見出し画像

発達障害があっても働けるし、ちゃんと自立できるよってすごい言いたい。人

ウルトラマンは何見てた世代ですか?
私は、私の世代は、ウルトラマンやってなかったですね。カメンライダーはやっていたけれど。うんにゃ。でもさ、そんなことは関係ないんですよ。
どこかのどこかで必須になっていたものが、僕に私にないからって、そんなに嘆く必要なんかないんです。あわれですね。かなしいですね。若さが原因なんですよ。
素朴な、意味のない、髪飾りのような人でありたい。一生を無辜で終わりたい。
最後のチャンスとして、もう、見向きもしない海辺で、察することのできない、速さで。
というこよで無名人インタビューgo!!!!!
 【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは 八色咲夜 さんです!


現在:Webデザイナーとして働き、推しの舞台を見に行くことを楽しみにしている

きさい:咲夜さんは今、何をしている人ですか。

八色咲夜:私は発達障害があるので、障害者雇用枠で働いていて、ITベンチャー企業の障害者雇用枠でWebデザイナーをしています。

きさい:ありがとうございます。こちらは始められてどれくらいの仕事になりますか。

八色咲夜:転職して、2年目に入ったところです。

きさい:その前はどんなご経歴を歩まれてたんですか。

八色咲夜:その前は、5年間は別のIT企業で事務職をしていました。

きさい:ありがとうございます。転職しようって思ったきっかけは?

八色咲夜:美大を卒業していて、デザイナーになりたいなってずっと思っていて。
前職5年間で事務職してる間に、Web系に強いオンラインスクールに通いました。Webのデザインの知識を身につけた上で、Webデザイナーとしてちゃんと働けるところに転職したいなと思って今の仕事に就きました。

きさい:今、お仕事されていて、どんな気持ちを持ってますか。

八色咲夜:IT企業だからなのか、社風だからかわかりませんけど、環境がどんどん新しくなり、変化が目まぐるしいです。楽しくもありつつ、変化についていくのが大変だなという毎日ですね。

きさい:楽しさと大変さって割合でいうとどんなイメージですか。

八色咲夜:変化についていく大変さが、日々上がっていますかね。

きさい:4対6とかですか。

八色咲夜:そうですね。

きさい:お仕事以外の面ってどうですか。趣味とか、生活は?

八色咲夜:前職は実家で住んでたんですけど、今の仕事に就いてから2回目の一人暮らしになりました。1回目の一人暮らしは大学生の時ですね。一人暮らしに戻ることができて、そこは嬉しいことだなと思ってます。

きさい:嬉しいのは、一人暮らししたいっていうご希望があったんですか。

八色咲夜:実家は、親が毒親みたいなとこがあって、いたくないなって気持ちがずっとあって。自分1人の力で生活を回せているっていう実感がすごく、自分の成長というか、自立できたなっていう気持ちがやっと芽生えたなんて思ってます。

きさい:転職したのと同時に一人暮らしですか?

八色咲夜:そうですね。大学のときも一人暮らししたんですけど、そのときは仕送りでやってたので。やっと自分の稼ぎで自分の生活も回せるようになったんだなと思うと、感慨深いところがありますね。

きさい:最近楽しかったことありますか。

八色咲夜:仕事の話になっちゃですけど、今、役職につけるように頑張ってるとこがあリまして・・・そのサブリーダーになりたいっていう目標がちょっと叶いそうというか、道筋が立ったっていう出来事があって嬉しいです。もちろんプレッシャーもありますが。

きさい:そうなんですね。どんなどんな出来事だったんですか言える範囲で、

八色咲夜:重要な仕事を任されたりとか、チームの目標達成をするためのミーティングに招集されたりとかします。

きさい:わぁ!それはサブリーダーに今からなるって見込みで呼ばれているのか、ここから手を挙げたら叶いそうっていうような感じなんですか。

八色咲夜:ずっと前からサブリーダーになりたいっていうのは、上司にはお伝えしていて。
任される仕事も増えて、重要度も難易度も上がって、ミーティングにも呼ばれるようになりました。対外的な面から認めてもらえているので、これを積んでいけば叶うかなって感じです。

