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自他境界と融通無碍

南無阿弥陀佛。

こんばんは、安眠計画だ。
まだ8月にもなってないのに災害級の猛暑が続いているけど、みんな息災ないですか?
ニーマガ執筆メンバーや読者には散歩愛好家が多いので大いに心配しているところです。
安眠計画はといえば、太陽光線が降り注ぐ日中は、なんか会社?とかいう意味不明な箱に閉じ込められて、蛍光灯の病光(びょうこう、病気みたいな青白い光のこと)(そんな言葉はない)の下で元気に社畜やってます😉

さて病気といえば、安眠計画は大学で心理学を専攻しており、また高校のときからメンクリに通っている(ついさいきん寛解?してたまに貯薬してた頓服を飲む程度)。
そんな自分にとって、SNSは困っている人たちの偽らざるナラティブを収集できる良いフィールドワークの場なんだが、そこで目につくのが「自己肯定感」や「自他境界」という言葉。

アカウントのプロフィール欄にメンタル系の病名を羅列したり、ODやリスカ、過食嘔吐などを繰り返しているような困っている人たちのアカウントを見ていると、数ある困りごとの中でも特に「自己肯定感」が低く、「自他境界」が曖昧で困っているという。

前回の記事(https://note.com/unmi_n/n/ne2b1e97535a1)にも書いた通り、安眠計画は高校生のときから挙動がおかしく、家族からはほぼシカトされてた(当時親は「わが家は放任主義や笑」つってた)のだが、あんまり今現在困っている彼女ら・彼ら固有のその感覚がいまいち分からない。

というのも「肯定すべき“自己”などというのはそもそも無いから」みたいな仏教的な真理の話とかではなくて、世俗的なレベルの認識でも、そもそも「俺は自己肯定感が低い❗️」とシラフで宣言できてしまう人は、それなりに高い自己イメージを持っているのでは?と思ってしまう。

「本来であれば肯定されるべき素晴らしい自己が〈現実〉ではこんなにも軽んじられている」つまり〈現実の私〉の方が間違っているのだ❗️という駄々のように聞こえて仕方がない。
いやいやそんなことはない。
あなたの〈現実〉は、どうしようもない今のあなたに帰結するのに相応しい過去・原因があり、それらの因業が正しく結実している。

高い自己イメージと〈現実〉とのギャップで苦しんでいるなら ①自己イメージを正しく見積り直し ②〈現実のあなた〉を自己イメージに見合うよう引き上げれば良いだけだ。
この2つを同時にやっていくのが最も理想と〈現実〉のギャップを埋められるわけだけど、〈現実〉を頑張るなんてダルい。俺も書きながらダルすぎると思った。
だからこのマガジンの読者はおもに①に心的リソースを集中すれば良いと思う。リソースに限りある労働者階級にとって選択と集中は大切だ。

加えて、もし謙遜や気を遣っているだけなのだとしたら「自己肯定感」なんてムツカしい言葉をやめて、「自分に自信がない」「まだまだ精進が足りない」と実態に即した物言いに改めるべきである。

なぜ会ったこともない他人に対してこんなに説教臭い言い方をするかというと、あなたはオルタナティブな安眠計画だからである。

は????? と思っただろう。

もう一度言うが、あなたはあり得たかもしれない、もう一人の安眠計画なのである。

これだからスピってる薬中は……と思われたことだろう。確かに安眠計画は高校生のときに設定したケータイのアドレスが psychoactive@〜 みたいな感じのアイタタ系自称サイコノートだけど、こればっかりは本当のことなので何度でも言わせてほしい。

あなたと安眠計画を分けるものは環境的・遺伝的な諸要素だけで、あなたが犯した失敗は俺も同じ要素を持っていれば十中八九やらかしただろうし、俺と同じ要素を持っていればあなたのメールアドレスもきっとアイタタだったことだろう。そうなのだ。そういうことにしておいてください。

実はこれはゆるふわ無職くんもずっと考えていたことで、「あなたはあなただからあなたである」と以前記事に書いていた(https://yrfwmsk.com/127-2/)ことの裏返しだ。
安眠流に言うと、「あなたはあなただからあなたなだけで、俺があなたでもあなたが俺でもそうしていた(そうなっていた)」ということである。一つの真理に対していくつもの解釈や視座が生まれるのは大乗仏教って感じがして好きだ。
ゆるむしょくんは上で引用した記事にあるようにこれを「ダメ人間の個人主義」と題しているが、俺は真逆の立場で、「信仰者の全体主義」だと思っている。うーん、頭の中にはずっとあった考えだけど、文字にするとアブナすぎる字面だ。「信仰者」も「全体主義」もみんな大嫌いやもんね。

ここでようやく最初の方に挙げたSNSのメンタルヘルス界隈でよく見かける困りごとのふたつめ「自他境界」の話に繋がるのだが、自他のボーダーが曖昧な人のなかには「自己肯定感」なるものの低さに由来する弱い自他境界の曖昧さと、ダイヤモンドの如く砕けぬ強い真理と信念に基づく無分別智があると見ている。

弱い自他境界の曖昧さには、自分の中に宗(むね)とすべきもの、自分軸がないために人の言うことや考えていることに従うしかなく、そこにモヤモヤを抱えてしまう。あるいは他人に対して過度に期待(自分ルールの押し付け)して勝手に失望して苦しむ。
強い自他境界の曖昧さ、つまり仏教でいう無分別智には自⇆他をはじめとして、有⇄無や善⇄悪、理⇄非など対立概念で分析区別して判断することをやめているため、別に助けなくてもいい赤の他人にも慈悲を垂れる。融通無碍。如来の光にはさまたげが無い。
臨済禅師や一休さんのようにおもに禅宗に俗人から見るとメチャクチャな振る舞いをする聖者が多いのも、聖⇄俗のボーダーの破壊が完了しているからだろう。

なんだか長々と屁理屈を捏ねてしまったが、俺が言いたいのはただ愛してるってことだ。

俺は俺を愛するように顔も知らないお前を愛しているから、全然ニートのままで狂い散らかしていけ。資本主義とかいう意味不明な新興宗教が跋扈する環境下で役に立つか立たないかで自分を計ろうとするな。お前もなるべく他者を自分のように愛せ。しんどくなったら安眠計画(@unmi_n)に相談すればいい。365日無料で受け付ける。
一緒に人格を完成させていこうや。

以上。


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