「稲妻、来る」小説:PJ23

  はじめに

 本作「パラレルジョーカー」には、暴力、暴言、戦争や著しい差別などの描写を含みます。
 それに伴い、グロテスクな描写、憂鬱な気分にさせる描写を含む為、苦手な方は本作を読む事をお控え下さい。
 また、本作は創作物であり、実在するあらゆるものへの批判や、思想の拡散を目的とした物では無い事をご理解下さい。

 01話はこちら。

  目次について

 本作では本編中の場面転換を軸にnoteの「目次機能」による見出しを付けております。
 表記は「 ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕ ‬」が大きな場面転換。
 その後に付く「 01の零 」など、末尾の漢数字を見出しの番号代わりとしております。
 例外として、長い節にも小見出しによる区切りを付ける場合がございます。
 しおり代わりにご活用ください。


  23 稲妻、きた

 断続的に空気を揺るがす、拍動にも似た音。
 れに重なり、けたたましい金属音が遠くで響いた。
 グリーセオは己の感覚を信じて音のした方へ向かい、小高い砂丘を乗り越え、二つの人影を見る。
 一つは、真っ赤な長髪を揺らし、深緋こきあけの長剣を振るう、深紅の外骨格で身を包む男――ライガ。
 そしてもう一つは、白銀の甲冑かっちゅうを着込み、頭頂部の青い羽根飾りを揺らして、砂地をう様にライガと交戦する、いびつな人影。
(……ハンソーネ、なのか……?)
 己が目を疑い、絶句したグリーセオは足を止めて呆然とし、数秒の後に駆け出した。
(――戦うほかに、今、俺に出来る事は無い……!)
 両腕を振るい、篭手こてを短剣へと変じさせたグリーセオが近付くと、二人は其の足音に気が付いたのか、ちらと視線が向けられる。
 二人の反応に構わず、グリーセオはライガへ向けて一直線に駆け続け、対するライガはハンソーネの斬撃を受け止める直前に深く身を屈めた。
 ハンソーネが細剣を振るう力を利用し、斬り結ぶと同時にび上がったライガはグリーセオの頭上を抜け、グリーセオは風を切る音を追って振り返る。
「後ろだッ!」
 着地した姿勢のままグリーセオの目を見て叫ぶライガに従い、グリーセオはハンソーネが居た方へ向き直り、突き出される白銀の細剣と、割れたかぶとの奥で見開かれた、強膜までもが紫紺しこんに染まる眼球を見た。
 咄嗟とっさに振るった鋼の短剣は細剣をなし、グリーセオはハンソーネから距離を取る。
「どういう事だ」
 口早に問うたグリーセオを無視し、ライガは剣を構えた。
 その様子をちらと見て、グリーセオは両腕を振るい、短剣を篭手へと戻す。
 ハンソーネは獣のうなり声に似た音を口からこぼし、グリーセオとライガの元へと駆けて来ている。
 グリーセオは迫るハンソーネをにらみ、ライガに背を見せて進み出した。
 左手と両脚、そして細剣を使い、奇妙な姿勢で駆けるハンソーネは、距離の近いグリーセオに顔を向け、右腕を振り被る。
 グリーセオは其れに合わせて腰を落とし、ふところに潜り込んでハンソーネの右腕を左手でつかみ、右の前腕でハンソーネのあごすくい上げる様に押し込み、足を掛けて砂地へ押し倒した。
 砂埃が舞う中、暴れ狂うハンソーネを押さえ込むグリーセオは、ハンソーネの目を覗き込む。
「ハンソーネ伯爵はくしゃく! 戻って来い! タロウは生きてる! もう……もう退いても良いはずだ!」
 我を失うハンソーネに呼び掛け、しばらく抵抗を続けていたハンソーネが不意に力を抜き、グリーセオは安堵あんどした。
 瞬間、首布と胴鎧どうよろいが背後へ引かれ、グリーセオの体は空中に放り出される。
 砂原に落ちる直前、刃が擦れ合う様な音を聞いたグリーセオは、落下の衝撃と痛みを堪えて跳び退しさる様に立ち上がり、砂地に仰臥ぎょうがするハンソーネの腹部から突き出す、咬合こうごうするあぎとにも似た青白い肋骨あばらぼねを見た。
「オレにも分かんねぇが、ハンソーネは生体兵器の成り損ないだ。もう自我なんかねぇよ。……此処ここで殺して、終わらせてやる」
 いつの間にかグリーセオの前に立っていたライガは、それだけ言って深緋こきあけの長剣を構える。
 グリーセオは眼前のライガと、その奥のハンソーネを見比べて駆け出し、ライガの右手を掴んだ。
「なら俺がやろう。カーニダエの部隊が来る。お前は、この先に居る金の獣と帰れ」
「……何を言ってる」
「行け! ハンソーネを殺したとして、その後はお前が殺されるだけだ!」
「…………異常者が」
 つぶやき、ライガが走り出した足音を聞いて、グリーセオはかすかに苦笑する。
「その通りだ……」
 自嘲じちょうする声は夜風にさらわれた。
