見出し画像

小説「パラレルジョーカー」01後編

  はじめに

 本作「パラレルジョーカー」には、暴力、暴言、戦争や著しい差別などの描写を含みます。
 それに伴い、グロテスクな描写、憂鬱な気分にさせる描写を含む為、苦手な方は本作を読む事をお控え下さい。
 また、本作は創作物であり、実在するあらゆるものへの批判や、思想の拡散を目的とした物では無い事をご理解下さい。
 
 前編はこちら。


  目次について

 本作では本編中の場面転換を軸にnoteの「目次機能」による見出しを付けております。
 表記は「 ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕ ‬」が場面転換。
 その後に付く「 01の零 」など、末尾の漢数字が見出しの番号代わりとしております。
 しおり代わりにご活用ください。
 今回は場面転換が少ない為、特別に小見出しを設定しております。

  01 双刃、つ(後編)

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬

 蒼穹のいただきに立つ太陽で白飛びする、渇き切った大地に顔をしかめて、ライガは宛も無く歩いていた。
 初めは軽々と跳び越えていた断崖の裂罅れっかも、今では逡巡も無く迂回する様になり、息絶えて変化にとぼしいこの地では方角さえも危うい。
 いや、この世界に出たばかりのライガには、何もかも知りようが無かった。
 何を求めるでも無く、ただこの場所に息苦しさを覚えて歩き続け、小さな虫を見付けては食い、空腹をしのぐ。
 そうしてふらふらと歩いている内に、真昼を迎えたのだった。
 に熱された枯れ土を素足で踏み、伸びたままの髪が熱を閉じ込めて頭蓋ずがいの中を蒸す。
 ライガが身に付けているのは、擦り切れたずぼんと、剣を包んで背に回した、襷掛たすきがけの襤褸布ぼろぬののみ。
 直射日光でかれた肌はすっかり赤くなり、じりじりと焦がされる様な痛みを訴えている。
 誰に向けたものでも無く毒突どくづこうと思い付いても、その気力さえ湧かない熱帯荒野の歩行中に、ライガはかすかな声を聞いた。
 辺りを見回しても、無辺の大地に声を発する様な存在は見当たらない。
 だが、確かに、ライガは人の声を聞いたのだ。
 吹き荒ぶ風の声真似では無い。明確に、幾つか――二つ以上の単語を叫ぶ声を。
「嫌! お願い、誰か! 助けて!」
 音に集中していた為か、今度こそはっきりと聞こえた。
 女の悲鳴。
 探り探りに音のした方向へ顔を向け、ライガはやおら駆け出した。
 渇いた土を蹴り出して、女の悲鳴に男の声も乗る。いや、もっと居る。四人か五人。感情をあらわにした複数の声が響く。
 そこに、かすかだが風を切る音。
 一際大きな女の悲鳴が上がって、それはむせび泣く音に変わっていく。
「とう、ちゃん……?」
 今まで聞こえなかった子供の声がして、ライガの心臓が跳ねた。
 土を蹴る音に重く低い心音が重なって、ライガの体が内側から深紅の輝きを放つ。
 その光は高鳴るライガの心音に合わせて明滅を繰り返して、ライガの体が変化を始めた。
 全身の骨格が変形し、駆けるライガは腰を曲げて両腕で地をく。
 土煙を巻き上げて見る見る内に変貌したライガは、所々から深紅の骨を突き出す四足獣と成って、先程までの倍を超える速さで大地を駆けた。
 遥か先で、地平線からり上がる様に大きな岩の点在する場所が見えてくる。
「だめ! お願いします! この子は、この子は!」
「ガキだろうが盗人ぬすっと盗人ぬすっとだ。ガーランドじゃ手を切られる決まり事だ」
「お願いします! お願いします! 私の足で許してください! どうか、どうか……!」
退け!」
「だめ! いや! コドコド、逃げて! 走って!」
「か、かあちゃん」
まとわり付くな!」
 枝を折る音と共に、女がまた悲鳴を上げた。
 その声は幾度となく叫んだ為にしゃがれ、すぐに低く小さいうめき声に変わる。
