見出し画像

小説「落花生」07

【本作を読む前に】
 「落花生」はダークファンタジーの小説です。
 作中に残酷な表現、グロテスクな表現が一部あるため、苦手な方は読まないようお気を付けください。
 また、こちらは月に一回投稿予定の連載原稿になります。
 挿絵や文庫本風にデザインした「完全版」を後に作る予定であることを、予めご了承ください。
 
 また、上述した完全版では画像で読める作品にする予定です。
 そのため、本記事ではルビを振っていません。
 造語などは、前書きにルビを置いておこうと思います。

〈ルビ〉
「花織」かおり   「只」ただ
「康人」やすひと
「迷い人」まよいびと
「巣喰」すぐい   「琥珀流」こはくりゅう
「落涙峰」らくるいほう
「紲海岸」せつかいがん
「終砂漠」ついさばく
「雷没岩盤」らいぼつがんばん​


07
 
 サミュエルは市街の外縁に立ち、手にした松明の炎で棘だらけの体を白から赤に染めて立っていた。
 麓森から負傷した一団が出てくる度、目を凝らしてまほろの長い黒髪を探す。
 まほろは殆ど人の形をしている。その白い体の関節と関節の間に穴が空いた、サミュエルとは対極の姿形。何度もサミュエルの棘 ―― いや、牙だらけの体を抱き締めてくれた優しい体。
 それを見逃していた。
「ただいま」
 花織の肩を借りて引き摺られる只が通り過ぎ、それに少し遅れて生え際が隠れない程に髪を短くしたまほろが、火傷まみれの顔で複雑そうに微笑んで目の前に立っていた。
 サミュエルが浅く繰り返す呼吸と、震えて擦れ合う全身の牙の音が騒がしく共鳴する。
 言葉も声も無く、サミュエルは立ち尽くしていた。
「サム?」
 申し訳なさそうな、それでいて慈愛を湛えた黒目の無いまほろの眼を見て、サミュエルは自然と足が退るのを止められない。
「サム、私だよ、まほろ。ただいま」
 何度も、何度も見てきた、まほろが両手を広げる仕草。ハグを求める仕草。サミュエルはそれから逃げるように後退りかけて、尻餅を突いた。
 両足にサミュエルの体である骨の白と異なる、柔らかく硬い白が纏わり着いていた。
「貴方、相変わらず脚が後ろ向きに付いているのね」
 まほろの後から歩いて来ていたらしい南瓜頭。その姿にサミュエルはまた震え出した。
「と、灯籠……」
「恋人は大切にしなさい」
 それだけ言って通り過ぎ様にサミュエルの足に飛ばした蝋を回収し、南瓜頭のジャックはその場を後にした。
 市街の外縁、静かな常闇の草原にはサミュエルとまほろだけになり、長いような、短いような沈黙を置いて、まほろは尻餅を突いたままのサミュエルに抱き着いた。
「ただいま」
 サミュエルの耳元に潤んだ声。彼の胸中には幾つもの感情が湧き出したが、最も強かったのは安心だった。
「おかえり」
 震える声は蚊が鳴く程で、震える手でまほろを抱き締めようにも力は入らない。
 それでも、まほろは力強くサミュエルの体を繋ぎ止めてくれた。

