小説「パラレルジョーカー」07
はじめに
本作「パラレルジョーカー」には、暴力、暴言、戦争や著しい差別などの描写を含みます。
それに伴い、グロテスクな描写、憂鬱な気分にさせる描写を含む為、苦手な方は本作を読む事をお控え下さい。
また、本作は創作物であり、実在するあらゆるものへの批判や、思想の拡散を目的とした物では無い事をご理解下さい。
01話はこちら。
目次について
本作では本編中の場面転換を軸にnoteの「目次機能」による見出しを付けております。
表記は「 ✕✕✕ 」が大きな場面転換。
その後に付く「 01の零 」など、末尾の漢数字を見出しの番号代わりとしております。
例外として、長い節にも小見出しによる区切りを付ける場合がございます。
しおり代わりにご活用ください。
07 双刃、見える
敵を射つ。為すべき事はそれだけだが、瞳は忙しなく駆け回る。
砂を蹴って猛然と迫る赤黒い獣が、左手――真北に三頭、進む先から迫り来るのが二十頭余り。
進行方向と交わる様に北北東から来る獣は、グリーセオとツェルダが積極的に炸裂矢で減らして尚、二十頭だ。
そして、不気味に此方を観察している、砦の外壁上に立つ人影。入り乱れて数は分からないが、未だに赤黒い獣を嗾ける以外の行動を起こさない。
(何れ、何れを射てば良い……!?)
焦燥感に追い立てられ乍ら、クリスは視界の左隅で赤黒い影が大きく動いたのを見逃さず、弓を引き絞りつつ体を向けた。
真北から迫る三頭の内一頭が、〈スナド戦線基地〉の馬防柵を射つ奇襲小隊の後続に顔を向けたのだ。
素早く狙い澄まして放った矢が、速度を上げた獣の口中に突き立って体勢を崩させ、獣は砂漠を転がり乍ら爆発する。
それを見て息を吐き、矢を取り出そうとした右手が空を掴んだ。
「クソッ」
毒突いて再び身を捩り、エクゥルサの積荷から矢の束を矢筒に入れ、指に挟んでおいた一本をそのまま番える。
乱れた集中を瞬き一つで吹き消して、クリスは真北から迫る獣に目を移し、その眼が溢れんばかりに見開いた。
残る二頭がほんの一瞬、一直線上に重なった其処に、アルゲンテウスの放った矢が翔け抜けたのだ。
何方も急所を射抜かれて力無く砂原を転がり、クリスの眼前でアルゲンテウスが背筋を伸ばす。
「北側の奴等は終わった! 前からのに集中して!」
口調こそ頼り無いアルゲンテウスだが、その技量を目の当たりにしたクリスは、青地の革手袋が軋む程に拳を握り締めた。
自責の念は、前方から迫り来る獣の集団に視線としてぶつけて、荒い息を繰り返す。
「こんなんじゃ、ダメ……」
小さな声は、九頭のエクゥルサの足音に掻き消えた。
✕✕✕ 07の二
丸一日と、幾らか。
久方振りに地面を踏んで、よろめき、ライガは両腕ごと胴体を縛る鎖を引かれた。
「来い。仕事だ」
短い髪の女騎士――トラゲに鎖を引かれて、ライガは石造りの外壁に囲われた広場を歩かせられる。
クロー高原の地下から這い出して、凡そ五日間。コドコドと歩いた一晩と一日を除き、殆ど飲まず食わずで過ごしていたライガの足元は覚束無い。
ふらふらと体を揺らし、膝を突こうにもトラゲに引き起こされて、ライガは外壁間を繋ぐ石造りの塔の中へと導かれた。
「お待ちしておりましたよ、トラゲ隊長。それと――ライガ」
昼下がりの日光を反射して煌々と目を眩ませる砂地や石壁から一転、涼しい空気が通る塔の中で、黒い仮面越しに顔中の火傷痕を覗かせる男が笑う。
「この先暫く、彼がお前の上官を務める。スナド・ル・フィッシャーだ。再三の注意になるが、身の振り方には気を付けろよ。ライガ」
朦朧とする意識でライガが男を観察する最中にトラゲは語り、スナドと紹介された男は机から離れて、床に置かれていた麻袋の紐を解きだした。
「トラゲ隊長、彼は食事も水も取っていないのではないかな? それではこの後の戦いに期待出来ない――」
言い乍ら傍らにあった陶器を手に取り、麻袋の中から乾いた穀物を掬い上げたスナドは、顔を上げて付近の部下を呼ぶ。
「二人前だ。ライガに食わせろ」
