小説「パラレルジョーカー」08
はじめに
本作「パラレルジョーカー」には、暴力、暴言、戦争や著しい差別などの描写を含みます。
それに伴い、グロテスクな描写、憂鬱な気分にさせる描写を含む為、苦手な方は本作を読む事をお控え下さい。
また、本作は創作物であり、実在するあらゆるものへの批判や、思想の拡散を目的とした物では無い事をご理解下さい。
01話はこちら。
目次について
本作では本編中の場面転換を軸にnoteの「目次機能」による見出しを付けております。
表記は「 ✕✕✕ 」が大きな場面転換。
その後に付く「 01の零 」など、末尾の漢数字を見出しの番号代わりとしております。
例外として、長い節にも小見出しによる区切りを付ける場合がございます。
しおり代わりにご活用ください。
08 夕陽、落つ
砂原に倒れたまま、黄金色の空を見詰めていた。
遠く、右手の方からは無数の足音が迫って来ている。
(……グリーセオ。アイツ、何で篭手に拘ってた?)
思考は、一秒とかからず。
(剣で『鎧』の隙間を狙えない筈がねぇ。あの時、オレは判断を間違えてた)
獣の集団は、横たわる青年――ライガを跨いで進むつもりか、直進して来ている。
「……もういっそ、殺されてた方が楽だった」
その呟きとは裏腹に、ライガは自身を跳び越えて眼前に浮かんだ赤黒い獣、その腹部を外骨格に覆われた右腕で貫いた。
それを傍らの砂地に叩き付けると同時に身を起こし、大きく口を開いて獣の首筋を噛み千切る。
喉の大部分を失った獣は急速に動きを緩め、数度の痙攣の後に動かなくなる。
しかし、ライガはその変化に構わず獣を喰い続けた。
すぐ横を無数の赤黒い獣が走り去る中、深紅の外骨格を纏ったライガは、一頭の獣を咀嚼し乍ら、左腕に刺した長剣を引き抜く。
剣は適当に放り、獣の腹へと齧り付き、獣の集団がライガを置き去りにした後で、一回り大きくなった外骨格を纏う獅子が、取り戻した左腕の具合を確かめる様に砂を掻き、逃した獲物を目で追っていた。
✕✕✕ 08の二
クリスは度々、前を見据える目を落とす。
誰が乗っていたかも分からない青碧色の熊――エクゥルサに載せた同郷の青年、アルゲンテウスが鞍の上に横たわっているからだ。
意識を手放した彼が落ちない様に、そして容態の変化を見逃さないように見守りつつ、クリスは残り四騎となった部隊の動向も窺う。
忙しなく瞳を動かす中で、クリスはアルゲンテウスの傷、その位置を見て、僅かに目を見開いた。
「……やるじゃん、アルグ。よく急所を守ったね……………………だから…………死ぬなよ、バカ」
意識があるのかも分からない仲間へそう告げて、クリスはエクゥルサの足を速める。
今乗っているエクゥルサは矢束以外の物資を殆ど積んでいなかった。
だが、先頭を駆けるツェルダの積荷には、もしかしたら。
一縷の望みに賭けて、クリスは疲労の滲むエクゥルサに鞭を打ったのだった。
✕✕✕ 08の三
焼け爛れた顔を望遠鏡から外し、スナドは額に押し上げていた仮面を下ろす。
「トラゲ殿、ライガは負けましたな」
淡泊に発された言葉は、傍らで戦場を見下ろす黒衣の女――トラゲの眉を跳ね上げさせた。
「あぁ、いや、今の言葉だと『ライガが死んだ』とも捉えられてしまう。そうでは無く、負けたのですよ。カーニダエの元英雄と、彼が従える若い二人に」
トラゲの反応を楽しむ様なスナドを睨み、トラゲは自身の望遠鏡を取り出して右眼に当てる。
