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【短編】夢見がち


 年上の女性の上司に誘われた。
 スペインバルに連れて行ってもらっておごられて、イカのフリットだとかタコのアヒージョだとか、〆にズッキーニとソーセージのパエリアを頼まれて、もう無理だとか思っていたのに食べきれてしまってワインも詳しくて、お店の人に一切質問なしでもちょーマリアージュできてて、まるで女性雑誌そのものだなと思った。
 初めて二人きりで食事をした。上司に仕事の話から私的な些事まで詳らかにされて、それから自宅に招かれて、私は断った。
「四十代は嫌い?」
「嫌いではないです」
 私は喋った。嫌いではないです。たった七歳しか違わないじゃないですか。それよりも、お酒や料理をよく知っていますね。
 上司は、だって雑誌を読んできたから、と答えた。

 卒ない。
 翌日、上司は私に人口動態と自社主力商品の関連性についての資料作成を頼んだ。引き続き仲は良好だった。おしなべて世はこともなし、男女関係が成り立たずとも互いに憎からず、現状が保存されるならば気分が良かった。ただ、最初、朝、挨拶する時にオフィスの入口と上司のデスクまでのおおよそ三メートル程の距離で目を合わせて、双方「何事も無かったかのように振る舞おうと」示し合せられたことは、楽しかった。目を合わせて、二人は明るい頬笑みを浮かべた。二年間同じ職場で上司部下で、二人の境界線には弾力が与えられていたのだと思う。
 唐突だが、人は許された範囲内で夢見がちでいられるのだと思う。例えば、今回の私と上司のように、二人はセックスしないと承知しあった・そういう線引き・限定・許しの範囲を決めた。だがもしかしたら、そういった出来事が起きないこともないかもしれない、と夢見る。この夢は、許された範囲の中でしか、許されない。
 上司からの頼まれ資料を作りながら、その午前にそう思った。

「営業が夢を売らないでどうするの」
 上司が私の後輩に注意をしていた。
 私の上司は青くさい言葉が大好きだ。私は作業の最中、パソコンのモニターを前にして上司を横目で盗み見る。また上司と目が合った。上司は無表情だった。会社内で二人だけの共有の秘密を持っているというのはくすぐったい。普通あるだろうと思うセックスの関係を回避したことが、私に優越感を与えていたのかもしれない。
 お願いがある。キスしたい。仮に私が上司にそう言ったとしても、いいえと返されるだろう。それでも腹は立たない。失望も味あわない。

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