとよくわかるのだ。

そして、実際に足を運ぶきっかけをくれた、勘九郎さん、七之助さん。
震災後、あれほど被災地を案じていた勘三郎さんが東北に行けなかったのが残念だったので(2012年3月11日の中村座では終演後に追悼式を行っている…このときのこともいつか書けるといいな)、勘九郎さんたちが行ってくれたのがとても嬉しかったのを覚えている。

春暁巡業はおふたりのCOVID19感染で延期されていたけれど、くしくも3/12、仙台から再開された。楽しい楽しい「高坏」に早変わりの見事な「隅田川千種濡事」。東北の皆様に一足早い春をきっと届けてくれたことだろうと思う。

私もまた必ず、仙台、岩手、秋田、青森、山形、福島…大好きな東北に行って、あのぶっきらぼうなやさしさに逢いに行くつもりでいる。

久慈旅①:種高祭

三陸鉄道 久慈駅

三陸鉄道 久慈駅。このころは北リアス線の途中まで再開していたものの、全線開通まではめどもまだ立たないような時期だった。

3日間の東北旅行、1日目は平泉で中村屋の舞踊公演。この日は盛岡に宿泊し、翌朝高速バスで久慈へ移動。。
アキや種市先輩が通っていた高校のモデル・種市高校の文化祭「種高祭」当日だったため、初日の目的地は種市に決定。「あまちゃん」でも登場した「南部ダイバー」の町である。ドラマの中で「種市先輩」と呼ばれていた彼の名前はこの町の名前でもあった。
種市には三陸鉄道ではなく、JRでの移動になる。途中、落石があって電車が止まるハプニングも。そう本数の多い路線ではないのでいきなり緊張感マシマシ(無事に行って、そして帰れるのか?!)。

種市海岸と海鳥

久慈からJR八戸線で1時間ほど北上。車窓から眺める太平洋は波が高く立っていた。まだあちこちに重機が目立っていた時期。

種市高校の最寄り駅、平内駅は無人駅で、野原にぽつーんと立っていた。幸い文化祭に向かうらしい親子連れがいたのでついていけたけれど、何もないときてひとりぼっちなら泣いてたかも。道らしい道がなかなか見当たらなかった。
到着すると、学内はさすがに出店もあるし教室展示もあるし、校舎も自由に見学できた。ふなっしーのイラストが飾られていて嬉しくて写真に撮って、しばらくGoogleアカウントのアイコンにしてたっけ。今ならもう少し入場に当たってはチェックが厳しいかもしれない。

潜水体験

一見、いたって普通の文化祭なんだが、種市高校ならではなのがこの「潜水体験」。記憶では当日申し込めばよく、無料で体験できた。「あまちゃん」ブームで例年より体験者は多かったそうだが、埼玉県から来た、と言ったらさすがに受付の男子部員に思い切りのけぞられた。
特に何も持っていく必要はなく、装備はすべて貸してくれる。

はっきり言って、ほんの水深3ⅿ弱でもものすごく、怖い。
プールサイドでどんどんつけられる装備は地上では死ぬほど重く、歩けないんじゃ!?と思うほどなのだが、どぶん、とプールに入ったとたん、その重みは消えてしまう。むしろ、浮いてしまう。えええ~。
入ると今度は呼吸が怖い。酸素を送るためのバルブはあって自分で弁を操作して内部の空気量を調整していくのだが、閉塞的なヘルメットの中でそれがうまく送れるか、何かで途絶えないかがずっと気になってしまう(実際はきちんと監視されているし、ヘルメット内のモニターから先生の指示があるので大丈夫)。生徒さんが一緒に潜って支えてくれてサインを送ってくれる(意外とわかるもんです)。それを頼りに一歩ずつ歩く。ふわふわと浮くような、しかし、足には重みのある感じもあって不思議で楽しくて、しかし、怖かった。水中歩行は5分ほど、着替えからおしまいまで20分ほど。でももっと長く感じた。
この怖さを忘れたらだめなんだろうな。

笑ってるけどめっちゃ怖かった

記念写真も無料でいただける(撮影してその場でプリントしてくれた)。ここではめっちゃ笑ってるけど、内心すごい怖くてどきどきしてた。でねえ、またこのプールから上がるときが!浮力を失って倍以上重く感じて全然上がれねえの。

これを実際に職業としてやってる人がいるんだよなあ、すごいよ、南部ダイバー。尊敬する。

海洋開発課の男子たちはとにかく礼儀正しい。紳士的。敬語もきちんと使えてた。先輩には逆らわず、先生の言うことには素直に従う、いまどきなかなかいないよこんな子達。
でもそれは潜水、特に海の底で息綱1つを頼りに作業する上で絶対に必要な信頼関係を築く上で必要なことだからなんだな。こいつに命を預けられるか、という。1つでも手順を間違えたら死んでしまうのだから。
私も、体験するにあたってすごく怖かったけれど、彼らが非常に気持ちよく接し説明してくれたので安心できた。特に先生たちの頼もしいこと。就職率100%は納得。だって一般企業でだってほしいと思う、こんなきちっとした部下。いい経験をした、ほんとに。

