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小説「パラレルジョーカー」01前編

  はじめに

 本作「パラレルジョーカー」には、暴力、暴言、戦争や著しい差別などの描写を含みます。
 それに伴い、グロテスクな描写、憂鬱な気分にさせる描写を含む為、苦手な方は本作を読む事をお控え下さい。
 また、本作は創作物であり、実在するあらゆるものへの批判や、思想の拡散を目的とした物では無い事をご理解下さい。

  目次について

 本作では本編中の場面転換を軸にnoteの「目次機能」による見出しを付けております。
 表記は「 ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕ ‬」が場面転換。
 その後に付く「 01の零 」など、末尾の漢数字が見出しの番号代わりとしております。
 しおり代わりにご活用ください。


  01 双刃、つ 前編

 暁差す荒野に大風が吹く。
 大勢の叫び声に似る風音と、地表を舐める黒雲の虫害にさらされた大地は、渇いていた。
 水とは縁遠い枯れ土に、けぶる砂塵でくすむ青だけが広がる世界は罅割ひびわれ、各所で地の底が口を開けている。
 声は、その一つから響いた。
「おめでとう、ああ……おめでとう。君こそがフェリダー共和国、最後の希望となるつるぎだ」
 朗々たる男の声は薄暗い峡谷に長く響き、それに彼が送る拍手も重なる。
「ライガ。それが君の名だ。さぁ、我が国に活路を……!」
 そう言って両腕を広げた男は、十メートル先に居る青年にその身を捧げる意思を示した。
 赤黒い液体やまみれた半裸の青年――ライガは、濡れて乱れたたてがみの様な髪の間から、恍惚と疲弊の入り交じった顔で笑う男を見て、跳ぶ。
 一瞬で男の眼前に迫り、彼の両肩を素足で鷲掴みにしたライガは、押し倒し様に男の眉間を砕けた剣で突き刺した。
 その一撃で絶命した男を足場にし、着地したライガは、獣の咆哮を上げて柄を引き、それに呼応する剣が、いや、男の死体が、溶岩に似た輝きを見せる。
 ライガが黒々としたつかを振り抜く一瞬で、男の死体は彼の背骨へと収束する様に形を変えていき、柘榴色ざくろいろの歪な諸刃もろはに成った。
 しかし、ライガの瞳はその刃を見ていない。
 つかを引き抜き、叫び終えたその後で、ライガはただ、峡谷の青い口腔を見上げていた。

