小説「パラレルジョーカー」09
はじめに
本作「パラレルジョーカー」には、暴力、暴言、戦争や著しい差別などの描写を含みます。
それに伴い、グロテスクな描写、憂鬱な気分にさせる描写を含む為、苦手な方は本作を読む事をお控え下さい。
また、本作は創作物であり、実在するあらゆるものへの批判や、思想の拡散を目的とした物では無い事をご理解下さい。
01話はこちら。
目次について
本作では本編中の場面転換を軸にnoteの「目次機能」による見出しを付けております。
表記は「 ✕✕✕ 」が大きな場面転換。
その後に付く「 01の零 」など、末尾の漢数字を見出しの番号代わりとしております。
例外として、長い節にも小見出しによる区切りを付ける場合がございます。
しおり代わりにご活用ください。
09 火花、咲く
「アルグ、アルグ! しっかりしろバカ! 落ち零れで終わる気か!」
ツェルダが駆るエクゥルサの後ろにぴったりと着けて、自身とアルゲンテウスを乗せたエクゥルサを走らせつつ、クリスは叫んだ。
グリーセオがツェルダのエクゥルサから跳び下りた後、混乱を覚えつつもツェルダに追い付いたクリスは、彼の積荷から応急手当用の物資を受け取り、今出来る最低限の処置をアルゲンテウスに施していた。
しかし、当のアルゲンテウスの容態は芳しくなく、体温は急激に低下していて、呼吸は荒い。
クリスは無駄を承知で装備の上からアルゲンテウスの傷口を追加の包帯で縛り上げ、何度も頬を叩き、上体を抱えたままエクゥルサを駆っていた。
「クリス! そこまでにしろ! お前が死ぬぞ!」
前方からの声にクリスは一瞬、強烈に睨み付け、はたと我に返って後方を振り返る。
グリーセオの援護が無くなって数分、逃走に必死になる余り――いや、誰もそれ以外の体力を残していない為に、夕闇の中迫る赤黒い獣の集団と、黒衣の軍団の接近を許そうとしていた。
「おいクリス! 俺ぁもう進路を決めるので手一杯だ! やれねぇか!」
次いで叫ばれたツェルダの声に今度は正面へ振り返ったクリスは、不意に左肩を掴まれた。
「――!」
「クリス、俺が、やる」
「アルグ……」
アルゲンテウスは平生より白い顔を更に青白くさせ、薄く開いた瞳でクリスを見詰める。
彼はそのままクリスの肩を頼りに体を起こそうとして、叶わず、更に息を荒げた。
「む、無理言わないで」
「――クリス、俺の脚、鞍に掛けてくれ……頼む……!」
掠れた声で言うアルゲンテウスに、クリスは逡巡し、左手でアルゲンテウスの左脚を持ち上げてクリスと向き合う様に鞍に跨らせる。
「これでいいの……?」
「合ってる…………クリス、俺の剣は……」
「つ、積荷。ちょっと待って――」
「肩借りるぞ……」
「え、う、うん」
振り返ろうとしたクリスの肩を掴み、アルゲンテウスは身を乗り出してエクゥルサの腰周りに積まれた荷を漁り、矢筒と矢束、そしてアルゲンテウスの剣〈ステッラ〉を取り出して噛み合わせ、弓の形を取らせた。
「アルグ、出来んの……?」
「やらなきゃ、死ぬ……。お前だけでも……」
「……馬鹿言わないで、残った四騎、アンタ含めて全部守れ」
「はは……いっつ……」
クリスの叱責に笑った事が傷に響いたか、アルゲンテウスはクリスに体重を預けて震える。
「…………死んだらお前、泣くもんなぁ」
耳許で呟かれた言葉を聞かなかった事にして、クリスは両肩に力を込めた。
「ほら、私の肩使って。――頼んだよ、弓の名手」
「了解……!」
絞り出された返答に、クリスは人知れず微笑む。
目に溜まった涙は、ゆっくりと引いていった。
