「死、堆く」小説:PJ20

  はじめに

 本作「パラレルジョーカー」には、暴力、暴言、戦争や著しい差別などの描写を含みます。
 それに伴い、グロテスクな描写、憂鬱な気分にさせる描写を含む為、苦手な方は本作を読む事をお控え下さい。
 また、本作は創作物であり、実在するあらゆるものへの批判や、思想の拡散を目的とした物では無い事をご理解下さい。

 01話はこちら。

  目次について

 本作では本編中の場面転換を軸にnoteの「目次機能」による見出しを付けております。
 表記は「 ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕ ‬」が大きな場面転換。
 その後に付く「 01の零 」など、末尾の漢数字を見出しの番号代わりとしております。
 例外として、長い節にも小見出しによる区切りを付ける場合がございます。
 しおり代わりにご活用ください。


  20 死、うずたか

 五つ目の爆薬を投げ、また少し、巨人の外皮をがす。
 しかし、大猿に似た巨人はれを意に介する様子も無く突き進み、マリアンヌを追って駆けていた。
「効かねぇってのは分かってんだよ、クソッ!」
 吐き捨てつつも、マリアンヌは積荷から新たな爆薬を二袋取り出して、其れを紐の両端に結び付ける。
 鎖の代わりに麻紐あさひもを、分銅ふんどうの代わりに爆薬を付けた、即席の玉鎖たまぐさりだった。
「外れてくれんなよ、即席……!」
 焦燥感しょうそうかんに背をむしられる思いをこらえて、マリアンヌは腰をひねって背後――追って来る巨人を振り向き、爆薬の一つをくくり付けた結び目の辺りを握り込み、其れを大きく回転させた。
 円を描いて風を切る爆薬にひやりとした緊張感を抱きつつ、駆ける巨人の足に狙いを定め、回転に合わせて放り投げる。
 投擲とうてきされた即席の玉鎖は水平に回転して巨人の足許あしもとへと迫り、直後、わざとか偶然か、素早く突き出された巨人の左腕に紐が当たって巻き付いた。
「クソッ!」
 何度目とも知れぬ悪態をついて、マリアンヌは八つ当たりとばかりに火のを発生させるかかとを強く踏み締める。
 幾らか勢いを増した炎は巨人の左腕に巻き付いた爆薬を掠めても着火するには至らず、マリアンヌの焦りばかりが増していった。
 これといった弱点も見当たらず、巨人を殺す方策さえ浮かばない。本隊との合流まで数分か、それ以上。
 確信の無い攻撃指示を部下に飛ばさねばならないという可能性がまた、マリアンヌの焦燥感をあおる。
(やっぱ近付いて〈アルモニカ〉を試すしか――)
 そうして、奥歯を割れんばかりに噛み締めた時だった。
「接敵するぞ!」
 クラクホンが目指す先、夜闇の中から声が響く。
 左右に広がった二騎の声でも、遠く砂丘の上からマリアンヌらを見守る二騎からでもない。背後で巨人が立てる地鳴りよりもかすかに、然し確実に近付いて来る無数の足音が、西南西から。
「構え!」
 砂煙を背に駆ける、二十四騎のクラクホンと二騎のエクゥルサ、総勢二十六騎が陣形を組み、ひと塊になった五騎が左右に夫々それぞれ一組ずつ展開した。
「よくやった、ヘルマン……!」
 陣の中央で指揮する副隊長を褒め、マリアンヌはクラクホンを加速させる。
 マリアンヌの左右に着く二騎もまた同時に速度を上げ、マリアンヌとの距離を詰めた。
「お前ら分かってるな! ヘルマンは鋼線こうせんで奴を転ばせる算段だ! 乗り遅れんなよ!」
「応!」