 只を引き摺って歩く市街、花織の目の前に白衣の一団が立ち止まった。
「麓森の負傷者ですか!ここで診ます、寝かせて」
 早口に捲し立てた白衣の蛙男は花織を手伝って地面に只を寝かせ、他の人々に指示を飛ばして人員を分ける。
 蛙男と白衣の女性ゾンビはあっという間に只の応急手当を行い、何事かを用箋挟に書き込んでその紙を引き千切って畳み、花織に渡してきた。
「まだ運べますか?」
 蛙男に問われ、花織は頷きつつ折り畳まれた紙を外套のポケットに仕舞う。
「彼はまだ生きています。病院で安静にさせます、受付にそれを渡して下さい」
 素早く明瞭に話し終えた蛙男は立ち上がり、市街の外縁へ跳ぶ様に駆けて行く。白衣の女性ゾンビも花織に只を担がせる手伝いをしてその後を追って行った。
 彼らと入れ違いに追い付いてきたのはジャックだ。彼女は花織に交代を申し出てくれたが、花織は只の手を離すのが怖くて断ってしまった。
 ニコラオスは一足先に役場に向かい、情報を伝えるべく別れている。
 花織はジャックと並んで歩き出して、はたと気が付いた。
「ジャック、ごめんなさい、病院の場所はわかる?」
「古い記憶になるけれど、恐らく」
「お願いします」
 花織に頷き、ジャックは少し先を歩く。初めはゆっくりと歩いていたが、花織が速く歩くのに歩幅を合わせてくれた。
 市街の灯りが電気の物に変わる。炎よりも強く闇を払う光。
「ジャックは、地獄に来て長いの?」
 不安を紛らわす為に花織は口を開いた。ちらりと見上げた先の南瓜頭は考えるように顎を引いている。
「……そうね。二十年か、もっと居るのかもしれない」
 言って南瓜頭を上に向ける。星も無い闇空に、かつての記憶を浮かべているのだろうか。
「一時、私もこの市街に身を寄せていたわ。けれど、色々と考えて落涙峰の北側に移り住んだの。岩と川に守られた場所に、この体の蝋と黒涙から流される物を使って家を建てて、そこに」
 麓森で出会った時、花織はジャックに冷淡な印象を受けていたが、語る声音の温かさに安心感が芽生えていた。
「あの白い塊は、蝋?」
「そう。私は此処で言う迷い人で、身体が不安定な蝋と炎になっちゃった」
 南瓜頭を傾げて言うジャックに続く声を掛けようとして、道を曲がる様に言われる。
 花織は途切れた会話を続けることにした。
「だから身体を覆っているの?」
 花織の問いにジャックは「ああ」と南瓜頭を摩る。
「これは……頂き物よ。お世話になった人からの。素顔は落ち着いてから見せてあげる」
 南瓜頭の三角形の眼窩、その奥で輝く青い瞳が細められていた。何処かが痛むような、哀しみを湛えた目。
 その目は花織を先導するべく前に出たことで見えなくなる。
「……私のこの服も、服屋さんや役場の人達に頂いたんです。大切にするつもりだったけれど、汚しちゃった」
 真剣に話し出したものの、花織は少し誤魔化すように笑った。そうしないと涙が零れそうだった。
「物を大切にするのって難しいよね。ただ仕舞い込むだけだと忘れてしまうし、手元に置きすぎても何れ汚したり、壊したりしちゃう」
 ジャックは今まで以上に優しい声音で、しかし先を行く背中は寂しげだった。
「只さんとこの服を買った時、只さんは二ヶ月保てば良いって言ってたんですよ」
「それはいつ?」
「二日前」
「それは……随分と濃密な二日間だったわね」
 ジャックが苦笑する声がして、花織の顔には笑みがこぼれる。
「ジャックは何処から来たか憶えてる?」
 訊かれて、ジャックはまた少し考え込むような仕草を見せた。
 背の高いジャックの背中は依然として小さく見える。
「……生まれはイギリスよ。田舎町が故郷で、日本に留学してたの」
 話を聞きながらあの世界の地図が思い浮かび、花織は不思議な気持ちになった。
「留学して、一人暮らしをしていて……ある日、地獄に堕ちた」
 迷い人はあの世界に生きていた人間だ。彼らは死せずしてこの地獄と呼ばれる場所に引きずり込まれる。只の本にはそう書かれていたと思う。
「不思議ね。懐かしいのに、作り話みたい」
 軽率に聞いてしまった事を謝ろうと吸った息は、声にならなかった。ここで謝る事もまた酷い事だと思えて、花織は少し俯く。
「それにね」
 言って、ジャックが肩越しに花織を見た。
「私はもう、あの世界に帰りたいとは思わなくなった」
 どうして。声はか細く足音に消されそうになる。
「此処はあの世界よりも苛酷かもしれないけれど、彼処に居た時よりも私らしく居られる。そう思えたから」
「迷い人なら、そう言えるだろうな」
 ぐ、と肩に力が掛かり、花織は只の顔を見た。
 汚れた顔に走る琥珀流は輝きを取り戻し始めていて、只は険しい目でジャックを睨んでいる。
「おはよう。病院まであと少しだから ―― 」
「アンタが肌で感じている世界を、俺達は知らないんだ」
 ジャックの声を遮り、只が一人で歩こうとするのを花織は半ば強引に引き留めた。
「只さん、酷い状態なんです。安静にしてください」
 思い出したように息を荒くする只の体重を引き受け、そこからは三人とも黙して歩いた。
 花織は一度だけ、地面を睨んで歩く只を見た。
(どうしたんだろう……)
 不安から浮き上がる言葉を呑み込んで、真っ白な病院に入っていく。
 清潔なホールは疎らに人が集まり、薬品の香りが強かった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?