きさい:どうでした、転職してからすぐにトントンいったなっていう気持ちか、それともなかなか見その通らなかったなっていう気持ちなのかでいうと、どちらですか。

八色咲夜:わりとトントンといった気がしますね。私が入社する前に、何でもできる方が辞めて、そこの穴を埋める感じで入ったっぽいので運が良かったなと思います。

きさい:サブリーダーになりたいっていうのは、理由があってのことなんですか。

八色咲夜:本来はリーダーがいて、サブリーダーがいて、メンバーがいるっていう構成なんですが、今、サブリーダーが不在で、リーダーとメンバーしかいない状態なんです。そして、リーダーの方がご事情の関係でフルリモートでして。
出社してもリーダーがいないから聞ける人がいないっていう状況を、自分が入社したてのときに感じていて、1人ぼっちだなと思ってしまって。
出社できる人で、1人ぼっち感を埋められるように自分がなれればいいかなと思ってます。

きさい:出社されてるんですね。

八色咲夜:リモートと出社半々ですね。

きさい:ありがとうございます。会社でもプライベートでも大丈夫なんですが、周りからどんな性格と言われますか。

八色咲夜:プライベートでも仕事でも、クールって言われますね。

きさい:ご自分でそのクールっていう評価に対してどんなふうに思いますか。

八色咲夜:私自身もクールかなと思いますね。わかりやすくテンションが上がったり下がったり。言葉の表現とか表情で出ないので、あってるのかなと思いますね。

きさい:なるほど。どんなときにそのクールさが発揮されてるなんて思いますか。

八色咲夜:ちょっとよくわからないですけど、女子高に通う高校生には、女性のキャピキャピ感ってあるじゃないですか。あれが自分にはないなと思って、そこがクールにうつるのかもしれません。

きさい:なるほど。自分ではそれはどうですか、誇りですか?それとも直したいとか?

八色咲夜:直さなくていいかなと。

きさい:そうですね、お仕事でもプライベートでもあまり評価変わらないっていう、ご発言ありましたが、あんまり過ごしていて、気持ちも変わらないですか。

八色咲夜:この1年は、本当に仕事について行くのに必死すぎて、プライベートが楽しめてなかったです。
あと東京に住んでるんですけど、引っ越しと同時に友達が全国に散り散りみたいになってしまって、会うこともできず・・・といったところです。

きさい:地元はどちらなんですか。

八色咲夜:宮城県ですね。友達が、北海道、宮城、京都、大阪、奈良に住んでます。そんな感じなので、東京にいても、北の果てと西の方にいて会えない感じです。

きさい:そうなんですね。この1年前のお仕事されてたときは地元で、お友達とも結構交流があったんですかね。

八色咲夜:そうですね。そのときは、ボードゲームバーに通っていたのでそこのオフ会とか、コロナの前はカラオケオフ会に行ったりとかして友達っていうほど強硬なものではないんですけど、たまに会う人はいたみたいな感じです。

きさい:事務からデザイナーになりたいって思われたきっかけは、1人暮らしですか。他にもありましたか。

八色咲夜:美術大学でデザインをちょっと習ったので、やっぱりデザイナーになりたい!っていう気持ちが強くて。4年間学んで、仕事にしたい気持ちが日に日に強くなって、絶対いつかデザイナーになるぞ!と思っていました。

きさい:前の仕事では、あのどんなお気持ちで働いてたんですか。

八色咲夜:宮城県の最低賃金で働いていたので、1時間830円かな。2年半過ぎたあたりから割が合ってないなと思ってました。やることは増えていくけど、データ入力とか責任感のある仕事を任せてもらえないことに苛立っていたし。
最低賃金なので、フルタイム週5で頑張っても最低賃金×値段にしかならず。また、他の障害者雇用の人たちもあんまりよく思っていなくて。
今振り返ると、環境良くなかったし、給料が少ないことに対してみんな苛立ってたり、憤っていたりと空気感が良くなかったなと思います。

きさい:今は職場の雰囲気も良くなりましたか。

八色咲夜:やっぱり強く思うのは、給与が1人で生活できる分ぐらいもらえるのと、もらえないのでは、人の心の余裕が全然違うんだと思いますね。

きさい:実際に自分の余裕が違ってきたなって思えるようなエピソードってありましたか。

八色咲夜:春から虫歯の治療に行っていて、一部自費治療になってしまったのですが、そこそこの高額をクレジットカード一括払いで払えたことですかね。

きさい:そのときどんな気持ちになりました?

