小説「パラレルジョーカー」01後編
はじめに
本作「パラレルジョーカー」には、暴力、暴言、戦争や著しい差別などの描写を含みます。
それに伴い、グロテスクな描写、憂鬱な気分にさせる描写を含む為、苦手な方は本作を読む事をお控え下さい。
また、本作は創作物であり、実在するあらゆるものへの批判や、思想の拡散を目的とした物では無い事をご理解下さい。
前編はこちら。
目次について
本作では本編中の場面転換を軸にnoteの「目次機能」による見出しを付けております。
表記は「 ✕✕✕ 」が場面転換。
その後に付く「 01の零 」など、末尾の漢数字が見出しの番号代わりとしております。
しおり代わりにご活用ください。
今回は場面転換が少ない為、特別に小見出しを設定しております。
01 双刃、発つ(後編)
✕✕✕
蒼穹の頂に立つ太陽で白飛びする、渇き切った大地に顔を顰めて、ライガは宛も無く歩いていた。
初めは軽々と跳び越えていた断崖の裂罅も、今では逡巡も無く迂回する様になり、息絶えて変化に乏しいこの地では方角さえも危うい。
いや、この世界に出たばかりのライガには、何もかも知りようが無かった。
何を求めるでも無く、ただこの場所に息苦しさを覚えて歩き続け、小さな虫を見付けては食い、空腹を凌ぐ。
そうしてふらふらと歩いている内に、真昼を迎えたのだった。
陽に熱された枯れ土を素足で踏み、伸びたままの髪が熱を閉じ込めて頭蓋の中を蒸す。
ライガが身に付けているのは、擦り切れた絝と、剣を包んで背に回した、襷掛けの襤褸布のみ。
直射日光で灼かれた肌はすっかり赤くなり、じりじりと焦がされる様な痛みを訴えている。
誰に向けたものでも無く毒突こうと思い付いても、その気力さえ湧かない熱帯荒野の歩行中に、ライガは微かな声を聞いた。
辺りを見回しても、無辺の大地に声を発する様な存在は見当たらない。
だが、確かに、ライガは人の声を聞いたのだ。
吹き荒ぶ風の声真似では無い。明確に、幾つか――二つ以上の単語を叫ぶ声を。
「嫌! お願い、誰か! 助けて!」
音に集中していた為か、今度こそはっきりと聞こえた。
女の悲鳴。
探り探りに音のした方向へ顔を向け、ライガはやおら駆け出した。
渇いた土を蹴り出して、女の悲鳴に男の声も乗る。いや、もっと居る。四人か五人。感情を顕にした複数の声が響く。
そこに、微かだが風を切る音。
一際大きな女の悲鳴が上がって、それは咽び泣く音に変わっていく。
「とう、ちゃん……?」
今まで聞こえなかった子供の声がして、ライガの心臓が跳ねた。
土を蹴る音に重く低い心音が重なって、ライガの体が内側から深紅の輝きを放つ。
その光は高鳴るライガの心音に合わせて明滅を繰り返して、ライガの体が変化を始めた。
全身の骨格が変形し、駆けるライガは腰を曲げて両腕で地を掻く。
土煙を巻き上げて見る見る内に変貌したライガは、所々から深紅の骨を突き出す四足獣と成って、先程までの倍を超える速さで大地を駆けた。
遥か先で、地平線から迫り上がる様に大きな岩の点在する場所が見えてくる。
「だめ! お願いします! この子は、この子は!」
「ガキだろうが盗人は盗人だ。ガーランドじゃ手を切られる決まり事だ」
「お願いします! お願いします! 私の足で許してください! どうか、どうか……!」
「退け!」
「だめ! いや! コドコド、逃げて! 走って!」
「か、かあちゃん」
「纏わり付くな!」
枝を折る音と共に、女がまた悲鳴を上げた。
