H・ラシュドール『大学の起源―ヨーロッパ中世大学史』を読む

 「大学とは何か」という問いは、大学より先に国家があった日本においてより、国家より先に大学があったヨーロッパにおいて生まれやすかったように思われます。11~12世紀にボローニャやパリで自然発生的に生まれた「ストゥディウム・ゲネラーレ」には先行的に定義があったわけではなく、何が彼らと彼ら以外の諸学校を区別する境界線なのか、必ずしも定かではなかったからです。

 ビデルは、大学の役職の中でも、おそらくは、学頭職と同じ位、最も古いものの一つであった。それは、例外なしに、どの中世大学にも存在した。実際、「ビデル」(bidellus)への言及は一般に(一定不変にではないが)、その学校が、本当に大学、つまり「ストゥディウム・ゲネラーレ」(studium generale)であったことを信頼させる、十分な証拠なのである。(上巻、pp.176-7)

 一般的に大学の構成員と言うとき、教員や学生は挙げられても事務職員が挙げられることは稀です(最近は増えてきたように思いますが)。早稲田大学の事務職員で副総長を務めた村上義紀さんは「なぜ職員が大学に存在する必要があるのか」との疑問に苛まれる中でこの一節と出会い、ビデル(事務職員)がウニベルシタスの一員だったという事実に大いに勇気づけられます。村上さんは、著書『みんな私の先生だった』(霞出版社)でこのことを「とくに忘れないだろう」と書いています。
 歴史社会学者の小熊英二さんは、大著『1968』(新曜社)の中で、大学紛争下の横浜国立大学に招かれた歴史家の羽仁五郎が中世ヨーロッパのボローニャ大学の学生自治について講演を行って学生自治を標榜する学生から喝采を浴びた、と書いています。中世ヨーロッパに根拠を求める人間がここにもいたわけです。
 「大学とは何か」という問いがいまより差し迫ったものとしてあった半世紀前、管理運営の問題と中世ヨーロッパは私たちが考えるよりずっと近いところにあったのです。

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