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どうしようもできないよなっていうのを作品に昇華して表現したい人

むかしむかし、ある寂れた村に、表現(ひょうげん)という名の若者が住んでいました。表現は、村の貧しさや苦しみを見るたびに胸が痛みましたが、どうすることもできないもどかしさを感じていました。
ある日、表現は村はずれの古い祠で一枚の筆を見つけました。その筆を手に取ると、不思議なことに心の中にある「どうしようもできない」思いが、美しい絵となって紙の上に現れたのです。
驚いた表現は、その筆で村の様々な苦しみを描き始めました。干ばつで枯れた田んぼ、病に伏せる老人、壊れた橋。しかし、筆が生み出す絵には不思議と希望の光が宿っていました。
やがて、表現の絵は村人たちの目に留まるようになりました。「これは私たちの苦しみだ」と村人たちは言いました。しかし同時に、「でも、こんなにも美しく表現できるのか」とも。
表現の絵を見た村人たちは、自分たちの苦しみを新たな目で見るようになりました。「確かに今は苦しいが、それを乗り越える力が私たちにはある」と、希望を見出し始めたのです。
ある時、都からやってきた旅人が表現の絵を見て、深く感動しました。「これほど心を揺さぶる絵を見たことがない」と、旅人は多くの人々に表現の絵のことを伝えました。
やがて、表現の絵を見るために多くの人が村を訪れるようになりました。訪れた人々は、絵に描かれた苦しみに共感し、村を助けようと動き始めました。
こうして、表現の絵をきっかけに、村は少しずつ変わっていきました。干ばつに備える新しい農法が導入され、医者が村に来てくれるようになり、壊れた橋も直されました。
後に表現はこう語ったそうです。「どうしようもできないと思っていたことも、それを表現することで、人々の心を動かし、世界を変える力になるのです」
そして「筆の力は心の力」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2024年9月18日8時15分に書く無名人インタビュー896回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 容原静 さんです!

年齢:20代後半
性別:男
職業:劇団代表
X:https://x.com/katachi0916


現在:1人や2人でも何かその自分がと同じような感情とか、登場人物と同じような思いをしてる人の気持ちに寄り添えたらいいなと思って作ってたので。なので全体で言ったら全員に受ける作品ではなかったんですけど。でも、数名のやっぱり響く人がいたから、それがすごく個人的には嬉しかったですね。

いまじん:
要原さんは今、何をしている人ですか。

容原静:
演劇をやっています。演劇って言ってもいろいろあるんですけど、自分で団体を持っていてそこの代表しながら、脚本・演出、時々役者で出るっていうことをしております。

いまじん:
演劇ではどういったテーマのものを扱っていますか?

容原静:
元々、自分があんまり人と話すのが得意ではなくて、人間と話すっていうのはすごく大切なことだと僕は考えてるんですけども。人の意見を聞いて、人の考えを聞いて、自分の考えを伝えるのってすごく大切だと思ってるんですけども。

やっぱ話すのが苦手だったので。それで自分は何ができるんだろうなって考えたときに、自分がやっぱその演劇というかそういう創作物にすごく助けられてきて。いざその自分がその人生に迷ったときに何ができるかなと思ったときに、自分は何か創作の世界で、何か物事を作ることによって、人と何かコミュニケーション取れるんじゃないかなっていうことをすごく大切にしてて。演劇で言えばジャンルとかで例えば歌舞伎伝統芸能になるんですけど、歌舞伎であったりとか、全然違う会話劇とか、ファンタジーとかいろんなジャンルがあるんですけど。あんまりそういうジャンルにこだわるんじゃなくて、自分が今、誰に何を伝えたいだろうって。自分の周りの人間もそうだし、全体的に生きている中で、不満に思うこととか、問題だなと思うことに対してアプローチするものとして演劇っていうので、作品を作ってます。

いまじん:
最近でいうとどういった内容のものをやられていたんですか?

容原静:
最近だと、1人芝居で30分の作品をやったんですけれども。元々、書くのから僕は始めて。小説とか書こうとして、詩とかを書こうとして始めた経緯があって。すごく何か物を作品自分の作品の中でも、詩人とかすごく出すんですが。直近の作品だと詩を書いて書いて読む人を主人公にして。わかりやすく話すんではなくて、詩をひたすら読んで30分終わらせるみたいな作品を作りました。

いまじん:
1人芝居っていうのは、脚本もご自身で?

