「砂塵、煙る」小説:PJ22

  はじめに

 本作「パラレルジョーカー」には、暴力、暴言、戦争や著しい差別などの描写を含みます。
 それに伴い、グロテスクな描写、憂鬱な気分にさせる描写を含む為、苦手な方は本作を読む事をお控え下さい。
 また、本作は創作物であり、実在するあらゆるものへの批判や、思想の拡散を目的とした物では無い事をご理解下さい。

 01話はこちら。

  目次について

 本作では本編中の場面転換を軸にnoteの「目次機能」による見出しを付けております。
 表記は「 ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕ ‬」が大きな場面転換。
 その後に付く「 01の零 」など、末尾の漢数字を見出しの番号代わりとしております。
 例外として、長い節にも小見出しによる区切りを付ける場合がございます。
 しおり代わりにご活用ください。


  22 砂塵さじんけぶ

 夜半の砂漠に目をらして青碧色せいへきいろの熊――エクゥルサを走らせる中、彼は砂原の窪地くぼちに光る何かを見た。
 その傍らには、人を乗せていないがくらや荷物を載せたエクゥルサが居り、彼は逡巡しゅんじゅんの後に息を吸う。
「……すみません、何か、いえ、誰かが倒れてます! 俺、行きます!」
「お、おい! リカ!」
 突然声を上げて隊列から離れる彼――リカを呼ぶ声を無視し、リカは自身のエクゥルサを窪地の底へと走らせる。
 エクゥルサの足を止めさせ鞍からび下りれば、窪地の底に居たエクゥルサは砂を必死に掘っていて、リカは己の予感が正しかったのだと安堵したが、れと同時に大急ぎで砂をき分け、鋼の篭手こてめた左手を見付けた。
 ずぼんで手に着いた砂を軽く払い、リカは指笛を三回鳴らす合図を繰り返して吹くと、音を聞き付けたリカのエクゥルサは小走りに近寄り、隊列からは三騎が砂丘を駆け下りて来る。
「フレリオ、砂を掘れ! ほら早く!」
 〈第三ナスス駐屯ちゅうとん基地〉で育てられたエクゥルサに慣れ親しんでいるリカは、窪地に居たエクゥルサ――フレリオという名の彼女に指示し、リカはフレリオと共に露出した篭手の周りを掘り続けた。
 青い首布が露出し、傷だらけの体が見えてきた頃、三騎のエクゥルサの足音が迫る。
「リカ! 何をしている!」
 年上の兵士による聞き慣れた叱責しっせきを無視して、リカは砂を掘る作業を続けた。
「グリーセオ隊長です! このままじゃ死んじゃいます! 手伝って下さい!」
 駆け付けた兵士らの顔も見ずに言ったリカの周りで足音がし、視界の隅で先輩兵士らもまた膝を突き、砂を掘り始める。
 意識を失っているのか、ぴくりとも動かないグリーセオの姿が半分ほど現れた所で、駆け付けた兵士の中では大柄な兵士がグリーセオの胴を抱えた。
「引き上げる! 周りの砂を退けてくれ!」
 彼の声に従い、リカを含める三人の兵士とフレリオが、グリーセオを捕らえる砂を掻き分ける。
 八つの腕が砂と格闘すること数分、突然砂が噴き上がった。
 砂に埋もれていたグリーセオの脚が飛び出し、その周辺の砂が弾かれたのだ。
 グリーセオを引き上げた大柄な兵士は、直ぐにグリーセオを横たえ、胸元を守るよろいを外して心臓の音を聞き、呼吸の有無を確かめる。
 素早く生命活動の確認をする兵士が声を出すまでの、一分間にも満たない時間を何倍にも感じながら待つリカは、大柄な兵士が息を吸った直後に響くき込む声に安堵した。
「グリーセオ隊長! 御無事ですか!」
 身を乗り出して声を掛けようとするリカは側に居た先輩兵士に止められ、仕方無くグリーセオの動きを見守る。
 仰向けのまままぶたを開くと同時に起き上がったグリーセオは、不意に素早く辺りを見回した。
「……此処ここは! ライガは、赤い生体兵器は居なかったか!」
 グリーセオを除く四人は『生体兵器』という言葉を聞いて顔色を変える。
「他には誰も居ません。グリーセオ様、我々は〈第三ナスス駐屯基地〉からの臨時救援部隊です。本隊と合流しましょう。どの道、戦い続きの体では――」
「駄目だ! 彼奴あいつは〈フェリダーの英雄〉だ! 一人だけじゃない、三人は居る!」
 吐き捨てる様に言ったグリーセオは、外された鎧を拾って立ち上がり、グリーセオの言葉で呆然としている四人を置いて、エクゥルサ――リカがフレリオと呼んだ彼女の元へと歩き出した。
「助けて貰ってすまないが、俺は行く。止めなくちゃいけないんだ……俺が……」
 言ってグリーセオはフレリオの背に跳び乗り、呼吸を整えてから北へと走らせる。
 リカと、その先輩兵士ら三人はその背を見るや慌ててエクゥルサに騎乗し、グリーセオの後を追った。
「グリーセオ隊長! 敵が近いのなら既に救援部隊が接敵しているはずです! 松明たいまつを頼りにして下さい!」
 リカが叫ぶと、グリーセオは肩越しに兵士らを見遣みやり、頷きだけを返す。
 フレリオを加速させ、グリーセオが離れて行く。
 その背中を、リカは誇らしに見守った。
 長年戦場から離れていたとう〈カニス族の若き英雄〉は、青い首布を揺らめかせて駆ける。
(皆は悪く言うけど、あの人こそ本物の英雄なんだ……! グリーセオ様が居れば、生体兵器の三体くらい……!)
 伝令を任され、奇襲小隊から離れて一足先に基地へと帰還し、数時間越しに憧れの人物を助けた事実に酔うリカは、左手首に巻いた青いひもを撫でた。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 22の二

