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アダルト音声配信サイトで文芸活動をしている大学生の人

忘れていたわけではないのだけど、忘れていた。
したと思っていたけどできていなかった。
でも、もう、遅い。
手前から取ってきたらいいのに、それができなくて、忘れ物も忘れた。
もう戻ってこないカーディガン。
ということで無名人インタビューgo!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは 林檎 さんです!

https://twitter.com/Madaagesomeshi


現在:自分らしい表現っていうとあれですけど、普通のお話でもやっぱり、縛られずに書きたいから。

花梨:林檎さんは今何をされている方でしょうか?

林檎:はい。普段は大学生をしているんですけれども、その傍らで配信サイトで配信をしている者です。これってプラットフォームの名前を出しちゃっても大丈夫なんですか?

花梨:林檎さんが大丈夫であれば、出していただいて大丈夫です。

林檎:あ、いいんですね。OTOBANANAっていうですね、かなりディープな配信サイト⋯⋯まぁ、あんまり大きい声では言えないようなアダルトな配信サイトがありまして。そういうところで、声だけで配信活動している者です。

そのなかで、文芸活動、つまり文字を書いて表現する活動をしていまして。大学で文学を専攻しているというのもあり、小説とか俳句、ポエム、短歌なんかを作って、活動しています。

花梨:この活動を始めようと思ったきっかけはありますか?

林檎:1番のきっかけっていうのは、俗にいう裏垢男子っていうやつでして。裏垢で活動しているときに、このOTOBANANAっていうところを見つけて、こんなのあるんだと思ったのが始まりです。

最初は、裏垢っぽいことというか、非常に言葉を濁さないといけないんですけども。そういう興味から始めたっていうのがあったんですけど、最初の1ヶ月ぐらいは全然そんな風に配信するつもりもあんまりなくって。なんでしょう。同性異性問わず、ちょっとディープな話をしたいなぐらいの感覚でいたんですよね。

ただ、その頃から文芸活動自体はやっていて。それで、せっかくだったらこのプラットフォームで文芸活動したら面白いんじゃねってなったのが、今の林檎っていうアカウントの起源です。元々は、林檎って名前とかアイコンとか全然ないような普通の一般人。名無しユーザーみたいな感じで参加してたんですけど、ここで文芸活動したら面白くね?ってなって、今こういう風に精力的に活動してる感じですね。

花梨:今、活動されていていかがですか?

林檎:いわゆるアダルトな配信サイトなので、競合他社がいないんですね。当然なんですけど、アダルトな配信とか投稿をされてる方が多いので、あえて別にアダルトでもない、普通にただまっすぐに文芸活動するっていうのは、結構奇抜というか、自分で言うの恥ずかしいですけど。誰もやってない隙間を見つけたなっていう感じはしていて。

それからこれは後になって気づいたことではあるんですけど、始めてみて思ったのは、OTOBANANAっていうプラットフォームが、他の配信のアプリとかサイトとかサービスに比べて、使えない言葉がめっちゃ少ないんですね。例えばYouTubeとか、そういうところって、配信に制限が多くて。言えないような話とか、コメントで書き込めないようなこととか、表現できないことがたくさんあるんですね。

それに対して、このOTOBANANAは、何でも表現していいっていうか。いわゆる一般的な社会秩序だとアウトみたいなラインのギリギリのワードも全然飛び交うようなプラットフォームなので、それが逆にこの文芸活動と相性がいいなっていうか。やっぱり、YouTubeとかそういう一般の配信サイトって、どうしても大衆のこと社会のことを考えて、言論統制が行われちゃってるわけなんですね。言えないこととか、言っちゃいけないことがたくさんあって、何か言おうものならすぐ炎上するみたいなそういう場所だと思うんです。

そんななかで、胸を張って堂々と何でも言えるっていうのが、このプラットフォームの強みで。割とグレーなことが、当たり前のように日夜行われているところなんです。なので、そこが自分の文芸活動、物を書く、物を言うっていう言葉を使った活動ととても相性がいいなって風に思っていて。そこは個人的に、ここで配信をやっててよかったなって思ったところではありますね。

花梨:相性がいいと思ったのは、どんな理由からですか?