しかし、戦場は其処彼処に砂煙が立ち、夕闇に染まりつつある砂漠で一人の影を見付ける事は出来そうに無かった。
「……スナド、ライガの回収を急がせろ。アレにはまだ役割が」
「いえ、その必要は無いでしょう」
トラゲの言葉に重ねて言ったスナドを見れば、彼はトラゲの目を見てただ一方向を指差す。
その先を目で追って、トラゲは両の眼が溢れんばかりに瞼を開いた。
✕✕✕ 08の四
可能な限り最速の判断で炸裂矢を放ち続け、十数分。
エクゥルサの全速力で〈スナド戦線基地〉の外周を駆けさせ、潰走を噛み締め乍らも、グリーセオは残った仲間を援護し続けていた。
「ツェルダ、もう矢が少ない。あと二十、それで最後だ」
肩越しに伝えつつ、グリーセオは最後の積荷を解く。
「……了解。…………さあ、これで生き残ったら美味い酒が飲めるぞ……」
苦々しく言ったツェルダには言葉を返せず、グリーセオは次の矢を番えた。
徐々にではあるが、後続の三頭はグリーセオ達が乗るエクゥルサに追い付いて来ている。
それがエクゥルサの疲弊では無く、自身の援護に拠るものである事を祈り乍ら、グリーセオは砂煙を迂回して飛び出して来た黒衣の集団へ矢を放った。
駱駝に鞭を打ち爆発の範囲から逃れようとした者、砂煙に阻まれて矢に気が付けなかった者、僅かな異変を察して駱駝の速度を落とした者。
その全てに被害を生む可く放った矢は、狙い通りに二種類の動物の残骸を砂塵に混ぜた。
『グリーセオ。獣よりも人の方が容易かろう。人は意図せずに理由を求める。その隙を打てば、一太刀で三人は屠れる』
祖父の声を思い出して、グリーセオの手が止まった。その刹那。
視界の端に煌めいた深紅の光条に、グリーセオは瞬時に矢を振り向ける。
エクゥルサの何倍も速く駆ける其れが、後続の三頭を無視して通り過ぎ、稲妻に似た軌跡を描いてグリーセオ目掛けて疾走して来た。
「ツェルダ! 後は任せた!」
「はっ、え、グリーセオ!?」
それだけ叫び、グリーセオは手早く弓と矢を積荷に括り付けて、その間に眼前へと迫った深紅の獅子へ跳び掛かる。
深紅色に視界が満たされ、衝突の衝撃と共に「おじさん!」と悲鳴じみた叫びを上げたクリスの声が遠ざかっていく。
何度も砂地を転げた後に、グリーセオは体の痛みを無視して跳び上がる様に体勢を整え、両腕を振るい、鋼の双剣〈マクシラ〉を構えた。
眼前で姿勢を低くし、顔に張り付いた砂埃を振るい落としたライガと思しき獅子は、ちらと走り去った四頭のエクゥルサを見る。
その隙にグリーセオは全力で砂を蹴り出し、深紅色の獅子へ跳び掛かった。
獅子の反応はグリーセオの行動よりもやや遅く、グリーセオは左手で獅子の鬣を掴み、その刺々しい背に跨る様にしがみ付いて、右腕で獅子の首を絞め上げる。
「ライガ! 相手は俺だ! あいつらには追い付かせない!」
叫び、全身の力を振り絞って右腕に集中させ、グリーセオは上体を反らせた。
喉を絞められ、声にならない声を上げて抵抗する獅子は、グリーセオの腕の中で徐々に形を変え始める。
各部の外骨格、その棘が変形に合わせてグリーセオの腕や腹に食い込もうとするので、グリーセオは獅子を突き飛ばす様に跳び退った。
二メートル近い距離を取って、獅子から人へと変わりゆくライガの姿を睨み、グリーセオは彼の左腕が取り戻されている事に気が付いて目を見開く。
「……お前、その腕は」
呆然と呟いたグリーセオの言葉に、人の形へと変わったライガは立ち上がり乍ら左腕を摩る。
