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かばんの中に宝石

粉っぽいベージュの肌の感じが苦手で、かといってリキッドを使うのはだるそうだという理由で長らくファンデーションというものを使わずにきたのだが、コロナ禍にメイク動画を見るようになって、大変遅ればせながらクッションファンデというものを知った。何がどうって詳しくはわからないけど、よくある粉の感じはきっとないはず。そう思って、色々な動画でよく目にするTIRTIRの、見た目のかわいさだけでとりあえず赤のケースのものを買って使ってみた。最初は下手くそでだいぶ付けすぎもしたが、つやの出る感じが好みでよかった。それからケースの色がシルバーのやつも使ってみたりといくつか比べてみて、いまはTIRTIRのクリスタルメッシュクッションの、色はポーセリンを継続して使っている。メッシュのおかげかつけすぎの失敗があまりなくて、不思議と一面コーティングしている感がそんなにないのと、何よりケースが透明なクリスタルのデザインでめちゃんこかわいいからだ。たまごみたいな赤もシルバーもかわいいけれど、クリスタルは別格。宝石を持ち歩いているみたいな気分になる。サイズの割にやたら重たくて、テーブルに置くときにゴトッと音をたてるのも、宝石だと思えばむしろ趣深い。どれだけ仕事で追い詰められているときも、かばんの中にはわたしを輝かせてくれるクリスタルがしっかりとした重量をもって潜んでいる。


いやいやこの人は最初からきれいだからこのメイクしてもうまくいくんでしょうよ、と思って雑誌やら化粧品の公式サイトやらに載っているメイク方法の説明は読み飛ばしてしまうことが多かった。どうせ自分じゃ再現できないので。YouTubeなんかでプロのモデルさんとかではない方のメイク動画を色々見られるようになって、だいぶそのあたりの意識は変わった気がする。これなら目指せる気がする、と思える。何より楽しそうだ。それで、まずメイクブラシセットを買った。
それまでは基本的に化粧品に付属している小さいチップとかブラシとかをそのまま使っていたし、それに疑問を持ったこともなかった。塗ってもあんまり色がついた感じがしないな、とか思って、自分は化粧映えしない顔なんだろうと納得していた。道具の問題だった。弘法は筆を選ばないが、弘法ではないわたしはケチらずに筆を選ぶべきだったのだ。安物とはいえブラシを使いはじめて、それまであったアイシャドウやノーズシャドウに対する苦手意識が一気になくなった。細い線を書くときに筆ペンを使うべきでないことはすぐにわかるのに、なぜ化粧品で同じ発想ができなかったのか。今となっては謎である。
とはいっても、ブラシは最低限の種類しか持っていないし、たぶん正しい使い方はしていない。今ちょっと調べてみたら、恐らくファンデーションブラシであろうものをわたしはずっとチークに使っているっぽい。まあ、それでもいいことにする。わたしは顔に血の気がまるでなく、広範囲にピンクベージュをのせないと生きている感じが出ない。広めにうすく塗りたいんだから、大きいブラシで存分にやらせてもらおう。

粉っぽいファンデが嫌だと先ほど書いたが、ポイントメイクについても同様で、基本的にはつや感があってほしい。セザンヌのパールグロウチークが大変使い勝手がよく、ベージュコーラルをずっと愛用している。広範囲に使うせいで消費の早い自分には、低価格なのもすばらしい。日々の化粧で使うポイントメイクのアイテムはとにかく見る見る減っていくから、いつでも買い足せることが必須条件だと思っている。だから基本的にドラッグストアで手に入る安価なものばかり使う。もうだいぶいい大人なのに、とか知ったことじゃない。あと高いと使うときにけちっちゃって良くないし。
セザンヌといえば、ナチュラルマットシェーディングのクールトーンが手放せない。あとはベージュトーンアイシャドウが大変使いやすく、ライラックベージュとアンティークベージュのどちらかを使うことがものすごく多い。技術がなくても自然になる。ブラシでのせればまあどれだけ不器用でもそれらしいグラデーションになる。仕事の日はこれひとつでいけている。

もうずっと昔、ANNA SUIの広告か何かで、ピンクとターコイズブルーのグラデーションになったアイメイクを見た。目頭のほうに輝くようなターコイズブルーを入れて、それが目尻にむかって淡いピンクになっていく。南のほうの海にいる人魚の鱗みたいで忘れられない。隙あらば自分もやりたい。休みの日なんかに、KATEあたりのブルーやグリーン系のアイカラーを組み合わせて何回か試してみている。記憶のなかのあのメイクにはなかなか近づかないけれども。あざやかな色のアイシャドウは、子供のころからの憧れだ。

キャンディドールのハイライトパレットもとても使いやすくて気に入っている。自分のような凹凸のすくない顔でも鼻根や鼻筋に使うとなにより気持ちが浮き上がるし、再三書いているとおりわたしは肌につやがあるのが好きだ。これをチークの上にさらに重ねる。いっさい無駄のない、日の字型のケースも好み。どこのドラッグストアでも手に入るかというと微妙な商品だが、たぶん、マツキヨには置いている気がする。

眉はもともと薄くて、形を整えようとするとほぼなくなってしまう上に、わたしは頭部から異様に汗をかく。フジコの書き足し眉ティントを見つけたときは革命だと思った。なんか、先割れのサインペンみたいになっているやつだ。色はグレーブラウン。髪からしずくが垂れるレベルで汗をかいても、これを使い出してから眉尻が消えることはなくなった。たしか新横浜に遊びに行ったとき、ロフトで見つけたのが最初だったような気がする。暑くて外を歩いていられなくて逃げ込んだのがロフトだった。

ついつい集めてしまうKATEのリップモンスターは、最近では「神秘のローズ園」をベースに塗って、そこに「真夜中の褒美」を重ねるのにはまっている。口紅なんてどうせ落ちちゃうしな、と思わなくなったのはリップモンスターの登場があってこそだ。それに以前は塗ったとしてもあまり主張のないピンクとか、ほとんど発色しないグロスみたいなのしか使っていなかった。暗い色のリップを使うようになって、楽しみの幅がぐっと広がった。


総じて化粧が楽しくなったなと思う。多少なりとも、なりたい顔に微妙に近づけている感じが自分ではする。実際は珍妙な仕上がりになっているかもしれないが、自分がとりあえず自信ありげに振る舞っていると、なんとなく周囲もその雰囲気にごまかされてくれる感じもある。
しかしなんにしても、思い切りが必要だなと感じる。ばれないようにさりげなくほんの少し色だか影だかを入れて、それだけで劇的に変わるなんてのは、達人でもなんでもない自分には起き得ないことだ。やや大袈裟なアイラインとかシェーディングとか、色のはっきりしたリップとか、そういう思い切りがやっぱり要る。
しかしそもそもどうして「ばれないように」なんて発想になっていたのかといえば、自分のメイクを笑われたり変だと言われたり、化粧なんてしない方がいいなんてことを言われたり、そういう経験が過去にまあまああったからじゃないだろうか。印象のやや変わるような化粧って、なぜか身内ならは忌避される傾向がある気がする。素顔を知っていると違和感があるんだろうな。その気持ちは理解できはするけど、自分の過去を振り返ってみると、そういう身内の反応にはだいぶ心を折られた。これは服装にも言えることだけれど、たとえば家族や、たとえば交際相手や、そういった人たちの目を気にしなくてよくなってから、わたしはようやく自由になれた。この文章を読み返してみると、「周りから◯◯に見られたい」みたいなことをいっさい書いていない。だから楽しいんだろうなと思う。わたしは誰に見せるでもない、自分のために懐に宝石をしのばせたいのだ。


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