自分の気持ちを大事にしてくれる人は自分も絶対大事にするって決めているライターの人
なんだかんだでけっこうこのまえがき緊張するんですよ、場合によっては全削除させられるし。タイトルちょこっと変更くらいならぜんぜんまだいいんですけど。
まえがきに対して全削除とか、まああることで。怖いんです、どきどきです。でも、書きたいこと書けなくなった世の中なんか、嫌ですよね。別になんか露悪的な気持ちじゃなくて、インタビュー参加者が好きほうだい喋っていいんだから、私も好きほうだい書いているって感じです。別に、悪いこと書くつもりはないし。ねえ。
ともあれ、もう2月も終わってしまいます。私qbcとしては、2回目の確定申告まだ手をつけてなくて、海士町出張から返ってきたらやるつもりです。まああ仕方ないねえ。
私、昔自分の書いたコピーもお客さんにスミで塗りつぶされたことあるし。二度目しましたよその時は。なんて言うんでしょう。万人に理解される、万人に愛されるというのはむずかしいなと思います。
ということで無名人インタビューゴッ!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】
今回ご参加いただいたのは 萩原すう さんです!
年齢:30代前半
性別:魚捌ける系女子
職業:フリーランスライター
現在:何かが違うのに、それが分からない。やりたいことをやっているのに、なぜか満たされない。
花梨:萩原さんは今、何をされている方でしょうか?
萩原:現在は専業でライターを基準に、隣接する作業もする何でも屋的なフリーランスライターをしています。でも魚を捌く仕事は今のところしていません!(笑)
花梨:このお仕事はいつから始められたんですか?
萩原:ちょうど3年前になりますね。
花梨:隣接する作業とは、どういった内容のものですかね?
萩原:デザイン作成やロゴ作成を含めたHP制作です。これらをお願いされたことがきっかけでした。私はもともと絵を描くので、「デザインをお願いしたい」「絵を描いてほしい」というところから始まって。簡単でいいから、コスト0でホームページを制作してほしいという話を頂いたんです(依頼日は別です)。
そこから書くだけではなくて、0から1を作っていく作業、クリエイトしていく方にもちょっと足を伸ばすことになりました。
花梨:0から1を制作することに楽しさを覚えたんですか?
萩原:そうですね。結論から言うと、その作業が楽しいと思い始めたことで書くことにこだわらず、自分でも勉強したり聞いてみたりやってみたり、隔たりをつくらずに挑戦してみようかなっていう気持ちになって、今ライターに限らず活動していますし、挑戦の幅を広げています。
花梨:ライター業を始めたきっかけはありましたか?
萩原:人間不適合者だなという出来事が19歳の頃に連発しまして。進学した学校で上手くやれず、適応障害になってしまいました。
同世代が前に進んでゆくのに、私はいつまでも同じ場所に立ったまま…というのは、堪えましたね…。
治療をしながら時が流れて、夫と出会い、結婚と出産をして子育てに入りました。
この時点でこそ、女の幸せって聞くんですけど、私にはすぐそうは思えなくて。子どもと2人きりでいると息が詰まり、社会不適合者だけども働く自分の夢も諦めきれなかったんですね。自立心が強いんです。けれど保育園に預けられない。自由に動くことはできないー。
そこから、書くことで何かできないかなって思って。これまで話したとおり、私の唯一の得意で、好きなことだったので。
花梨:最初に思いついた選択肢が書くことだったんですか?
萩原:まず外での対人関係の中で仕事をすることが難しかったんです。もともとひとりで行動することが好きな人間なので、どうしても集団の中で働くことも学ぶことも苦しかったのだと思います。
その点、ライターは在宅できます。子育てをしつつ隙間時間でやれるだけのお仕事を頂いて稼働できるのは魅力でした。
クライアントとのやりとりもテキストコミュニケーションがメインであることもありがたかったです。段取りよく喋ることが苦手で練習中なのですが、やはりテキストの方がすっきりと伝えられる印象ですね。
花梨:現在は、どんなスケジュールで過ごしていますか?
萩原:一時期すごい仕事を詰めていました。これは①スキルを上げなくちゃと思った②実績を積まなきゃいけないという2つが理由です。
自分がどこまで仕事を受け持てるかキャパを知るにはよかったのですが、家族をないがしろにしていましたし、その時のことはあまりよく覚えていません…。
これじゃあ本末転倒だと思って、ちょうど3年目に入る時期に、仕事の調整をしました。
仕事を整理して、子どもと向き合う時間を作ることと、子どもと向き合いながら今の時間で成長できる仕事を選ぶという考え方にシフトしたんです。
なので前よりは心身の余裕もできて落ち着いています。もちろんお給料は減っちゃいましたけど、パート勤務と比べればストレスレスで同等かそれ以上の収入を得られていると思います。
花梨:ライターの仕事をされてみて、どんな瞬間に楽しさややりがいを感じますか?