✕✕✕ 09の二
上体を起こしたグリーセオの眼前で、白銀の女騎士が鋭い吐息を吐き出す。
荒い呼吸音の一つとも取れる刹那に響いた音は、音だけに留まらず、今正にライガの右手で握り込まれようとしていた白銀の細剣、その剣身が瞬時に伸びた。
白銀の光と成って閃いた鋒は、届かぬ筈のライガの喉元へ突き立ち、女騎士が手首を振るうと共に外骨格状組織の隙間を大きく斬り裂く。
短く獣の悲鳴を上げたライガは仰け反り、凶暴な外骨格を纏う左手で喉元を押さえて蹈鞴を踏んだ。
「グリーセオ! エクゥルサに乗れ!」
兜の奥から鋭い眼光がグリーセオを見下ろし、瞬間的な手振りで彼女が乗って来たエクゥルサを示して、女騎士はライガへ踏み込みつつ回転し、踊る様に追撃を叩き込んでいく。
グリーセオはそれを見てからエクゥルサ迄の距離を確認して、指笛を短く二度吹いた。
エクゥルサはただ移動する為に用いる動物兵器では無い、それであれば、態々『熊』に近い種を選ぶ必要など無いからだ。
指令を聞き取ったエクゥルサが素早く駆け出して、深紅の標的――ライガへと一直線に向かう。
「しゃがめ!」
グリーセオの声に僅かの驚きも見せず、女騎士は追撃の最中に腰を落として砂地に左拳を突き、頭を下げた。
それと殆ど同時に、エクゥルサが彼女の頭上を跳び越え、三百キログラム近い巨体の全体重を掛けてライガに右前肢を突き出す。
ライガはそれを咄嗟に両腕で受けてそのまま砂原へと押し倒され、ばきばきと何かの折れる音を響かせた。
「ぐあっ、アアア!」
着地と共にライガを踏み潰したエクゥルサは勢いのまま数歩駆け、素早く転身して白銀の女騎士へと向かう。
グリーセオはそれを見て駆け出した。
「今だ、エクゥルサに乗れ!」
女騎士はそれを予期していたのか既に駆け出しており、グリーセオもその後に続いて、何度目かに蹴り出した右脚が上がらなかった。
遅れて、脹脛から痛みが駆け上がる。
グリーセオの右脚を引き止めたのは、顔を人とも獣ともつかない、最早『深紅の悪鬼』とでも形容すべき何かに変貌させた、ライガだ。
ライガは顔中から伸びる鋭い牙でグリーセオの右脚に噛み付き、折れ曲がった両腕は垂れたまま両足で砂地を掴んで踏ん張っている。
「――ッ! ライガ! もうやめろ!」
叫び、グリーセオは両手の剣を篭手に変え、ライガの口中に両手を突っ込んで開かせようとした。
「何をしてるグリーセオ!」
次いで叫んだのは女騎士だ。エクゥルサに掛けようとしていた足を離して振り返り、駆け出して来ている。
(急げ急げ急げ!)
胸中で叫び、グリーセオは全力でライガの顎を引き剥がした。
そこに、白銀の閃光が駆け抜けて、女騎士がライガの項――頚椎に細剣を突き立てる。
ぼさり、とライガは糸が切れた様に砂地に伏せて、真っ赤な目を見開いたまま動かなくなった。
「……な」
「グリーセオ、急ぐぞ、まだ残りは居るんだろう!?」
女騎士に呼び掛けられても、グリーセオの目は砂原に倒れ伏したライガから離せない。
「おい、グリーセオ! グリーセオ・カニス・ルプス!」
肩を掴んで揺らされ、グリーセオは呆然としたまま駆け出し、女騎士に引き上げられる様にしてエクゥルサの鞍、その後部へ跨る。
動き出したエクゥルサから落ちないように気を付けつつも、グリーセオは振り返り、遠い大火の光に浮かび上がる、深紅の影を見詰めた。
それが遠く離れて、揺らぐ炎の光と区別が付かなくなった頃、不意に右膝を小突かれる。
「おいお前、グリーセオで合ってるんだな?」
