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輝くお母さんたちを増やしたい人

10年? 20年? 私、昔、主婦向けマーケターのお話をうかがいする機会がありまして。
主婦ブロガーの走りみたいな存在ですね。日経系の業界紙にコラムもってて、って調べたら、名だたる通販会社の社外役員を歴任しててびびりました。
私はSNSベンチャーの会社に20年前にいたんですが、そのころやっぱSNSって新しかったんだな。SNSという名前ではなくて、CGMって言ってましたね。今、UGCって感じで、やっぱりユーザー目線、消費者目線でのコンテンツ作成がさけばれているんですけど。
ままま、そういうんではなくて。そもそも、人間は1対1のコミュニケーションが基底にあって、そこから始まるんじゃないの? って。まずは自分を守ってくれる人誰か一人を見つけだすところから、生きる、ということが始まるのではないのか? と。それが頭を巨大かさせた、社会的生物、人類、のなりわいというか。
ままま、そういうんではなくて。今回の話は。
で、その元祖主婦ブロガーの方と、東京タワーの見える港区のマンションのSOHOオフィスで20年近く前、打合せして、お見送りするぞ、って時に、通常だったらエレベーターまでお見送りするわけなんですが、その方は、会議室のドアまででお見送りはいいです、って言ってさささって一人で行ってしまわれるんですね。
あれはかっこよかったなあ。
と思う2024年5月4日15時20分に書く無名人インタビュー750回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 坂本みんば さんです!

年齢:50代前半
性別:女
職業:人生ワクワクハッピーナビゲーター(カウンセラー)
instagram:https://www.instagram.com/mama_ouen_happy
Facebook:https://www.facebook.com/profile.php?id=100009340476849


現在:目の前の人が少しでも明るくなってくれたらそれが一番いいなと思って活動してます。

erica:今、何をされている方でしょうか?

坂本みんば:はい。いろんな方からご相談いただくので、その方のモヤモヤした悩みというか、気がかりなことが少しでも改善され明るくなっていただくお手伝いをしています。

4人の子供がいて、6年前まで特別支援学校の寄宿舎の指導員という子どもに関わる仕事をしてきました。教員免許も持っていて、いろんな教育関係も学んできたので、子育てカウンセラーとして今は活動しています。

あと、職業訓練校の外部講師や放課後支援等色々させていただいています。

erica:子育てカウンセラーはいつ頃からですか?

坂本みんば:6年前に退職し、そこからいろいろ学んできました。

お仕事でお金をいただいてという形まではまだいってない感じですが、ちょこちょこ、無料とか500円とか1000円とか、そういった感じで活動しています。

元々、お母さん方、ママ友や友人などのお悩みを聞いてるうちに、そういった形でお仕事になったらいいなって思って、今動き出してる感じです。

erica:主な内容としては、子育て世代の方の話を聞くことですか?

坂本みんば:そうですね。子育て世代のママたちのお話は特に聞いていきたいと思っています。それは、私の経験から感じていることとして、孤独になりやすいんですよね。カウンセリングって聞くって感じなんですけど。それが、心が楽になったりするんですよね。それプラス、子育てママではなくてもご相談があった方にはお話聞いています。やっぱり多くの方に輝いてもらいたい。その中でもお母さん方には特に輝いてもらいたいなっていう思いがあって。

昔からお母さんは太陽って言いますけど、お母さんが整うと、子どもも旦那さんも周りの人も整ってくるってカウンセリングでいろんな方と接する中で分かったし、自分自身の中でも、そうだなって子育てする中で気づいたので。

最初は、子どもの悩みを解決したいとこられるお母さんっていう感じで、子どもさんの悩みに沿ってのお話なんですけど。話を聴いているとお母さんがきついんだなあって感じて。今はお母さん対象で、お母さんが元気になってほしいなって思ってお話聞いています。

erica:具体的に、どんな悩みを持つ方のお話を聞きましたか?

