
死ぬことを最近考えていた人
昭和の時代は厳しかったみたいで、今の時代と違うんだそうです。
確かに昭和は違った。電車の中で煙草も吸っていたし、テレビで率先してセクハラをしていた。信じられないほど気軽にちょろまかしが行われたりして、今どきの感覚からみれば、ありえないことがたくさんあった。
時代が良くなったということなのかもしれない。
でもあんまり変わってないのかもしれないな、とも思ったりする。
生きていること自体が、たぶん苦しみなんだと思う。だからかな。
無名人インタビューということをしてきて、かれこれもう1,000人近い人の話を聞いてきた。その経験から、人々の人生や苦労、喜びについて多くのことを学んだのかもしれないし、深い洞察なんかが、もしかしたら得られたのかもしれない。
時代は確かに変わりました。でも、人間の本質的な部分、希望、不安、愛情、葛藤なんかは、変わってないよね。
だから、なんていうか、何が何をもって変わったの? と。
と思う2024年7月17日21時25分に書く無名人インタビュー834回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは 山根 さんです!
年齢:30代前半
性別:女
職業:無職
現在:なんか、どうしよう、何しよう、今後どうしようみたいな。本当に天井とか見たり壁見ながら、考えてますね。
🐋くじら:
では最初の質問になりますが、今何をしている人でしょうか?
山根:
今はお仕事を鬱でやめて、ぼーっとしてる人です。
🐋くじら:
仕事辞められてからどれくらい経ってるんですか。
山根:
この2年ですね。
🐋くじら:
なるほど。ぼーっとされてるということですけど、1日のルーティンというか、どんな過ごし方をされているかお伺いしていいですか。
山根:
大体の朝起きる時間がまちまちで、睡眠導入剤とかも飲んでるんですけど全然効かないので、6時からお昼頃までの間のどこかで目が覚めるみたいな、もう本当に日ごとにランダムな起き方して、それから歯磨きしたりとか、調子がよければ朝ご飯か昼ご飯か、夕飯かを食べて、もうただひたすらぼーっと。座椅子に座ってぼーっとですね。ほとんどそんな感じですね。
🐋くじら:
外出することはもうあんまりなさそうですか。
山根:
でも最近はちょっとその薬の効果が効いてきたのか、鬱から、躁の状態、ハイの状態にちょっと切り替わってきて、急に自転車漕いで、5、6キロ先まで行ったり、出かけようみたいなこと言ったりをしてますね。
ぼーってするのと「行こう!」の落差がある生活してるみたいな感じですね。
🐋くじら:
なるほど、最近は割と活動的にもなってきている感じですか?
山根:
そうですね、なってると思います。
🐋くじら:
わかりました。今一人暮らしされてるんですか?
山根:
今実家ですね。
🐋くじら:
なるほど。ぼーっとされてるときって、何を考えてらっしゃいますか。
山根:
なんか、どうしよう、何しよう、今後どうしようみたいな。本当に天井とか見たり壁見ながら、考えてますね。
🐋くじら:
なるほど。インターネットを使って調べたり、本読んだりではなく、もうただひたすら考えている、ということですか。
山根:
なんか頭の中でずっと思考がぐるぐるほど動いていて、何か携帯開いても情報が入ってこないみたいな。になってるので、開いては携帯を閉じちゃうので、なんかよくわからない自分がぐるぐるしてる思考を流したままぼーっと壁を見たり天井見たりみたいなのが多いですね。
🐋くじら:
わかりました。何か最近楽しかったこととかありますか。
山根:
最近は躁状態になってハイになったんですけど、それは実際はあんまりいいことじゃなくて、なんか焦燥感が毎日ちょっとすごくなってきて、何かしなきゃ何かしなきゃ、何かしたい、って思うようになってなんかゆっくりぼーっと脳内の流れるまま天井を見ることができなくなってきて。
それで絵を描き始めたんですね。お絵かきアプリみたいなのを入れて。そしたらそれに海外の方が「素敵」ってコメントくれてそれが嬉しい、楽しかったことですね。
🐋くじら:
いろんな人と繋がれるアプリなんですか。
山根:
私が勝手に描いた絵を自分でぽいぽいって投げてたら一応コメントを誰かができるシステム。だから稀にコメントが来るって感じですね。
🐋くじら:
なるほど。お絵描きは好きなんですか。
山根:
いやもうなんか十数年ぐらい描いてなかったですね。昔々描いてたぐらいで。
🐋くじら:
でも最近また始められたっていうことで。
山根:
そうなんです、何か発散先が欲しくて。
🐋くじら:
絵を描くことで発散されてる感じはありますか。
山根:
