「平行、絶えず」小説:PJ24
はじめに
本作「パラレルジョーカー」には、暴力、暴言、戦争や著しい差別などの描写を含みます。
それに伴い、グロテスクな描写、憂鬱な気分にさせる描写を含む為、苦手な方は本作を読む事をお控え下さい。
また、本作は創作物であり、実在するあらゆるものへの批判や、思想の拡散を目的とした物では無い事をご理解下さい。
01話はこちら。
目次について
本作では本編中の場面転換を軸にnoteの「目次機能」による見出しを付けております。
表記は「 ✕✕✕ 」が大きな場面転換。
その後に付く「 01の零 」など、末尾の漢数字を見出しの番号代わりとしております。
例外として、長い節にも小見出しによる区切りを付ける場合がございます。
しおり代わりにご活用ください。
24 平行、絶えず
素早く引かれた刃が火花を散らし、空かさず刺突の動作へ切り替えて、クリスはグリーセオの顔面を狙った。
グリーセオは迫る鋒を左の拳で逸らし、距離を取る。
「罪を認めるなら其の首を差し出せッ! お前が居ると――」
返し刀で振り下ろされる刃は身を引いて躱し、次いで下段から跳ね上げられる斬撃を篭手を嵌めた掌で受け止め、グリーセオはクリスの剣身を掴んだ。
「お前が居ると戦場が乱される! アルグが死にかけたのも、ツェルダが足を失ったのも、お前の所為だ! お前の!」
剣を掴まれ乍らも押し込むクリスの殺意は激しく、グリーセオは顔を顰めて奥歯を噛む。
「クリス、やめてくれ! グリーセオは謀反なんて――」
「黙ってろ落ち零れッ!」
激情を吐き出して、グリーセオの視界からクリスの姿が消えた。いや、クリスが深く屈み込んだのだ。
其の動作の内に剣を逆手に持ち替えたクリスは、グリーセオの腹を蹴って跳び退り、拘束から逃れた剣を手に回転し、流れる様に攻撃へ移る。
瞬きの暇さえない追撃に、グリーセオは右拳でクリスの斬撃を受け止め、震える息を吐き出した。
(本気で戦わないと、殺される……だが……)
グリーセオが逡巡する間に、クリスは剣を引き戻して後退し、居合いに似た構えを取って駆けて来る。
攻撃の起こりを読ませない構えに、グリーセオは敢えて格闘戦の構えを取って、右の脇腹に隙を作った。
鋭い呼気が聞こえ、グリーセオは構えていた拳を瞬時に振り下ろす。
誘った通りの軌道でグリーセオの腹部を狙った斬撃は、鋼の拳で落とされ、草原に突き立った。
「……俺はまだ、死ぬ訳にはいかない。ライガと渡り合えるのは俺だ。ライガの事情を聞き、それでも分かり合えないのなら――」
呆然としていた様なクリスの姿が揺らめき、グリーセオは右頬に衝撃を覚えて揺らめく。
直後、眼前に迫ったクリスの右拳を左手で受け止め、腹に膝を入れられたグリーセオは、涙を流し乍ら怒るクリスの顔を見た。
「そんな余裕がッ! あの化け物相手にあるか! アルグは死にかけた! 彼奴に殺されそうだったんだ! 彼奴は少しも迷ってない!」
拳で、脚で、クリスはグリーセオを殴打し、グリーセオは其れ等を甘んじて受け入れる。
大粒の雨が、下草を叩いた。
「あんたが……っ! あんたに甘えが無ければ、殺せんだろうが! あんな奴……!」
グリーセオを殴りつけるクリスの拳は徐々に萎え、クリスは膝から崩れ落ちる。
泣き崩れ、尚も弱々しくグリーセオの足を殴り続けるクリスを見下ろして、グリーセオは後退った。
篠突く雨が降る中、クリスは行き場を無くした手で土を握り締めている。
「……何人殺しても……誰を殺しても…………俺は、何も変えられなかった。変わるのは、その人が居た事実だけだ。人を殺した先には、人殺しの罪悪感と、厭に甘い誘惑だけが残る。殺して得られる物は何も無い。ただ……ただ自分の手を汚して、他人に失わせるだけだ」
雨と泥に塗れて泣き噦るクリスの姿に、グリーセオは戦場から離れて悪夢に苛まれる日々を送っていた己を重ねた。
「だから……俺は……! 俺は、人を生かす事で変わる世界が良い……!
フェリダー共和国の人間は、悪魔じゃない。人間だ。人だったのに、生体兵器にされ、化け物と貶されるライガを、見捨てたくない。誰も、殺したくない…………」
激しい水音を立てて、クリスの拳が地面に振り下ろされる。
真っ赤に充血した眼が、グリーセオを睨んだ。
「カーニダエは、他国の屍で築いた国だ……! カニス族は……! その中でも最も多くの戦果を東で上げた! フェリダーの屍で伸し上がったんだ!
