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インタビュアーに逆に、聞いてみた【さあや編】

インタビュアーってふだんどんなこと考えて生きてんのかな、とインタビュアーは思ったので聞いてみたのだった。
そして、どう、インタビューすることっていうのは、人生に、活かされていくのか、ということを、知りたかった。
みなさんも、知りたいでしょう?
まえがき:qbc(無名人インタビュー主催・作家)


インタビュアーに逆に、聞いてみた

話し手:さあや(インタビュアー)

聞き手:qbc(無名人インタビュー主催・作家)

編集:森田玲花

「自分の人生に厚みがあるとすれば、人の考えとかをシェアしてもらうことで、そこに厚みが結構、自分が経験してないのに厚みが増す感覚があって、それはありがたいですね」

qbc:
さあやさんは無名人インタビューで、今どんなインタビューをしてますか?

さあや:
直近ではカナダに私が住んでいることもあって、時差がある――時差というか、タイムゾーンが同じカナダに住んでる方にインタビューをする企画を何件か、4月と5月にしたっていう感じですかね。カナダに移り住んでる人たちがカナダに来た経緯とかも含めて、その人たちの人生について聞いたりとか、あとはカナダの好きなことやカナダの好きな場所とかを聞いてます。

qbc:
今それ以外に、何かインタビューに類することか、「これインタビュー感がある!」みたいなことってやっていますか?

さあや:
無名人インタビュー以外ですよね?

qbc:
そうそう。

さあや:
そうですね……無名人インタビューに参加させていただいたのが、2023年の、本当に年末ぐらいですよね?

qbc:
そうですね。

さあや:
そこからインタビュー経験というか、インタビューっていう人の話を引き出すって視点をいただいてから、結構、特に人と飲むとき、ご飯を食べてるときとかに、「相手の話をもっと聞きたいな」っていう風に自分が思ったとき、無名人インタビューで近いような質問を考えていますね。インタビューのときに使ってるような思考や「この人の話は何を聞いたらもっと広がるかな」っていうような思考回路は、ちょっと使っているかもしれないですね。

qbc:
インタビュアーモードみたいな感覚って、「なんか話題が広がるかな」以外なもので他に出ていたりしますか?

さあや:
あー……結局ご飯を食べてるときとか、飲んでるときって、一対一のこともあるんですけど、私と話をしてくれて聞いていただいたその人以外にも、他の人が同じ空間にいたりとかするので、その人たちが聞いてて面白いというか、何か興味が持っているような話題がいいなっていう考え方をしてるかもしれないです。それはもしかしたら、無名人インタビューで考えているときの「読者はここで何を読んだら面白いかな?」っていうような視点に近いかもしれないです。

qbc:
なるほど、自分たち以外の周りのオーディエンスに対応してあげるというか。

さあや:
話が広がるのと同じかもしれないですけど、「自分と相手以外の視点で客観的にこの話が進んでいったら面白いかな~」という風に、それはちょっとオーディエンスの視点なのか、自分の視点なのかっていうのは、切り分けられてないですけど。そうやって考えてますね。

qbc:
話を聞いていると、さあやさんは第三者を意識してるっていうのはあるってことですね?

さあや:
そうですね。

qbc:
では、具体的に「なんかやってやった」って思う時とかってあります?(笑)

さあや:
やってやった?(苦笑) 難しい~!

qbc:
ウケた時っていう感じで、例えば参加者ベースでもいいし、オーディエンスベースでも、自分ベースでもいいですよ!自分だけが喜んだみたいな話でも!

さあや:
ん~、そうですね……私はヨーロッパのジョージア州に1月にいたんですけど、『ジョージアにいる日本人にインタビューする』っていう企画を何本かさせていただいて、そのときに無名人インタビューをする前から元々知ってる方にインタビューするってパターンになってたんですけど、あえて自分が知ってる事前情報についても、あえてもう一度聞き返すことによって、何も知らない読者――何も事前情報がない読者にも同じ情報量で見れるように工夫したときがありました。
が、「やってやったぜ」っていうよりも、逆にインタビューの相手に「え、知らないんですか?」とか、「この前話しましたよね……?」みたいなトーンで返されたことがあって……(苦笑) それは「やってやったぜ」っていうよりは、「あ~やっちゃったな」っていう感じですかね。

qbc:
あー、なるほど……

さあや:
逆に、もうちょっとこう、インタビューの相手にもオーディエンスを意識しつつも、ナチュラルに聞けたらよかったなっていうことはありましたね。
逆ですね。すいません、質問されたことと逆のことを言いました……(苦笑)

qbc:
いえいえ(笑) ちなみにインタビューしてるときって、どんな気分でインタビューしてるんですか?

