「残映、冴える」小説:PJ10
はじめに
本作「パラレルジョーカー」には、暴力、暴言、戦争や著しい差別などの描写を含みます。
それに伴い、グロテスクな描写、憂鬱な気分にさせる描写を含む為、苦手な方は本作を読む事をお控え下さい。
また、本作は創作物であり、実在するあらゆるものへの批判や、思想の拡散を目的とした物では無い事をご理解下さい。
01話はこちら。
目次について
本作では本編中の場面転換を軸にnoteの「目次機能」による見出しを付けております。
表記は「 ✕✕✕ 」が大きな場面転換。
その後に付く「 01の零 」など、末尾の漢数字を見出しの番号代わりとしております。
例外として、長い節にも小見出しによる区切りを付ける場合がございます。
しおり代わりにご活用ください。
10 残映、冴える
駈歩の駱駝に揺られ乍ら、男は唇を舐めた。
夜闇の中でも目立つ青碧色の熊、敵国――カーニダエ帝国の残党である四騎が突如として反転し、彼が参加している隊列の標準装備に含まれる短弓、その有効射程に入ろうとしているからだ。
背後では敵の放った爆発する矢による炎と、それに巻き込まれた同志の悲鳴が上がっているが、男は「それがどうした」と敢えて声に出す。
「アイツらを狩れば次は増援のヤツら。んで次は反撃部隊の編成だ。俺だ、やるのは俺なんだよ……!」
独り呟き、男は駱駝に速度を上げさせて、腰の袋から小さな錠剤を取り出し、噛み潰してから飲み込んだ。
「総員――っ、お前! またサビロイか!? 命令はまだ」
男――サビロイが追い抜いた駱駝から号令を掛けんとした隊長が諌める声を上げたその瞬間、サビロイのすぐ後方で爆発が起きる。
声、もしくはその主が掻き消えて、サビロイは凶暴な笑みを浮かべ駱駝の項に胸を着けた。
「はっは! 正解だなぁ!」
叫び、腰背部から短弓と矢を取り出して、サビロイは素早く射ち放つ。
完全に夜の訪れた砂漠では狙うも何もあったものでは無いが、ほんの一瞬目に映った矢の軌道と、薄靄の様に蠢く青碧色から敵の位置を予測するくらいの事は出来る。
サビロイはそれらの情報だけを頼りに矢を放ったのだ。
更に、結果を待たずにサビロイは続け様に五射、少しづつ角度を変えて矢を放ち、そして遂に、目立つ青い布を頭に巻き着けた兵士を視認した。
「一騎来るぞ!」
前方でその兵士が叫び、サビロイは口端を吊り上げる。
敵が弓を構え、ほんの一瞬、狙いを定めたその瞬間に、サビロイは駱駝から跳び下りた。
身体を真横に倒して砂地を転がり、どこかから響く爆発音と迫り来る重たい足音を聞き乍ら、胸中で四秒を数え、薄く開けた視界で青碧色の影を捉えて腰に提げた鉈を抜き放つ。
素早く振り抜いた鉈に一瞬重たい衝撃を覚えて、サビロイは吊り上げた口端を大きく開いて哄笑を上げた。
サビロイはそのまま眼前に迫り来る別の影を捉えて、砂地を蹴って後退しつつ鉈を振り上げる。が、しかし、その斬撃は空だけを斬って、青碧色の影がサビロイの真上を跳び越えていった。
その影を追って顔を向け、鉈を納めて左手で短弓を握るも、直後に足下で何かが落ちた音がして、サビロイは瞬間的に知覚を失う。
次に認識したのは空中で滅茶苦茶に振り回される体感と、砂原に背を打った衝撃。
次いで、遅れて知覚した熱感に転げ乍ら叫び、砂を纏う様にしてサビロイは体に着いた火を消した。