 荒屋あばらやが建ち並ぶ廃村めいた集落で、不自然な形に歪んだ足を放り出す、両腕の無い女が地面を転がっていた。
「かあちゃん!」
 荒野から駆けて来るライガに背を向けたまま、小さな人影が叫ぶ。
 少年は地を這う様に女に駆け寄ろうとして、近くの男に蹴り飛ばされた。
 容易たやすく宙を舞った、骨に皮を貼り付けた様なその少年を、獣と化したライガは横腹で受け止めて着地する。
 四足獣の姿をとったライガの体からずるりと落ちた少年はぱちくりと目をしばたたいて、少年と女を囲む軽装の男達は突如として現れた獣に目を剥いた。
 赤黒いたてがみを揺らし、何かを包んだ襤褸布ぼろぬのを背負う痩身そうしんの獣が立ち上がり、その姿をするりと人に変えていく。
 しかし、ライガの心音は未だに重く響き続けていた。
 はらの底から湧き上がる情動で爆発的に燃える心臓から、深紅の光がライガの身体を走り、それは両の前腕より先と膝から下へ集中していく。
 全身は人の形のまま、手足の皮膚を突き破って形成する深紅の外骨格を見て、対峙する五人の男達がたじろいだ。
 自身の分も含めて砂利を軋ませる足音に眉を跳ね上げたのは、男達の先頭に立つなたを手にした者だった。
「ひ、怯むな! 見掛けだけの魔法だ! どこで拾ったか知れねぇが、此奴こいつ盗人ぬすっとに変わりねぇ!」
 己を鼓舞する様に大仰になたを構える男に、ライガは一歩踏み出す。
 ただそれだけの事で、男は悲鳴じみた雄叫びを上げて大上段からなたを振り下ろした。
 ライガはその刃を深紅の前腕で受け止め、素早く滑らせて刺々とげとげしい右手で鷲掴わしづかみにする。
「……わかんねぇけど…………ああ、オレ、苛々いらいらしてんだな」
 なたは呟くライガに掴まれたまま、男が押せども引けども動く事は無い。
 ライガは足掻あがく男を見下ろして、彼の首元に左拳を放った。
 咄嗟に反応した男は体をけ反らせてそれを避け、ライガはそこに一歩踏み込む。
 外骨格をまとうライガの左前腕が男の首筋に押し当てられて、男は身を固くした。
 掴まれたなたを手放す発想も無いまま静止した一瞬に、ライガの左腕が振り抜かれる。
 硬い棘で首を引き裂かれた男は、びくりと体を跳ねさせてから地に落ち、渇いた大地で溺死できしする。
 短い悲鳴は、その場の彼方此方あちこちから響いた。
 ライガは血に濡れた左腕を見せ付ける様に構えて、戦意を失って後退あとずさる残り四人の男達へ向けて駆け出す。
 混乱は四人の衝突を生んで、此方側こちらがわはじかれた一人の頭を掴んだライガは、彼の脇腹に指を突き入れ肋骨の一つを握り込み、乱暴に揺さぶって首を折り、逃走する三人の前方へと放り投げた。
 一人がその死体につまずいて転倒し、一人はそれに驚き戸惑って尻餅を突いて、最後の一人はゆっくりとへたり込み、地面を濡らす。
 足を止めた彼等にゆっくりと近付いて、ライガは手近に居た尻餅を突く男を殴り飛ばし、仰向けに倒れたその腹を蹴り破る。
 間近に居た為にその返り血を浴びて、失禁した男は茫洋ぼうようとライガを見上げた。
 それ以外の反応は無く、ライガは素早く右の爪で彼の喉をき切り、終わらせる。
 残った一人はやっとの思いで立ち上がって、呼吸なのか嗚咽おえつなのか分からない声を上げたまま手にしていた細槍を構えていた。
 震えて定まらない穂先のまま、男は叫び、我武者羅がむしゃらに槍を突き出す。
 ライガはそれを冷静に捉えて左前腕で弾き、掴み、ぐいと引き寄せざまに頭部への蹴りを繰り出す。
 凶暴に変化した外骨格をまとうライガの右足が、男の下顎に引っ掛かって、男の頭が宙を舞った。
 ね飛ばされた首が血の雨を降らせてライガを濡らし、ライガの心音はゆっくりと鎮まっていく。
「かあちゃん、かあちゃん……!」
 何時いつからそうしていたのだろうか。
 返り血を浴びるライガが振り返った先で、小さな少年が反応の薄い女にすがり付き、何度も、何度も、呼んでいた。
 高鳴る心音を抑えられても、芯からライガを揺さぶる怒りの炎は、勢いを増すばかりだった。

