無名人インタビュー:命を使って、何か懸命にやらなければいけないっていうのを、高校のときに教わった人
人生という御しがたいものに天才というものありやなしやと問われれば、ナイでしょ! と思うのだけれど、やっぱりアリかもなあと思ったり。無名人インタビューをしていると、そういう人生の方のお話をお伺いします。来し方来し方を紐解いてるうちに、生き歩み方が器用というか、上手というか、大胆というか、神ってるっていうか・なんちうか繊細さと破壊力が同居してる感触があるのです。
今回の麻里さんにもそういう片鱗がいたるところにありました。
で、たいてい、こういう方の特徴として、お話の冒頭はなんてことはない感じの始まり方をするものなのですよね。いやまあ、話しの後半に比べたら「なんてことはない」てだけで、十分前半戦も聞きごたえ十分ではあったのですが!!!
はてさて人生の天才というのは存在するのだな、と思い知らされるインタビューでございました。
思いもよらぬ人生の滋味をお楽しみくださいませー。
今回ご参加いただいたのは 大栗麻里 さんです!
現在:日本で一番Fベッドを売る女性
qbc:どのようなインタビューにいたしましょうか。
麻里:どうしたらいいんでしょうかね。申し込みをしておいて、何も考えないで、あっという間に今日の時間になって「どうしようかな」って。
qbc:なるほど。では、今何をされている方でしょうか。
麻里:Fベッドで作ってる医療機器の営業販売をしています。最初、営業の仕事に就くつもりなんか全くなかったんですけど、父が亡くなって、なんとなく福利厚生とかちゃんとしてる会社に就職しなければいけないと思って。
その時、離婚していて、子どもたちは前の主人のところにいて、私は1人だったんです。営業なんか絶対無理だと思ってたんですけど。私、口下手だし人見知りだし。
離婚する前は、専業主婦22年間だったんですね。
qbc:えー! そこから営業ですか。
麻里:離婚して実家に転がり込んで、資格のあったマッサージの仕事はちょっとしてたけど、家賃も払わないし、食費も父におんぶに抱っこだったような感じで。
でも、父がお風呂で心筋梗塞かなんかで、溺れて溺死したみたいな感じで、いきなり父が亡くなっちゃった。
qbc:なるほど。
麻里:営業は、今12年目なんですが、最初の2-3年は鳴かず飛ばずでね。2台、3台は必ず売らないといけないノルマがあったんですけど、いつも下の方にいて。
成績優秀で表彰される人を見て、あの人は次元が違う、人間のレベルが違うみたいに勝手に思って。もちろんそういう人たちはお給料もいいから、うらやましいなと思いながらも、自分といる場所が違うと思ってたから、そこに目標を全然置いてなかったんですね。
qbc:はい。
麻里:そのときに一緒にいたパートナーの人が、同棲してたんですけど、結局その人に裏切られたのかな。そこの会社に入って4年目ぐらいのときに。パートナーが私より10個下っていうのもあるんですけど。向こうの親御さんに反対されたんですね。
「10個も上の人でバツイチで、そんなの絶対止めた方がいい」みたいなね。やっぱり親に反対されてね、なんと「一緒に死のう」みたいな話をされたんだ。
それは違うなと思って。
qbc:そうですね。
麻里:それで気持ちが離れていって。一緒に住んでるのに、相手は結婚候補をどんどん見つけていったんですよね。
一緒に生活している間はちょっと待ってって言ってたんですけど、彼には彼の言い分があるし。
どんどん彼は彼女を作ってしまって、結婚の方向にいく。
もう、一緒に住んでしまったことが、地獄の始まりみたいなことでした。
qbc:はいはいはい。
麻里:それで、生きるのが自分もだんだん辛くなっちゃって。
そんなときにお客さんが、タイのチェンマイにホテルを作るから、もし良かったらそこで「日本人観光客相手にホテルを管理したり、マッサージしたりっていうのをやらない?」って声をかけてもらったんです。
タイのチェンマイに逃避行したんですね、会社に無断で。無断欠勤で10日間。
qbc:はい。
麻里:それで、日本に戻ってきたら大騒ぎになってるし。
私が自殺したんじゃないかって会社の人がマンションに調べに行ったりとかして。会社に行ったら、もう大目玉食うだろうなって思ってたら、すごく心配してくれててね。
社長なんかは、営業成績も悪いしマンションの家賃が払えないんじゃないかってところまで心配してくれて。こんな鳴かず飛ばずの社員にそんなに目をかけてもらって申し訳ないなって思って、それで会社と社長に恩返しするにはどうしたらいいのかなと思ったとき、売上が全国一番になったら「こいつのことを見込んで良かった」と思ってくれるかなと思って、一番を目指したんですけど。
早々一番なんかになれるわけがなくて、最初は10位以内で、その次は2位だったかな。2位を7年もやったんです。どうしても一番になれなくて。
qbc:何台ぐらい売ると上位に入ってくるんでしょうか?