坂本みんば:言うことを聞いてくれないとか。学校行ってても勉強もついて行けてないみたいだし、大丈夫なんだろうか、将来不安なんだけどなとか。

発達にちょっと特性があるお子さんだったら、やっぱりその特性についてのお悩みとか。そういったものがあったんですよね。で、やっぱりお話を聞いてると、そこばっかりに目が向いてる感じがあって。

なので、お母さんの声かけとか、お母さんが日頃どんな生活をしてるかっていうところもちょっとお聞きしながら。やっぱお母さんはお母さんで、気にはなるけど自分の人生だから自分も楽しまないとやっぱ苦しいというか、上手くいかないよなって。

言葉を選んだり、直接こうやって話はしないんですけどそうなんですねっていうことで、お母さんが整うようなお話に持っていっています。

また、子育てしてきて、ココは外せないな!と思うのが、食です。
食べることは生きること。直結しています。すぐに目に見えて分からないので見落としがちですが、とても大切な要素だと思っています。
なので、私は、遺伝子栄養インストラクターといって、その方の遺伝子検査をして、栄養から考え方や健康を変えていくお手伝いができる活動もしています。
また、コミュニケーションの仕方や、性教育についても学び、総合的にみてその方のお悩みに沿ってお話していっています。

あと、自然留学という制度を活用して、いろんな土地に行って1年間ないし何年間か親元離れ生活する中で、多くの体験をしたり、第三者の方々に関わってもらったりと、そこでしか味わえないことを学んで帰ってくる教育。これをわが子4人ともしてるので。どの窓口がその方にぴったりかは分からないですけど、このことに興味ある方にもお話させていただいています。

その時その時で、食のお話したり、思春期のことを悩まれてたらちょっと性教育のお話したりっていう形ですが、聞いてほしいだけの方は、カウンセリングと同じくこれが辛いのよ、そうなんですねっていう感じで、その方が何を求めているのか聞きながらお話させていただいています。

一歩踏み出したいのかなって思った時は、次のステップに上がれるような、具体的にこうしてみましょうかっていうようなお話をして。で、また継続される時は、宿題じゃないけど習慣みたいにやってみませんかっていう形で提案しながら、やっています。

erica:これまで2年間、こういった活動をされてみていかがですか?

坂本みんば:結局は、ママが整っていかないと変わらないなっていうのを感じるのと。仕事としては、やっぱり今まで公務員で働いてたので、井の中の蛙というか。お金のことや手続きは事務に言えばよかったのが、やっぱ1人になると大変なのを感じています。

集客とか仕事も。講師とか、どこかに呼ばれてお話ができたらいいなと思ってましたけど、なかなかそこは厳しいなっていうのも感じています。

erica:そもそも、どうして起業を選んだんですか?

坂本みんば:私は主人と4人の子どもがいるんですけど。近くに祖父母もいなくて、お互い公務員で、私の方は1週間に1回泊まりがある職なんですよね。そしたら、4人の子どもを育てるのに、保育園の送り迎えやらいろんなことがあって、やっぱり忙しすぎる毎日で。

夫婦関係もこのままで大丈夫かなみたいな、喧嘩も多くなるし。そんな中で、何かを変えないとまずいなっていうのが私の中であって。1人目産んだときはすぐ復帰したいと思ったんですけど、2人目3人目って産むうちに、仕事外の人とも接するようになったり、子供を連れていろんなところに行ったり学んだりしていて。

で、あれ? と思ったのは、私が産休育休取ってる間は、誰かが代わりに働いていて社会が上手く回ってる。でも、人生一度きりなのに、私にしかできないことはないんだろうかってちょっと思い始めて。4人の子どもを授かった私にしかできないことはないかなと思ったんです。

やっぱり年休とか、休みを取りやすくはあったんですけど。責任とのジレンマというか、役職も付いていくのにこんなにいっぱい休んでみたいな。子どもの行事は全部行きたいし、PTA活動とかも一生懸命やりたいなと思ったら、やっぱ制限がかかるところもあって。

家のローンとかお金のこともあるしってことで、主人と1年間だけこのまま頑張ってみようってやった結果、やっぱりいろんなことが大変だなっというのと、私の気持ちも尊重してくれ主人も納得してくれて、辞めるに至りました。

やっぱり、周りからの反論。正規の職員だから、試験を受けてやっと受かってるので、勿体ないんじゃないかってすごく言われたんですけど。やっぱり、お金のためだけに働くのは違うなっていうのがすごくあって。
お金の面で言えば、今もまだまだなんですけど。やっぱり、心の面ではすごく満たされてるし。目の前の人が少しでも明るくなってくれたらそれが一番いいなと思って活動してます。

erica:仕事と家庭にかける時間の割合は、2年間でだいぶ変わりましたか?