さあや:
インタビューしてるときはそんなにまだ自分のパターンっていうのが確立してはいない前提なんですけど、最近はあんまり人に共感しなくなってきていて、「ああ、この人こういう考えしてるんだな」っていうちょっと離れた視点で感心してます。「こんなこと考えてる人がいるんだな」とか、「この人すごいな~」というか、なんか淡々と「この人はこうなんだ」なみたいな事実とか、その人なりの考え方とか行動について感心してます。

qbc:
うんうん、なるほど。気持ちや感情としては、喜怒哀楽でいうとどんな感じですか?関心といいますか。

さあや:
ん~……「楽しい」ですかね。
ただ、楽しいも「ディズニーランドに行って楽しい」とかっていうわくわく感とか高揚感ではなくて、もう少し「こういう人がいるんだな」とか「人の人生をちょっと疑似体験させてもらってるような感覚になってありがたいな」とかあとは自分の引き出しというか、「こういうタイプの人こういうパターンの人がいる」ということを知れて嬉しいみたいな感じですね。「嬉しい」だと「楽しい」よりも、喜怒哀楽だと喜に近いかもしれないですね。ありがたいですね、単純に。
自分の人生に厚みがあるとすれば、人の考えとかをシェアしてもらうことで、そこに厚みが結構、自分が経験してないのに厚みが増す感覚があって、それはありがたいですね。

「いい人でなくてもいいというか、なんかこう、何かの役を演じなくてもいい――もちろんTPOはわきまえたいと思ってますけど、自分の思ったこととか気になったこととかを、もう少し素直に出してもいいのかなっていう気持ちになってきてるような気がします」

qbc:
そもそもインタビューを始めたきっかけって何だったんですか?

さあや:
始めたきっかけは2023年の年末にnoteを見ていて、noteからおすすめとかされると思うんですけど、そこに『無名人インタビューやめるかも』みたいな画像と一緒に記事があって。それまで全然無名人インタビューの企画すら知らなかったですけど、そこで初めて見て、コンセプトとかもさらっと見させていただいている中で「なんて素敵な企画なんだろう」と思って。

qbc:
うんうん。

さあや:
なぜかそのときとか、単純に「インタビューされたい」ではなくて「したい」って思ったんですよね。ちょうどその頃、コーチングのコーチになる養成講座を受けていて、ちょうど講座が終わるぐらいの頃だったので、人の話を聞くとか人に質問するとかっていうことに結構関心が高い時期でもあったので、多分その文脈で「人の話を聞きたい」っていう気持ちになりましたね。

qbc:
インタビュー自体、さらにいうとインタビュワーは初めてだったんですか?

さあや:
インタビュー自体は、大学のときの研究で20~25人ぐらいにしたことがありました。その研究の趣旨に沿った形で、もう決まった質問をするっていう。決まった質問があってそれをしつつ、補助的にいろんな質問を付け加えることも可っていうスタイルではあったんですけど、対面もしくは電話でインタビューをしましたね。

qbc:
その研究テーマって、聞いても大丈夫ですか?

さあや:
そのときは特定の村だったところが市に合併されたものの、村としてエリアの境界が意識されてるような場所で。そこで「なぜここに住んでるんですか?」とか「どういうネットワークがあって移住してきたんですか?」とか、その人がそこに住んでる理由とか、住んで魅力だと思っているところ、そのエリアで素敵だと思っている主観を聞いてましたね。社会学関連の研究でした。

qbc:
その当時、インタビューをしていたときはどんな気持ちだったか覚えてますか?