「ぐう、ぅぅ、クソ……半分か…………」
呻き声混じりにそう呟いて、サビロイは自身の体を検める。
自身の体がどうなっているのか想像したくも無かったが、四肢は指先まであり、負傷したのは体表のみだと分かって、サビロイは安堵と屈辱を砂原にぶつけて土竜の様に暴れた。
「クソッ! クソッ! クソォ!! まだ戦えるぞ、まだ戦えるぞオレはぁぁ!」
砂に塗れて叫ぶ男は、獣地味た様相で遠ざかる青碧色の影を追い、軈て、気を失った。
✕✕✕ 10の二
エクゥルサの踏む砂の音が、僅かに異なっている。
それがやや湿った砂の音だと理解しつつも、クリスは気を失ったアルゲンテウスを抱えたまま夜闇に紛れる黒衣の敵兵を射つだけで手一杯だった。
つい十秒前に接近を許したフェリダー共和国の兵士、あの様な事態を二度も許す訳にはいかない。
クリスはそれだけを念頭に置き、自軍の妨げにならない最低限の距離に炸裂矢を放ち、背後の積荷から三本の矢を纏めて手にした。
たった今放ったのは、夜闇に乗じて接近する敵兵を恐れての行動と、もう一つ。敵影を炎の光で照らす為の物だ。
クリスはほんの一瞬照らし出された黒衣の集団と、その後も照らされる一部の敵兵達を睨んで、三本の矢を纏めて〈ステッラ〉の弦に掛ける。
「アルグ、こういうのも有りでしょ」
借りた武器の主であるアルゲンテウスに語り掛ける様に呟いて、クリスは矢を放った。
指が持って行かれそうな程に速く戻る弦に押し出された炸裂矢たちは、クリスの予想に反して不安定な軌道を描いて夜闇に溶け消え、意図しない地点で不規則な爆発を起こす。
その結果を見る前に矢を一本だけ手にしたクリスは、自嘲気味な笑みを浮かべた。
「アンタなら、上手く当てられたのかな……」
頻繁に独り言を零すのは、態とだ。
クリスが抱えている生死不明の仲間、彼が――アルゲンテウスがまだ生きているのだと信じて。
✕✕✕ 10の三
夜の風に冷やされた耳と鼻が凍ってしまったかの様に冷たい。
しかし、それでもタロウは両手に握り締めた二振りの短刀、その引き金を引く事を止めなかった。
夜闇の中、辛うじて視認できる黒い無数の影が、あと百メートルの距離にまで迫っているからだ。
タロウはフェリダー共和国の隊列にあと三回か四回引き金を引けば追い着く事を想定して、交差していた腕を開き、鋭く息を吸う。
(なら、二回で届かせる……!)
決意を固めた戦士が、遥か高空へと飛翔した。
刀という翼を大きく広げた戦士は翔び上がった夜空で脚を屈めて地表を睨み、再び爆発の花を咲かせて急降下する。
それと同時に、黒衣の隊列、その最後尾を駆けていた兵士が空を仰いで、直後に駱駝の上から二つになって崩れ落ちる。
その死を皮切りに、黒衣の隊列の中で連鎖的に小さな爆発と斬撃が隙間を縫う様に走り抜けて、人、駱駝を問わずに死と傷が振り撒かれた。
タロウがその無茶な軌道をする最中に、不意に武器を突き出されて革鎧とそれが干渉し、黒衣の隊列の中で大きな砂煙を上げて墜落する。
直後、慌てて起き上がろうとしたタロウは、自身の右前腕が拉げている事に気が付き、呻き声を堪えて砂煙の流れに沿って歩き、足を止めていた駱駝にぶつかった。
✕✕✕ 10の四
「ジェンナロ副隊長!」
