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その道を正解にするかどうかは自分自身だと思ってる人

むかしむかし、ある村に、道造(みちつくり)という若者がいました。道造はいつも「その道を正解にするかどうかは自分自身だ」と言っていました。
村の入り口には、三つの道がありました。一つは誰もが通る広い道、一つは危険だと言われる山道、もう一つは未だ誰も踏み入れたことのない道でした。
多くの村人たちは、「広い道こそが正解」と信じていました。しかし道造は違いました。「どの道も、歩む人の心次第で正解にも不正解にもなる」と考えていたのです。
ある日、道造は山道を選びました。村人たちは心配して止めましたが、道造は答えました。
「この道が危険だと決めているのは人の噂。私がどう歩むかで、この道は変わりうるのです」
道造は山道に入る前に、しっかりと準備をしました。道具を用意し、天候を確認し、自分の体調を整えました。
山道は確かに険しかったのですが、道造は一歩一歩、慎重に進みました。途中で出会った危険な場所には印をつけ、急な斜面には手すりを作り、休憩所も設けました。
やがて、道造の efforts によって、かつての危険な山道は、景色の良い安全な道へと変わっていきました。
次に道造は、誰も踏み入れたことのない道に挑戦しました。
「未知の道だからこそ、私の行動一つ一つが重要なのです」と道造は言いました。
新しい道を切り開きながら、道造は様々な発見をしました。珍しい薬草を見つけ、清らかな泉を見つけ、新しい景色を見つけました。
道造は自分の発見を村人たちに伝え、同時にこう教えました。
「どの道を選んでも、それを正解にできるかどうかは、歩む私たち次第なのです」
村人たちは次第に、道造の言葉の意味を理解し始めました。広い道を行く人も、自分なりの工夫を加えるようになり、新しい価値を見出していきました。
後に道造はこう語りました。「人生の道に、始めから正解も不正解もありません。私たちの心構えと行動が、その道を正解へと変えていくのです」
そして「道は歩む人の心次第」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2024年10月29日15時44分に書く無名人インタビュー936回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは M さんです!

年齢:20代後半
性別:男
職業:2回目の大学生


現在:「少年みたいな人だね。」って言われたことがあります。

ナカザワアヤミ:
Mさんは今何している方ですか?

M:
肩書きで言うと、通信制の大学に通ってる大学生です。ただ、実は2回目の大学生をやってて。1回目は普通に4年制の大学に通ったんですけど、そこを卒業して別にやりたいことが見つかって。その勉強をするために2回目の大学に通ってるって感じです。

ナカザワアヤミ:
普段はどんな毎日を過ごしてるんですか?

M:
今通ってる通信制の大学が、教員免許をとるための大学なんです。10月の1ヶ月間は教育実習に通っていて、今もその真っ最中なので地元の小学校に朝から行ってます。

ナカザワアヤミ:
今は教育実習生なんですね。
日々どんなことが楽しいですか?

M:
どんなことが楽しい…楽しいか。今で言うと、毎日子どもたちと走り回ったり、実際に授業を何回かさせてもらったりしてて。今まで実際に学校現場に入ることはあまりなかったので大変ではありますけど、そこが楽しい部分かなと思っています。

ナカザワアヤミ:
趣味でも何でも大丈夫なんですけど、それ以外に普段されてることってあるんですか?

M:
趣味で言うと、1人でいろんなところに行くのが好きです。国内もなんですけど、よく1人でリュック一つ持って海外行ったりとか。今教育実習中って言ったんですけど、10月でそれが終わって11月は時間ができるので、そこでまた海外行こうかなと計画中です。

ナカザワアヤミ:
なるほど。通信制の学生っていうことは、普段は基本どこにいても大丈夫なんですか?ちょっと変な聞き方ですけど。

M:
そうですね。うちの大学は基本的にネット環境があれば授業を受けられるので、ネット使って授業を受けたり、あとパソコンでテストを受けたりして単位を取っていくっていうシステムになっていて。基本的にネット環境があればどこでも勉強はできますね。

ナカザワアヤミ:
そもそも何で今、教員免許取得のために勉強されてるんですか?