萩原:私が書いた記事を読んでくれた方がいたときですね。クライアントの方によっては、PV数を随時報告してくれますので。数字は読んでくれた人を示してくれるのでわかりやすいです。
仕事の堅苦しい文章じゃなくて、noteに自分のエッセイ記事等を書くんですが、そのゆるい等身大の文章を読んでもらえると、なお書いてよかったなって。
アウトプットするとすっきりするので、あんまり口頭で気持ちを伝えるのが得意じゃないからこそ、紙に書き出すなり、スマホに打ち出すなりしないと、自分が飽和状態になって身動き取れなくなっちゃうんですね。
今回の無名人インタビューに関しても、うまく喋れるかなってちょっと心配だったんですけど…。
実際に体験された方のコメントを見てみると、みんな気持ちが整理されてって書いてあったので「それはいいな」「ちょっと気になるな」と思い今に繋がるんです。
花梨:ありがとうございます。気持ちが整理されるという点をおっしゃいましたが、ご自身でも気持ちを整理したいという思いがあったんですか?
萩原:そうですね。これまでずっと、言語化ができない部分があったんです。
現在で言うなら、今の生活に満足はしているんですけど、昔から自立した人間、人にそんなにもたれかからない、もたれかかられないみたいな関係を築いていける人間に憧れていて。
でも、実際大人になってみたらそんなことはできていないな、と。自分の思い描いてた理想像と今のズレっていうんですかね。そこに葛藤があって。
今、生活していくために、いろいろ考えて行動しているけれど、私個人の生きていきたい生き方としては、今の生き方は正直ちょっと違う。
本当に言語化が難しいのですけど、そのズレが心に引っかかっています。今回のインタビューを通して、自分自身を理解することと、納得する結果が得られたらいいなっていう期待を持っています。
花梨:満足度を10段階で示すと、今はどれくらいだと思いますか?
萩原:6から7ぐらいですかね。
花梨:どうして、そう思いましたか?
萩原:私の中でズレの問題が大きいんです。現在の話からズレて過去の話になっちゃうんですけど。
母は父に依存体質なんですよね。父がいないと物事を決められない、できない人なのだなあと子供の頃から感じていました。私は、母のようにはなりたくなかったんです。
同じ親から生まれた姉妹は母と仲良くやっているのに、私にはできない。やっぱりモヤモヤするんですね。
母みたいになりたくない。私の場合だったら夫がいないと何も決断できないという風にはなりたくない。
もたれかかるんだったら、支え合える方がいいなって思っているんです。お互いが自立した関係でいたいという感じですね。
花梨:ちょっと質問が変わるんですけども。萩原さんは何か趣味や好きなことはありますか?
萩原:好きなことは、文章を書くことと絵を描くことと、刺繍と読書です!アクティブじゃないんですよ…(苦笑)
それだけ言うと家庭的とか言われるんですけど、別に料理とか掃除とか好きではありません。A型ですけど別に几帳面と言ったことはないし。でも、感性が変わってるよねって言われますね。私には褒め言葉ですけど(笑)
ライターを始める前は、書くことでお金を稼ぐっていう考えがなくて、小説の公募を書いて出していました。
子どもが生まれてから、自分の気持ちを作品にして昇華するという方法をとっていて。
すごく楽しくて、でも結果になかなか繋がらなくて。でも、ライターになろうと思ってなれたのだからいつか結果につながると信じて、物語の執筆をしています。
現在は仕事と並行しながら執筆していますが、ライターという仕事が軌道に乗るまではクライアントワークに振り切ってたので、まったく小説書けなくて。
フラストレーションが溜まってて、これはまずい!と。なので今は年に1本は公募に出す作品を作る時間を設けています。おかげで、精神的バランスが取れるようになりました。
それでも、何か違うんですよね。何か違うっていうことしか分からない。やりたいことをやっているのに、なぜか満たされない。
花梨:フラストレーションは何に対して生じたものですか?