北東へ駆け続ける隊列に北側から合流した騎士が叫び、呼び掛けられたジェンナロは、暗がりの中でも見て取れる程に焦燥感を露にした騎士に目だけで続きを促す。
ジェンナロのものと並走する様にエクゥルサを繰る騎士は、走行が安定してから幾つか呼吸を挟んで大きく息を吸った。
「タロウ・サンノゼ隊長補佐より通達、全隊、全速力で合流せよ。と。この先での異変を察知したサンノゼ殿は一足先に飛んでおります!」
騎士の声を聞き乍ら北東に目を向けていたジェンナロは、空中で断続的に閃いていた爆発の光を見つめ、そして不意に高空で同時に二つの爆発が起きたのを目にした。
「あれか…………全隊! 全速力! 一騎でも良い! 隊長補佐にご助力せよぉ!」
ジェンナロの号令に後続の騎士ら全員が応じ、エクゥルサ達が加速する。
一方、エクゥルサとは別に馬に騎乗した者達は思う様に走らせる事が叶わず、隊列を乱して徐々に遅れていった。
「バストロ! お前は騎馬隊を案内せよ!」
「はっ!」
バストロ、と呼ばれたタロウの言伝を受けた騎士はゆっくりと速度を落としてジェンナロの傍らから消えて行く。
「タロウ殿……ご辛抱召されよ……!」
エクゥルサにぴったりと体を着けたジェンナロは、それだけ呟いて砂漠の凹凸を見分ける事に集中していった。
✕✕✕ 10の五
火の粉舞う集落の通りを、黒衣の兵士が早足に抜けて行く。
彼は崩れる砂岩製の建物をちらとも見ず、鼻腔に押し入って来る焦げ臭さで胸の内に溜めに溜めた怒りを膨らませて歩き続けていた。
「――おい、そこの。隊長の指示を忘れたわけでは無いだろう、持ち場に戻れ」
膨らんだ麻袋を抱える黒衣の男に呼び止められた彼は、一瞥だけして緩めかけた歩みを続け、何度か声を掛けられた後に右肩を掴まれる。
「おいお前! 何をしている!」
力任せに振り向かせられた彼は、自分よりも僅かに背の低い黒衣の男と目を見交わして、相手に悟られない程度に右足を引いた。
「――誰だお前は、所属を」
「オレはジマーマン領から送られた遊撃部隊だ。訳あって駱駝を無くし、砦に急いでいる。離せ」
黒衣の男の言葉を遮って彼が話すので、男は胡乱な者を見る目で彼の事を見詰め、はたと彼の黒衣――その左肩に目を留める。
「……その縫い跡、お前、嘘を」
男が驚愕に目を剥き口にしかけた刹那、彼は引いていた足を思い切り振り上げ、黒衣の男の股座を蹴り上げた。
声にならない悲鳴を上げて膝を着いた男を背に、彼は通りを駆け出す。
「……っ誰か! 彼奴を止めろ! 偽物だ!」
痛みを堪えて叫ぶ声を背に、彼は――死体から奪ったフェリダー共和国兵士の装備を身に付けた青年、ヒョウは、全力で北へと駆けて行く。
頭にあるのは、唯一つ。
自らの手でカーニダエ帝国の兵士を殺す事。
その為ならば何でも捨てる。
ヒョウはそれを言葉では無く、彼方此方に転がる焼死体に似たどす黒い感情で胸に浮かべ直し、砂を蹴った。
✕✕✕ 10の六
砂浜に満ちる、波音に負けない子供達の笑い声。
拍手が向かう先は、演奏を終えて汗が滴る父の大きな背中。
一瞬間、それらが見えて闇に溶ける。
瞼を押し上げた先、突き出される槍の穂先を振るった右腕で払い、激痛を覚え乍らも左手に握り締めた短刀〈唐戸〉で逸れた槍の柄を狙って、引き金を浅く引いた。