「グリーセオ、お前だけでも、行かせる訳にはいかない」
殺気を漲らせるライガの瞳に、グリーセオは戸惑いを押し殺して双剣を構えた。
ライガは長剣を手にしておらず、衣服も腰周りを隠す絝の残骸程度。
先に対峙した時と大きく戦法が変わる事を予想して、グリーセオは双剣を順手から逆手に持ち替える。
その一瞬に、深紅の影が視界の右端に跳び、グリーセオは刈り払う様に右腕を振るった。
金属の割れる音がして、次いでグリーセオが認識したのは右手の剣と噛み合うライガの右前腕。
全身が外骨格状の組織に覆われたライガには出血こそ見られないものの、前腕の棘、その一部が折れ砕けている。
グリーセオはその事実を脳に刻み付けつつ、全身を捩ってライガの頭部、外骨格の少ない部位を狙って蹴りを繰り出した。
グリーセオの左脚は空を裂き、しゃがみ込むと同時に右腕を捻り上げたライガによって体勢を崩され、突き上げる様な深紅の左脚がグリーセオの鳩尾を目掛けて飛び込んで来る。
其れを真面に受ける訳にはいかず、グリーセオは負傷覚悟で短剣を握ったままの左拳をライガの左脚へと打ち放った。
苦し紛れの拳は、肉と骨が硬い物に衝突する鈍い音を立てて、グリーセオは呻く。
紙一重でライガの蹴りを去なしたは良いものの、グリーセオの左手は黒い革手袋に血液の赤を差していた。
「……っライガ、俺に八年間何をしていたかと訊いたな」
跳び退り、距離を置いて発したグリーセオの言葉に、黄昏の中で深紅に煌めくライガの目が見開かれる。
「俺は、この八年……逃げてきた。ずっと、実際にじゃない、もうこれ以上殺したくない、手を汚したくないと、只……何もしていなかった」
双剣を構えたまま語り、グリーセオは少しづつ退いていく。
「此処に居る理由もそうだ……フェリダーの密偵を殺せなかった俺は、……その償いとして、先陣を、捨て駒と分かり切っている隊を仕切り、誰も彼もを無駄に死なせた……!」
夕闇の中、深紅の獣はただグリーセオを見詰め、その赤い影が却ってグリーセオの迷いを加速させた。
「他の奴等の前では、それらしい素振りで逃げ、敵を――人を平気で殺せる……! こうして俺一人で居る時は、殺したくないと、本心から思いだす……! 俺はそういう、人間だ……!」
✕✕✕ 08の五
石造りの、いや、掘り出した穴に石材を詰めて、生み出した空間。
大人が百人は入ろうというその閉鎖空間で、数えるのも馬鹿らしくなる夥しい死体を足蹴に、子供達は殺し合っていた。
そうする意味も、そうさせられる理由も知らぬまま、ただ、逃げようとした子供達は大人に為す術なく殺されたから、大人が『一人になる迄』と言うから、殺し合っていた。
どれ程の時が経ったのかは分からない。
空腹を覚え、それを有り物で満たした回数から、二日前後。自分だけが立っている事に気が付いて、部屋を隅から隅まで歩き回り、生き残りを一人残らず探して止めを刺してから、頑丈な石扉に手を掛けた。
『おめでとう。一週間分の生だ。存分に堪能したまえ』
大人に言われ、導かれるままに小さな部屋に入り、襤褸の布団で眠っては、子供達の悲鳴を夢に見て目覚めるを繰り返した。
沈み行く太陽に辛うじて照らし出されるグリーセオは、涙を浮かべて独白し、ライガはふと『あの場所』での事を思い出していた。
グリーセオを初めて目にした時、『同じかもしれない』と感じたのは其処か、と再認識しつつ、ライガは一歩踏み出す。
「……で? 理由はそれだけかよ」
