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NMRスペクトルによる有機化合物の構造解析入門③~1H NMR基礎編 Part 1/2~


はじめに

どうも、無名博士の墓です。
今回から実際のNMRスペクトルの解析方法について解説していきたいと思います。

https://www.nicovideo.jp/watch/sm39937098

https://www.youtube.com/watch?v=ZWfzHav21js

でもその前に前回の内容をおさらいしておきましょう。

前回のおさらい

NMRはラジオ波と呼ばれる波長域の電磁波を用いた分光法で、外部静磁場中(要は磁石の近く)に置いた試料に対し、ラジオ波を照射することで生じた核磁気共鳴を検出します。

図:前回のおさらい概略図


核磁気共鳴のメカニズムについてプロトンを例に説明すると、まず外部静磁場によってプロトンの原子核がZeeman分裂を起こしてαスピンとβスピンの2通りの状態をとるようになります。このとき、αスピンの状態のプロトンの方がβスピンのプロトンと比べてわずかに多く存在するようになります。



また、各々のプロトンの原子核は歳差運動をしています。この歳差運動の回転数に相当する周波数を持ったラジオ波を照射するとわずかに多く存在していた分のαスピン(の原子核)がβスピンへと励起します。そして励起した原子核は徐々に電磁波を放出して元のαスピンに戻ります。このとき放出されたエネルギーを検出し、コンピューターで処理(フーリエ変換)したものが
NMRスペクトルになります。検出された原子核はNMRスペクトル上にピークとして現れるのですが、その出現位置は電気陰性度や磁気異方性効果によって左右されます。

図:化学シフトが生じる要因 
The image of NMR machine is from TogoTV (© 2016 DBCLS TogoTV, CC-BY-4.0 https://creativecommons.org/licenses/by/4.0/deed.ja)


そしてピークの出現位置の値は化学シフト値(またはケミカルシフト値)と呼ばれています

以上が前回のおさらいになります。
そして、今回は1H NMRスペクトルの基本的な解析方法について解説していきたいと思います。

1H NMRにおける化学シフトの概要

それでは始めていきましょう。
まず初めに改めてNMRスペクトルの見方について確認していきましょう。

前回の動画でもお見せしたように、NMRスペクトルの横軸にあたるケミカルシフト値は右側が0ppmで、左に行くほど数値が増大していきます。NMRスペクトルでは、電気陰性度や磁気異方性効果の影響で非遮蔽化された原子核ほど左の方にピークが出現します。

ほかのスペクトルやグラフだと、左側が最小値で、右に行くほど値が大きくなることが多いのでその逆になっているのがややこしいですね。

そしてさらにややこしいことに、NMRスペクトルでは慣習的にケミカルシフト値が小さい右側を高磁場側、ケミカルシフト値が大きい左側を低磁場側と呼びます(こうなってしまった詳しい理由の説明は割愛しますが、今とは仕組みが異なる初期のNMR装置を使っていた時代の名残といいますか、まあ歴史的な諸事情が絡んでこうなっているみたいですね)。

図:NMRスペクトルの見方概略図

慣れるまで大変かもしれませんが、とりあえずは非遮蔽化されればされるほどピークの位置が左側にシフトすることが分かればOKです。

そして非遮蔽化される度合いというのは、近くに結合している官能基の種類によってある程度決まっています。つまり観測されたピークの化学シフト値から部分構造を推測できるということです。

それではさっそく、1H NMRにおける各種官能基の化学シフトを見ていきましょう。

まず、1H NMRの化学シフトは主に不飽和炭素に結合した水素の領域と飽和炭素に結合した水素の領域に大別されます。不飽和・飽和の意味についてですが、ひとまずここでは二重結合があるかないかの違いだという理解で大丈夫です(厳密に説明しだすとキリがないので)。

