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はじめての個人誌制作について。外を眺めるよりも、満ちること。

 夏休み。若い人たちと話をする機会があり、自分の10代の頃を思い出していた。それで、少しその頃のことを書いてみたいと思う。
(定期的にわたしのnoteを訪ねてくださる方や、ご縁のある方にお読みいただけたらと思うので、Xでは無理に告知せずに……)

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 たとえば、どこかの詩誌や雑誌のために詩や書評などの文章を書くときは、編集者が最初の読者になってくれる。それが無事に掲載されれば、見知らぬ人たちも読んでくれるかもしれない。
 発表する以上、それが誰かに読まれることを多少なりとも意識する。だから、現在のわたしは、「この行の流れや組み合わせを、わたし以外の人が読んだらどう思い、感じるだろう……」ということも考慮しつつ言葉を整えているはずだ。

 それでも思い出す。わたしにも、誰かに読まれることや、自分以外の「人」をほとんど意識せず、ただただ「かくこと」が楽しくて、寝る間も惜しんでひとりで机に向かっていたことがあったと。
 それは高校生のとき。以前、投稿についての記事にも書いたのだけれど、当時も詩作を試みてはいたがなかなかうまくいかず、詩については長期的に考えようと思っていた。
 詩集や小説は変わらずに読みつつも、その頃のわたしはイラストや漫画を描くことに夢中になっていた。しかも歴史上の人物と彼らが生きていた時代を題材にしたものを……。

 わたしは小学生の頃から時代劇を観るのがなぜか好きで、中学生になると歴史・時代小説を自然と読むようになり、そのなかでも飛鳥や奈良、鎌倉時代と幕末に興味を持ち、高校時代には、とくに「松下村塾」で学んだ一人の志士がいまでいう「推し」となっていた……。

 小学生の頃から少年少女漫画を問わず、愛読する漫画の真似をしてイラストを描くのが好きだった(中学生のときに『少年は荒野をめざす』を読んで以来、吉野朔実が一番好きな漫画家になった)。
 そうするうちに真似ではなく、好きなもの(人物)を自分でも描いてみたいという思いが高まり、高校入学後は、やはり幕末を題材にしたいくつもの同人誌を即売会で入手し、そこから志士たちの描き方を覚えていった。

 高校では、表面的には普通に(?)過ごしてはいたが、ノートの片隅につねに落書きをし、帰宅すれば勉強をしているふりをしつつ、漫画の練習をしていた。
 自宅の部屋の壁には、修学旅行で訪れた霊山歴史館で入手した「推し」のポスター(というか単に肖像写真を引きのばしたもの……)を貼り、それを眺めながら、幕末の志士たちのイラストをコツコツと描きため、歴史小説の一場面からさまざまな物語を想像する。その作業はほんとうに楽しくて、机に向かうとすぐに深夜になった。時間がいくらあっても足りなかった。
 たとえば、夜更けに一瞬眠りに落ち、机のうえのコーヒーカップが原稿のうえに倒れそうになったとき、自分の服を汚して防いだこともあり、いま、当時の自分を振り返ると、そこには心配になってしまうほどの熱中があったと思う。

 そんなふうに漫画ばかり描いていたからもちろん成績は下がる一方で、いよいよ受験生となる直前の冬。心配した家族と話し合いという名の大喧嘩になり、「この思いを収めるために、一冊だけでいいから、記念に個人誌を作らせてほしい……」と母に懇願し、「じゃあ二週間以内に仕上げること」と約束をした。

 ほんとうは「推し」の話を描きたかったが、自分の思いを拙い画力でどう物語に仕立てればいいのかわからず、迷走しそうになったため……。次に好きだった、新選組の剣士を主人公にした漫画を数日間で一作仕上げ、同人誌制作で有名な印刷所に送り、少なくとも50冊は作ったのだと思う。
 実際に本というかたちになって自分の作品が届いたとき、こうして作ったからには、自分と同じように幕末が好きな人に一冊でもいい、読んでもらえたら……と思いついた。自分の好きな作家が同人誌の即売会でいつも、愛情をこめた本を手渡してくれたように。

 そしてそのあと、購読していた歴史雑誌の読者同士の交流欄に「新選組の漫画を描いて本を作りました」という告知を載せてもらったり。ちょうど家族で関西に行く用事があったため、その途中で、京都の新選組ゆかりの場所にあった掲示板に手作りのチラシを貼りに行った。
 そのおかげで、さまざまな場所に住む見知らぬ人たちから購入希望の手紙と郵便為替が届き、はじめて自分の作った本を、やはりはじめて人に販売することができた(30~40冊は売れたと思う)。
 しかも、そのなかの数人から感想の手紙をもらう、という貴重な経験もした(みんな年上の、温かな大人ばかりだった……)。

 あのとき、わたしは、自分の内側の井戸を、ただただ見つめ、掘りおこすことが何よりも楽しかった。だから、まずは人の目をまったく気にせずに、井戸のなかで見たものや感じたことを、自分なりに集中して描いた。
 それは、出来上がってみれば、自分の知らない場所にまで思いがけず流れてゆくほんの小さな舟になった。そこに自分の「外」や「誰か」に対する媚や期待の重さはなかったと思う。
 そして、その笹舟をちゃんと受け取ってくれる手があったことにも驚き、世界は自分が思うよりも広く、そこにはいろんな人がいるんだな……とも感じた。

 身近な知り合いや友人ではなく。見知らぬ、けれど、わたしに似た誰かがどこかでこの笹舟を受け取ってくれるかもしれない……。そんな予感が、現在でも、制作の密やかな励みになっている気がする。
 
 生まれてはじめての個人誌を作ったあと。憑き物が落ちたように、漫画を描くことの熱はしだいに治まった(個人誌を作ったことでいったん満足し、区切りがついたのかもしれない)。そして大学入学後には、詩と言葉への興味がより高まり、それからはいろんな道(寄り道)を通って、いまに至っている。
 それでも、いまもじつは、自分の嗜好や方向はあのときからあまり変わっていないのかも……と感じることがある。
 誰かのためにではなく。自分が好きなものをまず求めてゆく。自分のすべての航路はそこから始まるのかも……と。

 どんな書き手にも、人に気に入られたい、広く読まれたい、という思いは少なからずあるだろうし、外の反応に右往左往してしまうこともあるはず。
 でも、それを常態とすれば、満ちる、という感覚からはどんどん離れてしまうのでは、とも感じる。

 外を、誰か、を気にするよりも、自分が自分の描く(書く)対象を、誰よりも好きでいること。たったひとりでも、満ちること。
 そんな満月のような明かりを頼りに、作品という舟は少しずつ進むことができ、進んでいったさきで、思いがけない人たちに読まれるのかもしれない。変に無理したり、気負うことなく。

 満ちることの楽しさ。それは、ただただひたすらに一つのものを、一人の人を、夜が明けるまで幸福感に包まれながら描いていた16歳の自分がわたしに手渡していった、唯一のこと。わたし以外の誰にも気づかれない大きさの、けれど可憐な朝露のような。



16歳の冬。はじめて制作した個人誌は詩ではなく。そのほんの一部を(拡大するとぼやける鮮明さになっていますが、そのくらいの遠い思い出……ということで)。16歳の拙さはお許しいただきつつ。