萩原:自分自身の気持ちを吐き出せなくて。抑うつ状態みたいな感じが続いていたんです。
何にも楽しくなくて、毎日単調で。朝起きて子どもを送り出して、仕事して、買い出し行って、習い事の送迎して、ご飯食べさせて、お風呂入って寝かせる。ファミリー家庭のあるあるなルーティンです。
働き方をちょっと見直して、自分と向き合う時間を作るようにしたら、私は結婚するつもりがなかったところに行き着くんです。
親みたいになりたくなかったと話しましたが、結婚=夫に依存する妻みたいな感じを身近で見てたので…それは嫌だと思って。
それが結婚というものなら、1人で生きていくと思って、結婚はしないと決めていました。…実際、今結婚してるんですけどね。だから、もうその時点で理想通りにはいかないよなって思いました。
でも、この状況でもそれができるようになれたらいいなって考えたときに、何があるんだろうと考えている自分がいます。
現実問題、やっぱりまだ子どもも小さいので。子どもありきの仕事ではフリーランスと言っても、働ける時間を考えるとパート勤務されてる方とあんまり変わらないんですよね。
なので、やっぱり経済的には夫がメインになってしまうことが嫌でした。
悔しいとかじゃないんですよね。本当は私だってそれぐらいやりたいのにって。昔から、自分の足で立って自分の手で仕事をして稼いで、生活していくことに憧れが強かったんです。けっきょくのところ私、両親と同じことしてるって思っていたんです。
ホルモンバランスの周期で落ちるときに、毎回自分を責めるんですよね。あーなんかやだな、今の自分すっごく嫌だと思います。
子どもは悪くないし、大好きです。だからって今どうこうしようとは思ってないんですけど、でもやっぱりそう思っちゃうんですよね。
みんなそんな感じなのでしょうか。相談室みたいになっちゃいましたね。ごめんなさい!
花梨:いえいえ。
過去:ほぼ重なりつつある。ちょっと軸が揺れちゃうけど。たぶん、軸が揺れちゃうときに、これでいいのかなって迷うのかもしれないです。
花梨:萩原さんは幼少期はどんな子どもでしたか?
萩原:教室の隅っこで本を読んでる物静かな子でした。部活が始まるのが早く、小学3年生からもう部活があったんですよ。
吹奏楽部とボランティア部を掛け持ちして入っていました。人数の少ない学校なので、掛け持ちが許されていたんですね。
その2つで活動する時間は、別におとなしくもなく、めちゃくちゃ積極的に動くタイプでした。部活での関わりはできるのに、それ以外に関しては口ごもってたいさくなるような子で。
人見知りだったので、学生時代は、しんどかったことしか覚えていません。でも不登校にはならないよう頑張りました。
花梨:この頃は、どんな本を読まれていたんですか?
萩原:星座の本で、星座になった由来みたいな、なんか諸説ある話があるじゃないですか。
花梨:神話ですか?
萩原:それです!神話系の本を読んでました。
あとは図鑑や児童文庫とか。片っ端から読んだ記憶がありますね。休み時間も図書室に行っていました。教室にいるのがつらかったので。…大きい音や奇声…騒がしい環境が苦手だったんです。それは今もなんですけれど。
自分の興味のある話は聞けますし、これはどういうことですかって質問もできます。ですが、とにかく環境に圧倒されちゃうと動けなくなっちゃうような子でしたね。
花梨:部活動は、環境的にもご自身の興味としても合っていたんですかね?
萩原:はい。吹奏楽部ではユーフォニウムという金管楽器を担当していました。同じパートの先輩方がすごく優しくて。兄弟みたいに面倒を見てくれました。先輩たちがコンクール頑張ろうねって言うから、尊敬の眼差しで追いかける感じでしたね。
ボランティア部は、福祉施設に催しを作って持っていくことと、学校の環境整備がメインでした。
ペープサート作りや演奏の練習…土いじりも好きなので花植えや水やり、腐葉土作りも良い経験でした。
花梨:幼少期は、ご家族との関係性はいかがでしたか?