麻里:1ヶ月に10台を目指しましたね。2台、3台ができなかったのに、1ヶ月10台を目指すんですけど、10台上げるためには15台ぐらい契約を上げるんです。
そこからキャンセルが来たりクレジット(カードの審査)が通らなかったりして、10台が残るみたいな感じなんですよね。
qbc:ちなみに、1台おいくらぐらい?
麻里:約50万円です。医療用のベッドで、整形外科なんかに行くとあるんですけど。骨盤矯正とか背骨の矯正とかをしてくれるベッドなんですよ。その整形外科的なベッドをご自宅で使っていただけるっていうのを、Fベッドが40年前から出してるんですね。
qbc:なるほど。
麻里:8年目に1番になりました。
今、こんなにペラペラ喋れるのは、お客様を前にして営業させていただいた経験ですよね。今は、どんなお客様が目の前に来ても、全然動じないというか怖くないというか。
どのお客様にも私が推奨しているこのベッドを、ギフトとしてプレゼントさせていただこうという心持ちでやってるんですよ。
それが3年前で、そしてまた今年、思いがけずに1番になれたんですよ。10月に、社長から連絡が来て「お前、1番だ」って言われて。「今、1番だ。あと1ヶ月あるけど、2番とか3番と僅差になっているから、お前にどうしても1番になってほしいから頑張れ」みたいに社長から言ってもらって。そう言ってもらえるんだから、とにかくやりたいなと思って、最後の1ヶ月間走った感じですね。
qbc:どういう販売方法なんですか?
麻里:販売方法は、商業施設、例えばイオンとかマルイとかへ入って行って、催事場みたいなものを会社が用意してくれてるところにお客様が通りますよね、お買い物とかで。そういうお客様にお声がけして、ベッドに乗っていただいて。
だいたいみんな肩こり、腰痛があるじゃないですか。そうすると、乗る前と乗った後の感じ方を聞かせていただくとね、「これはすごいね」ってなるんですよ。
だいたい1時間から2時間ぐらいの接客をやらせていただきます。だいたい即決していただけますね。
迷った方は日にちを決めたり、私のシフトを伝えて「また体験に来てください」って約束をされて、またそのときに来てもらうとか。例えば奥さんだけとかご主人だけとかだったりすると、家族で使うものだから家族連れてくると言って、再度来店いただいたりとか。
qbc:場所は、日本全国ですか?
麻里:北海道から沖縄までありますけど、私は六本木支店っていうところに所属していて、直行直帰で帰れる範囲ですね。
qbc:なるほど。
麻里:お客さんと約束したときは、休みの日は「空いてます」ってよく言っちゃいますね。仕事が嫌いだったらやらされてる感だと思うんですけど、楽しくてしょうがないんで、休まなくても全然平気です。明日も本当は休みなんですけど、10時にお客さんが来るって言ったら「大丈夫です、私行きます!」って言っちゃったし。
qbc:どの辺が面白いのでしょうか?
