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【短編】元図書委員長


 タクシーから降りた。午前中。用事があってある街に来た。この場所は二度目。僕の元妻が住んでいる。
 アパートの一階。インターフォン押す。何度か押したが出てこない。携帯端末で連絡すると元妻が出てきた。
「壊れていたみたい」
 日常生活がおろそかな人。変わっていない。

 元妻訪問という社会通念に照らせば避けるべき行動は、現妻の目論見だった。
 僕が悪かった。元妻も現妻も中学生の同級生なのだが、先日母校付近に立ち寄る機会があり、その際に僕は元妻が元図書委員長だったことを思いだした。それを現妻に話した。
 僕のうっかりだった。ただ現妻の性格には物事に頓着しないところがあり、大丈夫と思った。でも怒らせた。
「よく委員長と放課後の図書室で話していた」
「うん」
「よく貸出本の返却が遅いって叱られていた」
「うん」
「よく推理ごっこをしていた」
「そうだ」
 現妻が立ちあがった。クロゼット兼本棚から、濃緑に染色された古い革のブックカバーを持ってきた。元妻がくれた初めてのプレゼント。
 僕は言った。
「思い出には罪がない」
「じゃあ元図書委員長に返してきて」現妻はカバーを床に投げ捨てた。「返してきて。返却遅延は許されないんでしょう」

 返却は玄関口で終えた。部屋にはあがらない。
「あなたと私にはカバーするべき本がもうないか」元妻が言った。

 それから二人で駅まで一緒に帰った。
 僕は質問した。
「まだ学生と付きあっているの?」
「彼は学部を卒業して院生になった」
「子供相手だ」
「私達だってまだ十分現役の子供」
「違う」
「あポスト」
 郵便ポストがあった。
 元妻が(突然)クイズを出した。横浜駅には郵便ポストが双子のように二つ並んでるの。ちょっと離れているけど。何故だか知ってる?
 知らない。
「じゃあ自分で調べて」
 彼女は昔から正解をすぐに言わない。じらす。ネットでいいから自分で調べなさいと僕をあしらう。僕にはそれが段々と我慢できなくなった。
 僕は言った。
「恋人の将来が心配だ」
「私が養う」
「やめなよ」
「私、子供みたいな人が好き」
 元図書委員長で元妻の(僕より)広範で(僕より)膨大な読書量が導きだした選択は、たぶんまた間違いだろう。正しいことなど一度もなかった。
 改札前で僕は元妻に手を振った。別れる。
 元妻が頬笑んだ。
「クイーンならここでQ.E.D.」
 それから。と元妻は付けくわえた。
「今の奥さん以外に優しくするのは、けしからぬことです」

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