坂本みんば:もうガラッと変わりました。

公務員なので仕事って決まってて。私の場合はシフト制なので、週の中で早出、遅出、泊まりみたいなのがあるんですけど。

仕事が主なので、仕事以外のところで子育てや家事って感じだったんですけど。今は子どもの行事にも積極的に関われるし。自分も自分を満たす行動を取れてます。

働いてる時は、平日の昼間にセミナーがあっても聞きに行けなかったりしたんですけど。今は、このお話聞いてみたいって思ったら行けるので。今はすごく満たされてる感じがします。

なので、働くのを辞めなさいっていう意味ではないけど、お母さん方にもその方の環境の中で少しでも自分を満たす時間を感じていただけたらいいかなって思ってます。

erica:ご自身の性格について、どう思われますか?

坂本みんば:そうですね。いつも天然ボケって周りからは言われてて。多分ちょっと常識からはかけ離れてるのかもしれないなって思います。本人はいたって真面目なんですけどね(笑)

だから、教育でも自然留学とか。公務員も絶対安定してるのに、先を考えれば辞めないよね普通。みたいなところで辞めちゃうし。でも、割とポジティブです。フットワークも軽いというか。

今日のインタビューも、疑うというか、ちょっとうん? って思うところだけど、もしかしたら何かいい方に行くかもって思って、お話してたりするし(笑)

だから、よく主人からも、騙されやすいから怖いねって言われるんですけど。やっぱりね、いろいろありますけど、それはそれで勉強だったって思うようにとか。

ただ、今お話しても感じられるかもしれないんですけど、なんか落ち着きはないかなと思って。年齢に比べても(笑)

メンタルもそんなに強くない方じゃないかなと思います。なんか優しいとか言われるんですけど、いい面が出ると優しいかもしれないけど、やっぱ弱いと思います。バリバリ前線で行ってこれるタイプじゃないというか。行きます、とは言うけど、すぐやられる感じがします(笑)

あとは、来たものにはとりあえず乗ってみようって思ってはいますけど。ここ何年間か、いろんな方とかいろんなことがあって、やっぱちょっと一旦考えて動かなきゃなと思ったので、割と考えてない性格ですかね。ちょっと分からないですけど(笑)
でも、これが私!友思ってて。

erica:一旦考えなきゃと思ったのは、どうしてですか?

坂本みんば:起業して学ぶことがすごく嬉しくって。本当に水を得た魚みたいな感じだったんですけど。お金を使ったり、すぐに結果が出なかったり、と、色々あったので。

やっぱり、地に足がついた主人からも、もうそろそろお金をもらえるような仕事せんとやない? みたいな感じで。そんな時に、起業塾とまではいかないですけど、結構高額なところで学んだりいろいろしたんですけど。やっぱり、枝葉の部分ばっかり追いかけてる感じがして。

インスタを学べば良くなりますよって言われればそうなんだと思って、はいって行ってみたり。でも、結局軸っていうか、マインドが整うことが大切なんだな、だから整理しようと思いました。

いっぱいあるじゃないですか、情報が。さっき言った性格みたいに、すぐに飛びつく感じで。やっぱ、退職金をそこで使ったりとか結構して。

騙されてはないんですけど、でも身になっているかっていったら中途半端な感じがずっと続いてて。情報で出てるのは、氷山の一角なんやけ落ち着け落ち着けみたいな(笑)

なので、今までは自分を信じてポンッて行きよったけど。ここで学ぶって決めることが本当に自分にとっていいの? っていうのをもう1回自分に問うように訓練しています。

erica:だいぶ変わりました?

坂本みんば:基本的には、やっぱ飛びつきたがるタイプなので(汗)
そうなんですけど。何でもかんでもっていう感じではなくなりました。断り下手だったんですよね、昔。今もあんまりスパッとは断れないけど。

でも、自分の言いたいこと言って、すみませんそれはやめますって言えるようになってきたので、だいぶ良くなってきたんじゃないかと自分では思ってます。

過去:やっぱ第三の場所。私は多分、祖父母とか地域の方が第三の場所だったから、道を踏み間違えずに、それなりにちゃんと育ったのかなっていう気がするんですよね。

erica:幼少期の頃はどんなお子さんでしたか?