麻里:お客さんの最初の感想が「こんなのあったの?」ってびっくりで、そこからだんだん「欲しい」にさせていくところですね。
お客さんの体の不調などの現状をお話いただいて、「それをほっといたらこうなりますよ」ってお話して、だんだん「欲しい」に変えていきます。
私、この商品を販売させていただくにあたって、お客さんと運命共同体みたいな感じになるんですね。モノじゃなくって、治療器、医療器。お客さんのお宅に入らせていただいて「家族みんなの健康管理を、この機械に任せてください」みたいな。
そうすると、そのお客様のいろんな、家族構成だったりとか、現状からこうなりたいっていうところまで話していただいて。お客さんの家族の人生の中に、商品も入るし、私という人間も入れさせてもらっていくことになります。
qbc:はいはいはいはい。
麻里:今、千人ぐらい顧客リストがあるんですけど、お客様にとって私は唯一無二なんですよね。そういう関係性ができたときに契約につながる感じですかね。
そのときは「売れた」っていうより、「これで、このお客様は一生大丈夫」っていう感覚ですね。それだけ商品に自信があるから。
qbc:一番面白い、と感じるタイミングは? 話してるときですか? それとも契約のサインの直後とか。
麻里:契約よりも、「出会えて良かった」と言っていただいたときが本当に至福ですね。こういうときが生きがいです。そのときが、一番幸せ。
過去:株式会社の社長夫人になるために
qbc:今のことを伺ってきまして、過去のことをお伺いしたいなと。
どのようなお子さんだったでしょうか?
麻里:私、子どものときが一番大人でした。メチャクチャ大人で、すーごく自立してたんですよ。というのは、私、生まれて29日で両親が離婚して、父方の祖父母の元で育ったんですね。
qbc:なるほど。
麻里:でも、すごく蝶よ花よで大切に育ててもらったんで、自分に母親がいないっていうのをなんとなくわかったのは、幼稚園へ行ってからなんですよね。おかしいなーみたいな感じですよね。
それから、家に変に財産があって、年中、財産分与みたいな内輪揉めを目の前でするんですよね。それで、いつも大人がお金のことで揉めてるなっていうのを見てて。目の前で、取っ組み合いのけんかとかしてるんですよ。
qbc:はい。
麻里:それがメチャクチャ嫌で。叫び声もあげたりとかされるから、それを見てるのが子どもながらにすごく嫌で。早く大人になって、早く結婚をして、出たいなと思ってました。
qbc:その考えは、小学校のころですか?
麻里:いや、幼稚園ぐらい。幼稚園へ行くか行かないかぐらいのときは、本当にませてて。早くこの家を出たいなと思ってたんですよね。
qbc:おじいちゃんおばあちゃん夫婦も揉めてたんですか?
麻里:おじいちゃんおばあちゃんは、もうメチャクチャ良くしてくれました。
qbc:誰と誰が揉めていたんですか?
麻里:父方のきょうだいが7人いたんですよね。父の結婚してない妹が4人ぐらい家にいて。
大きな敷地で、そこの庭に私が「砂場が欲しい」って言ったら砂場を作ってくれるし。「鉄棒を作って欲しい」って言ったら、鉄棒もブランコもあったし、池もあったし。
炭の商売をやってたので、大きな納屋っていうか炭小屋みたいなのがあったんですよ。それも、場所が都内なんでね、結局、最後は駐車場になったんですけど、車が10台とか止まる土地があったので、それの財産揉めでしょうね。
qbc:なるほど。
麻里:私、3歳か4歳のときに、布団の中で瞑想じゃないんですけど。布団の中に入って、「布団の中に入ってると話ができる人」に会ってたんですよ。
その人に、早く家を出て、これだけ嫌な思いとか子どもながらに苦労してるんだから、むしろ絶対、何か大きな財を持っている人のところに私は嫁ぐとか、とにかく自分は、何か大きなことを必ず成し遂げるっていうのを、「布団の中に入ってると話ができる人」に、いつも伝えてましたね。
何かそういう力のある人と、布団の中で会ってました。
qbc:はいはいはいはい。
麻里:幼稚園行き始めたころに、交通事故に遭ったんですけど。そのときも、怖いと思ったら、私は轢かれてるんだけど、轢かれてる私を空から見てたとかね。
qbc:小学校とか中学校は? 学校生活っていうのはどんな感じだったんですか?