 肋骨を身内へと戻したハンソーネが、立ち上がる。
「殺すしか……本当に、其れしか無いのか……!」
 起こした体を重たそうに垂れ、ハンソーネは四足で駆けるがごとく踏み出した。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 23の二

 本隊〈コーア〉より南西に位置する場所を走り、北東より飛来した黄金の彗星が巻き起こした、砂の津波に巻き込まれた特別遊撃小隊――マリアンヌ隊は、仲間の救出作業と被害の確認を終え、遥か北に松明たいまつを掲げる一団を認めて再び動き出した。
 夜空の下、炎が照らす薄明かりの中に青い布をマリアンヌが発見し、友軍である事を確信しての行動だった。
 荒れ狂う砂の津波に流された部隊は撤退の進路を大きく外れており、リトラ砂漠の地理に明るくない為、一足先に帰る事も叶わない。
 故に、マリアンヌはカーニダエ帝国の軍勢との合流を急いでいた。
 黄土色おうどいろの牛――クラクホンに砂丘を越える無理をいて、一直線に本隊との合流を目指す最中、先頭を駆けるマリアンヌは友がのこした望遠鏡を覗き込む。
 先の爆発、そして砂漠の地形を変える程の力を持つ敵が何処どこに居るか分からないからこそ、マリアンヌはしきりに周囲を警戒し、それを見た。
 夜闇の中でも映える、青い首布を巻いた人影と、れよりも赤々と輝く深紅の体。そして、二人と対峙たいじする白銀の騎士を。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 23の三

 口の中に、血の味が広がる。
 わずかに苦く、鉄臭てつくされは、どういう訳か甘いとも感じられた。
 もっと飲みたい。口に含みたい。味わって、腹に収め、染み渡らせたい。
 渇望は舌と右手が訴え、暗い紫紺しこんに染まる視界の中で赤い人影が映れば、全身が粟立あわだって本能を揺さぶる。
 あれを喰え、殺せ、と。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 23の四

 共に戦った時や、遠くから見ていた時よりも、ハンソーネの動きはあらく、力任せだった。
 グリーセオは動き回るハンソーネの攻撃をなす事だけに集中し、隙を見て篭手こてめた拳での殴打を繰り返したが、鉄の様に硬い白銀の皮膚に阻まれ、手応えが無い。
 六度目に拳を突き出し、ハンソーネを押し飛ばした所で、グリーセオは鋭く息を吸い、両手を振るった。
 音を立てて篭手から短剣へと変じた〈マクシラ〉を構え、駆けて来るハンソーネを迎え撃つ。
 突き出されると同時に伸びる細剣をはじき、れ違いざまももの裏を斬りつければ、ハンソーネは体勢を崩して砂原に突っ伏した。
 れを追い、起き上がる隙を与えずにハンソーネの右前腕、橈骨とうこつ尺骨しゃっこつの隙間を狙って短剣を突き立てる。
 獣の悲鳴を上げたハンソーネは暴れようとするも、グリーセオはハンソーネの左肩を踏み付けて行動を許さない。
『殺そうと思えば誰でも殺せる力があって初めて出来る同情なんだよッ!』
 砂地に押さえ込んだハンソーネを見下ろした時、グリーセオの脳裏にはライガの声がよみがえった。
「……そうだとしても……!」
 右足でハンソーネの右肘みぎひじを踏み付け、突き立てた短剣を引き抜く。
 刃を伝う血液は、青褪あおざめていた。
「俺は……!」
 震える手を振り被り、ハンソーネのくびにらんで、グリーセオは咄嗟たっさ退しさった。
 ハンソーネの体がぶるりと震え、背骨に沿って無数のとげが伸びる。
 其の光景に息を呑み、起き上がろうとするハンソーネを見て、グリーセオは両手の短剣を構え直した。
「……ハンソーネ! ライガはもう居ない! 戦う必要は――」
 言いして、グリーセオは短剣を胸の前で交差させる。
 下段から振り上げられた細剣が火花を散らして短剣とこすれ合った。
 細剣を大きく振り上げれば、ハンソーネの胴はがら空きになり、隙が生まれる。
 グリーセオの体は反射的に動き、ハンソーネの傍らを抜ける様に滑り込んで、ハンソーネのわきを斬り付け、青褪めた血潮ちしおを噴かせた。
「殺したくない……殺したくないんだ……! 俺は、もう――めろハンソーネ! 止めてくれ……!」
 痛みを感じていないのか、グリーセオが悲鳴地味た声を上げようとも、ハンソーネは振り返るや否や緩慢な動作で細剣を振り下ろす。
 其れを左の短剣で弾き、そのまま踏み込んだグリーセオは、ハンソーネの首筋をぜる様に斬った。
 青い血液が噴き出し、砂原を染めて、鈍った動きでなおも立ち上がるハンソーネへ、グリーセオは蹴りを食らわせる。
 抵抗も無く砂原へ仰臥ぎょうがしたハンソーネに馬乗りになって、グリーセオは彼女の腹部、鳩尾みぞおちの辺りへと左の短剣を振り下ろした。