それだけ言って部下に器を手渡したスナドは、麻袋の紐を縛り、ライガとトラゲに向き直った。
「さて、ライガ。君には腹を満たし次第、直ぐに外壁の上に行って貰う。
作戦と呼べる程の複雑な事は無いよ。これから……大方、正午を過ぎた頃だと思われるが、カーニダエ帝国の小隊が此処に攻め入る。
当然、我々は領内への侵入を許すつもりは無いが、少数とは言え長年我が国を苦しめている宿敵が差し向けた者達だ。万が一に備えて、君をこの城砦の正門に配置し、敵が来た場合にはそれを討って貰いたい。
――出来るね?」
口頭で説明を終えたスナドを睨み、ライガは催した吐き気を細い息として体外に逃がす。
スナドの声音から、彼の言葉に幾つもの嘘の気配を聴き取ったライガは、スナドを見下ろす様に顔を上向けた。
「その作戦で、戦いに関係無い奴が何人死ぬんだ? 織込み済みなのは分かんだよ。オレを使うつもりなら、嘘を混ぜるな」
苛立つライガが言い終えるや否や、風を切る音と、複数の金属が擦れ合う音がして、ライガは咄嗟に身を捩ったものの、撓る鎖に左頬を打たれた。
鎖は唯当たるだけでは無く、波打って左頬から長い髪に隠された項を強かに打ち、肉を削り去る。
「――これは暫定的な仕置きだ。後程、コドコドにも同等の痛みを与える。肝に銘じておけよ」
鋭い痛みに屈み、ぼたぼたと血を零すライガはトラゲを横目に睨み返した。
何時の間にか取り出した分銅鎖に付いた血を、手袋で刮ぎ落とし乍ら束ねるトラゲは、ライガの鋭い目を見て「まだ足りんか」と問う。
遅蒔き乍ら考えの甘さを噛み締めたライガは、舌打ちをして背を伸ばし、スナドに向き直った。
目を向けた先のスナドは、黒い仮面越しに瞳を輝かせてライガの傷口に見入っている。
「素晴らしい…………いや何、君の再生能力は話には聞いていたのだが、ハハ。まさか、こんなにも速いとは」
焦げ付く様に痛むライガの頬は、通常の代謝とは異なり、周辺の組織が伸びる様に塞がっていくのだ。
左頬の傷が塞がり行く様を見るスナドは、無意識に右手を己の仮面に這わせて、掻き毟る様に動かす。
「ライガ、お前は……忌々しい傷という物とは無縁なのだな」
無遠慮に見入って呟くスナドの瞳孔のどす黒さに、ライガは腸を撫で回される錯覚を覚えて目を逸らした。
(殺しをやる方がマシってか)
胸中に呟き、ライガは瞑目する。
「…………ああ、そうだ」
言外に『思い出した』と付け加えんばかりの声は、スナドの物だった。
「ライガ。一人だけ、要注意人物が居るんだよ。いや、優先的に討って欲しいと言うべきかな。
名を、グリーセオ・カニス・ルプスと云う、強力な個人だ。――聞いた事は?」
「……無い」
痛みの引いた左頬の血を肩で拭い、ライガは答えた。
「生きていたのか……?」
驚きを口に出したのはトラゲだ。
スナドはそれに仰々しく頷いて見せて、右の指先を仮面に触れさせる。
「凡そ五年間、いや、帝国の新兵は十五かそこらの歳で戦場に出る事から、十年余りやもしれん。ともかく、八年前まで最強の名を恣にして、忽然と姿を消した若き……いや、若かりし将兵が、件の敵小隊を率いている恐れあり。との事」
仮面を弄り乍ら歩き、スナドはライガに背を向けたまま石造りの天井を仰いだ。
「この〈スナド戦線基地〉は、嘗ての強敵を討ち、オキュラス湖を防衛――いや、その先の〈第三ナスス駐屯基地〉をも落とし、貴重な水源を確保せねばならんのだ……」
かりかりと黒い手袋越しに仮面を掻く音を響かせて、スナドは忌々し気に言う。
ライガは耳障りな音と声色を努めて意識の外へ追いやり、口を開いた。
「その『グリーセオ』なんたらを殺せば、攻め込めんのか」
ライガの問いに、スナドは肩を揺らす。
「くくく、いや、そう一朝一夕では利かないな。ただ、容易くはなる。
そうだなぁ…………約束しよう、グリーセオ・カニス・ルプスを討てば、二月で〈ナスス〉を落とし、三月目には水源に防衛拠点を築くと」
「そうなれば――」
言い止して、ライガは傍らのトラゲを睨んだ。