――あんたが言ってんのは、誇り高い祖先への冒涜だ……!」
「違う、これからの時代の話だ」
「これからも変わらない! 私達は人を殺して生きる! 強くなきゃ、生かす事なんて出来ない! グリーセオ……あんたの考えじゃ、カーニダエは死ぬ!」
「力だけじゃ変わらないんだ、クリス!」
「黙れぇぇッ!!」
握り締めていた土を投げ捨て、クリスが振り抜いた右拳は、二人の間に割って入ったアルゲンテウスの顔に当たった。
クリスに殴り飛ばされ、尻餅を突いたアルゲンテウスは、口端から血を流して笑う。
「いってぇ……グリーセオ、よくこんなの耐えてたなぁ……」
「アルグ……なんで……」
呆然と言ったクリスの前で、口許の血液を雨粒ごと腕で拭い、アルゲンテウスは目に涙を溜めた儘、笑顔を作って見せた。
「もう止めようぜ、クリス。それに、グリーセオも、さ。
……俺、どっちも分かるから。殺すのは辛くて、嫌な事だ。……でも、そんな事でも、やらなきゃならない。俺達って、戦士だし。だから……」
「だったら! こんな馬鹿を放置してられないって分かるでしょ!?」
「だからこそ! ……だからこそ、グリーセオが必要だと思う。でもそれは、フェリダーとの戦いが終わった後だ。
――それじゃ駄目かな、グリーセオ……」
真っ直ぐに向けられた切れ長の瞳を見て、グリーセオは息を呑む。
「カーニダエがこのまんまじゃ駄目だって言うのも分かる。でも、フェリダーには……ライガには、甘い事言ってらんないよ。
彼奴がまだ生きてんなら、それに……ライガだけじゃない。フランゲーテの騎士でも敵わない奴がごろごろ出てきたんだ。次に死ぬのは、俺や、クリスや、グリーセオかも。
だったらさ……どんなに可哀想でも、どっちかしか選べねぇって言うんならさぁ……! 俺……俺は、二人に生きてて欲しいよ……! たとえ、子供を殺してでも……!」
悲痛な面持ちの中に、青く燃える瞳を見て、グリーセオはアルゲンテウスから目を逸らした。
雨の所為では無い。身内から冷える感覚を抱いて、グリーセオは歩き出す。
「…………少し、考えさせてくれ」
雨音に消されてしまいそうな声音で呟き、背中に濡れた何かが――恐らくは、泥が投げ付けられた。
「考えてる余裕なんかあるか! そんな余裕、てめぇにやるか! アルグの言う通りにしろ! 謀反野郎!」
泣き叫ぶクリスの声を背で受けて、グリーセオは歩く。
雷雨で濡れた泥が、重たく靴に纏わりついた。
✕✕✕ 24の二
降り頻る雨の中、砂岩製の通りを駆けて来る一頭の獣が居た。
「サビロイ!」
嬉しそうな声を上げたヒョウを、ライガは左手を伸ばして制する。
「動くな」
「え、ライガ、あれはサビロイ――」
「邪魔するな」
ライガの心音が轟き、睨み付けられたヒョウは怖ず怖ずと後退った。
「おい、ライガ。随分な歓迎じゃねぇか。取り敢えずオレも其処に入れてくれよ」
そう言いつつも異変を察して足を止めたサビロイは、体中から暗灰色の煙を噴き上げ、黒衣に身を包んだ人間へと姿を変える。
其の腰に提げた二振りの短剣を見て、ライガは目を細めた。
「サビロイ、何をしてた」
地面に突き立てていた深緋の長剣を引き抜き、ライガは問う。
「何って、これさ。これを探してたんだよ」
緊張を戯けた表情で隠し、サビロイは腰の短剣を左右の手に一つづつ掴み、ライガに差し出す様に腕を伸ばした。
左手に握るのは、刃も柄も白い短剣。柄に遇われた金の装飾と重なる様に、剣身にも金の刃紋が走っている。
そして、右手に握るのは、短剣にしては柄の長い漆黒の武器。
其の何方にも見覚えがあったライガは、二振りの短剣からサビロイへと視線を移す。
「死体を漁ってたとでも?」
「いいや、ライガがヒョウに乗って撤退する迄に手に入れてたんだよ。奪ったんだ、敵から。
でもさぁ、青い首布の奴にやられて、砂漠に落としちまったんだよ。フェリダーじゃ魔法の武器なんて貴重だろ? 敵も撤退してたし、早く拾わねぇとって、大慌てで探し回ってたって訳」
手にした武器を見比べる様に顔を寄せ、話し終わるが早いか、サビロイは白い短剣の鍔に息を吹き掛けた。
白い剣身から閃光が放たれる瞬間、ライガは額から外骨格を伸ばし、目を覆って駆け出す。
背後、崩れた建物の奥でヒョウが悲鳴を上げるのを聞き乍ら、ライガは全身で感じる律動だけを頼りに、長剣を振り上げた。
激しい金属音が響き、ライガは目を覆っていた外骨格を体内に納める。
ライガの剣は、サビロイが持つ漆黒の短剣と鍔迫り合っていた。
「そんな玩具で、オレを殺せると思ったかッ!」
斬り結ぶ点に体重を掛け、ライガは深紅の外骨格で覆った右脚を振り上げる。
サビロイは其れを逆手に持ち変えた白い短剣で受け止め、笑った。
「違ぇよ、実演して見せようとしただけだって」
受け止められた右脚を引くと共に、ライガは小さく跳び退り、左腕を振るう。
左腕を覆っていた外骨格の一部が抜け、撃ち出された六つの棘がサビロイの体に刺さり、一瞬の隙の内にサビロイの懐へ踏み込んだライガは、サビロイの胸元に鋒を突き付けた。
「此処に居るのは知ってんだよ。死ぬか、剣を渡すか、選べ」
「…………降参」
言って、サビロイは二振りの短剣を地面に落とす。
「退け。十歩、大きくだ」
ライガの指示に従い、大股で後退したサビロイを見送り、ライガは二振りの剣を蹴り上げて、左手で一纏めに掴んだ。
「次は無ぇぞ。サビロイ」
「はいよ……」
雨を受けるサビロイは頭を振って溜め息を吐く。
其れを見て、ライガはヒョウの居る方を振り返った。
「もう良いだろう。ヒョウ、戦線基地に戻る」
「……わ、わかった」
「お前もだ、サビロイ。着いて来い」
「仰せの儘に」
仰々しく礼をして見せるサビロイを睨み付けて、ライガは深紅の獅子へと姿を変える。