その声は幾度となく叫んだ為に嗄れ、すぐに低く小さい呻き声に変わる。
荒屋が建ち並ぶ廃村めいた集落で、不自然な形に歪んだ足を放り出す、両腕の無い女が地面を転がっていた。
「かあちゃん!」
荒野から駆けて来るライガに背を向けたまま、小さな人影が叫ぶ。
少年は地を這う様に女に駆け寄ろうとして、近くの男に蹴り飛ばされた。
容易く宙を舞った、骨に皮を貼り付けた様なその少年を、獣と化したライガは横腹で受け止めて着地する。
四足獣の姿をとったライガの体からずるりと落ちた少年はぱちくりと目を瞬いて、少年と女を囲む軽装の男達は突如として現れた獣に目を剥いた。
赤黒い鬣を揺らし、何かを包んだ襤褸布を背負う痩身の獣が立ち上がり、その姿をするりと人に変えていく。
しかし、ライガの心音は未だに重く響き続けていた。
肚の底から湧き上がる情動で爆発的に燃える心臓から、深紅の光がライガの身体を走り、それは両の前腕より先と膝から下へ集中していく。
全身は人の形のまま、手足の皮膚を突き破って形成する深紅の外骨格を見て、対峙する五人の男達がたじろいだ。
自身の分も含めて砂利を軋ませる足音に眉を跳ね上げたのは、男達の先頭に立つ鉈を手にした者だった。
「ひ、怯むな! 見掛けだけの魔法だ! どこで拾ったか知れねぇが、此奴も盗人に変わりねぇ!」
己を鼓舞する様に大仰に鉈を構える男に、ライガは一歩踏み出す。
ただそれだけの事で、男は悲鳴じみた雄叫びを上げて大上段から鉈を振り下ろした。
ライガはその刃を深紅の前腕で受け止め、素早く滑らせて刺々しい右手で鷲掴みにする。
「……わかんねぇけど…………ああ、オレ、苛々してんだな」
鉈は呟くライガに掴まれたまま、男が押せども引けども動く事は無い。
ライガは足掻く男を見下ろして、彼の首元に左拳を放った。
咄嗟に反応した男は体を仰け反らせてそれを避け、ライガはそこに一歩踏み込む。
外骨格を纏うライガの左前腕が男の首筋に押し当てられて、男は身を固くした。
掴まれた鉈を手放す発想も無いまま静止した一瞬に、ライガの左腕が振り抜かれる。
硬い棘で首を引き裂かれた男は、びくりと体を跳ねさせてから地に落ち、渇いた大地で溺死する。
短い悲鳴は、その場の彼方此方から響いた。
ライガは血に濡れた左腕を見せ付ける様に構えて、戦意を失って後退る残り四人の男達へ向けて駆け出す。
混乱は四人の衝突を生んで、此方側に弾かれた一人の頭を掴んだライガは、彼の脇腹に指を突き入れ肋骨の一つを握り込み、乱暴に揺さぶって首を折り、逃走する三人の前方へと放り投げた。
一人がその死体に躓いて転倒し、一人はそれに驚き戸惑って尻餅を突いて、最後の一人はゆっくりとへたり込み、地面を濡らす。
足を止めた彼等にゆっくりと近付いて、ライガは手近に居た尻餅を突く男を殴り飛ばし、仰向けに倒れたその腹を蹴り破る。
間近に居た為にその返り血を浴びて、失禁した男は茫洋とライガを見上げた。
それ以外の反応は無く、ライガは素早く右の爪で彼の喉を掻き切り、終わらせる。
残った一人はやっとの思いで立ち上がって、呼吸なのか嗚咽なのか分からない声を上げたまま手にしていた細槍を構えていた。
震えて定まらない穂先のまま、男は叫び、我武者羅に槍を突き出す。
ライガはそれを冷静に捉えて左前腕で弾き、掴み、ぐいと引き寄せ様に頭部への蹴りを繰り出す。
凶暴に変化した外骨格を纏うライガの右足が、男の下顎に引っ掛かって、男の頭が宙を舞った。
刎ね飛ばされた首が血の雨を降らせてライガを濡らし、ライガの心音はゆっくりと鎮まっていく。