 短い悲鳴が上がり、腹を貫かれたハンソーネは四肢ししを投げ出して静止する。
 まぶたを閉じ、動かなくなったハンソーネを見下ろして、グリーセオは震える手で短剣を引き抜いた。
 血を払い、後退あとずさる様にハンソーネから離れて、グリーセオは短剣を篭手に戻す。
 そこまでの動作で、グリーセオは限界だった。
 砂原に両膝を着け、両手で砂を掴んで、グリーセオは涙を流す。
「……俺は、また、何でだ……ッ! 弱ぇんだよ……ッ! 何も出来ねぇんだ、お前はッ! 何も、何も生み出さない! 他人の命を奪って、それだけだ!」
 砂を殴り、うずくまって、グリーセオは泣き続けた。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 23の五

 兵をひきいて、腕の良い射手しゃしゅに身辺を守らせるスペオトスは、夜闇の中に青く揺らめく物を見る。
 砂原の直中ただなか跪座きざする人影と、の前方で倒れ、ぴくりともしない白銀の甲冑姿かっちゅうすがた
 二つの影を発見したスペオトスは、甲高かんだかい指笛を鳴らした。
「総員、周囲を警戒しろ! グリーセオとハンソーネを発見した! 回収し次第、撤退する!」
 付近の兵士らに告げ、スペオトスは青碧色せいへきいろの熊――エクゥルサの速度を上げさせる。
 二人の元へ駆ける間に、スペオトスの目は夜闇の中でも色濃く見える濡れた砂に留まり、奥歯を噛み締めた。
「……グリーセオ、ハンソーネ伯爵はくしゃくは生きておられるか」
 スペオトスが声を掛けると、グリーセオは緩慢な動作でスペオトスを見上げ、憔悴しょうすいし切った顔を動かないハンソーネへ向ける。
「……分からない。生体兵器なら、もしかしたら…………」
「何を言っている? 状況を報告しろ、グリーセオ・カニス・ルプス」
「…………ハンソーネ伯爵は、人では無くなった様に見えた……。爪や眼を見てみれば分かる。肌もだ。鉄みたいになって、自我も無く、戦うしか無かったんだ……」
 要領を得ないグリーセオの横顔へ冷たい視線を降らせたスペオトスは、周囲に目をって、くらから砂地へ下りた。
 そのまま黙ってハンソーネの元に向かい、彼方此方あちこちひしげたり砕けているよろいや、衣服の隙間から見える肌を見て、傍らに膝を着き、かぶとを外させてまぶためくる。
 其処そこには、普通の人間と変わらぬ眼球があった。
 触れた肌は冷たいものの、体温はあり、柔らかく、グリーセオの発言との食い違いにスペオトスは小さく首をかしげる。
「おい。グリーセオ、来い」
 口早に呼び付ければ、グリーセオは両脚を引きる様にして歩き、ハンソーネの元へ近付いて息を呑んだ。
「……話せ。何があった。お前が知る範囲で、お前の報告と彼女の状態が食い違っている理由を説明しろ」
 スペオトスがく間にも、グリーセオはハンソーネの傍らに膝を着き、ハンソーネの体をあらためる。
「お、おかしい。俺は確かに……そうか、本当に、しかし――」
「グリーセオ! ハンソーネ伯爵が生体兵器であるなどと、何故そう言った!」
 スペオトスの叱責にグリーセオは顔を上げ、眉間みけんしわを刻んでハンソーネに目を戻した。
「……特徴だ。今回の奇襲攻撃で、俺達は虎の様な……人間が変化した生体兵器擬きに反撃を食らい、同時に〈フェリダーの英雄〉と思しき生体兵器、ライガと遭遇した。
 そこから奇襲小隊は撤退をしようとしたが、ライガは何度もよみがえり、追撃を繰り返してきた。ハンソーネ伯爵……〈コーア〉の部隊と合流した後もだ。しかも、日が沈んでからは生体兵器もどきの数も増え、さっきは別の生体兵器とも遭遇した。
 ――生体兵器達は、皆、虫の様な外骨格だとか、硬い外皮を持つんだ。だから、俺は……ハンソーネ伯爵も、ついさっきまではそうだった…………いや、ライガは人間にも成れる。姿を変えるんだ。獅子に成ったり、人間に成ったり、だから……だからハンソーネ伯爵も、そうさせられたのかも知れない。だが、分からない。俺には……」
 グリーセオはそれ以上を言わず、スペオトスは大きく溜め息を吐き出す。
「では、お前の報告を信用するとして、お前はハンソーネ伯爵をどうするきだと判断する」
 スペオトスの言葉に、グリーセオは目を白黒とさせて、固く瞼を閉じた。
「……意識を取り戻すまで、拘束し、連れ帰った方が良いと…………。俺が戦った時は自我が無かった。しかし、ライガは自我のある生体兵器だ。他にも二人、自我のある生体兵器を見た。
 ……だから――ですから、ハンソーネ伯爵が意識を取り戻し、もしも彼女に自我が残っているのなら、殺す必要は無いと、考えます」
「…………分かった」