坂本みんば:うちは、母が目が見えなくて、全盲なんですけど。私を産んで、だんだん見えなくなったみたいで。小学校ぐらいの時に、もう光も全く分からなくなったって感じなんですよね。

なので、幼少期は母の祖父母に育ててもらって、母は病院にずっといて、父は海外航路の船乗りで、1年に一度1ヶ月ぐらい帰るかなみたいな感じだったので。父が帰ってきても、知らんおじちゃんが帰ってきたみたいな、そんな感じでした。

だけど、寂しいとか苦しいとか悲しいとか、そういうのは全然なくって。祖父母が本当よくしてくれたし、周りの地域の方も私のことを自分の子どものように扱ってくれて。
それが中学卒業まで。

高校からは、母が盲学校から帰ってきたので、母と2人で住んで、1年に1回父が帰ってくるみたいな形ですかね。

幼少期はそういう境遇の中、明るく元気で男勝りだったので、周りの大人の人が「しっかりしとるね。頑張ってね」ってよく言われてたので、私はしっかりしてるんだと思ってたんですけど。

実際は、しっかりしてるというよりも、本当の自分はもっとフワンってしてるんだなっていうのを、大人になるにつれて気づいて。型というか、しっかりしなければみたいに思って生きてきたなっていうのを感じてました。

だから、子育ても最初は〇〇しなければならないみたいながっちりみたいな感じだったのが、やっぱり人と触れあった子育て中のいろんなことから少しずつ開いてきました。

erica:高校からの生活で、何か変わった部分はありましたか?

坂本みんば:土日は祖父母の家に行くのをずっと続けてたので、そこまで変わった感じはなかったです。ただ、父が1年に1回帰ってくるっていうのが、思春期にも入ってたし、変な感じ。何て言うんだろう? 父なんだけど、1年に1回帰ってくるって感じだったので。

で、高校になると、もう家より友達って感じだったので、家は家に帰るだけみたいな感じでした。ただ、高校になってからは、結局母と2人だったので、晩御飯作ったり自分の弁当は自分で作ったり。買い物も自分が行ってたので。

そういう意味では、祖父母の時は作ってもらってたので、心の面ではあまり変わらなかったけど、生活面ではそういう感じで変わってました。

erica:高校時代も、しっかりしなければという意識は変わらなかったですか?

坂本みんば:そうですね。割と優等生というか。天然ボケはずっとありましたけど、やっぱちゃんとしなきゃっていうのはありましたね。

で、第1志望の高校に落ちたんですよ。周りの人は絶対受かるって、先生たちも絶対受かるって言ってくれてたのに落ちたのと。中学校は分校だったので、女子は5人しかいなくて。だから、成績って決まってるし、あんまり変わらないんですよ。突然誰かが1位になるとかほとんどないから。
その中で、女子では私が一番というのも、ずっと3年間はみんなは分かってて。そんな中、女子の中で2番の子の方が、同じ高校を受けて受かったんですよね。そこでも、ちょっとガビーンみたいな。

多分、最後一生懸命その子は頑張ったけど、私はみんなに受かる受かるって言われてて、あぐらをかいてたんだなって、後々はそう思えたけど、その時は大ショックでした。

だから、高校入ってすぐは、いつも明るい私ですが、ちょっとどんよりしてたんじゃないかなと。遠い記憶で覚えてないんですけど、そんなこともありました。

erica:そのどんよりは、徐々に癒えていったんですか?

坂本みんば:最初は、もう1回その第1志望の高校に入ろう、この学校は辞めようって思ってたんですけど。元々運動するのが好きだったので部活に入ったり。で、周りの友達もできたし。そしたら、彼氏もできてたみたいな(笑)

順応力というか、適応力は私あるかなと思うので(笑)悪く言ったら流されるんですけど、よく言えば適応して、なんとなく自分だけどよーんとなっていても、周りが明るかったから明るくなっていったのかなっていう気はします。

erica:高校では、どんな生活を送っていましたか?

坂本みんば:高校は、落ちたところの普通科だったんですけど。おかげさまで成績はそこでは良くて。

元々、小学校の時は保健の先生になりたくて、中学校になったら体育の先生になりたくなって。高校でいろんな先生と話したところ、体育は学校に1人しかおらんし、保健も1人しかおらんけん、何か抜きん出てるならいいけどそこは難しいかなと思って。じゃあ、小学校の先生になりたいと思ったので、初等教育科のある短大に推薦で合格して行くことになりました。

そこは厳しい学校だったので、短大で制服もあったし門限もあったし寮だったので。高校生のような生活をしてました。そこでも、彼氏ができて青春みたいな感じで。

プライベートはそういう感じで過ごしてたけど、2年後には教員採用試験があって。やっぱり、採用試験になかなか受からないんですよね。1年目落ちる、で、落ちてどうするってなって、地元の臨時教員で入りたかったけど臨時教員もその頃なくって。

で、臨時で市役所に1回入りました。市役所の住民課で、その当時は手書きだったので、もうひたすら住所を書き変える仕事をしてたんですけど。その時に、あぁ私絶対事務職駄目だって思って。