 スペオトス・ベナティクスは、〈第三ナスス駐屯ちゅうとん基地〉の総戦力三万の内、最低限の装備を整えさせた三千五百の兵を引き連れ、フランゲーテ魔法王国からの部隊〈コーア〉を救うく、リトラ砂漠を駆けていた。
 夜半の砂漠を行く連隊は、遠方で大規模な爆発を観測し、全隊の速度を上げさせたが、その直後に爆心地から発生した彗星にも似た光点を追って進路を変更し、耳鳴りにも似た音響を頼りにして、深紅に輝く人影と、れに襲われる騎士を発見した。
「首領、射掛いかけます」
「許可する」
 基地内屈指の射撃技術を持つ兵士から提案を受け、口早に返したスペオトスが言うや否や、炸裂さくれつ機構を備えた矢が夜風を切り裂いて深紅の左肩に突き立つ。
 爆発の影響を考慮して放たれた炸裂矢さくれつやは、深紅の人影に損傷を与えて吹き飛ばし、砂原に押さえ込まれていた騎士の元へ、ナススの兵士らが救援に向かった。
「流石に硬い。あれが生体兵器ですか」
 抑揚に欠ける声で言って、次の矢をつがえる兵士の言葉に、スペオトスはかぶりを振った。
「本来なら外皮を吹き飛ばす程度が限界だろう。相当弱っていると見える。此処ここつぞ」
「了解」
 冷淡な声を交わした後に二本目の矢が放たれ、不意に火柱が噴き上がる。
 小さな砂丘の影から現れた火柱が炸裂矢を呑み込み、二射目は空中で炸裂して砂原に炎をいただけで終わった。
「総員警戒! 炎を使う魔法を持ってるぞ、慎重に距離を詰め、数で叩く!」
 スペオトスの指示は速やかに伝達されて行き、三千五百騎の影がうごめく。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 22の三