  ‪✕‬‪✕‬‪✕‬ 01の二

 黄昏時たそがれどき、湿度の高い密林の中、怒号が飛び交っている。
「あとは女だ! 動いた物は全てて! 味方の判別だけはしろよ!」
「カニス族から逃げられると思うな! 醜い流刑人が!」
「探せ! 探せ!」
「殺していい! この森から出すな!」
「川が近い! 先遣隊走れ!」
「まだ生きてる仲間がいるぞ! お前だけ逃げるのか!?」
 殺意に満ちた声が四方から轟く中で、声を上げて『女』を追う者達と同じく青いストールを首に巻き、両手を鋼の篭手こてで覆った壮年の男は、太い幹を横目に湿った土を踏んで、それを見た。
 背の高い茂みの中、小刻みに震える鉛色の靴底。
 カニス族は靴底に金属を使わない。
 男は一瞬だけ鋭く息を吸い、しかし、茂みを作る葉の一つにでっぷりとした桃色を見留めてゆるゆると息を吐いた。
 この密林の中で、桃色の生き物と言えば一種類だけ。
 それを知る男は、腰に巻いた襤褸布ぼろぬのを手早く音を立てない様に小刀で裂き、端切はぎれにして篭手こての上から小刀を持つ右手に巻いた。
 そのまま慎重に歩みを進めて桃色の蛙に集中し、襤褸布ぼろぬのまとった右手を前へ。
 慎重に、慎重に――ただそう己に言い聞かせて桃色へと近付いていき、茂みの中の瞳と目が合った。
 瞬間、茂みが膨らんだかと思えばそこから黒い影が飛び出して、咄嗟に小刀で応戦しようとするもむなしく、男は体当たりを喰らって体勢を崩し、背中とうなじに苔むした木の感触を覚える。
 冷たい物が顎先を撫ぜ、自身の小刀の峰を右頬に押し当てられる形に持ち込まれた男は、至近距離に詰める女の左肩に桃色を見付けて目を見開いた。
「ま、待て、毒蛙だ、君の肩に居る。このままじゃお互いにまずい。剣を引いてくれ、斬らない、大声も出さないから、早く……!」
 声を抑えたまま早口にまくし立てる男に、目の前の女は黒い布と泥で作った即席の迷彩の奥で、爛々らんらんと光る双眸そうぼうをちらと左肩に送り、身動ぎ一つしない桃色の蛙を、手袋をめた左手で器用に払い除けた。
「これで解決だ」
 呟き、女が刃を押し込む。
 喉の前でそれとり合い乍ら、男は尚もわずかに湿る女の肩を気にし続けていた。
「駄目だ、解決してない…………モルスリクォルの毒は乾かない……肩の布と手袋は捨てろ、すぐに染み込んで死んじまうぞ……!」
 ぎりぎりと角度を変えて男の喉をき斬らんとする女に訴えかけながら、男は仲間の怒号が先程よりも遠ざかったのを感じる。
「聞いてくれ、頼む……このままじゃ二人とも死ぬ……。此処ここじゃ無いだろ、死ぬのは……」
 懇願する男の耳元で、女の無骨な剣が木をえぐる音。
「ああ、お前を殺して、言う通りにする」
 木の肌を削って迫る刃が、男の首筋に触れる。
 右手の小刀でそれを必死に押し返しながらも逡巡した男は、苦虫を噛み潰した様に顔を歪めて左手を閃かせた。
 篭手こてから変形した網目状の奇怪な剣が、女の腹に押し当てられる。
 突然の感触に、女は焦げ茶色の双眸そうぼうを見開いた。
「俺はアンタに苦戦する筈無はずないんだ……本気で殺すつもりなら…………」
 ぐいと押し込む左手と共に殺意を放つ男の目が、女を後退あとずさらせる。
 鍔迫つばぜり合いから解放された男は左手の剣を弄ぶ様に動かして、素早く篭手こての形に戻した。
 それを見守る中、蒸し暑い密林では余計に暑いだろう黒衣に身を包む女は、肩で息をして寒さを耐えるかの様に震えている。
 男はそれを見つつ、右手に巻いた布を捨てた。
 周囲にはもう、桃色の蛙は見当たらない。
「……いいか、大袈裟なくらいに切り取るんだ。今の間にモルスリクォルの体液は少しづつ広がってる。ただの蛙じゃないんだ。鉱山から染み出したマギニウム混じりの池で育つから、アイツの毒は勝手に増殖する。――魔法の産物なんだよ」
 警戒心を剥き出しにして震える女に語りかけるも、女は男の言う通りにする気配が無い。
 遅々として動かない女に、苛立ちと困惑をあらわにした男は半歩踏み出した。
「聞いてんのか? フェリダーとカーニダエは同じ言語だろ。いいから早く、皆が戻ってくる」
 男の言葉に女は更に後退し、顎にしたたる汗を拭う様にして自らの剣を首筋に当てようとする。
 そうする女の首と刃の間に、咄嗟に投げた男の小刀が飛び込んだ。
 金属音が木々の間で反響し、女は衝撃で手放しかけた剣を握り直して臨戦態勢に移る。
 剣先は震えているが、構える当人の眼に宿る確かな戦意を、男は見た。
「ほら、死にたくないんだろ! 早くしろ!」
 両手を挙げ戦意が無い事を示しながら、男は思わず叫んでいた。
「あっちだ! 大丈夫か!」
 遠くで仲間の声が響いて、方々から葉が擦れる音が近付いて来る。
「走りながらでも構わない、頼む……殺したくない……」
 無骨な剣を構えながら男と周囲を見比べて、迫る足音を背に、女は密林の最中へと消えていった。
 それを見送った男は膝を突き、深い溜め息を吐き出す。
「また……俺は、俺は…………」
 くらい密林に満ちていく仲間の声と足音が驟雨しゅううとなって、男を取り囲んでいく。