麻里:幼稚園のころの方が大人っぽくて、小学校とか中学へ行った方が、だんだん子どもらしい考えができるようになったのかな。友達と遊ぶとか。
大人になって、やっと目に見えない存在っていうのを何だろうなって理解するんですけど。そのころって、そういう存在がいるけど、そういう存在は何って言葉に表せないじゃないですか。そういう言葉に表せない存在といっぱいコンタクトを取ってたのは、小学校に上がる前だった気がするんですよ。
でも小学校とかへ行ったりするようになると、そういうのにあんまりコンタクトしなくなった気がします。
qbc:なるほど。
麻里:普通な生活をしてたかな。だけど、小学校4年生かもうちょっと上ぐらいのときに、メチャクチャすごい金縛りに遭ったときに、顔だけが私の寝ている体に乗っかってきたんですよ。
すっごいそれが怖かったんですけど、きほこさん(qbcの妻です)に相談したら、それがなんと、私を捨てたお母さんらしいんですけどね。私のことを心配したから、気持ちだけが飛んできたみたいなんですね。
顔だけで、すごい怖かったんですけど。金縛りは怖いなと思いながら、そのまますーと寝ちゃったっていうことは、嫌なものじゃないから寝れちゃったんでしょうね。
qbc:なるほど。ご結婚はいつごろされたんですか?
麻里:18歳のときに知り合った人と駆け落ちみたいにして、19歳で同棲して。20歳で結婚しました。
qbc:なぜ駆け落ちに?
麻里:高校が女子校で、そんなに男の人と付き合ったりっていう経験もなくて。クラブ活動に燃えてたので。高校を卒業して就職して、その年の6月に出会ったんですよね。初めて付き合ったような人なんで、周り、親戚、おばあちゃんとか、もう大反対したんですよ。5つ上だったし。
qbc:付き合うこと自体を?
麻里:付き合うこと自体を大反対してたんですね。秋田の人で大工さんだし、私の身内からしたら、同い年ぐらいの人で会社に勤めてるような人と、最初は付き合って欲しかったんじゃないでしょうかね。
それが5つも上で、田舎の人、秋田の人で、職人さんで、嫌だったんじゃないでしょうかね。それで猛反対されて、私がその人と会わないように、会えないようにするために、会社へ車で迎えに来ましたからね。
とにかくがんじがらめにされて、何ヶ月か会えなかったんですけど、そのころ携帯がまだないから、公衆電話まで走ったりとかして。それでも気持ちが離れなかったのかな。
秋田に連れてってもらったんですよね。向こうの両親に会わせてもらったりとかして。それも結果的に、この人と一緒になろうかなって思ったことでしたね。
qbc:で、そのまま駆け落ち?
麻里:そのまま駆け落ちというか、相手のアパートに転がり込んで、同棲して結婚して。
親とはもう、縁を切られましたね。「縁を切ってでも行きたいんだったら行きなさい」という感じでしたから。
qbc:なるほどー。なんというかですね、そこまで強行に進めた理由はなんなのでしょうか? 家に転がりこむとか、そうじゃない選択肢もあったはずですよね。
麻里:それは、15歳上の叔母が、メチャクチャ激しい性格だったんですよ。
小さいときからそうなんですけど、何か面白くないと私を暗いところに閉じ込めて、いびり倒してくるみたいな。叩いたりとか暴力振るわれたりとか。その怖い叔母が私の結婚に反対をして、絶対に会わせないように車で送り迎えとか。それでも会っていたのを見つけられたんですよね。それで、寒い冬の中を下着で家から出されたりして。んですよね。
qbc:18歳、19歳のときでしょ?