「コドコドを解放してもらう」
ライガの目を見返して、トラゲは鼻で笑った。
「何処まで餓鬼なんだ。水源を取れば次は隣接した帝国の領地、延いては都市を落とし、この戦争が終わる迄だ。それ迄、お前の役割は終わらない」
「オレが言ってんのはアイツを戦争に巻き込むなって話だ!」
「呆れて苦笑も絞り出せんな。我が国の子らは皆、戦士だ。方法は違えど全国民が『打倒カーニダエ帝国』の礎だ。
――野良畜生のお前は忘れてしまったのであろうが、コドコドは自ら志願して戦士と成った。彼の終わりもまた、戦争の果てか、戦場での死のみ。他に無い」
トラゲが言い募るに連れて、ライガの心音が鳴り響き、行き場を失った力は鎖を軋ませる。
「……トラゲ殿、良いではないですか。オキュラス湖の水源を確保し次第、えー……コドコド? 彼だか彼女をそれから一年、監視下で平民と共に暮らして頂く、という事で」
「何を言う」
「いやいや、勿論ライガには当初の働きをして貰いますとも。然し、こうも意欲に関わるのでしたら、コドコドを――その居場所を守る為に戦ってもらう。
――それでは不満かな、ライガ」
スナドの声音に漂う嫌な気配と、甘い言葉の響き。
ライガは迷い、そして、視線を彷徨わせた果てに、スナドの嘘臭い笑みに歪んだ目を見た。
「……オレも、試してやるよ。お前が詐欺師かどうか」
唸る様に発されたライガの言葉に、スナドは笑顔で頷く。
人の笑顔に吐き気と怖気を催す事もあると、ライガは初めて知った。
✕✕✕ 07の三
奇襲小隊と真っ向から衝突せんとする赤黒い獣の群れに、幾筋もの矢の雨が降る。
炸裂する焼夷剤付きの矢は、獣や砂原に突き立っては爆炎を巻き上げるも、恐怖を知らない獣共は火を纏い、同胞の破片を被り、砂煙を受けても突き進んで来る。
奇襲小隊との距離は縮まる一方で、先頭集団の接触迄にはもう十秒と無かった。
隊列の最先端を駆けるグリーセオは左手で弓を襷掛けにしつつ、右腕を小刻みに振るい乍ら天に突き上げる。
「総員、抜剣!」
グリーセオが叫んだ時には、篭手から短剣へと変貌した〈マクシラ〉の一振りがその右手に握られていた。
「応!」
後方から響く隊員らの声を聞き、グリーセオは冷静に獣の集団を見詰めて右手の剣を握り締める。
視野は広く保ち、一番に動く獣を見極めて、顎を広げて跳び掛かる獣を迎え入れる様に、横薙ぎの斬撃。
上顎から上を切り離され、慣性に乗って迫る獣の体を見る事無く右脚で蹴り飛ばし、次に迫る獣を見据える。
先頭を駆ける獣共は、我関せずと言わんばかりに奇襲小隊の後続に顔を向けていた。
それを見て取るが早いか、グリーセオは左手に握る手綱を引いてエクゥルサの針路をやや左に曲げ、手綱を右手に持ち直し、一頭の獣と擦れ違う瞬間――左脚で獣を蹴り上げてから振り払う様に左の篭手で殴り飛ばす。
グリーセオが左手に篭手の状態で嵌めているもう一振りの〈マクシラ〉は、切断こそ出来ないものの、鱗の様に手の形に沿う刃の部分が獣の喉元を抉り、獣は血を撒いて転げて行った。
しかし、グリーセオは予想通りの出来事には目もくれずに次の獣へとエクゥルサを走らせる。
赤黒い群れの中を駆け乍ら、左右から挟み込む様に跳び出して来る獣を見逃さず、グリーセオは左腕を振るい、手綱は鞍に置いて両手に二振りの短剣を備え、大上段に構えた。
半秒か、それ以下か、左右の獣ら夫々との間合いを測り、左腕を先に振るい、その勢いに任せて右脚を伸ばして右から跳び掛かって来る獣の胸を捉え、右手に握る剣で首を刎ねる。
両腕を引き戻し乍ら正面を見据え、真正面から迫る獣に対してはエクゥルサの首を叩いて攻撃の指示を出し、左側で突如として向きを変え迫る獣を斬り払った。
当初二十頭と思われた獣の集団は、後から次々に増援を送り込まれ、眼前に凡そ三十――過ぎ去ったものも含めれば五十頭余りの猫科を思わせる異形が、血と涎を垂らして駆けて来ている。
背後からは悲鳴か気合いか、複数の叫び声がエクゥルサと獣の咆哮に混じっていた。
(一頭でも多く……!)