林檎:基本はいわゆるR18向けの作品を書いてるってわけではなくて、一般向けの、大衆向けの作品を作ってるんですけど。ただやっぱり、どうしても表現の中でディープな世界、大人の世界っていうのを書きたいなと思ったときに、それが書けるってこと以上に、ここだと情報の収集がしやすいっていうのがあって。

例えば、他の人の配信とかに行くと、そういう話がもうずっと行われていて、いわゆる猥談と言いますか、そういうのがいっぱい。僕自身そういう夜のお仕事してたとか、遊び人だとかでもないので、リアルなことって何も知らないんですね。それをやっぱり実体験とか、いろんな人の性癖とかを聞く中で、創作のヒントとして得られるものが多くて。

自分らしい表現っていうとあれですけど、普通のお話でもやっぱり、縛られずに書きたいから。単に卑猥な言葉を使ってっていうわけではなくて。それ以上に、他の配信サイトだと思いつかなかったような場面にすぐ出会えるっていうところが、このプラットフォームの特性としてあって。そういうところだからこそ書ける文学っていうのが、やっぱりあって。

あと基本的に、未成年の方がいないんですよ。一応未成年の利用が禁止っていう風な制限をされてる状態なので。大人の方々、例えば、文字離れとか進んでて、なかなか本を読まないとか文芸と親しむ時間がないっていう方々に向けて、発信したいなっていうのが1つ目標でもあって。そこにやっぱり近づけるのかなって。大衆に向けた文学というよりは、もっとディープな世界にも届けたい、文学とかけ離れた世界に届けたい、そういうところが1つあるかなと思います。

花梨:林檎さんは、どんな人と言われることが多いですか?

林檎:それはプライベートっていうことですか?

花梨:どんな場でも大丈夫です。

林檎:やっぱり言葉のチョイスがいいとか、語彙力があるとか、頭の回転が速いみたいなのは、OTOBANANAの中ではよく言われることではあるんですけど。実生活だと、やっぱ変な人だなっていう印象がついて回ってる感じで。良くも悪くも。実際は他人に自分の印象について聞く機会ってないので、あまり記憶にないんですけど、変人・変な人だなっていう印象はすごい付きまとってるように思います。

それが嬉しくもあり、なんか複雑な感じですね。他の人と違うって言われることの嬉しさと悲しさってやっぱあって。変だねって言われるのって、自分の中では結構嬉しいカウントなんですけど、本当の意味でこいつと関われないわって意味の変だねって言葉をかけられることも当然ありまして。変な人っていうところに全てが集約されてしまってる感はあるんですけど、そういう良くも悪くも変な人っていう評価は多いですかね。

花梨:ご自身ではどう捉えていますか?

林檎:そうですね。実はあんまり自分のこと変な人だと思ったことはなくて。普通だと思ったこともないんですけど。どうしても自分自身の印象っていうと、難しいですけど、真面目であれたらいいな、ありたいなとは思っていて。それこそ自分の性格とか長所みたいなのを書く機会があったときには、真面目って書いてます。それは戒めというか、自分へ言い聞かせる意味も込めて、真面目であろうと思って、真面目って書いてます。

花梨:何に対して真面目であろうという感じですか?

林檎:それこそ今はしていないけど仕事であったり、学校のことであったりとか。そういう社会的なこと生活的なことにおいて、真面目に生きたい、真面目な人間でありたいなという。真面目さって、自分で作るものじゃないとは思っていて。どちらかというと周りから見える印象だと思うんですよ。

そのなかで、ちょっとしたルールや規則守るみたいな話もそうですし、それこそ遅刻しない、欠席しない、居眠りしないみたいな。そういう真面目さですかね。いわゆる委員長タイプですね。

花梨:戒めと表現されていたのは、どういう考えからですか?