  ‪✕‬‪✕‬‪✕‬ 01の七

 カーニダエ帝国とフェリダー共和国の国境は、大自然が作っている。
 フェリダー共和国を北西から南東まで『つ』の字に囲い、雲を裂いて立ちはだかる前人未踏の険峻けんしゅん、グラーツィア山。
 氷と雪をまだらまとい、苔の一つも生きる事を許さないこの岩山は、大陸の内陸部からフェリダー共和国へ向けて進む大津波の様な弧を描き、その足下には石と砂の裾野を広げている。
 そのグラーツィア山の裾野は、フェリダー共和国の北西からカーニダエ帝国領内にまで食い込み、カーニダエ帝国の豊かな緑とフェリダー共和国の荒野とを南北に切り分ける国境地帯、リトラ砂漠を形成していた。
 グリーセオ、クリス、アルゲンテウスの三人が向かう〈オキュラス湖〉は、カニス族の住まうカーニダエ帝国東北東部の密林から更に南東へ進んだ先にある、リトラ砂漠をまたぐ広大な水溜まりだ。
 遙か遠くに滴型しずくがたのオキュラス湖を望める密林に、〈第三ナスス駐屯基地ちゅうとんきち〉は構えられている。
 鬱蒼うっそうとした密林の中で暮らして来たグリーセオ達は、これと言った支障も無く三日間の密林旅程を経て、目的地である第三ナスス駐屯基地の周辺に足を踏み入れた。
 遠く、木々の隙間から密林の外界である原野の若草が照って、グリーセオは足を速めてクリスとアルゲンテウスよりも少し先を歩く。
 何も言わずにそうしたグリーセオに、この三日間で彼からの指示や指南を諦めたクリスは不貞腐ふてくされた様に最後尾を歩き、初めからグリーセオの成すがままにしていたアルゲンテウスは今まで通りの速度で歩き続ける。
 そうしてグリーセオが敷地を示す樹木の傷を過ぎた時、眼前に一条の光が差し、一歩の先に音も無く矢が突き立った。
 わざと足音を立てて停止したグリーセオに遅れて二人は足を止め、五指を開いた右手を挙げたグリーセオは、左腕は横に伸ばしてクリスとアルゲンテウスを下がらせる。
 そうする内に見回す密林の中、樹上で矢をつがえる人影がゆらりと姿を見せた。
「何者だ。此処ここは皇帝陛下が私領地、踏み入れた者をただで帰す事は無い」
 冷徹な女の声は矢をつがえる人影とは別の方向から響いて、反射的に声の主を探ろうとする両眼を正面に据えたまま、グリーセオはゆっくりと息を吸う。
「私は、グリーセオ・カニス・ルプス。三日前よりカニス族の長より命を受け、独立遊撃部隊としていくさの助力をするく参りました。……どうか、武器を下ろして頂けないか」
 自身の声が響いた後に、くつくつと笑う声が小さくしたのをグリーセオは聞き逃さなかった。
 近い、声の主は地上に居る。
 瞬時にそう理解し、いで打てる手を想像してしまう己をうとましく思いながらも、グリーセオは両手を挙げたままじっと正面の密林を見据えていた。
「ではお前が本当にグリーセオ当人であるかを証明して見せよ。――のグリーセオ・カニス・ルプスは篭手こてに変じる二振りの剣で、幾千もの敵兵をほふってきたそうではないか」
 わらう女の声に奥歯を噛み締めて、グリーセオは両手を挙げたまま細かく腕を振るい、左右の篭手こてを網目状の奇怪な剣へと変形させていく。
 グリーセオは一瞬だけそれを握り締めて、前方に軽くほうった。
 密林の腐葉土をくしゃりと鳴らして落ちた二振りの鋼の剣は、黒々とした土の上で木漏れ日を受けてきらめいている。
 それを見たのか、今度は先程よりもはっきりと、くつくつとした笑い声が響いた。
「アハハ、これが彼の有名な下賜かし双牙そうが〈マクシラ〉か。どうやら本物の様だな……」
 女はそこで言葉を切って、密林の最中、いや、グリーセオのかたわらにあった樹の裏から、青い裳裾もすそを揺らして現れる。
 彼女は口元にっていた左手の中をグリーセオに見せ付ける様にして、握っていた半球状の魔法道具――歪曲わいきょく拡声器をふところに入れた。
「私を声から探そうとしていたな、グリーセオ。古い人間のする事だ。魔法技術は日々進化しているのだよ」
 にやにやと笑って語る女に、グリーセオはえて姿勢を崩さずに目だけを向けて小さく頷く。
「その様です。戦線を退しりぞいた身が役に立つと良いのですが」
 言い終えるが早いか、グリーセオは突然襟首えりくびを掴まれて女の鋭い碧眼へきがんを見せ付けられた。
「役に立つしか無いんだよ、お前は」
 笑みを吹き消し侮蔑と苛立いらだちを隠しもしない女は、グリーセオを弄ぶ様に乱暴に揺さぶって突き放す。
「通すぞ。先遣隊サマのお越しだ。『離れ』に置いてやれ」
 樹上へ軽く指を向け、女はその場を後にし、樹上から滑る様に降り立った軽装備の兵士に連れられたグリーセオ隊は、基地の端、樹上に造られた小屋の一つで待機を命じられた。