「かあちゃん、かあちゃん……!」
何時からそうしていたのだろうか。
返り血を浴びるライガが振り返った先で、小さな少年が反応の薄い女に縋り付き、何度も、何度も、呼んでいた。
高鳴る心音を抑えられても、芯からライガを揺さぶる怒りの炎は、勢いを増すばかりだった。
✕✕✕ 01の七
カーニダエ帝国とフェリダー共和国の国境は、大自然が作っている。
フェリダー共和国を北西から南東まで『つ』の字に囲い、雲を裂いて立ちはだかる前人未踏の険峻、グラーツィア山。
氷と雪を斑に纏い、苔の一つも生きる事を許さないこの岩山は、大陸の内陸部からフェリダー共和国へ向けて進む大津波の様な弧を描き、その足下には石と砂の裾野を広げている。
そのグラーツィア山の裾野は、フェリダー共和国の北西からカーニダエ帝国領内にまで食い込み、カーニダエ帝国の豊かな緑とフェリダー共和国の荒野とを南北に切り分ける国境地帯、リトラ砂漠を形成していた。
グリーセオ、クリス、アルゲンテウスの三人が向かう〈オキュラス湖〉は、カニス族の住まうカーニダエ帝国東北東部の密林から更に南東へ進んだ先にある、リトラ砂漠を跨ぐ広大な水溜まりだ。
遙か遠くに滴型のオキュラス湖を望める密林に、〈第三ナスス駐屯基地〉は構えられている。
鬱蒼とした密林の中で暮らして来たグリーセオ達は、これと言った支障も無く三日間の密林旅程を経て、目的地である第三ナスス駐屯基地の周辺に足を踏み入れた。
遠く、木々の隙間から密林の外界である原野の若草が照って、グリーセオは足を速めてクリスとアルゲンテウスよりも少し先を歩く。
何も言わずにそうしたグリーセオに、この三日間で彼からの指示や指南を諦めたクリスは不貞腐れた様に最後尾を歩き、初めからグリーセオの成すが儘にしていたアルゲンテウスは今まで通りの速度で歩き続ける。
そうしてグリーセオが敷地を示す樹木の傷を過ぎた時、眼前に一条の光が差し、一歩の先に音も無く矢が突き立った。
態と足音を立てて停止したグリーセオに遅れて二人は足を止め、五指を開いた右手を挙げたグリーセオは、左腕は横に伸ばしてクリスとアルゲンテウスを下がらせる。
そうする内に見回す密林の中、樹上で矢を番える人影がゆらりと姿を見せた。
「何者だ。此処は皇帝陛下が私領地、踏み入れた者を只で帰す事は無い」
冷徹な女の声は矢を番える人影とは別の方向から響いて、反射的に声の主を探ろうとする両眼を正面に据えたまま、グリーセオはゆっくりと息を吸う。
「私は、グリーセオ・カニス・ルプス。三日前よりカニス族の長より命を受け、独立遊撃部隊として戦の助力をする可く参りました。……どうか、武器を下ろして頂けないか」
自身の声が響いた後に、くつくつと笑う声が小さくしたのをグリーセオは聞き逃さなかった。
近い、声の主は地上に居る。
瞬時にそう理解し、次いで打てる手を想像してしまう己を疎ましく思い乍らも、グリーセオは両手を挙げたままじっと正面の密林を見据えていた。
「ではお前が本当にグリーセオ当人であるかを証明して見せよ。――彼のグリーセオ・カニス・ルプスは篭手に変じる二振りの剣で、幾千もの敵兵を屠ってきたそうではないか」
嗤う女の声に奥歯を噛み締めて、グリーセオは両手を挙げたまま細かく腕を振るい、左右の篭手を網目状の奇怪な剣へと変形させていく。
グリーセオは一瞬だけそれを握り締めて、前方に軽く放った。
密林の腐葉土をくしゃりと鳴らして落ちた二振りの鋼の剣は、黒々とした土の上で木漏れ日を受けて煌めいている。