八色咲夜:積み立て貯金が銀行でできると思うんですけど、それで積んでた分で払えるのがちょっと嬉しかったです。1年前だと、この金額一括で絶対払えなかったと思うので喜びがありますね。

きさい:1年でもう違ってきたんですね。

八色咲夜:そうですね。

きさい:今はちょっとプライベートが置き去りになってるって話がありましたが、ご趣味をこれから取り戻していきたいっていう気持ちはありますか。

八色咲夜:そうですね。宮城県にいたときは、東京に好きな声優さんがいて、その人の公演とか舞台を見るために東京に遠征をしてました。
せっかく東京にいるので、その方のライブとか舞台とか見たりするというか、推しへの投資を増やしていきたいなと思います。

きさい:どなたかお聞きしても大丈夫ですか。

八色咲夜:浅沼晋太郎さんって方ですね。

きさい:どんなところが好きとかありますか。

八色咲夜:あんまり多くは語らない方なんですけど。結構苦労されているのかな?って感じでの方で。元々は脚本演出家をされていて、役者もされてたり、もちろん声優としても活躍していて。浅沼さんが脚本家の時は、舞台のグッズのデザインとかもされてて、幅広く色んなことをやっててすごいなって思います。守備範囲の広さというか、持ってる武器の多さがすごいなっていう。
なんかのインタビューで言ってた気がするんですけど「1個の武器で、声オンリーで戦えないところは、自分はある。この声を聞いてこの声優さんってわかるタイプの人間じゃないから、手段を多く持ってる」といったようなことを仰ってました。うろ覚えなんですけど。
私が素敵だなと思う部分が、当の本人はコンプレックスに思ってたりするんだなって。

きさい:直感とか尊敬とかそういった気持ちで言うとどんな?

八色咲夜:尊敬ですね。とある舞台の企画にほぼ毎年出てるんですけど、毎回違う内容でお芝居してるんですけど、アドリブでお芝居し続けるというよくわかんない企画に参加していて。
お芝居のストーリーが終わる結末まで至る道筋って、結構パターン化されてると思うんですけど。
何年も出てるのに、ラストに至るまでの道筋をどう持って行くかが、見るたびに「あーそう来るのか」って発見があってすごいなと思います。

きさい:どんでん返しっぽい演出が好きな人なんですね。どんでん返しの種類ってそんなにないと思うんですけど、毎回違うものを持ってくるってすごいなと。

きさい:年に何回公演があるんですか?

八色咲夜:毎年公演ですね。秋から冬ぐらいまで、演者さんが代わる代わるやられてるんですよ。その年によって誰が出るかが発表されるんですが、出演するたびに、毎回パターンが違うのはすごいですね。

きさい:同じ浅沼さんが好きな方がお友達、さっきおっしゃってた宮城のときの友達とかにもいらっしゃる?

八色咲夜:いなかったですね。結構同担拒否多いんです(笑)

きさい:なるほど。

八色咲夜:開演するまでの時間って余ってるじゃないですか。「この人、すごくガチ恋なんだろうな」みたいって方も見かけるんですが、私はそういう感じではないし。

きさい:趣味繋がりでもまた、ご自身とは少し違う趣味とか推しを持ってる方がいたイメージですか。

八色咲夜:そうですね。

過去:毒親家庭から一人暮らしへ。社会に出て発達障害がわかる。

きさい:過去のこともお聞きしたいと思います。子どものときはどんな子どもでしたか。

八色咲夜:一番小さいときは、工作が好きだったみたいで。はさみと折り紙を切り刻んで、のりとかテープでペタペタ貼っていい感じのものを工作してました。コラージュですね、良い言い方をすると。