右肩と左肩、夫々に外骨格で挟み込んだ三振りの剣を携え、ライガは駆け出した。
大粒の雨が降る中、三頭の獣が北へ駆ける。
雷は時折、彼らを狙い撃つ様に落ち、砂地を吹き飛ばした。
✕✕✕ 24の三
故郷は、緑豊かな山と青く澄む穏やかな海の間、傾らかな丘陵地帯を切り拓いた小さな町だった。
フランゲーテ魔法王国に於いて、一般的に〈サンノゼ海岸〉と呼ばれる地域は、今、タロウが立っているカーニダエ帝国東端の草原から南へ一直線に向かえば辿り着く。
――カーニダエ帝国の南部から東部迄を覆うリトラ砂漠を越え、その先にある、絶えず荒れ狂う〈ゾネント海〉を一直線に通る事さえ出来れば、という話だが。
陸路で行けば十六日は掛かる遠き故郷を想い、草原に立って南を見詰めるタロウは、肩に手を置かれる迄、背後から歩いて来ている人物に気が付かなかった。
「タロウ、体はもう良いのか?」
振り返った先には、五年前に――フランゲーテ魔法王国で不定期に催されている、剣闘舞曲祭で――出会った女性の戦士、今は装備も外し、平服を着ているマリアンヌ・フランクリンが固い表情を浮かべて立っていた。
「ああ。首も骨も治してもらって、後は体力が戻るのを大人しく待てってさ。グリーセオが助けてくれなきゃ、死んでたなぁ」
「……そう」
歯切れの悪い相槌を打つマリアンヌをちらと見て、タロウは南の空へ顔を向け直す。
「…………変な噂流したの、マリアンヌんとこの人達だろ」
タロウの言葉に、マリアンヌは答えない。然し、その沈黙がタロウに確信を持たせた。
「……あの人は甘いよ。本気でやり合ったら誰にも負けないのに、戦う事自体は嫌って感じだ。何となくだけど、そういう雰囲気してる」
昨晩の戦いが嘘であったかのように、穏やかな風が東から吹き、下草が歓声めいた音を立てる。
だが、其れは嵐の前の、いや、雷雨の前の静けさだった。
未だ東に傾いている太陽が、ゆっくりと黒雲に覆われていき、タロウとマリアンヌの立つ草原は矢庭に暗くなる。
「俺もさ、隊長が重傷だって聞いて、其れをグリーセオがやったって聞いた時は、一瞬だけ、ブッ殺してやるって思った。
思ったけど、あの人は理由も無く人を殺す奴じゃないって、そうも思って、むしゃくしゃしてた。グリーセオ、まだ寝てるって言われたし、問い詰めようが無いもんな」
其処で言葉を切り、タロウはマリアンヌの反応を待った。
雨の匂いが立ち込め、東の方から雨音が聞こえる迄待ち続けて、マリアンヌの方を向く。
マリアンヌは、眉間に皺を寄せ、目を閉じたまま俯いていた。
「マリアンヌ、俺達、何で戦いに来たんだっけ」
マリアンヌの言葉を聞く可く問うたタロウに、迷いと後悔を湛えたマリアンヌの顔が向けられる。
「…………フェリダー共和国を倒して、フランゲーテとカーニダエの協力関係をより磐石なものにする為、だろ」
マリアンヌの答えを聞き、タロウは再び南を、フランゲーテ魔法王国がある方角を見る。
黒雲はリトラ砂漠からゾネント海上空迄に掛かっているが、フランゲーテ魔法王国の上空には無い。
タロウにはそう思えた。
「――そう。だから態々騎士が出向いたし、この後の増援部隊まで、国王陛下は用意して下さってる。
そんな俺達がさ、カーニダエに……其処に住む人に敵意を向けるなんて、あっちゃいけないんだ」
自信を持って発したタロウの声の後に、マリアンヌの弱々しい笑い声が響く。
「お前、変わったな」
「え、そう?」
「うん。なんつぅか、騎士様って感じだよ」
「でも俺、騎士はお断りしてるしなぁ」
平然と言ったタロウに対し、マリアンヌは「はぁ!?」と声を上げた。
「どういう事だよ、それ」
「どうって……俺、ハンソーネの誘いは受けたけど、騎士に成るつもりは無いから。公には〈トロンバ家従属剣士〉なんて呼ばれてるけど、国を守れりゃ……いや、隊長と一緒に国を守れりゃ、それで良いかなって」
「……お前、剣闘舞曲祭の時、サンノゼの英雄になるとか何とか言ってなかったか?」
「え? あぁ、うん」
「今は、違うのか……?」
「いや、だからさ、戦士として国を守って、故郷の皆を――」
「一般市民が騎士になれば、其奴の故郷には多大な恩賞が出る! 知ってて言ってんのか!?」
マリアンヌが叫ぶと、頭上で雷鳴が轟く。
タロウの耳にはマリアンヌの声しか届かず、只、ぽかんと目と口を開けていた。
「……俺、王様に直接……断っちゃった……」
呆然とするタロウに、マリアンヌは深い溜め息を吐く。
「お前…………あーあ。なんか馬鹿らしい。こんな阿呆に説教されたとか、部下共に笑われるわ」
「な……あ、あ! そうだ! マリアンヌ、俺の事はもうしょうがねぇ! でもそれより、グリーセオの事!」
「分ぁかったよ。あたしもお得意様に泥を塗るなんて事はしたくねぇ。
――でも、これだけは言っておく、返答次第じゃグリーセオを殴り飛ばすからな。止めんなよ」
「それは無理。隊長はそんな事を望まないからな!」
「クソッ……とにかく、グリーセオを探すぞ」
毒突いて踵を返したマリアンヌを追い、タロウは自軍の天幕が張られた臨時の拠点へ向かう。
大粒の雨が、肩を叩いた。
✕✕✕ 24の四
フェリダー共和国では、雨は貴重な水源の一つだった。
蛻の殻と化した〈スナド戦線基地〉で『清掃』を行っていた黒衣の兵士達は、歩哨から雨雲接近の報告を受け、大慌てで水を貯める準備と濾過装置の点検に入り、雨が降り出せば、誰からとも無く腰を下ろす。
彼らは昨日の午後からジマーマン領の都市を発ち、半日に及ぶ移動を経て辿り着いた要所が人や化け物の死骸に塗れていた為に、休みを挟まずに清掃をしていたのだ。
(無理もない……)
城砦の北西部に建つ石造りの塔、其の三階に在る一室で窓辺から彼らの様子を見下ろし、胸中に呟いた中年の男、ロシャブル・ジマーマンは室内を振り返る。