M:
今通ってる大学の前に、工業系の大学に通ってたんですよ。4年間。そこも元々入りたくて、浪人をさせてもらってまで入った大学だったんですけど、実際に入って勉強していく中で、自分が憧れを持ってたものと実際とのギャップみたいなところを感じるようになって。
もしかしたら、この道でそのまま仕事に就くのはどうなんだろう、自分に合ってるのかな、みたいなことを考えるようになりまして。ちょうどコロナ禍も重なって、授業も家の中でずっとリモートで受けたりとか。相談しようにも友達と会うことすらできなくて。ずっと1人で家の中で悶々と悩んでるみたいな時期があって。結構そのときしんどかったんですけど、その中でもしかしたらこの道じゃないのかもなっていうふうに思ってました。それが3年前とかですね。

ナカザワアヤミ:
一つ目の大学は卒業してから、今の大学に入ったんですか?

M:
そうですね、卒業しました。何とか、やっとの思いで。
今の大学に入学したのは前の大学を卒業してすぐではなくて。この道はないなと思ってはいたんですけど、じゃあ代わりに何をやるかっていうのは候補がなくて。卒業したはいいけど次の道がないっていう状況になってました。そこで、結論から言うと1年ぐらいかけて自転車で日本を一周してたんです。

ナカザワアヤミ:
へえ。

M:
大学を3月に卒業してすぐ4月に出発して、10ヶ月ぐらいかけて日本中を自転車で。地元の岡山を出発して北海道から沖縄までっていうのを2022年にやって。そこから帰ってきて次の年の春に今の大学に入ったっていう感じですね。

ナカザワアヤミ:
道を変えて今教育の勉強されてると思うんですけど、実際やっていてどうですか、気持ちとしては。

M:
もともと子どもたちと関わるのはすごく好きで。道を変えるときも候補の一つとして子どもに関わる仕事もいいなっていうのはあったので。道を決めて教育でいこうって思って、今も子どもたちと実際に関われたりしてるのでそこはすごく楽しさはありますけど、実際に教員としてまだ働いてはいないので、なんだろうな。本当にこの道が正解なのかっていう確証はなくて、今は不安と楽しみとが入り混じっているような感情ですかね。そう、だからただ楽しいだけじゃないのが現状ですね。

ナカザワアヤミ:
この道で合ってるかどうかわからないっていうような事だったんですけど、どういう状態だったら、「この道だ」って思えそうですか?

M:
うーん、難しいですよね。誰しもが今やってることが正しいと思ってるとは限らないと思うんですけど、僕の場合は1回道を変えてるので。言葉にしようとしたら難しいけど、何が正解なんだろうな。
結果的に10年後20年後とかに、あのとき選択したことが間違ってなかったなっていう思いになったら、そこでようやく正解になるのかなって感じですね。すぐにはやっぱり、どうしても難しいですね。

ナカザワアヤミ:
なるほど。ちょっと話が変わるんですけど、ご自身の性格について人からどう言われますか?

M:
「少年みたいな人だね。」って言われたことがあります。子どもがそのまま大人になったみたいな。

ナカザワアヤミ:
今おいくつでしたっけ?

M:
昨日で26になりました。

ナカザワアヤミ:
おめでとうございます、少年みたいっていうのは、言われてみて自分ではどうですか?

M:
無邪気とか子ども心を忘れてないっていう意味ではポジティブに捉えたりもします。だから子どもたちともうまくやっていけるのかもしれません。でも、どうなんだろう。よく言われるんですよ、「昔から全然変わらないね。」って。それって成長してないねって言われてるような気もして。別にそこまで悪い気はしないですけど。

ナカザワアヤミ:
言われることについては、違和感はないですか?

