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短編小説「天秤」

雲ひとつしかないというのはまさにこのこと。心地よい風が頬を撫で、道端の桜の木は満を持して咲き狂っている。すっかり暖かくなって部屋の暖房も必要なくなってるようだ。

「今日でお別れです。辞めさせてもらいますわ」

凍りついた空気に一瞬、モヤのようなものがかかった。
必要なくなったはずの暖房を、今は皆欲しがっている。
すかさずデスクを力いっぱい叩き、沈黙を破ったのは直属の上司だった。

「非常識だ。そもそも代わりの人間もおられないですし、引き継ぎもやっていないですし、そんなん認められるわけないやろクズ。」

周りの社員共の表情は凍りついたまま、こちらを凝視している。俺はそんな社員共の期待に応えるかのように満面の笑みを披露した。

「辞めるの、ここ。退職金はちゃんと振り込むのお忘れなく。それじゃあまったのぉぉぉぉいや!」

社員共の表情は引き攣っていた。とても気持ちがよかった。今まで重圧に押し潰されていた俺は今、解放されてこの場を掌握しているのだ。このショーの主役は俺なんだ。

「いい加減にしろ!社会人として自分の発言に責任を持て!学生気分か貴様は!」

直属の上司は怒号を飛ばし、俺のデスクを蹴り飛ばした。その衝撃でデスクに飾ってあったエルモのぬいぐるみが落ちて、OLのデスク前に転がっていった。

「なんだろう、エルモ落とすのやめてもらっていいすか?」

俺は直属の上司に猛スピードで近づいてポッキーゲームができるくらいの距離で言った。
思わず一歩下がった上司の油断を俺は見逃さなかった。上司が馬鹿の一つ覚えのように欠かさず飲んでいる缶コーヒーを蹴り上げて上司のパソコンに命中させた。パソコンは変な音を出した後に爆発した。

「ぐぎゃぉえぉぉぉああああぉぇぁぁ貴様ぁぁあぁぁ!!」

発狂した上司は俺に掴みかかってきた。計画通りだった。俺はネットで検索して学んだ合気道の技で上司を投げ飛ばし戦闘不能にした。

「あ…あ…ピッ…ピッコロさ…貴様は…一体…仕事を…会社をなんだと思ってる…なぜ軽んじる…」

虫の息の上司は掠れ声で問うてきた。

「会社と自由な人生、天秤にかけたら自由な人生の方が遥かに重かっただけのことです。それにここにいても得るものはない。エルモだけに。」

決め台詞を吐いた俺は大声で発狂しながら上司のデスクの上にまたがり仕上げの脱糞をした。

こうして痛快な退職を遂げた俺は公然わいせつ罪で豚箱にぶち込まれた。自由な人生の重みで天秤が崩れたらしい。この世に自由なんかない。



ー完ー



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