容原静:
そうですね。脚本も演出も。直近のやつだと、僕が出ましたっていうのが、最近の作品ですね。

いまじん:
ご自身でやってみて、どうでしたか。

容原静:
作品自体は、10何本か作ってきたんですけれども。
今回の作品とかだとすごく僕の芝居とかがすごく激しく、舞台上でもセリフとかを言うという形でやって。すごくなんかそういうことをすると結構お客さんが引いてしまうところもあるんですけれども。ちょっとその作品的にそういうことをしないといけないなっていうのがすごくあって。やらないといけないなっていう演技。自分の作品的にそれを踏まえてやってみて。

やっぱりやっている中で、舞台上はライトついてて客席は電気が消えてるんですけれども。舞台上の明かりからちょっとお客さんの顔が見えるんですよね、雰囲気とか。を見てるとやっぱり、すごくついて行けないなっていう人もいて。終わったときとかでも拍手とかはしてくださるんですけれども。

演劇って終わると最後にやらないところもあるんですけど、お客さんにありがとうございましたって一礼するんですよ。一礼すると慣例で、大体のお客さんは拍手さしてくださるんですけれども、拍手をしてくださったんですけれども、でも何かやっぱりちょっとこの作品をどう受け止めたらいいのかっていうのがすごくあったんですが、それでも数名のお客さんが終わった後とかに良かったですっていうのを、感想とかで、伝えてくださって。

それで自分的には、今回の作品は万人に受けるんじゃなくて、1人や2人でも何かその自分がと同じような感情とか、登場人物と同じような思いをしてる人の気持ちに寄り添えたらいいなと思って作ってたので。なので全体で言ったら全員に受ける作品ではなかったんですけど。でも、数名のやっぱり響く人がいたから、それがすごく個人的には嬉しかったですね。

いまじん:
ストーリーの内容をもう少し教えてもらってもいいですか。

容原静:
詩を読むというところから始まるんですよ。中原中也っていう昔の詩人がいたんですけれども、「春日狂想」という詩がありまして。その詩の一部を引用して始めるっていうとこから始まって。

そこから詩人の男の人生を語りながら、詩人が作った詩を読んでいくっていうのが、全体の大まかなストーリーですね。さらに進めると、その詩を読んでた人は、実際には死んでいて。それが最後の方に明かされるんですが。実際、何か芝居をしてたのは、その人ではなくて、その人の息子が父親の残した手記とかから、そういう詩人の人生とか詩人の詩はこういう詩を書いてましたよっていうのを説明するみたいな話にまとめました。

だから見てる方としては、やっぱそれが誰が今、舞台上にいて、だから、知人の詩人、がいるのか、それとも息子がいたのかって。息子が詩を読んでいたのか父親が死を読んでいたのかっていうのがすごく曖昧な感じで進めて。そういう感じですごく何か抽象的な感じで物語がまとまってて。

物語というよりは、詩は刹那的なものであるって。今、生きているっていうそのときの刹那的なものであるって、登場人物がセリフで最後に言うんですけれども、それでなんとなく、全体的に一瞬一瞬の命のきらめきとか叫びとか、心の中の思いを吐き出し続けているみたいな作りにした作品でしたね。

いまじん:
そのストーリーはどういった経緯で思いつかれたんですか。

容原静:
元々、別の作品をやる予定だったんですよ。1週間ぐらい前まで。演劇って短くても3ヶ月ぐらいで作品で稽古、作品、脚本ができて、それから3ヶ月ぐらい、役者さんが稽古して、本番を迎えるって感じ形なんですけど。

別の作品を3ヶ月ぐらい2人芝居だったんですけど、作ってたんですけど。1週間前に僕がコロナになってしまって。2人の芝居の作品の稽古が1週間前にできなくなって、まだその段階で完成してなかったので。さあ、どうしようかってなったときに、自分がコロナになってたんですけど。

自分がやっぱり、講演を中止するかしないかで、中止にしたくないから。でも2人で作ってるやつをこのまま本番出すのはちょっと難しいねって話になって。それで、それやったらあの無茶やけど、自分が1人で出るわってその役者さんと話し合いしてなって。

