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小説「落花生」03

【本作を読む前に】
 「落花生」はダークファンタジーの小説です。
 作中に残酷な表現、グロテスクな表現が一部あるため、苦手な方は読まないようお気を付けください。
 また、こちらは月に一回投稿予定の連載原稿になります。
 挿絵や文庫本風にデザインした「完全版」を後に作る予定であることを、予めご了承ください。
 
 また、上述した完全版では文庫本風にデザインした、画像で読める作品にする予定です。
 そのため、本記事ではルビを振っていません。
 造語などは、前書きにルビを置いておこうと思います。

〈ルビ〉
「花織」かおり   「只」ただ
「迷い人」まよいびと
「巣喰」すぐい   「琥珀流」こはくりゅう
「落涙峰」らくるいほう
「紲海岸」せつかいがん
「終砂漠」ついさばく
「康人」やすひと

​03

 再び花織の部屋をノックした只は、双眼鏡頭のひょろ長い男を連れていた。
 彼は確認の後に扉を開けた花織を見るや、屈み込むように花織を見つめる。
「おや、泣きました?」
 金属継ぎ接ぎの外見からは想像の付かない清涼な声で発された言葉に、花織は隠すことなく顰め面を作る。
「……泣いてません。只さん、この方は?」
 おや、と零しながら姿勢を正す双眼鏡頭は一歩引いて腰を折り、ボウアンドスクレープで礼をする。
「ワタクシ、ニコラオスと申します。本日はお二人と共に落涙峰の視察をと、管理長に仰せつかりました」
 管理長とは康人の事だろうか。
「支度をする物も無いだろう。本は置いて行け」
 花織が考える間に、只が口を開いた。
 頷き、廊下から見えるサイドテーブルに本が乗っているのを確認した花織は部屋の錠を掛ける。
 一階に降りてアパートを出ようとした時、受付の奥から「気を付けてね」となきじんさんが見送ってくれた。
 それに答えたのは花織とニコラオスで、只は何も言うことなく進んで行った。
 本で見た簡略図だと、市街の北東に肢体ヶ原があり、落涙峰は市街から西側に描かれていた。尤も、地獄で方位磁針は役に立たないらしいが。
 昨日歩いた道とは全く別の道を只の先導で歩き、三人は市街から出た。
 肢体ヶ原から広がる草原はまだ良かったと、花織は嘆く事になる。
 市街の西側は大地自体の勾配も然る事乍ら、あちこちに機械や建造物の残骸が転がり、数十分に一度はそれらが土砂崩れを起こして南方に摺れる。
 只も花織も服装は目地の粗い長袖に長ズボン。靴も気が付いた時から履いてはいたが草臥れた革物だ。怪我はせずとも直ぐに泥や機械油であちこちが汚れた。
 汚れに関してはニコラオスもそうだが、彼は合皮らしき装備に身を包んでいるため、踏んだ残骸に顔を顰めるようなことは ―― 顔が双眼鏡で、他に肉体らしい物も無く全身が硬い素材で出来ているため、表情はわからないのだが ―― 無かった。
 地獄の行軍の中、二度の土砂崩れを経てニコラオスは口を開く。
「この辺りは相変わらずですね。落涙峰から流れる物が、こうして南に流れて行くんですよ。知識としてあっても、体験してみると中々すごいでしょう?」
 ふふ、と笑うニコラオスはどういう心情からそう言ったのか。
「ニコラオスさんは、楽しんでいる様に思いますけど」
 花織の言葉にニコラオスは破顔、もとい体をカタカタと揺らして笑った。
「そりゃもう!普段は見張りのお役目ですからね、仕事でも外は楽しいものです」
 見張り。花織が呟くが早いか「あ、それと」とニコラオスは更なる口火を切った。
「ワタクシの事はニコラとお呼びください。敬語も要りませんよ」
「はぁ……」
 曖昧な相槌に、ニコラの双眼鏡が向けられる。
「花織さん、ほら、ニコラって」
 花織は思わず残骸を登りかけた手を止めた。頬が引き攣る。
「ニコラ……」
「どーーも!ニコラです!」
 大仰に両手を広げてポーズを取り、三度目の土砂崩れでニコラの姿が消えた。
 そうして花織とニコラオスだけの声が続く中、急勾配の地帯を抜け、巨岩が転がる岩石地帯に出た。
 只はその中の一つによじ登って二人を引き上げ、その場に腰を下ろす。「少し休むぞ。ニコラオス、ここからはどうだ」
 只は二人のあちこちを見ながら問う。やはりこの人は信用出来るのかもしれない。花織の思考も只の視線も露と知らぬニコラオスだけが、幌を肌蹴て平手で風を送り込んでいた。
「いやぁ、今日見るのは北部ですからね。ここからではどうにも」
 ぱたぱたと手を仰ぎながらもニコラオスが顔を向ける方向、其処にどんな目的があるのだろうか。
 只とニコラオスは花織に理解出来るような、出来ないような会話を続けていた。
 土流量の増加、黒涙は量の割に少ない、コスモポリタンは昨日の段階では確認されていない。花織にはそれらを覚えたての知識で拾うのが精一杯だった。
 只は普段通り真剣な面持ちのままで、ニコラオスはにこやかな声で話を進めている。
 二人の会話が進む中で、時折背後の残骸地帯が流れ行く。
 話の切れ目を見て、花織は口を開いた。
「あの、只さん。私も只さんも、こんな服装でよかったんですか?」
 今更ながらとは言外に付け加えて。
「ああ。康人に言えばマシな物を借りられないでもないが、その分仕事が増える。お前を連れる以上、無理は出来ない」
 只の答えに花織はくすりと笑った。
「只さんって、やっぱり優しい」
 それを見たニコラオスが、どうやったのかぴょうと口笛を吹いた。対して只は花織を睨む。
「お前の所為で、仕事を分割する事になった」
 暫しの間を置いて、トーンの落ちた口笛が響いた。