言い聞かせる可く胸中に叫び、グリーセオは体重を掛けてエクゥルサを蛇行させ、左右の剣で確実に獣を仕留めていく。
十秒か、二十秒。
赤黒い獣の集団、その最後尾の一頭を斬り捨て、グリーセオはエクゥルサを転身させて振り返った。
すぐ近くに居るのは、クリスともう一人、〈第三ナスス駐屯基地〉の兵士だけ。
残りは百メートル以上後ろでエクゥルサの足を止め、三十頭近くの獣共と混戦状態にあった。
「戻るぞ!」
二人に叫び、エクゥルサを走らせる。
付近で男女の声が応じた、その瞬間だった。
エクゥルサとは異なる、鋭く砂を蹴る音を聞き漏らさず、グリーセオは肩越しに振り向き、叫ぶ。
「前!」
兵士より速く振り向いたクリスが、深紅の稲妻――いや、そう見紛う程の速度で駆け、跳び掛かった獣の突進を受けて、エクゥルサから引き剥がされた。
「お前はツェルダを助けろ!」
顔も見ずにたじろぐ兵士へ指示を飛ばし、砂原に落ちたクリスの上で鬣を揺らす深紅の獅子へエクゥルサと駆けたグリーセオは、距離を見計らって鞍から跳び立ち、獅子に蹴りを入れんとする。
しかし、獅子は瞬時にクリスの上から跳び退いてそれを躱し、ゆらりと重さを感じさせない身の熟しで砂原に下り立った。
「クリス! 大丈夫か!」
「なんとか……」
クリスが声を出せる状態であるのを確認して、グリーセオは何処からとも無く現れた深紅の獅子を注視する。
これ迄の赤黒い獣との違いは、静止した姿を見れば一目瞭然だった。
猫科の生物を思わせる骨格こそ似てはいるものの、筋骨隆々とした外骨格状の組織に覆われた体付きは勿論、獅子を思わせる鬣を持ち、更には背に細長い物を包んだ襤褸布を負っている。
背に負った其れに気が付けば、深紅の獅子が下半身に履き物を身に付けている事にも気が付けた。
(別物すぎる)
そう思う刹那の間にも、グリーセオの口は言葉を紡ぐ可く息を吸っていた。
「お前、人間なのか」
自ら問うておき乍ら、平生では苦笑してしまうだろうその言葉に、グリーセオは目を背けていた事実に戦慄する。
黄昏時の密林、目の前で破裂して姿を変えたフェリダー共和国の兵士。
〈スナド戦線基地〉の外壁上で蠢き、落下の最中に破裂して姿を変えた黒衣達。
そして眼前の、人間を思わせる微々たる要素を残す、深紅の獅子。
(全部そうだろう……!)