それを見たのか、今度は先程よりもはっきりと、くつくつとした笑い声が響いた。
「アハハ、これが彼の有名な下賜の双牙〈マクシラ〉か。どうやら本物の様だな……」
女はそこで言葉を切って、密林の最中、いや、グリーセオの傍らにあった樹の裏から、青い裳裾を揺らして現れる。
彼女は口元に遣っていた左手の中をグリーセオに見せ付ける様にして、握っていた半球状の魔法道具――歪曲拡声器を懐に入れた。
「私を声から探そうとしていたな、グリーセオ。古い人間のする事だ。魔法技術は日々進化しているのだよ」
にやにやと笑って語る女に、グリーセオは敢えて姿勢を崩さずに目だけを向けて小さく頷く。
「その様です。戦線を退いた身が役に立つと良いのですが」
言い終えるが早いか、グリーセオは突然襟首を掴まれて女の鋭い碧眼を見せ付けられた。
「役に立つしか無いんだよ、お前は」
笑みを吹き消し侮蔑と苛立ちを隠しもしない女は、グリーセオを弄ぶ様に乱暴に揺さぶって突き放す。
「通すぞ。先遣隊サマのお越しだ。『離れ』に置いてやれ」
樹上へ軽く指を向け、女はその場を後にし、樹上から滑る様に降り立った軽装備の兵士に連れられたグリーセオ隊は、基地の端、樹上に造られた小屋の一つで待機を命じられた。
01の八
手持ち無沙汰な半日を武器や道具の整備に費やしてもまだ声が掛からず、痺れを切らしたクリスは吊り橋を渡って他の建物に向かってしまい、三人が待機するにはやや手狭な小屋にグリーセオとアルゲンテウスが残される形になった。
密林が途切れた先で背の低い植物の支配する緑の丘陵が伸び、夕陽に照らされる川面が幾筋も伸びるカーニダエ帝国領の更に先に、傾いた陽で深い影を落とす広大な砂漠が広がり、その中に滴型の黒々としたオキュラス湖の一部が見える。
そういう景色を一望出来る広庇に立って、手摺に両手を突くアルゲンテウスのすらりとした背中を室内から見ていたグリーセオを、アルゲンテウスは肩越しに振り返った。
「こうしてるとさ、何だか嘘みたいだよ。此処で長閑に暮らしていくんじゃないかって思えるね」
口端を上げて言ったアルゲンテウスの顔は、グリーセオからは見えない。
だが、普段よりも幾らか明るいその声でアルゲンテウスの表情を想像したグリーセオは、眩い光から目を背ける様に壁際に置いた愛剣を見た。
「……まだ遅くないさ。夜に乗じて、フランゲーテにでも逃げればいい。彼処は寛大な国だって有名だ」
深刻に発したグリーセオの言に、アルゲンテウスは片眉を上げてから屋内へ体を向けて、手摺に肘を掛け凭れる。
「俺に帝国とカニス族を捨てろって? グリーセオもクリスも見捨てて? 馬鹿言うなよ。――あ、もしかして冗談だったか?」
軽い口調に徹して言うアルゲンテウスに、グリーセオは革手袋越しに首筋を掻く。
その仕草を見て、大袈裟な溜息を吐き出したアルゲンテウスは、広庇と屋内を区切る框を潜った。
「アンタもう呆けてんのか? カニス族を出た時に言ったろ、俺は俺の意思で着いて来たんだって。なぁ?」
グリーセオよりも数センチ高いアルゲンテウスの目を見て、グリーセオは静かに瞳を閉じる。
その沈痛な表情に、アルゲンテウスはがしがしと頭を搔いた。
「……呆けてるは言い過ぎたな。ごめん。――でもさ、グリーセオが二年前に何があったか知らないけど、これは好機だろ。成人前から功績上げて来た〈カニス族の若き英雄〉は、こんなんで終わる珠じゃ無いだろ」
