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アファメーションという言葉のパワーはどこまで可能性を秘めているのだろうか

こころとからだはつながっており、どちらかが「よい状態」になることでもう一方も改善するということは、コロナ禍を経た現在のわたしたちの多くには、すでに知られていることかもしれない。

「よい状態」を整えるツールやメソッドの情報は世に溢れている。
その中の一つ「アファメーション」という癒しやゆるし・ポジティブな言葉を繰返し聞いたり、唱えたりすることもこころとからだに効果があるという。
日本語には「言霊」という表現があるが、言葉は思考を規定し、時にはコントロールする。
使い方ひとつで、人間を良くすることも悪くすることもできる。

そんなことを考えていた中、『ビジュアルシンカーの脳』という本を知り、読書中。

言語で思考するのではなく、視覚で思考する。
さらに視覚思考者は画像で考える「物体視覚思考者」とパターンや抽象的な概念で考える「空間視覚思考者」の二種類に分かれるという。

著者自身自閉スペクトラム症(ASD)で、言葉の習得が遅く、物体視覚思考者という。
詳しい内容は著作を読んでみていただきたいが、優れた技術者の中には視覚思考者が多く存在することや、思考タイプの違う者同士のコラボレーションによって素晴らしい仕事を生み出してきたことなどが描かれている。

恐らく、わたしは言語優位の言語思考者なのだと思う。
コトバで考え、コトバを使って表現し、コトバのコミュニケーションが主たる手段だ。
もちろん、コミュニケーションの手段としては表情・ジェスチャー・言葉の抑揚や大きさ・トーンといった音などの非言語も意識的・無意識的に併用している。

はて、待てよ

視覚思考者には「アファメーション」は届くのだろうか?
文字情報から想起される空間や物体は、言語思考者とのギャップはないのでろうか。
同じ日本語を使いながらも、抽象度の高い言葉ほどそれぞれの脳は異なる定義をもって思考するリスクがある。
(言語コミュニケーションで問題を抱える人は多数いる)

ネットには画像や動画・音楽・音声付きのアファメーションも多数アップされているが、これは視覚思考者にはどのように映るのだろうか。
言語思考者が考えてつくったものは、さらにギャップを生むリスクを抱えているのではないか。

わたしはアファメーションのもつ、言葉でこころとからだを整え、その人のよりよい人生を手にするという効果は好きだ。
だが、それぞれの思考のパターンによっては、誰に対してでも効果高くお勧めできるというものでもないのだろう、と今は思う。

もう少し、アファメーションと脳の関係を考えてみたいと思った。


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