此方を振り向かずに言う女騎士に曖昧に頷いて、それでは伝わらない事にやや遅れてから気が付き、グリーセオは震える唇で息を吸った。
「あ――ああ。俺だ、グリーセオは……」
「ああそうか、じゃあグリーセオ、アレは何だ。お前の知り合いだよな?」
「……いや、アイツと会ったのは、今日が初めてだ」
「…………今はその言葉を鵜呑みにしてやる。次だ、もう一度訊くぞ、アレは……あの生体兵器は如何して此処に居る」
「……アレ…………彼は、〈フェリダーの英雄〉……フェリダー共和国の、生体兵器だ…………」
「――っああ、クソッ。道理で」
「何があったんだ」
「私が聞きたいさ。我が国の禁忌が、何故この国に……!」
「待て、我が国?」
「ああ……紹介が遅れたな――」
女騎士はそこで区切り、肩越しにグリーセオへ振り向いて兜の面を押し上げた。
「私は、フランゲーテ魔法王国からの増援部隊が一つ〈コーア〉を率いる、ハンソーネ・トロンバ伯爵だ。
〈第三ナスス駐屯基地〉の状況を聞き、一足飛びに馳せ参じた。
……少々遅かった様だがな」
苦々しく呟いて面を戻し、正面に向き直った女騎士――ハンソーネは、暫しの沈黙を置いて深呼吸をする。
「グリーセオ、現状を聞かせて欲しい」
稍あって発せられた言葉に、グリーセオはぴくりと眉間に皺を寄せて息を吸う。
「俺が……グリーセオ・カニス・ルプス率いる第一次奇襲小隊は、午後に入って〈スナド戦線基地〉周辺集落へ攻撃を開始した。
……然し、敵は奇襲に備えて伏兵を配置、一度目は部隊への損害を――抑え、挟撃を危惧した俺は、そのまま前進して〈スナド戦線基地〉を迂回する経路での進軍を決定……。
だが、〈スナド戦線基地〉側はこれに、ライガ――さっきのアイツの、何と言うか……劣化版の様な生体兵器を大量投入。これと後を追って来た伏兵により、我が隊は全滅……俺が知る限り、残り四騎まで落とされた…………以上だ……」
グリーセオの報告を無言で聞いていたハンソーネは、白銀の兜を僅かに振り向かせようとして止め、左手を前へと突き出した。
夜闇の中でも煌めく白銀の鎧が、彼女の左手が指差している事を教えてくれる。
「彼処の爆炎、お前の隊だと思うか?」
ハンソーネが指差す先、夜闇で不可視化した砂塵に紛れて瞬く炎の光を見詰めて、グリーセオはその発生の仕方に眼が溢れんばかりに見開いた。
「ア……アルグ、なのか……」
「仲間なんだな?」
「あ、ああ、おそらく、いや、だが」
「仲間なんだな!?」
「――っ、ああ。きっと、アルゲンテウスだ。まだ生きてた……あの爆発、二方向に交互、生体兵器と伏兵を順に散らしてる……!」
「……急ぐぞ! 傷を塞いでおけ!」
「了解――」
返答を待たずに加速したエクゥルサに揺られて声も無く呻き、グリーセオは背後の積荷を漁って布を探し出し、応急手当を始めた。
砂原に息絶えたライガを忘れた訳では無いが、アルゲンテウスが生きているという予感は、グリーセオに希望を抱かせるに充分なものだった。
✕✕✕ 09の三
集落から離れ、遠方で閃く爆炎だけを頼りに進むこと十五分。
フランゲーテ魔法王国からカーニダエ帝国への第一次増援部隊、その隊長補佐として作戦に参加し、〈第三ナスス駐屯基地〉から青碧色の熊――エクゥルサを借り受けた青年、タロウ・サンノゼは、赤黒い獣の集団、その最後尾に食らい付こうとしていた。
しかし、夜闇の為に正確な距離を測れない事に焦れて、並走する男性騎士に顔を向ける。
「ジェンナロさん! 俺、突っ込んでも良いんスかね、今!」
タロウに問われた騎士――ジェンナロは、タロウの発言に面甲の無い兜の下で目を丸くして、蓄えた顎髭を撫ぜた。