胸中で己を叱責するかの如く叫び、グリーセオは奥歯を噛む。
「――おまえが」
その声の主が、深紅の獅子であると気が付く迄、数秒を要した。
獅子はグリーセオの目の前で肉や骨の軋む音を立て乍ら、ゆっくりと後肢で立ち上がり――いや、人へと変じていく。
骨格が獅子の物から人へ。首元を覆う鬣は後ろに回る様に長い赤髪へ。胴を含めた手脚は真っ赤な外骨格状の組織に覆われたままだが、立ち上がった獅子は、深紅の長髪と瞳を持つ青年へとたった数秒で姿を変えた。
「グリーセオ……カニス、ルプス、か」
名を呼ばれたグリーセオが最も驚いたのは、獅子が、いや、彼が言葉を発したからでは無い。
十数メートル離れた先からでも分かる程、彼が憂いに満ちた瞳を向けて来たからだった。
自身の手が震えている事に気が付いたのは、構えた剣が僅かに残った篭手の部位と擦れ合う音を聞いてから。
グリーセオはそれを隠す様に左足を前に出し、襷掛けにしていた弓を放り投げてクリスを庇う姿勢を取った。
「クリス、離れてろ」
背後に居るクリスに言って、息を吸う。
「……そうだ。俺が、カーニダエ帝国、カニス族の戦士。
――グリーセオ・カニス・ルプスだ」
✕✕✕ 07の四
言い淀んだのは、そして、敵兵に声を掛けてしまったのは、彼が真に仲間を思って行動したのだと、その目を見て悟ったからだった。
そうで無ければ、全速力で駆ける動物兵器から跳び下りるという危険な行為は選べない。
そうで無ければ、仲間を襲っているその隙を突き、より効率的な攻撃をすれば良い。
グリーセオ・カニス・ルプスであると認めた壮年の男は、獣の姿をとったライガが噛み付き、肩の肉を抉った若い女兵士を庇い、臨戦態勢を取っている。
――守る為に他者を斬る。
彼に対する『同じかもしれない』という直感を押し殺して、ライガは背に負った襤褸布へ手を伸ばした。
「……お前、何の為にこんな、痩せっぽちの国に攻めてきた」
ライガの動きに合わせて双剣の構えを変え乍ら、グリーセオは眉を顰める。
「…………帝国が、背後を取られない為に」
睨み合い、苦々し気に言ったグリーセオからは目を離さぬまま、ライガは右手で襤褸布に包まれた柄を握り、襷掛けにしていた襤褸布を外骨格に覆われた左手で引き裂き、その破片と共に布を投げ捨てた。
「カーニダエがフェリダーを受け入れない理由は? お前は知ってるのか」
ライガの問いに、グリーセオは眉を跳ねさせる。
「何を、言っている……お前は――」
「フェリダーの英雄。ライガ」
困惑と驚愕の色を見せたグリーセオに溜め息を吐き出して、ライガは剥き身になった柘榴色の歪な長剣〈コルヌ〉をその場で振るった。
風が荒れ、砂原を穿つ程に巻き上げて、ライガは心音を高鳴らせる。
「グリーセオ・カニス・ルプス、お前を……討つ」
言い終え、グリーセオが構えた刹那、ライガは全力で砂地を蹴って跳び出し、十七メートルの距離を一跳びで詰めてグリーセオの足元をコルヌで薙ぎ払った。
しかし、グリーセオは既の所で最小限に跳び上がり、双剣を揃えて叩き下ろす。
ライガはそれを外骨格に覆われた左前腕で受け止め、体勢を変え乍ら押し返し、グリーセオを空中へと押しやった。
「っぐ」
ライガの膂力に体が軋んだか、小さく呻いたグリーセオを睨み、コルヌを突き上げる。
グリーセオは其の刺突を左の剣で受けつつ脚を屈めて回転を加え、着地しようとした。
その落下地点に、ライガは左の回し蹴りを打ち込む。
目算通りにグリーセオの腹へ向かった蹴りは、しかしもう一方の剣に弾かれて狙いを逸れた。
その勢いを利用してライガは剣を引き、回転力を足してグリーセオに叩き込む。が、その刃もまた右の剣で防がれ、着地したグリーセオは息付く間も無くコルヌの剣身を滑る様に迫り来る。
左の剣によるグリーセオの斬撃は速い。
半ば背後を取られ、腕の動きが間に合わないと瞬時に断じたライガは、右の肩甲骨辺りに意識を向けた。
がぁん、と金属がぶつかり合う音がして、ライガの右肩付近から伸びた深紅の棘が、グリーセオの斬撃を受け止める。
驚きにぴくりと顔を引き攣らせたグリーセオは瞬時に跳び退り、ライガはゆらりと向き直る。
「お前じゃ殺れねぇよ」
ライガの声に、グリーセオは弾む息の最中に苦笑した。
「どうかな」
来る、と感じた瞬間にはグリーセオの姿が迫り、ライガは右脚を踏ん張って力任せの袈裟斬りを放つ。
人の域を軽く超えて、風より速く迫る赤黒い長剣を、グリーセオは双剣でほんの少しだけ触れ、受け流した。
一秒未満の其れにライガが目を見開いた瞬間にはもう、グリーセオはコルヌを掴むライガの右手を踏み台に跳び上がり、ライガの頸へと双剣を振り下ろして来る。
(さっきよりもッ!)