図:化学シフトの超大まかな傾向

さらに細かく分類すると、1~2ppmは電気陰性度の高い原子や官能基(電子吸引基)の影響がほぼない飽和炭化水素(下図の①)、2~3ppm辺りは二重結合の隣(アリル位)に結合した飽和炭化水素(②)や、窒素原子が隣に結合した飽和炭化水素(③)の領域になります。3~5ppm付近は主に水酸基やエーテル結合など、酸素原子と単結合した飽和炭化水素由来のピークが出現する領域(④)です

5ppm以降は主に不飽和炭素に結合した水素の領域となります。まず5~6.5ppm辺りは二重結合炭素に直接結合した水素の領域となります(⑤)。6.6ppm~8ppmはベンゼンなどの芳香環に直接結合した水素の領域です(⑥)。9ppm以降はアルデヒドの水素やカルボキシ基のOHなどのピークが出現する領域(⑦)となります。

図:ケミカルシフト値と部分構造の関係。
①:電気陰性度の高い原子や官能基の影響がほぼない飽和炭化水素の領域
②:二重結合の隣(アリル位)の飽和炭化水素や、窒素原子の隣の水素の領域
③:窒素原子が隣に結合した飽和炭化水素の領域
④:酸素原子と単結合した飽和炭化水素由来のピークが出現する領域
⑤:二重結合炭素に直接結合した水素の領域
⑥芳香環に直接結合した水素の領域
⑦:アルデヒドの水素やカルボキシ基のOHなどのピークが出現する領域

ところで、前回の動画に出てきたクロロホルムは7.26 ppmにピークがありましたよね。上図でいう芳香環の領域です。クロロホルムには二重結合や芳香環などの構造は無かったはずですが、なぜここまで低磁場の領域にあるのでしょうか?

実は電気陰性度の高い元素による低磁場シフトの効果には加成性があります。クロロホルムには塩素という電気陰性度の高い原子が3個も結合しているため、その分ピークがより低磁場側にシフトしているのです。実際、ジクロロメタンやクロロメタンだともっと高磁場側にピークが出ます。一つの炭素に3個もより電気陰性度の高い元素が結合している化合物は珍しく、要するにクロロホルムは例外的なのです。

図:電気陰性度による低磁場シフトには加成性がある (SDBSWeb : https://sdbs.db.aist.go.jp (National Institute of Advanced Industrial Science and Technology, 2023/6/10)

同じ理由で有機化合物の炭素骨格を構成するメチル基、メチレン基、メチン基も、ほかに非遮蔽化を起こす要因がない場合、それぞれ違った化学シフト値を示す傾向にあります。
だいたいメチル基が0.8~1.0ppm、メチレン基が1.2~1.4ppm、メチン基が1.4~1.6ppmくらいです。
水素と比べると、炭素もある程度の電気陰性度がありますので、ほかの炭素と複数結合できるメチレン基やメチン基の水素はその分低磁場側にシフトするのです。

図:炭素による低磁場シフト

メチン、メチレン、メチル基の化学シフトの実例として、グリソプレニンAというカビの仲間から見つかったポリイソプレンポリオール化合物があります(Nishida et al., 1992)。

図:グリソプレニンAの構造式。

この化合物の1H NMRスペクトルは下図のような化学シフト値を示します。

図:グリソプレニンAの1H NMRスペクトル(400 MHz, 重クロロホルム, 出典:Nishida et al., J. Antibiot, 45, 1202-1206, 1992)

グリソプレニンAの構造式を見ると、同じような部分構造を繰り返した構造をもっていることが分かるかと思います。詳しく言うと、9個のイソプレンユニットが基本骨格になっているわけです。そのためスペクトル上では殆どのピークの化学シフト値が重複しています。それでも大まかな傾向として、飽和炭素の隣のメチル基は1.1 ppm付近に、メチレン基は1.4 ppm付近にそれぞれ分かれて出ているのが確認できるかと思います。

図:グリソプレニンAの1H NMRの帰属400 MHz, 重クロロホルム, 出典:Nishida et al., J. Antibiot, 45, 1202-1206, 1992