さあや:
そのときは本当に楽しくて。というのも対面でインタビューをしてたこともあって、かつ若干奥まった村だったエリアということもあって、自分よりは結構年齢の高い方にインタビューすることが多かったんです。で、それもあってかわいがるまでいかないですけど、すごく良くしてくださる。なんかお菓子をくれたりとか、お茶を出してくれたりとか、あとは自分のインタビューで聞くマストの質問以外にも自分の人生経験を語ってくださる方とかがいて、人と知り合って関係性が作られていくことも楽しかったですし、あとは1人目をインタビューして、そのときは単純にその人だけを知ってるんですけど、2人目3人目って進んでいくと、友達の友達に会ったみたいな感じになっていくというか、自分がそのネットワークの中に没入していく感覚があって。私は結構人と話すのも好きですし、「あの人知ってる」とか「どこの誰々さんとこの前話して」みたいな世間話をする。それはなんだか自分もその場に入れた感じがして楽しかったですね。

qbc:
なるほど。では、今やってるインタビューとは何が違うんでしょ?いや、違うと感じますかね?研究時代のインタビューと無名人インタビューは、比べてみるとどんな感じでしょう?

さあや:
今やってるインタビューの方がより深い話を聞けてるなっていう感じはあって、特に時間も1時間なので。大学のときのインタビューは結構時間がまちまちであったんですけど、短いと15分とかで終わっていたので今の方がより深く聞けている。
ただ、インタビューをした後のつながりという部分で、インタビューをさせていただいたお相手の方とその後何か関係が続くかというと、そんなに元々知り合いだった人以外では、インタビューがきっかけで関係性が続いている方はいなくて。そこはなんというか、いい意味でも寂しさを感じる。なんていうんですかね、インタビューした相手とみんなとずっとつながってたいかっていうとそうでもないというか、必ずしもそうでなくてもいいなと思っていて。なんというか、大人なので、皆さんそれぞれの生活があるので、出会って別れて、それぞれ別の道を歩んでいくみたいなところの余韻みたいなのは、大学のときのインタビューとは少し違うかなと思います。

qbc:
では、無名人インタビューして自分が変わったと感じた時って何かありますか?

さあや:
そうですね……ありますね。最初は結構インタビューをすることに緊張してました。緊張していて「何を聞いたらいいのかな」とか「これ面白くなかったらどうしよう」とか、なんかちょっとビクビクする感じ。

qbc:
うんうん、わかります。

さあや:
クオリティという点でもそうですけど、「これ読んだ人が面白くなかったらどうしよう」とか、結局自分がうまくできなかったとして「自分がやる意味あるのかな」とか「他の人がやった方がベターなんじゃないか」みたいなことを考えてました。無名人インタビューも最初はそんなに他の方の記事とか、他の方がしたインタビューとかをあまり見れていなくて。インタビューをやりながら時間が経つごと目を通していく機会も増えて、もうちょっと自分らしさというか、それこそAIっぽくない私のオリジナルの質問とか、なんかこう自分っていうものを出していい――自分を出してっていうとちょっと違いますね。なんだろな、ただ質問を読み上げる係じゃなくていいのかもしれないって思えるようになって、話を聞きながら笑ったりとか、「うんうん」みたいな相槌をちょっと増やしてみたりとかしたことで、相手の話の温度感みたいなのも少し変わってきたなっていう感覚があります。それが結構日常生活にも反映されてきてるかなと思っていて、いい人でなくてもいいというか、なんかこう、何かの役を演じなくてもいい――もちろんTPOはわきまえたいと思ってますけど、自分の思ったこととか気になったこととかを、もう少し素直に出してもいいのかなっていう気持ちになってきてるような気がします。今聞かれて、そう思いました。

qbc:
これって、自分を出してるってことにどうしてつながるんだろうと思いますか?

さあや:
もしかしたら、今、日本にいないんで、カナダっていうもう少し周りにいる人も好き勝手してる環境だからっていうのもあるかもしれないですが……日本にいるとどうしていつも敬語でいないととか、スーツを着て相手に粗相がないように気を付ける場面が多いので、それがカナダでまず少ないし……うーん、なんででしょうね?なんでそこにつながったんですかね(笑)

qbc:
どうでしょう……(笑) とりあえず、なにか思い当たるところってありますか?

さあや:
いつもインタビュー後にフィードバックしていただくじゃないですか。なんか自分がちょっと砕けすぎたなというか、カジュアルすぎたなって思ったときに、「それでもいいんじゃない?」ってqbcさんに声をかけていただいたからかもしれないですね。

qbc:
ちなみに、今までコミュニケーションに対して、そういうコメントをもらったことって今まであったんですかね?