萩原:とっても楽しかったです!…けれど今思うとすごく閉塞的な家庭でした。あんまり周りと接点を持たない感じでしたね。
私も積極的に放課後遊びに出ていくとかするタイプではなかったので、あんまり友達もいませんでした。
家族で過ごす分には楽しかったんですが、大人になって振り返ると、言葉にするにはちょっと抵抗がありますが、よく言う毒親家庭だったのだなと感じています。
花梨:今振り返るとって感じなんですね。
萩原:今30を超えてるんですけど、子どもが生まれてからしばらくは人が怖くて生活に支障が出てしまいました。
家族の在り方や、人との付き合い方がわからなくなってしまったんですね。
子どもは人と関わらせてあげないといけない時期だったので頑張りましたけど。毎日私は疲弊し切っていました。
壮絶だったのは、両親に助けを求めても子育てに関しては自分たちでやりなさいというような雰囲気があったことでした。
助けてくれないわけではないのですが、その度に不機嫌でもうこっちが気を遣い、余計に疲弊し疲れてしまって…。
この時初めて、親は孫を必ずしも可愛いと思わないし、子育てを支援してくれるわけじゃないと理解しました。
義両親は嫁の私も孫の息子も可愛がってくれて、遠方にいるため支援の物品を送ってくれるような方なので、こんなに違うものかと驚きましたね。
今は子どもを通して心許せるようになった方に「助けて」が言えるようになったので、そちらで甘えさせていただいています。その分、頼られたら私も応えますよ。倍以上返したいと思っています。
今、生きやすくなったんですよ。30を越えて生きやすくなりました。
花梨:ちょっとお話戻っちゃうんですが。中学校や高校の頃はどんな子どもでしたか?
萩原:中学と高校の頃、あんまり思い出せないんです。ただ、私史上一番の反抗期だった気がします、中学は受験があったのでなるべく大人しくしていました。ですが高校は遅刻もしょっちゅうでしたし、授業をさぼるのも日常茶飯事でした。
今では反省していますが、今まで割と優等生でいたので、やってこれなかったことをしたかったんです。いやでも、周りからしたら本当に些細なことなんですけれど。
ですが、家ではいわゆる良い子にしてましたね。怒られると怖いので。今思えば、その分外で発散していたのかもしれません。
花梨:先ほど30代になってちょっと生きやすくなったというお話だったんですけど。20代はどんな感じでしたか?
萩原:20代は21歳で学校とアルバイトに時間を割いていたので、自分の心身のSOSに気付けず適応障害になりました。
当時は心の病気の認知は高くなかったので「また怠けてる」と学校の講師の方や友人には小言を言われていて。結果、継続困難とみなされて中退となりました。
なので、現在も治療のため、通院中なんです。だいぶ普通に過ごせるようになりました!
主人と出会ってから、本当に症状が良くなって。正確には母と離れてから良くなったのかもしれません。20代はずっと病院を転々としていて、いろんな病名をつけられていました。それでも改善しない体調不良で寝たきりなこともありました。…動けなくなっちゃったんですよね。
ですが今は、人間らしい生活を送れるようになりました。人に会うのも怖くなくなったし、ライターをしていると言いましたが、対人のお仕事になる取材も行くことができます。
今までは取材で人に話を聞き、記事するなんてできないと思っていました。それが今ではなくなりました。どういう色を持った人なのかな、と楽しみですらあります。
相手の話に興味を持って聞いて、どう構成を作って、読者に分かるように伝えようかと考えるのが楽しい!
今までなら過呼吸になって行けなかったんですよ。もう人が怖くて怖くてたまらなかったので。
花梨:過去を振り返ってみると、現在でおっしゃっていたズレについてはどう感じていますか?
萩原:そう言われると、基準がまず変わっていることに気づきました。基準が変わったうえで、自立の程度を0から10で言うなら、現在は9か10くらいです…!
自分で全て判断できるようになったことと、自分で決断したことにはちゃんと責任を取れるようになっていることと。明らかに、自分の見てきた両親像とは全く違う。私が思い描いていた、よく辞書に載ってるような「自立」の意味ー。その状況に自分がちゃんと軌道に乗ってきています。
1人で生きていくという意味の自立ではありませんが、家庭を持った1人の人間の私としては、過去から比べたら上々です。
次元は違うけど自立のズレはないかもしれません。ほぼほぼ重なりつつある。ちょっと揺れちゃうけど、でも重なりつつある。たぶん、揺れちゃうときに、これでいいのかなって迷うのかもしれないですね。
でも、人間迷いながら生きていくものですもんね。迷わないで生きていける人なんていないので。そんな当たり前のことに、今気づかされました。
未来:完璧なんだろうと。話を辿っていくと、これは完璧と言わずしてなんというのかな、とー。
花梨:5年後10年後、近い未来ですね。あるいは遠い未来、亡くなるときまで想像してもらったときに、未来についてどういったイメージや理想をお持ちですか?
萩原:今の感覚、暮らしをベースに、柔軟に過ごせていけたら万々歳です。
もうちょっと心身ともに健康になれたら嬉しいですけどね。気分の変調に左右されないと1番嬉しいです。
この前、災害がありましたけど。やっぱり、普通のよくある生活がどれだけ尊いものかっていうところを今改めて思い返しています。
その中で、自分の我を通したいところは、やっぱりライターとしての自分のスキルを磨いて、もうちょっと上を目指したいことと、子どもの成長に合わせて増えてくる自分の時間を、アウトプットの時間と小説を書いて受賞に持っていけたらいいなっていうのは変わらないですね。
花梨:上を目指すというのは、具体的にどんなイメージですか?