簡素な個室では、六人の武装した兵士が壁に背を向け、彼らに監視される形で、濡羽色の外骨格に身を包んだ悪魔――異形に変貌したトラゲが、顔の無い頭部を垂れて椅子に縛り付けられていた。
「……トラゲ。状況だけを見れば、お前が報告した事に嘘は無いと見受けられる。だが、数時間が経った今も尚、生体兵器が戻って来ない点に関しては、君の知らない所でライガが殺害、若しくは鹵獲された可能性もまた否めない。
この失態の責任は、生きていればスナド・ル・フィッシャーに背負わせる積もりであったが、軍関係者で生存した者が君一人であり、其れが他領の――ガーランド領の騎士と来れば、人一人で背負える責任では無くなる。
慎重に答えを選べよ。トラゲ。お前は何故、此の場所に赴き、上層部へ断りも無く生体兵器の運用を行った?」
ロシャブルの問いに、かちり、と固い牙が擦れ合う音が返される。
尾が生え、外骨格に覆われている以外は大まかに人の形を残しているトラゲが、何を言うかを迷っているのだと捉えたロシャブルは、手近な椅子を掴み、彼女の正面に腰を下ろした。
「死んでも言えない内容か」
重ねて問うロシャブルに、トラゲはゆっくりと頭を擡げる。
「…………私が知る事実は……隠し通す事で、我が国に延命を齎しました……。今、この場で、ロシャブル様にお話すれば、フェリダーは混迷を極めます」
「其れ故に、カルニボア機関が在るとでも?」
ロシャブルに言われ、トラゲは小さく息を呑んだ。
「私は今、真実の扉の前に居る。私兵を用いてカルニボア機関を探り、帝国との繋がりをも知っている。ライガという生体兵器が、カルニボアでは〈集大成〉等と呼ばれる事さえ、な」
ロシャブルの話を聞いたトラゲは、再び項垂れる。
軈て、彼女はゆっくりと凶暴な顎を開いた。
「……私は、そして、私が殺したスナド・ル・フィッシャーは、カルニボア機関の構成員です。今回のカーニダエ帝国の奇襲攻撃は、ライガの完成度を確かめる機会として好都合であり、機関の計画に則り、上層部にはライガの件を秘して兵器の輸送を行いました」
トラゲの告白に、ロシャブルは目を細めて背凭れに身を預ける。
「然し乍ら、私が知る範囲とスナドが知る範囲には擦れがあります。カルニボア機関では我が国の最高機密を扱う。故に、一人一人が知る事実は敢えて絞られるのです。
私が知るのは、機関の構成員として戦場で利用される、駒として有用な範囲のみ。
――私がスナド戦線基地へ赴き、スナドに生体兵器を預け、運用させた目的は、ライガの完成度を確かめる事と、其の結果を機関へ報告する事にあります。ライガの生死は関係無く、あれを生み出す方法が正しい物であったか如何か。其れを知る事だけ」
「だから生体兵器と離れ、基地に残っていた、か」
「……機関の構成員と雖も、全ての構成員を知る訳ではありません。相互監視が成り立つように、カルニボア機関の主要人物ですら知らない構成員が居ります。
基地に戻った私は、基地内部に居て自我を保っている構成員を探す傍ら、見境の無い獣を狩り尽くしていました」
「……広範囲の獣化現象…………此度の生体兵器には其れが備わっているのか?」
「事前の計画にも、ライガの情報にも無い能力です」
「君が知らなかっただけでは?」
「生体兵器を運用する場に居合わせる構成員に伏せる理由がありません。其の証に、私はライガの開発中に機関より紅血反応式獣化魔法装身具を渡され、この姿に変化したのです。死を前提とした駒に預ける代物ではありません。
対策は疎か知識さえ無いのなら、構成員である必要は無いのですから」
ふむ、と呟いたロシャブルは、不意に室内の兵士、その一人へ顔を向けた。
「ジャグア、此処迄に嘘はあるか」
ジャグアと呼ばれた黒衣の女性兵士は静かに頷く。
「トラゲは私よりも生体兵器に関する知識を与えられていますが、構成員としての扱いは同程度。調査で判明した事の裏付け以上は無いと思われます」
ジャグアの報告にロシャブルは頷きだけを返して、トラゲへ顔を向け直した。
「さて、ここからはカルニボア機関の構成員への尋問では無くなる。トラゲ、君個人へ向けた提案だ。
――ガーランド領の騎士、トラゲはカーニダエ帝国の奇襲攻撃によって死亡した。
この様に処理し、私の私兵として生きる道を用意出来る。此れ程に姿が変わってしまえば、そういう事に利用出来る状況だろう。
君に、生きる目的はあるか?」
顔の無い頭部、其の目があると思しき辺りを見詰めて、ロシャブルは問う。
対するトラゲは再び迷う素振りを見せ、そこに、室外で話し声がしたかと思えば、素早く扉が叩かれた。
「何だ」
「ロシャブル様、生体兵器が……三体。ライガと名乗る獣が先導し、南の門前に到着したと報告が……!」
「直ぐ行く」
扉越しに伝えられた報告に素早く答え、ロシャブルは椅子から離れる。
「トラゲ、先程の答えはゆっくりと考えておけ」
「お待ち下さい。私は……私は、カーニダエ帝国を打倒する為に生きてきました!
もし、其の目的がロシャブル様の御意向に沿うのであれば……居場所を、戴きたく存じます」
出来る限り身を乗り出し、ロシャブルに縋る様なトラゲを見遣り、ロシャブルは室内の兵士に目配せをした。
「直ぐにとはいかない。先ずは拘束された儘、着いて来なさい」
「……ありがとうございます」
ロシャブルに頭を垂れ、トラゲは椅子から放たれて、兵士らが縄を結び直すのを大人しく待つ。
部屋を出て、見張りを任せていた四名の兵士と合流し、ロシャブル達は歩く。
石造りの城砦内部には、豪雨の音が反響していた。
✕✕✕ 24の五
騒がしい雷雨の下、カーニダエ帝国とフランゲーテ魔法王国の兵士らの多くは天幕の中へ避難し、アダルガーもまた大型天幕の一つへ向けて足早に歩いていた。