きさい:何歳頃の趣味ですか。

八色咲夜:3歳くらいで、大人用のサイズのはさみを使いこなしていたそうです。母曰く。

きさい:そのとき3歳の記憶ってありますか。楽しかったとか。

八色咲夜:母が、折り紙だったら何でもいいだろうと思って、100均の折り紙を買ってきたときに、文房具屋のじゃないと嫌だって怒った記憶が。「それは違う、嫌だ」みたいな。

きさい:幼稚園、小学校の頃はどんな過ごし方をしていましたか。

八色咲夜:小学校受験をさせるという親の企みにより、小学校受験の面接練習があったような気がするんですよ。いい感じのドアをコンコンとノックして、失礼しますって入って、いい感感じで着席するっていう練習めっちゃさせられた記憶があります。

きさい:そんなことをするんですね。

八色咲夜:それがすごく嫌だった思い出が。毒親なので、そのへんが。

きさい:うちの親は毒親だなみたいな感覚ってどういうところから出てるんですか。

八色咲夜:10歳くらい離れてるいとこがいて、今大学生なんですけど。そこの親がうちに対して張り合ってきて。子どもを使って、子どもを自分の所有物で、子供の実績が私のものみたいな態度がすごい嫌です。自分の親にも言えるんですけど。

きさい:なるほど。いとこの親御さんなので兄弟ですかね、お父さんお母さんの。

八色咲夜:そうですね。

きさい:親御さんとお父さんお母さんが張り合っているイメージですか。

八色咲夜:いとこは悪くないんですけど。いとこの親が家と張り合ってきて、その様子を見て育って。
10年前の自分の状況みたいなのが再現されてるわけですよ。それを見て嫌だなみたいな。10年前に起こったことが繰り返されて嫌だなみたいな感じです。

きさい:ご自身の上の知り合いというか、いたっていうことですか

八色咲夜:私は親戚の中で子供世代で一番年上で。私より上となると、一気に母世代になってしまうのでいなくて。
私は親戚の期待を背負わされてしまったというところがあって。初めての子どもだったので、弟もいるけど2個下なので、基本、自分以外大人しかいない環境で辛い感じです。

きさい:当時から辛かったですかね。

八色咲夜:当時から辛かったですね。親とか親戚大人たちが嫌だったのに、相談できるの大人たちしかいないみたいで、世界狭いなって。
幼稚園小学校のトラぶったことを親とかに言っても取り合ってもらえないみたいな感じ。

きさい:どんなことがあったんですか。

八色咲夜:端的に言うと、幼稚園で男子にいじられて嫌だったとか。そのとき歯並びがガタガタしていて悪くて。それで、男子にいじられまくったのがめっちゃ嫌だっていう話を母にしたんですけど、やっぱ取りあってもらえなくて。

きさい:お母さんはそのときどんな反応するんですか。

八色咲夜:中学生になって矯正治療を始めるので、歯並びを治すことは解決はしてくれたんですけど。悲しいという私の気持ちに寄り添ってくれなかったなっていう感じですかね。解決策は出してくれる人ではあったんですけど、時期が遅かったりとか、私のしんどい気持ちをわかってももらえなかったりとかしましたね。

きさい:お母さん、合理的なイメージですかね。ちょっと合理的すぎるというか。

八色咲夜:合理的でもないんですけど、教育に関しては課金をするタイプの人です
お金で解決しようとしていたし、実際問題、私と弟は解決されてしまったので、うーんっていう。

きさい:弟さんもそうだったんですか。

八色咲夜:弟は、姉というモデルがいるのでもうちょっと要領よく生きてて。弟の方が母としては扱いやすかったと思います。かわいがっていたような気がしますね。

きさい:自分と弟の扱いに差があるなって感じたのは、いつ頃ですか。

八色咲夜:小学生の時ですね。弟ができることが、なんで姉の私はできないのか!ってめっちゃ言われた気がします。いっても2歳しか違わないし。弟ができるからといって、姉がそれ以上に優れているわけでもないしなとは思います。