林檎:そうですね。それが1つの理想というか、思い描いてる部分ではあるんですけど。実際のところ、そうなりきれていないところも当然あって。そういう意味合いでの戒めですね。

例えば、点滅してる青信号で横断歩道を渡っちゃうみたいな、そういうモヤモヤが積み重なっていく中で、真面目に生きることのあり方がどんどん問われているんですね、自分の中で。そういう意味を込めての戒めです。理想的な真面目さにどうしてもなりきれないっていうのがあって。それゆえの悔しさというか、もどかしさみたいな。真面目って案外難しいなっていう、そういう話ですね。

花梨:文芸活動でも、こういった真面目さは出ていますか?

林檎:さえーと、俳句を5年くらいやってるんですけども。真面目っていうか、いわゆる型から抜け出せない時期が結構ありまして。俳句って型があるんですけど。どうしても表現の上で暴れきれないというか。どうしても型から抜け出せない、奇抜なことができないみたいなのが、ずっとあって。

それは自分の中で真面目さっていうか、真面目であろうって思いがあるせいで、変わったことするのダサイなぁ、みたいに思ってる時期がありまして。逆張り⋯⋯ というか、逆張りの逆張りというか。型から外れた作品が出てくるたびに、ダッセーなと思うようになって。どうしても型にはまった作品を作ることが多かったですね。まぁ現在の話というよりはそういう時期があったと言う方がいいのかもしれないですけどね。

今は逆に、その檻を文学で壊しにいくみたいな。結構変なことをやりがちです。逆張りの逆張りの逆張りが始まってまして。はははは。逆になんでしょう、中二病ですね言っちゃえば、そんな感じです。社会から外れるのがかっこいいみたいな時期がちょっと来てるのかもしれないです、文芸活動の方においては。実生活ではもっと真面目に生きようっていう鎧を着た状態で、生きているんですけどね。文芸活動では、逆に自分を解放してというか。実生活でできないからこそ、ちょっとアバンギャルドでクレイジーなことをやってるっていう感じはしてます。

過去:本って1人で読めて、1人で楽しめるものなんですよ。どんなに死んだ魚の目をして、机でずっと座っていようとできることなんですよ。

花梨:幼少期の頃はどんなお子さんでしたか?

林檎:ちっちゃい頃から結構おっちょこちょいというか、ドジっ子タイプでして。1歳か1歳半ぐらいで、額を2針縫ってるんですね、何かでぶつけて。あと本当幼稚園のときは、マジでいろんなとこぶつけまくったり、階段から落ちまくったりしてたみたいで。落ち着きがなく、おっちょこちょいなドジっ子タイプみたいな感じでしたね。注意力散漫っていうんですかね、そんな感じです。

花梨:この頃、何か好きなことはありましたか?

林檎:ちっちゃい頃からずっと、ごっこ遊びがめっちゃ好きで。結構大きくなってからもやってたイメージがあります。小学校に入るぐらいまで、もっと長いかも。ずっと昔から1人遊び、ごっこ遊びみたいな。やっぱ1人でいるのが好きだったので、ちっちゃい頃から。友達と遊びに行くみたいなのは、あんまりなくて。1人で家で最近見たアニメの影響を受けて、ごっこ遊びしてみたいなのが多かったと記憶してます。

花梨:ごっこ遊びは、どうして好きだったと思いますか?

林檎:でもやっぱり、違う人になれるみたいな、なりきりみたいなところがやっぱ楽しかったんじゃないかなっていう風に思ってますね。それは今でも割と思うところがあるので。そういうところがずっと変わってないのであれば、きっとそうだったんじゃないかなって。自分じゃない誰かのフリができる時間としてごっこ遊びを捉えてたのかなっていう。今、振り返って思うことですけど。

花梨:小学校に上がってからはいかがでした?