グリーセオへ抱く怒りは変わらず、夕刻の砂漠に吹く冷えた風が、深紅の鬣を炎にする。
「…………そうだ。俺は、俺の意思でも無く、ただ流されて此処に居る……」
血反吐を吐くかの様な声で言ったグリーセオに、ライガの心音が一際大きく高鳴った。
それに任せてライガは跳躍し、グリーセオが半身を退くも遅く、外骨格に覆われた右手でグリーセオの顔面を砂地に叩き付ける。
「じゃあ此処で死んどけッ! 亡霊野郎がッッ!」
ぎりぎりと軋む音を立ててグリーセオの頭が砂に埋もれていき、顔の右半分以上が埋まった瞬間、ライガは立ち上がると同時に右脚を振り上げた。
その動きは一瞬間の出来事で、凶暴な外骨格に覆われた踵を、グリーセオの顬目掛けて振り下ろす。
刹那、踵を落とす先で何かが煌めいて、ライガの脚が押し留められた。
「……っ、だ、駄目だ……まだ、死ねない! 死にたくは無いんだ!」
戦意を失って見えていたグリーセオが子供じみた泣き顔を浮かべ、無茶な体勢のままライガの脚を左手の剣越しに押し返している。
ライガはそれに憤怒の炎を迸らせた。
「ダメだ! 死んどけ! もう死んでんだよ!」
全体重を乗せると共に、ライガは右脚の外骨格に意識を集中させて、踵から突き出す棘を伸ばす。
じわりと迫る深紅の棘はグリーセオの瞳孔へと近付き、しかし、不意に身を捩ったグリーセオによって砂地に落とされ、砂塵を巻き上げた。
砂煙が舞う中、起き上がろうとするグリーセオを音だけで察知したライガは、砂地に突き立った踵を起点にして左脚を振り回し、転げる様に逃げるグリーセオの右肩を打ち据える。
短い悲鳴を上げて砂に転がる影を見たライガは、夜闇の訪れを理解して両眼に集中し、彩度の落ちた夜目を開いた。
数秒と要せずに暗闇に順応した眼でグリーセオを捉え、右肩を押さえて逃げようとするその背に迫り、振り向き様の斬撃を右腕で受け止めて捻り、外骨格の棘でグリーセオの剣、その片方を封じる。
「選べよ、殺して生きるか、生きる為に殺されるかだ」
ライガの問いに逡巡し、何かを決意し掛けて止め、瞳を泳がせるグリーセオの前髪を掴んで正面から見交わさせる。
「選べッ! お前の手はもう汚れてんだよ! グリーセオ! 何奴も此奴も殺して生きてんだ!!」
「……ッち、違う!」
ライガの手を振り解く動作は、ライガに封じられた剣を篭手に戻す為だった。
グリーセオは解き放たれた右腕でライガの腕を払い、当てる気の無い斬撃を振るう。
「俺達は人だ! 人間同士なんだ! 戦う事自体が必要無い!」
其の余計な牽制がライガを更に苛立たせた。
「いいや只の動物だ……我を通さずにはいられない、他の種は残しちゃおけない……そうだろうが、カーニダエ!」
ライガは距離を詰め、退き乍ら右手の篭手を再び剣に変えたグリーセオへ、止め処無く両手の爪で切り込まんとする。
「違う、違う……!」
駄々を捏ねるか、将又譫言か、グリーセオは迷いを見せ乍らも的確にライガの攻撃を去なし、隙を見ては跳び退った。
その様を見て、ライガの心中に悪魔が囁く。
「……お前が戦った結果、作られた奴が居るぞ、グリーセオ」
歩を進めると共に呟き、言葉の意図を悟ったグリーセオの足が止まる瞬間に、ライガは両腕を突き出してグリーセオに剣を振るわせ、それを掴む。
「十五年前、〈フェリダーの蛍〉に失敗した共和国は、〈フェリダーの英雄〉の製造を早める必要があった……。十年余り、急ぎでそれだけの時間を掛けて漸く出来上がったのが、オレだ……!