「……アルグ、やめてくれ…………」
絞り出した声は、震えていた。
憧れに満ちるアルゲンテウスの声が、耳鳴りに似てグリーセオの頭蓋の内側にまで突き刺さる。
その場に耐え兼ね、グリーセオは身を翻して小屋の出入口へ向かった――その時だった。
小屋の木戸が勢い良く押し開かれ、把手に手を伸ばしかけたグリーセオは素早くそれを躱す。
木戸が開かれた先で息を切らして立つのは、クリスだった。
「グリーセオ、アルグ、外見た!?」
「え? いや、さっきまでは」
「伝令! 巡回の一人が帰って来た! 奇襲だ!」
クリスの声で、グリーセオとアルゲンテウスの目の色が変わる。
素早く装備を整え、得物を手にする二人に倣ってクリスも愛刀を腰の裏に差した。
「ほら、言ったろ。好機だ。俺達が此処に来たのはちゃんと意味があるんだって」
「喋ってる暇は無い。行くぞ」
アルゲンテウスに冷たく言い返したグリーセオは、駆け足で小屋を後にする。
「なんなんだよ、あいつ」
木戸が閉じるや否や言ったクリスの肩に、アルゲンテウスは手を置いた。
「俺らの頼れる英雄」
「気安く触んな」
心底不快そうに言うクリスに手を弾かれて、アルゲンテウスは自身の手を摩り乍ら苦笑した。
「やりづれぇなぁ、もう」
オキュラス湖を望む密林外周にある駐屯基地の建物は、その殆どが樹上八メートル前後の位置を起点として建てられている。
それらは蜘蛛の巣宜しく張り巡らされた吊り橋で繋がっており、グリーセオは橋を揺らして手近な大きい樹に渡って、クリスとアルゲンテウスが小屋から出た時には柵に括り付けられた縄梯子を解き始めていた。
「いいか、かなり揺れるから一人ずつだ。素早く降りろ。――クリス、場所は?」
早口に指示を飛ばし、クリスに問うグリーセオは、答えを待つ数瞬の内に周囲を窺う。
「南。駱駝で迂回して来たって」
「よし、俺が先に降りるから、クリスは二番目、先導してくれ。アルグ、お前は後方を頼む」
話す内に柵を跨ぐグリーセオを見て、アルゲンテウスは何度か瞬く。
「警戒すんの?」
「奇襲は始まってる」
それだけ答えて、グリーセオは縄梯子を飛ばし飛ばしに降りて行った。
ふわりふわりと三回、縄梯子を揺らして湿った土に降り立ったグリーセオは、地上で周囲を警戒している。
それに続くクリスも、グリーセオよりは時間が掛かったものの素早く密林に降り立ち、アルゲンテウスは「なんで二人とも慣れてるわけ?」と愚痴を零しつつ、やっとの思いで先を走るグリーセオ達の背に追い着いた。
「クリス、アルグ、敵の情報が少ない内は此方から手を出すな。俺がまず仕掛ける。いいな」
走り乍ら言うグリーセオに、クリスは大きく頷いて見せ、アルゲンテウスは「はい!」と声で答えた。
「良い返事だ。戦いが終わるまで二度とするな」
冷え切ったグリーセオの声に、アルゲンテウスは頬を引き攣らせる。
それは、笑みの形に。
01の九
密林を駆けて数分、グリーセオ達は金属のぶつかり合う剣戟の音を聞いて、身を低くして植物の陰を渡り、断続的に続く音の源を見た。
武器を手に入り交じる戦闘の最中でも、カーニダエ帝国の人間は直ぐに見分けられる。
特徴的な青色の装飾品を身に付け、金属の装備を最小限にした戦士がそれだ。
そして、四人の巡回兵を分断し、六人で圧倒している金属も服も全てを黒く塗り潰した装備が、フェリダー共和国の人間。
「クリス、巡回兵の数は」
「え、よ、四人」
「違う、元の」
声を潜め、早口に言うグリーセオに、クリスは気圧された様に瞬きを繰り返す。