林檎:小学校に上がると、この辺から結構真面目人間属性がちょっと芽生えてくるんですよね。さっきも委員長タイプなんて言い方をしましたけど。そういう何とか委員とか、何とかの代表でスピーチするとか、めっちゃ手上げがちで。それが果たして真面目だったからなのか、それとも皆の顔色を伺っていただけなのか分かんないんですけど、今となっては。そういう委員長誰にする? みたいなやつとか、班長決めとか。なかなか手の上がりにくいこととかは、めちゃくちゃ率先してやってましたね。そういう意味で、やっぱ真面目な人、優秀な人だと思われたい感はずっと出てたと思います。

とはいえ、友達と遊ぶのとかも楽しかったですね。ゲームとかもめっちゃしましたし。小学校のときは、カードゲームにめちゃくちゃハマってて、友達と日夜カードゲームしてました。傍から見れば、普通の子だったと思います。

花梨:優秀な人だと思われたいというのは、当時を振り返ってみて感じたことですか?

林檎:そうですね。当時の自分がどういう思いで委員長とかやってたかっていうのは、ちょっと定かではないんですが。今になって思うと、そうだったのかなって思うような気がしなくもないなっていうのがありますね。

花梨:それは、どういう考えからですか?

林檎:今さっき、自分を真面目に見せたいみたいな話をしてたところですね。自分のなかで真面目に生きたいなって思うようになったのは、割と最近のことだと思ってたんですけど、今初めて小学校の頃の自分を振り返ってみると、もしかするとあのときからもう始まってたのかなっていう風にぼんやりと思ったっていう感じですね。

花梨:真面目属性は、中学校に入ってからも続きました?

林檎:ですね。中学は、生徒会長はやった、文化祭の実行委員長もやった、体育祭の実行委員長もやりました。多分全部やってます。はははは。いわゆる長みたいなのは全部やった気がします。本当に真面目だったのかもしれないです、この時期は。中学は人生で一番頭が良かった時期で、一番真面目に生きてた時なので。もしかするとこのときは本当に真面目だったのかもしれない。真面目に見せたいとかじゃなくて、本当に根から真面目だった可能性があります。このときが一番輝いてたかなっていう感じですね。

花梨:長をやることに、抵抗はなかったですか?

林檎:なんかね、楽しかったんですよね。やっぱり、幼少期ドジっ子だったみたいな話もあったと思うんですけど。全然目立たなかったんですよ。やっぱり。小学校の頃とかは特に。なんか目立ちたくなったんでしょうね、きっと。上に立ちてぇってなったんでしょう、急に。それは若気の至りみたいなものだとは思っていて。もしかしたら、当時見てたアニメや漫画の影響で、なんとなく生徒会長かっこいいなみたいな、そういう雰囲気もあったのかもしれないです。本当に影響を受けやすい時期ですしね、色々と。

自分のなかで、きっといろんな思いがあったんだと思うんですけど。でもやっぱり、上に立ったりとか前に立ったりっていうのは嫌いではなかったですね。抵抗感みたいなのは全然なくて。それはそれで楽しいなって感じではありました。

花梨:上に立ったことで、何か変化はありましたか?

林檎:ここまでと比べると、まあ、そんなには変わってないかなと思うんですけど。自分から人と関わりに行ったりとかっていうのをするタイプの人間ではなかったので、前に立ったりとかで目立ちだすと、人が集まってくるようになって。それがなんかすごい役得だなって思ってたことはあります。あっ、そっか、こうすれば友達できるんだみたいな。そういう部分は性格の変化といえますかね。ニコニコしてれば良かったんだっていうのは思うようになりましたね。

本当にちっちゃい頃から怪我も多かったですし、小学校のときは笑われる側だったんですよ。それがつらかったかどうかは置いといて、あまり活発な人ではなかったんですけど、中学でそういう風に急に上に立ちたくなって。いろんなことやって、なんかニコニコ明るく振舞ってると、人集まってくるなっていうのがあって。ちょっと明るくなれた感じがしますね。

花梨:高校の頃はいかがでした?