「この距離ならばタロウ殿は確かに……いやしかし、貴方は今、指揮権を預かっている身、トロンバ伯爵はお許しになるのか…………いやいや、吾輩は副隊長、吾輩が預かれば……いやそれは流石に、うーむ……あぁ……うぅむぅ……」
「ジェンナロさん!」
「はっ! はいっ、いや、しかしですなタロウ殿、貴方は指揮権を持っておりまして――」
「指揮権使ってアンタに譲渡するよ! だから、討ち漏らしを全隊でやるんだ!」
「そっそ、そんな!」
「これは作戦だ! 良いっスね!?」
「えぇぇ!?」
「すぅ――全隊! 二列横隊! 俺が先陣を切る! 残った獣共を討て!!」
「タロウ殿ぉ!」
「俺が跳んでからはジェンナロに指揮権を移す! 聞き漏らすなよ!」
「タロウ殿ぉぉ!」
ジェンナロの制止も虚しく、タロウは続く四十騎の騎兵隊へ告げるや否や、両腰の短刀を抜き放ち、軽やかに鞍の上にしゃがむ。
それから最も近い獣に狙いを澄まし、両手に握った二刀の柄にそれぞれある引き金を引いた。
瞬間、タロウがしゃがんでいた場所――エクゥルサの真上で爆光が瞬き、青い鉢巻をはためかせていたタロウの姿は隊列から消える。
タロウが手にする二刀〈烈火〉と〈唐戸〉が吹いた爆炎により、タロウは騎兵隊の列から遥か先、赤黒い獣の集団の最後尾にまで飛翔させたのだ。
空中で減速する中、タロウは眼前に一頭の獣を捉え、両腕を大きく開いて再び引き金を引く。
鋼の翼を持つ鳥が獣の集団を掠める様に翔んで、タロウの攻撃に反応出来なかった五頭が頽れ、残った獣達が苛立ちの唸り声を連鎖させる。
だが、タロウはそれに構わず縦横無尽に飛翔し乍ら、擦れ違い様に二刀で斬り伏せていき、痺れを切らした獣共は遂に足を止めた。
「そうだ、俺を見ろバケモン……!」
呟きは二刀から轟く爆音に掻き消され、三頭を斬り伏せたタロウは滑る様に砂原へ着地し、そこを狙って跳び掛かって来た獣の右頬を殴ると同時に、獣に押し付けた左拳で引き金を押し込む。
爆発の勢いで砂地に叩き付けられた獣は声ではなく骨の砕ける音を響かせて、タロウは拳を突き出した逆立ちの体勢のまま、右手の短刀の引き金を引いた。
一瞬の隙を狙った獣達がタロウの残像に襲い掛かり、更に一瞬の後にタロウに狩られる。
砂煙を巻き上げ低空を飛翔するタロウは、尚も止まらずに獣の集団を襲い続けた。
獣達が跳び掛かってはそれと擦れ違い様に左右の短刀で斬り捨て、峰から迸る爆炎で散らし、途方も無い数の獣を一人で減らしていく。
二分ぶりに地に足を着け、青い鉢巻を揺らめかせる戦士が、眼光だけで獣達を怯ませた。
✕✕✕ 09の三
(残り、四十二……)
ちらと見下ろした矢の数を脳内で復唱して、アルゲンテウスは夜闇に紛れる黒衣の集団――駱駝の騎兵を狙って感覚の無い手で矢を引き絞り、荒い呼吸の狭間、両腕の振れが最小限になった瞬間に炸裂矢を射ち放つ。
風を切って迫る歪な矢を見て回避行動を見せた駱駝の騎兵らへ、アルゲンテウスは次の矢を射って更なる転身を促し、三本目の矢を今正に回頭している集団の中心へ。
夜闇の中舞い散る黒衣や黄土色と共に、赤い物が炎に照らし出され、アルゲンテウスは傷の痛みとは別種の疼きを覚えた。
(……やれ、やれ、やれ…………やるんだよ……アルゲンテウス・ヴルペス……!)
汗ばんだ全身に灰が纏わり付く様な不快感を霞む意思で追いやり、震える指先で次の矢を取り出して、赤黒い獣の集団へと狙いを移す。
(もう、見えない……いや、違う、夜だからだ、落ち着け、諦めるな、生きて返す、クリスだけでも、一人だけだとしても!)