麻里:そう。
qbc:はー。なるほど。
麻里:その叔母は、そういうことをするんですよね。
一番下の叔母で、結局、結婚しなかった人です。
下着で外に出されて、どこにも行けないじゃないですか。近所にも行けないし。叔母は、そこまですれば私が謝って折れると思ったんですね。もうその人と結婚どころじゃない、もう別れるから許して欲しいって言うと思ったんでしょうね。
qbc:うんうん。
麻里:だけど、とにかく自分の気持ちがもう、許して欲しいじゃなくて、その人と一緒になりたいって思ったんですよ。
でも、すぐに行かないで。実は同じ敷地内に、継母と父が生活してたんですよ。
qbc:あー、麻里さんとは一緒に住んでなかったんですね。
麻里:一緒には住んでない。父は、母と離婚した後で2回ぐらい再婚したんですよ。で、最後に再婚した人と、同じ敷地内の家に両親(麻里さんの祖父母)が呼び寄せたんですね。
結局、私に両親がいないっていうのは、やっぱり良くないからって。でも、いきなり来ても、お母さんって言ってもなかなか馴染めないっていうか。私は結局、おばあちゃんと叔母とかの家の方に住んでたんですけど。
qbc:なるほど複雑ですね。
麻里:叔母に下着で外へ出されたときに、継母と父親の家に助けを求めにいきました。
事情を話して、いきなり同棲したりするよりも、使ってない部屋があったから、そこに住みなさいって言われて。そこに半年ぐらい住んだのかな。そこから会社へ通ってました。
qbc:めちゃくちゃでかい家なんですね。
麻里:なんか、もっと話をするとね。祖父母は最初、栃木から来て、山手線の駅から何十秒かのところに所帯を持ったらしいんです。
だけど、軍用だかなんだか、国がそこの土地を欲しいから、そこからちょっと離れてるけど、もっと広い土地と交換してほしいということで、土地を持てたらしいんです。
qbc:なるほど。そういった土地もあったし、家業もあり、資産を蓄えていったと。
それで、麻里さんの結婚は、どんな感じでうまくいかなっていったんですか?
麻里:結婚はね、18歳で出会って19歳で同棲して、でも、その人ね、カッコいいのと仕事が大工で多少のお金は持っていたのと、こまめな人なので、結局すごくモテたんですね。
だから、結婚するってなった時点で、他に女性が5人ぐらいいたんですよ。
それでも、私だけは秋田へ連れて行ってくれたっていうことで、結婚はしたんですけど。女癖は最後まで悪かったですね。女癖は悪いし、お酒も飲まないのに暴力は振るうし。
qbc:なるほど。
麻里:でも、その人が勤めてた工務店の社長さんに子どもがいなくて、そこを継ぐか継がないかという話になったんですね。
会社を持っていたら子どもたちにも跡を継がせられるし、なんとなく思ってた「社長夫人」にも、経営者にもなれるしっていうのもあったんで、継ぐことにしたんです。
それで、株式会社にしました。株式会社にするには、当時一千万円作らないとできなかったんです。
工務店の社長さんの方で、資材とか重機とかいろいろ売れば500万円ぐらいになったんですよね。で、その当時、自分たちは100万円ぐらいしか貯金はないんですよ。反対されて結婚したから自分の実家からはお金を融通してもらおうと思わなかったし、主人の実家も、こちらが援助してたぐらいだったから頼れなかったんですよね。
qbc:はい。
麻里:どうしても2百万円足りなくってね。社長さんに百万円借りたのかな。
あと、私の学校の英語の先生で良くしてもらった人がいたんですよ。私、あんまり勉強できなかったし、しなかったし、ちょっと不良めいてたから。その先生が、結婚した後もすごく行き来してたんで、その先生に頼み込んでお金を借りました。
それで一千万円作りました。