目的の天幕に辿り着き、入り口に掛けられた即席の張り出し屋根の下で雨粒を払う中、アダルガーは此方に駆けて来る二つの人影に目を留め、眉を顰める。
同じ位の背格好である二人の内一人、短い髪を雨で萎れさせた青年――タロウ・サンノゼが、滑り込む様にアダルガーの前で片膝を突いた。
「アダルガー様! グリーセオさんを御存知ありませんか! 俺、あっいや、自分、グリーセオさんと話したくて……!」
雨に負けない所か雨音を掻き消す声量でタロウが言い、耳鳴りを訴える鼓膜に顔を顰めつつ、アダルガーは天幕の中を示す。
「此処だ。雨を払ってから入りなさい。君もか? マリアンヌ」
アダルガーの許へ駆けて来たもう一人、マリアンヌ・フランクリンは頷き、屋根の下に入って、濡れて肩に貼り付く髪を絞った。
「私も今から話の場を設ける所だ。丁度良い。最低限の身なりを整えたなら、入りなさい」
「畏まりました」
軽く頭を下げたマリアンヌに、そしてその傍らで髪を掻き上げているタロウに頷いて、アダルガーは天幕へ入る。
幕屋内には、部下を通して呼び付けていた顔触れが揃っていた。
大型の机を囲う椅子には、北側にカーニダエ帝国の二名――スペオトス・ベナティクス駐屯基地首領、グリーセオ・カニス・ルプスが。
そして南側には、フランゲーテ魔法王国の三名――医師ヤネス、ジェンナロ・ヴィナッチャ男爵、バストロ・ハーウッド男爵が掛けている。
彼等はアダルガーの姿を認めるや否や、一様に立ち上がろうとするので、アダルガーは掌を見せて制し、南北双方の顔を見る事が出来る最奥部の席に腰を下ろした。
「皆様方、お待たせしております。フランゲーテ魔法王国より、グリーセオ殿とお会いしたいと言う者が二名、間も無く着席しますので、今暫くこの儘で」
三者三様に返される了解の意を受け止め、アダルガーはヤネスを見遣る。
ヤネスは其の視線に気が付き、そっと紙を差し出した。
素早く紙面に目を通し、アダルガーが机上の水飲みに口を付けて一息ついた頃、天幕の入口部分が大きく揺れる。
「失礼します!」
距離を取って建てさせた周辺の天幕に迄届きそうな声が響き、アダルガーは苦笑した。
「入りなさい」
言って、妙に緊張の緩む感触を抱きつつ、アダルガーは表情を引き締める。
幕屋内に踏み込んだタロウとマリアンヌはフランゲーテ魔法王国式の礼をして、アダルガーが手で示した位置――フランゲーテの人々が掛ける南側の席に腰を下ろした。
「カーニダエ帝国のお二人、大変お待たせしました。これより、昨夜の戦闘で複数確認された〈生体兵器〉の情報共有、及び今後の作戦草案に関わる、フェリダー共和国討滅へ向けた会議を行います。
然し、此れに際して、先ず始めに私から御報告を」
其処で言葉を切り、アダルガーはスペオトスの目を見る。
彼女はアダルガーから事前に受けた報告と相談、其の内容を思い出したのだろう。意を決した様に、ゆっくりと目を瞑った。
次いで、アダルガーはヤネスを見遣り、彼が頷くのを見届けて、ジェンナロへと目を移す。
「……先の戦闘により生還した、我が国の部隊〈コーア〉の隊長、ハンソーネ・トロンバ伯爵について。
フランゲーテの国家医師、ヤネスに調査をさせ、彼女が生体兵器と化している事が判明しました」
「な……ッ!」
声を上げ、音を立てて腰を浮かせたジェンナロは、深く呼吸をして腰を下ろした。
「…………失礼」
それだけ言って、ジェンナロは固い面持ちでアダルガーを見る。
「フランゲーテの資料にある生体兵器とは異なるものの、この事実に変わりはありません。
――そうだな? ヤネス」
アダルガーに水を向けられたヤネスは、緊張からか、肩で息をし乍ら頷いた。
「ハンソーネ伯爵の状態は、一般的に見れば、マギニウムと結び付き易くなってしまった状態……私は、そう判断し、生体兵器と化したとは言えない。そう、診断していました」
アダルガーの話を引き継いだヤネスは、落ち着き無く目を泳がせ、軈て、机上の何も無い一点に留まる。
「……し、然し…………カーニダエ帝国、奇襲小隊の生存者から摘出した体組織、つまり、ライガと呼ばれる生体兵器の個体、其の一部を見たところ……フランゲーテに於ける生体兵器の定義が、フェリダー共和国の其れとは異なるのだと、明らかになりました」
荒い息を整える様に、ヤネスは目を瞑り、瞬きを繰り返して、怖ず怖ずといった具合に右隣――ジェンナロ・ヴィナッチャを見た。
「ハンソーネ伯爵は、そして、魔法を込めた武器を使い、戦う方々は、フェリダー式生体兵器の因子があるのです」
そう告げたヤネスと、事前に知らされていたアダルガー、スペオトスの三名を除き、その場の五人は動揺の声を漏らす。
「その情報は確定なのか? 魔法を使えば、誰しもが生体兵器に成るとでも?」
グリーセオの問いに、一同の視線は再びヤネスへ向けられた。
「少し違います。フェリダー式の生体兵器は――と言っても、ライガという個体に限られますが、彼の硬い体組織の中心部は、乾いて固まった人間の血液と殆ど変わりが無かったのです。
そして、其処に含まれる成分の比率や構造は、帰還した後のハンソーネ伯爵の血液の其れと酷似していました。
その事に気が付いた私は、治療魔法に用いる為の事前の検査書類と照らし合わせ…………フランゲーテ魔法王国の戦闘員、特に魔法を扱う方々、それから、過去に魔法によって大きな傷を受けた方々に、因子とでも呼ぶ可き共通点を発見したのです」
「……フェリダーは、其れに気が付き、生体兵器を作った……?」
呟く様に言ったジェンナロに、ヤネスは頷きを返す。
「し、しかし、ハンソーネ伯爵は吾輩や、他の騎士らと共に戦場で戦い続けておりました!