無理な体勢から放つ爆炎の加速が乗った斬撃は、容易く槍を折り砕き、タロウは短刀に振り回されるまま砂地を蹴って跳び、眼前の駱駝、その横腹を蹴り飛ばす。
その瞬間に左手の引き金を、今度は思い切り握り込み、一瞬前までタロウがいた場所へ鉈を括り付けた粗末な槍の刺突が襲った。
タロウはそれに肝を冷やしつつも手首を曲げ、空目掛けて引き金を引き、夜闇に紛れる黒衣の騎兵らを見下ろす。
「――数え切れねぇ……こりゃ、無理か……?」
〈唐戸〉が生み出した推進力が尽き、落下の最中に呟いたタロウは、落ち乍ら引き金を引いて、宙を翔んだ。
黒衣の騎兵らの頭がタロウを追って動き、付近の騎兵がタロウの加速が落ち着くのを待って槍を突き出さんとするのを見て取ったタロウは、前腕部が折れた右手に握る短刀〈烈火〉の引き金を緩やかに絞る。
爆炎が螺旋状の軌跡を残し、突き出した左の短刀で迫る槍を弾き、人を斬り、駱駝を斬って、青い鉢巻を煙の様に立ち上らせたタロウが黒尽くめの騎兵らの直中にしゃがみ込んだ。
肩で息をするタロウは、死角から刃が迫るのを音で理解して右腕を庇う様に前転し、夜闇の中の影に入ったと認識するや否や左手の短刀を逆手に持ち直して振り上げる。
短刀が突き刺したのは、黒衣の兵士の足と、その先にある駱駝の腹。
タロウは霞む視界でそれを認識し、刺した短刀を捻りつつ両足を上げ、駱駝の腹にしがみつく。
暴れ出した駱駝に黒衣の兵士が悲鳴地味た声で静止を促すも遅く、遮二無二駆けた駱駝が何かにぶつかって転倒した。
駱駝に絡めていたタロウの足が砂に押されて外され、一瞬、突き刺した短刀を軸に回転させられるも、直後に短刀が肉を裂いて外れ、二メートル近い高さから砂原に落とされる。
柔らかな花の香り。
黒い玉で埋められた傷。
身を震わせる太鼓の音。
炎が踊る。
故郷で夕涼み。
白銀の光。
ばちっ、と稲光に似た光景は幻で、タロウは直ぐに砂漠の星空を見た。
咄嗟に右腕を伸ばしかけて痛みで状態を思い出し、逆手に持った左の短刀を砂地に突き立て、刈り払う様な動作の最中に小指で引き金を引き絞る。
炎と砂煙が巻き上がって辺り一面の視界を覆い、タロウは近くに横たわる駱駝の鞍に顎を引っ掛けて立ち上がった。
二度三度とふらつき乍ら、立ち込める砂煙で方角を見失ったまま眼前の影に狙いを付け、左の短刀を順手に持ち替え真っ直ぐに構えたまま引き金を引く。
左腕に吊られて浮き上がった体を捻り、砂煙の中に見えた影、その頭と思しき位置を両足で捕らえて抱え込んだ。
タロウはそのまま間髪入れずに左手の短刀の鋒を振り下ろし、脚で捕らえた黒衣の兵士を心臓の一突きで殺して引き抜き様に引き金を引いて空へと飛翔する。
(限界と本隊、どっちだ……先は…………!)
砂煙から翔び出すと共に、殆ど用を成さなくなった両眼で戦場を見下ろして、そこが、タロウの限界だった。
✕✕✕ 10の七
ジェンナロは其れを見て思い切り息を吸い込んだ。
「全隊! 掛かれぇ!」
夜闇の中、二十メートルの距離にまで接近して辛うじて視認できる黒衣の集団、足を止めたそれらの中で巻き起こった砂煙、そして爆炎。
ジェンナロが見た其れは、間違い無く単身先駆けたタロウ・サンノゼのものだ。
だからこそ、奇襲ではなく声を張り上げて敵兵の注目を集めたのだ。
(タロウ殿! 貴方はまだ残した事ばかりであろう!)
