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病室の緑

転職して1年くらい経ったころだ。わたしは仕事関係の人と個人的な交流をするのがずっと苦手だし、そもそも環境や人間関係に関わる不満などもあって辞めたというのもあり、前職の同僚とは全く連絡を取っていなかった。プライベートの携帯電話番号もほぼ誰にも教えていない。わたしに連絡してこられるのは、だいぶ前にアカウントだけ作っていたフェイスブックで、なにかの話のきっかけで断りきれずフォローすることになった数名のみ。とはいえ、定期的にチェックする習慣もないので、仮に連絡が入っていてもなかなか気づくことはない。はなから交流する気がないのだから。

ただ、そのフェイスブックで、ほんとうに偶然、チャットでの連絡が入っているのにタイムリーに気付いたことがあった。新橋で飲まないか、という誘いだった。入院することになったので、その前にいろんな人間に声をかけているのだという。その連絡をしてきたのは前職で一時期同じ部署にいたわたしより10くらい上の男で、かなり交友関係の広い人物だった。その強引にも感じられるコミュニケーション力が仕事の実績に直結しているタイプの人間だった。ほとんどプライベートの交流をしないわたしですら、この男が発起人となった休日のレクリエーションに何度か参加したことがあった。とはいえ、この男についていい思い出ばかりがあるとは言いづらい。時代もあるが、かなり度が過ぎたセクハラを受けたし、その部署にいた頃の労務環境も最悪だった。当時のことを思い出すとさすがに一対一で飲むのは気が進まなかったが、チャットには「◯◯社の川島(仮名)も呼ぶから」と、当時よく仕事を発注していた代理店の営業の名前が挙がっていた。転職後誰にも連絡をとらず不義理をしている後ろめたさ、そして新しい職場から新橋まで出やすかったのもあって、わたしはその誘いを受けた。今考えてみれば、断りにくい誘い方をしてくるのもその男の技術だったのだろう。

数週間後、職場の近くの居酒屋で飲んだ。あまり品のいい酔い方をしない人物なので身構えていたのだが、男は入院前であまり飲めないのだと言った。遅れて来た川島氏も含めて三人で近況の話などをしたと思う。川島氏との仕事中に体調の変調があり、そこからあれよあれよと入院することになったのだとか。あの時はびっくりしましたよと川島氏が笑っていた。そのほか、あまりにもたいした話をしなかったので、この飲み会のことはほとんど記憶に残っていない。川島氏はいろいろと気を利かせて注文していたが、あの男は枝豆ばかり食べていた。結局二次会に行くこともなく、その飲み会は平和に終わった。


その数日後、入院したという連絡がまたチャットに入った。いつ手術があり、その後は暇にしているのでよかったら来ないかという。少し遠方にある病院の名前が書かれていた。
男の見舞いに行ったのは8月のひどく暑い日だった。親族以外の見舞いをするのは初めてだった。ネットで調べ、当たり障りのない手土産として駅ビルでメロンのゼリーを買い、ドライアイスと一緒に箱に入れてもらった。透き通った緑色のゼリーが夏の木陰みたいで、入院中でしばらく外に出られていないのであれば、そんなさわやかな緑が病室の中にあるといいんじゃないかと思った。

JRの駅を降りてから15分くらい歩かなければならない場所に、その男が入院したという病院があった。広い敷地内にいくつか棟が建っていて、正門から入院病棟まではだいぶ距離があって不便だった。ようやく辿り着いた窓口でチャットに書かれていた通りの手続きをすると、男のいる病室の位置を説明された。
入院病棟は静かでがらんとしていた。照明がついていなかったわけではないのに、外の日の光が強いぶん、病棟内はどこを見ても逆光みたいに影になっていた。案内を受けた病室をのぞくと、飲み会のときからひとまわり小さくなった男がベッドにあおむけになっていた。
わたしに気づいた男はベッドのリクライニング機能のことをわたしに説明してきた。すごいですね、とわたしはだいぶ適当な相槌をうった。退院の日程は検査の結果が出てからなのだ、だから今はほんとうに暇なのだという。それから、明日は親父が来るんだけど、あと川島は先週来たけどまた来るって言ってて、と、男はこちらが尋ねてもいないのにここ何日間かで病室を訪れる予定の人物の名前を挙げた。長居をする気はなかったのに、引き止めたそうな空気をうまくかわせずに、わたしは1時間くらいはその病室にいた。やっぱりたいした話はしなかったと思う。ゼリー食べれそうですかと聞いたら、だめって言われてるけど食う、と答えてきたので、看護師さんの目を盗んでお互いひとつずつ食べた。

帰り道も、正門までの道は遠かった。ここから誰かが出かける前提で建てられていないことがよくわかった。蝉の鳴き声がうるさかった。あの人は死ぬんだな、と、なにも具体的なことは聞かなかったが、そう思った。かなり親しい間柄というわけでもなく、当時受けたセクハラの一部は時間が経ったからといって許せるものでもなく、ではなぜわざわざそんな相手のために遠方の病院に見舞いになど行ったのかといわれるとうまく答えられない。ちょうど連絡が来たから、としか言いようがない。あのとき、病室には物語が充満していた。若くして病に倒れ、明るく振る舞いながらなるべく大勢の知り合いに挨拶をして去ろうというお調子者の男の物語だった。あんなわかりやすすぎる絵面があるか。ただ、わたしにはあの男の死を真正面から受け止めるだけの余裕はなかった。他人の死の物語は重たすぎて、その重たさをいきなり背負わせられるのは苦しかった。筋立てが小綺麗すぎる気がするのも嫌だった。わたしは当時誰にもセクハラのことを相談できなかった。きっと男の物語にも書かれていないだろう。すでに上がりを決めようとしている男の都合のいい思い出にされるのはもうどうしようもない。ただせめて、能動的にそこに加わることからは逃げたかった。薄情と思われても、はるばる見舞いに行ってあの部屋にすきとおった緑を一滴垂らした、それでどうにか手打ちにしてほしかった。

見舞いの後、しばらく男からの連絡は来なかった。わたしは以前にもましてフェイスブックの確認をおろそかにしていった。そのまま気づけば二年ほど放置していた。もう、いまさら確認をする気にもなれなかった。
そのまた数年後、やはり男は亡くなったのだと人づてに知った。知ったときには既に亡くなってから何年か経っていたようだったが、わたしは詳細な計算をするのをあえてやめた。あのときあの病室であの男が既に自分の死を悟っていたのかどうか、そんなことをわざわざ確認したくなかった。後ろめたさはやはりあったけれども、もう終わったことだ。リアルタイムで知らずにすんだことで、男の死は直接的すぎる物語からはもう切り離されていて、なんとかわたしでも耐えられる程度の重たさになっていた。



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