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小説「パラレルジョーカー」03

  はじめに

 本作「パラレルジョーカー」には、暴力、暴言、戦争や著しい差別などの描写を含みます。
 それに伴い、グロテスクな描写、憂鬱な気分にさせる描写を含む為、苦手な方は本作を読む事をお控え下さい。
 また、本作は創作物であり、実在するあらゆるものへの批判や、思想の拡散を目的とした物では無い事をご理解下さい。

  前回までのあらすじ
 密偵みっていを殺せず、逃がしてしまったグリーセオは、カーニダエ帝国のカニス族を追われ、敵国とにらみ合う最前線の一つ〈第三ナスス駐屯基地ちゅうとんきち〉に辿り着く。
 部下、そして監視役として付けられたクリスとアルゲンテウスを守るく戦ったグリーセオだが、彼らとのすれ違いに悩み、蘇る過去による苦悩にさいなながらも、課せられた使命に立ち向かう。
 対するフェリダー共和国では、生体兵器として生み出されたライガがいびつな正義感を胸に、貧民集落の少年コドコドと出会っていた。
 両親を失ったコドコドを連れ、沸き立つ怒りのままに歩くライガは何を目指すのか。
 似て非なるグリーセオとライガが、まじわる日は来るのか。

 01話はこちら。


  目次について

 本作では本編中の場面転換を軸にnoteの「目次機能」による見出しを付けております。
 表記は「 ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕ ‬」が大きな場面転換。
 その後に付く「 01の零 」など、末尾の漢数字を見出しの番号代わりとしております。
 例外として、長い節にも小見出しによる区切りを付ける場合がございます。
 しおり代わりにご活用ください。