林檎:思い出すだけで頭が痛いんですけど。はははは。いわゆる高校デビューみたいなものに完全に失敗しましてですね。もう終わってましたね、そのときは。死んだ魚の目をしていました、毎日。本当に、中学のときのノリでいけると思ってたんでしょうね。でも、それが井の中の蛙だったっていうか。根暗人間って、どんなにニコニコして友達といるときは楽しそうにできても、あっやっぱり俺って根暗なんだなって分からされてしまうというか。高校っていろんなところから人が集まってくるわけじゃないですか。僕のとこ中学校がちっちゃかったんで、人数も5倍から6倍ぐらいになったんですよね。

いろんな地域から今まで見たことない数の他人が集まってきて、知らない人がいっぱいいる中で、どうしてもそこまでの人間をまとめる力は私にはなかったみたいで。なんか、どうしても中学のときの自分の自信みたいなもの、いけると思ってたものが何も生かせなくて。もう最初の1週間ぐらいで心折れて、死んだ魚の目をして生きてましたね、3年間。ここがある意味、一番の挫折点かもしれないですね。

花梨:この時期、何か心の支えになっていたものってありましたか?

林檎:そうなると、やっぱりそれが小説、文学だったかなって。本って1人で読めて、1人で楽しめるものなんですよ。どんなに死んだ魚の目をして、机でずっと座っていようとできることなんですよ。高校で1日誰とも一言も喋らなくても、本だけはいろんな人と喋った気分にさせてくれるじゃないですか。なんか言ってて泣きそう。はははは。すげー悲しいこと言ってるけどそうなんですよ。なので、そういう意味では、心の支えになってくれたのはやっぱり文学だったかなと思いますね。

花梨:もう、この頃から作品は作られていたんですか?

林檎:俳句に興味を持ち始めたのは大体この辺の時期だったはずです。今年で多分俳句は5年目ぐらいなんで。ちょうど高校2年から3年ぐらいの時に、めっちゃ俳句にハマったんですよ。なので、俳句は作ってましたね、ほとんど毎日。

花梨:俳句とか、そういった作品を作ってみようと思ったのは、何かきっかけがあったんですか?

林檎:俳句に興味を持ち始めたきっかけは、それこそ今もやってますけど、某テレビ番組がきっかけで。俳句の査定をする某番組を観てて、まず先生にハマったんですけど、先にね。今やもはや恩師と言ってもいい先生です。たまに先生のやられてる句会とか、先生が運営されているサイトとかに投稿したりっていうのもやってますし。それで、先生とかその番組を通して俳句にハマって、毎週番組のお題に合わせて読んでたんですよ。

初めて作った俳句は、もう忘れちゃいましたけど、だいぶ昔なので。でも、番組のお題に対して詠んだ俳句が僕の人生の一句目です。まぁ、学校の授業で作ったやつとかは除いてですけど。

花梨:高校で文学に興味を持って、大学でも文学を専攻したという流れですか?

林檎:そうですね。文学を専攻したのは、高校でハマったっていうのともう1つ、中学校時代に戻るんですけど。当時の国語の先生がすごく好きで。あの、Likeの方で。その先生に憧れて、国語の先生になろうと思ったときに、行こうと思っていた大学だと、やっぱ文学やらないと免許取れないっていうのがあって。それで文学を専攻してるっていう感じです。

花梨:文学活動は、配信サイト以外でもされていたんですか?

林檎:本当に小銭稼ぎ程度なんですけども。いわゆる匿名で、レビューとか書評とかを書いたりみたいな活動はしていて。たまに、依頼が来たりもしますし。ライターってやつですね。商品であったりとか、例えば新しい本が出ましたってなったときに、書評を書いてみたいな。基本的にはボランティアだったりするんですけど。

1から生み出すというよりは、既にあるものを文字で表現するっていうところが多くて。書評とかレビューとかを書く活動は、一応今も現在進行形で、大学入ってからなんで、3年目4年目ぐらいになりますかね。

花梨:書評などを書く活動と、文芸活動は、ご自身のなかでは何か違いはありますか?