 小さな砂丘のふもとから火柱が伸び、ライガはちらと砂丘の影へ目をった。
 火を噴き上げたのはヒョウだ。黄金色こがねいろの外骨格はわずかに輝きを鈍らせて、片膝を突いて息を荒らげている。
 その傍らにはヒョウが追撃した大柄な騎士が倒れており、ライガはの騎士から心音と呼吸音を聞いたが、ぐに新手あらての軍勢へ目を向け直した。
 小高い砂丘から此方こちらを見下ろしている軍勢は、とても一目で数え切れる頭数では無く、たった今炸裂矢さくれつやを放ってきた一人だけが弓兵であるとは考えられない。
 ――撤退するしかない。
 脳裏に浮かび上がった言葉に苛立いらだちを覚えたライガだったが、かと言ってこの場で戦い続ける程に無謀でも、知識が無い訳でも無かった。
 そう考えている内に、大群がゆらりと動き出す。
 其の動きを見るや否や、ライガは正面に駆け出した。
 目指す先にあるのは、赤銅色しゃくどういろの剣と絡み合ったままのライガの剣〈コルヌ〉だ。
「来るぞ!」
 剣を目指すライガを見てか、赤銅色の剣を持っていた騎士を担ぎ上げようとする兵士が叫び、ライガはその声を無視して、未だ耳障みみざわりな振動を続ける得物えものつかを握り、速度を落とすと共に砂原を蹴り払って煙を巻き上げる。
 一呼吸も置かず、其処そこからヒョウの元へ駆け出したライガは砂煙を後にしたが、数瞬すうしゅん遅れて背後に矢が降り、空中で炸裂さくれつした。
 爆風に押し出される様にして砂原を転げたライガは砂丘のふもとに落ち、熱を放つ手に掴まれて引き起こされる。
「ライガ! どうする! その嫌な音の剣、持っていくのか!?」
 矢継やつばやに問うヒョウには答えず、ライガは赤銅色の剣、其の柄を左足で踏み付け、手にした漆黒の柄を固く握り締めて引きがそうとした。
 それと共に、遠くから重低音の笛に似た音が鳴り響く。
「この剣はる。ヒョウ、先に行け。大群が来る」
「な……何言ってんだよ! 置いて行けるか!」
 叫び、ヒョウはおろおろと辺りを見回し、柘榴色ざくろいろの刃を引き剥がせずにいるライガを見て、赤銅色の剣身を踏み砕いた。
 支えを失って蹈鞴たたらを踏むライガの手の中で、柄に近い辺りを砕かれた赤銅色の刃は、柘榴色の刃に呑まれる形で漆黒の柄に留まり、ある種の生き物の様に動き続けて、新たな刃を形作ろうとする。
 其れに合わせて耳障りな振動も収まっていき、ライガの体は徐々に安定して、不格好ながらも深紅の外骨格を取り戻した。
「ほら、行こう! ライガ!」
「……四足の方が速い。ヒョウ、体を変えろ」
「は……?」
 ヒョウは目をしばたたいて足を止め、ライガはそうするヒョウの胸元――心臓の辺りに軽く拳を当てた。
「さっきまでは獣の形だったろ。それを思い出せ。心臓に集中して、両手と両足を地面に付けろ。早く」
 早口でまくし立てるライガにヒョウが従う間にも、無数の足音は迫って来る。
 ヒョウが砂地に四つんいになったは良いものの、未だ弱々しい心音を聴いて、ライガは剣を握ったままの拳をヒョウの背中に当てた。
「速く走る。その形になる。普通に走るより、速く。もっと速く。
 ――そう念じ続けろ」
 努めて優しい口調で言ったライガに従い、ヒョウの心音が大きくなっていく。
「人と獣に大した違いは無い。見た目と動かし方がちょっと変わるだけだ。戻ろうとすれば戻れる。……ヒョウ、お前を信じろ。形が変わろうと、お前はお前だ」
 遠くで指笛が二度、響いた。
 直後、幾つもの弦音つるねが鳴り、砂丘の麓が炎に包まれる。
 ライガは、そしてライガを背に乗せた炎の獣――ヒョウは爆炎を背に東へと駆けていた。
「よくやった、ヒョウ。高くぶなよ、られる。このまま退くぞ」
 ライガの声にヒョウは頷く。
「おいテメェ、せっかく駆け付けてやったのに、見捨てるつもりだったろ!」
 不意にライガでもヒョウでもない声がして、ライガは鼻を鳴らした。
「死んだと思っただけだ」
「コイツ……!」
「サビロイ! 生きてたんだな!」