そうこうしてるうちに、夏ぐらいに臨時募集があったので、すぐ臨時教員として転々といろんなところで働きました。そのうち、教員免許の制度が変わって、短大は二種という形になって。

専修免許っていうもう1つ上のランクができたんですね。だから、もう短大卒じゃと思って編入することにしました。何個かピックアップして、受かったのが四国学院大学という大学で、香川に行って2年間+αで勉強して。

で、臨時で働いていた時に、この子なんだろうって思うお子さんがいて、先輩の先生たちとも相談しながらやってたんですけど。いろいろ学ぶ中で、特性を持ったお子さんだったんだって後から気づいて。

特性についても学ばないと、やっぱ教員になった時に困るよなと思って。特殊教育専攻科が福教大にあるのを見つけて、編入して1年間そこで学んで、専修免許を所得しました。

卒業して毎年頑張るけど採用試験にはなかなか受からなくて。子どもに関わる、小学校とか就学前の施設とかいろんなところを探してちょこちょこ働きました。

で、やっと最後、寄宿舎指導員っていうのを見つけて。もう27でしたけど、運良く1回目に受けた時に受かって。29から、寄宿舎指導員として6年前まで働いてきました。

働いてる中で、子どもを4人産ませてもらったので。21年働いたけど、正味10年ぐらいかなって感じです。

erica:そもそも教員を目指そうと思ったきっかけはあったんですか?

坂本みんば:分かんないです。小学校から保健の先生って思ってたので。なんでしょうね。子どもが好きっというか、自分が子どもと関わることで元気になる感じでしょうか。後、人に教えるのが好きだった気がします。

保健の時は、人の手当をしたい、お世話をしたいと思ってたんでしょうね。

体育は、やっぱ自分が体育が好きで、才能があってとか飛び抜けてとかじゃなくて、動くのが好きだなというか、落ち着きがないに値するのかもしれないですけど。やっぱ動くことが好きって思ったから、体育の先生かなって。

おせっかいだから、教えたいと思ってたんだと思います。遊びでも、先生ごっことかしてたし。今もそういう感じだから、子育てでも行きすぎると教えすぎるというか。命令になって、よく反省するんですけど。

erica:事務職が駄目だと思ったのはどうしてですか?

坂本みんば:落ち着いてコツコツとずっと1つのことを続けるのが、私あんまりできないできないというか、得意じゃないなって。椅子に座ってずーっとは嫌だなと思って、常に動いておきたいなって感じでした。

erica:教員になるまでの数年間は、どんな気持ちで過ごしていましたか?

坂本みんば:そうですよね。今言われたら本当にね、なんでだろう。やっぱり、子どもに教えるとか、そういうのが理想なのは変わらなかったんだと思います。

保健の先生なり、体育の先生なり、小学校の先生なり。幼稚園の免許もあるので、幼稚園も受けようと思って受けたけど、幼稚園はもう年齢制限で駄目だったんですよね。

臨時で働いていた時も、子どもと一緒に遊ぶことがすごく嬉しかったので。自分も子どもなんじゃないですかね。歳だけど、心は若いつもりでいるし。そう言われたら、なんでだろう。そこはあんまり変わらなかったですね。

いろんなバイトもやってみました。船会社で○○丸みたいな船のカッティングしたり、事務手続きとかいろんな雑務もしたり。

あと、パチンコ屋でコーヒーを売るお姉さんをやってみたり、レジをしてみたり。いろいろしたんですけど、やっぱり先生になりたいというか、人と関わる仕事がしたいって思ってました。

なんで? って言われたらちょっと分かんないし、そう思い込んでたのかもしれないけど。子どもに関わる仕事ってずっと思ってましたね。今、質問されてみて不思議。

erica:実際に働き始めた時はいかがでしたか?

坂本みんば:まず1つは、すごく安定しました。こんなにお給料もらえるんだっていうのがすごい喜びでしたよね。

あとはやっぱり子どもと関われたので、めちゃくちゃモチベーションが上がったし、すごく楽しかったですね。

ただ、さっきも言いましたけど、空気読めないわけじゃない、気は遣ってるんですけど、ちょっと天然ボケっぽいみたいで。みんなでワイワイやってるときはいいんですけど、会議とかきちんと考えなきゃいけないところになると苦手だなって思って。