M:
違和感はないですね。僕も自覚してる部分はあるので。言いたくなるその気持ちもわかるなっていう部分はありますね、やっぱり。

ナカザワアヤミ:
なるほど。今は教育実習期間中でちょっとイレギュラーの状態かもしれないんですけれども、普段の生活の中心となってるってどういうものですか?

M:
中心か…中心はないかもしれないですね。基本的に生活スタイルがコロコロ変わるので。
去年の春、今の大学に入って半年間はずっと実家にいたんですよ。でも、実家で授業を受けてもずっと1人だし退屈だなって思ってて。授業もネット環境があれば受けられたので、去年のちょうど今頃からは島根の海士町っていう島で働きながら授業を受けてました、先月まで。
これが中心っていうのは特にないですね。今の実習が終わったらまた海外にも行きたいなと思ってるし。結構いろんなとこ動き回ってるので、これが中心っていうのは特にないです。

過去:まだまだ自分の知らないことが山ほどあるっていうのに、気づかされて

ナカザワアヤミ:
Mさんは子どものときはどんな子でしたか?

M:
子どものときかあ。リーダー的なものになることが多かったですね。クラスで言うと学級委員をやったりとか。小学生のときソフトボールをやってたんですよ。そこでもキャプテンをやったり、中学校も3年間学級委員と野球部のキャプテンをやってました。

ナカザワアヤミ:
それは自然とそうなっていったんですか?

M:
いや、正直自分はあんまりリーダーシップを発揮するようなタイプではなかったです。ソフトボールのキャプテンやったのも多分一番声が大きかったからだと思います。先頭に立ってみんなをグイグイ引っ張っていく、いわゆる"リーダー"って感じじゃなくて。なんていうんだろうな、周りにも助けてもらったりしながら一緒にやってこうぜ、みたいなスタンスでやってました。だから、頼り甲斐があるかって言われたらそうでもなかったと思います。

ナカザワアヤミ:
なるほど。ちなみに生まれ育ったところはどんな場所でしたか、風景というか。

M:
育ったところ自体は町の中心っていう感じなんですけど、昔はまだまだ田んぼとか川とか結構あって外でよく遊んだりとかもしてましたけどね。魚取ったり、虫取ったりとか。
今はもう全部埋め立てられて駐車場とかマンションとかになっちゃったんでちょっと寂しいなと思いますけど。僕が小さい頃はまだそういうことやってました。

ナカザワアヤミ:
結構外に出て遊んだりされてたんですか?

M:
そういう記憶はよくあります。でも、家の中で友達とゲームやったりとかっていうのもよくやってましたよ、Wiiとか64とか。

ナカザワアヤミ:
小中学生時代で印象に残ってることってありますか?

M:
そうですね。中学校のときは、クラスっていうよりかは部活でキャプテンやってて、結構クセが強い奴が多かったので、いい意味で。それをどうまとめるかっていうことにすごい苦労した記憶があります。人数も多くて、すごく能力の高い子が多かったので。結構それぞれがいろんなタイプだったので大変だった思い出はありますね。毎日どうしようかなって悩んでました。

ナカザワアヤミ:
実際どうしたんですか?

M:
1人じゃちょっとどうしようもできんっていうときは、何人か巻き込んで。協力してくれる子は何人かいたので、そういう子たちに助けを求めてました。やっぱり1人だと難しい部分もありましたね。ただ「ちゃんとやろうや。」って言ってもそれは無理だし。そう言ったからには自分もできてないといけないしっていうので、まず自分ができるようにしてから人に言うみたいなところは意識したりはしてました。

ナカザワアヤミ:
やってみて、どうなりました?