自分がそっから1週間で、何ができるかなって考えたときに、すごく自分自身が今まで書いてきた作品の中でもかなり詩を作ってきたんですけれども。その詩を引用したら、作品を作れるんじゃないかなと思って。

自分自身にすごく共通するような、感覚がやっぱりその詩人っていうキャラクターとかにあるんですね。自分の今までやってきたことと主人っていうキャラクターにすごく共感できるところがあるから。できるんじゃないかなと思って、それで作ってみたって感じですね。

いまじん:
1人芝居っていうのは今回が初めてだったんですか。

容原静:
1年前に一度、東京、演劇祭でしたことがあって。それが初めてで、それから短いのは少しあったんですけど。長い30分ぐらいの芝居は2回目ですね。

いまじん:
何人かでやる演劇と、1人芝居っていうのは、どういった違いを感じられますか。

容原静:
やっぱり2人とかだと、同じ30分でもセリフを交互に言ったりだとか、相手が行動してる間に、相手の演技を受け止めて、自分が返すっていうのは、キャッチボールをずっとしてるような感じなんですけど。

1人芝居だとキャッチボールする相手がいないんですよね。ずっと自分で、あのリズムをずっと自分で作らないといけないんですよ。だから、あの自分が止まっちゃうともう完全に動かなくなるんですよね、作品自体が。

だから止まると怖いんですけど、まだ助けてくれる人がいるって安心感がやっぱりあるのが2人以上芝居なんですけど。1人だと、もう誰も助けてくれる人がいなくて、自分が止まった場合、動けなくなった場合、劇自体が止まっちゃうから。そこがすごくなんだろう、精神的なプレッシャーだったり肉体的にも、プレッシャーになるところが大きな違いなのかな。

いまじん:
今回の直近でやられた、1人芝居中は?

容原静:
今回は特別止まることはなくて。ただやっぱあの稽古をする時間がなかったので、どうしてもその動きとか、セリフの出し方っていうのが絶対にちゃんとしっかりと作り込んだ作品に比べると劣ってる部分があったので。もうその劣ってる部分も含めて芝居に見せあんなんなっていうので、すごく動き方とかを意識してあったんですけど。

今回はそうだったんですけど、1回目のとき、途中で止まっちゃったんですよ。初めて1人で30分間ずっとセリフを言い続ける、舞台に立ち続けるっていうことをしたときに、すごく汗がめっちゃかくし、頭がついていけなくなってヒートアップしたみたいな感じになって。次のセリフ次のセリフ次のセリフださんなださんなって、お客さんの前やしっていうのをすごく自分自身に緊張感がすごく高まって。

それで30分間のうちの15分か20分ぐらいで、途中でセリフとか動きに頭がついていけなくなって。止まって、それがすごく怖かった、びっくりしましたね。初めてやったときに、1人芝居を初めてしたときにびっくりしたのがそれで。そういう経験があったから、まだちょっとあまり、自分がこれしたら止まっちゃうよなっていうのを少しは把握してたんで。2回目は少しそういうところに対しては、あらかじめ危機感を持ってできたから、まだマシだったかな。

いまじん:
直近の1人芝居は、感情としてはどういったものがありましたか。

容原静:
それの2週間か3週間前ぐらいに、演劇やってる人たちで話をするときがあって。
自分たちが今までやった舞台で一番しんどかった舞台って何?っていう話になって。僕の場合、あの自分が役者じゃなくて、脚本演出でとか、裏方でやるとかの方が多かったので、そういうときに自分じゃなくて役者さんがすごく大変な舞台任せてきたなって、頭の中で考えてたんですけどその話をしてたときには。

直近の1人芝居は自分が今までにその役者さんに任せてきたしんどい舞台より、一番そのす台本が、この作品やるぞってなってから本番迎えるスパンが短かったんで。そこがすごく自分にとって、ほんまにできるのかっていうのができるのかっていうのが本当に恐ろしかったですね。

やっぱり1週間前に、さあどうするかって話して、そっから脚本書くのに、やっぱ本番のお1人、2日前ぐらいにようやく目処が立ってこれで行こうってなって、そっから2日で本番で。さらにコロナでずっと寝込んでたから、体が動けるのか、声が出るのかっていうのをすごく分からない状態だったので。今まで何か周りといろんな人とやってきたんですけど、今まで一番かなり困難な本番だったので。だから乗り越えられてすごくいろいろと勉強にもなったけれどもっていう。