そうですね、最初はされて発散できたんですけど、なんか絵を描く気分じゃないときの焦燥感の日もあって、違うものを何かしないとって、なんか家の中をうろうクマみたいに歩いてたり、本当にしょうもないことしてたりとか、そういうのもありますね。
最近だとなんか、あのパズルゲーム入れてやってみたり、とりあえず何か時間を潰せる、何かやらなきゃをごまかせるものをって感じてますね。
🐋くじら:
うんうん、わかりました。ご自身の性格について何と言われることが多いですか。
山根:
頑固で真面目で流通がきかない。でも、異常に繊細。
🐋くじら:
結構突っ込んだコメントのような感覚ですが、どれぐらいの距離感の方から言われたんですか。
山根:
基本やっぱ家族とか、多いですね、そう言われることが。
🐋くじら:
ご自身ではどう思いますか。
山根:
なんでしょうね。何か自分が見聞きしたことしか信じないみたいなところは、確かに融通利かなくて頭固いちょっと駄目なところなんだろうなとか、ちょっとやっぱり家族からのコメントなんで、わかるなって思いますね。
🐋くじら:
繊細さっていうのはどういうふうなんですかね。
山根:
何か人の顔色とか機嫌とか言葉の意味とかを全部気にしてしまって。
なんか「◯◯さんこれできるよね」って言われたら「あ、やれってことなのかな」とかそれともなんか「『だから◯◯さんに教えてあげてほしいんだけど』とか『手伝ってあげてほしいんだけど』って意味かな」とか。なんか勝手に何の意図で言ったのかをずっと裏で必死で考えてたりとか。
なんか「こういうのがあったよ」ってミス注意されたら、なんかもうその日一日中、下手したら翌日とかどんどん引きずるぐらい「やってしまった」って思ったりとか。
なんか気にしすぎって言われますね。
🐋くじら:
なるほど。昔からこういう性格だったんですか。
山根:
なんか年々大人になって悪化した気はしますね。就職してから、社会人になるとやっぱり言われたことの意味とか、察しなきゃみたいな。
🐋くじら:
得意なこととかは何ですか。
山根:
得意なことが本当に自分でわからないんですよね。器用貧乏ってよく言われます。なんか、それとなく表面はよく見えるようにできるんですけど、それを得意としてるもっとうまい人に比べたら下手だし、でも初心者にしてはマシだしみたいな、何となくできるけど、どれも突出はしてないよね、一応できるけどみたいなタイプだよねって言われます。
🐋くじら:
逆にどこでも結構通用するような感じもありますけど、そんなことないですか。
山根:
なんかあの、怒られることとかも多いんですけど、でもいや、どこに行ってもいつかは使えるって一応言われる人種ではあったんですけど、そしたら今度は何か私が持っている能力以上の期待を求められるようになるっていう不思議な連鎖がどこでも起きまして、器用貧乏なのに何か勝手に器用な人だと判断されて。
🐋くじら:
以前働かれていた仕事は、どういった内容だったんですか。
山根:
スーパーのお肉のところですね。それ以前の仕事もスーパーで、そこは惣菜でしたね。だから、基本スーパーとか食品の経験しかないですね。
🐋くじら:
お肉のところっていうのは何をされてるんですか。
山根:
もういろいろやってましたね。大きい機械のスライサーでお肉スライスするっていうもの以外は基本全部やってたみたいな、ひと通りやってたみたいな。鶏やったりミンチやったり、値段つけて品出ししたり、ホルモンだしたり、ローストビーフとかローストポークしたりとか、発注と品出ししたりとか、POP作ったりとか、してましたね。
🐋くじら:
お仕事自体はどうでしたか。好きでしたか、それともそうでもなかった?
山根:
好きではなかったですけど、何か言われたらとりあえず全部やっていくっていう方針でしたね。
🐋くじら:
何でも好きなことやっていいよって言われたら、何をやってると思いますか。
山根:
そう、それが私自身もずっと、もう私30超えてるんですけどいまだにわからなくて。ぽんって放り出されて好きにしていいよって言われたら何もないなと気づいて、なんかちょっとそんな自分が何だろうと思って多分、応募したんだと思うんですけど。端から見たらどんな人間なんだろうと思って。
🐋くじら:
うん。ちょっと自己理解を深めるためにっていう感じですかね。
山根:
そうですね、私は端から見たらどんな人生どんな人なんだろうと思って多分応募したのかな。なのでちょっと自分が好きなこととかやりたいことが本当に何もなくて、何かあるのかもしれないんですけど、自分で理解できてないっていう。
だからいっつもそれ言われると、ない、ないというか「わからないですね」と答えてますね。
🐋くじら:
なるほど、わかりました。ご自身を色に例えると何色とかありますか。
山根:
色ですか。あの、群青色。
🐋くじら:
群青色って空の色でしたっけ?