  01の八

 手持ち無沙汰な半日を武器や道具の整備に費やしてもまだ声が掛からず、痺れを切らしたクリスは吊り橋を渡って他の建物に向かってしまい、三人が待機するにはやや手狭な小屋にグリーセオとアルゲンテウスが残される形になった。
 密林が途切れた先で背の低い植物の支配する緑の丘陵が伸び、夕陽に照らされる川面かわもが幾筋も伸びるカーニダエ帝国領の更に先に、傾いたで深い影を落とす広大な砂漠が広がり、その中に滴型しずくがたの黒々としたオキュラス湖の一部が見える。
 そういう景色を一望出来る広庇ひろびさしに立って、手摺てすりに両手を突くアルゲンテウスのすらりとした背中を室内から見ていたグリーセオを、アルゲンテウスは肩越しに振り返った。
「こうしてるとさ、何だか嘘みたいだよ。此処ここ長閑のどかに暮らしていくんじゃないかって思えるね」
 口端くちはを上げて言ったアルゲンテウスの顔は、グリーセオからは見えない。
 だが、普段よりも幾らか明るいその声でアルゲンテウスの表情を想像したグリーセオは、まばゆい光から目を背ける様に壁際に置いた愛剣を見た。
「……まだ遅くないさ。夜に乗じて、フランゲーテにでも逃げればいい。彼処あそこは寛大な国だって有名だ」
 深刻に発したグリーセオの言に、アルゲンテウスは片眉を上げてから屋内へ体を向けて、手摺てすりに肘を掛けもたれる。
「俺に帝国とカニス族を捨てろって? グリーセオもクリスも見捨てて? 馬鹿言うなよ。――あ、もしかして冗談だったか?」
 軽い口調に徹して言うアルゲンテウスに、グリーセオは革手袋しに首筋をく。
 その仕草を見て、大袈裟な溜息を吐き出したアルゲンテウスは、広庇ひろびさしと屋内を区切るかまちを潜った。
「アンタもうけてんのか? カニス族を出た時に言ったろ、俺は俺の意思で着いて来たんだって。なぁ?」
 グリーセオよりも数センチ高いアルゲンテウスの目を見て、グリーセオは静かに瞳を閉じる。
 その沈痛な表情に、アルゲンテウスはがしがしと頭をいた。
「……けてるは言い過ぎたな。ごめん。――でもさ、グリーセオが二年前に何があったか知らないけど、これは好機だろ。成人前から功績上げて来た〈カニス族の若き英雄〉は、こんなんで終わるたまじゃ無いだろ」
「……アルグ、やめてくれ…………」
 絞り出した声は、震えていた。
 憧れに満ちるアルゲンテウスの声が、耳鳴りに似てグリーセオの頭蓋ずがいの内側にまで突き刺さる。
 その場に耐え兼ね、グリーセオは身をひるがえして小屋の出入口へ向かった――その時だった。
 小屋の木戸が勢い良く押し開かれ、把手とってに手を伸ばしかけたグリーセオは素早くそれをかわす。
 木戸が開かれた先で息を切らして立つのは、クリスだった。
「グリーセオ、アルグ、外見た!?」
「え? いや、さっきまでは」
「伝令! 巡回の一人が帰って来た! 奇襲だ!」
 クリスの声で、グリーセオとアルゲンテウスの目の色が変わる。
 素早く装備を整え、得物を手にする二人にならってクリスも愛刀を腰の裏に差した。
「ほら、言ったろ。好機だ。俺達が此処ここに来たのはちゃんと意味があるんだって」
「喋ってる暇は無い。行くぞ」
 アルゲンテウスに冷たく言い返したグリーセオは、駆け足で小屋を後にする。
「なんなんだよ、あいつ」
 木戸が閉じるや否や言ったクリスの肩に、アルゲンテウスは手を置いた。
「俺らの頼れる英雄」
「気安く触んな」
 心底不快そうに言うクリスに手をはじかれて、アルゲンテウスは自身の手をさすながら苦笑した。
「やりづれぇなぁ、もう」
 オキュラス湖を望む密林外周にある駐屯基地ちゅうとんきちの建物は、その殆どが樹上八メートル前後の位置を起点として建てられている。
 それらは蜘蛛の巣よろしく張り巡らされた吊り橋で繋がっており、グリーセオは橋を揺らして手近な大きい樹に渡って、クリスとアルゲンテウスが小屋から出た時には柵にくくり付けられた縄梯子なわばしごほどき始めていた。
「いいか、かなり揺れるから一人ずつだ。素早く降りろ。――クリス、場所は?」
 早口に指示を飛ばし、クリスに問うグリーセオは、答えを待つ数瞬の内に周囲を窺う。
「南。駱駝らくだで迂回して来たって」
「よし、俺が先に降りるから、クリスは二番目、先導してくれ。アルグ、お前は後方を頼む」
 話す内に柵をまたぐグリーセオを見て、アルゲンテウスは何度かまたたく。
「警戒すんの?」
「奇襲は始まってる」
 それだけ答えて、グリーセオは縄梯子なわばしごを飛ばし飛ばしに降りて行った。
 ふわりふわりと三回、縄梯子なわばしごを揺らして湿った土に降り立ったグリーセオは、地上で周囲を警戒している。
 それに続くクリスも、グリーセオよりは時間が掛かったものの素早く密林に降り立ち、アルゲンテウスは「なんで二人とも慣れてるわけ?」と愚痴をこぼしつつ、やっとの思いで先を走るグリーセオ達の背に追い着いた。
「クリス、アルグ、敵の情報が少ない内は此方こちらから手を出すな。俺がまず仕掛ける。いいな」
 走りながら言うグリーセオに、クリスは大きく頷いて見せ、アルゲンテウスは「はい!」と声で答えた。
「良い返事だ。戦いが終わるまで二度とするな」
 冷え切ったグリーセオの声に、アルゲンテウスは頬を引きらせる。
 それは、笑みの形に。