 冷然としたライガとは対照的に、明るい声を出したヒョウの後頭部を見て、ライガの右肩にしがみつく小さな獣――サビロイは口端くちはを上げる。
「こっちの台詞せりふだ。あの爆発で死んだと思ってた」
「ははっ、心配かけた! オレ、やったよ。二十人くらいは殺してやった!」
「へぇ、オレは騎士を一人ったから、無駄骨って訳でもねぇんだな」
 サビロイとヒョウの会話を聞き、ライガは眉間みけんしわを寄せた。
「……お前らはカーニダエを潰してぇんだよな?」
 苛立いらだちのにじむライガの声に、ヒョウとサビロイは問う様に目を向け、しかし。
「――何か来る!」
 声を張り、北東に顔を向けたライガは、騎馬にまたがり青い羽根飾りを揺らして、彼方かなたから迫る白銀の騎士を見る。
 ヒョウとサビロイの律動でき消されそうな程に小さく、かすかな律動を、意識を集中させて初めて白銀の騎士から感じた。
 ライガはその意味を悟り、奥歯をきしませる。
(フランゲーテなら、それも有るってか……ッ!)
 胸中で吐き捨て、なおも加熱する憤怒はライガの心音をとどろかせた。
 サビロイとヒョウが緊張する気配を感じながらも、ライガは心臓に意識を向け、今は無い左腕の感覚を呼び起こす。
「ライガ! オレの足なら逃げ切れる!」
 振り向きライガを見上げるヒョウを一瞥いちべつして黙らせ、ライガは左半身を再生させていった。
彼奴あいつは殺しておかなきゃならねぇ奴だ。サビロイ、お前はまだ戦えんのか」
「だ、駄目だ。この体でしか居られねぇ」
「そうか。ヒョウ、サビロイを任せる」
 それだけ言って、ライガはヒョウの背中に右足を置く。
 サビロイは慌ててライガからヒョウの背中へとび移り、れを確認してからライガは跳び上がった。
 数回、砂原を転がり、枯れ枝の様に細いものの指先まで再生した左腕の感触を確かめ、心音を響かせて鋭い爪を形成させる。
 その間に白銀の騎士はライガの正面、三十メートル先に迫り、ライガはちらと剣の様子を確かめた。
 柘榴色ざくろいろの鮮やかな輝きは鈍り、深緋こきあけの直剣に変わった〈コルヌ〉の刃は安定しており、左の指で剣身を弾けば、こぉんと反響する柔らかな音が辺りに響く。
 其の音はライガの心音と噛み合って増幅し、深紅の外骨格が淡い輝きをたたえた。
 体中に溜まっていた疲労感が薄らぎ、左腕の筋力が戻っていくのを感じ乍ら、十メートルの距離にまで迫った白銀の騎士――ハンソーネをにらみ、腰を落として構える。
 ハンソーネの微弱な律動がほんの僅かに大きくなった瞬間、ライガは深緋の刃を突き出した。
 くらから跳び下り、ライガへ鋭い刺突しとつを放とうとしたハンソーネは、未来予知とも言える反応速度で突き出された深緋の刃に胴鎧どうよろいを打たれて、空中から砂原へと叩き落とされる。
 ハンソーネの馬と、駆け出したライガは互いにれ違い、痛みにうめくハンソーネへ向け、ライガは深緋の剣を大上段から振り下ろした。
 咄嗟とっさに砂地を転がったハンソーネは致命傷を避け、ライガの斬撃は左肩のよろいを割り砕くだけに終わる。
 しかし、ライガは砂に突き立った深緋の剣に体重を掛け、体勢を立て直そうとするハンソーネの顔面――かぶとへ向けて直線の蹴りを打ち込んだ。
 深紅の外骨格が鋭い爪を形成するライガの左足は、確かにハンソーネの頭部を捉えたが、瞬時に衝撃へ身を任せたハンソーネにより勢いを殺される。
 蹴り飛ばされた勢いを利用して、後転するハンソーネを追おうとしたライガは、視界の端でひらめいた光を見て半歩退いた。
(飛んで来る奴か……ッ!)
 夜空に目をらして構えた瞬間。正面から微弱な律動を感じ、ライガはハンソーネへと目を向け直す。
 鋭い呼気と共に放たれる刺突を剣で弾き、視界の隅で空中をのたうつ炎を認識したライガは、意識をハンソーネへ集中させた。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 22の三