敵に何かをされる隙など、有れば誰かが目にしている!」
ヤネスに詰め寄るジェンナロは、怖がるでも焦るでも無く、悲痛な面持ちをした儘のヤネスを見て、愕然とした。
「……まさか、有ったのか……原因となる、攻撃か、何かが……?」
「ジェンナロ、ヤネスの推察を事実としたのは、ハンソーネ自身だ」
「そんな……」
ヤネスに代わって答えたアダルガーに、その場の目が全て向けられる。
「ハンソーネに心当たりが無いかを聞いた所、彼女はライガとの戦闘中に、彼の血液を飲んだと言っていた。
冗談だとは思いたいが、フェリダーの生体兵器は感染する。其れも、前線で生体兵器と対峙する戦士は特別に素養があると来た。
現状、確認されている感染方法は血液の経口摂取だが、傷口に血液が入った場合でも同様だろう。若しかしたら、もっと簡単に感染するかもしれない」
ジェンナロの方へ顔を向けていたアダルガーは、視界の端で挙げられた手に気が付き、スペオトスへ顔を向けると同時に先を促した。
「もしも近くに居るだけで感染するのなら、基地は……〈第三ナスス駐屯基地〉は今頃、全員が生体兵器だろう」
スペオトスの言葉に、アダルガー以外の者が困惑を顕にする。
彼らの反応を気にも留めていない様子のスペオトスは椅子を引き、立ち上がった。
予め用意していたのだろう。スペオトスが左脚を隠す裳を除ければ、幾層もの薄い鋼で構成された様な、普通の人間とは全く異なる脚が現れる。
その光景に幕屋内の人々は目を剥き、鋼の脚とスペオトスの顔を見比べる様にした。
「これは三十年前、敵の生体兵器にやられた傷に因るものだ。その傷は日に日に私の脚を侵食し、左足の先から腰の辺り迄を変化させ、以降変わりは無い。
ヤネス医師よ。貴方はこうなっている私をどう見る?」
「……見た限りでは何とも。然し、其れ程の変質、血液や他の部分に異常が無い筈はありません。恐らくは、ハンソーネ伯爵の右手と似た状態かと」
「だろうな。で、あれば、感染の条件は明確だ。ヤネス医師の言う『因子』を持ち、フェリダー式生体兵器の体組織、其れが体内に入る事だろう。
そうであると仮定し、せめて様子見の名目を掲げれば、ハンソーネを処分する必要は無くなるな、アダルガー殿?」
席へ戻り、アダルガーの目を見て言ったスペオトスに、アダルガーは驚きを隠せなかった。
「未知の存在と化した人間、更には其れが敵の兵器と化している等と聞けば、誰もが排除したいと思う筈だ。貴方も例外では無い。当然の帰結だよ。
だが、此処に三十年間この体と付き合い続けた人間が居て、其れにフランゲーテと敵対する意志が無ければ、別の道も拓けよう。
――ハンソーネ伯爵は、幸運にも意識を取り戻し、生還した。今ならばそう言える筈だ」
スペオトスの言葉を聞き、アダルガーは内心で己を恥じ、そしてスペオトスに感謝した。
「……スペオトス首領に先を越されてしまいましたな。
貴女の仰る通り、本日、第一の議題として考えていたのは、生体兵器と化したハンソーネ伯爵の処遇についてでした」
「でした、と仰るのであれば、アダルガー様はハンソーネ伯爵を生かす方向で考えて下さると、そう受け取って宜しいので?」
険しい表情で問うジェンナロに、アダルガーは眉を顰める。
「私とて自国の騎士を殺したい訳では無い。然し、彼女が再び暴走するのであれば、生かしてはおけない。
ジェンナロ、君もそうだろう。兵の命を預かり、其れを利用して戦うのが君の為す可き事だ。徒に部下を危険に晒すのは、陛下の臣民を無為に死なせる事に他ならない。
――我が国の騎士は、多くを救う為に身命を賭す使命を背負っている筈だ。フランゲーテの爵位を名乗る事は、其の使命を公に掲げる行為。ハンソーネも、いや、彼女だからこそ覚悟をしているだろう」
アダルガーの言に、苦悩を顔に出したジェンナロは小さく何かを呟いたが、其の殆どは音にならなかった。
「……この場の全員に、私、アダルガー・フォン・ルートヴィヒより、フランゲーテ、カーニダエ連合軍の臨時司令官として命じます。
今後、フェリダー共和国討滅戦に於いて生体兵器と化した戦士は、其の地位、功績を問わず、友軍への攻撃行為を確認し次第、処刑対象とする。
だが、此れはフランゲーテとカーニダエ、両国間の信頼が有ってこそ成り立つ判断。生体兵器の処刑行為は慎重に調査される事をお忘れ無きように」
アダルガーが下した決断に、幕屋内の人々は沈黙し、雷雨だけが騒々しい。
初めに答えたのは、スペオトスだった。
「第三ナススは了解した。一定以上の階級を持つ兵士に周知し、徹底させよう」
其の発言にグリーセオは難色を示す。
「スペオトス首領、アダルガー様と異なり、俺達は皇帝陛下への相談が必要なのでは」
「ああ、故に『第三ナススは』と言った。事は急を要する。生体兵器が〈スナド戦線基地〉を拠点として反撃に出るとすれば、迎撃するのは我々だ。現状を我が基地の一部人員へ周知して損をする事は無い。
其の後に、首都へ上奏し、皇帝陛下の返答を待つ」
「皇帝陛下への書状には、私も一筆認めましょう」
スペオトスの説明にアダルガーが付け加えれば、グリーセオは其れ以上を言わず、別の手が挙げられた。
「……友軍で発生した生体兵器に関する対処は異論ありません。ただ、本件に伴ってあたしから話したい事がある」
言い出したマリアンヌに、アダルガーは他の面々の様子を見て、先を促す。
「グリーセオ・カニス・ルプス、あんたと、内の隊長ハンソーネ・トロンバに関係する話だ。気を失ったハンソーネをスペオトス首領が回収した頃の、な」
マリアンヌの発言に、其の隣に座るタロウは表情を固くし、グリーセオは何処か待ち侘びていたかの様に、顎を引いた。
「グリーセオ、卑屈も嘘も無しにしろよ。正直に答えてくれ」
鋭く睨むマリアンヌへグリーセオは頷きを返し、大きな雷鳴が一つ、轟いた。
✕✕✕ 24の六
雨音は強く、厚い石壁の向こうから簡素な室内へ響いて来る。
乾いた布で濡れた髪を拭き、ライガは前髪を掻き上げた。
「髪は切らないのか?」
石造りの室内――〈スナド戦線基地〉の外壁に設けられた兵士詰所に響いた声の主へ目を向け、ライガは顔の雨粒を手で拭い、払い捨てる。
「お前は?」
質問を無視したライガに、中年の男は苦笑した。
「ロシャブル・ジマーマン。此の戦線基地を含むジマーマン領の主であり、今は戦死したスナド戦士長の代わりに此処の指揮を執っている。