山根:
空より暗い、ネイビーみたいな。暗めの青って感じですね。
🐋くじら:
どこからそういうイメージが来たんですかね。
山根:
何か自分の身の回りを見ると、青いものとか、紺色のものが多いことと、陽が落ちてから真っ暗になるまでの中間の時間帯、まだ裸眼で見えるんだけど陽は落ちてっていうあの時間帯とか夜中とかが好きで、結構部屋の電気も一日中つけずにいることもあるので、何か暗めの色のイメージで。
🐋くじら:
そういう落ち着いた色合いが好きなんですかね。
山根:
そうですね。ちょっとあのビビッドとかパステルとかすごい苦手なタイプですね。何か選ぶ服は基本的にモノクロと紺色と、みたいな。
🐋くじら:
なんか、明かりをつけずに過ごされてるって夜とかもですか。
山根:
そうですね、夕方、陽が落ちて薄暗くなってきて、あ、真っ暗になってきたなって思って常夜灯の小さな灯りつけて、それで過ごすのを何か2週間ぐらいしたことあります。
🐋くじら:
常夜灯っていうのはすごいちっちゃな電球?
山根:
そうです、オレンジ色とかのちっちゃな。それだけで2週間とか生活しましたね。
🐋くじら:
え〜、見えますか、何か。やったことがないので。(笑)
山根:
何も見えないです。(笑)
何も見えないですね、正直。何となく目が慣れたら、周りに何があるかのぼんやり感はわかるんですけど。それくらいですね。
🐋くじら:
でも居心地がいいですか。
山根:
そうですね。それでなんかテレビもないので無音なので、すごく1人の空間って感じですね。
🐋くじら:
ふうん。確かに。
実家に住まわれてるっていうことですけど、ご家族の方とかは実家にいらっしゃるんですか。
山根:
いますね。両親と姉が今は住んでて、最近までその転勤になった兄がいたので、5人。つい最近までご飯だけ食べにもう1人の兄が来て、何か喋って帰っていくみたいな。今はずっといるのは4人ですかね。
🐋くじら:
お兄さんが2人いらっしゃるんですね。
山根:
そうですね。兄、兄、姉、私なので。
🐋くじら:
なるほど、一番下なんですね。
山根:
はい。
🐋くじら:
わかりました。過去のパートに移っていこうと思うので、そのときにご家族のこともお伺いできたらと思います。
山根:
はい。
過去:なんか、先生とか大人たちからの見られ方が聞こえちゃったから、あ、もう駄目だと思って。
🐋くじら:
それではですね、過去の質問に入っていくんですが、山根さんが子供のときはどんなお子さんでしたか。
山根:
なんか、人が来るたびに泣いて親の後ろに隠れてる子供でしたね。だから何か「こんにちは」って声かけられたら親の後ろに隠れて、ひどいと泣き始めてみたいな。
🐋くじら:
何歳ぐらいですか。
山根:
大体それが物心ついたときから小学校の低学年ぐらいまでですね。
🐋くじら:
この頃の記憶もご自身ではあるんですか。
山根:
なんか本当に他人に声かけられるたびに、親の後ろに隠れてた記憶はありますね。いつもその景色だけ覚えてますね、影に隠れてるっていう。
🐋くじら:
それ以降はどうでしたか。
山根:
それ以降は、恥ずかしながらもちょっとずつ喋れるようになって、でもやっぱり慣れない場所とか初めての場所になると、何かもじもじしたり、うなずく程度で終わる子でしたね。隠れたり泣くのがなくなった程度みたいな。
🐋くじら:
お友達関係はどうでしたか。
山根:
大体向こうが声をかけてくれて友達になることが多かったですね。あとは近所だから仲良くなったっていうのが小学校の頃はありましたね。
🐋くじら:
ああ、近所のお友達。
山根:
そうですね。
🐋くじら:
うんうん。どういう遊びをされてました?