 右と左に顔を向け、二人の声を聞いたマリアンヌはちらと背後を見遣る。
 知能の有無が判然としない巨人は愚直にマリアンヌを追い続けているが、その口許くちもとは先程よりも緩み、息を切らしている様にも見えた。
「……手負いじゃ終わらせねぇ、囲んで、叩き殺す……ッ」
 犠牲となった若き部下の顔を思い浮かべ、マリアンヌは吐き捨てた。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 20の二

 前方から駆けて来る三騎のクラクホン、そしてれを追う見上げる程の巨人を見詰め、ヘルマンはくの字に展開した仲間達へ視線を移す。
 望遠鏡で敵の姿を見ていたヘルマンと異なり、指示に従って戦う彼らは、傭兵稼業ようへいかぎょうで生死を賭けた戦いに慣れているとは言え、化け物と対峙した経験は無い。
 程度に差はあれど恐怖をにじませる固い横顔を見たヘルマンは、大きく息を吸った。
「お前ら! 仲間をったのはあの化け物だ! 三人! 三人も殺られた! ビビってる場合か! 落とし前は、アイツの命で取り立てるぞ!」
 眼前の状況から判断して声を上げたヘルマンに、やや遅れて粗野そや雄叫おたけびが上がる。
 其の直中ただなかで、本隊へ向かって来る三騎のクラクホンが揃って跳躍ちょうやくした。
 陣形の左右、砂原に潜らせた鋼線こうせんを引き、先陣を切る仲間達とれ違ったのだ。
 瞬間、ヘルマンは鉦鼓しょうこをけたたましく叩き鳴らす。
「張れぇ!」
 号令と同時に、転身しようとするマリアンヌら三騎と擦れ違い、左右に展開した仲間達が更に広がると、砂の波を立てて鈍い光沢を持つ太い鋼線が出現した。
 巨人はその鋼線に気が付かない様子で走行を続け、巨人の胴体ほどもある左腕、その前腕に鋼線が当たり、体勢を崩してつんのめる。
「掛かれぇ!」
 ヘルマンの号令よりも早く、二十六騎、そして北から駆け付ける二騎のクラクホンが、顔面から砂原に倒れて左腕の辺りから小さな爆発を上げた巨人へ向けて殺到し、得物えものを叩き付ける様に襲い掛かった。
 ヘルマンもまた、幅の厚い巨大な包丁の様な剣を抜き放ち、熱気を放つ巨人の右手首へ向けて振り下ろす。
 ばつ、と的確にけんを切り付けた手応えを覚えて、ヘルマンは何度も何度も剣を振り下ろした。
 ヘルマンが持つ剣には反応式振動付与魔法が仕込まれており、ヘルマンが切り付けた巨人の右腕は斬られる度に震え、痙攣けいれんし、其れは全身へと伝播でんぱして、藻掻もがこうとする巨人の自由を縛り、抵抗を見せても他の仲間が応戦して砂原へと叩き伏せる。
 一度に大きな傷を与えられなくとも、三十近い戦士に囲まれて攻撃を受け続ければ、巨体は各所から赤黒い血を流し、石の様に硬い外皮はがれ、熱を放つ肉を斬られ、徐々に、徐々に、小さくなっていった。
 ヘルマンが与える痙攣の他に動きが無くなっても、攻撃の手を緩める者は居ない。
 ヘルマンの近くでは駆け戻ったマリアンヌが無色透明の騎槍きそうを突き降ろして巨人の眼窩がんかえぐり、徹底的にとどめを刺す。
 未知の敵を警戒し、恐れるが故に、その場の誰もが躊躇無ちゅうちょなく巨人を破壊する事に集中していた。
 小山の様な体躯たいく、その向こうで悲鳴が上がるまでは。
 最初、ヘルマンは其れをときの声だと思っていた。
 しかし、調子の異なる悲鳴は次々と伝播し、巨人の体を回って逃げて来る仲間の青い顔を見て、異常事態に気が付く。
「ヘルマン! 違う! コイツは、コイツはよろいだっ――」