因みに1.5~1.6 ppm付近の数本のピークと2.0 ppm付近のピークは二重結合炭素の隣のメチル基とメチレン基由来です。磁気異方性効果の影響で若干低磁場側にシフトしています。残りのピークは水酸基や水酸基の付いた炭素に結合した水素、二重結合炭素に結合した水素由来で、概ね化学シフトの図の通りの位置にピークがあるかと思います。

また、この化合物の1H NMRスペクトルは大部分のピークが重複しています (上図とスペクトル参照)。グリソプレニンAのように、分子内に似たような部分構造が複数あるような化合物は、各々のプロトンのピークが重複してしまうため、NMRだけでの構造決定が困難になります。

実際、グリソプレニンAの構造決定の決め手になったのはNMRではなくマススペクトル(MS, 質量分析)により得られたフラグメントイオンの帰属です。ちょっと専門的な話になるので読み飛ばして結構ですが、MS(特にEIMS)スペクトルを取ると、sp3四級炭素の部分(要は単結合でメチル基と水酸基が付いている部分)はビニル位(すぐ横の結合部分)で、sp2四級炭素(メチル基の付いた二重結合の部分)の部分はアリル位(隣の炭素のさらに隣の結合部分)で結合が切れるので、どのm/z値のイオンがどこで切れたイオンかを見て行けば平面構造は出せるわけですね(無論、この化合物がポリイソプレンポリオール類だと推定する上でNMRスペクトルは重要な手掛かりになっただろうと思われますが・・・・・・)。
こういう話をするとマススペクトルの解説もいずれやりたいなと思えてきますね。何はともあれ、NMRでも構造解析が難しい化合物があるというのは記憶にとどめておくと良いかもしれませんね。

閑話休題。ひとまずは、NMRスペクトルの化学シフト値と見れば部分構造を推定できるということが分かればOKです。化学シフト値について詳細にまとめられたデータ集も売られているので、手元にあるとかなり心強いですよ(例えば↓とか)。

更に1H NMRスペクトルではもう2つ、積分値とスピンースピンカップリングからも重要な情報を得ることができます。本記事では積分値についてまで解説していきます(カップリングは次回やります)。

積分値で何が分かる?

実は1H NMRスペクトルのピークの面積というのは、実際の化合物の水素の数と対応関係にあります
例えばこちらはカフェインの1H NMRスペクトルになります。

カフェインの1H NMRスペクトル(90 MHz, 重クロロホルム, SDBSWeb : https://sdbs.db.aist.go.jp (National Institute of Advanced Industrial Science and Technology, 2023/6/10)
図:カフェインの構造式と1H NMRスペクトルの帰属

4本のピークが確認できますが、そのうち3本がメチル基、1本がメチン基由来です。一番低磁場側の7.53ppmのピークがメチン基のピークです。
芳香族性のあるイミダゾール環部分に直接結合している水素なので化学シフト値が7.53ppmに来ています。
メチル基はいずれも窒素原子の隣にあるみたいですが、その割にはピークが低磁場側にシフトしすぎている気がしますね。恐らくですが、ケトンやイミダゾール環からの影響も受けているのではないかと思われます。

さて、カフェインの1H NMRスペクトルに出現している各々のピークを比較すると、メチン基のピークと各メチル基のピークの大きさが明らかに異なっていますよね。実はこのとき、メチン基のピークの面積を1とすると、メチル基の面積は丁度3になります。1H NMRスペクトルのピークには定量性があり、各ピークの比が水素の数と対応関係にある為、スペクトルから水素の数を推定することができるのです。

そしてこの各ピークの面積比を積分値または積分比といいます

因みにカフェインのスペクトルで、メチル基の一番低磁場側のピークだけ強度が弱く小さく見えますよね。1H NMRスペクトルで対応関係にあるのは強度比ではなく面積比ですので、例えばほかのピークと比べて幅広な形状をしていた場合、当然ながらピーク強度はその分弱くなっています。恐らくですがこのピークだけほかの2本と比べて若干ピーク幅が広いのではないかと推測されます。