M:
うーん。こっちも言うことを聞いてほしいっていうわけではなく、ただみんなで同じ方向を向いてやっていけたらいいなっていう思いだったので。でも、最終的にはみんなでチーム一つになって、地区大会で優勝したりとかもして。元々能力が高いやつが多かったので、最終的にはみんな一つの目標に向かって取り組めるようになったかなと思います。

ナカザワアヤミ:
なるほど。

M:
高校卒業したぐらいかな。中学校の野球部のチームで集まって同窓会したときに、キャプテンがお前でよかったっていうふうなことを言われたときは、やってよかったなってそこで初めて思えたかもしれないです。

ナカザワアヤミ:
高校時代はどうでしたか?

M:
高校も野球部だったんですけど、部活が忙しかったのと文武両道を掲げている学校で、進学率もなかなかいいとこだったので、部活をやりながら勉強もちゃんとしないといけなくてとにかく忙しかったです。人生で一番忙しかったんじゃないかな。でも、学校自体はめちゃくちゃ楽しくて。自由な校風の学校だったので、スマホの持ち込みもOKでしたし。文化祭もなかなかの盛り上がりで、楽しい思い出もたくさんあります。

ナカザワアヤミ:
リーダー的なものをやってっていうのは高校でも続いてたんですか?

M:
高校ではちょっと小中とは変わったかもしれないですね。小中でそういう代表みたいなことをよくやってたので、「ちゃんとしないといけない」みたいなことは思っていて。それがちょっとしんどくもあったので、高校ではどっちかというと楽しくはっちゃけるじゃないですけど、ちょっと違う立ち位置だったかなとは思います。クラスでも部活でも。

ナカザワアヤミ:
それは自分で変えたかったというか、変えたものなんですか?

M:
変えたかったわけじゃないけど結果的にそうなったっていう感じですかね。特に意識してやったわけではないです。

ナカザワアヤミ:
何かその辺りのちょっとご自身の感覚が変わったことによって、何か変わった部分ってありましたか?

M:
なんでしょうね。リーダー的なことも経験してたので、高校でそういう立ち位置で頑張ってる人たちを見て、その大変さわかるなとか、そうだよなっていうことは思ってたりはしました。でも、自分が変わったとかっていう感覚はないですね。

ナカザワアヤミ:
なるほど。ありがとうございます。
大学を選択して今に至ると思うんですけど、最初の大学進学に至った経緯とかきっかけっていうのはありますか?

M:
最初の大学は工学系の大学だったんですけど、元々、宇宙工学に興味があって。めちゃくちゃ大きい夢で言うと、宇宙飛行士に憧れてたんです。それで航空系の勉強ができる大学を探して。ただ、航空系の学部ってめちゃくちゃレベルが高くて。だから僕の学力でも入れそうで、なおかつ宇宙工学を勉強できる大学を選んで受験したんですけど、ちょっと現役時代は思ったような結果が出ず、浪人生活に突入しまして。プラス1年勉強して2年目でようやく合格したっていう感じですかね。

ナカザワアヤミ:
このときは宇宙工学が勉強できる大学に入ったんですよね。

M:
そうですね。第一志望はもうちょっと上を目指してたんですけど、結果的には第二志望になりました。でもそういった勉強ができるところには合格しました。

ナカザワアヤミ:
最初の大学生活はどうでしたか?

M:
勉強に関してはついていくのでやっとでしたね。やっぱりやってることのレベルがすごく高いので。何とか必死に食らいついていたみたいな形ですね。楽しいっていう感じは全くなく、そこがのちの違和感にも繋がるんですけど。やりたかったはずの勉強なのに全く楽しくない、みたいなところでちょっとあれ?って思ってたりはしましたね。
それ以外は普通通りの大学生でした。サークルとかバイトもやってたので、みんなで飲みに行ったりとか。それ以外のところは普通の大学生活を楽しんでましたね。旅行に行ったりとか。

ナカザワアヤミ:
旅行はいつから好きだったんですか?