萩原:ライターとしてのことですが、コーポレートカラーがあるように、会社の色に沿った柔軟な文章の変化。硬さや柔らかさ…ぬくもりやさっぱりとした感じとか。そういったものをもうちょっと表現できるようになることです。
ライターは素人から始めたので、やっぱり分からないことが分からないほど、たくさんあるような気がするので。それをもうちょっとちゃんと知る努力と、それができるようになる努力をしたいと思ってるんですね。
長い目で見て、主人が退職したときに私は稼働していられるようにしていたいんです。どうなるかわからないこの世の中で、その時々で満足のいく生活ができるように。
だからこそ、仕事に関しては停滞したくないので、今その時々でできる成長をしたいと考えています。5年後も10年後もそれは変わらないはずです。変わらないと思って、生活していますね。
花梨:もし、適応障害という精神疾患だと分かっていなかったら、萩原さんは今どんな生活をされていると思いますか?
萩原:仕事もしていないですし、子どもも生まれてないんじゃないでしょうか。今は息子がいますが、当時は薬の関係もあって妊娠ができない状態だったんです。なので、まず子どもを産むこと自体を諦めていると思います。
メンタルが本当に弱かったので、気持ちの切り替えが本当にできなかったんです。悲劇のヒロインじゃないけど、もうなんか自分には何もできないんだ、どうしようもないんだみたいになってしまって。ズルズルと引きずって、諦めて、諦めきれなくて。もう家から出られなかったんじゃないかなって思いますね。
花梨:その世界線の萩原さんを踏まえたうえで、今のご自身を評価するとしたら、どんな評価になりますか?
萩原:…完璧ですよね。ここまで自身を振り返って辿っていくと、完璧としか表現できない気がします。夫がいて、息子がいて、私にあったやり方で働くことで社会とつながっているこの今が、本当に尊いものだと思います。
私が基本的に人との関わりの中で1番大切にしているのは、自分の気持ちを大事にしてくれる人は自分も絶対大事にするって決めていていることです。
気にかけてくれる人がいるときは、もう絶対そうするようにしてきたつもりです。
親元を出てもう13年経つんですけど、そういう風に接してくれた人、自分が接した人はやっぱり今も周りに残ってくださっていますものね。だからそういう意味ではやっぱ人にも恵まれました。
ちょっと当たり前すぎる、最低限のラインで言うと、衣食住に恵まれている。私が苦手なことを代わりにやってくれる夫がいる。私の体調不良を見越して、できることをやってくれる子どもがいるって考えちゃうと、なんかもう逆に今の世界線で良かったです。
花梨:最後に、何か言い残したことはありますか?
萩原:言い残したこと…答えって、案外自分の中にちゃんとあるんだなと思いました。
花梨:そうですね。
萩原:でも、それは花梨さんのおかげで見つけられたと思っています。私も取材をするので課題でもあるのですが、肩肘張らず心のうちを話せたことがなによりも花梨さんの能力なのだと感じました。
私が最初にインタビューに答え始めた時と今、現状ではもう顔の表情の生き生き度が違うんです。
気持ちが軽くなりました、本当に。この感覚を忘れずにいるためにメモしておきたいほどに。
別の世界線の話で例えてくれたうえで、今を見つめていく進行の仕方は、私もどこかで真似したいなと思いました。
あとがき
最近読んだエッセイの、忘れられない一節。
「暗いトンネルの真っ只中にいる人に、掛けられる言葉は限られている…いまの私にできることは、トンネルの出口で待つ時間をたまに作ること。」
心や体の疲れが取れないとき、人からの励ましをプレッシャーに感じてしまうときがある。逆も然り。「頑張って」がプレッシャーになっていないかと、言葉をかけることを躊躇する自分もいる。
揺れ動く気持ちを優先してくれる人がいることが、どれだけありがたいか、最近も実感する出来事がありました。
つい隠してしまいたくなる不安や焦りをはじめ、どんな気持ちでも話していい時間や場所があることが、誰かの救いになるといいなといつも思います。
毎回のインタビューも、そんな気持ちでお話を聞かせてもらっています。
改めまして、萩原さん、インタビューへのご参加ありがとうございました!
次回の無名人インタビューもお楽しみに。
【インタビュー・編集・あとがき:花梨】
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