 それだけ言って、スペオトスは指笛を三度吹く。
 付近の兵士が寄って来るのを待ち、スペオトスは簡潔に指示を飛ばしてから、自身のエクゥルサにまたがった。
 拘束されたハンソーネが兵士の駆るエクゥルサに乗せられるまでを見届けて、スペオトスは撤退を告げる。
 カーニダエ帝国〈第三ナスス駐屯基地〉から出撃した部隊と、フランゲーテ魔法王国〈コーア〉の部隊は一塊ひとかたまりと成って、一路に西――駐屯基地ちゅうとんきちへと駆けた。
 長い夜が明け、東の地平線が焼ける頃、三千六百名強の隊列が無数の天幕が張られた草原地帯に到着する。
「心地の悪い朝だ……」
 スペオトスは独り、誰に言うでも無くつぶやいた。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 23の六

 空は明るく晴れているが、建物の中へ踏み込めば、其処そこには陰鬱いんうつとした空気が満ちていた。
 壁がひしゃげて屋根ごと屈曲し、辛うじて建っているだけの家屋に踏み込んで、ライガは手にした袋の内二つを青年に放り投げる。
 荒れた屋内で胡座あぐらをかいた青年の脚の上に袋が落ち、土汚れの様に皮膚から突き出す、小さな外骨格にまみれた顔が上げられた。
「これは……」
「飯だ。食っとけ。戦線基地に戻るまで、もう少し走る必要がある」
「…………これ、オレが作った袋だ……。配給の干し草を編んで作るんだけど、下手くそでさ。口が縛れなかったでしょ?」
「そこまで見てねぇよ」
 素っ気無く答えたライガは地面に座り、自身が握っていた袋に手を突っ込み、干した穀物を握り締める様に取り出して、口の中へ流し込む。
 味気無く、口中に張り付く穀物を噛み砕き、ライガは外を眺めた。
 フェリダー共和国の〈スナド戦線基地〉から最も遠い位置にあるの集落は、カーニダエ帝国の奇襲により大半が瓦礫がれきの山へ変えられており、げ付いた物の他に見るきものなど何も無い。
 それでも、同じ廃屋の中で腰を下ろす青年――黄金の獣人から人の姿へ変わったヒョウと目を合わせる気は起きず、ライガは警戒する様に外を見詰めるのだった。
「…………サビロイ、殺されたのかな」
「最後に一緒に居たのはお前だ。お前が知らなけりゃ、オレが知ってるはずねぇよ」
「そう、だよね……」
 食欲が湧かないのか、さらさらとヒョウが穀物をもてあそぶ音を聞きながら、朝の日差しを反射する砂の白と、れにへばりつく黒を眺めるライガは、遥か南西で動き回る律動に意識をく。
 ――サビロイとうらしい獣人は、生きている。
 高密度のマギニウムと同化し、自我を持つ生物――生体兵器が無意識に発する律動を感知出来る様になったライガは、其れを知っていた。
 知っていて、えてヒョウには伝えていない。
 生体兵器か、其の成り損ないと化した――元からそう作られていたのかもしれないが――ハンソーネの相手をグリーセオに任せ、ヒョウを担いで撤退していた頃から、サビロイの律動は砂漠を右往左往していた。
 ヒョウと共にサビロイも敵部隊に追い付いた事から、二人は少なくともライガの律動は感じられているのだと察せられたが、夜が明けてからおよそ二時間、サビロイがライガのもとへ向かおうとする動きは見られない。
 生体兵器として魔法を操る手駒が欲しいと云う思惑と、サビロイへの不信感がせめぎ合い、ライガは頭が重たくなる感覚をゆっくりと瞬きをする事で振り払った。
(……食い終わるまでだ。それ迄に来なければ、殺す)
 胸中で線引きをして、ライガは二つある袋の一つ、水筒をあおる。
「――ライガ、敵?」
 サビロイへ向けた殺意を感じ取ってか、ヒョウがいた。
「いや…………。ヒョウ、お前さっき、この袋は自分で作ったって言ってたよな」
「え? う、うん」
此処ここで、暮らしてたのか」
「……うん。この集落じゃ子供は産めないから、生まれは遠くの村だけど。五歳かな……十年とか、そのくらい前に此処に送られて、大人の手伝いをしてた」
「そうか……」
「ライガは? 黒い服着てないし、兵隊さんじゃないよね?」
 何気無く向けられた言葉に、ライガは答えられない。
 奇妙な沈黙が満ちて、ライガは肩越しにヒョウを見詰めた。
 無自覚に鋭くなったライガの目に、ヒョウは表情を固くして視線を外す。
「ごめん」
「一番古い記憶は、別人の腕の中だ」
「え……?」
 ヒョウに聞き返され、ライガは再び外へ目を向けた。
「母親か父親かは分からない。だが、オレは親の手から、誰かに渡された。慣れない感触がして、その時に初めて孤独を感じた。……多分、これはオレの記憶だと思う」
 一人になり、何もする事が無い時、ライガの脳裏に去来する記憶が其れだった。
「……だと思うって、そんなに小さい頃の……?」