さあや:
仕事の中ではありましたね。ちょっと私、話すスピードが遅いので「もっと早く話して」って言われるとか、あとは交渉の場面で「先にこう言ってしまうと、相手にこういう選択肢を与えてしまうから、これは言わないようにしよう」とか、そういう話を上司と話したことはありますね。ただ、カジュアルさというか、会話のレベル感についてはあんまりコメントもらったことはないです。

qbc:
ほほう、なるほど~。

さあや:
逆に、親からは、カジュアルな態度で親の知り合いとか学校にいたときの友達の親に接していると結構怒られてましたね。なんか「なんでそんな調子乗った話し方するんだ」っていう風に言われたりとか、人の相槌に対して私が「あ~」とかって聞いてると、その「馬鹿みたいな声、出さない」とか、結構親から怒られるというか、注意されることが多かったですね。

qbc:
さあやさんにとって、インタビューしてて楽しいときってどんなときですか?

さあや:
楽しいときは2つあって、ひとつは相手が「うーん」と考え込んだとき!
自分がした質問とか自分が自分で話してることによって、相手からぱっと答えが出てこない――答えがぱっと出てこないっていうことは、何か新しく答えを生み出そうとしてたりとか、思考を探ってたりとかしてるのかなと思うので、顕在してるというか、すでに認知してるものの幅を広げようとしてのかなと思って、ちょっとしてやったりな気持ちになります(笑) なんか話した意味があったのかなって、おこがましいけど思ってしまう。
もうひとつは、だんだん1時間くらい聞いていく中で、相手の熱量とか声のトーンとかが明るくなっていったりとかするときに、少しリラックスしてもらえてるのかもしれないなと思って嬉しくなります。うーん、楽しいし、嬉しい。勝手に嬉しくなってます(笑)

qbc:
逆にインタビュー中で、一番悔しいって思うときはありましたか??

さあや:
悔しいときは、質問してさらっと答えられたときですかね。「もうこの話って話し慣れてるんだろうな」っていうときは、「引き出せなかったな」っていう気持ちになります。ただ定型文を答えてもらったっていう感覚ですかね。

qbc:
なるほど……それってなんで悔しいんでしょう?

さあや:
それが悔しいのは、相手にとって新しい発見がなさそうとか、もう認知している知識とかの幅が広がらないのかな、「相手にとってあまりもしかしたら価値が低い時間になってしまったのかな」「自分の技量が足りなかったかな」っていう気持ちですかね。

qbc:
では、自分の中で記憶に残ってるインタビューってありますか?

さあや:
悔しかった系でですか?

qbc:
いや、インタビュー全般でどうですか?

さあや:
そうですね……記憶に残っているもの……1月にジョージアにいたときに『ノマドニア』っていうワークショップサービスに参加して、そのサービスを創設したKOHさんにインタビューさせてもらったんですが、確か私がインタビューを始めて2回目の、2人目のインタビューだったんですね。KOHさんの考えとかノマドニアに至るまでのご経験とか、社会課題に対して思ってることとか、いろんなお話を聞かしてもらったんですけど、私はすごく内容は面白いなとは思いつつ、「多分KOHさんにとって、この時間で新しい発見はきっとなかったんじゃないかなー」って勝手に悔しく思ったので、結構記憶に残ってますね。

qbc:
うーん、なるほど……結果的にそうなったのって、何が原因だったと思いますか?

さあや:
矛盾してるんですけど、そのインタビューが無名人インタビューじゃなかったからだと思います。コンセプトにあるような「肩書きにとらわれず、その人の話を聞く」っていう部分が私は面白いなと思っています。でも、この時のインタビューはコンセプトと違うインタビューになってしまったなと思っていて。KOHさんがノマドニアの創設者で起業家とも言われる方で、その肩書きありきで私がインタビューしてしまったというか、その部分をもちろん自分も聞きたいなと思っていたので聞いてたんですけど、KOHさんの話っていうよりも、KOHさんという起業家の方に聞くっていうような感じになってしまって(苦笑) KOHさん自身のことについて、何の先入観もなく聞けなかったのではと思います。有名人インタビューになってしまったというか……

qbc:
なるほどなるほど……今度は別の角度からの質問をします。さあやさんはインタビューの技術的な意味でこれからしていきたい、磨いていきたいことはありますか?