  03 騒乱、くゆ

 風を切って細槍が迫る。
 ライガはそれを深紅の外骨格をまとった左前腕で受け止めて、らし、脇へと抜けるその最中にとらえて砕く。
退け! 雑魚共ざこどもがッ!」
 え、外骨格の手の平に残ったを眼前の男に投げ飛ばし、ひるんだ隙を逃さず、ふところに滑り込み足を掛けて男を転ばせたライガは、彼に馬乗りになって左腕同様に変化した右手で顔面を鷲掴わしづかみにした。
 刺々とげとげしい外骨格が男の痩せこけた頬に食い込み、わずかな血をにじませる。
 深紅の外骨格がほんの少しづつ吸い上げる血液はライガの心臓を高鳴らせ、膨れ上がる破壊と摂食の衝動を獣のごと咆哮ほうこうで吹き払う。
 せた草原の植物が弓形ゆみなりそよぎ、ライガの行く先に立ちふさがる五人の番兵達が腰を引いて、その奥から年嵩としかさの番兵が歩み出て来た。
 彼はえて音を立てて細槍を落とし、両手を挙げてライガより数メートルけた所に膝を着く。
「わ、わかった。何が望みだ、多くは叶えられんが、まずは話をしよう。命には代えられん」
 そう言って周囲の番兵に目を配る年嵩としかさの男は、それだけで他の男達を退がらせ、両手を挙げたままライガの目を見た。
 ライガもまた下敷きにした男の顔を掴んだまま、年嵩としかさの男の双眸そうぼうを揺れるたてがみの隙間から見詰め、激情の水底から理性を引き上げる。
「何が望みなんだ……? トラッシュから来たんだろう? 腹か。飯を持ってこさせよう。水もだ。少ないが、幾らかは落ち着くだろう。だから、な?」
「動くな」
 年嵩としかさの男の言に合わせて動こうとする番兵を一声で止めたライガは、右手に男の顔を握ったまま立ち上がり、年嵩としかさの男を見下ろす。
「望みか……そうだな、無い事も無いな。だけどよ、こんなめみてぇな場所で、オレ一人が腹を満たしても、なんの足しにもなんねぇんだよ…………」
 にじむ怒りは外骨格に伝わり、ほんのわずかに伸びた棘が手元の男に悲鳴を上げさせた。
「…………なぁ、誰が作ったんだよ。こんな糞みてぇな世界を」
 青い空の下、拍動する深紅の光がライガの黒い瞳を揺らめかせる。
 人の域に留まらないその姿は、番兵達を震え上がらせて、ひざまずく様に腰を低くさせた。
「……すまない、その問いの答えを、私は持たないんだ…………。私だって似た様な事を考えたりする。だが、分かるのは、カーニダエ帝国がある所為せいだという事くらいだ。フェリダーの民が飢え、苦しむのは、全て、緑を独占する奴等やつら所為せいだ。――な、なぁ?」
 同意を求める様に上目がちに言う年嵩としかさの男に、ライガは苛立いらだちを覚えた。
 何がどうしてそうさせるのかは上手く言葉に成らなかったが、ライガは彼の中の欠落を見付けた様に思い、ぎりぎりと右手に力を込めていく。
 手元から、うめき声が上がった。
 その密かな悲鳴が、ライガの脳裏に一つの答えを結ばせた。
「そうだな……この糞国の大半が飢えて疲れてんのは、その何とかって国の所為せいか。成程。――で?」
 ライガの右手の中できしむ音がして、鷲掴わしづかみにした男が笑い声にも似た悲鳴を上げる。
 色褪いろあせたしずかな緑野で、遠く、駱駝らくだに乗って駆けて来る六つの影を見据みすながら、ライガは息を吸う。
「カーニダエ帝国とやらが消えりゃ、口減らしもしなくなる。信じてくれ。って……そういう事か、あぁ!?」
 激情の津波が理性を呑み込んでさらい、ライガに右手を握り込ませた。
 ごとりと落ちた男の死体を一瞥いちべつもしないライガは、腰が砕けたまま後退あとずさろうとする年嵩としかさの男の首を濡れた右手で掴み、持ち上げる。
 ただそれだけの動作で、周囲の番兵は悲鳴を上げて蜘蛛くもの子を散らす様に逃げ出し、遠くの騎兵が何度も駱駝らくだむちを打った。
「まっ、待て、彼の事は……そう、むを得なかったんだ。そうだよな? まだ許して貰えるぞ、だから――」
 それ以上の言葉を吐く前に、ライガは外骨格の右手で男の喉を握り潰し、焦点を失った男の目許めもとを左手で押さえて、乱暴に引き千切ちぎる。
「だりぃんだよ、その場しのぎばっかのかすが……!」
 吐き捨て、死体を蹴やり、ライガは背後に控えていた小さな人影を肩越しに見た。
「コドコド、もっと離れとけ。アレは足が速い」
 顎をしゃくるライガの先、番兵達とは異なる黒衣がはっきりと見て取れる距離まで迫った騎兵を見て、コドコドはうなずき、そろそろと駆け出した。
 血に濡れた褐色の芝生しばふを踏んで、ライガは騎兵らへと歩み出す。
 フェリダー共和国の中心に近いガーランド領北東部、コドコドを連れたライガは、湧き続ける激情のやり場を求めて歩き続けていた。
 まず目指したのはガーランド領の首都、農耕と牧畜の盛んな、コドコドらをクロー高原へと追いやった波の中心。
 今のライガが持つ方法は、出会った人々に問い、戦い、殺す事だけだった。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 03の二