山根:
田舎でほとんど遊べるところがなかったので、なんかずっと自転車で学区内をあてもなくずっとこぎ続けてワーワー騒いでたり、誰かの家で誰かの部屋とかに上げてもらって、ただずっと数時間喋ってるだけみたいな遊びが多かったですね。
🐋くじら:
じゃあもう何かゲームやるとか、そういう感じでもなく?
山根:
そうですね、あんまりゲーム持ってる子とかする子とかも少なくて「持ってる子すごい」みたいな。すごい子達はあんまり私達の遊ぶメンバーじゃなかったので「あの子持ってるらしいよ」みたいな。
🐋くじら:
そんなに珍しいことだったんですね。
山根:
そうでしたね。
🐋くじら:
仲良くなれば普通にお話ができるような感じですか。
山根:
そうですね、ちゃんと友達って言えるような感じになるとよく喋る、自分で思い出しても二重人格みたいな、懐くまでと懐いた後の喋り具合が違うみたいな。
🐋くじら:
自分でも全然違うなっていう認識はあったんですかね。
山根:
ありますね。なんか仲良くなってよく喋れるようになった頃に、初めて会った頃とか1、2回目会った頃を思い出すと、あまりの自分の人見知りっぷりとぎこちなさに自分で恥ずかしくなってくる子でしたね。(笑)
あのときの私のあれ恥ずかしいなみたいな。
🐋くじら:
今もお友達とかはどうですか。
山根:
友達と呼べる人が本当に誰もいなくて、家族とその他っていうぐらいのくくり。
🐋くじら:
なるほど。今はあんまりないなという感じなんですね。
山根:
そうですね、日常会話する相手とかはいないですね。
🐋くじら:
うん。それには何か理由というか、なんでいないのかってありますか。
山根:
小学校の4年生ぐらいからいじめが始まって、それでそういうのが続いて小学校5年6年って上がってったときに、小学校6年で中学校に上がってもこのいじめてる子たちと、ずっと仲良く関わり続けるわけじゃないのに、どうしていじめてくる子たちと関わったり、機嫌をうかがってるんだろうって思って関係そこで全部切っちゃいまして。
そしたらなんかそこから誰とも付き合わなくなっちゃいまして、なんかずっと小学校以降友人いないままみたいな。
🐋くじら:
ふうん。それをご自身でもう決めて、友達は作らないってなったんですか。
山根:
中学は結局数日で行かなくなってしまって。ヤンキーみたいな子に絡まれてしまって、3年生の先輩に呼び出されて、上の階から「おい山根」って言われて呼び出されたりして悪目立ちしてしまって「私もうこれ中学駄目だ」と思って、「これで友達作って、楽しく中学校生活はないな」って思ってそのまま登校拒否して中学行かないまま卒業しましたね。
🐋くじら:
もう本当に数日で?
山根:
そうですね、本当にそんな感じでした。
🐋くじら:
ちょっと話が戻るんですけど、小学生の頃からのいじめっていうのはどういった内容のいじめなんですか。
山根:
よくあるやっぱり無視だったり、その声かけたと思ったらやっぱり何か「お前に用ないから」みたいな「くんなよ」みたいなとかそういうのが結構あって、そのいじめられちゃった子はぽつんとひとりぼっちになるみたいな。
ほとんどそういうのでしたかね。トイレで水かけられるみたいな、親にばれちゃうような露骨なのはなかったですね。
🐋くじら:
あー。はい。
山根:
純粋に口で何か嫌味言われたり、家族きょうだいとか、育ちとか見た目とか、ブス、デブ、バカ、みたいな。
🐋くじら:
そうですね。ちょっと削られていくような感じですね。中学校に行かなくなった後は何をされてたんですか。
山根:
家にいてテレビばっかり見てた記憶がありますね。なんかテレビのニュース番組とか討論番組で変な知識つけてた記憶があります。
🐋くじら:
変な知識?