 巨岩地帯と言えど、落涙峰の麓ではない。
 市街を出て三時間、残骸地帯を抜けて巨岩地帯、足を休めた岩を降りてみるとこの辺りは天然の迷路だった。
 赤黒い岩肌と地面、岩は大きさも形も様々で、花織には只とニコラオスに着いて行くのがやっとだった。飲み食いを必要としないゾンビと、恐らく飲み食い出来ないであろうニコラオス、この三人だからこそ行える強行軍なのだろう。
 そうして巨岩の間を縫って歩く中、ニコラオスがふと歩みを止めた。
 その音に気が付いたのか、先導する只もまた足を止め振り返る。
「鳶が居ませんね……妙だな」
 双眼鏡頭を巡らせて、ニコラオスは空を見る。
 言われて只と、花織もそれに倣い鳥の影を探した。夜空のような闇色の中で、果たして見えるだろうか。
「ほら、やっぱり居ませんよ。岩場に入れば声だけでも聞こえる筈です。只さん、引きましょう」
 声音は普段と変わらずに、それでもニコラオスが本気で言っていると伝わる。只は何度か空と周囲に目を配り、その中で一番高い岩に目を留めた。
「ニコラオス、そこから最低限の情報を見てくれ。花織は岩の下で待て」
 アイアイサーと呟きながらニコラオスは素早く岩に登り、只がそれに続く。
 花織は三メートルの高さを登る二人を見送って、その真下に背中を着けた。
 花織はもちろん、二人にとってもイレギュラーなのだろう。鳶が居ないから何が分かるのか、花織には理解出来なかったが、居るはずの野生動物 ―― 地獄ではコスモポリタンと総称されるそれが見当たらないのなら、付近に異常があるのだとは察せられる。
 だからこそ花織は頻りに首を巡らせた。
 地獄には元々生き物が少ない。生きているのかどうか怪しい植物を除けば、動く物は市街に入るまで見た事がなかった。
 只が花織に渡した本の中には、傘に似た鳥のスケッチと共に、それを蝙蝠鳶と呼ぶと記述があった。人は襲わず、他種を食わず、空を往き鳴き声を響かせる鳶。その他には何が居たか、奇妙なスケッチ達を頭に呼び起こしながら、花織は動く物を探し続ける。
「黒涙が流れています。これは普段通り。川は変化が無いと思います。いや、水量が多くなるかな……ダメですね、事前情報と同じ事しか、ここからでは」
 岩の上からニコラオスの声が届く、只の声は低いため、何を言ったのか花織には分からなかった。
「いけませんよ、私は兎も角お二人はゾンビ、只さん、ここは戻るべきです」
 ニコラオスを説得しようとしたのだろうか、当のニコラオスは引き返す意見を曲げることは無さそうだった。
 それから幾つか言葉が交わされて、二人は花織の元へ降りて来た。
「残骸洲に戻るぞ。ニコラオスの意見を優先する」
 只に従い、花織は頷いた。緊張した面持ちの花織の背を優しく叩き、ニコラオスは「大丈夫です」と言ってくれた。

