結婚した。家族ができた。妻と妻の前夫の子供一人。
僕、四三歳で、もう一生独身と思っていた矢先、町を歩いていたら偶然小学生時代に通っていた塾の先生と再会した。現妻。ちょうど一回り違いの年上。でも若く見えた。
年齢もあり子供も作らない。
式も挙げないし双方の親戚にも知らせない。
新婚当初には(親睦を深めるという妻発案の他人行儀な名目のもと)家族三人で旅行に出かけた。
その折、俄かに僕の娘になった二一歳大学生が言う。
「夜行船」
「船にも夜行があるのか」
「そうです」
「それで?」
「乗りたい」
僕の運転による自動車旅行への嫌みと思ったが、娘はそういう迂遠な誹りをする人でもなく、ただ素朴に言っただけだった。娘は近々夜行船に乗って一人で旅に出るらしい。陸路や空路に比べ、暗い夜を進む船旅は随分とゆっくりしたものなのらしい。船底近くに客室があって、そこは体育館のように広くて、そこで色々様々な人たちと雑魚寝する。そして彼女はそこで寝転び読書して、知らぬ間に眠りに就く。
娘は司書を目指していた。妻は本の翻訳を仕事にしている。母親の影響に違いない。
新生家族に心的問題は発生しなかった。年頃の娘は親の再婚に手ひどい反発をするものと思っていたが、それはどうも物語に刷りこまれた文化的思いこみ。
困難のない家庭生活。生涯全編が夜凪の航海。
「年寄だから産めないのをどう思っている?」
家のリビングでお酒を飲んでいる時だった。妻が言った。娘も一緒にいてソファで文庫本を手繰っている。子供の前でしていい話だろうか。
「自分の遺伝子が残らないけど」妻が言い添えた。
「結婚前に了解してる」
妻は笑った。
「私も残らない」
「自分の子供じゃない?」
「そうだよ」娘が言った。
一切の書類仕事を妻に任せるから、素知らぬ顔で他人同士の家族ができる。妻は親権という世間的強張りを潜り抜けて、早世した前夫の子供を育ててきていた。十年も一緒だと顔も似るらしい。
情緒は厄介者。記憶はならず者。何故と疑問をぶつけて過去を詮索しても、今の幸福が増すわけもない。僕は、そうなんだと言った。母親が娘を選び、娘が母親を選んだということに変わりはない。
「私の子宮を貸す?」娘が言った。
「あなた天才」血の繋がらない母親が言った。
それから僕たち三人は、身ごもらなかった・身ごもらせなかった子供の行方について話した。夜が更ければそれぞれの寝室へ。
そして場に闇。
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