このごろ「人」について思うこと。
本記事のメインはブログの宣伝です。
宣伝…つか、なんだ、note.がおとなしいときはこっち書いてるよ宣言だな。
先日の小樽、北海道旅を時系列でさらりと振り返った日記、更新しました。写真メインで書こうと思うとやはりアメブロが楽ですな…。
北海道ツアー〜小樽・札幌冬の旅2020.2.7-8
https://ameblo.jp/uno0530/entry-12575345300.html
北海道日産presentsキャラクターステージ 200208 さっぽろ雪まつり
https://ameblo.jp/uno0530/entry-12574138875.html
石田洋介・高橋麻衣子withO 2マン 小樽A.LIVE 200207
https://ameblo.jp/uno0530/entry-12574138468.html
先週この北海道旅の疲れで結構だるーんとしてたんだけどやっと取り戻せてきた。あとは2/9の猫物語コンサートと、2/16の石田洋介ワンマンの記事で追いつきます。
春に入るとキャラクターイベントも増えてきて毎週なんかあるので、レポと思考のバランスがレポに寄りがちですが、最近静かやな、と思ったらちとアメブロも覗いたってください。
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そんなレポの合間に最近考えてるのは、人というのは透明な気持ちを保てなくなる生き物なのだな、ということです。
最近のTwitterでやけに、推しを愛するなら無償の気持ちでいろ的な美輪明宏みたいな標語が流れてくるんだけど、それって、結局言ってる人含め誰もできてないことの裏返しじゃない?と思ってしまう。
人は、嫉妬する。
人は、見返りを望む。
人は、気持ちを押し付ける。
人は、気持ちを推し測って噂する。
人は、わがままを言う。
人は、争う。
人は、嗜虐心を持っている。
人は、気持ちのコントロールなんてできない。
表に見えることがすべてではないし、今、君を好きだといった3秒後に嫌いな気持ちも生まれてしまうこともある。好きと嫌いのマトリクスが刻一刻と変わっていく、嫌いが振り切れたとき、争いになる。
この歪んだ気持ち、この暗い気持ちを自分自身で見つめることが多分、人間としては必要なのだ。ちゃんと自分の中にいる、「僕は嫌だ!」と叫ぶ平手友梨奈みたいな存在を自分で見つけること。
そういうものだからこそ人との間には距離が必要なのに、自分を守る殻が必要なのに、SNSが生まれてからみんな無闇にパーソナルスペースを冒して、勝手に傷ついて勝手に怒って勝手に徒党を組んでる気がするのだ。
人に怒るのではなく、自分を自分で鎮める。
みんながそうできるようになる、という成熟の道はないだろうか。
wacciの「別の人の彼女になったよ」という曲を最近、きちんと聴いた。
この歌詞がやけに胸に響く。
あ、恋はしてないし、誰かの彼女にもなってないぞ(笑)
これさ、前半は「別の人」の良さを並び立てることで別れた彼にあてつけてるし、後半は「自分の悪い変化」で自分を憐れんでるし、とにかく別れた彼への未練たらったらなメンヘラソングなんですよ。
それ聴いてると「素直にやっぱ好き、まだ好きでいて…って言えよ」って思う一方で、そうやって捻れちゃった人の気持ちというものについて考えるのだ。
捻れを直してももう真っすぐにはならない。
中尾彬のネジネジマフラーみたいに。
個人的にも、そうなる前になんとかしてほしかったなぁと思うことが続いている。
コントロール不能になる前に、なぜ。
場が潰れちゃう前に、なぜ。
哀しい結末になるかもしれないな、と今は思っている。
サヨウナラと告げる時が。
繰り返すけど、恋じゃねえからな。
いただいたサポートは私の血肉になっていずれ言葉になって還っていくと思います(いや特に「活動費」とかないから)。でも、そのサポート分をあなたの血肉にしてもらった方がきっといいと思うのでどうぞお気遣いなく。