  01の九

 密林を駆けて数分、グリーセオ達は金属のぶつかり合う剣戟けんげきの音を聞いて、身を低くして植物の陰を渡り、断続的に続く音の源を見た。
 武器を手に入り交じる戦闘の最中でも、カーニダエ帝国の人間はぐに見分けられる。
 特徴的な青色の装飾品を身に付け、金属の装備を最小限にした戦士がそれだ。
 そして、四人の巡回兵を分断し、六人で圧倒している金属も服も全てを黒く塗り潰した装備が、フェリダー共和国の人間。
「クリス、巡回兵の数は」
「え、よ、四人」
「違う、元の」
 声を潜め、早口に言うグリーセオに、クリスは気圧けおされた様にまばたきを繰り返す。
「確か、じゅ、十人。二人やられて、一人が基地に来たから……七人いる、はず」
「――まずいな、先に行く。お前達は伏兵を見つけろ。俺が二人殺す内に見つからなければ来い。残った奴等の退路をふさげよ」
 素早く言い切り、グリーセオは混戦の最中とは別の方向へ駆け出して茂みの中に飛び込んだ。
 残された二人は慌ててしゃがんだまま背中合わせになり、首を巡らせる。
「ねぇ、アイツ、戦えるの?」
 クリスの問いに、アルゲンテウスは小さく肩をすくめた。
「たぶん? 今ははらが決まってんじゃないの?」
「……なんだよ、それ」
 密林の最中に黒を探す二人は、やがて響いた男の悲鳴に顔を振り向けた。