いまじん:
お芝居のことについていろいろお聞きしてきましたが、お芝居以外に何か時間を使われていることってありますか?趣味とかでも。

容原静:
本当になんかここ1年とか2年ぐらいがめちゃくちゃもう、演劇演劇みたいな感じで、過ごしてるんですけど。最近あの家族で旅行に行きまして。その行くのがすごくなんか、56年ぶりか、7年ぶりぐらいで。関東の方に、プロ野球の試合を見に行きまして。

昔から野球とかめちゃくちゃ見るのが好きで。やってた頃もあったんですけれども。幼少期というか、小学校高学年ぐらいに野球を始めて、そっから元々演劇じゃなくて野球にめちゃくちゃハマってて。野球のゲームやったりとかプロ野球の試合を見たりとか、高校野球とかやってたらずっと見たりとかって。ずっと野球見てて、その中学校とかで野球やってたときとかもうバッティングセンターとか行って、ずっとバッティングするみたいな。昔は野球ばっかりやってたって感じです。

いまじん:
久々に観戦してみて、どうでしたか。

容原静:
やっぱり最近、演劇の舞台観に行く方が多かったから。やし、自分が作品作ってお客さんにどう思ってもらうか、みたいなところをすごく意識的にやっぱりやってるから、なんか感動するとかっていうのは少し昔に比べたら何か感覚的に薄れた感じはあったんですけど。でもやっぱりプロ野球っていう球場のファンの1人1人のすごい熱気だったり、球場とか球団をあげて野球とかチームを盛り上げていこうっていうすごいパワーが強くて。

やっぱ演劇とかだと多くてもそんなにお客さんなんて、めちゃくちゃ商業的なんでも1000人とかいってもみたいなんで。僕がやってるとことかだと、やっぱ多くても100人とか200人とかなのに。野球だと1日で、やっぱりプロ野球だと1万2万3万でお客さんが入るから、それが本当に熱気がすごくて。やっぱりそこで試合とか見てると、なんだろう。なんか1日見るっていう本当に毎日、日々、生活の中で、そうやって野球を見る。ただぼーっと暇やから行こっかとか仕事終わったから行こっかみたいな感じで。やっぱり球場ってすごくそういう空気があるから。そういうのって忘れてたけど。すごく何だろう。今でも自分自身がやっぱり、試合見に行って、ただぼーっと座ってるだけでもすごく、楽しい、面白いなっていうのはすごく感じましたね。

過去:こんだけもらったんやったら、恩返しじゃないけど、何か返さんなんなって。

いまじん:
小さい頃、幼稚園とか保育園とかぐらいの自分の覚えている記憶の中で、ご自身はどんな子供でしたか。

容原静:
結構なんかおとなしくて、ぼーっとしてる子供でしたね。

あんまり自分から意見を言えないタイプで。覚えてるのが小学校3年生か4年生のときに、新任の先生が自分の担任になって。その先生がすごく生徒に意見言えるように、すごく誘導して声かけたり気遣いするタイプの先生で。

僕がやっぱり人の人前で自分の意見言うときにすごく恥ずかしい。照れて言えないみたいな感じの子だったんですけど。そんな感じに、もじもじしているときに、「要原くんなんか言いたいことあるんじゃない」みたいな。言ってはないんですけどそういう感じで、意見を言っていいよってなったときに、なんかすごく、ドギマギしながら話したりしてたのを覚えてます。

いまじん:
それによってちょっと変わったこともあったりしたんですか。

容原静:
そっから急激に何か意見言い始めたとかは別になかったんですけど。

やっぱそのときぐらいに何か演劇とか、ちょっと繋がるんですけど学校の劇みたいなやるよってなったときに、なぜそうなったのかわからないんですけど、役をもらって。セリフを全校生徒の前で言ったときに、ウケたんですよね。ウケて、それで、劇終わった後とかで給食食べ終わって昼休憩とかして廊下歩いてるときに、後輩の子とかにその劇のセリフとか文字って言われたりとかしたりして。それがなんかすごく、嬉しかったんかわかんないんですけど、すごく印象的で覚えてるんですね。