私が働いていた寄宿舎ではチームって動くんですよ。男子棟と女子棟に別れていて、例えば男子棟の201、202、203号室を4人の職員で担当するみたいな形だったので。

自分が年下で、入ってすぐの頃は、先輩の言うことを聞いて上手くいってたんですけど。やっぱ、自分が年上になってきて、こうじゃない? って思うことも。なんだろう、一般常識とはちょっと違うのかなみたいな。ぶっ飛んでるじゃないけど。

それぐらいいいんじゃないかって思っても、周りの方はいやいやいやってなる。だから、組織が苦しくなりましたね。

協調性がないわけじゃないみたいです。逆によく気を遣うよねって言われるけど、気の遣い方が多分一般の人と違う、よく分からないんですけど。ちょっと感じ方が違うのかなとは思うんですけど。

やっぱ、型にハマったやり方とか生き方は違うなって思ったりして。
ありがたいことに辞める時は、本当にいい形で私は辞めさせてもらったなと思います。

erica:いい意味でというのは、未練なくという感じ?

坂本みんば:そうですそうです。離島留学させてたって、さっき言ったと思うんですけど。3番目の子が種子島から帰る時と、1番下の子が1年生になる時が重なって。今までは、下の子が生まれて育休を取った時に、上の子が1年生で家にいれるっていう良いサイクルだったんですよ。

1年生って早く帰ってくるんですね。昼帰りとか、2時にはもう家に帰ってるとか。そんな時に、やっぱり寂しい思いはさせたくないって思ったのか、家にいたいなって自分が思ってたので。そのサイクルがすごく続いて、1人目2人目3人目は1年生の時に家にいれたけど。

4人目の時は、もう働き始めたから次が生まれない限りは休みが取れないわけですよ。でも5人目はないなって感じだったので、種子島の息子が帰ってくる、この子が1年生になる今ならって。

主人とも1年間やってみたけど、やっぱもう大変っていうのが分かったから今しかないって。ちょっと特色のある地域の学校があって、そこがすごく教育的にいいなって思ってたところなんですよ。歩いて通えるところじゃない、ちょっと離れてるようなところに行かせたいって私はすごく思ってたところがあったので。そこに行かせる理由にもなると思って。

前向きな形で辞めれたのは、退職の時に校長先生もちょうど退職だったので、お祭りムードっぽかったんですよ。で、それに乗っかって退職って感じだったので。辞め方的にもすごく良かったのと。

あと、辞めた年の5月のゴールデンウィークに、私の実の父が倒れたんですよ。私は一人っ子で、往復4時間かかるんですよ。行って2時間、帰って2時間。行ったり来たりとか、病院の移動とか施設探すとか、働いてたら自分もどうにかなるだろうなって感じだったので。

父のことにも集中できたので、振り返ると良かったのかなっていう感じです。

erica:過去のことで、何か話しておきたいことはありますか?

坂本みんば:寂しいとか悲しいとか思ってなかったけど、本当はそういう気持ちもあったのかなと思うのが、家族ができて、家族で何かをしたいというのが私すごく強いみたいで。家族でどこかに行きたいとか。もういいやんって主人が言っても、まあいいやんみんな揃ったからとか言って。そういう気持ちが強いのは、寂しいとは思ってなかったけど、そういうところもあったのかなって。

で、田舎だったので、わたし以外、兄弟がみんないたんですよ。全校で80人ぐらいだったけど、多分一人っ子、私だけじゃなかったかなぐらいの感じで。だから、そこはちょっと負い目というか、なんで私1人なん? って思って、母にももう1人連れてきてよって言って。結婚式の時に、そのエピソードで母と父に謝ったんですけど。

母としても産みたかったけど、目が不自由なことで産めなかったっていうのがあるのに、私は子どもながらに言ったっていうのがありますね。どこででもいいから連れてきてよ、みたいな。どういう風に言ったかはちょっと覚えてないんですけど、言ったのがすごく悪かったな、と印象に残ってましたね。

なので、逆に私は9人産むぞみたいな感じで(笑)意気込んでかな?
大家族に憧れてました。

erica:家族で一緒に、というのは今されている活動と共鳴するところはありそうですか?