林檎:書評とかレビューとかは結構自己満でやってる部分がやっぱ多くて。基本匿名でやっていて、しかも既に存在しているものの評価をするっていうものだから。書いた文章自体が誰かに評価されるってことはあんまりないんですよね。あくまでも、自分がこのモノに対して思ったことを書くだけです。例えば、この本読みましたって言って、書評をブログにバーッて5000字ぐらい書いて、終わりみたいな。別に、それが誰かに読まれたりとかっていう必要も感じてないかもです。依頼とかいただいて、いくらか原稿料いただくみたいなことも、ごくたまにあるんですけど。それはそれで仕事って感じがどうしても。事務的な感じがつきまとってくることが多いですね。

対して、OTOBANANAでやってる文芸活動っていうのは、読んでもらうことの楽しさをすごい重視してるっていうか。読んで欲しいなと思って書いてる。いろんな人に読んでもらって、いろんなことを感じてもらって。だから、この完成したものに思ったことを書くっていうよりは、自分が創作する側になるっていうのは全然違うところだなって思います。

それで自分が書いた文章で誰かが何か感想を持ってくれたりとか、自分のこと褒めてくれたり、評価してくれたりっていうのがあることが分かったので。心境的には、そこが全然違うかなとは思いますね。自分が書評とか書いてる理由って、その本をまだ読んでない人が読みたくなるようにってのが大きいんですけど。

そうじゃなくて、もう自分のを読んでくれっていう。数ある書評の1つじゃなくて、唯一無二の自分の作品。林檎っていう人間の作品を書いてるっていう意識の違いがありますね。

未来:すぐに何でもかんでも規制とか、言論統制をしたがる社会の中で、1番自由な表現の場っていうのは、この裏垢だと思ってるので、僕は。

花梨:林檎さんは、未来に関してどんな理想やイメージをお持ちですか?

林檎:そうですね。さっき大学入ったって話をしたときにも少しちらっと触れたんですけど。教員を、現在進行形で志望してて。そして、やっぱり自分の中学校時代、高校時代を振り返ってみて、文芸、文学、文字、言葉、日本語の素晴らしさを実感したので。それを伝えていけるような、そんな教育者になれたらいいかなっていう風には思っています。これは本当に、10年20年30年⋯⋯将来の展望という感じですかね。1つ理想として掲げている部分ではあります。

花梨:今続けている活動の方は、今後の展開とか考えられていますか?

林檎:当然趣味の範囲内。何か収益化をして書いてるわけではないんですけど、ただやっぱり、例えばものを書いて、言葉を紡いでお金を稼げるように、食っていけるようになれるんであれば、それがもちろん理想的な形かなと思います。これも本当に何年後か分かんないですけど、近い将来自分の書いた作品で食べていけるようになれたらいいなと。それだけで食べていけるとは思わないですけど。言葉を売って、文字を売って生きていけるような風になれたらいいかなとは思ってます。

今は全部無料で公開してますけど、それこそ句集出したりとか、出版をしてみたいなと思ってます。今はそれこそいろんな媒体があって、紙の本だけじゃなくても、出版物、著作物が売れる時代だから。何かしら出してみたいですね。

花梨:現在では真面目でありたいとおっしゃられていましたが、未来におけるありたい姿のイメージや理想はありますか?

林檎:そうですね。多分10年後も20年後も真面目人間を目指していると思います。それって言うのは、幼少期から今までを振り返ってみて、真面目だった頃が一番生き生きしてたっていうのが多分つきまとってるのかなって今、過去を振り返ってみて改めて思ったからです。中学校時代とか、真面目でキラキラしてた頃の、自分を取り戻したいみたいな部分がどうしてもあって。

配信とかも、あれはあれでキラキラしてるんですけど。きっと自分のやりたいことができてるなと思うんですけど。やっぱり自分の思う、人間としての理想系みたいなところっていうのは、くそ真面目人間のところにあるんじゃないかなと思ってるんですよね。今は真面目になりたい、真面目でありたいだけですけど、いずれは胸を張って真面目な人間ですと言えるような感じになれると理想かなとは思いますね。