 グリーセオは吊り橋のきしむ音でまぶたを上げた。
 木戸が開かれ、けたたましい金属音が響いたのは、窓から差す一直線の朝日が窓外の柵の影を天井に貼り付ける頃。
「起床せよ。グリーセオ隊に任務が下される」
 木製の盾を縁取ふちどる金属部分に、小剣の柄頭つかがしらを打ち合わせて凛と声を張る〈第三ナスス駐屯基地ちゅうとんきち〉のいち兵士がそう告げた。
 苛立いらだちをあらわに掛け布団をねさせるクリスと、驚き戸惑って顔を擦るアルゲンテウスを見て、グリーセオは重たい体を起こす。
何処どこに行けばいい……その、おさのいる所は? ナススの」
 わざと途切れ途切れの言葉をつむぐグリーセオに、小屋の出入口で仁王立ちになった兵士は顎をしゃくる。
「着いて来ればいい。荷物は全て持て」
 兵士の粗野な振る舞いにすぐにはうなずきたく無い気持ちが勝り、グリーセオは溜め息を吐いて片手を挙げた。
「了解。十分じゅっぷんくれ」
「駄目だ。三分で済ませろ」
「はいはい……」
 意地でも調子を崩そうとしないグリーセオに舌打ちをした兵士を横目に、三人は念入りに忘れ物が無いか確認をしてから小屋の出入口に集まる。
 一日の中でほんの一時、密林に爽やかな空気が満ちる夜明け。
 本来ならば心地良く感じるそれを、駐屯基地ちゅうとんきちの兵士に連れられて樹上の建物を渡り歩く三人は、各々の負の感情をたたえたまま吸い込んでいた。
「改めて確認するが、二人とも得物えものは万全だな?」
 ふと発したグリーセオの声に、クリスが真っ先に鼻息をこほし、アルゲンテウスは両腰にげた幅広の曲剣に手をる。
「俺は結局……昨日は使わなかったし。昨日の内に手入れも終わってる」
 自嘲気味じちょうぎみに言うアルゲンテウスを振り向いてグリーセオは軽くうなずき、反転してクリスを見遣みやる。
「……斬ったけど、手入れはしてる。当然でしょ。今更なに?」
 刺々とげとげしいクリスの声は風と流し、グリーセオはアルゲンテウスにした様にまたうなずいた。
「よし。…………これから先は、昨日みたいに上手くいかない。昨日ので上手くいった方だ。だから――」
「精々意地汚く生きろよ、グリーセオ隊」
 不意に降ってきた女の声に、三人が、いや、グリーセオ隊を先導する兵士までもが驚いて頭上をあおぎ、枝分かれする幹の岐路に座る青い裳裾もすそと革長靴の脚を見る。
 冷たい双眸そうぼうはその更に上、二又の幹の一つにもたれる女から眼下に注がれ、四人の内の一人、兵士に移った。
「先導御苦労、下がれ」
「はっ」
 短い返事を最後に、兵士は吊り橋を渡って姿を消し、後には清涼な深緑の空気だけが漂う。
 樹上に建てられた物達から伸びる吊り橋の中継地点。簡素ながらもしっかりと取り付けられた広い円形の上で、樹に腰掛けたまま東を見遣みやる女をあおいでいた三人は、やがて思い思いの方向に顔を向けた。
 緊張のゆるむ長い間隙かんげきで、グリーセオは女の視線の先に目をり、こずえが隠す若草と砂の丘をしばらく見詰めてから、再び樹上へ視線を戻す。
「スペオトス首領、何を待って御出おいでで?」
 グリーセオが問うても姿勢を変えない女――スペオトスは、そのまま緩く息を吐き出した。
 周囲で生き物達が騒めいていても、耳聡みみざとくその音を聞いたクリスとアルゲンテウスは、再び樹上をあおぐ。