他の化合物のスペクトルも見てみましょう。こちらはヒドロキシアセトンの1H NMRスペクトルなのですが、水素の数とピークとの対応関係が比較的分かり易く反映されていますね。何となくメチル基、メチレン基、水酸基の水素のピーク面積比が3:2:1の関係になっているのが分かるでしょうか。

ヒドロキシアセトン構造式及び1H NMRスペクトルとその帰属(90 MHz, 重クロロホルム, SDBSWeb : https://sdbs.db.aist.go.jp (National Institute of Advanced Industrial Science and Technology, 2023/6/10)

また、積分値は一般に積分曲線と呼ばれる段状の曲線としてスペクトル上に表示されることが多いです。例えば先ほどのglisoprenin Aのスペクトルなんかがそうですね。このピークごとの段差がそのピークの積分値を示しています。

このように、1H NMRスペクトルでは、積分値も化合物の構造に関する有力なになるのです。

おわりに

今回は以上になります。化学シフトはNMRスペクトル全般で大前提となる知識ですし、積分値も1H NMRでは重要な手がかりとなる情報とですので、覚えておくと以降の理解も容易になるかと思います。

次回

次回は1H NMRのカップリングについて解説していきたいと思います。
引き続きよろしくお願いいたします。

参考文献

執筆に当たり、以下の文献を引用しました。 

泉 美治, 小川 雅彌, 加藤 俊二, 塩川 二朗, 芝 哲夫,  第2版 機器分析のてびき データ集, 化学同人, 1996

Nishida H.,  Huang X. H., Tomoda H., Omura S., Glisoprenins, New Inhibitors of Acyl-CoA: Cholesterol Acyltransferase Produced by Gliocladium sp. FO-1513, J. Antibiot., 45, 1669-1676 (1992).

SDBSWeb : https://sdbs.db.aist.go.jp (National Institute of Advanced Industrial Science and Technology, 2023/6/10.

また以下の文献を参考にしました。

J. Clayden, N. Greeves, S. Warren著, 野依 良治, 奥山 格, 柴崎 正勝, 檜山 爲次郎 監訳, ウォーレン有機 第2版, 東京化学同人(2015)

M. Hesse, H. Meier, B. Zeeh 著, 市川 厚 監修, 野村 正勝 監訳, 馬場 章夫, 三浦 雅博 訳, 有機化学のためのスペクトル解析法 第2版 ―UV,IR,NMR,MSの解説と演習―, 東京化学同人(2010)

R. M. Silverstein, F. X. Webster, D. J. Kiemle, D. L. Bryce著, 岩澤 伸治, 豊田 真司, 村田 滋 訳, 有機化合物のスペクトルによる同定法 (第8版) ―MS, IR, NMRの併用―、東京化学同人(2016)

T. D. W. Claridg著, 竹内 敬人, 西川 実希 訳, 有機化学のための 高分解能NMRテクニック,  講談社(2004)

川端 潤, ビギナーズ有機構造解析, 東京化学同人(2005)

楠見 武德, テキストブック有機スペクトル解析 ―1D,2D NMR・IR・UV・MS―,  東京化学同人(2015)

田代 充, 加藤 敏代 著, (社) 日本分析化学会 編集, 分析化学実技シリーズ機器分析編3 NMR,  共立出版(2009)

福士 江里 著, よくある質問 NMRスペクトルの読み方, 講談社(2009)

執筆に当たり以下の素材を利用しました。

makewordart(ワードアート風3D文字)
https://www.makewordart.com/

TogoTV © 2016 DBCLS TogoTV, CC-BY-4.0 https://creativecommons.org/licenses/by/4.0/deed.ja

かわいいフリー素材集いらすとや(レントゲン写真を見せるお医者さんのイラスト, ラジオのイラスト)
https://www.irasutoya.com/



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