――とは言え、基地内部は私の部下を除き、蛻の殻だがな」
「……らしいな」
呟いたライガは、数日の内に襤褸切れ同然と化した絝を絞る。
「で、ライガ。何故髪を切らない。戦闘には邪魔だろう」
重ねて問うロシャブルを睨み、ライガは鼻を鳴らした。
「スナドの上官なら知ってるだろ」
「いいや? 私はスナドを泳がせていたのでな、上官ではあるが、君……いや、君達に関しては知らない事もある」
此れにもライガは溜め息を吐き、億劫そうに背を伸ばす。
「オレの体は全部武器だ。使用頻度の多い爪は自然に消費するが、髪は伸びる方が早い。……これで満足か」
「成程、君なりの備えなのだな」
ロシャブルが言う間に、ライガは石壁に背を着けた。
石造りの個室には出入口が一つしか無く、六人の兵士とロシャブルが其処を背に立ち開かっている為、壁面にしか気を許せない。
「ロシャブル、そろそろ本題を話せよ。基地に居る生体兵器……トラゲとあんたは繋がってんだろ」
ライガに言われ、ロシャブルは小さく笑った。
「其れも否、だ。私は本件に驚かされた事の方が多い。スナドの不穏な動きを捉えてはいたが、君が此処に居る事も、生体兵器が増えた事も、誠、想定の上を行かれて辟易している。
――とは言え、一つは得心がいきそうだがな。彼の黒い異形、外でも言っていた様に、ガーランド領の騎士、トラゲで間違い無いんだな?」
「オレも詳しくは知らん。彼奴がそう名乗ってるなら、ガーランド領でオレを捕らえ、此処に連れて来たトラゲだろう」
「彼女が使っていた得物を見た事はあるか?」
「……黒い三ツ又槍。二本一対だった。今は彼奴の頭と背骨――尾になってるだろ」
「ふむ、其れも真実らしい、か」
一人で納得した様子のロシャブルを見て、ライガは壁を背にしたまま座り込む。
「オレにも聞かせろ。スナドが戦死したと言っていたが、誰が殺した。其れと、此の基地を誰が掃除した」
ライガに問われ、ロシャブルは笑みを消した。
「其の何方も、生体兵器と化したトラゲが行った。
スナド以外の兵士は残らず〈獣化〉した事から、お前の力を利用したスナドが何らかの工作をしたと睨んでいるが、調査はこれからだ」
ロシャブルの答えを聞き、ライガは視線を落とす。
「君としては直ぐにでも反攻したいだろうが、此の一帯を統治する戦線基地がこうではな。
それに、如何な生体兵器と雖、休息は必要だろう。此方で方針を固める迄、君の仕事は休む事だ。行動の自由は基地内部に限られるがな」
「オレや他の生体兵器を抑えて居られるとでも?」
「おや? 君には守る可き子が居るのだろう?」
即答するロシャブルに眉を顰め、ライガは舌打ちをした。
「兵器は兵器らしくしてろってか」
「乱暴な物言いをすれば、そうなる」
ライガは鼻を鳴らし、ロシャブルの目配せを受けて進み出した兵士を睨む。
「拘束する。右手を出せ」
兵士に言われ、ライガが立ち上がり乍ら差し出した右手首に、太い腕輪が嵌められた。
腕輪はライガにだけ分かる程度の微細な振動を発しており、ライガの全身は其の魔法に苦痛を訴え、ライガは顔を顰める。
「……接触式、阻害魔法か」
「ほう。生体兵器は魔法への勘が鋭いのか」
「オレだけだ。ヒョウとトラゲ、それからサビロイはオレよりも純度が……精度が低い」
「その辺りも、追々聞くとしよう。着いて来なさい」
兵士に囲まれ、ロシャブルの後を追い、ライガは部屋を出た。
雷雨で冷やされた空気が、石造りの通路を通り抜ける。
通路に設けられた個室への出入口に差し掛かる度、ロシャブルは扉を叩いて中に声を掛け、人の姿に変わり、ライガ同様腕輪を付けられた生体兵器――ヒョウ、サビロイと合流し、三つ目の個室から現れた濡羽色の外骨格を見て、ライガは一歩進み出た。
「おい、ロシャブル。トラゲがこのままだと不便だろ」
ライガの声に、周囲の視線が集まる。
「君が如何にか出来るのか?」
ロシャブルの問いにライガは軽く首を捻り、トラゲの右手を指差した。
「さぁな。出来るなら其れに越した事はねぇだろ。取り敢えず其の腕輪を外せ」
ライガの言葉に、ロシャブルは暫しの間兵士らと目を見交わす。
「閉所六型戦闘態勢。抜剣。解錠と再拘束は速やかにしろ。
――これくらいの警戒はさせてもらうぞ、ライガ。後は任せよう」
口早に飛ばされた指示に三十人近い兵士らは素早く対応し、ロシャブルが話し終えると、右手首にトラゲの物とは似て非なる腕輪を嵌めた兵士が進み出した。
「トラゲ、腕輪を」
彼はトラゲに右手を差し出させ、双方の腕輪にある宝飾部を擦り合わせる。
かちり、と音を立てて外れた腕輪を取り、一歩退いた兵士に続いて、トラゲはつるりとした外骨格に覆われた顔をライガへ向けた。
「トラゲ、お前が何処までその体を操れるか分かんねぇが、ヒョウとサビロイに出来てるんだ。戻せよ」
ぶっきら棒なライガの物言いに、ロシャブルの苦笑が通路に響く。
「ライガ、生体兵器なら全員、感覚的に分かる事なのか?」
「出来るならとっととやれって言ってんだ」
「……分からない」
苛立ちを滲ませるライガの声に続き、萎らしく言ったトラゲへ、ライガは溜め息を吐いた。
「心臓だ。生体兵器の心意を音に乗せりゃあ、体が反応する。骨、肉、皮膚、体毛、血液。全部が反応式の魔剣だと思え」
ライガが言い終えると、トラゲは顔を俯かせて、周囲の兵士にも聞こえる程に心音を響かせる。
心音が繰り返される度、トラゲの姿は――外骨格は折り畳まれる様に彼女の体内へ収まり、白い肌や擦り切れた黒衣が現れ、トラゲは人間と変わらない姿に成った。
「……三人で見慣れたと思ったが、見知った顔が現れると驚かせられる」
ロシャブルが言う間に、トラゲの右手首には腕輪が嵌め直される。
「礼を言うぞ、ライガ。では、君達の個室へ案内しよう。総員警戒解除、移動する」
再び歩かせられる中、ライガはトラゲの後ろ姿を見て目を細めた。
(……ロシャブルにコドコドの事を話したのは此奴だ。早めに殺さねぇと、コドコドに何をするか…………)
胸中で呟きつつ、ライガは思考を巡らせる。
カーニダエ帝国との戦いが終わっても、安息とは程遠い。
空気を揺るがす雷鳴は、ライガの焦燥感を煽る様に、絶え間無く響き続けた。
✕✕✕ 24の七
雷雨降り頻る幕屋外の音さえ、己の拍動や血液の音だと思い込む程に強烈な緊張感を抱いたグリーセオは、マリアンヌの鋭い視線と向き合う。