「確か、じゅ、十人。二人やられて、一人が基地に来たから……七人いる、はず」
「――まずいな、先に行く。お前達は伏兵を見つけろ。俺が二人殺す内に見つからなければ来い。残った奴等の退路を塞げよ」
素早く言い切り、グリーセオは混戦の最中とは別の方向へ駆け出して茂みの中に飛び込んだ。
残された二人は慌ててしゃがんだまま背中合わせになり、首を巡らせる。
「ねぇ、アイツ、戦えるの?」
クリスの問いに、アルゲンテウスは小さく肩を竦めた。
「たぶん? 今は肚が決まってんじゃないの?」
「……なんだよ、それ」
密林の最中に黒を探す二人は、軈て響いた男の悲鳴に顔を振り向けた。
十人が止め処無く動き続ける混戦の最中、二振りの鉈の一つを振り上げた大男を目掛けて、グリーセオは駆け出した。
揺れた茂みの音に振り向いた大男とは別のフェリダー共和国の戦士には目もくれず、グリーセオは両の篭手を展開して剣に変え、挟み込む様に大男の右腕を斬り飛ばす。
一瞬遅れて、突然の痛みに大男が悲鳴を上げ、離れた右腕が宙を舞う最中、彼の背中を左側から掬い上げる形で心臓を貫いたグリーセオは、その感触に顔を歪めつつも次の標的を定めて走り出す。
背後の「がぽ」と、粘度の高い濡れた声を聞き乍ら駆けるグリーセオに応戦する可く、長い枝に鉈を括り付けただけの、粗雑な槍を振り向けた左利きの男を睨み据える。
槍を引き、今まさに突き出さんとする男との距離を詰め、グリーセオは迫る穂先に対し男の左腕側に大きく跳んでそれを躱し、着地と同時に湿った土を爪先で蹴り上げた。
土塊を顔面に喰らい、仰け反る男の喉元を左の剣で掻き斬り、グリーセオは瞬時に右の剣を篭手に戻す。
「貰うぞ」
早口に呟いて、首から上の痛みに藻掻く男から槍を引っ手繰ったグリーセオは瞬時に辺りを見回した。
大まかに二塊に分かれる残った八人の中で、小刀を右手に握り締め、青い腰布を巻いた巡回兵に掴み掛かる黒衣の男を見留めたグリーセオは、黒衣の男の腹に目掛けて槍を投げた。
かぉん、と軽い音がして、グリーセオの投げた槍がフェリダー共和国の戦士に弾かれる。
投げ槍を阻止した大振りの鉈を右手で構え直し、グリーセオの攻撃に備える男は、グリーセオの背を見て目を見開いた。
彼が槍を弾いたその瞬間にはもう、グリーセオは走っていたのだ。
槍を投げた相手でも、それを阻止した男でも無い、瞬時の判断で撤退を始めたもう一塊の二人へ。
素早く小刻みに右手を振り、グリーセオの篭手が再び剣に変わる。
密林を走る二人の内、一人が慄く様にそれを見て、グリーセオは標的を決めた。
振り向く事無く逃げる小柄な男。
黒い金属の鎧を随所に身に付けた二人に、革鎧を中心とした軽装備のグリーセオが追い付けない筈も無く、グリーセオは間合いを見定めて左の剣を大きく振るう。
擦れ違い様に後背から腹を斬り裂かれ、体勢を崩した小柄な男には見向きもせず、グリーセオは数歩先を走るもう一人の男に血飛沫を飛ばす。
それが彼の目に入る事は無かったが、恐怖に駆られた精神に止めを刺すには充分な一手だった。
走る男は足を縺れさせて、茂みの中に頭から突っ込む。
そこに、間も無く追い付いたグリーセオは右の剣を突き立て、小さな悲鳴を最後にフェリダー共和国勢の希望は途絶えた。
顔を上げた先で、黒衣の一人を殺し、もう一人に畳み掛けようとする巡回兵らを見たグリーセオは、小さく息を吐き出して顔の汗を拭う。
「殺すな! 尋問に掛ける!」
グリーセオの怒号を聞き、巡回兵達の動きが変わった。
