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お金と罪悪感。

お金。

衣食住、生きていくのに最低限
必要なものになら使える。

でもあってもなくても困らないけれど
あれば助かるものとか

やってもやらなくても困らないけれど
やってみたいと思うこと

そんなものには使えない。

でも退屈で虚しい毎日を変えたいと思って
たまに勇気を出してそんなものに使ってみる。

すると一瞬の喜びの後に
もの凄い罪悪感が襲ってきて

何でもない誰かの言葉が
自分に対する攻撃のように思えてくる。

"私がお金を使ったものについては
お願いだからもう触れないで"

そう思っているのにそうはいかなくて

お金を使ったものに関して尋ねられる度に
まるで取り調べを受けているかのような
気分になる。

そして必死になってお金を使ったいかにも
正当そうな理由を考えて説明する。

そのうち罪悪感に耐えきれなくなってきて
使った分のお金を稼ごうとして自分自身に
苦労を強いる。

そうすればお金を使ったことを帳消しにする
ことができて罪悪感から解放される気が
するんだよね。

せっかく喜びを感じるために
お金を使ったのに

結局は罪悪感に追いかけ回されて
罪悪感から解放されるために
動き回る羽目になる。

お金と引き換えに手に入れたものは
自分自身に罪悪感を感じさせるものとなり
人目につかないように隠すようになる。

"こんな思いをするのはもう嫌だ"

そう思って余計に生きていくのに最低限
必要なものにしかお金を使えなくなる。

生きていくのに最低限必要なもの。

それは私が心から願っているものじゃなくて
とにかくそれがあればギリギリ生きていける
というようなレベルのもの。

罪悪感を感じないで済む行動範囲なんて
牢獄のようなもの。

でも私は罪を犯したわけじゃない。

なのに何故牢獄に入らないといけないのだ。

誰も私のことなど責めていない。

私が勝手に牢獄に入っているだけ。

それは息苦しいけれど誰にも
責められなくて安全だと思えるような
最底辺の安心できる場所。

ここを超えなければ私の人生は変わらない。

収入も変わらない。

罪悪感を感じなくて済む仕事をして
罪悪感を感じなくて済む働き方をして
罪悪感を感じなくて済むだけの
お金を手にして
罪悪感を感じなくて済むものだけに
お金を使って

一生牢獄の中で生きることにしかならない。

牢獄の中で生きても残るのは偽りの安心と
虚しさと窮屈さと激しい嫉妬。

同じような場所で生きていて
同じような仕事をしているのに

牢獄の中で生きている人もいれば
世界中を旅している人もいる。

才能とか能力とか仕事なんて関係ない。

どんなに能力が開花しても
いくらお金を手にしても

罪悪感に翻弄されていたら
牢獄の中でしか生きられない。

罪悪感なんてどこにも無い
自分の頭の中にあるだけの幻想だ。

罪悪感の支配下から抜け出した時

目の前にあるものを見てはっきりと

"これは私が求めているものじゃない"

と主張することができるようになった。

働き方を変えることが
できるようにもなった。

お金の扱い方が変わって
行動範囲がぐんと広がった。

生きている場所は変わっていないのに
私の世界に沢山の人や豊かさが
現れてくれるようになった。


罪悪感なんてただの幻想だよ。

罪悪感なんていう幻想に翻弄されて
大切なお金を使って手に入れた大好きなものを
コソコソと隠して出番のないガラクタのように
扱うなんてことはもうやめた。

自分の好きなものだからこそ
何も気にせずに堂々と手にして
それについて尋ねられたのなら

それが好きな理由やそのものの素晴らしさを
思い切り語っていこうと思う。

私はもう望んでいないものに囲まれて
卑屈になり他人を羨み非難する
なんてことはやめて

心から望んでいるものを手にして喜びを感じ
そんなものをもたらしてくれた誰かに

"ありがとう"

と言えるような生き方をしていくよ。


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