ライガの強い心意に呼応し、背部の外骨格が右寄りに迫り上がった。
だが、グリーセオはそれを予期していた様に張り出した外骨格を踏む。
足場にした勢いを借りて空中で縦回転をしたグリーセオの双刃が、ライガの首、その左半分を外骨格の隙間を縫う様に滑り込んで、斬り裂いた。
「がっ、ぼ……ッ!」
傷口から喉の中へ溢れた血液を吐き出し、ライガは咳き込んだ。
揺らぐ視界で、グリーセオが振り向こうとしている。
ライガは仰け反る体を突っ張って右腕を振り上げようとして、しかし、グリーセオの双剣によって抑え込まれていた。
(何をしてる、コイツ)
「ライガ、お前、無理矢理戦わされてるのか!?」
疑問と殆ど同時に発された声に、ライガは一瞬、硬直した。
(何故、いつ、どれで、まずい――コドコド)
硬直の最中に曖昧な言葉が駆け巡り、ライガは霞む視界のまま左腕を突き出してグリーセオの顔面を鷲掴みにする。
「だまれ! 死ね! 糞がッッ!!」
叫び、力を込め――ライガの体は唐突に弾き飛ばされた。
いや、右手側、間近で起きた爆発に吹き飛ばされたのだ。
「グリーセオ! クリス!」
若い男が叫ぶ声。グリーセオの呻き声。立たねば。そう思い砂地に突こうとした左手が空を掻き、ライガは砂原に顔面から突っ込む。
慌てて剣を握った右手で上体を起こし、体勢を整える間に、左腕の肘から先が無い事に気が付いた。
次いで、揺らぎ霞んでいた視界が戻るにつれ、六、七メートル先に三人分の影を認める。
一人は先程グリーセオが退かせた女。グリーセオは彼女に肩を借りる形で立ち上がろうとしている。
そしてもう一人、鋼鉄製の弓に、何かを括り付けた矢を番えてライガに向ける青年の男。
(アイツの弓矢か)
胸中で情報を整理し、ライガは砂原に目を走らせて、離れた位置で砂に埋もれた深紅色を見付けた。
(アレじゃ軽く付けるのも無理か……なら――)
自身の再生能力を勘定に入れて次の手を決めたライガは、コルヌの刺々しい柄頭を自身の左腕――その傷口に押し付け、更に深く押し込んでいく。
「ぐ、ぅぅうううああああああ!」
痛みに叫び乍ら、意識を左腕に集中して絡まる様に伸ばした外骨格で柄を固定する。
その狂気的な行動に目を見開いて、青年が矢を放った。
しかしその判断は遅く、ライガは振り払った剣の腹で矢を逸らす。
乱れた深紅の鬣の下から三人を睨み、ライガは肩で息をしつつ左腕の剣をグリーセオに向けて突き付けた。
「グリーセオ、お前ら、纏めて、ブッ殺す……!」
気合いと共に息を吐き出し、ライガは一直線に駆け出す。
狙うは弓兵の青年。その脇、グリーセオの居ない方へ疾走し、顔面を捕らえんと開いた右手が、弓――では無く、刃を掴んだ。
(剣にも成るってか……ッ!)