山根:
大人たちが会話してるテレビを見るので、まだ中学に上がったばっかりなのに知識というか、言い返す能力とか、こういうときにどっちが悪いのか、みたいな知恵だけは一丁前についた生意気なガキが出来上がったって感じになってましたね。
🐋くじら:
それを実生活で使ったこともあったんですか。
山根:
1回友達に誘われて、不登校をしてるときに中学に一度だけ行ったんですよ、途中で。そのときに最初に絡んできたヤンキーの子と全然クラス違ったのに、たまたまその子も登校してきてたらしくて。
その子とちょうど同じ、出し物のためか何かでその作業をするために違うクラスに行ってたのに、その子も滅多に登校してこないのに登校してそのクラスに来て。
🐋くじら:
すごい確率ですね。
山根:
そうなんですよ。それでその子が、持ち込み禁止だった携帯電話で音楽を流しながらなんか歌い始めて。そしたら私をその直後に見つけて、まあ、だろうなと思いつつも絡まれて「お前学校来てないらしいな」って絡まれたんですよ。
🐋くじら:
うんうんうん。
山根:
なんですけどそのテレビとか見てて、一丁前に反発とか、どっちが悪いのかとかの知識を仕入れてた私は、たまたまその子が来るまでに他の子たちが「その子もあんまり登校してきてないのに、どうして今日よりによって登校してきてるの」ってザワザワしてたんですよ。
それが聞こえてたから、「あなたも登校してきてないのにどうして私のことを『学校来てないらしいじゃない』って悪く言われなきゃいけないの」って言い返してしまって。
そしたらなんか、またちょっとあの癇に障ったらしくて怒られて、つかみかかろうとしてきて、それをこっちがやり返そうとしたときに先生が来て止められてって感じでしたね。
🐋くじら:
その後はどうなったんですか。
山根:
もう先生に無理やり向こう「何々さんはこっち、何々さんは私と来て」みたいなこと言われて2人強制的に離されて「よりによって学校側でも問題視してる2人が、こんなタイミングで会うの」って、私の目の前で言われたんですよ。「本人に言っちゃうんだ」と思って。
「2人を近寄らせないようにって気をつけてたのにどうして」って言われて、私そこで「学校にそんな扱いされてたんだ私」と思って。
余計に中学で、友達もできないし、多分すごく浮いた3年間過ごす羽目になるなと思って、先生もこう言ってるしもう駄目だと思ってやめちゃったんですけど。
🐋くじら:
じゃあ、もうそれで完全にもう駄目だっていう。
山根:
なんか、先生とか大人たちからの見られ方が聞こえちゃったから、あ、もう駄目だと思って。
🐋くじら:
それ以降はもう、行ってないってことですか。
山根:
そうですね。そのまま行かずに「卒業証書だけ受け取ってほしい」って言われて学校の校長室だったかに呼ばれて、証書だけもらいましたね。
🐋くじら:
なるほど。ごめんなさい、ちょっとお聞きしたいんですけど、学校に登校してない間はお家でテレビを見ていたっていう過ごし方ですか。
山根:
すごくなんかあの親的にも近所の面的にも、学校に行ってないっていう休んでる状態なのに、本人元気なんだけど、外に出ているとなんか、なんですかね。外聞が悪いみたいな。なので、なるべく出ないようにみたいな。
TVしか見ることがなかったので、ずっとテレビ見てましたね。
🐋くじら:
通信制とか、保健室登校とかそういったこともなかったですか?
山根:
それも中学一切なかったですね。なんかもう、放置されてる感じ。
🐋くじら:
中学卒業以降はどういう進路でしたか。
山根:
卒業してそのまま食品工場に就職しましたね。
🐋くじら:
もうそのまま就職されたんですね。
山根:
そうですね。先生とかにはすごく止められたんですけど、結局勉強とかしないまま休んでたし、数日しか登校しなかった子が高校行けるわけないでしょと思って就職にしましたね。
🐋くじら:
ご自身の決断で?