きさい:何が得意で何が苦手だったかって記憶ありますか。

八色咲夜:私は発達障害のASDを持っているので、コミュニケーションが下手くそなんですけど。弟がコミュ力が馬鹿高くてですね。友達いっぱいいて、分け隔てなく接するのがうまいです。私はそんな立ち回りが上手じゃないので、そこなんでうまくできないの・・・みたいな感じ。

きさい:ご両親はあまり発達障害への理解はなかったんですか。

八色咲夜:社会人になってからわかったので、子供の頃は全然わからなくて、理解はないですね。大人になってからわかって、家族がそういう特集とか番組あるとみてくれるとか、本読んでくれるとかそういう人たまにいますけど、全然そんなことないです。

きさい:今も?

八色咲夜:今も。

きさい:今はどんなご関係なんですか、ご家族とは。

八色咲夜:実家にいると私がすごく疲れてしまうので、なるべく会わないようにしてます。向こうがこっちに来ることは基本ないので、こっちが行かなければいいだけの話なので。ゴールデンウィークとお正月は、理由をつけて頑張っていかないようにしようみたいな。

きさい:咲夜さんは今20代でしたっけ?ご家族が、お年が今どれぐらいですか。

八色咲夜:ちょうど30歳ですね。父と母が60代で、弟が20代後半で、祖母がいるんですけどもちょっと80代後半って感じですかね。

きさい:皆さんとちょっとあんまり会いたくない?

八色咲夜:疲れる。4人全員思うところがあって、会いたくないって感じですね。

八色咲夜:おばあさまはあんまり今までのお話には出てなかったですが、親戚のご期待があるようなところですかね。

祖母とは一緒に住んでたんですけど、嫁姑関係である母との相性が良くなくて。母が5~6年前にちょっと椎間板ヘルニア、脳梗塞、高血圧や糖尿病のクワトロパンチをやってしまって。
専業主婦だったんですけど、専業主婦の主婦の部分の家事とか全然できなくなっちゃって、その負担が全部祖母にいっちゃったから「なんであなたの母親は家事をしてないのか」って私が怒られて「つらー」って。そんなこと言われましても、別の個体なんですけどって思っちゃう。

祖母は私のことを、唯一まっとうにかわいがってくれたと思うんですよ。幼少期から。服を買いにデパートに連れてってくれたりとか。ちょっといいご飯を食べに連れて行ってくれたんですけど。
大人になって嫁姑の確執を見てしまってからは、ちょっともう嫌だなみたいな感じですね。

きさい:高校と大学はどうでしたか。

八色咲夜:高校は大学受験のためだけに存在するような校風になっちゃってて。毎日家に帰ってからの勉強時間を記入させられ提出する感じ。大学受験に受からなければ、お前たち未来はないみたいな感じ。
田舎の進学校で、こじらせているなという感じです。

きさい:美大に入るのも教えてる進学校だったんですか。

八色咲夜:私の年が結構特殊で。美大に行きたい人が多かったんですよ。たまたま。
専門性に特化した学校ではなく、普通に田舎の進学校でいろいろこじらせてるだけなんですけど。

きさい:周りの方と一緒に目指されたんですか、それともご自身もたまたま重なったんですか。

八色咲夜:私が中高一貫校だったので、私が明確に一番最初に美大に行きたいって言いました。志望校は違えど似たような人がいたって感じですね。

きさい:きっかけはあったんですか。

八色咲夜:美術の授業が高校になると選択科目になったので。そこで出会った人たちは、3分の1くらい美大に行きたかったのかな。美術系に行きたくて選択科目の美術を選んだっていう人と、ただ消去法で選んだ人とは、先生の態度が全然違ってましたね。

美術部にも入ってたんですけど同じ先生が顧問だったので。美術の授業も取ってるってなると、扱いが私だけちょっとハイレベルなところを求めてくるみたいなとこがありましたね。
志望校の難易度的にも高かったところなので。たまたまその学校が、その先生の母校で、合格したときに一番喜んでくれたのはその先生でした。