内心で毒突き、構わず押し出した右腕で青年を吹き飛ばす。
ライガの速度に対応出来なかった青年は押し飛ばされる儘に宙を舞い、走り続けるライガはそれに追い付いて左腕の剣を構え、振り抜く直前に押し留められた。
「クッッッッソがぁぁ!」
怒声を撒き散らし、砂原に突き立てた刀でコルヌを押し留めた女を左脚で蹴り飛ばす。
虚を突かれた女は蹴りに目を向けたものの、ライガの外骨格を纏った左脚に弾き飛ばされ、砂埃を巻き上げて転がって行った。
吹き飛ばした青年へ向き直った先では、ふらふらとし乍らも弓を分離させて二振りの刀へ変じた武器を構える姿がある。
舌打ちをして、ライガは歩み、視界の端で揺れた青い布に素早く振り返った。
「速いなッ」
そう呟いたグリーセオが振り抜く剣を右前腕で受け止め、ライガは背後を取らせまいと回る。
深紅の右腕と短剣で鍔迫り合い、隙を探り合う中に、ライガは右脚で蹴りを繰り出した。
それを察して跳び退るグリーセオへ、駆ける。
視界の端には常に青年を入れていた。
矢の持ち合わせは無いのか、二刀を手に近付こうとして攻め倦ねているのが見て取れる。
対してグリーセオは、ライガの牽制を去なし乍らも思惑に気が付いたのか、青年の姿を自身で隠す様に立ち回る。
(やりづれぇなぁ、クソッ)
一人で複数を相手取る事には慣れている自負があったライガは、己の経験不足に奥歯を噛み、グリーセオへ大振りの斬撃を振り翳して距離を取らせてから、砂地に座り込むほど深く屈んだ。
その行動を見るなりグリーセオが駆け出し、ライガはそれを冷静に見て距離を測り、跳び上がる。
〈スナド戦線基地〉の外壁上に届き得る程の跳躍力で空中に身を踊らせたライガが見詰める先は、やや遅れて上空へ焦点を合わせた青年。
力を込めて引いた右腕でぎちぎちと音を立てて外骨格が蠢き、細かな棘が外皮から抜け落ちようとする刹那、ライガは青年に向けて右腕を振るった。
青年の元へ駆けて行くグリーセオも、這う様に砂原を動く若い女も、ライガが飛ばした棘に追い付ける速度では無い。
青年は呆然と、そしてはっとした様に両手に握る剣を振るって、直後、彼の足元の砂に小さな穴が穿たれた。
✕✕✕ 07の五
深紅の流星群が夕陽に染まり行く空を駆け、一人の青年に降り注ぐ。
「アルグ!!」
叫び、伸ばした手の先で、アルゲンテウスはほんの一瞬、何事も無かったかの様な顔をして、しかし、その体には革鎧をも貫く小さな穴が幾つも開けられていた。
「グリー、セオ」
呟き、アルゲンテウスは血の粒を上げて砂原に倒れる。
グリーセオが彼の傍らに膝を突くのと同時に、離れた位置に大きな物――ライガが着地する音が響いた。
「アルグ、アルグ! 大丈夫か!?」
「グリーセオ、あいつが、まだ」
掠れていくアルゲンテウスの声に迷い、グリーセオは彼がライガを見詰めている事に気が付く。
「おじさん! 来る!」
遠くでクリスが叫ぶ。
逡巡は、一瞬の瞑目で押し潰して、グリーセオは振り向き様に左手の剣を突き出した。
がじゃ、と奇怪な音が響き、左手の〈マクシラ〉とライガの柘榴色の長剣が噛み合う。
「ッッライガァ!」
怒声を上げ、グリーセオは左脚でライガの剣身を蹴り飛ばし、揺らぐライガへ左右の短剣で止め処無い斬撃を振るった。
しかし、ライガの外骨格状の組織に守られた肉体には有効打足り得ず、刃が触れる側から受け流されていく。
グリーセオはそれでも止まらなかった、斬撃に加えて蹴りも混ぜ、ライガを押し出す様にアルゲンテウスから距離を取らせる。それだけを目的にした猛攻は先ず、ライガの右手に左の剣が握り止められ、次いで繰り出した右の斬撃はライガの左腕と一体化した剣に噛み合わせられて止められた。
両腕を封じられ、蹴りに転じようとしたグリーセオの顔面に、ライガの頭突きが叩き込まれ、グリーセオはだらりと体勢を崩す。
「おい、グリーセオ、そんなモンかよ、テメェ」
意識が途切れて頽れそうになった両脚を必死に踏ん張り、グリーセオはライガを見上げて睨み返した。
「何を、言っている……!」