 その先は発せず、仲間の前を影が横切った直後、頭と胴の間が溶けた事で、彼の体が崩れてクラクホンから落ちた。
「マリアンヌ! こっちだ!」
 叫び、ヘルマンは影に向かってクラクホンを走らせる。
 砂原に着地した影は、せぎすの漆黒。
 焼けげた炭の様な人型はゆらりと振り向いて、き出しの眼球でヘルマンをにらみ、焦げ臭く細い煙を棚引たなびかせ、んだ。
 来る。直感に従ったヘルマンは剣を振り上げて、遅れて右上腕を襲う熱感にはじかれる様に、クラクホンから落ちる。
 視界が回り、右腕を押さえようとした左手はくうを掴んだ。
 目を向けた先に腕は無く、小さな火がヘルマンの右肩を焼いている。
「あぁっ、クソッ、クソォッ!」
 毒突どくづき、左手で腰に差した短剣を抜き放ち、顔を上げて、そこで、ヘルマン・ラハジカの意識は焼失しょうしつした。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 20の三

 歯をきしませ、声にならない絶叫がはらの底から噴出する。
 ヘルマンの頭部を溶かし、焼き消した黒い影をにらみ、マリアンヌは騎槍きそうを構えて愛牛グラスを突進させた。
 黒い影が振り返るその瞬間にはマリアンヌの槍がの右肩を捉え、えぐり飛ばす。
 直後、マリアンヌはくらからび下りて振り向き、体勢を崩している黒い影へ二度目の刺突しとつを放った。
 狙うは大腿部だいたいぶ。怒りの奔流ほんりゅうに脳が焼かれていても、素早い敵の機動力を奪うきだという判断力はえていて、流れる様に体が動く。
 黒い影の大腿部を裏から貫いた騎槍をひねり、高熱を放つ背中を蹴り飛ばして砂原にじ伏せたマリアンヌは、黒い影から引き抜いた騎槍を顔面へ向けて突き下ろした。
 炭の様な敵の頭部を粉砕し、勢い余って中程なかほどまで砂原に突き立った騎槍を苦労して引き抜く。
 息を荒らげて見下ろした黒い影はぴくりともせず、れが放っていた熱気も緩やかに夜気へ溶けていき、余りにも呆気なく、戦いは終わった。
 冷めやらない怒りに任せてマリアンヌは死体を何度も何度も踏みにじり、崩れて粉になった敵の死体を蹴散らして、荒々しく息を吐く。
「…………フェリダー……!」
 熾火おきびと化してくすぶる怒りは、マリアンヌに自身の下唇を噛み切らせた。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 20の四

 夜空を舞った岩を見て、立ち込める砂煙を辿たどり、グリーセオ、そして共に駆けていた馬と青碧色せいへきいろくま――エクゥルサから成る騎兵隊は、巨大な死体のそば火傷やけどらしき怪我の手当をしている、青い布を身に付けた一団を発見した。
 先頭を行き、迷い無く一人の女性騎士と思しき人物の元へ向かうハンソーネを追ったグリーセオは、ハンソーネが騎馬を下りるのにならってくらから下りる。
「……マリアンヌ、これは」
 辺りを見回してつぶやいたハンソーネを見上げ、砂原に胡座あぐらをかくマリアンヌと呼ばれた女性は、苛立いらだちをあらわつばを吐き捨てた。
「あたしら特別遊撃小隊は、あんた達の退路を確保する予定だった。
 ……で、あっちにある集落で其処そこの化け物と遭遇。殺したけど、八人の犠牲を伴った。今はそれで怪我したヤツらの処置をしてる……。
 ――わりぃな、しくじったよ」
「……そう、か…………」
 歯切れ悪く答えたハンソーネはしきりに辺りを見回して、足下に視線を落とす。