霞む目を瞬いてから見開き、夜闇の中に蠢く赤を探して矢を引き絞り――アルゲンテウスは大輪の華を見た。
いや違う、正確には小さな爆炎だ。
それが獣の集団、その後方で不規則に何度も閃き、それを目で追う内に、アルゲンテウスは爆光の最中に揺らめく二筋の『青』を見付ける。
青は、カーニダエ帝国の色。
帝国人ならば誰しも、領地の澱む事の無い豊かな水を、そして数百年を賭した密林の樹木さえ、それをも凌ぐ高みを征く雲でさえも届き得ない気高き空を愛して、その色を纏う事を夢に見る。
赤黒い獣の集団を止めた人物は、あの夜闇に華を咲かせた戦士は、カーニダエ帝国の者だ。
「……よかっ、た」
意図せず口から零れ落ちた言葉は、アルゲンテウスの緊張をふつりと切った。
✕✕✕ 09の四
突然凭れ掛かってきたアルゲンテウスに、クリスは脳裏で警笛が鳴ったかの様な衝撃に見舞われた。
「っア、アルグ!?」
声を掛けども反応が無い。慌ててアルゲンテウスの胸元に手の平を当てるも、服と手袋越しでは何も分からず、クリスは手袋を噛んで脱ぎ去る。
「文句言うなよ……」
手袋を咥えたままそう呟いてから、クリスはアルゲンテウスの襟元から手を突っ込み、手の平で心拍を確かめようとした。
駈歩で走り続けるエクゥルサの上では、拍動と振動の違いを捉えるのに手間取り、稍あってからクリスの手の平に微かな鼓動が届く。
アルゲンテウスはまだ生きている、が、しかし、その拍動は余りにも弱い。
この状況で施せる処置は全て終えた、既に手を尽くしている。
数秒、呆然としている間にもアルゲンテウスの心拍はクリスの手の平から滑り落ち、再び見付けるのは困難だった。
更に三秒、迷い乍らもクリスはアルゲンテウスから手を離し、咥えていた手袋を着け直して手綱を握る。
ぎしぎしと握り込む手袋と手綱が小さな音を立てて、クリスは背後を振り返った。
記憶した地図と今迄の進路を加味しつつ、追手の状況を確かめる。
それと同時に、クリスの右肩から滑り落ちるアルゲンテウスの左腕にはっとして、クリスは慌ててアルゲンテウスの剣、ではなく、弓を掴んだ。
エクゥルサの積荷に手早く括り付け、力無く揺らされていたアルゲンテウスの腕を腰の前で交差させて抱え直し、改めて振り返る。
星と月が照らし出す砂漠の青い夜、その中を駆けて迫り来るのは駱駝に跨る黒衣の騎兵、のみ。それも、彼我の距離はまだ二百メートル近く開いていた。
次いで、クリスはちかちかと低空に瞬く小さな爆発に目を向ける。
ほんの一瞬毎に照らし出されるのは、遠い砂原に居る赤黒い影。
〈第三ナスス駐屯基地〉から支給された炸裂矢に拠るものでは無い、それにしては小さく、しかしそう見える程に距離が離れている訳でも無い。
「あれは……」
観察しようとする目を正面に向け直して、クリスはずれていたアルゲンテウスの体を抱え直し、エクゥルサにほんの少しだけ速度を上げさせた。
「ツェルダさん! 後方、南西にて何者かが獣と交戦しています!」
ツェルダとの距離が詰まるのを待たずに叫んだクリスに、青い布を巻いた頭が振り返る。
ツェルダはそれからクリスの後方で瞬く光に気が付いてか、背筋を伸ばして、高らかに指笛を鳴らした。
「総員! 回頭! 増援部隊と合流する!」
ツェルダの声に後方から二人分の戸惑う声が上がるも、ツェルダは速度を落とさない様に大きく弧を描いて旋回を始める。
「着いて来い! これしかねぇ!」
クリスもツェルダに合わせて進路を大きく曲げて来た道を引き返すも、あっという間に距離を詰める黒衣の騎兵らに不安を覚えずにはいられなかった。
「迎撃用意! 南に抜けるぞ!」
枯れた声で指示を飛ばして弓を構えるツェルダを追い、クリスは自身に支給された弓を取り出そうとして伸ばした手をアルゲンテウスの弓へと向け直す。
意識してそうした訳では無く、ただ、不安な状況で少しでも縋れる物を求めての行動だった。
黒衣の騎兵らは、反転した四騎の残党を襲う可く真正面から駆けて来る。
言葉にならない不安と焦燥感だけが、クリスに矢を番えさせていた。
✕✕✕ 09の五
夜闇に沈む石造りの外壁上、望遠鏡を覗き込んでいたスナドは部下の足音を聞いて接眼部から目を離し、額に押し上げていた仮面を下ろす。
「首領! 次の〈獣兵隊〉の準備は整っております! 如何致しますか!」
