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路上の豆もやしとYシャツとわたし

めっちゃもやし。
こういうものを撮れるとうれしい。
豚こま肉などもたまに落ちている。
こそこそとあたりをみまわしながら瞬時に撮ります。

ただのもやしではなく、豆もやしというところもいい。
路上の栄養。森のバターとか、畑のお肉とか、そういうキャッチとおなじです。これがストリートのビタミン。いつも路上に栄養を。路上つながりとして、ストリート・シンガーにも分類できるでしょう。こいつだって夢を追って田舎から豆ひとつで上京したのです。東京という乾き果てたコンクリートジャングルに少しでもうるおいを与え、耕そうと必死で声を上げた。すなわちこれは、飛び散ったストリート・ドリームの欠片。俺がNo.1ヒップホップ・ドリーム!と叫ぶ声がとどろく。ただ、マイク握りたくて!思い出すぜあの、土砂降りの野音。皇居まで響かせた爆音。次の人生ってどんな風。聴いてるか、リアルな音楽。あのときのたった、一度の過ちが分かれ道だった。そう、こいつが体現しているものがまさに新宿スタイル。ストリートのリアル。昭和の面影が消えた街の中で、新たな景色を眺め企んでたマイメンの姿。あるいは、路上で思索を広げる哲学者の相貌にも似ている。古代ギリシアでいうところのディオゲネス。みずからを犬になぞらえた樽の中の奇人。アレキサンダー大王にも一目置かれたという哲人です。路上の豆もやしは、現代のディオゲネスなのです。犬儒学派の系譜に属する。おなじ犬儒派を標榜する評論家、呉智英さんの後輩にあたる豆もやしです。沖仲仕の哲学者にも近いものを感じます。簡素な思索、そしてファナティシズム。打ち捨てられた豆もやしの中に秘められし熱狂。路上に身をなげうって。もういいですね。

じぶんでもしつこいと思う。でも、くだらないなんて言わせない。路上の豆もやしからどれだけのものを読み取れるのか、こういうところで人生の豊かさが決定づけられるのです。と、本気で思っています。通り過ぎてはいけない。そこに埋蔵された時間を読む。ありもしないものでもいい。じぶんの懐にあたためている風呂敷を、ありったけ、広げてみる。

いや、とてもくだらないけどね。やっぱり言っていいです。だいたいくだらねえとつぶやいて、冷めたつらして歩いている。なぜもっと大上段に構えない。なぜもっと深刻そうに論じない。だって、犬儒派だもの。

とはいえ、ベタな冷笑家はきらいだ。どんなに大上段に構えた物言いでも、どんなに深刻な語りでも、スタート地点がくだらなければいい。そして、万物のスタート地点は、人間の誕生から、宇宙の始まりから、森羅万象がじつは、すげーくだらないんじゃないかってわたしは思っている。

なにを言おうが、結局は路上の生ゴミについて語っているみたいに。ゴミ、ノイズ、ばかみたいな偶然。うっかりミス。たまたま落ちてきたもの。たまたまそこにある生ゴミと等しく、たまたま生きているじぶん。この世界はただ、うっかり八兵衛がうっかりをやらかして、できたもの。そうにちがいないと。

いくら恥じたって始まらない。始まりの始まりからやらかしてんだ。あとで取り繕えばいい。繕っても繕ってもわたしたちは、恥の上塗りしかできないのだから。わたしは生きているみずからを繕っては、するどい反射神経で恥じる。澄ました人間は気持ちが悪い。てめえがそんなに上等かよ。路上の豆もやしとおなじだろう。

あれ、めずらしく攻撃的ね。ふふふ。

就活アウトロー採用、に参加してみて。企業セッションが終わり、とりあえず一段落。おもしろかったです。というアホみたいな感想しかいまは浮かばない。日本人の労働観って信仰にちかいのかなと、なんとなく思いました。

軽いノリで企業の方々とお話をしていても、ある集団への信心が試されているような気がしてしまう。わたしは、なんにも信じちゃいない。わたしの中に信があるとすれば、自己と一対の神さまだけ。所属のない、野良神さま。そもそもわたしは、じぶんがなんで生きているのか、わからない。わかるとは思わないし、わかりたいとも思わない。

わからず屋。

じぶんは精神的に奇形化している、と思った。多くの若者が前提としているもの、企業のひとが前提としているものに乗れない。でも意味はわかる。そこまで。身は入らない。「わたしは大学を出ていないから、ほんとうは学び直したい」とアウトロー大学非常識講師の先生にはメールを送った。励みになるご返信をいただけて、うれしかった。ありがとうございます。でも学び直すにしろ、お金を稼がないといけない。さて、これから、どうやって生きよう。

ひとりで生きるにしても、身に着けるものは多くある。
基本的にいままで、寝て過ごしたぶん。
圧倒的に足りないスキル。能力。信用。
勉強、勉強、勉強、勉強、勉強。
そのすべてに通じる行動。

ひとつだけあるのは、無尽蔵の愛想。
うふふふ。なんつって。

「流れ」をつくりたい。まずは手始めに、名刺をつくります。就職もしていないのに?べつにいいでしょ。わたしはわたしを頼むだけ。ひとと会うたびに配りまくる戦法。ははは。好きなところに顔を出して、失礼に当たらなければ「こういう者です」と。望みは、書く仕事だけど、なんだって頼まれれば断らない。糧にしたい。あんがい、社交性もある。

継続して、てめえの名前で信用をつくる。アンテナに引っかかるおもしろそうな場所にはとにかく首をつっこんでご挨拶をする。ガチのキング・オブ・挨拶だけ男になる。「だけ」ではだめなのだけど。意志は固めない。ひとに流されて、行き着くところを知る。じぶんではじぶんがなんなんだか、一向にわかりゃしないんだ。

貯金はまだすこしある。この貯金が、イコール考える時間。世間知らずの高枕でいる時間。お酒は控えよう。ははは。うすうす思っていたけれど、もう身を晒して生きるしかないんじゃないかって、気がしてきました。わたしは断固としてちゃんとしたい。方法がまちがっている気もしないでもないけれど。断固としてちゃんとしたいから。名前をhoshinoから本名に変えました。nagata_tetsurou。しゃーないな、もう。




#豆もやしドリーム

にゃん