  ‪✕‬‪✕‬‪✕‬ 01の三

 大小様々な国家や団体がひしめめき合い、未だ戦火とその火種がり続ける大陸で、最も長く戦争を続けている二国が南にある。
 大陸南部に存在する、多様な大自然が複雑に絡まり合う地帯の南端で、その西側、緑豊かな部分を支配するのが、〈カーニダエ帝国〉。
 そして、遠い昔にカーニダエ帝国の前身から分離し、東側の過酷な環境で生き延びた者達は、〈フェリダー共和国〉という名の国家を築き上げ、カーニダエ帝国の豊富な資源と土地を奪うく戦いを挑み続けていた。
 両国の歴史上、カーニダエ帝国は幾度も勝利を収めているが、対するフェリダー共和国は北と東に立ち塞がる険しい雪山と、南の絶えず荒れる分厚い海峡に囲まれている為に西進する事しか知らず、それがかえってフェリダー共和国の人々を狂暴にさせていた。
 長い戦いの歴史は、ある折り目をもって繰り返される。
 停戦を拒み、戦闘を繰り返すフェリダー共和国から痩せた土地とわずかな資源を奪い、大戦を経て戦意をまんとするカーニダエ帝国の前に、戦況を振り出しに戻す存在が現れるのだ。
 万物の形質を歪め、摂理をくつがえる鉱石、マギニウム。
 それを人間の肉体に取り込ませた禁断の生体兵器――フェリダーの英雄。
 歴史の最後の行である現在に、史上七度目となる英雄の再来を恐れたカーニダエ帝国現皇帝、クオン・アルピヌス・パルラス・ロット=カーニダエは、それに対抗するすべを求め、カーニダエ帝国より更に南西へとつかいを送った。
 広大な半島を支配し、マギニウムを利用した技術、〈魔法〉発祥の地でもある〈フランゲーテ魔法王国〉の官吏を召喚する為に。

 カーニダエ帝国の要地がある場所はフランゲーテ魔法王国とくらべて大分暑い。
 亜熱帯の気温が本領を見せる真昼を過ぎた頃、カーニダエ帝国領内の山麓さんろくに広がる首都、その中でも標高の高い位置に点在する豪奢ごうしゃな建物の一つに招かれたフランゲーテ魔法王国の外交官、アダルガー・フォン・ルートヴィヒは、馬車を下りるなり薄い外套がいとうを手近な部下に脱ぎ渡した。
「ようこそいらっしゃいました、ルートヴィヒ殿。カーニダエは暑いでしょう」
 停車の案内をした下人よりも遅れて現れた中年の男は、繊細な刺繍ししゅうの施された布を幾重いくえにもまとっていながら、暑苦しさを感じさせ無いにこやかな丸顔でアダルガーに禿頭を下げる。
 外套がいとうを脱ぎ、フランゲーテ魔法王国産の最低限の礼装に変わったアダルガーは、中年の男の格好と生白い肌を見て眉根を寄せてから、右手を差し出した。
「ええ、事前に伺ってはおりましたが、まったく、標高の高い場所だからと油断しましたな。
 ――フランゲーテ魔法王国外交参与官が一人、アダルガー・フォン・ルートヴィヒです。ニクテレウテス第五宰相殿さいしょうどのとお見受けする」
 アダルガーの右手と共に己の名を先に呼ばれたニクテレウテスは、一瞬だけ見せた驚きを笑顔に隠してアダルガーと固い握手を交わす。
「噂にたがわぬ博識ですな。私めのお名前を覚えて頂き、有り難く存じます。
 不肖、ニクテレウテス・プロシオノイデス、貴方とは今後とも良好な関係を築きたいものです」