身を捩り、ライガから離れようとするも、ライガが長い両腕を広げてそれを封じられる。
「ここまで戦える奴が! 八年も何してやがったっつってんだッ!」
怒りを露にして叫ぶライガに、再び頭突きを食らって、グリーセオは額から流れる血で左目を塞がれた。
「テメェみたいな奴が、ノロノロと戦争を長引かせるから――」
ライガが意図不明な言葉を紡ぐ最中、グリーセオは敢えて右手に握る〈マクシラ〉――ライガの長剣に封じられた刃へと目を遣る。
それに気が付いたライガは瞬時に〈マクシラ〉と噛み合わせた左手の剣を捻り上げ、グリーセオはその動きに従って右手を小刻みに振るった。
右手から伝わる振動が短剣――〈マクシラ〉を構成する無数の部品を震わせ、それらが剣身を這う様にグリーセオの右手に向かい、ライガの長剣から抜け出して瞬く間に篭手へと変じる。
「なに」
ライガが驚きに声を上げた刹那、グリーセオは鋼の篭手に覆われた右拳を彼の頬に叩き込んだ。
顔から生えていた細かな深紅の外骨格が砕け、仰け反ったライガは然し、右手で掴んだ〈マクシラ〉を離してはくれない。
グリーセオはそう認識して直ぐ様ライガの懐へ入り、右脚を大きく振るって全身を捻り、脚を掛けつつライガを引き倒した。
砂を巻き上げて背中から地に落ちたライガに馬乗りになり、グリーセオは右拳を振るう。
顔面に二度食らわせ、ライガが左腕で顔を守れば、比較的に外骨格の薄い脇腹へ鋼の拳を叩き込んだ。
深紅の装甲が砕け、血が滲み、グリーセオはそれに目を見張るも即座に次の拳を振るう。
ライガが苦悶の声を上げ、血飛沫が破片と共に舞う中、グリーセオは肚の奥にへどろが降り積もる様な気分がして堪らなかった。
だから、グリーセオは幾度目とも知れない拳を振り上げ、しかしそれを果たせず、ライガの左腕に押し込まれた黒い柄へと伸ばした。
柄を握り締め、ライガの顔を露にさせて尚、其れを引き抜く様に引っ張り続ける。
「ライガ! お前が何を思っているのかは知らない! それを知る余裕も、知ってどうする事も出来ないだろう!
――だから、俺はお前を此処で」
降り積もるへどろを吐き出す様に叫んで、言い掛けた刹那、グリーセオは不意に右腕を引かれて咄嗟に奥歯を噛み締めた。
ライガと砂地から引き剥がされ、ほんの一瞬宙に浮かされたグリーセオは、腕を引いた男の意図を察して砂原を駆け、思い切り砂を蹴り出して目の前のエクゥルサに跳び乗る。
「グリーセオ! 退くぞ!」
グリーセオを引き上げたのはツェルダだった。
ツェルダはそう言ってエクゥルサを全速力で走らせる。
状況は後ろを振り向いてから悟った。
ツェルダが駆るエクゥルサに遅れて後方から駆けて来るのは、三頭のみ。その背に乗るのは、〈第三ナスス駐屯基地〉の兵士一人づつと、一頭のエクゥルサにアルゲンテウスを庇う様に乗せたクリスだ。
その更に後方からは砂埃を上げて赤黒い獣が迫って来ている。
「奴等に……」
「違う、それもあるが、伏兵が追い付いて来やがった! 絶望的だぜ、マジ……!」
焦燥に駆られて言うツェルダの後ろ姿を見遣り、グリーセオは再び後方を振り向いた。
戦場に目を走らせて数秒、赤黒い獣とは別――南西の方角から弓を携えて駆ける、駱駝に乗った黒衣の一団を認める。
「……ツェルダ、弓を貸してくれ」
「落ちんなよ!」
左の剣を振るって篭手に戻し乍ら言ったグリーセオの言葉に、ツェルダは直ぐさま右肩に掛けていた弓を手渡し、次いで鞍に括り付けられた矢筒を外して寄越した。
其れ等を受け取ったグリーセオは、大きく揺れるエクゥルサの上で反転し、弓を構える。
一射は奇襲小隊の真後ろに付いて離れない獣の集団へ放ち、もう一射は駱駝の騎兵との直線上、砂原へ向けて放った。
何方もグリーセオの思惑通りに爆炎と砂煙を巻き上げて、しかし、赤黒い獣達は構わずに突っ込んで来る。
ちらと見た〈スナド戦線基地〉の外壁は、漸く真東に差し掛かった頃合いだった。
つづく
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