M:
旅行が好きっていうより、自分の知らないものを見たり感じたりするのが好きで。だからよく海外とかにも行くんですけど。
いつからなんやろ。思い返したら、小学生の頃から休み時間とかに校舎の一番高いトイレとかからよく外を見て、学校の外ってどうなってるんやろなってみたいなことを考えてた記憶はありますね。
やっぱり子どもの頃って学校の中しか知らないじゃないですか。平日の昼間とか特に。その時間に大人たちがいる外の世界はどうなってるんだろうっていうのをなんかぼけーっと考えていた記憶があって、もしかしたらその頃からそういうのに興味があったのかもしれないですね。

ナカザワアヤミ:
うんうん。

M:
一人旅に行くようになったのは日本一周してからですね。まだまだ自分の知らないことが山ほどあるっていうのに、気づかされたので

ナカザワアヤミ:
宇宙工学系の大学を卒業して、その後すぐに自転車で日本一周に出かけたっていう話になったんですけど、どうしてやろうと思ったんですか?

M:
この話をしたらいろんな人によく理由を聞かれますね。なんでだろうな。高校生ぐらいのときから、いつかやりたいなっていうのは漠然と思ってて。ただ、正直そんなまとまった時間もお金もないし、現実的に無理だろうなって諦めてました。でも、実際に大学卒業してやりたいことも特にないし、もうやるならここしかないんじゃないかみたいな思いもあって。いろんな経験できたりとか、いろんな出会いもありそうだし、なんか考え方が広がるんじゃないかなっていう思いもあって。ここでちょっと一発やってみようかなみたいな感じで決めました。

ナカザワアヤミ:
理系だからどうなのかな、一般的には、就職する人とか進学する人も周りにはいたと思うんですけど。

M:
そうですね。理系なので周りはやっぱりほぼ大学院進学でしたね。僕も周りの流れに乗ってというか。大学院に行ったら2年間また勉強するんですよ。

ナカザワアヤミ:
そうですね。

M:
だから、2年間猶予ができるって言い方は変ですけど、そこで先のことはまた考えればいいかなっていう軽い気持ちで試験を受けました。一生懸命勉強はして受験したんですけど、案の定落とされて。
同じ大学の大学院って普通に入れるもんだとなめてたんですよ。そしたら、確かその年から制度がちょっと変わって。簡単に言うと厳しくなったんです。そう簡単には大学院進ませないぞっていう。周りの子たちは勉強もできるし、大学院でやりたいことがちゃんとあって。僕はそもそも学力が足りてない部分もあったんですけど、特にやりたい研究もなかったし。多分そういう中途半端な思いで受けちゃったのもあって、弾かれて。
本当にやる気さえあればもう1回チャンスがあったんですよ。前期と後期があって、2回目のチャンスはあったんですけど、ちょっともうそこで気持ちが切れるじゃないけどやっぱこっちじゃなかったんだなっていう、ある意味踏ん切りがついたというか。もう2回目は受けずにその頃から考え始めましたね、日本一周を。

ナカザワアヤミ:
日本一周を実際やってみてどうでしたか?

M:
それはほんとにやってよかったなと思います。もう1回やれって言われたらきついですけど。でも、いろんな人に出会えたし、いろんな経験ができたし、話のネタにもなるし。本当にあのときああいう選択をしてよかったなって思ってます。今は。

ナカザワアヤミ:
今は。

M:
はい。

ナカザワアヤミ:
当時は違ったんですか?

M:
どうだろうな。でも楽しかったですよ。毎日楽しかったし、もちろんしんどいこともありましたけど、それ以上に楽しいことが多かったので。毎日、朝起きる場所と夜寝る場所が違うんですよ。しかも毎日、いろんな人に会えるし。毎朝、今日はどんな人に会えるかなっていうのが楽しみでした。でも、しんどいときには、なんでこんなことやっとんだろうなっていうのは何回も思ったことはあります。でも、トータルで考えたらやっぱりやってよかったなって思います。

ナカザワアヤミ:
うんうん。日本一周を終えて、教員免許を取りたいっていうのはどういうきっかけなんですか?