エクゥルサを走らせている為に吹き荒ぶ夜気を顔で受け、ジェンナロは胸中に叫ぶ。
上空から落ちようとしている、タロウの影を見詰めたまま。
その人影との距離を測り、手綱を握り締めていた右手を背後――背中に掛けた剣の柄へと伸ばして、抜き放った赤銅色の剣身を左前腕を包む鎧に当てる。
ジェンナロの剣〈マンドーラ〉であれば、僅かにでもタロウを救う可能性があると信じたのだ。
数メートルの距離にまで迫った黒衣の兵士を気にも止めないジェンナロは、回転し乍ら落ちるタロウの姿が自身から十メートルの距離にあると断じて、背筋を伸ばすと共に手綱を引き、エクゥルサを仰け反らせ、更に剣を鎧の上で擦る様に滑らせた。
夜闇に沈んだ戦場に、連続して弦を爪弾く様な音色が鳴り響く。
剣に込められた魔法は、一定範囲内にあるマギニウムを強制的に反応させる――鳴動式始動音響魔法。
振り払ったジェンナロの剣〈マンドーラ〉が微細に振動して空気を震わせ、直後、ジェンナロの前方で幾つもの事が起こった。
一つは、落ちゆくタロウの辺り、彼の持つ二振りの短刀が夫々三度の爆炎を巻き起こして、空中でタロウを引き回し、四度目に小さく、砂原に接しそうな程の距離で爆炎を上げ、タロウを彼方へと連れ去る光。
そしてもう一つは、ジェンナロが相対する、そして今正に両前肢を振り上げた事で落馬した黒衣の兵士含む、前方十メートル程度の距離に居たフェリダー共和国の人間達だ。
彼らは一様に頭を抱えて呻き出し、露出している顔や腕などの肌、いや、肉体をうっすらと深紅に輝かせている。
「……なっ、これは……!?」
ジェンナロは驚きの声を上げて、騎乗しているエクゥルサが前肢を砂地に着けたにも関わらず身動ぎさえ出来なかった。
苦しむ様子を見せていたフェリダー共和国の兵士達は、短い者で十秒弱、詰まった息を吐き出す様に咳き込んで、駱駝に体を預けている。
「どういう事なのだ、これは……」
尾を引く驚愕は、ジェンナロよりもやや遅れて来た仲間らには伝わらず、青く染めた布を巻き付けた騎士達が、動けずにいる黒衣の兵士らを襲い、ジェンナロ同様にか、動きを止めていた遠くの黒衣らも応戦を始めた。
ジェンナロの眼前で砂地に手を着け咳き込む黒衣の兵士は、もう奇妙な輝きを放っていない。
ジェンナロはそれを見てエクゥルサを相手の脇に着ける様に進ませ、跳び下りるや否や左腕を伸ばして黒衣の兵士の胸倉を掴み上げた。
「……っ貴様! 斬られるか捕虜となるか! 選べ!」
困惑に裏返りかける声で怒鳴り、詰め寄られた黒衣の兵士は手にしていた粗末な槍を落とす。
ジェンナロはそれを見てから赤銅色の剣を高く掲げ、駆け付けた仲間に彼を縛らせた。
「貴殿は此奴を連れて即座に帰還せよ、同行者を付ける事を許可する。重要な情報となるぞ、抜かるな……!」
鬼気迫るジェンナロに言われ、部下である騎士は戸惑い勝ちに頷いて拘束した黒衣の兵士を鞍の前に乗せ、反転する。
その背から視線を外し、ジェンナロは記憶を頼りに手綱を繰って砂原に落ちたタロウを探す可くエクゥルサを走らせた。
しかし、進む先の左手、ジェンナロ率いる騎士らと交戦していた黒衣の騎兵集団から一騎だけ、ジェンナロ目掛けて駆けて来る姿を視界の隅に捉えて、ジェンナロはエクゥルサの走りを緩めさせる。
迫って来るのは他の黒衣らと変わらない様に見える大柄な兵士だ。
ジェンナロはそれを見てエクゥルサを転身させ、右手に握る剣で迎え討つ可く擦れ違う様に走らせた。
相手が右手に持つ得物は槍。単純に考えればジェンナロが圧倒的に不利ではあるのだが、ジェンナロは敢えて剣を振り上げ、正面から戦う意志を見せ付ける。
「威勢が良いな! カーニダエ!」
眼前の騎兵が叫び、ジェンナロを威圧する様に槍を振り回してから刺突の構えを見せた。
その瞬間、ジェンナロは左手の手綱を離し、腰鎧の裏から小さな短剣を抜くと同時に手首の振りだけで相手の駱駝に投げ付ける。
ジェンナロの投擲は狙い通りに駱駝の肩へ突き刺さり、ジェンナロは擦れ違い様に重心を崩した騎兵の首を斬り飛ばした。
「悪いが一刻を争う」
頭部を失い、力無く砂原に落ちた死体を一瞥して呟き、ジェンナロは再びエクゥルサを反転させてタロウが落ちたと思しき地点を目指す。
敵と味方が入り交じり、夜闇がその判別に輪を掛けて困難とさせる中、ジェンナロはタロウの姿を探し続けた。
✕✕✕ 10の八
北へ向かっていた進路を変更し、南西に向かってエクゥルサを走らせるツェルダに続くクリスは、右手で積荷の矢を取り出そうとして、残る炸裂矢の少なさに冷や汗を滲ませた。
(良くてあと十本……敵の数は不明…………遠くで小さな爆発は起きてたけど、もう消えた……グリーセオだったの……?)