花梨:もし林檎さんが完全に真面目人間になったとして、そのときの林檎さんってどんなことをしていると思いますか。

林檎:裏垢は引退してるでしょうね。教師って仕事はどうしても真面目さっていうのが大事だと思ってるので、教育者として、真っ当に仕事をこなしていると思います。作家っていう部分になってくると、私は多分またくそ真面目に型にはまった作品をコツコツ書き続けるつまらない人間になるんじゃないかなとは思ってますね。逆張りの逆張りの逆張りの逆張りみたいな。

やっぱり真面目な自分に対して、すごい憧れがあるので。型にはまってるのが真面目かは置いといて。自分の中で正しいと思ったことを、正しく遂行できるみたいなところが、私の思う真面目さで。ルールを守るみたいなこともそうですし、人に対して誠実に向き合うっていうところは大事にはしていきたいです。まとめると、少なくとも教育者としては、真っ当で真面目な教育者であって、裏垢は引退してて、物書きとしてはつまらない作家になってるんじゃないかなっていう気がしてます。

花梨:真面目にはなりたいけど、型にはまった作品はつまらないと考えているということですか?

林檎:人間が真面目であることと、作品が真面目であることは多分本来別で考えるべきだと思うんです。だから、今はどっちかっていうと中身は真面目でありたいけど、だからこそ、作品ではふざけたいみたいなタイプなんですよね。真面目な作品ってあんまり面白くなくって。やっぱり遊び心とか、自由な発想とか、ちょっとした狂気みたいなものが、美しいなと思っていて。だから、人間としては真面目でありたいけど、文学は不真面目でありたいというか、ふざけていたいみたいな。

花梨:先ほど挫折とおっしゃっていた高校デビューにもし成功していたら、林檎さんは今何をしていると思いますか?

林檎:なるほど。考えたこともなかったんですけど、元々本とか文学が好きだったっていうのは、多分成功しようとしまいと変わってない部分だと思いますし、教育者を目指すところも、変わらないとは思いますね。ただやっぱり気になるのは、林檎って配信者としての名前、或いは裏垢としての名前。もしも、高校デビューに成功していたら、多分こんな裏垢は存在しなかったし、少なくとも林檎は誕生してなかったとは思うんですね。

自分の裏垢を始めたそもそものきっかけが、いわゆる人間関係のリセットなんですよ。半年ぐらい前。それで飛び込んできたんですよ、裏垢に。

高校デビューしていたら、自分が暗い人間だと思わずに、ここまで過ごしてこれていたと思います。中学校のときの栄華のまま、高校でもいけると思ってたのに、自分はそっち側の人間じゃなかったということに気づかされたっていうのが大きな挫折だったので。そのままいってたら、もっと明るく、もっと自分に自信を持って生きられたと思います。そうすると、少なくともこの裏垢というか林檎は存在しなかったし、もしかすると文芸活動もここまで続いていないかもしれないし、俳句にそんなに心揺さぶられることもなかったかもしれないし。

って考えると、少なくとも創作者、物書き、ライターとしての林檎ならびに私っていうのはいなかったかなとは思いますね。ある意味、高校時代の挫折とか絶望っていうのが1つ原動力となってるのかなっていう風には思ってます。

花梨:裏垢があって、良かったと思うか悪かったと思うか判断するとしたら、どちらの評価に近いですか?

林檎:これはとても難しいですね。一長一短というか。今こうして裏垢で生きてる自分は、結構好きです。ただ、そのせいで、疎遠になった友達もいっぱいいるし、卑屈になることも増えましたし。OTOBANANAって人間関係の軋轢とかが特に激しい界隈なので、平気でそれらがぶっ壊れていく様が日常に起こっちゃうんですよね。そういう残酷さ、凄惨さを見つめないといけないっていう辛さはあります。

この活動のことって友達には言えないようなことじゃないですか。だから、こういう活動してる間は、どうしてもリアルの友人とかとの付き合いってのは疎遠になっていってしまうもので。そういうところは、正直ちょっと嫌いです。この活動をしてる自分は好きだけど、そのせいで失われたもののことを考えると、ちょっといたたまれない気持ちになるなっていう感じですかね。だから一長一短です。ただ、後悔みたいなものはないですね、この活動始めてからは。満足はしてます。

花梨:どういった点で満足していますか?