M:
1回目の大学生の頃から、小中学生にスイミングスクールで泳ぎを教えるっていうバイトをしていて。元々子どもと接するのが好きでそういうバイトをしてたんですけど、それがすごい楽しくて。それは大きかったと思いますね。その経験もあって、進路を考えるときに漠然と子どもと関われる仕事もいいなっていう思いがありました。
それと、日本一周中に長崎の五島列島に寄ったんです、縁があって。上五島っていう場所なんですけど。これも旅中に知り合った方の紹介でその場所にたどり着いたんです。そこで島留学っていう、全国のいろんな地域の子どもたちが上五島に来て実際に生活をしながら島の小学校に通うっていう制度があって。そこで、島親といって子どもたちと一緒に生活してお世話をしている人の家にお邪魔をして、1週間ぐらいお手伝いをさせてもらいました。そこでは、海水から塩を作るようなこととか、自分たちで野菜を育てたり、養鶏をしたりとかもやってたのでそれを手伝ったりしましたね。そこで子どもたちと一緒に生活をして、離島っていうのもあったので離島の教育にちょっと興味を持ったりとかもして。やっぱり子どもっていいなって思いました。
言ってしまうと、日本一周中にそれ以上のものが見つからなかったっていうのもあるかもしれないです。それを超える、これがやりたいっていうものが見つからなかったっていうのはあるかもしれないですね。「絶対教育がやりたい、俺が教育を変えてやる。」みたいなそんな熱い思いではなく。ちょっと教育もいいなって、それぐらいですね。それを超える何かが現れなかったっていう言い方の方が、もしかしたら正しいのかなっていう感じですね。

ナカザワアヤミ:
なるほど。

M:
はい。あと、1番はやっぱり子どもと接しているときの自分が好きで。子どもって本当に面白いんですよ。彼らと接してる時間が楽しくて、そこで楽しむことができてる自分が自分はいいなって思ってます。なんか素でいれるというか、飾らない自分で入れるかなって思ってます。精神年齢が近いからかもしれないですね。

ナカザワアヤミ:
なるほど。それで戻ってきて、通信制の大学で資格が取れると。
過去の話でもう一つだけ、海士町に行かれてたっていう話もあって。半年ぐらい大学生をしてから海士町に行ったという話だったんですけどこれはなんでだったんですか?

M:
去年の半年間家で1人で勉強してて。バイトしながら昼間は勉強したりとかしてたんですけど、なんせ退屈で。ずっと家で1人でやってるわけなんで刺激もないし。ネット環境があれば授業を受けることはできたので、どっか別の場所に行きたいなっていう思いがあって。それを知り合いに相談したら、紹介してくれたのが隠岐島前でやってる大人の島留学っていう、実際に島で働いてお給料をもらいながら島暮らしが体験できるっていう制度で。面白そうだなと。
実際に日本一周をしてるときに離島もいくつか行ってたので、離島自体の雰囲気が好きだったっていうのもあるし、働いてお金をもらいながら島暮らしが体験できるっていうことに魅力を感じて応募したのがきっかけですね。

ナカザワアヤミ:
1年間いたんですね。それで。

M:
最初は3ヶ月の予定でした。島留学が1年間の「留学」っていうのと、3ヶ月の「体験」っていう2つのパターンがあって。僕は10月から12月までの3ヶ月の島体験の方で応募をしたので、最初は3ヶ月だけ行って帰ってくる予定でした。
でも、行ってみたら自分に合ってたというか、すごい楽しくて、島が。それでそこから3ヶ月延長したんですよ。1月から3月まで。3ヶ月ごとに延長ができるので延長して、でもまだいたいなと思って結果的にもう半年、4月から9月まで延長して。結果としては1年間いたって感じです。

ナカザワアヤミ:
行ってみてどうでしたか?