浮かび続ける疑問と不安はクリスの胸を圧迫して、引き絞った矢が振れる。
(…………いや、いや、迷うな、落ち着け。例えどうだったとしても、私がやる事は、もう決まってる。
――帝国の為に、フェリダー共和国を討つ。矢が尽きたなら、剣がある。まだ動ける)
胸中に浮かべた言葉は無意識に唇を動かして、二度、大きく深呼吸をしたクリスは、強く目を瞬いて暗い砂漠を睨んだ。
その視線を追う様に鏃を向け、迫り来る黒衣の騎兵を狙い、最前列の一つ奥、兵士のほんの微かな気の緩みを見付けて矢を放つ。
クリスの放った矢は狙い通りの兵士に突き立ち、一瞬後に炸裂して周囲の兵士諸共吹き飛ばした。
それを見る間にもクリスは次の矢を番え、暗闇から湧いて出て来る黒衣の騎兵らの隙を見付けては炸裂矢を射ち込んでいく。
集中力を振り絞り、的確に矢を放つクリスは、矢が尽きるその時まで敵を寄せ付けない。
暗夜の逃亡戦はクリスの活躍によって、ツェルダ率いる奇襲小隊を黒衣の騎兵隊の眼前を横切らせ、再び真後ろを追わせる形に持ち込んだ。
だが、クリスは積荷にやった右手が革袋以外の何にも当たらない事に気が付き、再び不安を膨らませる。
ちらと後方を見て、欠ける事無く着いて来ている〈第三ナスス駐屯基地〉の残存兵二人に目を留めるも、両者共に矢が尽きたか弓を手にしておらず、息を上げるエクゥルサを少しでも長く走らせる事で必死だ。
対して、前を行くツェルダは先刻の傷もあってか、エクゥルサに伏せる様にしているだけで、他の素振りを見せない。
ツェルダが駆るエクゥルサの積荷にはまだ物資が幾らか残っており、そのお陰でアルゲンテウスの応急処置が出来た。
今、再びツェルダの積荷から矢を受け取る事が出来れば、まだほんの僅かだが生存の可能性がある。
後方から追い掛けて来ているであろうフェリダー共和国の兵士らの様子を見て確かめたい気持ちを堪え、クリスはエクゥルサに速度を上げさせた。
「ごめん、あと少しだから、頑張って……!」
クリスの指示通りに速度を上げ、息を荒げるエクゥルサに、そして、クリスが抱えている生死不明のアルゲンテウスに向けて呟き、徐々にツェルダとの距離が近付いて、クリスは目を見開いた。
エクゥルサに伏せるツェルダは、速度を上げる為でも、痛みを堪えた為でも無い。
鞍の上で、気を失っていたのだ。
駈歩で走り続けるエクゥルサによって揺れるツェルダの左足は、革長靴ごとぱっくりと傷口を開けているものの、もう出血さえしていない。だが、しかし、その傷口は濡れていて、乾ききった訳でも、傷口よりも上で止血した訳でも無かった。
クリスはその事実に目眩がする程の衝撃を覚え、過剰なまでに早くなる動悸に自身の胸元を掴もうとして、アルゲンテウスの背中が阻む。
「ど……どうしたら、アルグ、グリーセオぉ、どうしたらいいの…………お父さん、お母さん…………」
ぴくりとも動かないアルゲンテウスに縋る様にして涙を零すクリスは、アルゲンテウスやツェルダ程の大きな負傷をしていなくとも、精神が限界を迎えたのだと自覚した。
それは奇妙な感覚で、どうしようも無くなって子供の様に泣いてしまう肉体の自分と、そうなった状況を冷静に理解し、然し動く事の出来ない精神としての自分、その両方が重なって存在している様な、そういう感覚だった。
クリスは涙で覆われた視界を閉じ、アルゲンテウスの体を抱いたまま、静かに前傾する。
「……もう、何も出来ないよ…………」
小さな呟きを聞く者は、誰も居ない。
✕✕✕ 10の九
「グリーセオ」