 ニクテレウテスと複数の下人に導かれ、アダルガーを先頭にしたフランゲーテ魔法王国の面々は屋敷の玄関となる大広間を通って、木彫りの芸術品めいた、縦に長細い両開きの扉まで案内された。
 扉の前で一行を振り返ったニクテレウテスは、代表者のみ入室が許される旨を伝え、衣服の隙間から取り出した鈴で自身の部下を呼び出し、アダルガーの部下らを付近の別室へと案内させる。
 六人の部下と別れ、ニクテレウテスと四名の下人と共に扉の前に残されたアダルガーは、室内へ向けたニクテレウテスの確認の声にいで、二名の下人らが引き開ける両開き扉を見守る。
 ゆっくりと重々しく開かれた扉の先、芸術品が彩る大部屋の中央に設置された円卓の向こうで、浅黒い肌に灰色の髪と髭が特徴的な、カーニダエ帝国特有の青基調の礼装に身を包む年嵩としかさの男が薄く笑みを浮かべた。
 男は円卓の向かいにゆったりと腰を掛けている様でいて、眼窩がんかの奥に強い炎を灯す瞳でアダルガーを射抜き、アダルガーの背筋は半ば無意識に押し伸ばされていく。
 アダルガーは足音を隠さず、しかし過剰に響かない様に石畳を踏んで、二歩踏み込んだ大部屋の中、息を吸った。
「お久しゅうございます。フランゲーテ魔法王国より、皇帝陛下の召喚に応じ、外交官アダルガー・フォン・ルートヴィヒ、只今ただいま参上致しました」
 言い終え、慎重に頭を下げるアダルガーに、男の低い笑い声が届く。
「相も変わらず上がり症な男よ。――このクオン・アルピヌス・パルラス・ロット=カーニダエ、此度こたびの召喚に快く応じてくれた事、感謝の念が絶えぬ」
「ははは、皇帝陛下の御目には全てが見透かされているようですな。我が国としても貴国とはこれからも和平を続けていきたい所存でありますから、国王様より出立しゅったつかされて大変でした」
「アポロムズィーク公ほど行動の早いお方は他に居ない。私も見習わなくてはな。――此度こたびは私から向かうべきであったか」
「滅相も御座いません。配下としては御身を第一にして頂きたいものですから、学ぶべきは我が国の方でしょう」
 アダルガーの言葉に円卓の向こうで高らかに笑ったクオンは、一頻ひとしきり笑ってからアダルガーの目の前にある椅子を手の平で示した。
「さあ、本題は先にある。立ち話もここまでだ、楽にして欲しい」
「ありがとうございます」
 一言断ってから下人が引いた椅子に掛けたアダルガーの前に、色とりどりの硝子細工がらすざいくで作られた水飲みが置かれる。
 もう一つのそれは別の下人の手から対面に座るクオンの前にも同様に置かれ、アダルガーが腰を落ち着ける間に夫々それぞれの水飲みに瓶を傾けようとする二人の下人を、クオンは手の平で制した。
「アダルガー君、酒は呑める口だったかな?」
 クオンの問いに、アダルガーはにこやかに頷く。
「ええ、嗜む程度ではありますが。有り難く頂戴致します」
 アダルガーが答えると、クオンは目だけで下人らを動かし、水飲みの彩やかな輝きを引き立たせる透き通った液体が静かに注がれていく。
「良かったよ。昨年はカクレナシがよく採れたのでな、君の口に合うと良いが」
 水飲みの半分程を満たした所で瓶の口が上げられ、アダルガーはクオンの言葉に笑みをこぼした。
「カクレナシ……! 以前、我が家でタルトにして頂きました。行商がフランゲーテに来た際に料理人が仕入れて、それ以来……はしたない事ですが、カクレナシには目がありません」
 水飲みを前に語るアダルガーに、クオンは微笑みを浮かべたまま自身の水飲みを持ち上げて腕を伸ばす。
 アダルガーはそれに応じて両手で水飲みを持ち、二人は広い机上きじょうで水飲みを打ち合わせる振りをしてから、透明な果実酒を口に含んだ。
 強い酒気が喉を温め、その後に膨らむ梨の芳醇な香りに目を見開き、アダルガーは手にした水飲みとクオンを見比べる様に視線を動かす。
「すごい、梨の良い所だけが抽出されているみたいだ……」
 口許くちもとほころばせて言うアダルガーに、クオンもまた笑みを深くする。
「気に入ってもらえて嬉しいよ。瓶を幾つか君の部下に持たせよう。――それと、双方にとって実りある話も」
「ええ、有り難くお受け取り致します」
 再び水飲みを持ち上げて、二人は舐める様に酒を含む。
 梨の残り香を味わう二人の男の口から、歴史の文書には残らない、フェリダー共和国討滅とうめつの一手が打たれようとしていた。