山根:
そうですね。あとなんか、私の姉が少し前に高校行って結局やめたんですけど、そのときにすごく家族に怒られてたんですよ。「お金使ったのに辞めるなんて」って。それをすぐそばで見聞きしてて「私は行きたいって言ってない」って泣きながら怒ってる姉を見て、もう恐怖で恐怖で「私は絶対に高校行かない」って、先生がいくら「高校ぐらいは出るべきだ」って「入学しなさい」って言っても「私は絶対に高校は行かない」って言って就職選びましたね。
🐋くじら:
ご家族との関係はどんな感じなんですか。
山根:
両親共働きで幼い頃はおばあちゃんがずっと面倒見ててくれてたので、結構おばあちゃん子だったんですけど、なんか父は帰ってきたら仕事のストレスでお酒飲んだりとか怒って怒鳴ったり物を壊したりとか、周りに当たるタイプだったので、みんな帰ってくるたびビクビクしてましたね。
🐋くじら:
ふうん。
山根:
母もフルタイムでパートしてて、帰ってきたら、もう疲れた〜って言って祖母が作ったご飯食べて風呂入ってテレビダラダラっと見て寝る、みたいな感じの生活をずっとしてましたね。ほとんどおばあちゃんで成り立ってたみたいな。
🐋くじら:
ふうん。あんまり何かご両親との会話とか関わりとかはない方でしたか。
山根:
休みの日とかはよく母とか兄弟とかと喋ってたり、買い物に行ってたりとかはあったんですけど、なんか、やっぱり当時子供なので、できることが学校であったこととかしかあんまりなくて、そうすると親たちが話す会話は仕事の愚痴なので、仕事の愚痴を聞いてる子供たちって感じでしたね。
🐋くじら:
ご両親の仕事の愚痴を聞いてたんですか。
山根:
そうですね。なんか今日、誰々さんがこうだったから急に残業が決定して、みたいな。
🐋くじら:
へえ。
山根:
え、珍しいですかね。
🐋くじら:
なんかちょっとあんまり見たことがないような。(笑)
いやちょっとごめんなさい、私の感覚なので人によるのかもしれないんですけど。きょうだいは4人ですか。
山根:
そうです。
🐋くじら:
ごきょうだいとの関係はどうでしたか。
山根:
きょうだいの関係は、喧嘩はするけど仲はいいって感じですね。
🐋くじら:
一緒に過ごす事は多かったんですか。
山根:
そうですね。何か誰か友達と遊んだりとか、出かけたりとかしてなければ基本はきょうだいで遊んでることが多かったですね。
🐋くじら:
今の家族関係はどうですか。
山根:
今はどうなんですかね。父が年金生活になったので、家にずっといて、ずっと何かに怒鳴って怒ってるので、みんななんか疲れてなんか「はぁーっ」てため息つきながら家にいるみたいな感じですね。
🐋くじら:
何に怒ってらっしゃるんですか。
山根:
もう何にでもですね。
風で開いたドアとか、自分が閉め忘れた鍵とか、落ちた鍋とか、フライパンの蓋とか、本当にもう何でもですね。
とりあえずキレる怒鳴る、みたいな。
🐋くじら:
お母様は家にいらっしゃるんですか?
山根:
今はフルタイムで働いてますね。なんで休みの日以外はいないですね。
🐋くじら:
なんかそんなに怒ってる人が家にいると、ちょっと疲れちゃいそうではありますね。
山根:
そうですね。本当にずっとピリピリしててなんか、しんどいですね。
🐋くじら:
うーん。わかりました。
すみません、ちょっと時間が来てしまったので、未来の質問に入っていこうと思います。
山根:
はい。
未来:別にそれは絵じゃなくても、今は本当に何でもいいんですけど、それで過ごせたらきっと幸せなのかな〜とは思いますね。
🐋くじら:
ではですね、5年後10年後、あるいは死ぬときまでを想像して未来についてどういったイメージをお持ちですか。
山根:
なんか死ぬことを最近考えていたので、なんか未来がっていうより死が未来だと思ってますね。
🐋くじら:
と言いますと?
山根:
電気をつけずに2週間ぐらいずっと過ごしてたときとかに鬱がひどくなりすぎて「よし死のう」と、準備してたんですよ全部。だから今でも多分あと3日ぐらいあれば、最後にやるべきこととかメモとか残して行動に移せるぐらいなんで、なんでなんか、やりたいこと、将来性、何年後、っていうより何か目の前に、死があるって感じですね。
🐋くじら:
死にたいっていう感覚があるっていうことですか。
山根:
そうですね。でもそれを今ちょっとずつ良くしていこうと思って、病院新しいところ行こうとしたりとか、ちょっと抗ってますね。
🐋くじら:
なるほど。じゃあ、もう死ぬこと以外の未来はあんまり具体的に出てきませんか?どうですかね。
山根:
そうですね。今は例えば、昨日とか一昨日、1週間前までだったら、このインタビューのが何日に入ってるなっていうのが未来で、新しく予約取った病院に行く日が何日だから、そこまでは生きることが確定してて予定があるんだ、本当に数日後、1週間後の未来で生きてるみたいな。
🐋くじら:
なるほど。死について考えている状態は割と最近の話ですか。
山根:
そうですね。5月ぐらい、ちょうど4月末、5月ぐらいに。
🐋くじら:
はいはい。その頃に死ぬことについて考えることが多くなった?
山根:
そうですね。なんか昔から考えてたことは何度もありましたけどなんか「そうだ、なんで実行に移さなかったんだろう」みたいなふざけた思考になったのが、その4月、5月ぐらいでしたね。
🐋くじら:
死ぬことに対して恐怖というか、何か感情はありませんか?