不意に名前を呼ばれ、グリーセオは遠くに凝らしていた目をちらと白銀の女騎士に向けた。
「一つ訊きそびれていた。お前、何故ライガを斬る事に躊躇っていた。真実を話せ」
頬を切る冷たい夜気の如き言葉は、深紅の獅子が青年へと姿を変えたあの瞬間をグリーセオの脳裏に甦らせた。
「…………彼奴は、……今にも泣き出しそうな、そんな目をしていた」
グリーセオが語る中、ハンソーネは何の反応も示さない。
だからこそ、グリーセオは落ち着いて息を吸い、続く言葉を紡ぐ事が出来た。
「――カーニダエ帝国、いや、少なくともカニス族、俺の故郷では、戦士になる者もそうでない者も、幼い頃から、フェリダー共和国の人間は、姿形がそう見えるだけで、その中身は……心は、悪鬼なのだと教えられる。
御伽噺や、少年らを兵士に仕立て上げる為の教育とは違う、戦場に出た者達は皆、本気でそう思ってるんだ。……そう悟ったのは、俺が幼い頃、数え切れない程聞かされたフェリダー共和国の悪行を聞いていた時だった」
グリーセオはそこで区切り、息を吸って、首に巻いた青い布を緩める様に右手で引いた。
「俺が戦場に出るようになってから、俺はそれが半分本当だと、改めて信じたよ。
フェリダーの奴らは正直言って、真面じゃない。いや、フェリダーの戦士は、だ。奴らは、特に戦場に出て来る奴らは正気じゃなかった。
大半が恐怖心を誤魔化す薬を飲んで、その所為で文字通り息の根が止まるまで戦い続け、指揮官はそれを承知で、兵士達を死なせる前提で動かす……!
――憎悪と殺意だけが宿った目をした兵士達が、弓兵の並んだ崖上に、鉈一つ腰に提げて吶喊して来た事だってあった。……なのに、ライガは、見た目こそ人じゃないが、言動は人そのものだった……」
語り続ける中で、グリーセオは自身が冷静さを欠きつつある事を自覚して、瞼を下ろして深く息を吸う。
「…………ハンソーネ伯爵、俺は……俺が戦えなくなったのは、八年前…………帝国の作戦で、共和国の民間人を虐殺したからだ……。何人も、何人も、無抵抗の、前線に送り出される兵士とは違う、怯えたり、怒ったり、俺達と変わらなかった……帝国人と全く同じ人間を、俺が、殺したから…………」
篭手の状態をとった〈マクシラ〉が、グリーセオの震えをハンソーネに聞かせるかの様にかたかたと鳴り、グリーセオはそれを止めたくて首に巻いた布や、外套の裾を握り締めた。
そうして音が僅かに抑えられた中に、俯いたグリーセオの頭上、ハンソーネの方から、軽い金属の擦れ合う音がする。
「……はぁ。お前については、聞かなければならない事が多すぎるな…………いや、帝国について、とも言える。
――グリーセオ、これだけは今、決めてくれ。
この後の戦い、お前の率いた奇襲小隊を援護するこの戦い、お前は参加出来るのか、否かを」
ハンソーネがそう言った後、暫くの間、エクゥルサが砂を蹴る音と、二人の身に付けた金属装備が鳴らす音だけが夜闇に響く。
暗闇の中、焦点を失ったグリーセオは、軈て篭手に包まれた己の右手の平を見詰めた。
グリーセオの手の中には、八年前から、それ以前も含めて、人や生き物を傷付けた感触が反響し続けている。
素手や、篭手越しに殴りつけた鈍い衝撃。
刃物で斬り裂く生きた体の微かにぶるりとした感触。
骨を断つ時の硬さ、衣服を裂く耳障りな質感、鎧を弾く際に受ける抵抗。
投擲物や矢を放った直後、空いた手に訪れる、命を奪ったという手触り。
それらが甦る度、グリーセオはこの世界から消えてしまいたくて仕様が無かった。