「……近く、帝国直々じきじきに呼び寄せた増援が戦線の其処此処そこここに辿り着く」
 低く響くスペオトスの声は、息衝いきづく者達の声を押しやって立ち尽くす三人に届いた。
「どうやらその増援は、今迄いままで通りの帝国精鋭兵では無いらしい。……何処どこからだと思う? 元英雄殿」
 樹上から目を向けて問われたグリーセオは、ほんの一瞬だけ沈黙し、息を吸う。
「――フランゲーテ魔法王国」
 グリーセオの声に、偶然か否か、密林が静まり返った。
 そこに、スペオトスの忍び笑いが差し込む。
「そう。その通りだ。の有名な魔法大国が、こんな小国の小競こぜり合いに軍勢を出すんだとよ。
 くく……お偉方えらがたの本気がうかがえるよなぁ。会談が終わり次第、そのしらせを最速で飛ばして来て、先んじて基地全軍でのオキュラス攻めをせよ、とさ。
 ――ご丁寧にかつての英雄まで添えて、な」
 降る視線は矢の如く、グリーセオの視線と交わる。
 口火を切らないスペオトスを見て不安をはらに隠していたグリーセオは、それが現実であった事に内心で愕然がくぜんとした。
「……それは、つまり…………落とせ、と?」
「そう言っているだろう。……なに、増援到着までは半月程はあるだろうさ。寛大だな。まったく……」
 語るスペオトスの声は重々しく、吐いた言葉と倒錯している。
 痛む様に細められたスペオトスの目は、グリーセオからアルゲンテウスへ、そしてクリスへと移っていく。
 しかしそれはほんのわずかな時間で、スペオトスは一つのまばたきで再び瞳に力を宿し、グリーセオを見下ろした。
「……こんなガキ二人連れて、心底失望したよ。これが我が隊の切り札か、とな」
 冷淡な声が降り、スペオトスは軽やかに樹上から下りる。
 グリーセオらの目の前に青い裳裾もすそを揺らめかせて着地したスペオトスは、ゆらりと立ち上がって左手を腰に当てた。
「だが、それを詰問きつもんする時間も惜しいのでな。最低限の役には立ってもらうぞ、グリーセオ隊」
 言って、スペオトスは左手を自身の腰の裏にやり、そこに付けていた革袋から何かを取り出してグリーセオへ放る。
 突然の行動に動揺する事無く、折り畳まれた紙をしっかりと受け取ったグリーセオは、篭手こてめた手でそれを開こうとした。
「最初の仕事だ。グリーセオ隊。今より三時間後、必要な物資を持ち次第オキュラス湖東のとりでに一度目の奇襲攻撃を命じる。
 これには臨時の編成として我が第三ナスス駐屯基地ちゅうとんきちの弓兵隊二十名を付け、グリーセオ隊に動物兵器と焼夷剤しょういざいを貸与する。
 作戦の第一段階は簡単だ。とりでを、その周囲諸共もろとも焼き払い、殺せる敵を全て殺して戻れ。
 ――言うまでも無く、フェリダー共和国人その全てが『敵』だ。異論は認めない。準備せよ」
 最後にスペオトスが付け加えた言葉に、グリーセオは広げかけた地図から顔を上げ、眼がこぼれんばかりに見開く。
「何を、言って」
「異論は、認めないと言った」
 グリーセオの声をさえぎり、スペオトスは裳裾もすそひるがえして歩き出す。
 呆然と見下ろすグリーセオの手の上、フェリダー共和国の集落を含む〈スナド戦線基地〉の攻撃予定地が、罰印ばつじるしで埋め尽くされていた。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 03の三