あんまりなんだろう、特別何か成功体験。失敗って言う失敗をするほど、何かチャレンジしていったわけじゃない幼少期の記憶なんですけど。ただなんか、いい思いをしたなっていうのがすごくそういう、それがすごくありますね。

その幼少期とかで言うと幼稚園のときに柔道やってて。それが小学校にて野球をやる前ぐらいまで、柔道を親がやらへんかって言って。やらされてたんですけど。

のんびりした人間で、柔道だと、人を倒さないと残れませんよっていう。やっぱりそういうのが強いから。すごくそれを練習とかでもすごく相手を倒せ!とか、とにかく走れ!とか、すごく声かけても、僕はすごくそれに対して拒絶反応がすごくて。あそこで他の子とかがいい成績残したときに、柔道の先生にめっちゃ褒められてるんすけど僕はそんな成績残したことなかったから、なんかそれがすごくコンプレックスじゃないけど。失敗体験みたいな。すごく心の中に溜まってたんですよね。っていうので学校の授業とかで、演劇みたいなんで、周りにウケたとかっていうのがすごく対照的に、イメージで残ってます。

いまじん:
もう少し年を重ねてからはどういったことが好きだったり、興味を持ってましたか。

容原静:
小学校5年ぐらいに柔道の入ってクラブが人数少なくて、なくなったんですよ。なくなったときに、何もしなくて家にずっといたんですけど。っていうときに親が、野球あるかやらへんかって言って。そのときは野球って全然興味なかったんですよ。

ただ、初めて声を出してボールに「こいよー!」とかって言ったり、仲間が打席に入ったときに「頑張れー!」とかって声出すだけで褒められたり。あと打席立って、全力で練習して、初めてヒットを打ったときとかもすごくそのコーチの人とか褒めてくれたりとか。

それでスポーツでも何か柔道と違って、野球は運動神経悪くても、やりようがあるなって、楽しみようがあるなとかっていうのを感じて。そっからすごく下手くそではあったんですけど、なんか野球が楽しいなって、やるの楽しいし、観るのも楽しいなってどんどんはまっていきましたね。

いまじん:
野球以外には何かやっていましたか。

容原静:
やってたので言ったら、子供のときから結構ゲームやってましたね。中高ぐらいで一部のゲームをやってたんですけど、中学校ぐらいまで結構やってて。そっから、野球のゲームやったり昔やってた部分的に何か好きなゲームとかしかしなくなったんですけど。やっぱりあと、すごくめちゃくちゃ漫画読んでましたね。なんか古本屋とかに行って。

元々、母親が図書館で働いてて、それで図書館の本を借りてきた中に、その手塚治虫の漫画であったりとか。そういうのを読んで、すごく面白くて衝撃受けて。そっから古本屋行って漫画買い漁って。手当たり次第に読んでいくみたいな感じで。してましたね。

いまじん:
漫画のどんなところに面白さを感じてましたか。

容原静:
そうですね。漫画で言うと、さっき言った手塚治虫の漫画が最初にすごくぐわってきて。自分の生死感とか。今、演劇ですごく死にまつわる話とかすごく自分で書いてあったりとかしてるんですけど。手塚治虫の漫画を小学校3年4年ぐらいのときに読んですごくなんか、生きるということはどういうことなんだろうとか。死んだらどうなるのっていうのめちゃくちゃ考え始めて。

あと、野球の漫画とかですごく人間ドラマとか、そういう生きるっていうのは、生きてて楽しいってこういうこととか。こういう生き方もあるんだよみたいな、そういう自分が知らない生き方、とか考え方とかが自分自分の場合なんか漫画にあったんかなって。すごく自分が田舎の生まれと育ちだったんで周りに特別遊ぶところとか、なんかすごく、知的な経験をするっていうのを味わう機会が僕の場合なかったので。何かそういう漫画とかから、そういうものを漫画にそういうものを見いだしてたのかなって。話してて思いましたね。

いまじん:
ちなみに、演劇に出会ったのはいつ頃ですか。

容原静:
演劇は20ぐらいですね。
やる機会自体が、高校入ったときに、演劇部があって興味あったんですけど、野球部入りたいから野球やると演劇はできないので、兼部なんてなかなか忙しいから難しいっていうのがあったので、入るのをそのときは諦めたんですけれども。その20ぐらいのときに、演劇やろうかなってなりましたね。