グリーセオ! お前がまごついたお陰で! オレは!」
「――やめろ!」
両腕を遮二無二振るう様にも見える、双剣の変形動作。
ライガは数回見たその動きを見破り、両手の外骨格を双剣の部品に生じた隙間と噛み合わせて変形を許さない。
「オレは、お前の対抗策として作られたってワケだよなぁ! お前が! 単騎で殺した八百四十人! その結果としてだ!」
怒りの儘に叫び、グリーセオはそれに言葉にならない泣き声で返して、しかし、ライガの肚の底には熱を持たない粘つく何かが溜まった気がしてならなかった。
其れは結果としてライガの怒りを増幅させ、グリーセオの双剣が軋む程に両手を強く握り込ませる。
その行為は同時にライガの手の平、其処を覆う薄い外骨格を砕き、砂原に血を滴らせた。
「お前の、お前らの――カーニダエ帝国の所為で、アレさえ無ければ……そう言ってた奴等の気分が、ほんの少しだけ分かったよ……!」
怒れば怒る程、その怨嗟を口に出せば出す程、肚の底に溜まった何かは腐臭を放って膨らみ、しかし吐き出す言葉と共には出て行かず、ただ身中を舐め回す。
「…………俺はっ、そうだと、気が付いた……でも、出来なかったんだ、戦争を止める術は知らないんだ、どうしようも無かった…………殺せば殺すほどっ、俺は、俺はもう、人を人として見られなくなった……!
――ライガっ、もう、もう止めよう、止めるんだ、戦いも、もういいだろう」
「お前だけが許されようってか!」
「ちが」
その先を言わせず、ライガはグリーセオの右頬を殴り飛ばした。
血玉を飛ばして転げたグリーセオを追い、その最中に虚を突かれて足を掛けられ、ライガは砂地に手を突く。
そうしたほんの一瞬にグリーセオは駆け出して行き、ライガは両脚に力を込めて跳躍した。
空中で腰を捻り、逃げるグリーセオの背を右の脛で蹴り飛ばす。
「選べ、つったろ! 殺すか、殺されるか!」
怒声を撒き散らして、這い逃げようとするグリーセオへ迫り、ふと、ライガは付近の集落へ目を移した。
違和感は、迫る夜闇を煌々と吹き払う、大火の光に拠る物だ。
その火を背に、脚の長い熊に乗る騎兵が駆けて来ている。
✕✕✕ 08の六
数度射掛けて手に馴染まないと判断した弓を肩に掛け、焼夷剤と炸裂機構を備えた矢を素手で投擲する。
放った矢は速度こそ弓に劣るものの、黒衣の集団が逃げる先へ狙い通りに落ち、炸裂した。
「隊長サン! あれで最後だ!」
「分かった」
肩越しに掛けた声に応じて、身を捩ると同時に引いた矢を放ち、白銀の甲冑を纏う女騎士が遠くで逃げ惑う黒衣の集団を散らす。
「タロウ、先を急ぐぞ。先遣隊の開いた道を無駄に出来ん」
「了解!」
タロウと呼ばれた青年は手綱を大きく引いて初めて乗る動物――エクゥルサを転身させ、砂岩で出来た集落を北へ抜ける可く走らせる。
「総員進め! 次だ!」
背後で女騎士が号令を送り、それにエクゥルサや馬に乗った騎士達が応じる声を上げて、無数の足音が轟いた。
夜を目前とした夕闇に、炎の光で炙り出された集落を駆け抜け、砂漠に出てタロウと並走した女騎士が頭を巡らせるや否や、何処からとも無く男の怒声が響く。
タロウが声の方向を見たと同時に、女騎士もまた声の主――青い布を首元に巻いた砂地に伏せる人影と、それに近付く深紅の人影を見たようだった。
「……まさか」
独り言ちた直後に女騎士は振り向き、兜の面を押し上げてタロウに切れ長の双眸を見せる。
「タロウ、お前は隊を率いて予定通りに動け。私は彼を助ける」
早口に言って答えを待たずに二つの人影へと向かう女騎士を見送って、タロウは高々と右手の平を掲げた。
「了解、ハンソーネ隊長!」