それで会社。そこから主人もメキメキと頭角を現して、結構会社を大きくしてくれました。念願叶って、社長夫人の地位は築けましたね。それは良かったんですけど、何が悪かったかって言うと、結婚生活後半になって、相変わらず女癖も悪かったし、暴力も続いていました。特に、子どもたちが大きくなって言葉の暴力が凄かったんですよね。
qbc:うんうんうん。
麻里:帰ってくるのは6時とかで早いんですけど、そこからご飯食べ終わって寝るまでの22時、23時まで正座して、ずっとお説教聞いてるとか。
それで、私、顔面神経痛でチックみたいになっちゃったんですよね。
もう本当に耐えられなくなって、最後、私、首を絞められちゃったんですよね。
「離婚しよう」って言われたんですよ。「こんなんだったら離婚しよう」って言ったときに、「離婚したい」って言っちゃったら、そしたら前の主人が逆ギレして首絞めてきたんですよね。首絞められて、このまま私は死んだら楽だけど、もし首を絞められて亡くなったら、息子たちにしたら加害者と被害者になっちゃうなって。お父さんが加害者で、お母さんは被害者。
それが辛いなと思って、ここで絶対に死ぬわけにはいかないと思って、手を振り払ったんですよね。
qbc:はいはい。
麻里:それで、区役所へ相談に行ったんです。そしたら、シェルターを紹介してもらいました。「家の整理をして、何も持たないでいいから家を出なさい」って区役所の人に言われて。子どもたちは、もうそのときに長男は19歳で次男は18歳で、もうある程度育ってるから「子どもたちは置いて出なさい」って言われたんですね。
それで、子どもたちに置き手紙を書いて、シェルターに入ったまま1年ぐらいかけて協議離婚しました。
シェルターに入ってたときが、一番辛かったかな。精神的にも肉体的にも。
qbc:なるほど。それで離婚が成立してから、実家に戻ったんですか?
麻里:実家には戻らなかったんですよ。だって、そのとき父も離婚していて、元々父とはそんなに仲良くないんですよ。
なんでその後で父と生活することになったかっていうと、警察から電話がかかってきて、お父さんが夜な夜な酔っ払って、財布を落とすわ、何を落とすわで、警察にお世話になってるって。
お嬢さんで血が繋がってるんだったら、お父さんをこんな状態で1人で生活させておいて、年がら年中警察の世話になってるんだよって、お巡りさんに諭されたんですよ。
qbc:そのときはもう、おじいちゃんおばあちゃんいないんですかね。
麻里:もう、とっくにいなくって。
qbc:7人きょうだいたちは?
麻里:叔母たちはもう嫁いでるし。で、いろいろと私に意地悪した叔母だけは残ってましたけど。今も実家に1人で、アパート兼自宅で住んでますけど。
それで、一緒に住んで、2年目ぐらいの冬にお風呂場で亡くなってるのを見つけました。
qbc:麻里さんのお子さんは?
麻里:子どもたちは前の主人のところで、もう大工になってましたね。
qbc:なるほどー。で、お父さんが亡くなられて、Fベッドで営業日本一になる人生ですね。
すごいですね。そんなふうになるんですね。
麻里:え?
qbc:主婦だったわけですよね? 激しい争いのある家で育って、心の中の友達とか存在に話をする状態から、結婚して社長夫人になり。
麻里:そのころが一番裕福でした。ハワイに毎年行ってました。
未来:命を使って一生懸命に生きる
qbc:最後に、未来についてお伺いしたいんですが、まあ、とにかく、麻里さんは激しい方ですね。
麻里:自分の人生、めちゃくちゃイケてるなと思ってるんですよ。なんでかっていうと、自分の思った通りの人生を、それなりに歩んでるんですよね。
qbc:そう、激しいっていうのは暴れん坊とかそういう意味ではなくて、達成する力が強い。やりたいことをやってる。
麻里:全部やってくるんです。
qbc:女癖が悪かったとしても、いい旦那を見つけて、途中までうまくいってる。
そういう実現力のある方だと感じているんですが、これからどういった未来をイメージされていますか?