駆け付け膝を着くが早いかそう述べる黒衣の騎士を見下ろし、スナドは先程まで望遠鏡で見詰めていた方角へと目を向け直す。
「……いや、まだ動かすな。偵察部隊を先に行かせろ、カーニダエの増援……馬が混じっている。隣接する敵領地には無い筈の動物兵器だ、詳細な情報を最優先で持ち帰らせろ。それから、あの空を飛ぶ兵士、彼奴の魔法の特定もな」
「直ちに!」
素早く応じて走り去って行く鉄靴の音を聞き、スナドは目許を隠す仮面を掻き毟った。
「何者だ……光の頻度から、四つ、いや、二つか……? 邪魔をしおって……」
ぶつぶつと恨み言を零して、スナドは堪え切れない苛立ちを眼前の塀を蹴り飛ばす事でぶつける。
それでも治まらない古傷の疼きはスナドを更に苛立たせ、仮面を押し上げて望遠鏡に目を着けた。
暗い瞳が見詰めるのは未だ燃え盛る南の集落、その手前――〈スナド戦線基地〉側に倒れ伏して、今正にトラゲ率いる黒衣の騎士らに回収されようとしているライガだ。
「グリーセオを取り逃し、獣兵隊も減らした……くっひひひ、あぁぁぁ…………ライガぁ……お前との口約束はやはり無しだ……」
爛々と凶悪な光を湛えるスナドの瞳が、三日月形に歪められた。
✕✕✕ 09の六
太鼓の音が響いている。
大地を揺るがそうとする様な、素早く規則的な音色。
自身の心音に故郷を思い出して、砂原に膝を着くタロウは両手の短刀を強く握り込んだ。
「……あと、八」
正面から迫り来る赤黒い獣共を睨み、自身への激励を込めて呟いたタロウが、引き金を引くと同時に砂を巻き上げて飛翔する。
舞い上がった砂を振り払う様に回転をかけた飛翔は、跳び掛かる二頭の獣の接近を許さずに斬り刻み、その後の回転の最中に両腕を揃えて再度引き金を引いたタロウは、遠巻きに様子を窺っていた獣に襲い掛かった。
不意を突かれた獣は次の瞬間には砂地に首を落とし、残る五頭が牙を剥く間にもタロウはそれらの頭上を通り過ぎて群れの背後を取り、二頭の後ろ肢を両方とも斬り払う。
獣共の反応を許さないタロウの攻撃は瞬く間に生き残りを斬り尽くし、砂原に降り立ってふらふらとし乍らも、懐から硝子玉を取り出した。
滝の様に止め処無い汗を流し、震える手から硝子玉を取り零しそうになり乍らも、タロウは何とかそれを握り潰して、手の平に広がった粉を振り撒く。
そこで緊張の糸が途切れ、タロウは暗闇の砂原に倒れた。
タロウによって撒かれた粉は、空中を漂って数秒後に、眩い青の光を発する。
光は風に乗って薄れていきつつも、砂原に倒れて必死に呼吸を繰り返すタロウの居場所を仲間に知らせてくれた。
暫くして砂を蹴る重たい足音が響き、左手に握っていた短刀を納めたタロウは、重たい左腕を上げて相手に掴ませる。
それと同時に右手に握る短刀の引き金をほんの少しだけ引いて、タロウは迎えに来た騎士が駆るエクゥルサの後部に跨った。
「化け物共は?」
まだ息が上がったままのタロウに問われ、騎士はやや離れた場所に漂う砂煙の辺りを指差す。
「終わりましたよ、すぐに部隊と合流出来ます。
――サンノゼさん、貴方無茶しすぎですよ」
「へへ、でもまだ、もうひと頑張りだな。部隊を待たずに急ごう、帝国兵がやばい」
「……了解、飛ぶ機会はお任せします」
「分かった」
騎士とやり取りをしつつも、騎士はタロウの考えを予想してか、爆発の光が点々と瞬く方向へとエクゥルサを走らせていた。
「ハンソーネ隊長は、まだ?」
「ええ、私は確認出来ていません」
「じゃ、引き続きジェンナロ男爵の指揮が優先かな…………おい待て、あの爆発、多くないか? それに、不規則すぎる」
騎士と話す傍ら、前方を見据えていたタロウは騎士の肩を叩いて声を上げる。
「まさか――」
「すんませんもう行きます。部隊に通達、全速力で合流せよ、で」
「ちょっ、ちょ、サンノゼさ」
騎士の反応を待たずに深呼吸を一つして鞍に立ち、一度右に飛翔してから空中で再度爆炎を上げて直角に曲がり、夜闇に瞬く爆発目掛けて翔んで行く。
冷え切った夜気が汗を冷やしたか、不安から来る冷や汗か、タロウはそれに寒気を覚え乍ら、規則的に引き金を引き続けた。
つづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?