 刃長じんちょうに見合わない厚さと幅の広さを持つ二振りの短刀。
 タロウ・サンノゼはを翼の様に操り、風の抵抗を読んで角度を変えて引き金を引く。
 彼の持つ二振り、〈唐戸からど〉と〈烈火れっか〉と名付けられた短刀の刃には、外気に触れて爆発する特性――反応式爆炎魔法を持つ、マギニウムを多く含んだ鉱石が組み込まれていた。
 タロウはこの刀を利用し、地上と空中をび回って相手を翻弄ほんろうする戦法を得意とするが、そのような戦い方を続けて肉体が無事であるはずは無い。
 故に、タロウには骨格と肉体を支えて継戦能力を上げる事に特化させた専用の装備が与えられたが、其れにも当然限界があった。
 黄金色こがねいろの外骨格に身を包んだ人型の異形。
 ハンソーネと共に遭遇し、彼女を守るなか硝子化がらすかした砂原へ叩き落とされたタロウの装備は、全身に配された骨格を補強する為の装甲が二割近く破壊され、ハンソーネと〈コーア〉本隊を追おうにも、翔んでは歩くを繰り返して進む他に無かった。
 砂漠で騎馬を駆るハンソーネの姿を追う時も。其れを見失って黄金の彗星が本隊のある地点に落ちた時も。高く翔び上がり、西方からあかりを携えた軍勢が迫るのを見た時も。大群が足を止め、四度の爆炎を見た時も。
 タロウは孤独に西進を続けていた。
 そして、夜半の砂漠できらめく深紅の影と、白銀の煌めきが重なり合うのを見て、タロウの痛覚は麻痺する。
 痛みよりも、苦しみよりも、孤独よりも、敬愛するハンソーネ・トロンバの危機を救う事。ただその事だけが思考を埋め尽くし、タロウは上空から急降下した。
 眼前に炎をまとう黄金の獣が現われるまでは。
 空中で道をはばむ獣の牙と右手の短刀で鍔迫つばぜり合い、タロウは息を吸う。
退ぉけぇぇぇッッッ!」
 左手の短刀を持ち替え、両方の引き金を押し込み、裂帛れっぱくの気合いを吐き出したタロウが回転した。
 炎の獣は其の勢いで弾かれ、回転の最中に体勢を立て直したタロウは砂原に着地し、左手の短刀を素早く持ち替えて翔び上がる。
 爆発的な速度で飛翔したタロウはハンソーネの居た方角へ向かおうとして、背中に衝撃を受けて叩き落とされた。
 砂上を転がり、うめき声を漏らすタロウの傍らに炎の獣が降り立ち、一拍も置かずに跳び掛かって来る。
 タロウは其の爪や牙を両手の短刀でなし、受け止め、体をひねって受け流し、獣の腹を踏み台に跳び上がった。
 空中へ躍り出て引き金に指を掛ける瞬間、タロウの足首が掴まれ、タロウは咄嗟とっさに引き金から指を離す。
 タロウが見下ろした先で、形を変え、憤怒の表情を浮かべた黄金の獣人じゅうじんが吠えた。
 掴まれた足がそのまま引き込まれて砂地に叩き付けられ、息を吸う間も無く背に重みが乗る。
 タロウは瞬時に二振りの短刀を逆手に持ち替え、背面へ突き出した。
 苦し紛れの攻撃は硬い感触と剣戟けんげきの音を立てたが、何度目かに右手を掴まれ、左腕は肘の辺りを踏み付けられて、行動を封じられる。
 全身をよじって藻掻もがくタロウの眼前に、灰色の毛並みをした小さな獣が立った。
「よし、ヒョウ、押さえとけよ」
 言って小さな獣はするするとタロウの顔面に迫り、小さな手足でタロウの頭を押さえて首筋に噛み付く。
 痛みに悲鳴を上げる中、小さな獣は何度も何度も牙を立て、かじり、タロウは細切りにされる己を自覚する。
(ああ、クソォッ……! 折れたら終わりだぞ……!)
 急所に噛み付かれ乍らも胸中にそうこぼして、タロウは両手の引き金を引いた。
 一度目はタロウの体が砂地に押し付けられ、その挙動に驚いたのか小さな獣の口が止まり、背後からも動揺する声を聞く。
 二度目。タロウの右手は勢い良く砂原に叩き付けられ、掴まれていた感触が離れた。
 其れを理解した瞬間、タロウは右手をうなじの近くへ回し、まぶたを固く閉じ、奥歯を噛み締めて引き金を引く。
 爆音と熱感が左耳の辺りを襲い、遠くで小さな獣らしき声の悲鳴が上がった。
「サビロイ!」
 別の声が叫び、左腕の拘束が緩む。
 身を捩り、砂地へ右拳を突き立てて、タロウは両手の引き金を引いた。
 耳鳴りの止まない聴覚では爆発音が薄れて聞こえ、背中から離れた重みだけで拘束を逃れたのだと自覚する。
 しかし、砂原に仰臥ぎょうがするタロウの体はそれ以上動かなかった。
 指先はおろか腹にも力が入らず、壁越しに聞こえる様な、己の荒い呼吸を聞く事しか出来ない。
「よく持ちこたえた」
 誰かの低い声が聞こえた気がした。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 22の四