いまじん:
やろうかなっていうのは、どういったきっかけだったんですか。

容原静:
結構、経緯があって。
高校入って1年ぐらいで高校休学したんですね。行けなくなって。それで自分、全く動けなくなったんですよ。何もできなくなってしまって。何もできなくなったときに、そのすごくそのときに野球ずっと見たりとか。ネットのゲームの配信とかをずっと見たりとか、あと漫画みたりとかアニメ見たりとかってしてたんですけど。自分に得意なもの、自分にできることって何かなって思ったときに、結構その漫画とか読んでたのもあってその学校の授業で言うと国語が得意だったんですよ。

なんか書くのとかだとまだ自分はできるかもしれないって、何もできなくなったときに思って。そっから、小説とか書くのにチャレンジしたり絵描くのにチャレンジしたり。漫画が好きだったんで漫画描きたいなと思って。絵は下手だったんですけども、ちょっとチャレンジしてみて。で、そういうことを続けていった中で2年ぐらいしたときに、これから先もっと書こうと思ったときにもっと人のことを知らないと書けないなと思って。

ってなったときに、自分の場合、何か生きていくことというか、やっぱ社会でやっぱ仕事をして生きていくことから学生のときにドロップアウトしてしまった自分が一体どこの集団に入って、これから生きていけるんかなと思ったときに、今、漫画だったり、そういう小説書くことであったりって、その文化的な方向に興味を持ってたから。それだったら、結構、絵を描くのはすごく1年ぐらいずっとデッサンとか1人でやってたんですけど、しんどかって。アニメとか漫画とかの方向はちょっと難しいなと思って。ってなったときに、自分はあの野球とかって体を動かせて声も出たから。それだと演劇は役者が体を動かして、声を出すもので。高校行けなくなってからのアニメとか見たりとか勉強とか考えてしてたときに、アニメの監督さんとかがアニメとか作るのには、映画とか勉強したり、あと演劇のそういうやり方とかを取り入れてるよっていうのを言ってはって。それやったら、自分は何か演劇やったらいいのかなと思って、そっから探して、始めたって感じです。

いまじん:
初めて見た演劇とかって、覚えてますか。

容原静:
初めては学校の。いや、自分のいとこが連れて行ってくれた、大輔華子っていう芸人さんがいらっしゃるんですけど。の人がやってるお芝居を初めて見に行ったのが、初めてかな。

それはちょっと今自分がやってる方向とはまた違うんですけど。すごくその話題を取り入れながら、人情で見せていくみたいな。それが初めてかな。あとはあの学校の授業とかでそういう文化祭とか終わった後とかに演劇を見せます、みたいなんで、見たやつとかも結構印象に残ってます。どっちかというと今、その自分が作っている作品とかってそういうそっちの方向なんですけど。それが結構印象的です。

いまじん:
どんなものを見たかは記憶にありますか。

容原静:
どういうストーリーかは覚えてないんですけど、女性の方がカエルになって。すごく低い声で、床にはいつくばって。言いながら、雨が降っているみたいな。BGMで雨が降ってて、正面暗くてみたいなしか覚えてないですよね。見てるときも、どこが面白いんだろうと思いながら見てて、何やってるんだろうみたいな。意味がわからない。でも意味がわからないから何なんだろうみたいな。あの人たちは今、あの人たちは誰だったんだろうっていうのをすごく頭の中にあって。何者だったんだろうって。今もやってるんかやってないのかみたいなのがすごくちょっと、気になってるんですよね。

いまじん:
実際に自分が作っていこうとか演じていこうっていう、確信っていうのは、どういったところからでしたか。

容原静:
自分がちっちゃい頃にその漫画とか読んだり。高校行けなくなったときに、その演劇じゃないんですけど、いくつか作品を見たときにすごく救われて。

それってすごく著名な作品もあったら、全然イラストとかでも、誰も見てないような、ほんまに10人100人いいようなイラストとかでも描いてる人のイラストを見て、すごく救われて。そういうのを見たときに、大衆に受けるだけの作品じゃなくて。趣味にも、どういっても言えないぐらいのものでも、作品でも、一部の人間にはすごく救いになるんだなっていうのをすごく感じて。