 ライガはれにも答えられない。
「ヒョウ、お前は〈フェリダーの英雄〉って、知ってるか」
「え、うん。まぁ……。フェリダー人は皆知ってるんじゃないの?」
「…………オレが、其れだ」
 苦虫を噛み潰す思いで告げ、ライガは其の感覚を誤魔化す様に穀物を口へ放り込んだ。
「な、え……いや、やっぱり、そうなんだ……」
「やっぱり?」
「うん。だってオレ、ライガと砂の中で会った時、感じたから。
 なんて言えばいいんだろ……オレとかサビロイとは違うよなって言うかさ、うん……なんか、ぶわぁって、鳥肌立って、勇気が出る感じ」
「……あん時に、か」
「そう。何となくだけどね。すっごい強いし」
 そこ迄を言って、ヒョウはばりぼりと穀物を食べ始める。
「まぁ、それは事実だ。オレは赤ん坊の頃に〈魔剣まけん〉と混ぜられて、それから長い時間を掛けて、他の似た境遇の奴らと喰い合うように指示された。そうやって、過去最高の性能を持つ生体兵器として作られたんだ」
「……そっ、か。それじゃあ、何処どこから来たとか、分かんないよな……ごめん」
「いや、出自は知ってる」
「う、ん……? じゃあ、どういう……」
「記録は読んだが、記憶とは合わない。他の生体兵器を喰って、記憶が混ざり合ってんだ。
 だから、一番古い記憶ってのも、元になったオレの物なのか、何処かでオレに成った奴の物なのかは分からない」
「――ご、ごめん、オレ、何も考えてなくて……その、ほんと、ごめん……」
 口早に謝るヒョウの声を背中で受け止め、ライガは鼻で笑った。
「一々気にすんな。こういう話になったから、オレが勝手に喋っただけだ」
「でも……オレ、そんなの、分かんない……なった事無いけどさ、でもさ、きっと、辛いから……」
「お前だって、ずっと暮らしてた集落を無くして、人の体も無くしたんだ。フェリダーじゃ不幸話なんて有り触れてるだろ」
「でもオレ、それでも、ライガに謝りたいよ。仲間だから」
「……勝手に言ってろ」
 素っ気無く答え、ライガは穀物の袋を呷る。
 口に詰め込めるだけ詰め込んで、素早く噛み砕きながら立ち上がり、白飛びする廃墟郡へ向けた目を細めた。
 彼方かなた彷徨さまよっていたサビロイの律動が動きを変え、ライガのもとへ一直線に駆けて来る。
 集落の通りを、雨粒が叩いた。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 23の七

 マギニウムという物質は、この世界の何処どこにでもり、適切な道具と知識さえあれば、土や石、植物や動物の組織からも見付けられる。
 微細でありながら特異な構造を持つの物質は、密度が高ければ高いほど外界からの刺激を受けて超常現象を発生させる為、創作物で用いられる表現より引用して〈魔法〉と呼ばれる様になった。
 しかし、その言葉から受け取る印象とくらべ、現実は大きく異なる。
 黎明期れいめいきこそ文明の薬であったマギニウムは、使い方の一つでも間違えれば毒に成り得たのだ。
 の、毒としての一例が、魔法発祥の地〈フランゲーテ魔法王国〉で生み出された兵器であり、公然の秘密、人にマギニウムを蓄積させて作り出される〈生体兵器〉だろう。
 人間の体内でマギニウムの密度が高くなれば、其れが発する超常現象は人の思惟しいに反応して暴走し、やがて人の精神をもむしばむ。
 自我を失い、魔法をき散らし、外界をも喰らわんとする、飢えた獣に変えてしまうのだ。
 この事実にフランゲーテ魔法王国は生体兵器を禁忌きんきとしたが、しかし、同じあやまちを防ぐ為に、一定以上の権限を持つ研究者や医師には情報が開示され、同時に生体兵器、及び其れに類する現象の再発を阻止する義務が課されている。
 故に、青い腕章を着けたフランゲーテ魔法王国の男性医師は息を呑み、傍らの寝台で上体を起こした銀髪の女性――ハンソーネ・トロンバを見るや否や悲鳴を上げた。
「何だ!」
 声を上げて幕を払いけ、四名の兵士が天幕に踏み込む。
「……ハンソーネ。言葉が分かるか」
 軽く挙げた左手で兵士らを制し、起き上がったハンソーネを見詰める中年の男――アダルガー・フォン・ルートヴィヒは問うた。
 目覚めたばかりのハンソーネは辺りを見回し、アダルガーへ青い瞳を向ける。
「……はい。私は、一体…………これは……!」
 言葉を発する最中、ハンソーネは両手足と寝台を繋ぐかせ、そして右手に握ったままの細剣に気が付き、混乱をあらわにした。
「君、分かった事はあるか」
 アダルガーは、机にすがる様にしている医師に向けて言い、医師は震える声で「はい」と応じる。
「補足を頼んだ。
 ――ハンソーネ、ず君を拘束した理由についてだが、れは私とスペオトス首領の合意の上である、とだけ伝えておく。君が私の知るハンソーネの儘であれば、充分な説明だろう」