さあや:
技術的な意味だと……もう少し質問を自分で思いつく時間がクイックになればいいなと思っているのと、もうちょっと質問のストックを増やすとか、聞きたい質問を複数ある中で選ぶっていうことがもう少し習熟できればいいなと思ってます。今は思いついたままに聞いてしまうっていうことも多いので、樹形図でいくと一本しかラインが続かないっていうようなこともあるのかな。可能性やシナリオを複数考えられてないっていう場合も多いので、というかほとんどそうなので、より複数の選択肢から面白そうなものとか、よりその時間が充実しそうなシナリオっていうのを選べるようになりたいです。

qbc:
そういう質問って、どうやったら思いつくようになると思いますか?

さあや:
ひとつは今私ができることとして、過去の無名人インタビューの記事を読むとか、それ以外でもインタビューだとか質問のバラエティーが広がるような媒体を見て、ストックを入れるっていうことかなというのと、あとは……精神的な問題で知ったかぶりをしないとか、ですかね。知ったつもりにならないで、「それってどういうことですか?」っていう風に聞くっていうこともそうだと思いますし、あとは勝手に「私はその内容を知っているけれども、読者知らないかも」とかっていうちょっと奢った気持ちであえて聞いたりとかということもしたんですけど、その辺りももう少しフラットになりたいというか、そういう余計な邪念みたいなものではなくても、単純に聞きたいとかもう少し説明してほしいものをスパっと聞けるようになりたいですね。

「インタビューをしたことで、自分がジョージアに行ったときの活動がより写真とか動画とか、それまで自分が持ってたような形に残るもの以外の形として、活字で残ってるっていうのがなんか勝手に財産のように思っていて。自分のジョージアにいたときの自分、ジョージアで出会った人とそのときの瞬間っていうのが保存されているっていうのがすごく大事ですね」

qbc:
さあやさんがインタビューを自分がやる理由、インタビュワーを自分がやる理由ってなんですか?

さあや:
インタビュワーをやる理由は……うーん……自分でこの言葉が適切か確信がないんですけど、人を――相手を自分と話すことで癒したいから、ですかね。話してすっきりしたかとか、考えたことなかったことを考えてみてちょっと思考の刺激になったとか、リフレッシュできたとか、そういう人と話すことによって得られる効果っていうのが多分少なくともあって、まず最低限そこですかね。単純に誰が話しても得られる効果っていうのを感じてもらいたいですし、プラスαで技術的な問題だとか、あとは雰囲気とか、そういったものでよりその効果っていうのを高められたら、なんとなく自分に自信がつきます。自信がつくっていうか、私ができることが何かありそうだなっていう自分の使用価値みたいなものが高まるといいなって思ってます。

qbc:
インタビュー中でも後でもいいのですが、その使用価値が高まったって感じたときの感情ってどんな感じなんですか?

さあや:
当初はインタビュー中、正直あんまり使用価値が高まったなって実感したことがなくて……まだあんまりないですね(苦笑) もちろん「話をしてよかったです」っていう風に言ってもらえたことはインタビューでもインタビュー以外でもあるにはあるんですけど、単純に気持ちが解消されたとか一時的に何かフレッシュになったのかもしれないんですけど、結局本質的な意味でその人の未来が良くなったりとか、そのきっかけになったりとか、後押しになったりとかっていうのは、やっぱ時間が経たないとあんまりわからないですし、ちょっとまだ確信がないですね。ただもし、もしそういうことが感じられるときがあったら、もうなんか、多分すごく嬉しいと思いますね。誇らしいと思います。自分がやってよかったなって思いますし、あとはこのインタビューの機会とかきっかけを作ってくださったこの無名人インタビューという企画もですし、qbcさんにも感謝だし、その人の話を聞きたいとか聞くということに関心が持てるようになったコーチングだったので、コーチをしてくれた方にも感謝だなって思います。

qbc:
今さあやさんが言ったことって、インタビューっていう場所じゃなくてもできますよね?