それを思ったときに。自分の場合、まだ生きることを諦めるには早い年代なんですけど、10代20代っていうのは。だけどそうやって救われた感覚をしっかり大事にしたいなって思いまして。ってなったときに自分の中にあるその心持ちとか、いろんな作品に助けられてきたから。自分がやっぱり作る側にあって、その恩返しをしたいなって思って、やろうって思って続けてきて。

続けてきた過程で、いろんな人に嫌な変化とか、いや、どうなんとかとかいろいろと声掛けとか、気遣いとかしてもらって作品を実際に作ってきて。で、演劇が特別なのって、少し他のと違うのって、漫画とかだと極論言うと1人で書けるんですよね。音楽とかでも作ろうと思ったら1人できるんですね。歌ったりとか。もちろんバンドとかとかなるとまた変わってきますし、ライブのツアーとかってのは話は変わるんですけど。

でも演劇って、役者さんだけじゃなくて、その脚本演出で、照明とか音響とか他にもたくさん、いろんな人が関わらないと作れないんですよね。っていうので、自分が実際に作品作ってきたときに、人がたくさん集まって、僕の場合はアマチュアだったんですけどアマチュアでお金にもならないのに、人が集まって1ヶ月2ヶ月、3ヶ月作品作るっていうのを何回も何回もやって。っていっぱい作ってきた中で最初は、いっぱい時間使っていろんな人作って考えてやったけど。うまくいかへんなーっていうのを何作品も経験したんですけど。何作品かやっていくことにどんどんどんどん周りが楽しいよねとか、これ面白いよねとかってなってきて。

で、ある時5本目ぐらいのときに、お客さんはそんなに来てなかったけど、役者さんがもうほんまにめちゃくちゃ頑張ってくれて。本番を迎えたときにすごく良い舞台に、いい作品になったなっていうのを見たときに、こんだけもらったんやったら、恩返しじゃないけど、何か返さんなんなって。やっぱりいい作品作れるんやったら作っていかんなんなっていうのをすごく感じて。

最初は1人で小説とか書いてた人が、何にもならない上手くもない絵を描いてた人がずっと続けていって。それで作品を作っても、なかなかやってる人たちも面白くないし、わからへんしって言う作品をずっと作り続けて。5本目か6本目のときに、いい作品できたなと思ったときに。まだお客さんは、そんなに演劇ってやっぱお客さん呼んでなんぼの世界なので。お客さんがいて作品が完成する世界だから、まだそれができてないなと思ったときに、作らんなんなって。

やっぱりいい作品を作るまでにすごくいろんな人に助けられてきて。それで諦めたらあれやけど、諦めずやってきたおかげで、せいでもあるんですけど。いい作品作れるって証明になったらやっぱりそこで止まったら、止まってもいいんですけど、僕は止まりたくなくて。いい作品作るまでにいろんな人がすごく時間使って、汗かいて、諦めたり、いややるぞって、作ってきてくれたから。

やっぱり、これはいいものだったよっていうのを伝えるために、やっぱり、今も続けてるんですけど。そういうのを演劇に、いろんな人の下にあるから、それをしっかりと成果にしたいな思ってっていうのが強いですかね。

未来:自分のしたい世界、作りたい世界、行きたい世界を知って、生きていく場が、少しでも多く作りたいなっていうのが。抽象的なんですけど、思ってますね。

いまじん:
今後の未来、5年後10年後、それで最後自分が死ぬっていうところまで見据えた上で、要原さんはどんな未来をイメージされてますか。

容原静:
やっぱり作品作るのってすごく大事なんですけど、やっぱ人が大切だと思ってて。一緒に作る人もそうですけど、周りにいる人もそうで。

なんだろう。生きてて、もう生きる意味ないなとか、希望がないなとか。そういう人が、自分がいることとか、自分が作品作ることで、自分が演劇やることで、少しでも1人でも、生きんのって楽しいよなとか、作品みたいから死ねへんよな、作品作りたいから、作品作って楽しいから。そんなしんどいとかより、楽しいを優先したいよなって思う人が、生きていける。

僕が行動してなかったら、そうじゃなかったところが、いや生きてて楽しいなって思う人が、1人でも多く増えて、その人たちが、僕が本当その人に対してして欲しいことじゃなくて、その人自身が、これしたいあれしたいっていうことを、自分で考えたり思ったりして。自分のしたい世界、作りたい世界、行きたい世界を知って、生きていく場が、少しでも多く作りたいなっていうのが。抽象的なんですけど、思ってますね。