「……は」
 了解の意を一音に込めたハンソーネは、落ち着きを取り戻したのか右手を下げ、細剣を封じる様に、つかに固く縛り付けられたさやの先――こじりを地面に付けた。
「では、ハンソーネ。君の主観で良い、現状に至る迄の直近の報告をしなさい」
 アダルガーが命令すると、ハンソーネは視線を泳がせて記憶を探り始める。
「……私は、グリーセオ・カニス・ルプスと合流し、フェリダー共和国の兵士や、生体兵器らとの戦闘を繰り返し乍ら撤退を続けました。
 道中で我が隊〈コーア〉の特別遊撃小隊と合流、情報の交換をしていた時に、生体兵器――フェリダーの英雄の接近を受け、急ぎ撤退を続行。私は殿しんがりを務めておりました。……私の、この剣の魔法が生体兵器に有効であった為です。
 それから……生体兵器、中でも赤い個体を〈ライガ〉と呼称します。其の個体と交戦中、ライガの音響魔法らしき作用を受け、ライガの討伐に失敗。いで、生体兵器と思しき橙色だいだいいろの個体も現れ、部隊は大きな打撃を受けました。
 橙色の個体は飛翔能力を有し、タロウ・サンノゼと共に部隊から大きく北に外れた地点へ飛んで行き、甚大じんだいな爆発現象を引き起こし、私がタロウの救援に向かいましたが、部隊の方向へ逃がす結果に。
 この時、推測ですが、橙色の個体は金色の個体へと変化。原因は不明……。
 其の、金色の個体を追っていた所、私は再びライガと遭遇しました。
 ライガは……ライガは、交戦中に再び音響魔法を放ち、私は、ライガの剣で殺される……斬られたはずです。記憶は、ここ迄で…………」
 尻窄しりすぼむハンソーネの声が途切れると、天幕の中は沈黙で満たされた。
 衣擦きぬずれの音すら響く沈黙の下、外から小鳥のさえずりが届く。
「其れから目覚める迄の間、本当に何も無いのか?」
 やや険のある声音でアダルガーが言い、ハンソーネは左手でずぼんを握り締めた。
「……悪夢の様なものです。定かではありません」
「話しなさい」
「…………私は、人を斬る事を切望していました。過去に斬ってきた敵国の兵士が、罪人が……私の手で斬る事の叶わなかった者達まで、私の目の前に現れては消える、夢。
 敵を斬る迄、平穏は無い。その思いに突き動かされるまま、剣を……〈トロンバオネ〉を振るい、しばらくして、グリーセオが現れたんです。私は、勝てなかった……グリーセオに首を斬り付けられ、右腕のけんを斬られ、倒れました。
 ――れは、グリーセオに斬られた事は、事実ですか?」
 ハンソーネに問われ、アダルガーはうなずく。
 其れを見て、ハンソーネは倒れる様にこうべを垂れ、小さく笑い出した。
「では、私は……五年前と…………モーグと同じだ……っはは」
 涙を流しなが自嘲気味じちょうぎみに笑うハンソーネの横顔を見詰め、アダルガーは鼻を鳴らす。
「いや、もっと酷い。ハンソーネ、今の君は生体兵器と化している」
「……な…………」
「アダルガー様、其れには少し誤りがあります」
 絶句するハンソーネは、アダルガーと共に声の主――医師の方を向いた。
 二人の視線を受け、医師は緊張した面持ちを見せ、手の甲で額を拭う。
「ハンソーネ伯爵はくしゃくの皮膚片は、既に常人の五倍近いマギニウムを含んでいました。しかし、生体兵器であれば、マギニウムを多く含むだけでは済みません。密度としてはだ、足りないのです」
「では彼女の手をどう説明する」
「生体兵器の体組織は、其のほとんどがマギニウムを含んだ結晶と化します。それも、皮膚や筋肉等の柔軟性を保持したまま。
 ハンソーネ伯爵の右手は、トロンバオネと癒着ゆちゃくしておりますが、れは魔法に――トロンバオネに組み込まれたマギニウム結晶、魔石の暴走現象に巻き込まれた状態で……魔法の炎に焼かれた火傷やけどで、生体兵器に成ってしまうなどという冗談は無いのです。外科的な医療を施せば、元通りとはいかずとも、命に関わる事は無いと推測されます。
 伯爵の状態は、今しがた御自身ごじしんで話された例、モーグ氏と似た状態なのです。しかし、彼は治療を受けて故郷へ帰りました。マギニウムの汚染を受けたとて、死んではいません。
 ――問題は、体内に残留したマギニウムです。こればかりは何とも……此れ程の密度を肉体に有し、意識も記憶も混濁していないのは、奇跡としか」
 医師はそこで言葉を切り、アダルガーとハンソーネを見比べる様に目を動かした。
「……それから、もう一つの気掛かりが…………」
 医師のつぶやきに、アダルガーは目だけで続きをうながす。
「アダルガー様、グリーセオ様の御報告を覚えていらっしゃいますか」
「ああ。それが?」
「……伯爵の前でお話してもよろしいので?」