 せた芝を蹴り出し、骨身の奥から噴き出さんとする衝動に任せ、ライガは肉体のほとんどを深紅の外骨格に包み込ませた。
 履物はきものと顔だけには影響しない様に意識して、五度の心音を経てライガは赤黒い燐光りんこうを放つ鎧をまとい、迫り来る駱駝らくだの騎兵六名を見据みすえて駆ける。
 風を切って走るライガのたてがみが揺らめき、黒炎こくえんさながら燃え立つ。
 その異様な姿を前にして、六頭の駱駝らくだ踏鞴たたらを踏んだ。
 速度を落とす六騎をにらみ、ライガは背負った襤褸布ぼろぬのを右手で掴んで大きく前方に跳躍する。
 人の域を優に超えた速力に乗り、宙をける深紅の影が刹那、青空にきらめいて、ライガは騎兵らとのれ違い様に襤褸布ぼろぬのを、その中に包まれた剣を振り抜いた。
 山型の陣形を組んだ騎兵、その内の二頭の駱駝らくだから全ての脚を斬り離し、着地した左足を軸に別の駱駝らくだを狙う。
 ライガの思惑に反応した騎兵は駱駝らくだしりむちを打って駆け出させるも遅く、ライガの持つ襤褸布ぼろぬのが四足の一つを捉えた。
 駱駝らくたが悲鳴としていなないて、黒衣の騎兵が草原に落ちる。
 風を切る音。
 わずかな音に人外の反応速度で振り向いたライガは、騎乗したまま振り下ろされる斧頭ふとう付きの長槍を外骨格の左腕で絡め取った。
 長いを掴み、ぐいと引き寄せて揺らめく大柄な騎兵に右手の襤褸布ぼろぬのを――いや、それを引き裂いて花開いた柘榴色ざくろいろの剣を突き込む。
 しかし、その刺突は横合いから伸びた三ツ又の穂先に逸らされて、空を突いた。
「ッッ糞っ垂れが!」
 叫び、れた剣を引くライガは左手に握る槍を更なる膂力りょりょくで引く。
 駱駝らくだから転落し、引きられかけた大柄な黒衣の騎兵はすぐさま長槍を手放し、やや重心を崩したライガの眼前に三ツ又の穂先が飛び込んだ。
 鼻先をかすめた三ツ又槍の主に目を向けるライガは、しかしその姿を見る事無く青空をあおがされる。
 背後から羽交はがめにされ、首をめ上げる黒衣の腕を、ライガは武器を掴んだまま外骨格の両手でむしった。
 防具と衣服を切り、肉と骨を容易たやすく裂くライガの爪に耳許みみもとうめき声が響き、剣を握る右の肘で背後に居る何者かを打つ。
 肘周りの刺々しい外骨格が肉を穿つらぬいて、ライガは今度こそ解放された。
 そこに、息をつかせぬ三ツ又槍。
 それを左腕で払いけ、しかし、目の前に立つ黒衣の騎兵が槍を二振り持っている事に気が付く。
 ライガに弾かれた勢いを利用した三ツ又の刺突が、外骨格でおおわれたライガの腹を深々とえぐり、更に下から突き上げてくる。
 うめく様な悲鳴を上げたライガは遮二無二しゃにむに両腕を振るって、腹から離れる冷たい鉄と、左右の手に夫々それぞれ別の方向で何かを斬った感触が伝わってきた。
 息を荒げ、激痛のかすみが掛かる視界で、ライガは周囲を見る。
 左前方、槍の間合いに転がる胸を斬り裂かれた黒衣の死体。正面、大きく間合いを取り、二振りの三ツ又槍を構える小柄な黒衣。その後方で四足を失った駱駝らくだの体を手掛かりに立ち上がらんとする、黒衣の二人。そして右手のそば、六人の中で最も大柄であろう黒衣の男の、肩から上が離れた死体。
(――、一人足りない)
 素早く視線を巡らせて、ライガは左手側から屈んで回り込もうとする黒衣を見た。
 ライガはそれに向けて駆け出し、小振りのなたを構える男に柘榴色ざくろいろの刃を振り下ろす。
 それをかわして吶喊とっかんする男の前で、地面にめり込んだ柘榴色ざくろいろの剣を軸に小さくんだライガは、迫る男の胸を蹴り飛ばした。
 背後から芝を踏む速い足音が迫っている。
 そう認識した時には、ライガは左腕を振り回して、更にその場で大きく回転した。
 金属のぶつかり合う音が高らかに響き、ライガが奪った長槍のが折れ砕ける。
 二振りの三ツ又槍を持つ黒衣が両の槍を振り抜いているのがちらりと見えたが、ライガは壊れた長槍を手放し、三ツ又槍の黒衣から背を向けて駆け出した。
 向かうは尻餅を突いているなたを持った男。
 目を見開いておののく男をび越え、背後に回り、彼に振り向く間を与えずに柘榴色ざくろいろの剣で背後から袈裟斬けさぎりにする。
 飛び散る血液を浴びながら、ライガは剣を構えた。
 三ツ又槍を持つ黒衣が、既に駆けて来ている。