これ、今でもまだ体験できるらしい。人様の体験記を参考までに。

潜水体験後は中で生徒さんの作った焼きそばかなんかいただいたかな。日の高いうちに失礼して、ここからが結構な暴挙だったのだが、種市高校から種市駅まで歩いてみた。

遠かった…!!! 携帯の電池が今にも切れそうで不安だった中、向かいからやってくる学生(中学生らしかった)がみんな、挨拶してくるのでびっくりする。そういう土地なのだなあと感慨。

無事に種市駅に着き、電車を待つ間に南部ダイバー像を拝んだり、海岸を散歩したり(何しろ1時間に1本だ)して、久慈へ戻った。

種市駅前のダイバーくん

ホテルにチェックインし、喫茶モカさんへ。あの夏ばっばの「喫茶リアス」のモデルになった店(実際は駅併設ではない)。名物のたまごサンドを。今、東京でもこのタイプのたまごサンドが増えているけれど、当時は見かけなかった。あったかいのが不思議でおいしかった。

モカのたまごサンド。るまい。

久慈旅②:小袖海岸


翌朝は久慈市内を散歩し、かの「うに弁当」ゲットに敗北し(寝坊して始発よりちょっと遅れていったら目の前で完売した…)、しょぼんとなりつつ小袖海岸へ。
小袖海岸は「あまちゃん」のアキやばっばが海女として活躍していた「袖ヶ浜」のモデルでありロケ地。
直通バスにはせず、玉の脇漁港からこの月まで出ていた遊覧船を利用した。海から小袖海岸を見てみたかったのだ。

あの夫婦岩!
あの防波堤!
みんなが潜ってたとこー!!

ドラマそのまんまの風景に興奮しっぱなしで楽しかった。
今も変わらないんだろうか。

小袖集落は行ってみるとわかるが、小高い山になっていて、集落の中心は基本的に山の上にある。
過去の津波による先祖からの言い伝えが活きている。

昭和八年津波襲来の記念碑

昭和八年、昭和三陸地震記念碑。この記念碑の脇の道を上がったところに夏ばっばの家がある設定。

東日本大震災の津波到来の碑

港にあった東日本大震災の津波到来の碑。
久慈市内にはたくさんの津波記念碑があるそうだ。

山の上まで登ってみた。ヒロシの監視小屋の脇から。なるほど、アキが飛び込んだ防波堤がよく見える。

海から見たヒロシの監視小屋。あんなとこまで登ってたんだな…ヒロシえらいな…って思ったけど考えたら車道もあるので車だったのかな。
うん、ヒロシなら車かもな!

海から見たヒロシの監視小屋
まめぶ汁

海女センターのまめぶの家さんのまめぶ汁。黒糖多め=ごちそう。
この小袖海岸だけでもいろんな味のまめぶがあって、たぶん、家によって違う。まめぶも長いこと食べてない。食べたいなあ。最初はあの黒糖やクルミの味にびっくりしてしまうのだが、慣れたらむしろ恋しくなる味。

ドラマの中では観光協会が入っていた駅前デパート

久慈旅③:さんてつ!


バスで久慈に戻り、旅の終わりはいよいよ、三陸鉄道への乗車。
田野畑折り返しなので往復2時間弱の旅。

田野畑駅のモニュメント

田野畑駅の水門。周りの集落が津波に流される中、ここは踏ん張って残った(上にあるのは車両のように見えるが、水門の壁のペイント)。再開発のためなのか今はもうないそうだ。

田野畑駅のトンネル。

このときは田野畑駅折り返しになるため、ここでしばし停車、じっくり見学ができた。このトンネルの向こうはまだ通れない状態。「あまちゃん」の中で大吉とユイが見た無残な光景がこの向こうにあった。

今はもう通れるんだな。よかった、ほんとによかった。

久慈まで再び三鉄で戻り、そこからJRで八戸へ。東北新幹線で帰路に。
平泉も含め2泊3日、濃厚な岩手の旅だった。

当時、三連休パスという割引切符があって、この岩手旅では大活躍。
このパス、三鉄も乗り放題なのだがあえて記念に久慈ー堀内間の切符を買った。
堀内の駅で写真を撮るのに一度降りたほうがいいかとパスを出そうとしたらこの切符に運転士さんが気づいて不思議そうな顔をする。
「あっ、これは記念に買ったものなんですよ」というと、なんとも嬉しそうに「わざわざありがとうございます!」と笑った。

その大きな笑顔に痺れた。

東北に行くと印象的な笑顔や会話に出逢う。
どんな土地でももちろん土地の人とのやさしい触れ合いはあるのだけれど、特に東北では多いような気がする。贔屓目かな、そんなことないと思うんだな。いや、贔屓目でもいいや。

こうして思い出したらなお恋しくなった。
またきっと行くよ、東北!

小袖集落で見かけたイッヌ
同じく小袖のヌッコ
久慈に向かうバスで見た大きな虹

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