「今回、あたしら特別遊撃小隊は、フェリダー共和国討滅戦、第一戦力支援中隊〈コーア〉の撤退を手伝う名目で三十騎の隊を出した。
だが、あたしらは退路を確保するどころか巨大な生体兵器に追われる形で戦闘になり、八人と六頭が死亡したものの、討伐には成功した。
――とは言え、火か高熱を扱う生体兵器だったから、負傷兵も只じゃ済まず、七人の遺体と十八人の戦力外を連れてちゃ、〈コーア〉と合流した後、本隊に追撃を仕掛けに来た赤色……ライガって奴との戦闘に参加する訳にもいかなかった。
ハンソーネの指示で、あたしらは撤退優先の動きをして、コーアの部隊先頭と並走してたんだがよ、金色の奴、あれが落ちて来た所為で、本隊と逸れちまったんだなぁ」
マリアンヌは其処で言葉を切り、ちらとスペオトスの方を見遣る。
「スペオトス首領、あんたには感謝してるよ。ナススの部隊が松明を焚いてなきゃ、あたしらは今頃砂漠を彷徨ってたろう。
……その時だ。遠くに松明の光と、カーニダエ帝国の青い装備を見付けて、友軍の進行方向に合わせて北東に駆けていた時。あたしは遠くから見たんだよ、グリーセオ。
お前が、ライガの隣に立って、ハンソーネに剣を構えてる所をな」
マリアンヌの言葉に、幕屋内に居る七人の目がグリーセオへと集中した。
「正直に答えろ、グリーセオ・カニス・ルプス。ありゃ、どういうつもりだ」
敵意を剥き出しにして問うたマリアンヌに、グリーセオは正面から向き合う。
「……あの時、ハンソーネ伯爵は、自我を失っている様に見えた。話が前後するが、俺はハンソーネ伯爵の元へ向かう前に、タロウを襲う二体の生体兵器と戦っていた。金色のと、灰色の、小さな奴だ」
「ああ、あれ、グリーセオだったのか! ありがとう。この話は本当だよ、マリアンヌ」
グリーセオの話に割って入ったタロウの言葉を聞き、マリアンヌはちらとタロウを見てから、グリーセオに向き直った。
「二体を討伐する余裕は無かったが、深手を負わせ、俺はタロウの救出を優先した。俺が乗っていたエクゥルサに気を失ったタロウを載せ、先に本隊の方へと走らせたんだ。
俺には其の時、未だやる事があった。ライガだ。金色の獣から下りた所までは見たから、未だ近くに居る筈だと判断し、北西へ走った。
……其処で、鉄の様な肌に変わり、戦闘方法も荒々しい、暴走するハンソーネ伯爵の姿を、遠くから見た。ライガと戦っていた……。だから俺は、協力するつもりで……ハンソーネに協力し、ライガを倒すつもりで参戦した」
其処迄を言い、グリーセオは手元に視線を落とす。
「だが、俺は……危うくハンソーネ伯爵に斬られる所だった。ライガが……彼奴が、警告してくれなければ、俺は、暴走した伯爵に背を斬られ、生き残るのは恐らく、ライガだけだっただろう」
「……其れで、ライガと共にハンソーネを殺したってか?」
怒気を帯びるマリアンヌの声に、グリーセオは顔を上げた。
「違う。俺は、あの時…………あの時、ライガには手を出さない様に言ったんだ。ハンソーネは未だ生きているから、本隊が来るまで凌げば、そう思って…………ライガに、逃げろと、言った」
椅子の音を立て、グリーセオを憤怒の形相で睨むのは、ジェンナロだった。
「貴方は、本当に……嘘偽り無く、そうしたのか……?」
ジェンナロの問いにグリーセオは頷き、対面から乗り出したジェンナロがグリーセオの胸倉を掴み上げる。
「グリーセオ! 敵を逃がし、隊長に刃を向け! 殺したのだな!? その瞬間、その時、そう判断したのか!」
「……そうだ。今回の戦いで、ライガの外骨格は血液が関係すると、そう思っていた。だから、生体兵器の様に変わってしまったハンソーネも、血を流させれば魔法が使えなくなり、戻ると、そう判断した」
グリーセオを睨むジェンナロは荒い息を繰り返し、軈てグリーセオを解放した。
「…………グリーセオ殿、貴方は知らないのだったな。深紅の生体兵器、ライガ。あれは、吾輩の弟の仇だ。貴方がタロウ殿を救うよりも前に、弟は……アキッレは彼奴の剣にされた……!」
ジェンナロに言われ、グリーセオは記憶を辿り、はっとした。
最後にライガと遭遇した時、あの時、確かにライガは見覚えの無い剣を携えていたと、覚えている。
故に、グリーセオの胸中にはまた一つ、罪悪感という名の錘が増えた。
どう償う事も出来ない、重たい錘が肚の中、臓腑に詰まった様な感覚がする。
「……ライガは、東へ逃げた。〈スナド戦線基地〉に居るか如何かは分からない。だが、奴は確実にこれからの戦いに現れる。
だから……俺に出来るせめてもの行動は、俺の剣で、奴の鎧を砕き得る〈マクシラ〉で、この手で、本件の責任を果たす事だと思う……」
グリーセオの言に即答する者は居ない。
暫しの沈黙が、幕屋内に届く雷鳴を強調した。
「まあ、誰が何を言おうとも、グリーセオ様の御力はフェリダー共和国の討滅には不可欠です。
昨日の午後から奇襲小隊を率いて戦い、コーアにも参加して早朝迄、休み無く戦い続けた体力。
そして、生体兵器と複数回遭遇し、更には二体の生体兵器に深手を負わせて生存する事の出来る人物は、私の知る限りではそう居ない。
――そうであろう、ジェンナロ」
「…………はい」
アダルガーの言葉に、不承不承といった様子で答えたジェンナロは、そっと席に戻る。
「マリアンヌ、君はどうだ」
次いでアダルガーに水を向けられたマリアンヌは、組んでいた腕を解き、姿勢を正した。
「あたしは雇われの身だ。雇い主の最終判断に従う。一個言わせて貰うとすれば、フランゲーテとカーニダエ、両国の監視役が此奴には必要だと思うけどな」
顎を噦ってグリーセオを指したマリアンヌに、アダルガーは小さく頷く。
「グリーセオ様、貴方の報告、私は其の全てを疑う積もりはありませんが、証明する手立てが無いという事実に目を瞑る事は出来ない。
当面の判断として、マリアンヌの提案を受け入れようと思うが、良いか?」
しっかりと頷き、グリーセオはアダルガーの判断を細やかな罰として受け入れた。
頷き一つ。
其れが、フェリダー共和国という国一つを、推定人口三千万人、その全てを滅ぼす迄続く呪縛である。
そう、確信を持って。
小説:パラレルジョーカー
第一章〈紅蒼の平行線〉完
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