山根:
特にないですね。もしも今、死ぬことをどうにか引き延ばそうと行動しているのが、せっかく死ぬために準備した、その全部過去のもの捨てようと思って、その20年ぐらい前に書いてた絵とかをシュレッダー買って捨てたんですよ。「せっかくシュレッダー、業務用の高いの買ったのに」とか、見た目が太ってるので、首吊りしたらロープが切れるんじゃないかと思って耐荷重1000kgっていうすごい頑丈なロープ買ったのにとか、なんか「せっかく準備したのに」って思ってますね。死については。
🐋くじら:
何かとても現実的に、準備されたんですね。
山根:
そうなんです。
🐋くじら:
何か小さい頃のご自身の思い描いていた未来はどんなだったか覚えてらっしゃいますか。
山根:
物心ついた頃はよくある、そのケーキ屋さんになりたいアイスクリーム屋さんになりたいみたいな子ども特有の、本気でなりたいんじゃないんだと思うんですけど、よくありがちなのはあったんですけど、それが小学校入った頃ぐらいからは全部ずっとなくなって、何か家族に絵を描いてたら「そんなので食ってける人間なんていないのに仕事になんてなれるのか、どうするんだ」みたいなこと言われて、趣味で描いてただけの絵を叩かれて、他にも何かしてたら「そんなのでやれるやつなんて一握りだぞ、何十万とか何億に1人しかいないんだぞ」みたいなこと言われ続けて夢が持てなくなった感じですね。
🐋くじら:
うん。じゃあご両親が結構強かったというか。
山根:
そうですね。否定が強かった記憶がありますね。今思うとなんでこんなに否定されたんだろうって思います。
🐋くじら:
そうですね。小さい頃に言われると、ちょっとへこんでしまうような。
山根:
そうなんです。それ言われたせいで、何か興味持つと「いやでもこれ将来何もならないしな」みたいな、すごい変な見方をするようになって。
そしたら余計夢ってものが「ならないものを夢に見ない方がいい」みたいなふうに思って、いつも未来は夢はって聞かれると、黙ってしまうというか、どう答えたらいいかわからないみたいな。
🐋くじら:
なるほど。ちょっと気になったんですけど、何かの就労移行とかそういった福祉の施設には通われてないですか。
山根:
今はなんかあの市役所から紹介された保健師さんがいるセンターみたいなところで、お話はしてますね。あとはその鬱なので、一応心療内科に行ってるぐらいで他はないですね。カウンセリングみたいなのはしてないですね。
🐋くじら:
その保健師さんがいるセンターで話されてるっていうのは、何を話されてるんですか。
山根:
今までの現状とか、なんですかね、私が取れる手段とか方法とか、こういう行動とかこういうルートがありますよ、みたいな補助をしてくれる発言とか、そういうのですね。
「もし何かお手伝いがいるなら一旦私の方から電話繋ぎますよ」みたいなのとか。
🐋くじら:
うんうん。現実的に今何ができるかみたいな。
山根:
そうですね。そんな感じです。
🐋くじら:
わかりました。では次に、もしもの未来質問に入らせていただくんですが、山根さんがもし、なんか例えば絵を描くこととかでもいいんですけど、何かすごいこれがやりたいっていうものを強く持ってる方だったら、どういう人生になっていたと思いますか。
山根:
すごく難しい。え、皆さんってこれどう答えられてます?