さあや:
そうですね、できたらいいなと思います。できてたらいいなと思います。

qbc:
雑談だとかそういう意味でも。

さあや:
そうですね。雑談とかもですし、たまたま職場が同じだった人とか、偶然会った知り合いの知り合いとかと話すとかでもいいんですけど、人と話すときに何かしらそういう経験が反映できたらいいなと思いました。

qbc:
ふむふむ。でも、それってインタビューをやらなくてもできることですよね。それでもなんでインタビューをやるのかなっていうのが気になりました。

さあや:
結構雑談の中だと、やっぱり相手から私の話を求められることもあります。もちろんそれが嫌だっていうわけじゃないんですけど、なんかこう……自分の話をしてしまうということが別の悪いことではないんですけど、聞くとかインタビュアーをしているときと同じようなポジションを守れない、そのポジションを維持できない。やりきれないですよね。インタビューをしてるときに、達成したいところにたどり着きにくい、集中できないなと思いますね。なので、もちろん雑談の中とかでも目指せるは目指せるかなと思うんですけど、そのロールプレイがよりしづらいなと思います
あともうひとつは、インタビューをしてほしいっていうわかりやすい意思を持った方と話す方が、そういった話を聞くとかっていう技巧的な部分を使ってもいいし使われてもいいっていうサインなのかなと思って、お互いの了承がある上で話せるっていうのがわかりやすいなと思います。逆に、雑談の中とかで質問して引きだそうとしちゃったりするのが不快に思う人も多分いるのかな~……とは懸念していて、そこは雑談の中で毎回使ってもいいものでもないんだなっていう風に自分を戒めてます。不快に思われたくないなと思って、という感じです。

qbc:
話は戻って、ジョージアインタビューについて聞きたいんですけど、ジョージアインタビューっていうのはインタビューを始めてすぐの企画インタビューだったわけですよね?振り返って、インタビューをやってみてどうでしたか?

さあや:
楽しかったです。

qbc:
何が楽しかったですか?

さあや:
ジョージアにいたのが1ヶ月だったんですけど、インタビューを通じて、1ヶ月以上いたかのような思い出深い場所になったと思っていて、もちろんそれはインタビュー以外にもいろいろ旅行したりとか、アクティビティをしたからというのもあるんですが、インタビューをしたことで、自分がジョージアに行ったときの活動がより写真とか動画とか、それまで自分が持ってたような形に残るもの以外の形として、活字で残ってるっていうのがなんか勝手に財産のように思っていて。自分のジョージアにいたときの自分、ジョージアで出会った人とそのときの瞬間っていうのが保存されているっていうのがすごく大事ですね。単純に話を聞いて面白かったりとか、ジョージアっていうなかなか日本人が旅行先として定番で選ぶ場所じゃないところを選んでいる方たちの人生経験を聞けるっていうのがなんだかユニーク、というんですかね?なかなか奇抜な感じの話がたくさんあるので、単純に話を聞けて本当によかったなと思ってます。

qbc:
ジョージアインタビュー企画は、プライベートな記憶や思い出っていう一面とともに一人で飛び込んでいって、一人で実行したという経験になったかと思います。私が企画を相談したっていうのもあると思いますけど、そのインタビュー実績っていうのはキャリアって観点から見てみるとどうでした?

さあや:
キャリアという意味では、ジョージアにいたときのインタビューが本当にインタビュアーとしてすごく緊張しておどおどして、今もそんなにレベルが高いと思ってないですけど、よりインタビュアーとしての経験が浅いときのものなので、そのインタビュー記事がすごく質が高いかっていうと肯定できないんですが……とはいえそういった経験って、どこかで始めないといつまでも始まらないので、ジョージアという新しい場所で、しかも滞在期間が元々決まっていた期間限定の場所でやり切れたっていうのは、すごく誇らしいは誇らしいですね。ただ、当初20人ぐらいインタビューしようと思ってたんです。結局できたのは、多分6人かな。

qbc:
確かにそうでしたね。

さあや:
ちょっとその自分が立てた目標に対しては、いっぱい届かなかったこと――届くことがスケジュール的には難しくて、ちょっと無謀だったなっていう反省はあります。反省はたくさんありますね。とはいえ本当に好き勝手やらせていただいて感謝しかないというか、なかなか破天荒によくやったなって自分でも思いますし、それを容認していただいて本当にありがとうございますって思います。

qbc:
インタビューという行為自体はさておき、その一人でやり切ったっていうところがめちゃくちゃ価値のあることだと私は思うんですね。普通のインタビューを正直100人やるよりも、希少価値としてはそっちの一人で飛び込んでいって、ほとんどやったこともないインタビューをやっていくっていう方のは遥かにチャレンジングで、価値のあることだと思ってます。

さあや:
ありがとうございます。

qbc:
なんでその挑戦をさあやさんはできたのかなって、疑問に思うところはちょっとありますがどうですか?