それと同時に、殺害の罪悪から逃れてはいけないと、生を強制する責任感の声を聴き。その声に埋め尽くされた奥底から響く、死にたくは無いという本能を聴く。
グリーセオは、どうすれば良いのかも、何をしたいのかも、分からなかった。
だが今は、祖父から――カニス族の長から命じられた罰であり、義務がある。
『選べよ、殺して生きるか、生きる為に殺されるかだ』
其処に思い至って真っ先に脳裏に浮かんだのは、怒りと憂いの綯い交ぜになった瞳で問う、ライガの姿だった。
何故かは分からない、だが、厳格な祖父の冷たい瞳でも、その祖父に忠実に従う父の、どこか焦点の外れた瞳でもない、ライガの真っ直ぐで純粋な瞳は、誰の物よりも生命を感じさせる。
「――グリーセ……おい! お前達! カーニダエだな!?」
ハンソーネが答えを示さないグリーセオに呼び掛けようとして、不意に遠くに声を掛けた。
「聞こえないか! おい! 我々は味方だ! カーニダエ帝国〈第三ナスス駐屯基地〉から来ている!」
グリーセオはハンソーネのその声で左側に身を乗り出して、今正に二十メートル先を横切ろうとする四頭のエクゥルサと、その上に居る四人、いや、五人の姿を見る。
彼らは一様に生気を失っているかのようで、グリーセオは咄嗟に指笛を二度、強く吹き、続けて高く長い音を吹いた。
直後、ハンソーネとグリーセオが乗るエクゥルサ含め、五頭のエクゥルサが急停止の体勢に入り、グリーセオが再び指笛を高らかに吹けば、遠くのエクゥルサが速歩で集合して来る。
「一体……」
ハンソーネが呟く間に、グリーセオは考える間も無く鞍から跳び下り、積荷を乱暴に漁って治療に必要な道具を取り出した。
「おい、クリス、クリス・キュオン! 大丈夫なのか!」
振り向くや否やグリーセオは叫び、呆然と俯いていたクリスが顔を上げる。
「クリス……アルグは、いや待て、ツェルダ? ツェルダ!」
グリーセオの元に集まった四頭の内、二頭の上には意識不明の人間が乗せられていた。
クリスに声を掛けていたグリーセオは別のエクゥルサに顔を向け、鞍の上で伏せてぴくりとも動かない青い布を頭に巻いた男に近寄り、声を掛けて脈を取り、ふらふらと後退る。
「…………ツェルダ」
「グリーセオ、カーニダエには心肺蘇生法は伝わって無いのか」
「いや、伝わってはいるが……」
「やるしか無いだろう。青い布の男は私が看よう。グリーセオ、そっちの青年を」
「あ、ああ……」
エクゥルサから下り、歩み出て来たハンソーネと入れ替わる様にしたグリーセオは、後ろ髪を引かれつつもクリスが跨るエクゥルサへと向き直り、両手を広げた。
「クリス、アルグを。一度下ろすんだ」
グリーセオに言われたクリスは戸惑いを露にアルゲンテウスの体を見回すので、グリーセオは努めて落ち着かせた声でクリスに指示を出し、アルゲンテウスの長身を受け止めてゆっくりと砂原に横たわらせる。
グリーセオは篭手を外し乍らクリスに手伝うように指示して、次いで望洋と此方を見ている兵士達にハンソーネの手伝いをするように指示した。
そうしてやるべき事に集中する中で、グリーセオの心中には一つ、確固たる想いが、常に其処にあり、靄の掛かっていた想いが、姿を見せていく。
(俺は、何よりも、生きていて欲しいんだ。仲間だけじゃない、人は、生きるべくして、此処に在るんじゃないのか)
アルゲンテウスの弱々しい心拍、それを繋ぐ事で、何かを掴める。
グリーセオはそう信じて、手を動かし続けた。
つづく
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