 ハンソーネの剣技は刺突しとつを中心としているが、どの構えからも払う様な斬撃へと切り替える柔軟さがあり、不規則に刺突と斬撃を切り替えて調子を崩そうとしてくる。
 ライガはを五感と、ハンソーネが放つ微弱な律動を感じる知覚を総動員してなし、反撃し、致命傷とはいかないものの、ハンソーネに傷を作り続けた。
 高速の攻防を繰り返すこと、数十秒。
 斬撃主体の攻撃に切り替えていたハンソーネが、ライガに剣を弾かれた瞬間に膝を屈め、全身の発条ばねを使って全力の刺突を放った。
 ライガは其れを深緋こきあけの剣身でらし、呼気と共に伸びる白銀の剣が擦れ合い、周囲に甲高かんだかい大音響がとどろく。
 深緋の刃が目に見える程に振動し、ライガの心臓を強く動かす音を発した。
 強制的に動かされた心臓にライガはうめき、胸を押さえて膝を突いたが、其の大きな隙にハンソーネは攻撃をして来ない。
 いや、ハンソーネもまた呻き、全身を痙攣けいれんさせてつくばっていた。
「ク、ソがぁ……!」
 目眩めまいを覚える音響を止めるく、ライガは剣を砂地に押し付け、周囲の砂を震わせてなおも振動する深緋の剣身に左手を押し当てる。
 物理的に振動を止められた剣は、直接触れたライガの左手へ振動を送り、ライガは弾かれる様に体勢を崩した。
 砂地にうずくまり、頭痛を訴えるこめかみに左手を当てて、ライガは完全に再生した己の左腕を見る。
 砂の底でヒョウに引き上げられた、夢現の感覚。
 あの時に似ているものの、全く異なる『命を消費する』感覚を覚え、ライガは震える手足で立ち上がった。
 付近で這い蹲っていたはずのハンソーネは、仰向けになって胸の辺りを押さえ、呻き声を上げ続けている。
(……死んでる方が、楽だよな)
 胸中にこぼし、ライガは深緋の剣を振り下ろした。
 苦痛に歪むハンソーネの目がライガをにらみ、しかし、動きは無い。
 ハンソーネ自身は動かなかった。
 だが、白銀のよろいを突き破り、紫紺しこんの光沢を持つ肋骨あばらぼねが伸びて交差し、深緋の刃を受け止める。
 確信していた事が現実として目の前に立ちはだかり、ライガは怒りと哀しみを同時に覚えて、吐き気を催した。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 22の五