  ‪✕‬‪✕‬‪✕‬ 01の四

「……グリーセオ」
 白く長い髭で覆われた口から出た声に、壮年の男――グリーセオは床に座ったまま萎縮した。
 老爺はその一瞬の挙動を見逃さず、一手を差し込む。
「お前のナイフからは毒が見つかったそうだ。えて塗ったくったものでは無い、偶然、又はむを得ず触れた程度の、わずかな毒が」
 座椅子の肘掛を使って頬杖を突く大柄な老爺を上目がちに見て、グリーセオはそっと頷いた。
「はい…………密林の中、モルスリクォルがいて、ナイフで……遠ざけました…………」
 グリーセオの言に、老爺の目が細められる。
 怒りや叱責では無く、つまらない物を見る様な、冷たい光。
「…………グリーセオ。私は、毒蛙に気付いていないフェリダーの密偵を助ける為に、お前がそうしたのだと考えている。
 そこに敵兵を逃がす目的や思案などは無く、お前の持つ貧しい正義感が、結果的に国境の一部を担う我らの情報を持ち帰らせた、とな」
 グリーセオの背ににじむ冷や汗が、止まった。
 脈拍は薄く、体温は霧散して、空っぽになる感覚。
 図星と言う名の、詰みだった。
「グリーセオ。申し開いてみよ」
 一族を背負う老爺の言葉は、グリーセオのこうべを深く深く沈ませる。
「…………申し訳、御座いません……」
 心の底から冷え切った体は木板の上で泥の様に這いつくばり、しかし、たった一つの足音と共に身体からだが持ち上げられた。
 暗夜に沈む密林の最中、篝火かがりびに照らされた審問台の上で、一族の目が集中している事を老爺の肩越しにぐるりと見せつけられ、首根っこを鷲掴わしづかみにされて掲げられたグリーセオは、不意に審問台の外へと放り出された。
 湿った土に落ちるグリーセオの頭上から、老爺の鋭い吸気が響く。
「グリーセオ・カニス・ルプス、お前の処分を下す。
 ――ひとつ。この私、アーテル・カニス・ルプス又はその時のカニス族代表者の許可無く、郷里に足を踏み入れる事を禁ず」
 地面の上で体を起こし、呆然と老爺を見上げるグリーセオの視界に、傍聴席で深く頷く父の姿が映った。
「ふたつ。今この瞬間より、お前をカーニダエ帝国の独立遊撃部隊、グリーセオ隊のおさとする。明朝までにフェリダー共和国のジマーマン領西にし、オキュラス湖を監視する〈第三ナスス駐屯ちゅうとん基地〉へて。傭兵ようへいと同じ身分として、しかし帝国からの指令を拒否する事は許されぬ。
 ……これにより、お前にとって最も苦痛となる、戦いの日々を、明確な罰とする。
 また、これには連帯責任として、此度こたびの狩りを行った人員より――クリス=キュオン・ブラキュルス! アルゲンテウス・ヴルペス! グリーセオの元へ進み出よ!」
 審問台から突然呼び出された二人がグリーセオの元に辿り着くまで、幾許いくばくかの時間が掛かった。
 だいだいに近い赤毛を揺らし、襟に巻いた黒色の毛皮が特徴的な若い女――クリスは戸惑いがちにグリーセオの傍らで膝を突く。
 一方、細長い吊り目が特徴的な白髪の青年――アルゲンテウスは、この時を予見していたかの様に静かに、ゆったりと片膝を突いて壇上の老爺にこうべを垂れた。
「クリス=キュオン。アルゲンテウス。両名はグリーセオの目付けとして働き、此度こたびの汚名をそそぐ使命を担え。カニス族の失敗は決して失態では無いと、皇帝陛下の御耳にまで届かせ、一族に今再びの機会をお与えになるまで、その剣をもって示し続けよ」
 族長より下された命に「はっ」と短く答えた二人は、老爺へ向けて深々とこうべを垂れ込む。
 その様を見て、土の上で姿勢を正すグリーセオは人知れず悔悟かいごの吐き気を催していた。
「みっつ。グリーセオ・カニス・ルプス。お前は今後、姓を必ず名乗る事を厳命する。……一族を背負い、ルプス家の一端である事を一瞬たりとて忘れるな。
 お前の罪は直に帝国中に知れ渡る。それを背負ったまま生きよ。自死も、討死うちじにも、ゆるされるとは思うなよ」
 臓腑ぞうふの底から突き上げる後悔の念は、嗚咽おえつとして地面に吐き出される。
 グリーセオはこらえようの無い涙を流しながら、額を地に擦り付けた。
「……っこ……この、この身をもって……使命に生きると、ち……誓います…………」
 震える声で言い終えて、暗く沈む視界は用を成さず、グリーセオの耳だけが真面まともに働く。
 老爺の重厚な足が審問台を軋ませて、静かに息を吸う音が、炎のぜる音の中に聴こえた。
 審判の時だった。
「者共よ! 遊撃部隊を送り出せ! 裏切り者とは言葉を交わすな! 此奴こやつの罪は、戦士として帰還するまで、決してゆるされる事は無いと胸に刻め!」
「応!」
 間も無く、各々の感情を呑み込んだ無数の怒号が、審問の幕を閉ざした。