「…………場所を移そう。
 ――ハンソーネ、君は今、非常に危うい立場に在る。其れを忘れない様に。大人しく待機していなさい」
 うなずく様にあごを引いたハンソーネの横顔を見て、アダルガーは医師を連れて天幕を後にした。
 去り際に見張りの増員と交代を指示したアダルガーは、其処そこから離れて自身の天幕へ入り、医師に椅子を勧める。
 緊張した面持ちで腰を下ろした医師が言葉をつむまで暫時ざんじの沈黙が天幕の中を満たした。
「…………アダルガー様。仮定の一つとして、グリーセオ様の報告を真実とすると……伯爵は、既に生体兵器と言って良い状態かも知れません」
 重たい口を開いた医師の言葉を聞き、アダルガーは胸中で『やはり』と呟いた。
「然し、然しアダルガー様、其の仮定も怪しい物です。伯爵の皮膚片、血液、右手の結晶体、いずれを調べても、フランゲーテの記録にある生体兵器とは異なります。
 生体兵器であると判断するには、伯爵の状態は……人間であり過ぎる」
 頭痛を訴える様な医師の顔を見詰め、アダルガーは顎先をぜる。
「もしも、フェリダーの作る生体兵器が我が国の其れと異なるとすれば、どうだ」
「それは…………今は、何とも……。敵の生体兵器、其の体組織があれば別ですが……」
 医師が呟いた言葉に、アダルガーは席を立った。
 背後で医師が動揺する気配を無視して、天幕の外、入口に立たせておいた兵士の一人に耳打ちをして、中へと戻る。
「敵の体組織なら、ある」
 アダルガーの発言に、医師は明確に狼狽ろうばいを見せた。
「わ、私は……アダルガー様、私は、国王陛下よりフランゲーテの名をお借りし、おそれ多くも国家医師として名乗る事を許された身です。我が国に尽くし、我が国を守護する騎士や兵士を治療するお役目をたまわりました……!
 私は、陛下へいかそむけません。嘘を報告する事は出来ません……!」
「そんな事は期待していない」
「アダルガー様……!」
 涙を溜め、懇願こんがんする様な医師に、アダルガーは冷たい双眸そうぼうを向ける。
「敵の生体兵器、ライガの物と思われる組織片が此処ここにある。彼奴に襲われた、カーニダエの戦士の体内より摘出てきしゅつした物だ。確実だろう。
 ヤネス。其の体組織を調べ、ハンソーネが彼奴あやつ眷属けんぞくと化したか如何どうかを証明せよ」
「そんな……伯爵は、自我を保って居られます……。し、若しも、伯爵がそうであると証明されれば、アダルガー様、彼女の処遇は……」
「禁忌の生体兵器を野放しには出来ぬ」
 冷たく言い放ったアダルガーの前で、医師――ヤネスは力無く背凭せもたれに身を預けた。
 うつむき、地面を見詰めて呆然とするヤネスを見下ろし、アダルガーは奥歯を噛み締める。
(……望んでいるものか。友の娘子じょうしを殺す事など、望んでたまるか……ッ!)
 行き場の無い感情をかかとに乗せ、アダルガーは身をひるがえした。
「ヤネス。お前の天幕に組織片を持って行かせる。嘘偽り無く報告せよ。良いな」
「…………かしこまりました」
 弱々しい返答を聞き、アダルガーは天幕を後にする。
 青い空を、東から迫る暗雲が覆い隠そうとしていた。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 23の八

 魔法による治療を受け、目を覚ましたグリーセオは医師の制止を無視し、〈第三ナスス駐屯基地ちゅうとんきち〉の領地である緑野を歩いていた。
 珍しく東から吹いている乾いた風を受けて、グリーセオは遠い地平線、リトラ砂漠を越えたその先にる〈フェリダー共和国〉を見詰める。
 一年を通して温暖で湿度が高く、原生林に覆われた〈カーニダエ帝国〉ではほとんど見られない開けた景色を楽しむ余裕も無く、胸のうちに張り付いたわずかな後悔と、戦場で出会ったライガの姿ばかりを思い出していた。
「グリーセオ」
 ふと掛けられた声に顔を向けたグリーセオは、右手を軽く挙げた長身痩躯ちょうしんそうくの青年――アルゲンテウスの姿を認め、後悔のかせが重量を増す感覚を抱く。
「見舞いに行こうとしたらさ、フランゲーテのお医者さんが怒ってたぜ。『もう知らん』ってさ」
 グリーセオを治療してくれた老齢の医師の真似をしたアルゲンテウスに、グリーセオがかすかに口角を上げたのも一瞬。
(笑う資格があるものか)
 そう言う己の声がして、グリーセオは東へ顔を向け直した。
「……グリーセオ、生きてて良かった」
 心の底から安堵あんどした様に言うアルゲンテウスの声が、グリーセオの胸にはとげとして刺さる。
「あー……えっと…………。フランゲーテ魔法王国ってさ、ほら、王様は『魔王様』だなんて呼ばれる……っつーか自分で言ってるだろ?