M:
なかなか一言で表現するのは難しいんですけど、不思議な場所でした。ずっと1年間、夢を見てるような。3つある島の中で海士町っていうところにいたんいたんですけど、本当に不思議でしたね。行く前はやっぱり離島だから、言っちゃ悪いけどお年寄りばっかりなのかなと思ってました。でも、その島留学っていう制度もあったり、島としてもいろんな取り組みをして結構全国的にも有名な島なので、Iターンで若い人たちもすごい集まって来てて。
とにかく若い人で溢れてるエネルギッシュな島で、そういうところも魅力に感じつつ、普通の離島とは違うなっていう部分がたくさんあって面白かったです。人を引き付ける島だなと思いました。

未来:僕、死ぬ直前に言う最後の言葉っていうのを決めてて、今から。

ナカザワアヤミ:
Mさんは未来について、5年後10年後とか、あるいは死ぬときイメージしたときに自分の未来についてはどう思ってますか?

M:
どうなんでしょうね。未来か…マジで想像つかないですね。何してるんだろうって僕が聞きたいぐらいです。一番想像できうる未来でいうと、この夏、8月に教員採用試験を受けたんです。小学校の。
しかも、最近までいた海士町を含む島根県の隠岐地域限定の枠っていうのがあって。島前島後を含む4島の中をぐるぐる回りながら勤務するっていうものなんですね。僕の地元は岡山なので、岡山市の方を受けるのか、隠岐を受けるのか直前まで悩んだんですけど隠岐のほうを受験して。先月、結果が出て合格だったので来年の春からまた隠岐に戻って小学校の先生をやるっていうことは決まっています。
実際は4島どこの島になるかわからないし、何年そこでやるかも決めてなくて。こんなこと言うとあんまり隠岐の人にいい顔されないかもしれないですけど、ずっと隠岐でやるつもりもなくて。
僕は地元がすごく好きで。地元の中学校の仲の良い同級生も岡山で就職してる人が多くて。地元の野球やってたメンバーで草野球チーム作ったりもしてます。暮らしやすいし、ほどほどに都会だし、ちょっと行けば田舎もあるし、自然もあるし、災害は少ないし。岡山はすごい好きなんで、いつかは戻ってきたいなって思ってはいるんですけど。
実際どうなるかは全くわからないです。だから、5年後10年後どこで何してるか僕自身もさっぱりわからないっていうところですね。

ナカザワアヤミ:
来年どうなるとか一旦置いておいて、逆にどうなっていたい、みたいなものはありますか?

M:
どうなっていたいか。それはすごく先のことでもいいですか?

ナカザワアヤミ:
もちろん。

M:
それで言うと、僕、死ぬ直前に言う最後の言葉っていうのを決めてて、今から。
自分の人生を振り返って、「ああ、面白かった。」ってそう言いながら死にたいって思ってるんです。だから、死ぬ直前にそういう言葉を言えるような人生を送りたいなって。それが具体的にどういうものかっていうのは、まだ答えは見つかってないんですけど。結果として死ぬときに、面白かったって思えたらいいなって思ってます。

ナカザワアヤミ:
この最後の言葉を決めたのはいつですか?

M:
いつだろうな。でも大学で進路を変えたときじゃないですかね。自分の性格的に何か人と違うことやりたいなって思うタイプなんですよ。だから人と同じレールの上で生きてても面白くないなって思うし。その人にとって、何が幸せで何が面白いかっていうのはもちろん人それぞれだと思うんですけど。僕の中での面白いっていう定義の一つとして、人があんまりやらないようなことだったり、人とちょっと違った路線のことをやるっていうのがあったりもするので。そこも含めて面白い人生だったらいいなって思ってますね。

ナカザワアヤミ:
なるほど。もし、進路を変えなかったら、前期試験で気持ちが折れずに後期も受けて受かったとか、そういう場合だと思うんですけど。そうだったらどういう人生だったと思いますか?

