行き当たりばったりな生き方しか無理 でもこれでいい このままがいい(短歌)

「行き当たりばったりな生き方しか無理 でもこれでいい このままがいい」という短歌を考えた。

うだるような暑さが9月を前にしてもまだ続く今日この頃、睡眠不足と体の疲れがあいまって妙に人生の意味や生まれてきた意義を考えるようになってしまった。
これは端的に言うと非常に悪いサインで、こういう時は大抵ものごとを悪い方向に捉えてしまう。

たとえば推しのYouTubeの動画が出た。でもYouTubeを開くと最近亡くなってしまったYouTuberの動画がおすすめに表示されて、辛くなってしまった。
生きるってなんだったのか。死んじゃダメだよと明るく言っていたあの人はおそらく自ら死を選んだようだった。あれ、私は推しの動画を見ようとしていただけなのになんでこんなに落ち込んでしまっているのか?別にものすごくそのYouTuberを好きだった訳ではない。ただ考え方とか可愛さを追求しようと努力してそれを発信しているところとか、たまに見ると「すごいな」と感心していただけだった。なのに何故。
身近ではない、画面の遠く向こうの人が亡くなるだけで生きるとはなにか、生きていて意味があるのかを考えてしまう。
これは正常な反応だとは思いつつ、やはり夏の暑さがネガティブを引き立ててしまう。

最近は夜風が少し冷たくなってきた。まだまだぬるい風だけど、暑すぎて死にそうにはならないレベルになった。

私は自分で死にたいと思ったことが何度もあるタイプで、いつも人生を綱渡りで歩んでいるような感覚がある。だからこそ行き当たりばったりな生き方になっているのだと思う。
でも行き当たりばったりでもギリギリ生きていられるならそれでいいのではないかと少し涼しくなった今ようやく思えるようになった。
どうにもならない辛さというものは確実に存在する。そしてその辛さは今すぐに解決できるものではなく、解決の手段は自分で自分を殺すことしかないと錯覚してしまう。そう、でもこれは錯覚だ。実際は違う。どんなに辛いことでも必ず時間が解決してくれる。即座に自分を殺すことを選択せずとも、今すぐその辛さから免れたくとも、ただ淡々と時が流れるのを待ち続けると案外良い方向に行くことがある。そして仮に悪い方向に行ったとしても、やはり時が流れていけばそれなりの方向に向かっていく。そういうものだと思う。そういうものだと思い込んで、自分で自分を殺したい衝動を殺して生きていく。それが私なりの生き方だと思う。

そうやって自分の衝動を押さえつけ、時の流れに身を任せるような、まさに行き当たりばったりな生き方しか無理。でもこれでいい。このままでいい。

2023年の夏は短かった。

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