🐋くじら:
これはもう人によって質問がまちまち違うので、何かそのときに出てくる答えって感じですよね。(笑)
山根:
でもなんか自分の中の多分、否定され続けて。
もの作りをしてみたいっていうのがあって、何でもいいんですけど自分がやって、向いてることがあれば、その向いてる作業でお仕事してもの作りして、生きてたらいいなって思う人生はありますね。
🐋くじら:
ええ。ええ。ものづくりをしてみたい。
山根:
そうですね。
🐋くじら:
そういう創作活動をしているときは楽しいというか、好きだなっていう気持ちがあるんですかね。
山根:
幼い頃から絵を書いて多分何かの衝動の発散で、喋るのが得意じゃない代わりに多分何か感情を発露してたんじゃないかなと今、勝手に自分で思ってるんですけど、だけどそれの作業が好きだったってことは何かを作り出すこととかが好きだったのかなと思って。
なんか喋るの苦手だから喋るのは代わりに自分の思うこと、感じたこと、受け取ったことを何か作って表現するみたいな。別にそれは絵じゃなくても、今は本当に何でもいいんですけど、それで過ごせたらきっと幸せなのかな〜とは思いますね。
🐋くじら:
ええ。すごいなんかでもやっぱり小さい頃の中にあるんですね、やっぱりそういうやりたいなっていう気持ちが。
山根:
ですね。今考えてみるとだから描いてたのかな、みたいな感じしますね。
🐋くじら:
わかりました、ありがとうございます。
山根:
はい。
🐋くじら:
最後の質問になるんですが、最後に言い残したこととして、何かこのインタビューを受けた感想とかでもいいですし、何かご自身に対してとか、読者さんに対してとか、何かご自身から出てくる言葉があったらお聞きしたいです。
山根:
もう純粋にこのインタビューで、記事になれる会話はあっただろうかって思ってますね。
🐋くじら:
全然なりますよ。
山根:
実のない話をしてしまったって思ってますね。
🐋くじら:
実のない話ですか。
山根:
なんか、なんですかね、まとめにくい、何か伝えることができなさそうなことを喋ってしまったと思ってますね。
🐋くじら:
そうですか。
山根:
そうですね。そんな感じしますね。だから大丈夫だったんだろうかって。純粋に。
🐋くじら:
いや全然その心配は大丈夫です。何か実のある話を聞きたいというより、その人の人生を聞きたいっていうコンセプトなので。
山根:
何かそれがそういう人生だったんだろうかってちょっと今不安になってますね。話してみて、あれ、私の人生なんか特に何もないのではってちょっと話して思いました。
🐋くじら:
本当ですか。
山根:
はい。
🐋くじら:
でもなんかすいません、ちょっと個人的な感想になるんですけど、私がインタビューしてきた中で、結構私にとっては印象的なお話でした。
山根:
そうですか。
🐋くじら:
はい、なんかもうちょっと時間あったらいろいろお聞きしたかったなっていう。
山根:
聞かれたら何でも答えるタイプなんで、本当に、はい。
🐋くじら:
本当ですか。1年に1回お1人だけなんですけど、また次の年に受けていただくこともできますので、全然そのときに何か現状報告して記録に残すみたいな感覚で。
山根:
確かに1年経ったらだいぶ変わってそうですね。
🐋くじら:
はい。全然そういった形でまた受けていただけたら嬉しいので。
山根:
はい。
🐋くじら:
はい、ええ、ぜひまた。
山根:
はい。
🐋くじら:
はい。どうですか、言い残したこととして何か他にありますか。
山根:
どうですかね。なんか、本当に大丈夫な記事になりそうかな、ぐらいしか今のところないですね。
🐋くじら:
では、ここでインタビューは終わりにしたいと思います。今回は本当にありがとうございました。
山根:
ありがとうございました。
あとがき
もう少し長く、というか長期間かけてお話を伺いたかったな、と思うようなインタビューでした。その人の内面世界がメインになるインタビューはそんなふうに思うことが多いですが、今回は特にそうでした。
小さな電球だけ灯した自分の部屋で、ぼんやりした薄暗い世界の中で生活するのが好きとおっしゃっていました。精神療法にも日常の何気ない動作を通して自分の感覚を研ぎ澄ます、そこから少しずつ生きているという実感を取り戻していく、というやり方があります。それを無意識に実践されているのかなと思いました。
吉本ばななさんの父、吉本隆明氏は蛹が蝶になるように、大きな変化を必要とするとき、人は引きこもることが必要とおっしゃっていました。また1年かいつか、改めてお話をお伺いできたら嬉しいです。
心が目に見えたらどんなに良いだろうと最近ガチで思っているMeadowです。蕁麻疹が出たら皮膚科に行くのに、心の怪我は見えないし気付きにくいし、仮に精神科や心療内科に行ったとしても、治ってんのか治ってないのかわからない。でも心を捨てることはできないから、一生付き合っていく目に見えない臓器なわけですよね。今回のインタビューは編集していてものすごく感情が動きました。
そんなこんなで思い出した吉本ばななさんの『ムーンライト・シャドウ』より引用です。「大丈夫、大丈夫、いつかはここを抜ける日がやってくる」。かつてボロボロのボロボロのボロ雑巾だった私を生かしてくれた恩師の言葉です。
【インタビュー・編集・あとがき:くじら】
【編集:meadow】
#無名人インタビュー #インタビュー #死 #鬱 #就労移行支援
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