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unknown.-誰も知らない答えを探してる③-

落ち葉が落ち始めた頃、
友達が休みの日も町の図書館に足を運ぶ中、
私は都内の大きめのキリスト教教会へ足を運んだ。

入り方も全く知らないし、
そもそも急に行って入れるのかも知らない。
勇気と疑問だけを握りしめて入口に突っ込んだ。

そこは私が想像していた通りだった。
教壇で誰かが喋っていて、
きれいな長椅子が何列もあり、
そこに沢山の人が座ってお祈りをしていた。
パイプオルガンの音楽が響き、
聖歌隊のような人たちもひな壇に立っていた。

想定外だったのは、
外国人の方が多くスピーチが全て英語だったことと、
オーケストラ会場でしか聞いたことないパイプオルガンの音が、
大きい場所とは言え教会サイズでは迫力満点で一気に不安になったこと。
あと長椅子の前後がとても狭く、
180cmの自分では前の席に膝が当たってしまうこと。

なんやら突然演劇が始まったり歌が始まったり、
かと思ったらまたお祈りが始まったりする。
「ミサ」と言うらしい。
日曜日に集まる特別なイベントらしく、
たまたま訪れたのが日曜日だった。
いよいよミサが終わりそうになった頃、
教壇に立っていた人が袋を持ちながら通路をゆっくり歩き出し、
信者たちが何かを入れている。
自分の前の席に来たタイミングでちらっと見えた万札。

えっ…?

調べてなかった、参加費があるなんて。
しかも高くない?
高校生の財布に常に万札なんて入ってない。
ここで入れなかったら何かやばいことになっちゃうのか…⁉️
急に手汗が止まらなくなった。
すると斜向かいの人は千円札を入れていた。

あれ?参加費自由型?

?「君、初めて?」

隣に座っていた男性が話しかけてきた。

自分「はい、そうです…。」

?「とりあえず何もしなくて大丈夫だよ。」

そう言われてヒヤヒヤしながらもスルーした。

えっ…?
あんたは入れてるじゃんか!
裏切られた!
今度こそオワッタ。

すると袋を持った人は私の横を何事もなく通り過ぎ、
無事にミサが終了した。

キム「私はキムです。どうもよろしく。」

在日韓国人のキムという人だった。
日本語が通じる人がいて一安心。
その人曰く、
さっきのは献金と言って教会の維持費や神へ捧げるお金らしい。
収入の1/10を捧げるのが通例だが、
強制ではないため自分のできる範囲でいいらしい。

キム「君はクリスチャンなんですか?」

クリスチャン?
知ってるようでよく分からない言葉だけど、
多分キリスト教徒のことだろう。

自分「いえ、違います。」

多勢に無勢を恐れながらの問題発言だっただろう。

キム「どうしてここに来たんですか?」

自分「比較宗教するためです。」

またしても我ながら爆弾発言だったと思う。

キム「学生ですか?」

自分「はい、高校生です。」

その若さゆえの謎の勢いと率直さが刺さったのだろう。
彼は笑いながら私にとても興味を持って色々と話を聞いてくれた。
自分が何を知りたいか、どうして比較宗教をしようと思ったのか、
私は彼に全て話した。
そしてここから私は初の勝負に出た。

自分「どうしてクリスチャンになったんですか?」

ここで聞きたかった1つ目の質問。
「家族がクリスチャンだったから」なんて答えは求めてない。

キム「家族がクリスチャンだったからね。」

あぁ…はい、そうですか。
でも親切にしてくれたからついでに2つ目の質問。

自分「それでもどうしてずっとキリスト教を信じてるんですか?」

ここで「特に考えてない」とか「なんとなく」と言われていたら、
だいぶつまずいていただろう。

キム「自分の親を親かどうか疑ったことある?僕にとってはそれと同じ。」

想像の斜め上どころか友兄のような回答で逆にスッと入ってきた。
そう、彼にとっては生まれた頃から疑うことなく信じてきた存在。
生活の中に当たり前にあって、今さら疑うなんて発想すら出てこない。
思わず質問が止まってしまった。
この人にはこれ以上の疑問が出てこない。
初めてだった。
納得したわけではないのに疑問が止まった状態になったのは。

キム「下の階で食事あるから食べていかない?」

何やら教会から食事が提供されてみんなで自由に飲み食いしていいらしい。
お腹も空いてたし参加することにした。
半分くらいの信者は帰り、
残った人たちで食べていたのだが、
そのほとんどが外国人だった。
日本の中心地にいるのになぜか英語が飛び交い、
全員クリスチャンで自分は完全にアウェイ状態。
びくびくしながらも、
こそっとgoogleで英語を調べながら勢いで挨拶して、
キムさんと同じように何人かに質問をした。

が、
質問したものの回答が何言ってるか全く分からない。
まず聞きたいようにちゃんと質問できていたかどうかも分からない。
質問を返されてもなんて質問されてるのかさっぱり分からない。
会話の終わらせ方も分からない。
かなり苦しい時間だった。
英語で一番怖いところはこの負のサイクルに陥るところだ。
キムさんが近くにいるときはたまに通訳してもらった瞬間もあった。

自分の無力さを痛感した。
これじゃあ知りたいことを知ることすらできない…。

自分「キムさん、自分に英語を教えてください。」

突然意味のわからないお願いをした。
キムさんも若干困っていたが、
日本語ベースに英単語を交えて話す相手をしてくれるとのこと。

その後、毎週その教会に通っては、
キムさんと食事に行ったり、
時には家に招いて韓国料理を振る舞ってくれたり、
キリスト教のことも沢山教えてくれた。

そしてある日、
私は報告がてら友兄のところへ話をしに行ったときのこと。
彼はまた、頭に絡みつく言葉を私に伝えた。

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(余談)
ちなみになぜ比較宗教を始めるのに、
最初がキリスト教だったかという理由は2つ。
1つは世界で最も人口の多い宗教だから。
キリスト教のことが分かれば、
世界で最も多くの人の世界を知ることができる。
もう1つは昔通ってた保育園の1つがたまたまキリスト教系だったから。
保育園の屋根の上には十字架が乗っていて、
毎朝ホールに集合してはお祈りの時間があった。
当時は何をしているのかさっぱりわからなかった。
ただ保育園の決まりでやっていた。
そのちょっとした経験が若干の親近感になり、
キリスト教から踏み出す勇気が出た。
これも何かの縁。

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