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ワークスタイル:通勤を考えてみる

朝通勤電車に乗ったときのこと、それなりに混んでいて、座席の前の吊り革も全部塞がり、ドア前も通れないくらいの立っている人がいた。
座るのは当然無理にせよ、どこに立って乗っているか、それが問題だ。

この後駅が東京方面に近づくにつれて、ますますお客が乗り、混雑率120%以上、身動き取れない満員車両になるのは、明らかな路線である。
せめても少しでも圧迫感が少ないとか、押されたり踏ん張ったりが起きないようなポジションに滑り込んで、立ってみることにした。

具体的には座席に向かって立っている人の間、普通だと一人は立っていられる。最高満員状態になるとそこに、二人や三人が窮屈にくっつき、圧迫しあって立つハイプレッシャーゾーンになることもしばしばなのだが、しばらくいくつかの駅の間までは、最悪状態は回避されるはずだ。

立ったわたしの目の前は、座席ではなく、座席の前に立つ人の背中だ。
左右の人とコート越しにぶつかっているが、混雑車両、お互い様だ。

一駅過ぎ、降りる人と乗る人はトントンで、最初のポジションとあまり変わらないでいられた。目の前の人もそのまま。
次の駅でまた人が増えるとこの最低限の快適も奪われてしまうだろうが、まあ仕方ない。東京近郊で暮らして通勤電車を使うサラリーパーソンとしては受け入れざるをえない。

次の駅で目の前が動いた。座席前の人が降りるのだと思ってみていたら、その前の座席の人も何と降りるではないか。

通勤電車の暗黙の了解、「座席が空いたらその前に立っている人に座る権利がいく」に則ると、座席の前に立ってた人もいなくなるのだけど、その両側の立っている人も動く様子がなく、わたしの前に空いた座席までの一本の道(?大袈裟な)ができていた。
こんな時は「図々しいおばさんモード」になりきって、ささっと座席に座らせていただいた。

マタニティマークやちょっとお譲りした方が良さそうな方を見渡したが、乗り込むお客のどどぉって感じの靴音と、座ったわたしの目の前は、立っている人のコートの黒一色のカーテンのようになっていた。
座れたのは嬉しかったけどこれで今日の運を使い果たしたかなという考えも一瞬浮かんだ。

だがその次の駅あたりから車両の混みが半端なくなり、その考えはあっさり撤回する事になる。
座席前に立つ人の足と自分の足が当たり、それを動かして回避する事はできない、握り棒に身体をよじらせながら張り付く人もいる、時々大人の男性のうめき声がもれる、という悲惨な混みっぷりになったのだ。
今日の運を使い果たしても座られてよかった、としみじみとありがたく座わらせていただくわたしがいた。

結局約10分ほどの遅延もあってか下車まで混雑したままだった。

運良く座れたことで体力温存できたわたしは、本当にツイていた。電車で立つ場合に途中から座れる保証はない。どれだけ通勤で消耗していることが多いか考えると想像しておののくしかない。

在宅リモートワーク、もう少し真剣に積極的に今年はやっていってみますか。

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