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詩の日誌 「抽斗の貝殻のように」 3

「林檎の木のほうへ」

 吐く息がすでに白い。マフラーをきつくまき直し、コートのポケットに手をいれ、急な坂道を下りてゆく。今日いちにちの、ひとりぶんのバゲットを買いに行くためだけに。

 ある年の夏のはじまりから翌年の夏の終わりまでの一年間。交換留学生としてフランスに住んだことがある。
 兄妹のように水色の似たふたつの優しい川が流れる街に。
 現地ではフランス文学、つまり国文学の教室に通った。

 生まれたときからフランス語を耳にしてきた人たちと同じ講義を受けるのは刺激的だったが、哲学や古典の知識と経験が必要な内容の回などは、なんとか聞きとったフレーズをノートに写すのがせいいっぱいだった。宿題の問いにうまく答えられないまま夜が明けてしまうこともあった。

 大学のある街の中心地から少し離れた丘に学生寮はあった。さまざまな国の言葉が廊下や共用の台所からいつも聞こえる冷えた白壁の建物。背の高い木々の翳りにつねに包まれた一棟の北側に私の小さな部屋はあった。

 勉強机の真上のたった一つの窓から白んでゆく空を見あげるとき、滞在の終わりまでに何かがつかめるようになるのだろうか、と思った。

 運良く留学生の試験に通り、前年の短い夏に滞在して以来惹かれつづけた川の街に戻れたことは夢だった。
 この夢から一度も目覚めないまま、すでに卒業した友人たちの影もない一年後の真夏の日本の白亜の校舎に帰ることもまた夢の一部であり、私はいつ、どこで、人や言葉と出会うのだろう、とも思っていた。

 けれどいつまでも明け方の空をぼんやりと眺めている時間はなく、またすぐに下を向いて、目の前のテキストの一行一行を少しずつ読んでゆく。夏でも薄暗い部屋でそんな姿勢ばかりしていた。
 
 それでも木々が濃く色づくようになると少しずつ顔見知りもできた。彼らとたまに廊下でおしゃべりすることはあったものの、課題をこなすのに時間がかかった私は、カフェで落ち合ったり、誰かのアパルトマンでの集まりに参加することもほとんどなかった。
 
 今日もうっすらと白んでゆく空。でも講義が始まるまでにはまだ数時間ある。少し眠ろう。いつも眠る前に、自分だけに囁いた。
「今日も起きたら、あの坂道を下ってパンを買いに行こう」
 
 その坂道の名前には「林檎の木」という単語が含まれていた。並んで歩くのが少し窮屈な幅の道の両側は高い塀で囲まれていた。塀の上の空を見あげても林檎の木らしきものは見えなかった。
 すれ違う人もめったにいない道の、やわらかく翳る塀のそばで、昔は木が揺れていたのかどうか。誰にも聞くことはないまま、ただ坂を下った。

 かつてはフランス特有の湿度の低い紺碧の空へ向かって風になびいていた「林檎の木」など、どこにもない。そのことでかえって、私は道を通るとき、いつもより深く息を吸えた。

 私の頭上に輝くような青葉や林檎の実がある。それは自分には大げさな出来事に思われた。
 林檎の木。pommier。ポミエ……という、唇から軽く弾かれる「p」の音から始まり、喉をかすかに震わせて通る風のような「r」で終わる言葉。
 このうっすらと甘い囁きを、誰にも聞こえないように発音するのが、とても好きだった。

 林檎の木、という言葉だけが、一年後にはもうここにはいないはずの私と、いまここにある。そのことが自室の薄暗い窓から気まぐれに差す日のように、冷えた早朝のコートの胸の表面を、ただ過ぎて行く。
 つかず離れずの、言葉との距離に、私は安心した。いまはどこにもない林檎の木が、机ばかり見ていた私を外へと招く、唯一の微風になっていた。

 坂道の終わりには、朝早くから扉を開く小さなパン屋があった。
 毎朝、焼き立てのバゲットを一本だけ買った。

 急な坂道を下りきり、バゲットを一つ手渡され、受け取り、また坂道を上がる。
 何も確かなものがない日々のなかで、そのくり返しだけは確かだった。

 林檎の木の道の、とくに急な勾配の途中には手すりが設置されていた。真冬の朝でも、バゲットの熱でわたしの手のひらはいつのまにか温まっていた。

 帰り道の手のひらを、手すりにのせるのが好きだった。手すりはいつも、しん、と芯まで冷えていた。

 林檎の木の道の手すりの方が自分より冷たいことに、いつもほっとした。
 自分の手のひらにもまだ何かを温められるだけの体温があるということに。

 くり返し、ノートに文字を書きつけ、眠り、坂道を下り、パンを受け取り、また部屋に戻る。
 途中で必ず立ち止まり、自分の体温を、もうどこにもない林檎の木のように凍えた一本の手すりに分け与えながら。

 くり返すことでしか辿りつけない場所に。
 いまも、林檎の木、という、ひどく優しい言葉だけがある。 






詩の日誌「抽斗の貝殻のように」4
「つもりつもるなら」