坂本みんば:いや、そこはあんまりないかな。
今カウンセリングでお伝えしたいのは、私自身も〇〇しなければならないっていう呪縛みたいなものにとらわれていたこと。そこからちょっと外れて、いいんだよ、人に頼っていいってことを伝えたい。

やっぱ第三の場所。私は多分、祖父母とか地域の方が第三の場所だったから、道を踏み間違えずに、それなりにちゃんと育ったのかなっていう気がするんですよね。

今は、おじいちゃんおばあちゃんも一緒じゃなかったり、近所のおじちゃんおばちゃんもいなかったり、お寺とかプラっと寄るところがない。だからこそ、第三の場所。

誰でも良くて、学校の先生であってもいいと思うんですけど。学校の先生も今なんかあんまり、みんながみんなそうじゃないと思うんですけど、熱い先生がいないのかなと思って。

そういう生き方やあり方をお伝えできたらいいな。
カウンセリングとはちょっとちがうかもしれないですけど。
カウンセリングはカウンセリングで、お母さんたちの抱えていることを聞いて少しでも楽になってもらえたらって思っていて。

こんな偉そうなこと言えないんですけど、何か軸を持って熱く生きることで、子どもがその後ろ姿を見て、あんな大人っていいなとか、かっこいいなとか、大人って楽しそうだなって思える、そんな生き方を伝えたいなと思っています。

未来:親がなくても子は育つっていうけど、やっぱ温かみっていうか、向き合い方によって違うのかなと思うので。

erica:未来について、どんな理想をお持ちですか?

坂本みんば:自分の生き方やあり方に軸を持って、倒れても戻ってまた自分でやっていける方を増やしたい、輝くお母さんたちを増やしたい。

人に頼っていいし、第三の場所を見つけながら、未来に向かって熱く生きれるような心のあり方を、どの場所でもいいので伝えたいなって思っています。

5年後は奉仕活動じゃないですけど、呼ばれるところがたくさんあって。夢になりますけど。どんどんそういうことをお伝えして、相談に来られたら乗ってみたいな形でできたらいいなと思います。

10年後も、今度はそういうことを知った方が増えて、またいろんなところでそういうことを伝えていってる人になっていたら、より良いかなって感じます。

erica:その未来が実現したら、どんな気持ちになりそうですか?

坂本みんば:めちゃくちゃ嬉しいと思う。死ぬ時に、やっぱり私これで良かったんだって死ねそうです。私にしかできないことができたかなって。常に幸せですよね、多分。

もう1つは、子どもたちがどう思うかわからないけど、お母さんはそうやって生きたんだなって、何かが子どもたちの心に残ってくれている気がしてます。

erica:幼少期に、第三の場所がなかったとしたら、今どうなっていると思いますか?

坂本みんば:結婚間近になって、父と母がようグレんでおってくれたねって言ってたけど。多分、祖父母が認めてくれてなくて、本当に寂しい辛い面白くないってなったら、本当にグレていたかなと。

今が素直ってわけじゃないんですけど。一般的な生活をもしかしたら送ってない。悪いことをして少年院とか、もう飛び出すとか、分かんないんですけど。どこかでやっぱ認めてもらえなかったら、何か問題が起きてる気がします。

erica:どうしてそう思いますか?

坂本みんば:やっぱり、祖父母が本当に愛情を持ってくれてたなとすごく感じてるからですね。父母は人間としてすごく尊敬してて。
母が目が不自由になって、私を育ててくれた母方の祖父母が母と私の面倒をみてくれてた時、もう離婚して次の人と幸せになってっ祖父母が父に言った時も、父は「いや縁があるから」っていうことで離婚するのを断って面倒見てくれたので。そういうエピソードを聞くと、やっぱり父を尊敬していて、私達のために働いてくれたとすごく思います。

母は目が不自由になって自殺未遂もしてるんですけど何回も。でも、立ち直れた時に盲学校に行って首席で卒業して。その後は地元に帰って鍼とかマッサージをして。地元の小学校からも生涯にまつわる講演を依頼されて、学校で自分の半生を話すみたいなこともしてたので。

人間的には尊敬はしてるけど、父と母というイメージはやっぱ祖父母。育ててもらったって感じだったので。

祖父母が亡くなった時も、うわーって感じだったので、やっぱ心のよりどころっていうか、温かい気持ちで一生懸命愛を持って育ててくれたのがあったんじゃないかなと思います。

なので、世の中も、親じゃなくても、そういうものがあれば、みんなやっぱり育っていけるのかなって。親がいても、そういうものがなければ道からそれるし。

親がなくても子は育つっていうけど、やっぱ温かみっていうか、向き合い方によって違うのかなと思うので。私の場合は、祖父母とか地域の方がいてくれた。

erica:最後に言い残したことはありますか?