怯える男を囲って退路を断つ陣形――グリーセオの意図通りに動く巡回兵達を胸中で褒め、しかしグリーセオはその事実に唇を噛む。
「また、俺は……戻るのか…………」
グリーセオが呟き、よろよろと歩むその最中、不意に夕日の差す方角から光が趨った。
光の発した元、密林の樹上で黒い衣服が揺らめいて、落ちる。
グリーセオはその方向へ駆け出しかけて、ちらりと巡回兵達の方を見遣った。
光は、矢だ。
巡回兵達が囲むフェリダー共和国の男の胸元に、細い矢が突き立っているのが遠くからでも見える。
男はそれに呻き、奇妙に身体を揺さぶっていた。
「退避! 総員退避! 其奴から離れろ!」
直感に従ったグリーセオの叫びが木霊して、囲まれていた男が赤黒い光を宿して膨らんでいく。
戸惑いがちに巡回兵が距離を取ろうとするも、それはもう遅かった。
けたたましい破裂音が響いて、熱風が血混じりの蒸気を纏って四方に吹き荒ぶ。
咄嗟に逆手に持ち換えた剣で前腕を守り乍ら顔を覆ったグリーセオは、再び上げた双眸で血煙漂う密林の中、ゆらりと立つ異形を見た。
痩せぎすの、肉と骨だけで出来た人間大の四足獣。
「オォォォ……」
喉の奥から老人の様な鳴き声を発した赤黒い獣は、首を傾げる様に辺りを見回している。
「クリス! アルグ! 伏兵だ、逃げろ!」
叫び、グリーセオは無意識に剣を構えて駆け出していた。
湿った土を後ろへ蹴り出して、一直線に獣へと。
「来い! 俺はまだやれる!」
愚直に突っ込むグリーセオを見て、獣は重心を下げる。
来る。と感じた時には獣が顎を広げて迫っていた。
グリーセオは反射的に獣の足下へ滑り込み、両腕で防御体勢を取る。
獣の赤黒い腹から高熱を感じはしたものの、その行動は杞憂に終わり、獣はグリーセオを跳び越えて土を踏んで、両者は殆ど同時に振り返った。
並びの悪い牙を剥き唸る獣と対峙して、グリーセオは駆け巡る思考の中から右前方へ駆け出す事を選ぶ。
状況は全くと言って良い程に呑み込めていないが、この獣はフェリダー共和国の男が何らかの魔法によって変化させられた物だ。
――そう推定して、槍を投げた相手も、それを防いだ男も右利きに見えた事を思い出し、獣の左脚側へ回ろうとしたのだ。
走るグリーセオの姿を追って顔を向け、獣は右の前脚を踏み出して構えている。
しかし、獣が跳び掛かる事は無く、走り続けるグリーセオを顔で捉えたまま、その場で大きく顎を開いて見せた。
人の頭を丸呑みに出来そうな柔軟で歪な喉の奥で、男が破裂した時に似た、赤黒い光。
そう認識した直後、グリーセオの視覚は白く飛び、一瞬の空白の後に上半身が熱感に支配された。
強烈な熱を浴び、呻く様に悲鳴を上げたグリーセオは地面に突っ伏す。
ぼやける視界の最中、白変した自身の浅黒い肌を見て、グリーセオは痛む四肢を使ってその場から離れようとした。
が、直ぐに右肩に鈍痛が走り、軽々と地面から引き剥がされる。
獣に噛み付かれ、乱暴に持ち上げられたグリーセオは、そのまま何度も空中で振り回された。
その動きは不意に止み、何処か空中に放り出されて、自身の悲鳴と葉擦れの音と共に地面に叩き付けられる。
苦痛に呻き、薄く開いた右目で辺りを見ようとして、グリーセオの視界に焦げ茶色の革長靴が映った。
「おじさん、大丈夫!?」
頭上から降ったクリスの声を最後に、グリーセオの意識は途絶えた。
つづく
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