 取った構えは、視線の高さで剣を水平にする形。ライガはそこから両足を大きく開き、黒衣との距離を待った。
 ほんの数秒生まれた戦闘の狭間に、相手を観る。
 三ツ又槍を持ったまま器用に腕を振り、全速力で迫る黒衣の顔は黒いかぶとで隠されているが、体の動きを見るに女だろうと想像できた。
 黒で塗り潰された、軽く斬りづらい材質の衣服に各部を守る鉄板鎧を縫い付け、足下は鉄靴。
 その上、長大な三ツ又槍を二振りも持っているというのに、軽やかに草原を駆けてライガを攻撃せんとしている。
 ライガと対峙たいじしてこれ程戦える強さがありながら、何故――。
 大きく揺らめいた怒りの炎を両手に込めて剣を握り、三ツ又槍の間合いはあと三歩、それを見て、ライガは開いた右脚を踏み出した。
 出した脚が目の前の死体に当たり、濡れた地を踏んだ刹那、蹴り上げる。
 なかばを失った死体が宙を舞い、外骨格の足で切り裂かれた新たな傷口から鮮血をき散らす。
 三ツ又槍の黒衣がほんの一瞬だけ身を固くするその隙に、ライガは地を這う様に駆け出して柘榴色ざくろいろの刃を真横にいだ。
 それに反応した黒衣がび上がり、無防備になる瞬間をかさずライガの左腕が伸びる。
 深紅の左手が、黒衣の喉をえりごと鷲掴わしづかみにした。
 重力に引かれておのずから首を絞め、苦しみ喘ぐ女を高く掲げたライガはゆっくりと左手を握り込む。
「テメェ……何でそんなに戦えるのに、此処ここに居る……!?」
 かぶとの隙間をにらみ、問うたライガに返されるのは、藻掻もがく声と、健闘むなしく外骨格を叩く三ツ又槍の響きだけ。
「聞いてんだよ、なぁ!?」
 爪を立て、深紅の上を流れる血の赤がしたたり、掲げた黒衣の向こうから足音がした。
「は、離せ! 隊長を離せ! このガキを殺すぞ!」
 左腕を動かし、黒衣の女を眼前から退けたライガの目に、なたを喉元に添えられて震えるコドコドの姿が飛び込む。
 心音が、大きく響いた。
 それに動揺した二人の黒衣が身動ぎして、コドコドの首の皮が切れる。
 怒りに身を任せて左手を握り込みたい衝動と、その先に待つ小さな死体の幻視がライガの脳裏でぶつかり合い、混ざり、ライガは咄嗟とっさに掴んでいた黒衣を投げ飛ばした。
 コドコドを人質に取った黒衣達とは別の方向に、空中で槍を手放して落ちた女は短い悲鳴を上げて、草原をく様にしてき込みながら息を吸う。
 ライガはそれに見向きもせずに、一歩前進して血に濡れる外骨格の左手を黒衣の一人に伸ばした。
「ほら、離してやっただろ。……ソイツは関係ねぇから、お前も離せよ」
 憤怒に満ちるライガの形相ぎょうそうを見て、黒衣の一人はコドコドを突き飛ばす様にして手放す。
 ライガはそれを見て駆け出しかけて、止められた。
 コドコドが、嗚咽おえつを漏らしなが刺々とげとげしい外骨格の脚にすがり付いたのだ。
「ライガ、ライガぁ……ライガぁ!」
 高鳴る心音が乱れ、ライガの外骨格が形を崩した。
 その変化はコドコドのすがる右脚から起こり、這い上る様に周囲に変化を促して、ライガは人の形を取り戻す。
 異様な物は、右手の剣だけ。
 ライガはそれを手放して地面に落とし、人の形に戻りつつある両腕でコドコドを抱き締めた。
「……………………大丈夫か」
 息を整えてから言うライガの胸の中で、コドコドはかぶりを振り、言葉にならない泣き声を繰り返す。
 皮と骨ばかりの痩せた子供の体は、驚く程に温かかった。
「オレのせいか……」
 問うでも無く呟いた声に、コドコドはまたかぶりを振った。
 頬を撫ぜる髪が奇妙な程に心地良く、ライガはそっとまぶたを下ろして、より一層コドコドを抱き締める。
 ライガの心臓は音を鳴らし続けていた。
 しなやかに、したたかに、ただここにる喜びを訴えて。
 温かな時間の中、不意に風を切る音がして、ライガは側頭部に響く痛みを覚えて倒れた。
「らっ、ライガ!? ライガ!」
 腕の中でコドコドが叫んでいる。
「ラ、ガ! ライガ! ――ぉきてよ! ねぇ――」
 声は静かに遠く離れて、それでもまだ、コドコドはライガを呼んでいる。
 暗闇に沈む意識の中、そこにある怒りの炎だけを、確かに感じていた。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 03の四