 まぶたを下ろして黙祷もくとうを捧げるハンソーネの横顔を見たグリーセオは、両の拳を握り締めて砂地に跪座きざし、膝の前に拳を突いた。
「カーニダエ帝国、カニス族のグリーセオ・カニス・ルプスだ。……救援に感謝する」
 言って深く下げたグリーセオの頭に、マリアンヌの鼻で笑う声が返される。
「知らねぇと思うから言ってやるが、あたしらは傭兵ようへいだ。雇い主はフランゲーテ魔法王国で、ハンソーネの部隊〈コーア〉の戦力支援が仕事なんだよ。
 あんたにどうこう言われる筋合いは無い。中隊長さんと話すから、あっち行ってろ」
「……すまないが、〈コーア〉は俺を……俺達、カーニダエの奇襲小隊を救出する為に来てくれた。今は一人だが、俺もカーニダエ帝国の戦士をひきいる長なんだ。この先の話をする場から離れる訳にはいかない」
「あぁ、そう」
 刺々とげとげしいマリアンヌの声を甘んじて受け止め、グリーセオはゆっくりと立ち上がった。
 そのかたわらで、ハンソーネは付近に居た部下を呼び付ける。
「マリアンヌ隊の手当が終わるまで〈コーア〉も休む。基地への撤退まではまだ長い、動物達をしっかりと休ませろ。後は、負傷兵の手当だ。行け」
「はっ」
 指示を受けた兵士は敬礼の後に素早く本隊の元へ向かい、れを見送ったハンソーネは水筒に口を付けているマリアンヌへ向き直った。
「マリアンヌ、あの巨体について知っている範囲で教えてくれ。我々も未知の魔法を操る敵兵と遭遇したが、あれ程の巨体は見た事が無い」
「知ってるって言っても、想像で補った分がほとんどだからな?
 ――まず、遭遇する前から異常が発生してた。クラクホンとエクゥルサがあの集落に近付くのを嫌がったんだ」
 マリアンヌの言葉に、グリーセオは眉をねさせる。
「待て、マリアンヌ。あんたが言っている集落は、俺達――奇襲小隊が最初に襲撃した集落だ。今からおよそ七時間前だが、奇襲小隊のエクゥルサはそんな反応を見せなかった」
「なら、その空白の時間に集落に入ったんだろ」
「いや――」
 マリアンヌの言葉尻に被せて声を発したハンソーネは、目をらして夜空を見渡した。
「〈コーア〉が奇襲小隊の救援に向かう際、我々もこの集落の脇を通った。先んじて帰還した奇襲小隊の兵士の報告と、私の推測から、敵基地最外周、南西集落と南集落の間を抜ける形だ。
 時間にして凡そ三時間前。その時も我々の動物兵器は何の反応も示さなかった」
「……どの道、空白がある訳だ。敵が意図してか、それともフェリダー共和国に住む未発見の動物が、血の臭いでも嗅ぎつけたか」
「有り得ない。あんな化け物が居れば、カーニダエが発見しているか、少なくともフェリダーの動向から推測できているはずだ」
 グリーセオが否定すると、マリアンヌは苦笑して頭を振る。
「じゃ、アレが噂の生体兵器ってこった。とにかく最後まで聞いてくれ。
 あたしらの動物兵器が嫌がるもんだから、あたしは案内役としてナススの兵士一人と、部下五人。合わせて七人の偵察隊を編成した。集落の東西外周と中央の大通りをぱっと見て判断する為に三つに別れたんだが、集落の中心部で奴と遭遇した訳だ。
 ……あたしの部下が早とちりして矢をって、其れに反応したデカブツが暴れだしたのが最初。射掛けた部下が真っ先に殺されて、撤退兼マリアンヌ隊との合流の為に奴を引き連れて此処ここまで来た。
 そこからデカブツを転ばせて、囲んで叩くまでは良かったが……生き残った奴らの報告によると、巨体から人型の炭みてぇな奴が出てきて、不意打ちを食らった。……ここで、八人死んだ。