麻里:今、コロナでお客さんたちも足早に買い物を済ませたりして。こういうときに、私にもっと影響力や発言力があったら違うんだろうなと思っていて。
qbc:はい。
麻里:それで、4ヶ月前に、シニアでテレビに出たりMCとかタレント募集っていうのがあって。寝っ転がりながらボタンをポチっと申し込んだら、なんと、書類審査OKになっちゃって。
まさか、でもいいや、経験値積んでみようと思って2次試験受けてみたんですけど、受かっちゃったんですよ。「真夏の夜の夢」みたいなのをアカペラで踊りながら熱唱したら、受かっちゃったんです。
それで、今、芸能学校に2年間在籍しています。
qbc:え?
麻里:何をしたいのかって言ったら、やっぱりちょっとでもMCやったりとか。テレビに出られるような人になってみて、お客さんから寄ってくるぐらいの集客ができる自分になりたいんですよね。
もちろん今の営業の仕事に生かしたいっていうのと。あと、人前に出てパフォーマンスができるって能力に、試験を受けて気づいちゃったんですよね。そこを開花させたりしたらどうなるんだろうって。
自分でも全然思い描いてない人生が、もう1回開花するんだろうかって。そういう気持ちで、今、芸能学校へ行ってます。
qbc:へえー。
麻里:メチャクチャ忙しいのに、週1ぐらいしか休みないのに、その週1は、12〜5時で必ず学校へ行ってます。
qbc:どういう芸能活動をしてみたいですか?
麻里:MCをしてみたいんですよね。
qbc:いろんなMCがあるじゃないですか。結婚式もあるし、イベントもあるし。
麻里:私、今こうやってお客さんの心をつかんで販売する能力があるから、テレビのショップチャンネルみたいなMCをしてみたい。
qbc:あー、すごいよくわかりました。なるほどね。
麻里:商品の説明も、私はメチャクチャうまいんですよ。今のベッドは整形外科的なものだけど、何を表現しても、私はきっとうまく売れる自信があるの。
qbc:めちゃくちゃ向いてると思います。
麻里:それから、今、5年一緒にいるパートナーがですね、お母様が86歳で、お兄さんと本人と娘さんとお母様と、お兄さんのお子さんたちと、5、6人で1つのお家に住んでらっしゃるんですね。
qbc:はいはい。
麻里:彼は台湾の人で、台湾と中国を行き来して、布の貿易関係の仕事をしてるんです。
でも、その商売もこの先、将来性がないと見込んでるみたいで、台湾に老人の施設をつくりたいっていうのが夢になってるんです。でも、コロナで日本から外に行くのが難しくなってきた今、それを沖縄に作ろうとしてるみたいで。
最近、それが少しずつ形ができてきたのか、私に「一緒に行ってくれる?」と言ってくれるんですね。私は「もちろんだよ」って言ってるんですけど。それがいつなのかっていうのは、やっぱりお母様がご存命のうちは行けないだろうから。
qbc:うんうんうん。
麻里:だから、いつかは沖縄に行くんだろうなーなんて思ってるんですね。
どこにいても自分の人生を生きていけるから。それも中途半端な人生じゃないですよね。自分が望んでいる人生は、ここがもうMAXみたいなところに、いつも自分がいないと気が済まない。
仕事にしても遊びにしても、全部そうです。
qbc:なるほど。麻里さんは、人生で何をしてるときが一番楽しいですか?
麻里:いっぱいありすぎて、これ1つって言えないのは困ったところですね。
スノーボードしてて「キャッホー!」って叫んでるときも楽しいし、イルカと遭遇してイルカにおちょくられてるときは、こんな時間を持てるんだ! と思うし。お客さんから大絶賛されたときに嬉し涙が出てくるし。
彼と一緒にいても、こんなことをしても彼は全く怒らないんだっていうことに感動したり。今の人生、本当に楽しいですね。どこの場面でも。
qbc:立ち止まったりは、あんまりしないですか?
麻里:立ち止まれない。
時間がもったいない。休みの日こそ、スケジュール組んで家にいる時間がないですね。
朝10時から夜10時までは、びっちりスケジュールがあって。でも、自分のことばっかりでもないんですよ。長男宅に、UberEatsじゃないけど前の日から仕込んだご飯をバイクにいっぱい積んで持ってって、ご飯を振る舞って帰って来て。みんなに美味しいって言われて、あー良かったって思って帰ってくるとかね。お料理するのも大好き。その時間もすごく大切。
qbc:なるほど。もしもの未来をお伺いしたいのですが。
もしも今の営業のお仕事に就いてなかったら、何をされていましたか?