だからやっぱその自分の場合やと、やっぱその作品作ることがそうだから。1本でも多く作品作って、1本でも多くすごく質の高い作品、自分の思いをとか、関わってる人たちの思いが、すごく作品に生かした作品作って、いろんな人がたくさん見てくれる、1人でも多くお客さんが見に来てくれるような演劇をしたいのが、僕の思ってることですかね。

いまじん:
もしも質問っていうのをしているんですけど。もしも要原さんが演劇に出会ってなかったらどういう人生だったんだろうと想像しますか。

容原静:
すごく想像がつかないんですけど。

元々、演劇を別にしたいと思ってなかった。特別、演技始めたときも、演劇で生きていこうって思ってなかった人だったんで。でも、やっていく中で演劇が、自分のやる、生きていく世界やなって思った人間やから。

でも演劇なかったら、その演劇あってから、出会った人たちがすごく今の人生すごく礎になってるから。もし、演劇に出会ってなかったとしたら、すごく何か今の僕が嫌いな人、嫌いというか。いや、自分が嫌と思ってる人の人生を送ってると思う。

いまじん:
自分のことを、あまり好きではなかったかもしれない?

容原静:
なんだろう。好きとは思ってると思うんですけど。行動がなんか、今の僕からすると、そんな行動絶対しない方がいいっていう行動してるんじゃないかな。

やっぱり高校行かなくなったときぐらいがすごくそれが顕著やったと思ってて。すごく自分の場合だと、進学校に何か無理やり勉強して入って野球したくて入って、っていうのでそこですごく精神的に鬱になっていけんようなったんですけど。多分それを演劇がない人生っていうのは、なんかすごくそのままそこで粘って大学に行ったり、社会人になってるルートなのかなとは昔から思ってて。

でもそれで、最終的なたどり着くと一緒なのかもしれないんですけど。やっぱりその過程の道はあんまり面白くなかったんだろうな。結果は、あんまり目立つような結果はこっちのルートは残してはないんですけど。でも人間的なすごく出会いとか、そこで出会って話したこととか、感じたものがすごく豊かやったから個人的に。だから反対だと、逆に人間的にあんまり人との関わりで濃いものを味わってなかったんだろうなと。

学校の先生になってたんかなとは思うんですけど。学校の先生になりたいと思ってたので。それが悪いことではないんですけど。学校の先生とかあと、カウンセラーとか、なりたいなって思ってたので。

いまじん:
最後に言い残したことはありますか?

容原静:
僕はずっとあの、こんな感じで、演劇でずっと生きていこうと思っていていくんですけど、こういう感じでずっとやっていくので。一緒にやりたいとか、何か力貸してほしいとか、そういうことを思う方がいらっしゃれば、声かけて欲しいですし、自分ができうる限りご協力しますし。作品を作るので、そういう人がいらっしゃれば、勇気を出して、教えて欲しいです。

僕はやっぱり、そんな大それたことはできないんですけど。でも自分が今、目の前にいる人とか、耳にする人間に対して言葉を受け止めて、返すっていうことは、やるので。それでずっと作品作ってきて、今があるんで。これからもしていくんですけど。

だから、誰でも、どういう人でも、いろんな人がいるから。僕自身が戸惑ったりとか、びっくりしたりとかもあると思うんですけど。それでもやっぱりしっかりと向き合って、聞いて話そうと思うので。やっぱりすごく胸の内に、そういう苦しいよなとかつらいよなとか、どうしようもできないよなっていうのを、すごく僕自身がやっぱり、作品に昇華して、表現したいと思っていますので。

だから、そういう部分であったり、こうしたいよなって、強いどうしようもできないような思いを抱えていらっしゃれば、僕が協力して作品にするので。僕自身がすごく助かるので教えて欲しいし、伝えてほしいです。

あとがき

どんなきっかけが人生を変えるかは分からない。今はまだ知ることのない可能性の中に、私たちはいつも生きている。ないものではなく、あるものに目を向けて。苦しみを、楽しみに変えて。過去でなく、今を生きて。自分の信じるところに向かって、歩みつづけたい。

【インタビュー・編集・あとがき:いまじん】

#無名人インタビュー #インタビュー #演劇 #芝居


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