 同じ道なのか、それともルートを変えたのか。巨岩地帯では判別出来なかった事が、それを抜けて判明する。
 残骸地帯あらため残骸洲と地続きだった来た道と違い、視界の開けた先には少し降りた先で、土砂が絶えずゆっくりと流れる林があった。
 林と言えど、土砂から伸びるのは植物ではなく、電信柱や鉄塔らしき一部分。電線は繋がっていて、それらが土砂に揺られてきしきしと音を立てている。
「流れが早いな」
 岩場から見下ろし、只が言った。ニコラオスは困ったように双眼鏡の頭を掻いている。
「これは下流に迂回しないといけませんね……お二人共、まだ大丈夫そうですか?」
 答え倦ねる花織を見て、只は「まだ時間じゃない」と口にする。ゾンビの活動時間を問われたのだろう。それを聞いてニコラオスは大きく一つ頷いた。
「では回り道しましょう。この様子だと先程通った残骸洲もダメでしょうから、紲海岸に差し掛かりますかね」
 言いつつ歩み始めたニコラオスを先頭に、花織を挟む形で三人は林を横目に歩き出す。
 花織は止め処無く流れる土砂を見つめていた。落涙峰に天から落ちる黒涙と呼ばれる黒い泥水、それが山をのの字に回って流れ、川から土砂へ姿を変えて目の前を流れている。知識として文字で頭に入れた事も、目の前にしてみると脅威としてそこに横たわる。
 土に見えても柔らかいそれは、流砂か沼か、絡め取って足を踏み入れた者を殺す。
 それは同時に地獄に息づく者達にとって等しい法則だ。
 だからこそ、只もニコラオスもこの緩やかな土石流沿いを歩く事にしたのだろう。
 だからこそ、反応を遅らせたのだろう。
 花織の視界の端で黒い物が動いた。ふっと目をやった時にはニコラオスの姿は無く、只が花織の横を駆け抜けて行った。
 花織は遅れて左側の土石流の方へ目を向ける、ニコラオスを下にして人間の子供大の毛皮が蠢きぼうぼうと吠えていた。
「ニコラ!」
 名前を呼ぶことしか出来ない花織を置いて、只は毛皮に飛び蹴りを食らわせる。殆ど同時に膝を入れたニコラオスの力も借りて、黒い毛皮は二メートル程下流へ転がった。
 ニコラオスの手を引き、只は土石流で藻掻く。花織は慌てて二人に駆け寄り手を伸ばそうとした。
「逃げろ!紲海岸だ!」
 叫んだ声は只のものだ。花織が躊躇する間に、毛皮は土石流の上で体を揺らして土埃を立てる。
 紲海岸、この流れの下流、あの毛皮の方向へ。
 恐らく只は正しい事を言った、それでも花織には毛皮がいる方へ駆け出す事が出来なかった。
 四足の獣が、目も耳も無い窪んだ頭を三人に向け、そこだけ人間に似た口で歯を剥いて黄ばんだ唾液を垂らす。
 巣喰、地獄に住まい人を喰らう獣。
 その口腔に睨まれて、花織の膝が笑い出した。只とニコラオスはやっとの思いで一歩、土石流から此方へ進む。その間に黒の巣喰が土石流を走って駆け上がる。
 それを見て花織は恐怖の源を理解した。
 一人では生きられない。
 刹那、情けなくも崩れ落ちるようにして土石流の際に膝と手を着き、只に腕を伸ばしていた。
「道が分かりません!」
 言い訳だった。この川に出たことから、只もニコラオスも正確にこの辺りの道を理解している訳では無いだろう。それでも本で読んだ情報さえあれば、紲海岸から辿って火の街灯に辿り着ける。
 そうと分かっていても、花織は腕を伸ばしていた。距離は足らない、それでも。
 大口を開けて迫る巣喰が、ニコラオスに追い付く。
 只は何も言わずニコラオスの外套を握り締めて花織の方へ向かう。まだ、五歩。
 その時だった、ニコラオスの左腕に巣喰が齧り付く。悲鳴にならない声を上げて花織は土石流に一歩踏み込んだ。岩場に爪を立て、左の腕を伸ばす。只と手を繋げれば。それだけを考えて。
 しかし、二人までの距離はまだ遠い。只も全力で緩い土石流を掻き分けて進む。巣喰の重さに邪魔されて、その歩みは更に遅くなっていた。
 ニコラオスはぎしぎしと体を鳴らしながらも、巣喰の顔の当たりを殴り続けていた。その時。
 しゃこん。
 小さな金属音が響いた。ニコラオスは右手で左の肘辺りを抑えている。その先にある筈のものが無い。
 しかし、巣喰もまたニコラオスの腕を口端にチラつかせながら、自らの引く力で再び転がって行った。
 その間に跳ぶようにして膝まで浸かった土石流を掻き分け、只が花織の腕を掴む。互いに前腕を絡ませるようにして、しかし一息にとはいかず三人は息も絶え絶えに岩場へ上がる。