きさい:美術はいつ頃からお好きだったんですか。

八色咲夜:中学校のときに、美術部と演劇部で迷って。美術部にしてからはもうズルズルって感じです。

きさい:演劇と迷ったっていうことは、演劇にも興味があったんですね。

八色咲夜:そっちの方も試してはみたんですけど、合わなかったので。美術で正解だったという感じです。身体で表現するっていうことが難しすぎて無理だなって。しっくり来なかった。

きさい:どんな表現をご自身は好むんですか。

八色咲夜:絵描いたりとか、クライアントの言語化していることを、視覚化できたときは一番嬉しいかなって思います。
こういうオーダーに対してこういう視覚的表現を提示したら問題が解決できるんじゃないかなと思って作ったものが喜んでもらえて、嬉しいかなっていう。

きさい:大学卒業後ストレートで、そのまま大人へと仕事を始められましたか。

八色咲夜:最初の会社がめちゃくちゃ合わなくて。そこで合わなすぎて発達障害がわかるんですけど。最初はテレビ系の業界にいました。テレビの感じが合わなくて、やめてテレビの反対で何だろうなと思ったら、ITかなってなって。
ITに強い就労移行っていう障害者の職業訓練するとこにちょっと通って、運良くITの前職に拾ってもらえたって感じす。そこからはズルズルITにいます。
新しいものが結構好きだからなんだろう。ITって、今のところ最先端だから楽しいですね。

きさい:合わなかったっていうのは、もし思い出すのが苦でなければどんなところでしたか。

八色咲夜:発達障害のASDな部分なんですけど、言わなくても察してください文化がちょっとテレビは強すぎて。気を利かせるとか、周りを見て判断するとか、言わんでもわかるでしょとか、目配せで理解してということあって。それが「わからん」みたいな。

きさい:上司部下間で求められるイメージですか。

八色咲夜:上司部下間もそうですし、同僚間でもコミュニケーションがお察し文化が強過ぎてわからんみたいな感じです。

きさい:なるほど。それで診断を受けられたってことですかね。

八色咲夜:そうですね。

きさい:病院行ったんですか。

八色咲夜:メンタルクリニック自体には、ちょっと大学のときからお世話になってて、新卒で入社したタイミングで引っ越しをすることになったので、転院することになって。転院先で発達の診断って感じですね。
1ヶ所目でパニック障害って診断が出てたんですけど、二次障害で副次的にできた症状の治療だったので、根本の発達障害の治療ができなかったせいで、4年間お金に無駄にした状態です。今思えばなんの治療の役にも立ってない。

きさい:発達障害と診断が下りたときは、どんなお気持ちでしたか。

八色咲夜:ショックだった、自分がそうだと思わなかったから。

きさい:今は変わられてますか。

八色咲夜:働けて自立できていれば、発達障害で困る事はありますけどいいかなと思えているので、別に発達障害でもいいかなって感じですね。受容ができたかなっていう。

きさい:そう思えるようになったのは治療が一番のきっかけですか。

八色咲夜:仕事に救われてる部分があって。私はやりたい仕事が今できているし、発達障害があるにせよ、発達障害があったからこそ、今の職種も応募資格があったみたいなところがあるので。やりたいことがやれるからいいかなみたいな感じです。困ることは多々ありますが。

きさい:日常で困る場面はどんなときですか。

八色咲夜:クライアントのコミュニケーションの取り方が私と違うので。チャットでやり取りしてるんですけど、クライアントは、ビックリマークめっちゃ付けてくるとか、波波の線めっちゃ入れるとかで、感情表現をしてるんですけど、私は何を表現したいのか全然わからなくて。ここから何を読み取れってこと?ってなって。
喜んでくれるのはいいけど、どこを直せばいいかわからないみたいな。

きさい:本当はもっとストレートに言ってもらった方がいいという感じですか。

八色咲夜:その人は多分そういう感情表現を、ビックリマークと波波マークで頑張るしかできないし、私も場数がないのでどう聞き出せばいいか、表現の幅を狭い人からどう引き出せば良いのかがわからなくて。