 十人が止め無く動き続ける混戦の最中、二振りのなたの一つを振り上げた大男を目掛けて、グリーセオは駆け出した。
 揺れた茂みの音に振り向いた大男とは別のフェリダー共和国の戦士には目もくれず、グリーセオは両の篭手こてを展開して剣に変え、挟み込む様に大男の右腕を斬り飛ばす。
 一瞬遅れて、突然の痛みに大男が悲鳴を上げ、離れた右腕が宙を舞う最中、彼の背中を左側からすくい上げる形で心臓を貫いたグリーセオは、その感触に顔を歪めつつも次の標的を定めて走り出す。
 背後の「がぽ」と、粘度の高い濡れた声を聞きながら駆けるグリーセオに応戦するく、長い枝になたくくり付けただけの、粗雑な槍を振り向けた左利きの男を睨み据える。
 槍を引き、今まさに突き出さんとする男との距離を詰め、グリーセオは迫る穂先に対し男の左腕側に大きく跳んでそれをかわし、着地と同時に湿った土を爪先つまさきで蹴り上げた。
 土塊つちくれを顔面に喰らい、る男の喉元を左の剣でき斬り、グリーセオは瞬時に右の剣を篭手こてに戻す。
「貰うぞ」
 早口に呟いて、首から上の痛みに藻掻もがく男から槍を手繰たくったグリーセオは瞬時に辺りを見回した。
 大まかに二塊ふたかたまりに分かれる残った八人の中で、小刀を右手に握り締め、青い腰布を巻いた巡回兵に掴み掛かる黒衣の男を見留めたグリーセオは、黒衣の男の腹に目掛けて槍を投げた。
 かぉん、と軽い音がして、グリーセオの投げた槍がフェリダー共和国の戦士にはじかれる。
 投げ槍を阻止した大振りのなたを右手で構え直し、グリーセオの攻撃に備える男は、グリーセオの背を見て目を見開いた。
 彼が槍をはじいたその瞬間にはもう、グリーセオは走っていたのだ。
 槍を投げた相手でも、それを阻止した男でも無い、瞬時の判断で撤退を始めたもう一塊ひとかたまりの二人へ。
 素早く小刻みに右手を振り、グリーセオの篭手こてが再び剣に変わる。
 密林を走る二人の内、一人がおののく様にそれを見て、グリーセオは標的を決めた。
 振り向く事無く逃げる小柄な男。
 黒い金属の鎧を随所に身に付けた二人に、革鎧を中心とした軽装備のグリーセオが追い付けないはずも無く、グリーセオは間合いを見定めて左の剣を大きく振るう。
 れ違いざまに後背から腹を斬り裂かれ、体勢を崩した小柄な男には見向きもせず、グリーセオは数歩先を走るもう一人の男に血飛沫ちしぶきを飛ばす。
 それが彼の目に入る事は無かったが、恐怖に駆られた精神にとどめを刺すには充分な一手だった。
 走る男は足をもつれさせて、茂みの中に頭から突っ込む。
 そこに、間も無く追い付いたグリーセオは右の剣を突き立て、小さな悲鳴を最後にフェリダー共和国勢の希望は途絶えた。
 顔を上げた先で、黒衣の一人を殺し、もう一人に畳み掛けようとする巡回兵らを見たグリーセオは、小さく息を吐き出して顔の汗を拭う。
「殺すな! 尋問に掛ける!」
 グリーセオの怒号を聞き、巡回兵達の動きが変わった。
 おびえる男を囲って退路をつ陣形――グリーセオの意図通りに動く巡回兵達を胸中で褒め、しかしグリーセオはその事実に唇を噛む。
「また、俺は……戻るのか…………」
 グリーセオが呟き、よろよろと歩むその最中、不意に夕日の差す方角から光がはしった。
 光の発した元、密林の樹上で黒い衣服が揺らめいて、落ちる。