  ‪✕‬‪✕‬‪✕‬ 01の五

 吹き荒れる風は砂塵さじんを巻き上げて、この地上には何も無いのだと明らかにする。
 渇いた大地より上にはせた青の大気のみ。地表ではあぎとの様な飢えた断崖が彼方此方あちらこちらで口を開け、力尽きた者が落ちる時を待つ。
 フェリダー共和国の中心部、無辺のクロー高原の姿が、それだった。
 あらゆる貧困にあえぐフェリダー共和国を象徴するその大地に、好き好んで踏み込む人間は居ない。
 此処ここに居るのは、行き場を無くした浮浪か、遥か先に見える氷雪の岩山に希望を幻視した気狂いか、それとも、この荒涼とした大地で生まれでた異形――。
 皮膚を破り、鋭く伸びた手足の指の骨で絶壁を伝い、襤褸布ぼろぬので包んだ柘榴色ざくろいろの剣を体に括り付け、断崖のあぎとから這い出した異形が、ライガだった。
 息を荒げて断崖のふちに立ち上がったライガは、背後の薄暗闇に沈む死屍累々ししるいるいを見下ろし、一際ひときわ強い心音を辺りに響かせる。
「オレは、お前達の希望には成らない…………。共和国も、帝国も、知った事か」
 乾いた血で黒ずむ深紅のたてがみを揺らし、ライガは荒野に踏み出す。
「オレは、世界を変えるぞ。オレを生んだ、糞滓くそかすの世界を……」
 ライガの手足がゆっくりと人の形に戻り、低く響く心音が鎮まっていく。
 その変化の過程を、死に絶えた大地だけが知っていた。