きさい:人生を3章に分けるとすると、どんな区切り方をしますか。

八色咲夜:生まれてから高校までが1セット。大学と新卒時代で1セット。あとは発達の診断が下りてから今に至るまでで1セットです。

きさい:ありがとうございます過去のことで話し残したことはありますか。

八色咲夜:父親の話をしなかったと思うんですけど。父は、会社を経営している関係で、小さい頃全く家にいなくて。私が寝てるときに帰ってこない、私が起きる頃にはいないし。同じ家にいるのに会ってないなっていう感じですね。

きさい:そのお父さんに対してどんな感情ですか。

八色咲夜:今はちょっと融通が利くようになったらしくて、私に話しかけてきたりとかするんですけど。家事と育児を全部母に任せてたから、父親面されてもちょっと対応に困るみたいな気持ちになります。

きさい:なるほど。

八色咲夜:父は、一番家族の中で真っ当で社会に揉まれて、真っ当考えを持っていると思うんですけど。ちょっと複雑です。

父が、私よりちょっと年上くらいのときに、祖父が亡くなって自分が社長にならなきゃいけないみたいなことなっちゃった人なので、社長である期間の方が、生きてる時の半分くらい占めてる感じで。
30代で社長になって、会社を続けない従業員が守れない重圧はすごかったんだろうと、今はわかるんですけど。私が何年後かにそうなれと言われても無理ですね。

きさい:今はお父様に対して考えは真っ当だと思うっていうところがあったけれども、あまり接したくはないというイメージですかね。

八色咲夜:そうですね。仕事をする人ってみると見習うべき点は多分あるんでしょうけど、父親として見ると0点。どっちの視点を取るかで全然違ってきちゃう。

きさい:お仕事の話をされることもありますか。

八色咲夜:向こうがIT関係のことがちんぷんかんぷんなので、全然わからないです。パソコンも起動できないですね。出張の予約とかも全部、事務の人に投げてる。自分でやらないで、人にやらせるって言う。

未来:ひとりぼっち感が埋められるサブリーダーになって長く勤めたい

きさい:未来の質問をさせてください。5年後10年後、あるいは死ぬときまでのイメージにも構いません。未来についてどういったイメージをお持ちですか。

八色咲夜:サブリーダーになって、今の職場環境が結構良い感じなので、そんなに情勢が悪くなったりしなければ長く勤めたいなという感じです。ここで安泰してもいいかもしれないぐらいに思ってます。

きさい:どこが合うなと思いますか。

八色咲夜:大学がスパルタ系だったりとかして、そこまでのの過程もスパルタだったせいか、初めて人が優しくしてくれる、チーム全体が温かいというか、優しい人たちに囲まれてるということが人生で初めてなんで、心理的安全性がある感じがしますね。

きさい:初めてそういった環境だなって思うようになったのはいつごろからですか。

八色咲夜:今年の春あたりからですね。だんだんチームの人たちとなりがわかってきてからです。私のチームはメンバーを褒めることが多くて、その褒めて喜んで、また別の人が褒めて喜んでみたいな返報性の法則がいい感じで働いてると思います。妬んだり、ひがんだりっていうのが表面上はないので、すごい良いなって。

きさい:すごいなっていう。ご自身にも変化が生まれましたか。

八色咲夜:ポジティブになりましたね。前向きな言葉を掛け合ってる人たちの中に入ることができたおかげで、確実に転職する2年前より、精神的なところが明るくなったって思います。

きさい:これから先もっとこんなことをしたいとか、こうなりたいとかはありますか。

八色咲夜:デザイン面で人員が不足してて、私が引っ張っていって、もっとデザインできる人をチームで増えていったらいいかなと思ってます。

きさい:人事を改善していくイメージですね。

八色咲夜:今コーダーの方が多いので、バランスが。

きさい:プレイヤーの今は、それもあって忙しいイメージですか。

八色咲夜:私と、もうひとりしかデザインできる方が現状いないという状況なので。2馬力で頑張っても、どっちかが倒れたら100パー飛んでくるのはちょっと怖すぎると思って。