 松明たいまつを掲げる大群と、はるか東の夜闇に咲いた爆炎を見比べて、グリーセオは東を目指した。
 れから数分、小さく点々と咲く爆炎との距離は着実に狭まり、彼我ひがの距離を確かめるく砂丘のいただきに上って初めて、砂原を駆ける炎の獣と、その背にまたがる深紅の影――ライガを見た。
 グリーセオはぐ様エクゥルサを走らせたが、炎の獣は速く、少しづつ離されていく。
 しかし、ライガが炎の獣からび下り、幾許いくばくもしない内にひらめく爆炎と絡み合う炎の獣を見たグリーセオは、わずかな逡巡しゅんじゅんの後に炎が噴き上がった方へ駆ける事を選んだ。
 ライガの目的は不明だったが、夜半の中で爆炎を上げる者の正体は、撤退する部隊を襲ったライガと交戦し、炎の獣と共に一時部隊から離れた青年――タロウ・サンノゼであると分かったからだ。
 そして、グリーセオは彼の悲鳴を聞く。
 黄金の人影に襲われ、なおも抵抗し、負傷しながらも敵を振り払い、力尽きた青年の傍らへ降り立って、黄金の獣人と、息を荒らげる、武器を背負った小さな獣と対峙たいじした。
「よく持ちこたえた」
 背を向けたまま、倒れている青年へ労いの声を掛け、グリーセオは両手を小刻みに振るう。
 篭手こてから短剣へと変じた〈マクシラ〉を構え、グリーセオは駆け出した。
 其れに反応した黄金の獣人もまた駆け出し、小さな獣は獣人に任せるかの様に後退する。
 グリーセオは彼らの動きを見て、黄金の獣人が右手を振るって迫る瞬間に砂原へ滑り込み、黄金の獣人とれ違った。
 背後で息を呑む声を聞きながら、グリーセオは小さな獣目掛けて駆ける。
「クソッ!」
 小さな獣が毒突どくづき、グリーセオは確信した。
此奴こいつも生体兵器か……ッ!)
 悲嘆でもあり、憤りでもある言葉を浮かべて、短剣を振り下ろす。
 小さな獣は退しさって其れをかわし、グリーセオは砂地を斬った短剣を背後へ向けて振り上げた。
「ぐあっ」
 顔面に砂を喰らった黄金の獣人が短い悲鳴を上げて目を押さえ、グリーセオはその隙を突き、黄金色の外骨格が覆う腹部に短剣を突き立てる。
 黄金の獣人からだる程の高熱を感じ、グリーセオは素早く短剣を引き抜いて獣人の脇を抜け、転身と共に逆手に持ち替えた右の短剣、その刀背みねで獣人の首を捉え、足を掛けて引き倒した。
 二秒にも満たない動作の内に、小さな獣はグリーセオの足下に迫っている。
 グリーセオはその獣を踏み付けようとして、其れを躱した獣を迎える様に、右の短剣で背面を突く。
 反応が遅れた獣は鋼の短剣で肩の辺りを突き刺され、グリーセオは短剣で刺したまま獣をすくい上げ、遠くへ放った。
 宙を舞う獣に一瞥いちべつもくれず、黄金の獣へと顔を向け直したグリーセオは、眼前に迫った黄金の脚で蹴り飛ばされ、砂原を転がる。
 ぼう、と火炎の巻き起こす音を聞き、グリーセオは起き上がりざまに交差させた短剣を掲げた。
 瞬間、骨身がきしむ程の衝撃が訪れ、不意に重みが外れる。
 炎の音を頼りに振り向いたグリーセオは、宙を舞う黄金の獣人が両手の爪を振り下ろす様を見た。
 咄嗟とっさに跳び退き、順手じゅんてに持ち替えた短剣を構えようとして、視界が炎に包まれる。
 うめき声を上げたグリーセオはもう一度跳び退きつつ砂原を転がり、衣服に着いた火を消して、その間に迫っていた黄金の獣人、其の開かれたあぎとで右前腕を噛まれた。
 黄金の獣人はグリーセオに噛み付いたまま両手の爪で襲い掛かり、グリーセオは其れを躱し、左の短剣でなすを繰り返すが、右腕が焼け、その奥の骨が悲鳴を上げるのを感じて、左手を小刻みに振るった。
 短剣を変じさせ、篭手こてまとった左拳で応戦し、一瞬の隙を突いて獣人の左眼に指をじ込む。
 眼球を潰された獣人は悲鳴を上げてグリーセオの腕を放し、グリーセオは自由になった右腕、その手に握る短剣で獣人の首筋を斬りいた。
 自身の熱で蒸気と化す血を吐き、のたうち回る黄金の獣人から離れ、グリーセオはタロウの元へと駆ける。
 そうした理由は勘としか言えないものだったが、意識を失ったタロウに忍び寄る小さな獣を見て、判断は正しかったのだと理解した。
「離れろぉッ!」
 怒声を上げて小さな獣を蹴り飛ばし、周囲を警戒しつつ指笛を吹く。
 音を聞いてぐに駆け付けるエクゥルサを待たず、タロウを担ぎ上げたグリーセオは西へと駆け出し、エクゥルサが追い付くや否や急いでくらにタロウを乗せ、エクゥルサの頭を西に向けさせてから横腹を小突き、走らせようとした。
 エクゥルサはその場に残ろうとするグリーセオを何度か気にしたが、グリーセオに追い払われる様にして西へ駆ける。
 その影を見送って、グリーセオはこうべを巡らせた。
 小さな獣は姿を消し、黄金の獣人じゅうじんは未だ遠くでのたうち回っている。
 其れを確認してから、グリーセオは駆け出した。
 向かうは北東。ライガが黄金の獣から下り立った辺りを目指して。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 22の六