 〈第三ナスス駐屯基地ちゅうとんきち〉を構成する建物はそのほとんどが樹上に造られているが、地上に何の設備も無いと言う訳では無い。
 増改築を行う為の資材置き場や加工場、マギニウム製品を含めた焼夷剤しょういざいや爆薬などの増産と研究を行う施設は、切り拓かれた北西側――カーニダエ帝国の領内へ寄せた地上に建てられている他、動物兵器と総称される遠隔地との連絡を行う鳥類や、兵士の足となる青碧せいへき色の熊などを飼う小屋もまた地上にある。
 基地の首領を務めるスペオトスに命じられ、奇襲作戦の足となる熊――〈エクゥルサ〉の飼育小屋に足を運んだグリーセオ隊は、ず、湿った空気に乗って漂う動物の糞の臭いに出迎えられた。
「俺、この臭い苦手……」
 大型動物特有の臭いを感じた途端に口を開いたアルゲンテウスに、グリーセオは苦笑し、クリスは横目ににらむ。
「じゃ、歩いて作戦に参加したら?」
「鬼かよ! 我慢するって」
「だったら一々文句言わないで」
「おま」
「アルグ、そこまでだ。お出迎えが来たぞ」
 アルゲンテウスの顔の前に手を出して彼を制したグリーセオは、飼育小屋から亜麻あま色の布巾で手を拭きながら歩み出て来る、青い布を頭に巻いた男を見た。
 歳はグリーセオと同じか、それより若いか。しかしその足取りや薄く笑む表情には軽薄さが見て取られ、グリーセオは嫌な予感を抱きつつ軽く頭を下げた。
「グリーセオ隊のおさ、グリーセオ・カニス・ルプスだ。スペオトス首領の命により、二時間後の奇襲作戦に編成された。よろしく頼む」
 そう言って差し出した右手を柔らかく握り返す男は、頭に巻いた布で影になった双眸そうぼうを細める。
「良くぞ参られました、グリーセオ隊長殿。本官はツェルダ・フェネキュスと申します。今次作戦では〈第三〉の弓兵隊を束ね、貴殿の補佐に努めますので、以後お見知り置きを」
 軽薄そうな見た目に反し、鼻につくほど丁寧に過ぎる言葉を並べる男――ツェルダに曖昧にうなずいて、グリーセオは飼育小屋へと目を移した。
「それで、今回はエクゥルサで移動するのか」
 グリーセオの視線を追うツェルダはひとつうなずいて、小屋から連れ出されていく細く長い手脚を持つ青碧せいへき色の熊を見る。
「ええ。カニス族ではあまり使いませんか」
「そうだな……俺は戦場で乗っていたが……クリス、アルグ、どうだ?」
 振り返って問うグリーセオに、クリスは肩をすくめて見せ、アルグは不安気ふあんげに眉を上げた。
「お、俺は、一回だけ……。上手く乗れるかどうか……」
「クリスさん? は、乗れるという事でしょうか?」
「数えるくらいだけど、困った事ない」
「それは頼もしい。では、グリーセオ殿とアルグさんが相乗りをするのは如何いかがでしょう」
 ツェルダの提案に、グリーセオはアルゲンテウスに判断を委ねるく顔を向け、アルゲンテウスは迷う様にグリーセオとツェルダを見比べて、遠くで鞍と物資を積まれるエクゥルサを見る。
「いや……俺、一人で。乗らせてください」
 アルゲンテウスの判断にグリーセオはうなずき、ツェルダはグリーセオ隊の面々を見て微笑んだ。
かしこまりました。では御三方おさんかたの分も用意しましょう。予定時刻は二時間後ですが、準備自体はぐに終わりますので、先に試乗も出来ます。アルグさん、どうしますか?」
「お、お願いします」
うけたまわりましょう。さ、此方こちらへ」
 仰々ぎょうぎょうしくアルゲンテウスを案内する姿勢を見せるツェルダに引き攣った笑みを返し、アルゲンテウスはグリーセオを振り返る。
 眉を八の字にしたアルゲンテウスに、グリーセオが口を開こうとした、その時だった。
「早く行きなってば、鈍臭どんくさいな」
 クリスの刺々とげとげしい言葉に貫かれ、アルゲンテウスはとぼとぼと飼育小屋に歩いて行ってしまった。
「なぁクリス、その、そういう言い方は……」
「なに? 作戦まで時間が無いんだから、ちょっとでも練習するべきでしょ?」
「言い方って物があってだな……」
 グリーセオが小言をこぼかたわら、クリスは外套がいとうひるがえして歩いて行ってしまう。
 東から差すまばゆ木漏こもれ日とは相反する不安を抱えて、グリーセオはクリスとアルゲンテウスの背を見比べた。

つづく

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