M:
それは難しい質問ですね。別の世界線ってことですもんね。

ナカザワアヤミ:
そうですね。

M:
どうしてるんでしょうね。ちょうど今年の春から働き出してるんですよ、合格してたら。確かに、もしちゃんと合格してこの春から働いてたらどうなってるんでしょうね。
想像したことないな。元々通ってた大学は就職率がすごい良くて。そこが一番の売りみたいな大学だったので、そこそこの企業に就職して社会人1年目として社会に揉まれてるんじゃないですかね。それがいいか悪いかは別として、受け入れて多分頑張ってやってると思います。でも考えたことなかったですね、それは。

ナカザワアヤミ:
なるほど、普段は特にそうしたらよかったなとか思うことはありますか?

M:
全く考えないですね。あのときもう1回受験してればな、とは1回も考えたことないです。それだけ変えた方の選択肢で歩んできた道が、充実してたりとか楽しかったんだろうなって思いますね。
昔から人にすごい恵まれてるなって思うことがいっぱいあって。日本一周中もそうですし、海士にいたときもすごいよくしてもらって。人に恵まれてるなって思います。だからこそ、この選択で良かったんだろうなって今は思ってます。今のところ後悔はないですね、この選択に。

ナカザワアヤミ:
ありがとうございます。ちょうど1時間ほどお話を伺ってきたんですけども、最後に話しそびれたこととか、言い残してしまったこととか、読んでる方に向けても自分に対してでも、感想でも大丈夫なんですけど最後に何かありますか?

M:
言い残したことかあ。他の方ってどういうことを言ってるんですか、こういうところで。

ナカザワアヤミ:
けっこうバラバラで。インタビューの感想を言う方もいるし、ないっていう方もいるし。あとは自分の話した中で印象に残った部分とかについて話す方も。本当にいろいろいます。

M:
なるほど。一番話してて確かになって思ったのは、もしそのままの道を進んでたらどうなってたと思いますかって質問されたときですね。そのことについて全く考えたことがなくて。やっぱり大学卒業したところが一つの分岐点だと僕は思っていて。その分岐点で選んできた今までの道が、途中でも言ったんですけど充実してたんだなっていうことに気づかされたというか。
このインタビューで自分も話してる中で、面白い経験をやっぱりしてきたんだなって。充実してるなって改めて感じました。

この先も本当にこの道は正しいのかどうかわからないって言いましたけど、結局はこの選択で良かったって思えるんだろうなって、漠然とですけど思いました。
自分で決めた道でもあるんで、このまままっすぐかどうかわからないけど、今までもずっとぐねぐねしてきたんで。
僕の中で、そのときにこっちが面白そうだなっていう方向に進んじゃうんですよ。だからこの先も、結局曲がっててもその道を正解にするかどうかは自分自身だと思ってるので。自分が進んできた道を何とか正解にしつつ、最終的に死ぬときその道を振り返ってみて、なんか面白い道たどってきたなって思えたらいいかなって思いました。

ナカザワアヤミ:
ありがとうございます。

あとがき

道が正しいのかどうか、という話題が多く出てきました。
Mさんは「正しい」と「正しくない」の間があることを前提にしたうえで、道が正しいのかどうか、と何度も問いかけていました。

けっこう私自身も何かを選ぶとき、自然に考えちゃうな、と思いました。何かを選んだあとに、あっちにすればよかったかな、とか思ったり。

動物だったら、正しくなかったら生命の危機になるのかもしれないし、生命維持のために正しい・正しくないをジャッジしてPDCA回すんだと思うんですけど、現代日本に生まれたらあんまりそういう野生動物の常識は成り立たない。その中でも私たちは、正しいものがあり、間違ったものがあると思ってしまうものなのかもしれません。

いつ人は「正しい」っていう概念を獲得するのでしょうか。

「正しい」って一体何なんでしょうか。

【インタビュー・編集・あとがき:ナカザワ】

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