坂本みんば:苦しい時は頼るというか。さっき言ったように、第三の場所でもいいし、誰でもいいけど、そうすることで、温かみとかいろんなものが流れてくるのかなと思うので。

上手く言えないんですけど、みんなそうやって生きていけたらいいですねっ。
未来の子どもたちに何をどう残したいかって思った時に、今言ったような温かみとか生き方とかあり方とか考え方とかを、堂々と大人が伝えていける日本になったらいいなと思います。

忙しいは心を亡くすって書くけれど。心をなくすまで1人で頑張って苦しまないでほしいなと思います。
昨年、Amazonで電子書籍をお母さん向けに出してて。それにも書いてるんですけど、自分が駄目だって思わずに、何でもいいのでちょっと吐き出してみるとか、1人の時間を作るとか、何かの方法で自分を大事にしてほしいなと思います。

erica:本はいつ出されたんですか?

坂本みんば:一昨年の3月ですね。

erica:どんな内容になっているんですか?

坂本みんば:『子どもの才能がぐんぐん伸びる迷わない子育ての道しるべ』というちょっと長いタイトルですが(笑)

子育てをする中で、私は人に頼ってはいけないと、ちゃんとした母親でなければならないみたいなものにがっちり囲まれてた頃のエピソードから、本当にきつい時って、助けてくれる人に迷惑をかけるって自分が思ってるだけで、相手は頼られて嬉しいと思うし。お互いに頼ることができて嬉しいのもあるっていうエピソードも入ってたり。

あとは、離島留学を4人ともしてるので、その4人のエピソード。なぜ離島留学をさせたいかっていったら、3つ子の魂100までっていう風に、リアルな体験がいかに10年後20年後の子どもの自立に有効かを自分が経験していて。

それこそ、祖父母と餅つきをして、臼取ができる自分が大人になった時に、いろんなところでめちゃくちゃ喜ばれて自己肯定感が上がってみたいな、そういうエピソードもあるので。

ちっちゃい頃にしたことは絶対に活きるんだっていう確信があって。
リアル体験がすごくいいよっていう子育てをしてきた中で、そういう意味でも離島留学をさせ手。

でも、もしかしたら、実は、苦しすぎて誰かに預けたいって思ってた気持ちがあったかもしれないっていうのも書かせていただいて。
だからこそ、第三者に預けたときに、違う視点からも見てもらえる。第三の場所があることで、子どもも私も助けられたのかもしれない。

お母さん頑張りすぎてますよねって。だからいいんですよ頼ってって。よく、生きてるだけで丸儲けっていうけれど、もうホントにそれだけで100点満点。

ワーッと主人と喧嘩して、外に飛び出したこともあって。そのエピソードも。
そこから、自分の時間がお母さんにはないんだったら、取ったらいけないじゃなくて、たまには自分の時間を取るっていうのも大切と思って。

お母さんはもう本当に100点満点なんだから、もうそれでいいんだよって。もしも、話す人がいなかったら、見ず知らずの私なり、どっかのカウンセリングなり、頼るところがあれば見ず知らずの人でもいいからとにかく吐き出した方がいいですよって。

一番最後は、やっぱり家族への感謝。私がもし死んだら、これを見てくれたら家族への感謝も受け取ってくれるかなっていう思いで、家族への感謝を書きました。

きちんと学んで書いたりとか、誰かにすごい見てもらったとかじゃなく、ただ綴ったって感じです。よく周りではマーケティングとか何かの宣伝でってあるけど、私は全くそれではなくて、とにかく本を書きたいっていう思いがすごく強くて出させていただいてたんですよ。

たまたま、「パラオ戦従軍記」っていう、明治生まれの祖父が本を書籍で出してるんですよ。今も家に1冊あって、売られてるかどうかはもう分かんないんですけど。やっぱり、それ之影響もあったかもしれません。祖父がそういう本を出してるってすごいなっていうのもあって、本を出した。だから5年後10年後は、今は電子書籍だけどいつかちゃんと紙の本を本屋さんに並べたいなと思いました。

あとがき

社会に出てから、人に頼ることの大切さと、頼れる存在があることのありがたみを改めて知りました。

苦しい状況にある時だけじゃなく、勇気が欲しい時、何か実行に移したい時。他者がいることで救われるな、と感じます。

私は1人で生きられるようになるんだ、それが自立だ、と思っていたけれど。
自分の強さも弱さも全部向き合ったうえで、誰かに助けを求められる。そして、自分にとって然るべき行動が取れる。それが自立なのかな、とも思います。

みんばさんの言葉に心が温かくなったインタビューでした!ご参加ありがとうございました!

【インタビュー・編集・あとがき:erica】

#無名人インタビュー #インタビュー #カウンセラー #子育て #離島留学

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