麻里:それが一番怖い。
qbc:怖い?
麻里:今のこの仕事に就いてなかったら、本当に涙が出てくるぐらい怖い。
もう私、パートをする以外、きっとなかったと思うんですよね。それか、タイに行って社長さんの話に乗っかってたかもしれないけど。でも、本当に怖い。
働いてるんじゃなくて、生きがいなんですよね、もう。「仕事」の「仕」は仕えるという意味だけど、私の「しごと」の「し」は志だと思ってるんですよ。会社に使われてるつもりじゃなく、自分の志を持って仕事をしてる感じがあるから。
この仕事に出会えてなかったら、本当に怖い。もう身震いするぐらい。
qbc:でも、麻里さんのお話を伺ってると、今の仕事も見つかるのが必然、みたいな感覚はありますね。
麻里:ね。応募したときは、10歳サバを読んじゃってたんですけどね(笑)
qbc:ええ、バレなかったんですか?
麻里:バレましたよ、むしろ。(笑)
上司らしい人があらわれたときに言いました。
qbc:そういう言わなければならないタイミングが分かってるのも、センスですね。
麻里:まずはその現場に行かなければ、面接してもらえないじゃないですか。
qbc:なるほど。書類選考のためにね。
麻里:はい。結果をつかむためには、手段は選ばない!(笑)
qbc:麻里さんらしいです(笑)。最後に言い残したことがあれば、お伺いします。
麻里:自分の人生を今話してみて、イケてるなーと思った(笑)。
いい人生を歩んでるなと思って。命、使ってるって。
qbc:人生の動きが激しいですよ。
麻里:止まってないから、メチャクチャ激しいですよね。
でも、高校のときに担任の先生から一生懸命っていうのを教わったんですよ。何でもいいから、とにかく一生懸命やれって。
qbc:はいはいはいはい。
麻里:命を使って、何か懸命にやらなければいけないっていうのを、高校のときに教わったんですよね。ずーっとありますね。やるんなら一生懸命。中途半端ならやらない。やるなら一生懸命。それから、やるかやらないか迷ったらやる。
やって後悔するんならいいけど、やらないで後悔するような人生は、私の中にはない。
qbc:なるほど。そういう、一生懸命の話をしたとしても、それをその通りに実践できる人は、少ないですよ。
みんな、一生懸命が大事って理解できてる。大切なことだってわかってる。でも、それを実行できない。
麻里:ありがとうございます。目に見えない存在を、心から信じてますね。やるって決めたら、私には絶対バックアップがメチャクチャあるんですよ。ご先祖様のバックアップがすごいんですよ。
だから、年に数回はお墓参りを欠かさないし、神社は毎日だし。
本当に守られてるとしか言いようがないですね。
qbc:ありがとうございました!
麻里:ありがとうございます!
あとがき
うんうん分かった確かに波乱万丈だよねこの方の人生は。でもさ、人生いろいろあった人=人生の天才ってことなの?
ねえqbcさんはこの人をしてどうして人生の天才って思うの? と問われたら、それは最高に楽しんでいるからですよと答えますと。
「現実」には辛いことが起きる。しかし、「人間の感受性」はその現実をどう捉えるかという自由が持たされている。で、今回のインタビュー参加者の方は、人生のよしなしごとをじっくり楽しんでいるから・だから人生の天才と言うの。
幸福というのとは違って、自ら果敢に挑戦していって乗りこなしてってくパワフルさ溢れてやまない。人生サーファーというのかもしれない。しかもチューブライディングしかしないみたいなサーファーだ。魅了されて当然じゃんか? と思う。
お話を聞いた後、私は自分もまだまだ人生を楽しみきれてないなって思った。
読者の皆さんは、どうであったのだろうか?
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編集協力:有島 緋ナ
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