 巣喰は土石流を巻き上げながら藻掻き苦しんでいた。
「ワタクシの仕込み腕です。早く行きましょう」
 理解は出来なかったが、ニコラオスの説明に取り敢えず頷き、三人は駆け出した。岩場を縫って巣喰の、あるか分からない視界を外れ、下流へ、下流へ。
 駆け抜ける中で花織は左の脚が痛むのを感じた。土石流に揉まれた脚がどうなったのか、見るのも恐ろしい。
「もういい」
 そう只が声を掛けたのは岩石も無くなり砂利道と残骸地帯が入り交じる市街の南西、終砂漠だった。
 ゾンビでも、そしてニコラオスのような金属の迷い人でも息は上がるらしい。三人とも噎せ込む程に呼吸を荒げながら、しかし進む足は止められない。
「どうして下流に巣喰が来たのでしょう」
 ニコラオスの問いに、只は来た道を見遣る。
「土石流の流れに巻き込まれたか、或いは狙いを付けたか。どの道あそこはダメだ。熊型じゃどうしようも無い」
 巣喰はその外見で動物に例えられる。あれは熊型の中でも小さい部類だろう、それが細身とは言え二メートル近いニコラオスを吹き飛ばすほどの力を持っていた。
 目にも留まらぬ内に土石流へ突き落とされた瞬間を思い出し、花織はまた足が震え出すのを感じた。
「早く市街に戻るぞ。落涙峰の視察として充分だろう」
 どういう訳か流れる汗を拭い、只はまた歩き出した。花織を追い抜きかけて、足を止める。
「お前、その脚……」
 只の目は花織の左脚に向けられる。膝から下のズボンは流れ着いた海草のように所々が破れ、血で汚れている。花織は庇うように屈んだ。
「い、痛いですけど、大丈夫です。歩けます。擦り傷だけみたいですから」
 実際走りを止めてから触れて確認してみれば、あちこち傷だらけだったが深い傷では無かった。痛みも我慢できない程では無い。
 だが、足を止めた只は徐に上着を脱いで破りだした。
「血はこれで止める。転べば危険だ」
 細くした上着を叩く只は、見れば身体のあちこちに直線的な琥珀流が走っていた。上着を脱いで上だけ裸になった只の体は、服の上からでは分からなかったが引き締まっている。残骸洲でも難なく歩いていたのだから考えてみれば当然なのだが、花織はその体を見て何となく視線を逸らした。
 その視線の先にはニコラオスが居て、ウエストポーチから出しかけた白い布を仕舞う所だった。
「脚を出せ」
 花織は言われるままに左脚を差し出し、只がいつも以上の深刻そうな顔で傷口を覆う姿を見つめていた。
 終砂漠に勾配は無い。闇色に閉ざされた世界とはいえ、広く見晴らしのいいこの場所は、見渡せば先程のような巣喰を見逃すことは無いだろう。再び歩き出した三人の内、花織とニコラオスは行きと同じように話していた。
「ニコラ、腕は……仕込みって?」
 花織の問いにニコラオスは肘から先のない左腕を上げる。
「ワタクシ、地獄に来てから器械でできた体になったようでして、先程のように自切出来るんですよ、肘と膝から先だけですが」
 へぇ、と眉を顰めて相槌を打つ花織に、ニコラオスはぶんぶんと左腕を回して見せた。
「それに自切する時は棘が出ます!人の頃は出来ない芸当!ひと月もすれば……まあ体感ですが。それ位でまた生えてきます」
 花織は驚き、ニコラオスの顔を見た。
 迷い人とは、何らかの形で明確な生前 ―― これも只の本に記述されていた表現だが ―― を持って、人とは掛け離れた肉体で地獄に現れる。
 彼ら迷い人はゾンビとは違う。帰る所を、待っているであろう人を知っている筈だ。
 だからこそ、楽しげに話せるニコラオスに驚きを隠せなかった。
「折角ですから、生きていられる内は楽しまないと」
 花織の心を察したのか、ニコラオスは肩を竦めて優しくそう言う。
 ひとつ頷いて、花織は話題を変えた。只にも話題を振り、簡潔な答えを楽しみにする。
 話しながら歩くうちに、紲海岸に出ていた。
 市街の南部を蛇行する海岸は、黒い波が打ち寄せ、砂浜と岩礁入り交じる潮の香りが濃い場所だ。波打ち際を遠目に見ながら、三人は市街に向けて歩いた。
 花織の左脚はもう痛みを訴えない。
 きつく巻き付けられた只の上着が、少し温かかった。

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