 とどめはあたしがきっちり刺したし、炭の奴が動かなくなってからクラクホンも落ち着いたから、治療を優先して、今に至る」
 マリアンヌの報告が終わり、彼女が再び水筒に口を付け、水を飲み下す迄の間、三人の間には沈黙が満ちた。
「……マリアンヌ、此処に来る迄の間に奇妙な感覚は覚えたか? 地中を何かが走る様な、振動に似た感覚だ」
 ハンソーネに問われたマリアンヌは首をひねって記憶を探り、首筋をく。
「いや……たぶん無かった。爆発でもあったのか?」
「詳しくは分からない。だが、〈コーア〉の兵士らは全員、其の振動を感じている。
 ……私の推測は答えに近いのかもしれないな、グリーセオ。仮にだが、あの振動が敵基地から外周集落迄の範囲に広がり、其処そこから北――敵基地へと収束していったと仮定すれば、あの振動に当てられた共和国人が動物兵器、乃至ないし生体兵器……死があるのなら、準生体兵器とでも呼ぶべき何かへ変貌へんぼうした、と」
「おい、おいおい。フェリダーの生体兵器ってのは一点物じゃねえのか? だから〈フェリダーの英雄〉って言うんだろ?」
「ああ、今日迄はそうだった」
「今日迄……って」
 グリーセオの言葉に絶句したマリアンヌは、数秒ほうけた後に頭を掻きむしった。
「じゃあ……ハンソーネ伯爵様はくしゃくさまよ、あたしらはおかみに賃上げを要求するぞ。あの強さの化け物がぽんぽん出てくるってんなら、装備も人手もてんで足りねぇ。
 ――っつーか、そりゃハンソーネも同じだよな? あと、えっと?」
「グリーセオだ」
「グリーセオ。あんたも大袈裟おおげさで良いから帝国に言っとけ。マジで千人……いや、万人越えの兵が居る。だろ?」
「ああ、それは分かって――」
 マリアンヌの言葉にグリーセオが答えようとした刹那せつな
 甲高かんだかい笛の音が何度も響き、騒然とする兵士らの間を縫って馬を駆るジェンナロが三人の元へ駆け付けた。
「敵です! 深紅色しんくいろの獅子、異様に速い動物兵器が一頭! ただならぬ気配、撤退を進言致します!」
「ジェンナロ、その通りにしろ。先頭はお前だ。殿しんがりは――」
「俺が行こう。ライガの、奴の外骨格に俺の剣は通る」
「――私とグリーセオ、アキッレで最後尾を固める。他の編成はそのままだ、行け、ジェンナロ」
 青い顔でまくし立てたジェンナロに素早く指示を飛ばし、ハンソーネはマリアンヌを見る。
「マリアンヌ、お前の部隊はお前の判断に一任する。迎撃に不参加であろうととがめるつもりは無い」
「分かった。られんなよ」
 ハンソーネはうなずくだけで答え、騎馬にび乗った。
 グリーセオもまた自身のエクゥルサにまたがりつつ、全速力で撤退して行く部隊を見遣みやり、後方――北東に顔を向ける。
「隊長! 敵はあと数分もしないで追い付いて来る! 俺も行かせてくれ!」
 不意に響いた声の方向へ顔を向けると、青い鉢巻はちまき棚引たなびかせてエクゥルサを駆る青年――タロウ・サンノゼが隊列から外れ、ハンソーネの元へと駆け出して来ていた。
 対するハンソーネはかぶとを被り終えた頭で、にらむ様に顎を引く。
「タロウ、腕は――」
「今の休憩中にさっと治してもらったよ。あと一戦くらい出来る。足手纏あしでまといで帰れるか!」
 威勢よく言い放つタロウに、ハンソーネは辺りに聞こえる大きさで溜め息を吐き出した。
「……隊長命令だ。先の編成と変わり無く、〈コーア〉右翼後方を守れ。ただし、緊急時、お前の判断で殿しんがりの援護も許可するが、右翼後方に被害があれば……分かっているな?」
「了解!」