 グリーセオはその方向へ駆け出しかけて、ちらりと巡回兵達の方を見遣みやった。
 光は、矢だ。
 巡回兵達が囲むフェリダー共和国の男の胸元に、細い矢が突き立っているのが遠くからでも見える。
 男はそれにうめき、奇妙に身体を揺さぶっていた。
「退避! 総員退避! 其奴そいつから離れろ!」
 直感に従ったグリーセオの叫びが木霊こだまして、囲まれていた男が赤黒い光を宿して膨らんでいく。
 戸惑いがちに巡回兵が距離を取ろうとするも、それはもう遅かった。
 けたたましい破裂音が響いて、熱風が血混じりの蒸気をまとって四方に吹きすさぶ。
 咄嗟に逆手に持ち換えた剣で前腕を守りながら顔を覆ったグリーセオは、再び上げた双眸そうぼうで血煙ただよう密林の中、ゆらりと立つ異形を見た。
 痩せぎすの、肉と骨だけで出来た人間大の四足獣。
「オォォォ……」
 喉の奥から老人の様な鳴き声を発した赤黒い獣は、首をかひげる様に辺りを見回している。
「クリス! アルグ! 伏兵だ、逃げろ!」
 叫び、グリーセオは無意識に剣を構えて駆け出していた。
 湿った土を後ろへ蹴り出して、一直線に獣へと。
「来い! 俺はまだやれる!」
 愚直に突っ込むグリーセオを見て、獣は重心を下げる。
 来る。と感じた時には獣があぎとを広げて迫っていた。
 グリーセオは反射的に獣の足下へ滑り込み、両腕で防御体勢を取る。
 獣の赤黒い腹から高熱を感じはしたものの、その行動は杞憂きゆうに終わり、獣はグリーセオを跳び越えて土を踏んで、両者はほとんど同時に振り返った。
 並びの悪い牙を剥き唸る獣と対峙して、グリーセオは駆け巡る思考の中から右前方へ駆け出す事を選ぶ。
 状況は全くと言って良い程に呑み込めていないが、この獣はフェリダー共和国の男が何らかの魔法によって変化させられた物だ。
 ――そう推定して、槍を投げた相手も、それを防いだ男も右利きに見えた事を思い出し、獣の左脚側へ回ろうとしたのだ。
 走るグリーセオの姿を追って顔を向け、獣は右の前脚を踏み出して構えている。
 しかし、獣が跳び掛かる事は無く、走り続けるグリーセオを顔で捉えたまま、その場で大きくあぎとを開いて見せた。
 人の頭を丸呑みに出来そうな柔軟でいびつな喉の奥で、男が破裂した時に似た、赤黒い光。
 そう認識した直後、グリーセオの視覚は白く飛び、一瞬の空白の後に上半身が熱感に支配された。
 強烈な熱を浴び、うめく様に悲鳴を上げたグリーセオは地面に突っ伏す。
 ぼやける視界の最中、白変した自身の浅黒い肌を見て、グリーセオは痛む四肢を使ってその場から離れようとした。
 が、ぐに右肩に鈍痛が走り、軽々と地面から引き剥がされる。
 獣に噛み付かれ、乱暴に持ち上げられたグリーセオは、そのまま何度も空中で振り回された。
 その動きは不意に止み、何処どこか空中に放り出されて、自身の悲鳴と葉擦れの音と共に地面に叩き付けられる。
 苦痛にうめき、薄く開いた右目で辺りを見ようとして、グリーセオの視界にげ茶色の革長靴が映った。
「おじさん、大丈夫!?」
 頭上から降ったクリスの声を最後に、グリーセオの意識は途絶えた。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?