 だから俺、フランゲーテの人達っておっかない人ばっかだと思ってた。でも、みんな良い人達だよな。今朝、俺が目を覚ましたらさ、大慌てで飯やら何やら用意されるから、王族にでもなったかと思ったぜー……なん、てな……」
 反応を示さないグリーセオの様子を悟ってだろう。アルゲンテウスは軽い調子の口振りをすぼませていき、グリーセオの肩に手を置いた。
「なぁグリーセオ。座って話そう……ってか、話を、聞いて欲しい」
「……ああ」
 小さくうなずいたグリーセオを見てか、アルゲンテウスはふっと微笑ほほえんで、二人は草原に腰を下ろす。
「…………色んな人に聞いた。酷い戦いになったって。フランゲーテの騎士が六人も殺されて、兵士の人達も、沢山……。ツェルダさんもだ目が覚めないって……。
 ――俺、臆病だからさ、カニス族じゃ落ちこぼれだし、戦士としての仕事も、見張り位しかやって来なかった……っつぅか、任せられなかったんだろうなぁ。
 だからさ、昨日、初めて人をったよ。何十人も。民間人だった……」
 そこまで言って、アルゲンテウスは震える声を抑える様に、深呼吸を挟んだ。
「……グリーセオはずっとあんな所で戦ってて……そりゃ、辞めたくなるよなって、そう思ったよ。気持ちが分かったなんて言えねぇけど……でも、初めて、自分の事として考えられた」
 そっと、アルゲンテウスの横顔をうかがって、グリーセオは後悔する。
 まぶたを閉じ、きつく結んだ口許くちもとが震えていて、己の罪がアルゲンテウスを戦場に引きり出した事を、痛い程に自覚させられたのだ。
「……もう嫌だ。沢山だ。って言って、逃げたいけどさぁ…………俺達、戦うしか、無いんだもんなぁ」
 アルゲンテウスの声を聞いて、グリーセオは生身の手を固く握り締める。
「…………すまない」
「え、ち、違うって! そういうつもりじゃ――」
「俺が迷わなければ良かったんだ。ライガを殺せていれば……いや違う、あの日……密林で、フェリダーの密偵みっていを殺していれば……」
「っこ、殺す事って、そんな簡単な事じゃないだろ!」
 アルゲンテウスの声が草原に響き、東から、乾いた風が吹きすさぶ。
 風にそよぐ下草が騒ぎ出して、グリーセオはその音に人々の悲鳴を重ね合わせた。
「……人一人殺すのだって、覚悟してても、怖いよ……! 俺は……集落から逃げる家族を殺した……! 子供も、居たんだ……ッ!
 そう簡単に、殺すなんて……割り切れねぇよ……」
「……俺は出来る。人を殺す技も、力もある。迷いをち切るすべは、身に染み付いているんだ」
「…………でも、変わったんだろ? 変わっちまった方が良いって……そんなの」
 二人は、それ以上を話せず、リトラ砂漠を濡らす雨雲を見詰める。
 下草を踏む足音がしたのは、雨雲が目前に迫った頃だった。
「グリーセオ……」
 若い女性の声に、グリーセオとアルゲンテウスが顔を向けると、空中できらめく何かが宙を舞い、グリーセオはれをつかむ。
 鋭い目付きでグリーセオをにらむ少女――クリスが投げ寄越したのは、グリーセオの愛剣、篭手こての形をした〈マクシラ〉だった。
「クリス、これは」
「丁度良かった。人の目から離れた場所に居てくれて」
「何があった、敵が――」
「敵はあんただ。グリーセオ・カニス・ルプス……裏切り者……ッ!」
 叫ぶや否や、腰にいた剣を鞘走さやばしらせて、クリスはグリーセオに居合いの斬撃を放つ。
 グリーセオは其れを手に握ったまま篭手こてで受け止め、ひねる動作で受け流し、退しさった。
「クリス!」
「アルグ、あんたは口裏を合わせれば良い!
 ――生体兵器を見す見す逃して、いや、あろう事か伯爵はくしゃくに刃を向けて、赤いのが逃げるのに手を貸したんだッ! マリアンヌが証言してる!」
「そんな訳ねぇだろ!」
 クリスを羽交はがめにしたアルゲンテウスが叫び、クリスは藻掻もがく。
「アルグ! 此奴こいつはあんたを殺しかけた生体兵器を、ライガって奴を逃がした! 長年、戦士の務めを放棄して、今度は敵に協力してんだよ!」
「落ち着け! 落ち着けって! マリアンヌって人の勘違いだ! だから――」
「ああ。俺は、ライガを逃がした」
 両手に篭手こてめ、グリーセオはつぶやく。
「クリス……お前がそれで満足するなら……」
「……お前ッ!」
「やめろグリーセオ! やめろって!」
 アルゲンテウスの腕から、クリスが逃れた。
 電光石火の斬撃がグリーセオの首を目掛けてひらめき、グリーセオはの刃を右の篭手で受け止める。
「……彼奴あいつは、ライガは被害者だ! 恨むのは生体兵器じゃない……!」
「――死ねッ! 謀反人むほんにんの言葉なんて聞きたくない!」
 素早く引かれたクリスの剣が、鋼の篭手とこすれ合い、火花を散らした。
 雷鳴がとどろく。
 三人の頭上、遥か上空で。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?