きさい:もしご自身が、美大に行かれてなかったらどんな人生になってたと思いますか。

八色咲夜:そこが考えられないんですけど。中学の時点で、美術にしか目が見えてなかったので。

きさい:美術に打ち込んでるときってどんな気持ちになるんですか。

八色咲夜:絵描いてて、褒めてくれるのが嬉しかったですかね。素敵とか上手いねとか。
自分にとってはそんなに難しくないことでも、まわりの人が褒めてくれるのが嬉しいのでやってきました。

きさい:美大に行くという選択肢は自然に出てきたイメージですかね。周りを見る中で。

八色咲夜:そこはちょっと違ってて。モダンリビングと装苑って雑誌があるんですけど。モダンリビングがインテリア、装苑がファッション雑誌なんですけど。そこで定期的にデザイナーのおうち特集とか、今年の注目デザイナーみたい特集をやってたりしてて。

デザイナーって仕事があるってことを知って、読んでてめっちゃかっこいいと思ったんです。そこから名乗れたらいいなみたいなって。

きさい:確かにインテリアだったりファッションっていう選択肢もある中で、そっちと迷ったりは今までされましたか。

八色咲夜:そっちは適性ないってジャッチしました。卒業した大学と違うところの話になるんですけど、大学のオープンキャンパスで「デザインは問題解決だから人にプレゼントをあげるようなものだよ」みたいなこと言ってる人がいたんですよ。オープンキャンパス授業の中で。すごいそれが響いちゃって。
気軽にプレゼントをあげるような職種が良いな!って気持ちが芽生えました。そしたら、今だとWebなのかなと思いまして。みんなが一番見てるし。

きさい:確かに、問題解決できてるときが楽しいって先ほどお仕事でもおっしゃってましたね。どこが魅力だと思いますか。

八色咲夜:私、人の気持ちに寄り添うのが下手くそなんですね。共感してほしいみたいなコミュニケーションがめっちゃ下手なんですよ。でも困ってるからどうにかするために力を貸してほしいみたいなときはすごい力を発揮できるんですよ。
そっちのコミュニケーションを永久にしてればいいっていう、デザイナーは良い仕事だなって思ってます。

きさい:友達の間だったりっていう、そうですね仕事外でもそういうことがあったってことですか。

八色咲夜:高校のときの友達で縁が切れちゃってるんですけど、好きなキャラクターがいてそのキャラクターを書いた色紙かを誕生日プレゼントしたことがあったんですけど、すごい本当に喜んでもらえて。そういう感じが好きなのかもしれません。

きさい:最後にいい残したことがあれば、お願いします。

八色咲夜:発達障害があっても働けるし、ちゃんと自立できるよってすごい言いたいなって思いますね。悩んでいる方がいっぱいいるから。

きさい:これはやっぱり今の仕事になってから思うようになりましたか。

八色咲夜:前職で5年間ちょっと希望とはずれたことをしてたけど、今の職種に繋がったので。1社目で皆さん行きたいところに行こうとしている感が強いなと思ってて。でも前職で経験を重ねていったら狙えるかもしれないと思いますね。

あとがき

私も地方出身、昔ながらの企業からITと、咲夜さんと似た経歴を持っています。
ただ、咲夜さんの経験や性格からは、私が思うのとはまた違う言葉が出てきて、インタビューは、違う視点からものを見る時間になりました。
夢のデザイナーとして活躍されている姿には勇気をもらえます。
咲夜さんのブログも、転職や、経済的自立がしたいという人におすすめです。

ありがとうございました!

【インタビュー・あとがき:きさい】

【編集:クイナ】

#無名人インタビュー #インタビュー #自己紹介 #発達障害 #障害者雇用

マガジンで過去インタビューも読めますよ!

インタビュー参加募集!


この記事が参加している募集

自己紹介

いただいたサポートは無名人インタビューの活動に使用します!!