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雲海仙人の記憶に残る釣り1994年

小学校3年生の頃から父に教わり餌釣りを始め、1990年代からはルアー釣りを、1994年からはその記録を残すようになりました。

その過去を遡って今回は1994年の印象深い出来事をご紹介します。
但し、当時の私は「写ルンです」等の使い捨てカメラが主流でしたので、プリントした写真を更に携帯カメラで撮った画像は頗る悪く、悪しからず!

表紙画像は秋の夕暮れに自宅近くの鵡川上流で釣ったアメマス、バケツを持って行っていたので、生かして自宅に持って帰り娘に持たせて記念撮影後、娘と釣った場所にリリースすると泳いで行きました。
秋の低温で生きていられたんでしょうね。
それにしても凄い口をしているアメマスでした。

私は自宅から10kmほど離れたところに金山湖があり、その流入河川の空知川上流に住んでいましたが、あまり金山湖は得意ではなくあまり行かない場所でした。
イトウ※を狙うアングラーは多くいたので、人が多い釣り場は得意でないのも理由の一つだったかと思います。

※ イトウの説明は雲海仙人の釣り道楽で

金山湖:アメマス
鵡川:山女魚(私たちはヤマベって言ってました)泣き尺の29.5cm
岩魚・雨鱒:餌釣りの釣果→塩焼き、甘露煮(父の担当・・・笑)で食す

始めてカラフトマス(ピンクサーモン)を釣りに羅臼まで行った年でもありました。
そして近年に至るまでは毎年数度のカラフトマス釣行が恒例となります。

ちょっと長くなりますが・・・
釣友と始めて行った羅臼市街を過ぎて東の海岸線を車で走り、道路がなくなったところに夜中到着、始めて来たところと興奮で寝れなく、釣り場の様子を見に行こうと更に海辺を歩いて約30分行ったところの釣り場を確認、その時漁師の番屋で犬が凄い勢いで吠えていたので、この時点では私たちを察知してだと思っていました。

一旦車に戻った私達2人は、明け方ロッド&リールを準備、身支度を整えて釣り場へ・・・少しすると漁師が来て「今から船を寄せて打ち上げられたドドを引っ張る」とのこと?頭の中は?マークがいっぱいだったが、よく見たらなんと!数十メートル離れた波打ち際にトドの死骸があり、それにロープをかけ船に繋いで引っ張って行きました。

そして少ししてからまたその漁師が船を置いて戻ってきて話出しました。
「トドの死骸を毎晩食べに来る羆(ヒグマ)いるので、片付けた」と・・・
続けて「昨夜も羆は来ていたが、夜中に2人が近くにきていたので、大丈夫だったのかなー?」それって私達のこと?ヒェ〜!!
だから昨夜の犬はものすごい勢いで吠えていたんだ!今は全くおとなしく尻尾を振っている!
後になってビビった、とても印象に残った出来事でした。

始めて釣ったカラフトマス・・・その夜は勿論祝い酒!カンパーイ・・・ヒック!

午前中は釣果なしで、もう釣りをやめて帰ろうと車に戻った2人は昼食後、せっかく来たからもう一回行こうとなり、ウェーダーは履かず運動靴で行くと、釣友は1尾釣り上げ、ルアーを聞くとタスマニアンデビル(No.55)、たまたま私もワレットに入っていたので使用すると、なんと2尾の釣果🐟。

タスマニアンデビル:13.5g No.55

当時はこのルアーを使っている人はほぼいなく、爆釣したのは何度もあり「何使っているの?」って他のルアーマンに聞かれた。
このルアーを使おうとした釣友に感謝! 30年後の今も一緒に釣行。

因みに数年後「カラフトマスはタスマニアンデビルで爆釣!」と釣り雑誌に掲載されると、一時的に各釣具店で手に入らないルアーとなった・・・💦

調子にのってこのシーズンは3回ほどのカラフトマス釣行で、3回目は何匹釣ったか分からない画像があり、持って帰ったマスを近所に配ったり、塩漬け、冷凍等、捌くのにも苦労したのも記憶しています。

この年も、空知川、鵡川、その他へと釣行回数は多かったです。
その頃は考えてはいませんでしたが、自然の中での釣りは最高だったんでしょうねー!だってボーッと川の流れを見ているだけで楽しかったから。

それではまた遊びにきてくださいね。

雲海仙人



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