 タロウは元気良く答えて、移動しつつある本隊の後方に着く。
 れを追う形でグリーセオはハンソーネの騎馬にエクゥルサを寄せた。
「将来有望な戦士だ。もしもの時は俺が守ろう」
愚弄ぐろうするなよ。あれはタロウが決め、私が判断した事だ。それに、お前には成すき事が山程ある。タロウにも、ライガにも、同情をするな」
「……すまない。気を付けよう」
 ハンソーネの叱責を受け止めて、グリーセオはハンソーネの騎馬と距離を取る。
 そうしてから後方を振り返り、まだ姿の見えない敵を、ライガの姿を脳裏に浮かべた。
(頼む……このまま、追い付かないでいてくれ……)
 そう心で思っていても、いざ対峙すれば剣を振るい、殺す事さえ出来る。
 戦いに順応した己と、其れとは対照的に殺しをいとう己。
 相反あいはんする意識は、しかし、何方どちらも己であるが故に、グリーセオをさいなみ続ける。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 20の五

 夜闇の中、砂原に小さな光がひらめく。
 望遠鏡の対物透鏡たいぶつとうきょうが、星明かりを反射したのだ。
 一瞬の光点を見逃さず、ライガは獅子の肉体に力を込めて転身し、速度を落とさずに光の元へ向かう。
 ライガが駆ける中、彼を中心として辺りに重々しい心音が轟き、深紅の外骨格状組織が身動みじろぎする様に伸びていった。
 砂漠の上をうごめく無数の影をにらみ、彼我ひがの距離を見定めたライガは、敵部隊の動きに合わせて進行方向を変え、姿勢を低くして砂丘を滑る様に疾走し、まぶたを下ろす。
 全身で感じる生き物の気配。砂漠にいては篝火かがりびの様に明らかなれを捉え、ライガは砂丘を駆け上り、頂上に前肢まえあしを掛けて空高く跳躍ちょうやくした。
 六メートルは下らない高さから、夜目の効くライガは四十騎前後の隊列を見下ろし、全身を振り絞る様にひねって、体表から突き出したとげを雨のごとく降らせる。
 人と馬の悲鳴が彼方此方あちこちから上がり、ライガが着地に備えて身をひるがえした刹那せつな、隊列後方からまばゆい閃光が起こった。
 いで腹に重たい衝撃を覚え、瞬時に肉体を変じさせる最中、ライガは青く棚引たなびく布を見る。
「――邪魔だッッ!」
 空中へび出して来た敵、まだ若い男の側頭部を目掛け、掌底しょうていを叩き付ける様に振るったライガの腕はくうを切り、揺らめく青い布を目で追うよりも早く背中を叩き付けられ、ライガは砂原に落とされた。
「っ、クソがぁぁぁッ!」
 怒号をき散らして起き上がったライガの眼前に、青碧色せいへきいろの熊が前肢まえあしを振るう。
 ライガは其れを左手でつかみ、巻き取る様に引き込んで前肢の付け根に両脚でしがみつき、全身を使って騎上へい上がった。
「――ライガ……ッ!」
 短い銀の髪、青い首布、手綱たづなを握る手にめた、鋼の篭手こて
 この日だけで幾度もライガを下した男――グリーセオを見付け、ライガは全身を震わせる怒りに従い、砂漠を揺るがす咆哮ほうこうを上げた。
「グリィーセオォォォ!」
 咆哮の後、怒声と共に突き出した右手はグリーセオの左拳ではじかれ、その勢いを利用したライガは熊の首筋に右の五爪ごそうを突き立て、左脚でグリーセオの胴を蹴り、くらから叩き落とす。
 砂原を転がるグリーセオを追うく、騎上からんだライガの視界の端で、銀の光がひらめいた。
 空中で左肩を穿つらぬいた細剣はライガを捕らえ、ライガは騎馬のかたわらに吊るされたまま砂原を引きられる。