さあや:
結構あのときも、うじうじいろいろ言ったりとかちょっとやめようかなとか、弱音をいろいろ入ってたんですが、とはいえ結構元々気質的にはあんまり失敗を恐れずやってしまう方なので、あんまり一人でやってみてチャレンジしたっていうことが、私の人生の中ではそんなに珍しくはないですね。ただし、その6人の方にもインタビューさせてもらったりとか、もちろん編集をしてくださったチームの方もいらっしゃるので、勝手にいろいろさせてもらったのに、ここ形になるまで自分以外の人も結構巻き込むというか、協力してもらった方が結構私にとっては珍しいですね。

「どういうタイプでもまずは会ってみたいですね。ちょっとなんか話が合わなくてもちょっと気まずいみたいな状況も、それはそれで面白いかなと思っていて(笑)」

qbc:
最後の質問です。今後、無名人インタビューに関してどうしていきたいと思ってますか?

さあや:
今カナダにいて、来年1月ぐらいまでは一旦いる予定なので、カナダにいる方へのインタビューをしていきたいなとも思いつつ、既にインタビューさせていただいた全員じゃなくても何人かの方に会ってみたいなって思います。

qbc:
なるほどなるほど、いいじゃん!元々インタビュー名人inトラベルツアーの前座だったんですよ。インタビュイーに会いに行こう!みたいな。ぜひやってくださいよ(笑)

さあや:
ふふふ……(笑) そうですね、確かに。やってみましょうか?

qbc:
本来はそうしないといけないと思っているんですよ。私が基本引きこもり体質なのは、それをやってない理由なだけで(笑) オンラインはそうすることによって、シンプルにその情報量、濃度の高い情報量が増えるんだよね。旅に行く、そこに住んでいる人っていう声が出る。さっき言ってたように、普通なら後から見たら写真ぐらいしか残らなかったりするじゃない。あと観光客相手のあしらいを受けたコミュニケーションじゃなくなるんすよ、インタビューって。

さあや:
うんうん、そうですよね。

qbc:
さらに『プライベートで会う』っていうレイヤーをもう一個設けるわけですよね。会いに行くってなると、ジョージアの場合はもう1回会いに行くみたいな感じなっちゃうけど、対面で会っていたりと、今度オンラインで会った顔を合わせてない人っていう意味であれば、またさらに一層深まる。

さあや:
そうですね、うんうん。

qbc:
実際に会ったらどうなると思います?

さあや:
インタビューしながらも少し感じてるのは、多分ものすごく気が合うんだろうなっていう方もやっぱりいれば、インタビュアーとインタビュイーっていう形以外で会ってもお互いあんまり関心がないんだろうなっていうフィーリングの方もいて……(苦笑) どういうタイプでもまずは会ってみたいですね。ちょっとなんか話が合わなくて、ちょっと気まずいみたいな状況も、それはそれで面白いかなと思っていて(笑) この人に会いたいとかっていう特定の方がいるわけでもなく、「会ってみたらどうなのだろうな」みたいな、その人間の化学反応みたいなのを実験者みたいな感じで楽しみたいです。

qbc:
ありがとうございます。最後に、まとめの一言をいただいて終了になります。どうぞ!

さあや:
まとめの一言!うーん……いやもうインタビュアーとしてこの企画に携わらせていただいて楽しかったです。本当にありがとうございます。

qbc:
いやあ、そう言っていただけて、こちらそこありがとうございます!(笑)

さあや:
これからもお世話になります!(笑)

話し手:さあや(インタビュアー)
https://note.com/fell_in_simmons/
聞き手:qbc(無名人インタビュー主催)
https://note.com/unknowninterview/n/n696e4662d38a
編集:森田玲花
https://note.com/mrtriksty/

#無名人インタビュー #インタビュー #インタビュアー #コミュニケーション  

あとがき

楽しかった。

あとがき:qbc(無名人インタビュー主催・作家)


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