 生体兵器〈フェリダーの英雄〉の開発には、最少でも万に上る命を必要とする。
 る時は戦場の死体や重傷者をき集めて。或る時は口減らしの名目で。
 常に貧窮ひんきゅうしているフェリダー共和国といえども、戦況をくつがえす為の一万という数字に躊躇ためらう事は無かった。
 ただし、それには各領地が選定した人間――つまり、居なくなっても構わないと判断された人間が選ばれる。
 生体兵器の開発を担う〈カルニボア機関〉は、その事実を了解した上で各領地に協力を要請し、れを受けた領主が予め候補としていた人物から順番に指定の場所へと送る一連の流れが、六度の生体兵器開発の中で通例と化していた。
 この通例により、各領地でなかば意図的に作られたのが、痩せた土地に追いやられた人々の集落――トラッシュだ。
 しかし、七度目の生体兵器〈ライガ〉の開発には通常よりも少ない数が要請され、計画が動き始めるよりも前に奇妙な事件――失踪や変死体の報告が上がり、その犯人が三日と待たずに死体として連行されるなど――が連続した事もあり、ジマーマン領の領主、ロシャブル・ジマーマンは私兵を用いて調査を行わせた。
 初めはロシャブルも自国を疑う事はせず、敵であるカーニダエ帝国から潜入した者や、カーニダエと通じた何者かの画策を疑っていた。
 だが、然し、調査の報告を受ける程に、ロシャブルの疑いの目は敵国から自国へと向き、カルニボア機関内部が独断で研究と開発を進めている事実に行き着く。
 そんな折に、スナド・ル・フィッシャーが現れたのだった。
 スナドを泳がせて確実な証拠を掴み、カルニボア機関を糾弾きゅうだんした後に解体、機関が独占していた魔法兵器開発の技術をフェリダー共和国内で割譲かつじょうし、目の上のこぶを取り除く。
 スナドが先を急がなければ、いや、何者かがライガをはなちさえしなければ。そして、よりによってこの時期にカーニダエ帝国が奇襲作戦に打って出なければ、事態は今よりも単純であった。
 目の前に横たわるスナド・ル・フィッシャーの死体を踏みにじって、ロシャブルは歯軋はぎしりをする。
「……この、無能めが……!」
 苛立いらだちを乗せて死体を蹴り、一呼吸を置いてロシャブルは背後に控える部下を見遣みやった。
「スナド・ル・フィッシャーはその職務を放棄し、あろう事かフェリダーの兵士をいたずらに死なせた謀反人むほんにんだ。死体は利用せずクロー高原へ捨てろ。
 ――偵察部隊の報告が正しければ、城砦じょうさい内部は〈獣兵士じゅうへいし〉であふれているだろう。中には入るなよ。この先、南方最内周集落を当たれ、比較的損害の少ない集落を拠点とし、カーニダエの次なる攻撃に備える!」
「は!」
 短く答えた部下らがきびすを返し、黒衣の部隊へ駆け足で戻ろうとした、その時。
 そう遠くない場所から木のきしむ音が響き、ロシャブルの部下は揃って足を止め、抜剣ばっけんした。
 彼らの反応を見て、ロシャブルは其の視線を追う様に振り向く。
 堅牢な石造りの外壁、其の下部に備えられた小さな通用口が、軋む音を立てて震え、中から何者かが出ようとしているのだと物語った。
「総員戦闘準備! 合図を待て!」
 ロシャブルの声が夜半の砂漠に響き、黒衣の兵士らが身構える。
 そうする間にも両開きの扉は内側から何度も叩かれ、ひしゃげ、破壊された。
 通用口の奥、完全な暗闇から星明かりが照らす砂原へと踏み出して来たのは、フェリダー共和国の騎士がまとう黒衣にも似た、濡羽色ぬればいろの人影。
 小さな足音だけを立てて砂原に進み出た其れは、長い尾を揺らめかせてこうべを巡らせる。
「…………ジマーマン様。何故、此処ここに」
 目も鼻も見えないつるりとした顔貌がんぼうの奥、あごまでけてき出された歯牙しがの奥から人の言葉が発せられ、ロシャブルは眉間みけんしわを寄せた。
 濡羽色の人影はなおも辺りを見回し、やがてロシャブルの方を目指して真っぐに数歩進み、その場でひざまずく。
 深くこうべを垂れた濡羽色の人影、其の後頭部を覆う短い髪を見て、ロシャブルは息を呑んだ。
「……ロシャブル・ジマーマン領主様。私はガーランド領、元〈角獣隊かくじゅうたい〉隊長、トラゲと申します。
 現在は訳あって〈スナド戦線基地〉へ生体兵器ライガを護送し、その後に敵の奇襲攻撃への迎撃に参戦。ライガが引き起こした強制的な獣化じゅうか現象に巻き込まれ、この様な姿と成りましたが、自我は残り、基地内部の暴走した獣兵士じゅうへいし討滅とうめつしておりました」
 ロシャブルへ向けて頭を下げたまま、冷静に報告をするトラゲにロシャブルは絶句し、手振りだけで周囲の兵士を待機させてから歩み出す。
「……お前がトラゲである、と…………その証拠は何処どこにある」
 ロシャブルの問いにトラゲと名乗った異形は迷う素振そぶりを見せ、自身の尾を手繰たぐり寄せて掴み、ロシャブルへ差し出すかの様に掲げた。
「直ぐに証明出来る物は何もありません。
 然し、この尾部びぶ、そして私の肉体は、ガーランド領より頂いた接触式強制停止魔法の槍、銘を〈キャデーレ〉とう二本の槍と同化しております。
 ……それと、証人が一人」
「証人……?」
「はい。生体兵器ライガ。彼は私が変化する前後に同じ場所に居りました」
「……では、ライガは討伐されていないのだな」
 ロシャブルの言葉に、トラゲは再び言いよどむ。
「答えよ」
 ロシャブルが重ねて言うと、トラゲは深く垂れた頭を更に下げ、砂原に擦り付けた。
「ライガは、現在は此処ここに居りません。敵部隊の追撃と称し、南へ……」
「…………総員、包囲。この者を捕らえ、戦線基地内部を検める。常に十名で監視しろ。獣兵士じゅうへいしは普通の拘束など物ともせん。文字通り獣として扱え」
 ロシャブルの声に答える人々の声は小さく、兵士らの重々しい足取りは言われずとも最大限の警戒をしているのだと察せられる。
 黒衣の兵士に包囲され、拘束される最中、そして引き立てられて歩く最中も、トラゲは少しも抵抗をしなかった。

つづく

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