「ハン……ッソォネェッ!」
「私の名を覚えていたのか、猛獣にしては頭が良いな」
 外骨格と其の奥の骨の隙間を正確に穿うがち、拘束から逃れんと藻掻もがくライガをハンソーネは蹴りでもっさまたげ、砂のやすりに掛け続けた。
「調子に、乗るな……ッ!」
 苛立いらだちを口にすると同時に、ライガの心音がとどろく。
 其れはライガが外骨格を変形させる為にした事だったが、白銀の騎士はうめき声を上げて体勢を崩し、ライガは滑り落ちる様に細剣の拘束から放たれ、砂原を転がった。
 息を荒らげて身を起こし、遠く――いや、上空から聞こえた爆発の音に、天を振り仰ぐ。
 青い鉢巻を着けた青年の姿は、既にライガへ向けて両手の短刀を振り下ろさんとしていた。
 咄嗟とっさに身構えるも遅く、青年はライガの眼前で縦に回転し、幾重いくえもの閃光と共に火の輪と化す猛攻でライガの左前腕部を覆う外骨格はがされ、胸元を蹴りつけられて蹈鞴たたらを踏む。
「タロウ殿!」
 炎に目がくらんだライガの耳に、男の声と馬が駆ける音、そして、耳が痛い程に強く震える金属音が届いた。
 かすむ視界の中、何かの影が素早く動き、まだ損傷の少ない右腕で身を守ろうとしたライガは、右腕をすくい上げる様な衝撃を受けて膝を突き、直後、右腕に一度目と同じ衝撃が七度、繰り返して発生し、外骨格の幾つかがぼとぼとと音を立てて落ちる。
(魔法付きの武器が少なくとも四……いや、前にオレが殺した分を考えたとしても、その倍は居やがる……!)
 内心で毒突どくづき、取り戻した視覚で隊列の影を探そうとして、ライガは荒い息を繰り返していた口を噛み締めた。
「……ライガ、もうせ。この数には勝てない。無駄に死ぬだけだ」
 かなしげな瞳を向け、鋼の双剣を構えるグリーセオを見たのだ。
「なら、殺せ……殺してみろ、グリーセオ・カニス・ルプスッ!」
 名を呼ぶと同時に駆け出し、ライガは右脚で直線の蹴りを繰り出す。
 グリーセオは其れを双剣で受け流し、踊る様にライガの背後へと回った。
 ライガの背後で、甲高かんだかい金属音が響く。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 20の六

 二頭の獣は砂漠を駆ける。
 一頭は襤褸ぼろかぶった様にも見える、細身で灰色の獣。
 灰色の獣――サビロイはちらと後方を見遣みやり、火のを散らして追従する橙色だいだいいろの獣――ヒョウに目をめてから前方へと視線を戻した。
『……サビロイ、あっちに何があるんだ。何度挑んでも、オレ達だけじゃかなわないだろ』
 獣のうなり声に乗ってヒョウの声が届き、サビロイは小さく鼻を鳴らす。
『そりゃあそうだな。でも、ご主人サマが来いって言ってんだ。……お前も分かるだろ、さっきからずっと聞こえてる地響きみてぇな心音が、来いって言いやがる』
 サビロイの言葉にヒョウはただの唸り声を漏らし、れを肯定と捉えたサビロイは奥歯を噛み締めた。
 ヒョウが目を覚ますほんの少し前に、唐突に現れてサビロイを痛め付け、強烈な心音を彼の骨身に刻み付けた深紅の獅子。
 其れが放っていた心音と同じ音が、彼方かなたからえ間無く響いている。
 そして、其の音はどういう訳かサビロイを、更には直接目にしていた訳では無いヒョウでさえもき付け、なかば無意識的に彼の元へと導いていた。
 方角はおよそ南南西。二頭の足で残り十分じゅっぷん前後の距離。其の場所で、無意識に〈あるじ〉という言葉で表現してしまう誰かが待っている。