林檎:まずは、人が集まってきてくれるっていうこの感覚が、私の終わっていた高校時代、死んだ魚の目をしていた高校時代に見比べて、すごく新鮮というか久しぶりの感覚なんです。中学校時代の明るかった自分が、ちょっと戻ってきてるっていうか、その頃みたいになれる。そこに近づけているっていう感覚があるなっていうのが、1つ満足ポイントです。

あとは、今言ったように自分の活動を認めてくれる人がいて、いろんな人が集まってきてくれて、仲良くしてくれる人がいてっていう環境もそうですね。それから、さっき現在の話のところで、何でも表現できるから、ここに来てよかったなって話をしてたと思うんですけど。物書きとしての表現力がめっちゃ広がったなっていうのは感じるので。これはいい収穫だったなとは思います。

OTOBANANAに来なければ多分なかったであろう出会いとか、聞けなかったであろう体験談がたくさんあって。普通に生きてたら、多分ニ度と出会わないであろう経験をされてる方々がたくさんいるんですね。普通にゴロゴロ転がってます。そういう人たちとすぐに繋がって仲良くなれるっていうところは、肌に合ってるのかなっていう感じはしてます。

花梨:最後に、何か言い残したことはありますか?

林檎:遺言みたいな。

花梨:遺言みたいですね。

林檎:遺言を聞かれるんですね。これはどちらかというと、これを読んでくださってる方にお伝えしたい言葉にはなるんですけど。多分このインタビューっていろんな界隈の方が見られると思うんですよね。その中で、裏垢って、やっぱりどうしても低俗に見られがちというか。社会的に向かい風だと思うんです。ただ、実際にこの界隈に来て思ったことは、裏垢にいる人たちって思ったより、いや、思ったよりって言うとあれですけど。あー、もちろん人によりますよ。本当に、ひどい人、終わってる人いっぱいいるんですけど。

その中にもやっぱり、普通の人間じゃありえない経験をしてきてるからこそ、すごい芯の強い人、すごい信念を持った人とか、深い思想を持った人っていうのがたくさんいて。そういうところだからこそ表現できること。そういう人たちとの出会いの中だからこそ生まれる作品っていうのはあるのかなと。裏垢じゃないと言えないような言葉とかも使えますし。すぐに何でもかんでも規制とか、言論統制をしたがる社会の中で、1番自由な表現の場っていうのは、この裏垢だと思ってるので、僕は。

だから、もしこれを読んでくださってる方々の中で、裏垢に対してとても強い偏見を持ってる方がいたら、一度辟易せずに、そういう側面があるっていうことを知ってほしいです。それから、心のどこかで、この社会ってすごい表現者にとって不利だよなって思ってる人がいるなら、ぜひ裏垢に飛び込んできてほしいなって思います。それを伝えたいかなという風に思います。

花梨:その他は、いかがですか?

林檎:そうですね。言いたいことはこのくらいです。遺言は以上です。いい人生でした。

あとがき

偏見って、人間の不思議なものの見方ですよね。

元をたどると…
日常でたくさん他者と出会う→情報の処理を行うために他者の特徴を迅速に把握したい→
他者をカテゴリーにまとめてしまおう!という思考回路があるらしく。

まとめるだけなら特に問題ないけれど、そこに評価や好き嫌いといった感情を持ち込んでしまうようで。

なかでも、否定的な感情をともなった思考を、『偏見』と呼ぶみたい。

とすると、偏見を持つこと自体は、もうしょうがないのかもしれません。

自分が持つ偏見に気づき、偏見を持った対象について知ることが、きっと大切なんでしょうね。

今回のインタビューも、知らない世界の偏見が1つとけたような、とても素敵なお時間でした。

林檎さん、改めてインタビューへのご参加ありがとうございました!
次回は、どんなインタビューになるでしょうか?お楽しみに。

【インタビュー・編集・あとがき:花梨】

#無名人インタビュー #インタビュー #自己紹介 #小説 #裏垢 #OTOBANANA

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