 ‪✕‬‪✕‬‪✕‬ 01の六

 松明たいまつを持たされたまま、背中を乱暴に押し出された。
 平生へいぜいと同じ厳格さに灯りの影を深く落とす父の顔を振り返ったグリーセオは一言も発せぬまま、支度を終えたクリスとアルゲンテウスを連れて村と密林の境界をまたぐ。
 夜明けを待たずにカニス族の村を後にしたグリーセオ達は、背負い袋に収めた最低限の物資の重みを噛み締めて、月明かりを拒む密林の中を南下して行った。
「……そう離れちゃいないけど、やっぱ夜は俺達の村を隠してくれるんだなぁ」
 深夜の行軍で最初に口火を切ったのは、若く長身のアルゲンテウスだった。
 村がある方角に体を向けたまま後ろ歩きをして、何歩か歩いてから行く先へと向き直ったアルゲンテウスに、彼よりも幼さを残す、整った顔立ちの少女――クリスは首元の薄布を引き上げ、口許くちもとを覆ってから溜め息を吐く。
「もう私達のじゃない。カニス族の村」
「え? いやいや、土地から追い出されただけで、長老はやり直しの機会をくれたんだろ? だからまだ、俺達の村だよ。――なぁ、グリーセオ」
 水を向けられたグリーセオは、松明たいまつを掲げながらアルゲンテウスの居る右後方を目だけで気にするも、言葉は出さなかった。
「おい、グリーセオ。なぁって…………じゃあ、聞くだけ聞いてくれよ?」
 諦め悪く声を掛けるアルゲンテウスを止める事はせず、グリーセオは沈黙を返す。
「俺は今回の放逐ほうちく、自分で族長にお願いしたんだよ。あぁ、その、グリーセオに着いて行きたいって事をな? もしもグリーセオが追放されるなら、俺はそれに着いて行って連絡役が出来る。って」
 アルゲンテウスの言葉に、グリーセオは鼻から溜め息を漏らした。
 クリスは沈黙を守りつつ隣を歩くアルゲンテウスを睨んだが、それに気が付いたアルゲンテウスはくいと肩をすくめるだけで受け流す。
「だからさ、グリーセオ。三人でまたカニス族に帰ろう。クリスもそうだ。また母さん達が作る肉豆汁にくまめじるを食いたいだろ。な?」
 努めて優しく言うアルゲンテウスに、グリーセオは足を止め振り返った。
 グリーセオの後に続いて歩いていた二人も、少し遅れて足を止め、夜闇に沈む壮年の刻苦こっくを見る。
「…………帰還の希望は、俺達に戦う理由を持たせただけだ……。祖父じいさんはそんなに優しい人じゃない。それに……………………」
 声に出せない続きを、クリスは冷めた目で促し、アルゲンテウスはころころと頭を揺らして曖昧な笑みを浮かべた。
「それに、どうした?」
「…………それに、これから向かうジマーマン領の戦士長は、カニス族が三度敗北してる相手だ。
 ――祖父じいさんは俺に、戦死を言い渡したんだよ」
 夜半の密林に満ちる、湿った生温なまぬるい空気が固く張り詰めていく。
 その中で最初に響いたのは、クリスの足音だった。
「じゃあ勝手に死ねば? 負け犬おじさん」
 亜熱帯の夜気よりも鋭く冷たい声に、グリーセオはうつむく。
 クリスとグリーセオを見比べてから歩み出したアルゲンテウスの足音も聞いて、それらが小さな声の届かない距離まで離れたのを感じてから、グリーセオは喉に詰まった息を吐き出した。
「俺だけなら、どれだけいいか…………」
 熱くなる目頭を篭手こてめたままの手で押さえ、グリーセオは先をく二つの灯りを追った。

つづく


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