 一度、完全に屈服させられたサビロイと、衝動的にかサビロイに従って駆けるヒョウは、前方に砂とは異なる色合いの黒い小山を認め、速度を落とした。
『……おい、なんだ、コイツ』
 人に似ているが、立ち上がれば四メートルはありそうな体躯たいくを誇る死骸しがいを見詰め、サビロイはつぶやく。
 かたわらで同様に死骸を見詰めていたヒョウは、やがはじかれた様に駆け出し、砂原の一点で足を止めて屈んだ。
 やや遅れてヒョウの許へ駆け寄ったサビロイは、夜闇の砂原を黒々と汚す炭の塊を見下ろす。
『なんだ、これ――』
『――マーブ、お前もオレみたいに…………何で、何で動かねぇんだ。オレらは死なないんだろ、なぁ、サビロイ! どうなってる! マーブは生き返った! 皆だって居たのに! なのにこんな……こんな、染みになってんだよ!』
 怒り、牙をくヒョウはサビロイにび掛かり、サビロイは訳も分からず押さえ付けられた。
『まっ、待て! オレが知るか! マーブって何だ!』
『マーブはマーブだ! カーニダエの奇襲で焼かれて死んだ! オレの所為せいだ! オレが皆に、こっちだって……皆を誘導した! オレがぁ……ッ!』
 錯乱するヒョウは全身から火の粉を噴き上げ、其の姿に、サビロイの脳裏で悪魔が笑う。
『……違うだろ。やったのはカーニダエだ。カーニダエとフェリダーの間で戦闘があったのは何年も前、しかも此処ここよりずっと離れた場所だった。しばらくの間、膠着こうちゃく状態……いや、事実上の停戦状態だったはずだ……。今日、この日に、カーニダエが来なけりゃあ……』
 サビロイの言葉にヒョウは力を緩め、サビロイはするりとヒョウの足下から抜け出して起き上がった。
『そのカーニダエを、ご主人サマは追ってる。逃がすなって事だよ、なぁ? 一方的に虐殺して、荒らすだけ荒らして帰ろうとしてんだ、アイツらは』
『……じゃあなんで、生き返ったマーブ達が殺されるんだよ。マーブは民間人だ。集落の人達も、みんな、みんな!』
『カーニダエはフェリダー人を異常者だって言うんだよ。殺しても心が痛まない。狩りとして遊んでやがるんだ。攻め込まず、かと言って反抗も許さねぇ……生かさず、殺さず、遊ぶんだよ』
『…………ゆる、せねぇ』
 蚊の鳴く様な声でうめいたヒョウが、全身から炎を噴き上げて駆け出す。
 サビロイはヒョウがそうする予感に従って駆け出し、同時に駆けた二頭は心音の元を目指した。
『おい、ヒョウ! オレらの反撃はこれからだ! 殺してやろう! 殺して殺して、あの世でマーブや家族に合わせて、本人達にも復讐をさせてやろう! オレ達はフェリダー人だ! 生きる為に戦う人間だ!』
 サビロイが言いつのる度にヒョウの炎は激しさを増し、ヒョウはサビロイを振り返って小さくうなずく。
『サビロイ、先に行く! お前は生きてくれ! 戦って、勝って、復讐を果たす!』
 言い終えるなりヒョウは一条の火線かせんと化し、砂原に焼き溶かしたわだちを残して先を行った。
『……っぷ、く、カカカカカっ! 大正解だ、アイツは赤い奴と同じくらい強い! そして、扱いやすい……!』
 こらえ切れない笑い声と共にサビロイは独りちる。
『……オレは生きるぞ……生きてる奴が正しい! 死んだ奴は負け組だッ! 生き返ろうが死んでちゃ意味ねぇーんだよッ! マーブとやら!』
 灰色の獣が上げる下卑げびた笑い声は、誰にも聞かれず、砂漠の夜気に紛れて消えた。

つづく

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