女騎士へ告げ、次いで後続を振り返り、大きく息を吸う。
「一時的に指揮権を預かった! 全隊、着いて来ぉい!」
叫び、応じる声と共にエクゥルサの横腹を脚で叩いて駈歩で進ませた。
正面を見据えた先、遥か遠くで、夕闇に爆炎が巻き上がっている。
「……おっし、耐えろよ……!」
そう呟いて、タロウはエクゥルサにぴったりと体を付け、速度を上げさせた。
✕✕✕ 08の七
一騎だけ、集落を北東へ抜けた隊列から離れ、此方に駆けて来る。
そう見て取ったライガは、グリーセオへの止めを急いで右手の五指を揃えて突き下ろそうとした。
だが、グリーセオは既に体勢を整えており、突き出した五指は双剣で挟み込んで封じられる。
そうなると理解した時には突き出した腕に体重を乗せて跳び上がり、空中で回転して左の踵を振り下ろす。
不意にすり抜けたライガの右手に反応が遅れたグリーセオは、上体を反らすも遅く、ライガの刺々しい足がグリーセオの左胸を引き裂いた。
悲鳴を上げて傷口を押さえるグリーセオへ、右の貫手。
それを左の剣で防いだグリーセオに、左手を突き出してグリーセオの左腕を狙い、しかし右の剣で阻まれる。
「ライガ、もう、今しかない、逃げろ。あれは増援だ」
「お前を殺してアレも殺す!」
「……ライガっ!」
剣に妨げられた両手を開き、短剣の刃を握ったライガは、乱暴に両腕を振るってグリーセオの体勢を崩し、刃を手放して直後にグリーセオの両上腕を握り込んだ。
外骨格が分厚い服越しに食い込み、苦悶の声を上げたグリーセオを蹴り飛ばして、先刻から聞こえていた青碧色の熊の足音を振り返る。
「ほう、反応が良い」
馬上――いや、熊上から女の声がして、同時に銀の光が闇の中に閃いた。
ライガはそれをするりと躱して刃を掴み、白銀の甲冑を纏う女騎士を落とす可く全力で引く。
「刃を物ともしないか――」
呟き、舞う様に鐙から鉄靴を外した女騎士は瞬間的に鞍を蹴り、ライガの頭上へと躍り出た。
それを見たライガはぱっと白銀の刃を離し、女騎士の落下地点へ蹴りを繰り出す。
其処に割り入ったグリーセオが、両拳の篭手で蹴りを受け止めた。
「ッッグリィィセォ!」
叫び、蹴り出した左脚を引いて右脚で再度グリーセオを蹴り飛ばす。
それをも受け止めて口端から血を吐き、片膝を突くグリーセオと代わる様に、白銀の女騎士が舞にも見える流麗な動作で右手の細剣を振るい、しかし、ライガの外骨格を斬れずになぞるだけだった。
「只の鎧じゃないな――」
呟き、女が踏み込んでライガの喉元へ刺突を放つ。
ライガはそれを左手で迎え入れる様に指の隙間を通らせ、細剣の柄を握り込んだ。
「お前、自分の体がどうなってるか」
女騎士が話す隙に白銀の鉄兜へ頭突きを食らわせたライガは、彼女が体勢を崩した隙に右脚を振り上げて女の横腹を蹴り、思い切り吹き飛ばす。
甲冑を着込んだまま一メートル以上も転げた女騎士を見ず、砂を踏む音を頼りに左手を突き出したライガは、グリーセオの双剣と鍔迫り合った。
「ほら、グリーセオ。選びやすくなったろ、なぁ、人の目がありゃあよ、殺せんだろ、なぁ!?」
双剣を左手で握り締めて封じ、蹴り出してくるグリーセオの左脚を右腕で受け止め、自身の左脚を残ったグリーセオの右脚に掛ける。
「こうやってたよな、グリーセオ」
独り言ちてグリーセオを引き倒し、しかし追撃はせずに迫る女騎士を見た。
走り乍ら突き出される細剣は先刻と同様に右手で迎え入れ――そこで、女騎士の兜の隙間から、鋭い吐息が響いた。
つづく
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